閑話その三
明が人を殺し、心に深い傷を負ってから三日が経過した。
たかが三日、と言う人はいるかもしれないが、三日間もずっと考え込んでいれば思考は停滞し、考え続ける事に疲れも出てくる。
要するに、明はゴチャゴチャと考えるのが嫌になってきたのだ。
「……とりあえず、学校行くか」
とはいえ、この事に答えを出せるほど明は割り切っておらず、ひとまずの息抜きとして三日ぶりに学校へ行く事にした。
最近はめっきり冷え込んできているため、明は夏服ではなく冬服を掴んで着る。ブレザータイプのそれは肩にずっしりと感じる夏服とは違う重みがあった。
「……あとどのくらい、生きられるのかな」
こうしている間にもじわじわと体が蝕まれているのが分かる。それがハッキリと自覚できるようになってしまい、明は減りつつある砂時計の砂を見つめる気分で階段を下りた。
「あら、アキラ。もう引きこもりはお終い?」
リビングに入ると、明に気付いたキリエが真っ先に声をかけてきた。
引きこもりと呼ばれた事に顔をしかめながらも、事実なので言い返せない明はキリエの言葉に何も答えず、ソファーにどっかりと座る。
「……誰が引きこもりだ。人の部屋に再三入り浸ったくせに」
「だってそうでもしなきゃ、あんた落ち込みっぱなしでしょうが」
「う……」
キリエが意外に考えての行動を取っていた上、思いやられる側である明には何も言えない内容だった。
「ほら、さっさとご飯食べなさい。あたしはあんたと違って学校行くんだからね」
そう言うキリエの服は冬服に変わっており、初めて見るブレザー姿に明は珍しそうな顔をする。
「なによ、見とれた?」
「……馬子にもいしょごふぅ!」
素直な感想を言おうと思っただけなのだが、キリエの鉄拳で最後まで言われる事はなくなった。
「ったく、バカ言ってんじゃないわよ。まあ、それはさておいてあたしは今日アヤメのところに行ってくるから」
「いや、そこは帰るって言うべきじゃないのか……?」
最近のキリエはずっと明の家に泊まりっぱなしなのだ。楪にも説明はしてあるのだが、明としてはどうにも不安が消えない。
「まあ、対外的に見ればあたしはアヤメの家にホームステイしてるんだけど……。本人も笑って許してくれたし良いんじゃない?」
「うん、目の笑ってない笑顔が怖かったけどな。……そういや、先生の顔を見るのも久しぶりになるな」
四日ぶりでしかないのだが、明は一年ぶりに知り合いと会いに行く気分になっていた。やはり今は少しでも日常に触れていたいのだ。
「じゃあ、早く行きましょ。カグラー! ご飯まだー?」
「キリエさんは食べたばっかりでしょう! 明さんの分しか残ってませんよ!」
神楽が台所から突っ込みを入れる。今さらだが、神楽も明の家に入り浸るようになって長い。ちなみに以前どこに住んでいたのかは明も知らない。
「あ、少なめでいいよ。わざわざ作ってくれてありがとうな」
神楽がいるおかげで明は自分の事に集中できた。もし神楽がいなかったら、草木家の家事は全て明がやらなければならず、そんな事になったら忙しくて思い悩む暇すら与えられないだろう。
思い悩む暇がなければ、いずれ忘れられるかもしれない。だが、それは明が望むところじゃなかった。
人を殺した事実。明はそれに対して全力でぶつかるつもりだった。割り切る事も、逃避する事もなく、行った事へのケジメと納得のいく答えを探したいのだ。
(そういえば……先生なら相談に乗ってくれるかな)
神楽の用意したトーストを口に入れながら、明はぼんやりと楪の事を思っていた。重要な部分は省かないといけないが、それでもあの人なら何だかんだで的確な助言をくれると明は確信していた。
「……っし、行くか」
「そうね。カグラも早く準備しなさいよー!」
「軽食用意しろって言ったのキリエさんじゃないですか! 理不尽にもほどがあります! 次やったらわたしの秘密組織探索に付き合わせますよ!」
