三章 第六話
「実験体、ね……。ずいぶんと嫌なもんになったわねあたしたち」
「同感だ。ついでに聞かせてもらうとあれはあんたが?」
キリエと明は冷や汗をかきながらも落ち着いた声音で話しかける。キリエは経験があるため物怖じしないのだが、明は敵を前にすると腹をくくれる勝負度胸があるようだ。
「わたし個人だけじゃないんですけどねぇ……。まあ、概ね正解と言っておきましょう。それで、どうします?」
最上は特に怖気づいた様子もなく、飄々と明たちの方に両手を広げる。その表情にはいかほどの罪悪感も浮かんでいなかった。
「人殺しを何とも思わない奴か……。あたしも初めて見るタイプね」
「人殺し? 心外ですねぇ。わたしは人殺しなんてしてませんよぉ」
「とりあえずその間延びした声やめろ。なんかムカつく」
明が嫌悪感を隠さず吐き捨てるように言う。だが、最上は気にせず話し続ける。
「だって、彼らは人じゃないでしょう?」
「――っ! あんた!」
最上のつぶやいた一言にキリエは激昂し、今にも飛びかからん気迫を放つ。
「人というカテゴリーに入れるのもおこがましい。あんなのバケモノで充分です」
「死ね!」
「ストップだ!」
バケモノ呼ばわりで完全にキレたキリエが飛びかかるが、明が後ろから羽交い絞めしてそれを止める。
「何で止めるのよ! あいつは……、あいつは!」
「落ち着け! キレんのは分かるけど落ち着け! 敵が何の策もなしにペラペラと話すわけないだろ! 絶対に何かある!」
「あ、そこのあなた聡いですねぇ。鬼と鬼喰らいなんてバケモノの二乗をしてるくせに。草木明さん?」
自分の名前を当てられた事に対し、明はわずかな硬直を見せるが、冷静な思考がすぐに答えを出す。
「……有名なんだな、俺」
「ええ、有名なんですよぉ。もっとも、自覚はなかったようですがねぇ」
最上の間延びしたしゃべり方にイライラしながらも、キリエを止める腕の力は弱めない。神楽の方には目配せして動かないように言ってある。
「一応聞く。あんな事をした目的は何だ?」
「そんなのどうでもいいじゃない! ここさえ潰せば……!」
「草木さんの方が賢明ですよぉ? わたしみたいな事をしている連中はここだけじゃないのかもしれませんからねぇ。そう考えて聞いたんでしょう?」
「……何の事だか」
事実であった。明は少しでも情報を引き出そうと話をしていたのだ。
……というより、頼りにするべきキリエが激昂しているため、頼れるのは自分だけな状況になっているのも一因にあるのだが。
「まあ、そちらの人も研究材料としては有用なんでしょうけどねぇ……。属性『世界』を身に宿す鬼喰らいさん?」
「……っ! こいつ、あたしの事まで知ってるの!?」
「当然ですよぉ。研究対象を調べない研究者がありますかぁ? あれを調べ終わったらあなたの予定だったんですがねぇ……。思わぬ邪魔が入りましたねぇ」
最上は今にも飛び出しかねない形相のキリエを前にしながらも、恐れる事なく神経を逆なでし続ける。明はその様子にわずかな違和感を抱くが、深く考える事なくそれを流してしまう。
「……次の質問だ。なぜ、あんたらはこんな事をした?」
「なぜ? 決まり切ってるじゃないですかぁ。そんなの――」
――彼らが異端だからですよぉ。
「異端、ですって……! あたしたちが……!」
「分かり切った事でしょう? 人間と変わらぬ組成をしながら、人の身を越えた能力を使用する。それを異端と言わず何と呼べばいいんですかぁ? 知ってたらご教授くださいよぉ」
「この……っ! もうぶっ殺す!」
「まだ話し終わってないから落ち着け! いや、落ち着かなくていいから飛び出すな!」
キリエが怒りですさまじい力を発揮しているため、明でも結構苦労しなければならなかった。腕がだんだん痺れてきており、長く続けるのは厳しい。
「んー! んんーー!!」
いい加減騒がれるのも面倒になってきたため、明はキリエの口を塞ぐと同時に驚くほど細い腰に手を回して、その体を持ち上げる。
「……続きをどうぞ?」
「ではお言葉に甘えて。……わたしたちは奴らにある仮説を立てましたぁ。彼らは人間の進化する先ではないか? と。ですが、そう考えるとまた別の疑問が湧きます。それは――」
――鬼とは何か?
