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三章 第八話

 着地しては跳躍を繰り返し、ぐんぐんと景色が移り変わるのを神楽は呆けたように見ていた。すさまじい風圧が襲いかかるはずなのに一切それを感じないあたり、風が当たらないよう明が動いているのだろう。


「ところで神楽」


 ある程度進んだあたりで明は足を止め、神楽に話しかける。


「何ですか?」


「他の退魔師なんて一人も見かけないけど……大丈夫なのか? もしかして、道とか間違えたんじゃ……」


 明の不安はもっともだ。他の退魔師たちは追跡に入っていると聞いており、明たちはその道を追跡するように歩いているのに誰にも会わないのだ。不安になるのも仕方がない。


「その事ですか。明さんの方がもう先に進んでいるんですよ」


「……は? 俺が出発したのって結構後だろ? 何でこんな早く追い抜けるんだよ」


「……明さん、退魔師は人間の範疇を出ません。それが素早く動くにはどうしたって文明の利器が必要になります。ですが、あの場所にそんなものがありましたか?」


 神楽に言われて明はテントのあった退魔師の拠点らしき場所を思い浮かべる。あそこまで車で来れるとは思えないし、ヘリも着陸できそうな場所が見当たらなかった。


「……って事は」


「ええ、今の彼らは移動手段を取りに山を下りている頃でしょうね。明さんみたいに脚力だけで山越えできるわけではありませんから」


「出発すらしてねえのかよ! ちょっとくらい援軍を当てにしてたのに!」


「あ、こっちに移動してます。安心してください。順調に接近してますから」


「安心できないなあチクショウ!」


 半ばヤケクソになりながら、明は再び地面を蹴った。






「やっぱ、逃げ出すのなら別の拠点用意するのが基本だよな……」


「そうですね。特にあの手の人が何の策もなしに逃げ出すなんてあり得ませんし」


 明と神楽は自分たちの視界の隅にある大きな建物について話し合っていた。


 遠くから見てもかなりの広さを誇り、研究所の全面白い建物とは打って変わった黒いビルである。


「……夜目が利かないから若干見づらいけど、何かいる」


 すでに鬼となり、万全の体勢の明には建物の周りで何かが蠢いているのが分かった。


「わたしには見えません。ちょっと距離があり過ぎます。……それで、何だと思いますか?」


「ただの警備員だったらどんなに楽だろうかね……」


 明は蠢く影から感じられる気配に肩を落とす。明らかにさっき見たばかりの生物の気配がしたのだ。


「向こうも本気って事でしょう……、口ではおどけていましたが、実際のところここを突破されたら向こうに後はないんじゃないですか?」


 明がその事を伝えたところ、神楽からこのような返事が来る。そのような見方もある事に明はしきりに感心し、何度もうなずく。


「そういう考えもあるのか……。いずれにせよ、やるべき事は変わらないしな」


「でも、正面から乗り込むのはちょっと労力が必要ですよ?」


「そりゃそうだ。何体いるかも分からない状態で突っ込むほどバカじゃない」


「では、何か策でも?」


「……まあ、まずは周りの確認から行こう。手薄な個所があれば忍び込めるかもしれないし、そうでなくても敵の配置を知るのは悪い事じゃないはず」


 明の提案に神楽はうなずき、了解を得た明はしゃがみ込んだまま建物の周囲を回り始める。






 三十分かけて、コソコソと見つからないように動き回った結論として、明たちは侵入を諦めざるを得なかった。


「無理だろあれ。どんだけ実験体配置しまくってんだよ」


 明は建物の周囲にほぼ一メートル間隔でビッチリ配置された実験体の数に辟易する。おまけに主人である最上の命令なのか、石などを投げても微動だにしないのだ。おそらく、一定以上の質量をもつ存在を狙うように指示されているのだろう。