秘密組織探索とは神楽の趣味で、その辺に隠れて存在している(かもしれない)組織を探し回る事だ。神楽はこれがどこかにあると信じて疑わないため、明やキリエを巻き込もうとしてくる事もある。
「うん、やめて。あたしはあの視線に耐え切れるほど強い心は持ってないの」
「右に同じ」
明とキリエは神楽と視線を合わせず、カバンを持ってそそくさと家を出て行った。
「何でですか……、面白いのに……」
玄関のドアを開ける直前、リビングの方から拗ねた声が聞こえた。神楽だけだろ、とは二人の突っ込み。
「おはよーっ!」
「おはよう」
元気の良いキリエの声と、いつもよりやや元気のない明の声が教室に響く。
友人作りに関しては如才ないキリエには大勢の人が挨拶を返すが、人付き合いをあまり取らない方である明に返事をしたのは三上ただ一人だった。
「おはようさん……って、お前も大概寂しい奴だなあ……」
「るっさい黙れ死なすぞ」
憐れむように見られた事にイラッときた明は辛辣極まりない言葉で返答する。だが、三上はここでボロクソに言われた事を嘆くより先に驚いた顔をした。
「……何だよ」
三上が驚く理由が分からなかったため、明はむすっとした顔で聞いてみる。
「いや……、気のせいなら良いんだけどさ。お前、何か落ち込んでないか?」
「……っ」
予想以上に鋭く、人を良く見ている三上に明は心底驚き、意図せずに息を呑んでしまう。三上はそれを見て鬼の首を取ったような顔をした。
「おっ、あんま顔に感情が出てこないお前にしては珍しく顔に出たか。ってことは何かあるな。……言えない事なのか?」
「…………」
あまり大手を振って言えるような悩みではないので、明はだんまりを決め込む。しかし、三上の気遣いに対してその行動はあまりにも失礼だと思うのもまた事実。
「……なあ、俺がもし、犯罪をしたって言ったらどうする?」
「俺より先に大人の世界に行きやがってバカヤロー、と全力で叫ぶ。そしてお前の部屋にあるエロ本全部名札付けてさらす」
「俺の部屋にそんなもんねえよ……。あと、お前犯罪の言葉の意味辞書で調べて来い」
予想を右斜め上にぶっち切った答えに明は呆れて物も言えない。頭痛のするこめかみをもみほぐしながら、真剣な顔を向ける。
「良いから答えてくれ。もし、俺が犯罪をしたらお前はどうする?」
「……冗談言って良い空気じゃないよな。じゃあ……そうだな……」
三上は明に触発されたのか、同じく真剣な顔で明の提示したIFをシミュレートし始める。
「んー……、真面目でカタブツなお前が犯罪をするなんて考えにくいけど……いや、そういう奴だから何か吹っ切れた場合は怖いのか……?」
あながち間違ってもいない推測に明は冷や汗を流した。本気でキレた時の恐ろしさは本人も良く分かっている。
「まあ、カタブツとは言っても、なんやかんやで困ってる人は助けてるしな。…………うん! 俺は何か理由があったんだと思う。でなきゃお前が何かするなんて考えられねえ!」
清々しい笑顔でそう言い切る三上を見て、明は口をあんぐりと開けてしまう。
「……んだよ? 何かおかしい事言ったか?」
「……いや、何でもねえよ。……ありがとな。三上」
三上の言葉で少しだけ気が楽になった。こんなにも自分を信じてくれる友人がいるというのはひどく気持ちの良いものだった。
「けっ! 男のツンデレなんて嬉しかねえんだよ! もっと七海さん紹介するとかしやがれってんだ!」
他意は一切ないお礼を言ったつもりなのに三上にツンデレ扱いされた明はブチ切れたくなるが、二秒前にお礼を言った手前、怒るのは気まずかった。
「いや、お互い名前は覚えてるだろ。一週間も一緒に勉強会やったんだぞ?」
「あの時は勉強に集中して話せる機会なんてなかったんだよ!」
「え? お前、普通に分からないとこ聞いたりしてなかったか?」
明の脳裏に思い描かれるのは再三質問してきて、自分の勉強時間がかなり削られてしまったという苦い記憶だ。
