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三章 第十一話

 気分が良かった。


 目の前の敵を引き裂き、握り潰し、噛み砕く。理性など二の次三の次で、ただひたすらに本能に従うのはひどく気持ちの良いものだった。


(……ヤバ。戻りたくなくなってきた)


 距離があって素手では届きそうにない奴らを伸ばした腕によってまとめて薙ぎ払っている時、明は頭の片隅に残った理性で現状を危ぶんでいた。


 体はほとんど本能に任せて動いており、何か傷を受けても鋼の皮膚で軽減されるので重傷は滅多に負わない上、即座に再生を始めるため痛みもほとんどない。


 何だかんだ言ってこの皮膚は強力な物であるようだ。キリエには散々傷つけられもしたが、実験体程度の脆弱な腕力では明の皮膚は突破できないらしい。


「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッ!!」


 八方から飛びかかってきた実験体たちを全身から増やした針のように鋭い皮膚で貫き、体の中に入った皮膚をさらに複数に枝分かれさせて伸ばし、実験体の体を内部から破壊する。


 破壊するという本能に基づいて動いているためか、平時の明では真似できないほどの合理的かつ洗練された動作で実験体を肉塊に変えていく。


(これは……理性がどうのこうの言うより、今はこれを見ていた方が良いかもしれんな……)


 明は自分とは思えない(実際、ほとんど自分ではないのだが)体のキレに見とれ、この動きこそが自分の目指すべきものであると直感的に悟る。


 前の方に密集している実験体を腰のひねりも加えた大振りな薙ぎ払いで吹き飛ばし、その勢いを下に向けて足を地面から放す。地面と水平になりながら縦回転し、腕を長大かつ巨大なものに変えて奥の方にいた実験体も踏み潰す。


 鬼の特性をフル活用した実に手際の良い戦い方だった。明は予測のつかない己の体の動きに振り回されながらも、一心不乱にその動きを見つめた。


(クソアマのいる場所は……分かんねえな。片っ端から調べるべきか)


 しかし幸いな事に体の行動パターンは狂戦士じみた敵に向かっていく、というものではなく明の意志にある程度従ってくれるものだった。


 とはいっても、やはり敵の姿があるとそちらを最優先してしまうため、狂戦士と呼んでも差し支えないのだが。


 周囲に敵が見えなくなるまで圧倒的に破壊し、その上でドアも破壊して中を見る。深紅の瞳がギラギラと輝きながら部屋の中を一つ一つ見ていく姿にはバケモノらしい原初の恐怖を与える何かがあった。


「ドコダッッ!! ドコヘイッタクソアマアアアアアアアアアアアァァァァァァァッ!!」






「何ですか何ですか何ですかあれはっ!」


 最上は明の暴れまくる姿をモニターで見ながら、憤懣やる方ないと言った感じに机を叩く。


 実のところ、明はせいぜい実験体を数十体は倒すにしても数百体以上は勝てないと思っていたのだ。怒りに身を任せた単調な攻撃など恐れるに足らず。


 しかし、その予想は完全に裏切られる結果となった。今の明が怒りに身を任せているのは確かだ。それは揺るがない事実としてそこにある。


 今まで誰も見た事のない明の本当の怒りは――無心になる事と同義だ。


 怒りを全て腹の内に押し込め、冷徹に思考を回し、相手に報復する手段を模索して実行する。明はキレるとこの一連の流れを淀みなく行う。


 モニターに映る明の目は殺気に曇っているように見えて、奥底では冷徹な意志が息づいているのが分かる。


「ちょっと……敵に回すのは不味かったですかねぇ……」


 最上は事ここに至ってようやく己のしでかした事の重大さを悟った。


 彼女は今、世界で最も敵に回してはいけない人物を敵に回しているのだ。






「カグラ! 目は大丈夫!?」


 一方、キリエたちの方は明の作った道を辿りながら、明の後を追っかけていた。


「ちょっと右目が痛みますけど……問題はありません」


 時おりふらつきながらも、しっかりと瞳は焦点が合っている。神楽を支えて歩いていたキリエだが、これなら問題ないと判断して手を放す。


「ったくあのバカ……。あたしは武器がないんだっての」


 キリエは手元に何もない事をぼやきながら、神楽とともにアキラを探していた。道は実験体の死骸があるため、割と分かりやすい。


「鬼喰らいであるキリエさんにはわたしの呪符も扱えませんし……実験体とやらの数が減っている事と向こうに注意が行っている事だけは幸いですけど」


「でも、状況はあんま良くないわ。せめて鉄パイプでも金属バットでも良いから武器があればいいんだけど……素手じゃ能力使っても大して効果ないのよ」


 あいつに助けてもらった手前、愚痴を言うのは間違ってるけどね、と言いながらもキリエは肩を落とすのをやめない。


 事実、彼女の能力は『刀を縦に振った場合と横に振った場合、両方をその場に召喚できる』という極めて限定的な能力なのだ。強力である事に間違いはないし、明の手助けも有れば敵の存在しない世界に上書きし直す、と言った離れ業も可能になるのだが、とにかく何か手助けがなければかなり非力な事になってしまうのだ。