「まったくです。……まあ、裏返せば余裕のなさを証明もしているんですが」


 神楽も配置されている実験体の数に呆れた顔を隠さない。大雑把な数え方でも百はゆうに超えていたのだ。呆れたくもなる。


「これだけ配置されているんだから、内部は若干手薄なのかもしれないしな……」


「その線はないでしょう。あの人はふざけた口調とは裏腹にかなり用心深い性格のはずです。そんな人が自分の目の届かない場所に置いた奴らだけで安心できると思いますか?」


「……思わない。俺だったら、付近に出来の良い奴を置くくらいはする。もしくは内部の方にも大量に置く」


 明の考察に神楽はうなずいて肯定の意を示し、再び口を開く。


「その通りです。……外側が堅牢なら内部に入れば脆い、なんていうお約束はあれには通じなさそうです。何とかして策を考えないと非常に難しいですね……」


 神楽は難しい顔をして考え込み始め、明も何とかする方法を考えようとする。


「古典的に地面を掘る……無理だな。時間との勝負なのにそんな悠長な事はしてられない。だからと言って特攻は……これも無理。二人だけであの数相手はちょっと厳し過ぎる。ああくそっ、何か良いアイデアはないのか!?」


 八方塞な現状に腹を立てた明が地面を殴る。正しく人間離れした膂力で殴られた地面は土の破片を飛ばす事なく、地面に拳型のクレーターを作り出す。


「……もっと人数が多いなら誰かを囮にするとかできたんですが……。わたしたちだけでは厳しいでしょうね……。わたしが囮になると明さんが内部で迷子になる可能性もありますし、かといって明さんが囮になるとわたし個人の決定力に欠ける……。厳しい状況です」


 むむむ、と明と神楽は互いに顔を突き合わせて良案を出そうと必死に頭をひねる。


「……これだ!」


「へ? 何か良い手を思いついたんですか?」


「これならイケるはず。ダメだったら……まあ、特攻かけて意地でも助け出すしかないな」


「……わたしにアイデアはありません。ですので、明さんの作戦に全てを賭けます。……失敗したら一緒に死んでくださいね」


「冗談。失敗したらキリエと一緒に帰るんだよ。成功しても、な」


 そう言って明は不器用なウインクをして、作戦を神楽に説明した。






「…………う?」


 あたしの目に入ってきたのは手術台とかでよく見られる、ハエの複眼みたいな形をしたライトだった。


「おやぁ? 目が覚めましたかぁ?」


 何でここにいるのか分からずに目をパチクリさせていると、頭の上から聞きたくもない女の声が聞こえた。


 あたしは思わず顔をしかめてしまう。それと同時にどうしてあたしがこんな場所にいるかの理由も思い出す事ができた。


「気分はどうですかぁ? 鳩尾を殴ったんで、予想は付きますけどぉ」


「最悪よクソアマ。腹が痛くて痛くて仕方ないわ。もう今すぐにでもあんたにこの痛みを味あわせてやりたいくらい」


 特にあんたの顔を見せられているのが一番最悪。こんな奴の顔、一秒だって見ていたくはない。できる事なら顔面グッチャグチャになるまで殴り続けたい。


 あ、これは自分でもグッドアイデアかも。よし、実行しよう。


「……なーんて、現実は上手くいかないわよね」


 手を伸ばそうと腕に力を入れたところ、手首の方がガッチリ拘束されており、どうあがいても動かないようになっていた。かなり硬い材質でできているのか、あたしの力でもびくともしない。