「全部お前に聞いたわ!」
「いや、だからそこを神楽やキリエに聞くとかはなかったのか?」
そこで三上の体が硬直し、顔面から脂汗がダラダラと流れ始める。
「……………………あ」
どうやら気付いてなかったようだ。そして後の祭りである。
「…………なあ、草木」
「分かった。何も言うな。今度それとなく言っといてやる」
涙目でこちらを見る三上に対し、さすがの明も同情を覚えてしまった。適当に紹介してやればこいつも満足するだろう、とさりげなくひどい考えをしながら三上の声なき懇願を受け負う。
「お前は最高の友達だっ!」
「はいはい。……まあ、悪くはないよ。お前と一緒にバカやるのも」
こんな他愛のないやり取りでも心はずいぶんと軽くなってくれた。もちろん、背負った罪が消えたわけじゃない。背負った足腰が強くなっただけだ。
「よお、ずいぶんと久しぶりな気もするな草木」
その日の昼休み、明は楪に呼び出されていた。ちなみに昼食は諦めろと言われている。
「はぁ……。と言っても、テスト期間中は毎日顔合わせていた気がするんですけど……」
「んな事どうだっていいんだよ。あたしがお前と会うのは久しぶりな気がするって言ってるだけなんだからな」
それはどういう意味だろう、と明は内心で首をかしげた。そのタイミングを見計らったように楪は椅子の背もたれに思いっ切り体重をかけて口を開いた。
「……まあ、正直今までの草木はどっか別人のような気がしてたんだよな……。もちろん、お前の前じゃ顔には出さなかったぜ? でも、なんつーか……悟り切った坊さんみたいなツラァしてた。そうだな……夏休み明けてからだな。お前にそんな違和感持ったのは」
「…………」
三上以上に鋭い発言に明は黙るしかできなかった。鋭いというよりも、もはや明に何が起こったのか知っているのではないかと勘ぐってしまうほどだ。
「そんなお前が今は迷ってる……、っつーか苦しんでる。正直、今まで見せられた機械みたいな顔よりよっぽど良い顔だ」
「そう……ですか……」
明個人としては昔の迷わず前に進めた自分の方が良かった。迷っても、苦しく、辛いだけで時間は無慈悲に流れるだけだと思っている。
「なにシケたツラしてんだよ。悩めるのは人間の特権だぜ? 悩みを持たず、ただやるべき事を淡々とこなす人間なんて機械とおんなじだ。だからまあ、」
楪は明の肩をバンバンと叩き、顔を近づけて言った。
「思う存分悩め。苦しめ。あがいて地べた這いずりながら掴んだ答えなら――もう迷わないだろうさ」
「…………はい」
まだ納得はできなかった。だが、これからも悩み苦しむのは確定事項であるのもまた事実。ならば楪の言葉は胸に留めておく程度の価値は存在した。
「そうだ。それでいい。何でも他人の言う事を鵜呑みにはするなよ。あたしの言葉だって口うるさい教師からの戯言だとでも思ってくれれば重畳だ。少なくとも、覚えてはくれるんだからな」
「……分かりました」
明は楪の事を口うるさいとは思ってなかった。基本的に放任主義の教師で、締めるところ以外はあまり締めない教師なのだ。そして言葉にはなぜかやたらと重みがある。
「おう、存分に悩め。若人。……おっと、言い忘れだ」
ニカッと笑って明の肩をもう一度叩き、楪はそこで真剣な顔になって明と目線を合わせる。
「……なんですか?」
「……お前がキリエや七海とどんな関係なのかは聞かない。だがな、ちゃんと避妊だけは――」
「失礼しました」
楪がトチ狂ったセリフを言い始めたので、明はそそくさと教室に戻る支度をする。
「あ、ちょ、待て! こういうのはかなり重要な事でな――」
最後まで聞く事なく、明はさっさと退散した。
「ったく……人を何だと思ってるんだっての。俺はサルか」
職員室のドアを閉めてから、明は楪に言われた事に対する文句を一人ごちる。しかし、その顔は紛れもなく緩んでいた。
「……ありがとうございます。楪先生」
絶対誰にも聞こえない声で、明はそっとつぶやいた。