 素手で殴ったところで鬼にはダメージを与えられない上、能力を使用して拳を増やしたとしても威力は虫に刺されたほどしかないだろう。


「ナイフだけでも隠し持っとくべきだったわ……」


「……待ってください。キリエさん、確かここに連れて来られた際に刀を持ってましたよね? あれはどこ行ったんです?」


「……分からないわ。絶対に手放してないのは確かなんだけど、途中で意識落としてたから……。ゴメン、正直に言うと運ばれてる途中で落としたのか、この建物のどこかにあるのか、皆目見当もつかないわ。あたしも役に立てないみたい」


 最初は何とか思いだそうとしたキリエだが、すぐに諦めて戦力になれない事を謝った。


「いえ、わたしも浄眼が使えませんし、呪符とかを使う力もほとんど残ってませんからお互い様です」


「そういう問題じゃないのよ。あたし、今回は何も活躍してないじゃない。カグラのはあたしを助けるために負った名誉の傷で済まされるけど、あたしは本物の役立たずよ」


 キリエはそう言い切り、何とかフォローしようとする神楽の口も指で塞ぐ。


(あたしにしたのは……なに? クソアマの言う事に翻弄されて怒りに呑まれて、捕まった挙句にこのザマ。情けないったらありゃしないわ)


 下唇を噛み締め、赤くて鉄の味がする何かが口に広がる。キリエはそれに構わず足を速め、一刻も早く武器もしくは明に合流する事を願った。






(……もうずいぶん戦ったな)


 明は視界の隅に映った実験体を蹴り上げ、右手で串刺しにしながらぼんやりと考える。


 怒りは未だ消えたわけじゃないが、それも実験体を倒しまくる事で幾分緩和されていた。要するに八つ当たりをしてちょっとスッキリした状態だ。


 そのため、今の明は割とハッキリ自分の体を動かす事ができた。もっとも、それも最上の顔を見たら簡単に消える理性ではあるが。


(それに結構な数を倒してきた。そろそろ向こうも実験体の数が気になる頃合いだろうけど……。まっ、適当に歩いていればいつか着くだろ)


 つらつらと敵の内情を慮ってみたが、どうせ意味はない事だと思い直してその思考を打ち消す。ついでに後ろから襲いかかってきた実験体を振り向きすらせずに、背中から針を出して倒していた。


「なーんか気配が読めるようになってきたな……、こりゃ、本格的に人間離れしてきたかね」


 前は意図的に聴覚などを強化しなければ分からなかったのだが、今はそれすら必要としないほどに感覚が鋭敏になっていた。そして先ほどの乱戦で急速に明の戦闘における直感も磨かれ始めている。


 平たく言えば、建物内での戦いが明の力量を一段階上の次元へ引き上げたのである。今の明なら、完全武装のキリエが相手でも善戦できるだろう。勝てはしないだろうが。


「あいつ相手になると弱いんだよなあ……」


 キリエが時たま見せる猛禽類の顔に何か言い知れぬ感情を抱いてしまうのだ。明はこれを捕食される恐怖と名付けている。鍛錬の時にもそれがチラついてしまい、体が動かなくなってしまう。


「それはそうと……」


 明は視界の奥に実験体が密集しているのを見つけ、楽しそうに舌なめずりする。


「ちょっと前から散発的にしか来なくなったしなあ……。少しは楽しめそうか!? 奥に何を隠してんだぁオイ!」


 獰猛な笑みを浮かべた明は爪を構え、実験体の群れに向かって突進した。


 彼は気付かない。人を傷つける事を厭うはずの彼が、元は人であったはずの実験体に対してためらわずに爪を振るおうとしている事に。ついさっきまで持っていたはずの躊躇が、いつの間にか消えてしまっている事に。






「ふん、雑魚が……」


 一分程度で実験体を片づけた明は物足りないといった風に鼻を鳴らす。キリエがいたら目をひんむいていたであろう行動だが、あいにくと今の明の異常性を指摘する存在はここにはいなかった。