「あたしを解剖でもするつもり? だとしたらずいぶんと舐められたものね」


「まさかまさかぁ。あなたを解剖するつもりなんてありませんよぉ。……今は」


 そう言ってクソアマの顔が嫌らしく歪む。吐き気がする。あたしたち鬼喰らいを徹底的に侮辱しておいた罪は殺す程度じゃ足りないくらいだ。


 それに解剖はしないと言った。解剖“は”しない。つまり、それ以外の事なら何でもやるつもりなんだろう。それこそ人道なんて無視したやつを。


「んで、あたしをどうするつもり? 言っておくけど、あたしは全力で抵抗するからね」


「それは無理ですよぉ。なぜなら今のあなたは――」




 ――能力なんて、まったく使えないんだから。




「なん……ですって……」


「人のわたしがあなたみたいなバケモノと相対するんですよぉ? 対策を施しておくのは当然じゃないですかぁ。ほら、ここ」


 クソアマが指差している機材をあたしも見る。


「能力の発生メカニズムは存外に単純な物です。どこから、という点についてはまだ解明されてないのですがぁ、少なくとも発生に必要な物は分かってるんですよぉ?」


「……聞いてやろうじゃない。感謝しなさいよ」


 この女の言っている事に少なからず興味が湧いたあたしは先を言うよう首をしゃくる。クソアマはあたしの態度に肩をすくめながら、また口を開く。


 ……能力の発生メカニズムに関する興味もあるが、それ以上に時間稼ぎができるかもしれないと言うのが大きな理由だ。今のあたしは悔しいけど無力。だからできる事は助けが来るまでの時間を一秒でも長く伸ばす事。


(そうすればあいつは助けに来てくれる……!)


 一瞬頭に浮かんだその考えを即座に消す。


 なんて無様だ。さらわれた時だってあたしがキレて先走った結果だ。それすらあいつは止めようとしてくれたのに、あたしは無視してこのザマ。


 そして、何より忘れがちになってしまう事だが――あいつはまだ正式に鬼喰らいになってわけではない。当然、鬼にもなっていない。


 あいつはこの世界にも関わる決意はしているみたいだが、あたしや神楽からしてみればまだまだ甘い表の人間だ。


 その表の人間に一瞬でも頼ってしまった自分が情けない。自己嫌悪とその他ドロドロとしたもので腹の中がいっぱいになる。


「ずいぶんと険しい顔してますねぇ……。女の子は笑った方が良いですよぉ?」


「あんたの顔見てるからよクソアマ。それよりさっきの説明しなさいよ。最後まで聞いた上で笑ったげるから」


 はっ、と鼻で笑う事も忘れない。これで相手が頭にきて話さない可能性もあるのだが、こいつ相手にそれはないだろうと踏んでいた。


 彼女の恍惚とした目を見れば分かる。あれは絶対に説明をしなければ気の済まない目だ。平たく言ってしまえば自分の知識を他人に見せびらかして自慢したい奴。


「おおっと話がずれましたねぇ。ではご希望にお応えして話させてもらいましょう……。まず、能力を発動させるにはどうすればいいか、分かりますか?」


「……さあね。あたし以外の鬼喰らいに知り合いはいるけど、お互いの能力まで明かし合うのはコンビ組んでる奴らくらいよ」


「それは寂しいですねぇ……。まあ、答えは簡単です。――意志ですよ。能力の発動には強い意志が引き金になるんです」


 クソアマの言う事には悔しいけど一理あった。確かにあたしの能力の発動を発動するには、一瞬だけでもそれに全意識を集中する必要がある。最初の頃なんて立ち止まらなければ発動すらままならなかったほどだ。


「ならば、意識の集中ができないようにしてしまえばいい……。ところであなた、風邪とかひいた事あります?」


「は? いきなり何言ってんの? とうとう頭沸いた?」


 頭に浮かんだ事をそのまま言う。嫌われる? 上等だ。むしろ嫌われたい。こんな奴に好かれるなんて、たとえ研究材料としての愛だとしてもまっぴらゴメンだ。


「風邪をひいた時、ほとんどの人が熱を出しますねぇ。その際、考え事がまとまらなかったり、つらつらと意味のない事が流れたりしませんかぁ? 今のあなたはその状態なんですよ。発熱作用のある薬を打たせてもらいましたわぁ」


「この……っ! 人が寝てる間に……!」


 道理でさっきから集中がし辛いと思ったら。思考も疑問を捉えてもそれをしっかり考えさせてくれないポンコツになり下がってるし。


「ついでに筋弛緩剤と神経性の麻痺毒もブレンドしてありますわぁ。普通なら心臓の筋肉すら麻痺して死ぬはずなんですけど、さすがバケモノ。わたしたちとは出来が違いますねぇ」