「もともと、鬼喰らいは鬼に対抗するべく生まれた存在。その考えなら確かに鬼喰らいは人間の進むべき一つの進化形として見ても違和感がない。だが、それならば鬼はどうなる? 奴らはどこから来た? 何のためにわたしたちに牙をむく?」
明の質問が何らかのスイッチになっていたらしく、最上の話し方が今までの間延びした声とは打って変わって力のある声となる。
「……まあ、今となってはそんなのどうでもいいんですがねぇ。ぶっちゃけ、わたしたちって未曽有の危機に瀕しているんですよぉ」
「未曽有の危機? ……いや、鬼の出現よりも鬼喰らいの数の方が多いはずだぞ」
キリエと神楽から断片的に聞かされた情報を、明なりにまとめた事を最上に言ってみる。すると、最上は侮蔑するような視線を明に投げかけてこう言った。
「まさか。何も知らない部外者が何を知ったかぶってるんです?」
「いや、数がヤバいなら俺なんかに二人も寄越さないだろ。それに神楽みたいな退魔師だって世界中に広まるはずだ。それがまだ日本限定にしかいない……ちょっと考えれば分かる」
最上の言葉に対し、さも当然のように答えを返す明。しかし、その答えは当たり前を当たり前と捉えない柔軟な思考から来る答えだった。
「……本当に聡明な少年ですねぇ……。いや、というよりは当たり前の事をしっかり考える事のできる無知ゆえの視点ですか……」
ふむふむと興味深そうに明を見る最上。明はそれをウザったそうに首を振る事で流して話を続けた。
「訳分からん事言ってんじゃない。それより質問に答えろ。俺の考えが間違っていないのなら、これからも安全なはずだ」
「根拠は?」
「根拠って……」
最上に問われ、明は答えに詰まる。確かに先ほど『これからも』と言ったが、本当に今後も大丈夫である保証などどこにもないのだ。それこそ今だって鬼がどこかで出現しているかもしれない。
「答えられないでしょう? だって、確信は何一つないんだから」
「それは……」
「……それがどうしたって言うんです?」
明が答えに窮した時、神楽が口を挟む。その内容に明は口をあんぐりと開け、キリエも口を塞がれたまま神楽の方を見る。
「確かに鬼に関しては何も分かってませんし、このまま行けばいずれはわたしたちの負けで鬼が勝ってしまうのかもしれません。ですが――」
――そうなる前に鬼を倒してしまえば、わたしたちの勝ちでしょう?
「……ハッ、良い事言うねえ神楽! そうだな、その通りだ! 俺は別に鬼喰らいの使命があるわけじゃないけど、やるべき事なんて決まってんだ!」
――そう、ただ目の前の壁を打ち破り続けるだけだ!!