「さて、クソアマはこの奥にいるだろうな……」


 先ほどは奥に何があるのか分からないみたいなニュアンスの事を言ったが、明は奥に何があるのか半ば確信していた。


 指揮官というのは己の身を一番安全な位置に置くものであると明は思っており、特に科学者であって戦闘者ではない最上ならなおさらだと判断している。


「何が出・る・か・なっと!」


 もはや狂ったようにすら見える歪んだ笑みを浮かべた明がドアを蹴破って中に侵入する。


「やはり……と言うべきですかねぇ。怒ってます? 今怒ってますかぁ?」


「ああ怒ってるさ。あまりの怒りに今すぐにでもお前の首をひねって三百六十度回転させたいくらいだ。……クッククク……アッヒャハハハハハハハハハハ!!」


 楽しくて楽しくて仕方がないと言った風な笑い方だった。先ほどまでは最上が狂気を見せ、明たちを圧倒していたのに、今となっては立場が完全に逆転していた。


「こっちも笑いたいですねぇ……。何せ、鬼と鬼喰らい両方の力を持ったあなたの本気が見られたんですからぁ。あ、ちなみにこれはもう他の研究所に送られてますよぉ?」


「そうかいそうかい。別に構わねえぜ? ――俺に立ち向かう奴は、全部ぶっ潰すだけだぁ!」


「アッハハハハハハハハ!! あなた、もう立派なバケモノですよ! さあ、最後にわたしを殺して紛れもないバケモノになってください! そしてわたしはあなたの心に楔として未来永劫残りましょう! ……フフフ、アーッハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 決して広いとはいえない部屋の中に狂笑が響き渡る。最上も明も心底楽しそうに笑っていた。例えるなら、恋人同士のたわいのないやり取りがツボにはまった時のように。


「――じゃあな。クソアマ。あんた、俺が今まで会ってきた人の中でも最低の部類に入る人だったよ」


 ひとしきり笑った後、明は一気に無表情になって最上に爪を突き付ける。


「そうですかぁ。残念ですねぇ……。まあ、わたしは最後まであなたの悪人であり続けるみたいですので、いいですけどぉ」


 最上の方も最後の最後までいやらしい笑みを崩さず、ある意味超然とその場にたたずみ続ける。




「そうみたいだな。――サヨナラだ」




 明は何の感情も浮かべない顔で、最上の腹に爪を突き刺した。


 爪が皮を突き破り、肉を裂き、内臓まで達する。今までハッキリと感じなかったものの、その感触のおぞましさに明が顔をしかめる。


 その瞬間、最上は口から血を吐きながらもそのいやらしい笑みをさらに深め、明の耳元でこう言った。




「痛い、よ……。誰か、助けて……」




 それが最上の最期の言葉となり、そこで彼女は事切れた。


「あ、あぁ……っ!」


 最上の遺言を一字一句違えず聞いてしまった明は、先ほどまでの自分が何をしていたのかを自覚して全身がガタガタと震え出す。


「あのアマ……っ! 最後の最後に……とんでもないもん遺していきやがった……っ!」


 ただ、誇りある悪のように笑って死んでいくのなら明もここまで心を痛める事はなかった。


 しかし、最上は悪は悪でも明にとっての悪であった。つまり、最後の最後まで彼を傷つけ続ける言動をする。そこにプライドの入る余地など存在しない。


 ささやかれた言葉が耳元で何度も反響し、その度に体の震えが大きくなる。あの弱者が懇願するような声には明の今までの心を粉々に砕いてしまうほどのものがあった。


 末期の瞬間の彼女は本当に弱者のようで――そんな彼女が明に助けを求める姿は明が見知った範囲で助けようとしている――その姿は助けを求める人に酷似していた。いや、実際その通りなのだろう。


 そんな最上を、明は殺した。生まれて初めて、本当に人を殺した。そしてその人は、最後の最後に明に助けを求めて手を伸ばし、すげなく払われてしまった。


 この建物にいなかった頃の自分であれば、絶対に考えられない事だ。人を殺したくない。その気持ちは誰にでもあり、明は特にそれが顕著だった。


 なのに、殺してしまった。最も最悪の形で。


「俺は……俺は! 最悪の、人殺しだ……!」


 ――何とも思わない自分が怖い……。俺が、バケモノになったみたいだ……!


「う、うぅ……! うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」


 明の身を引き裂くような悲しい慟哭が建物の中に響き渡った。

どうも、久しぶりの後書きです。


私は敵というのは最後まで誰かに害をなすもの、であると考えます。その点で言えば最上は最後の最後まで明の敵である事を貫いた事になるのでしょう。




あとはちょっとした近況報告を。大学が始まり、私も慣れない授業などでいっぱいいっぱいです。ですが、投稿ペースはこれを保っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

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