「……あんた、絶対ロクな死に方しないわよ」


 話はそろそろ終わる。時間稼ぎのためにやったとはいえ、そろそろあたしの堪忍袋も限界だ。嫌いな奴相手に媚を売って時間稼ぎなんてみみっちい事この上ない。そんなしたくもない事をやるくらいなら、あたしらしく最後の最後まで暴れて暴れて暴れ抜いて死んだ方がマシだ。


「……さて、あなたとのお話にも飽きて来ましたし、そろそろ実験を開始しましょうか」


 クソアマがそう言うと同時に足の方から何やら妙な足音が聞こえてくる。


「テーマは……バケモノとバケモノの子供、というのはどうでしょう?」


「……っ!?」


 全身が総毛立ち、背中から嫌な汗がブワっと流れ出る。さすがにこれは予想してなかった。腕ぶった切られるぐらいなら覚悟していたのだが。


「ちょっ……このっ! さすがにそれは暴れるわよ! 暴れてるけど!」


 貞操の危機は命の危機とはまた別の危機感がある。別にロマンチックな恋愛の末……とか求めているわけじゃないけど、バケモノにくれてやるほどあたしは安くない。


 ガチャガチャと手首を拘束している輪を壊すべく全力を入れる。ダメだって分かっていても、やらずにはいられない。


 でも、そんな事とは関係なしにズチャッ、という液体のこびりついた固体が出すような音が徐々に近づいてくるのが分かる。


 そしてとうとう、あたしの足首をぬるりとした何かが掴んできた。


「いや……っ!」


 意地でも出すまいとしていた声が漏れてしまい、それがクソアマの笑みをより深める結果となる。クソ、死にたい。


「舌は噛み切れませんよぉ? 筋弛緩剤は入念に注射してますからね。舌を噛み切るほどの力、出ないでしょう?」


 確かに、舌にいくら力を込めても痛いばかりで切れる様子はない。そしてあまりの痛みに舌を噛み切る事なんてバカのやる事だと思ってしまう。


「……助けなさい」


「おやぁ? とうとう命乞いですかぁ? ですが、それは叶えられない願い――」


「あんたには聞いてないわ。助けなさいって言ってるのはたった一人」


 この名前を叫んでいいのか、ハッキリ言えばまだ決意は固まっていない。でも、あいつの事を考えると胸が暖かくなって、どんな状況でも何とかしてくれると思える。


 だから、




「――あたしを助けなさいって言ってんのよアキラ――――――――――ッッ!!」




 今出せる、全力全開の声を叫んでやった。


「……くっ、あははははははははっ!! あなた、バカですか? 彼がこの場所に来るわけないでしょう? だって、彼を危険に巻き込み続けているのはあなたなんですからねぇ!!」


「……っ!」


 その言葉に反論できず、先ほど叫んだ言葉を全力で撤回したくなる。




「そうでもないさ、キリエ」




 だけど、横合いから響いた優しい声のおかげで、それは一時の気の迷いとなった。


「……ったく、来るのが遅いのよあんたは」


 全身の細胞一つ一つから歓喜が沸き起こるのだが、ここ一番でどうにも素直にならないあたしの口が思ってもない事を口にする。


「そいつは悪かった。でもこうして助けに来てやったんだから、帳消しにしてくれないか?」


 しかし、アキラはいつもの事だとでも言うように苦笑してみせる。


「まだダメね。助けに来たっていうのはね、ちゃんと危険を脱してから言うものよ」


「……そいつもそうだな。こいつは一本取られた。じゃあ、こう言い換えよう」




 ――お迎えに上がりましたよ。じゃじゃ馬姫?




 おどけたようにアキラは片目をつむってウインクして、クソアマと対峙した。


 ……誰がじゃじゃ馬姫だっつーの。

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