明は威勢良く啖呵を切り、キリエを抱えていた手を離す。あらかじめ目で合図していたため、キリエは驚く事なく滑らかに着地し、刀を最上に向ける。
「アキラ、自慢じゃないけど今のあたしは冷静じゃないわ。だからあんたが指示して頂戴」
明はキリエの背中から周囲の空気すら歪めているような錯覚をしてしまうほどの怒気を発せられているのが分かった。表面上は冷静だが、一皮むけば獣のような怒りが出てくるのだろう。
「……分かった。俺がキリエに与える指示はたった一つだ。いいか、キリエ――」
――俺が合図したら全力で逃げるぞ。
「……はっ!? 何で!」
「何であいつが俺の質問にペラペラ答えてくれたと思う?」
キリエが激昂するのを取り合わず、明は自分の考えを口にし始める。その際、チラリと最上の方を見て、その顔に嫌らしい笑みが浮かんでいるのを発見して己の考えを確信に至らせる。
「明さん、こっちはいつでもいけます」
比較的冷静だった神楽は明の意図をすぐに読み取り、そのための用意を終えていた。
「草木さぁん。あなたは一般人にしておくのが惜しいくらいに機転が利きますねぇ。ええ、あなたの予想通り。わたしがここまで大盤振る舞いする理由は――」
――あなた方に負ける要素が見当たらないからですよぉ。
最上がそう言うと同時に、四方八方の壁を砕いてナニかがやってくる。
皮膚――いや、筋肉はおぞましさを催させる緑色。全身から腐臭を撒き散らしながら、骨が見え隠れするほどのわずかな肉を身に纏った存在。
手は長く、足も長い。前傾姿勢になって手をついたその姿は膝をつかないハイハイの姿勢にも見えた。
何よりも重要な事として――奴らは鬼に酷似していた。
「なによこれ……!」
一気に窮地に立たされた状況に、キリエも最上から視線を外して刀を構える。
「まだ名前はないんですよぉ。実験体、とでも便宜上呼びましょうかぁ? ともかくこれはわたしたちの研究成果です。素晴らしいでしょう?」
「これ、ひょっとしなくても……!」
「その通り! これは鬼喰らいたちを解剖して調べて調べて調べ抜いた結果ですよ! 彼らの内に持つ細胞をほんの少しいじるだけでこうなる……。まったく、鬼喰らいは鬼と紙一重なんですよ!」
最上は己の研究成果を誇示するように狂った笑い声を上げる。キリエは自分の仲間が汚された怒りで、明は絶望的な状況に歯噛みする。
「……キリエ、分かってるだろうけどここは、」
「退いた方が良いってんでしょ……。分かってるわよそのくらい。……でも、それでも……、あの女だけは……!」
明の再三の制止をもとうとう振り切ったキリエは最上に向かって疾駆し、刀を振り下ろす。
「こいつだけはっ!!」
しかし、キリエが必殺の意志を込めて振り下ろした刀は最上に届かなかった。
「やれやれ、危ないじゃないですかぁ……。それと、操れない実験体に存在価値はありませんよぉ?」
最上の言う通り、キリエの刃は最上の間に割り込んできた実験体が幾重にも重なって防がれていた。もともと大した業物でもないキリエの刀は、しかしキリエの卓越した技量により二体までは切り裂くが、三体目で刃が止まってしまった。
「くっ……、このっ!」
刃を無理やり通そうとさらなる力を込めるが、悲しきかな鬼喰らいといえど女性の力。実験体の体を切り裂くには圧倒的に足りない。
「これはこれは……。まさかあなたからこちらに来てくれるとは思ってませんでしたわぁ。――『世界』の保持者」
「――っ! キリエ!」
最上が冷たく淀んだ声でキリエの属性をつぶやいた瞬間、神楽とともに実験体を牽制していた明は弾かれたように駆け出し、キリエに向かって手を伸ばす。
「え?」
キリエは前に意識が向かい過ぎていたため、横から実験体が拳を振り上げているのを気付けなかった。
「かは……っ」
常軌を逸した運動エネルギーを秘めた拳がキリエの鳩尾に深々と埋まり、キリエは実にあっけなく意識を手放す。
「ほいほいっ、実験体ゲットぉ。じゃぁ、さようならぁ」
「この……っ! 待ちやがれ!」
実験体を操って手早くキリエを掴み、さらに自分も抱えてもらった最上が明に向かって小馬鹿にしたような笑みを投げかける。
明は最上には目もくれずにためらう事なく鬼へと変わって、腕をキリエに向かって全力で伸ばす。
しかし、実験体が全力で跳躍し、天窓をぶち破って外へ出たため、それも虚しく空を切ってしまう。
敵がいなくなり、不気味な静寂を取り戻した室内に明と神楽だけが取り残される。
「あ……、ああっ……」
明は己への怒りで拳を震わせ、それを全力で地面に叩き付けた。自らの失敗に対する罰を与えるように。
そして、そんな事をしてもキリエが戻ってこない事にさらなる苛立ちを募らせ、うっくつした感情を全て乗せて叫ぶ。
「キリエ――――――――――――――――――――ッ!!」