一章 第二話
翌日、制服姿の明は駅に来ていた。駅と言ってもさほど大きなものではなく、日光を防ぐ屋根があるくらいの規模だ。
そして明の住む場所はどちらかと言うと田舎の部類に入るので、電車の往来もすこぶる悪い。一時間に一本程度だ。
「空港じゃなくて良いんだよな……?」
先日の楪の言葉を信じれば駅で待っていれば良いとの事だったが、留学生を迎えるのに空港ではないというのはどういう了見だろうか、と明は首をひねっていた。
「すでに日本には来ていて後はここに来るだけ、とか……?」
色々と理由を考えて、意味のない事だと思考の隅に追いやる。
「まあ、わざわざ空港まで行かなくて良いんだからな……」
ラッシュの時間帯に電車に揺られる事もないから、明からしてみればラッキーと言ってもいいくらいなのだ。
しかし、駅のホームのうだるような蒸し暑さを感じていると、空港の冷房の利いた空間も捨てがたいと思ってしまう。
(それにしても……)
明はポケットにしまっておいた写真を取り出し、そこに映っている人の顔をマジマジと見る。
日本人の若者によく見受けられる人工的な金髪ではなく、本物の透き通るような輝くを放つ金の髪。同じく日本人離れした草原のような碧眼。外国人特有の彫りの深くクッキリした顔立ちに色白の肌。どの部分を取っても一流の美少女であると断言できる。
ただ、真一文字に引き結ばれた唇と剣呑な光を宿していると写真越しでも分かる目付きがあるため、とっつきにくい印象を受けてしまうのだが。
「こんな奴が来れば、男連中は大喜びだろうな……」
もちろん、そんな特徴を抜きにしても少女が美しい事に変わりはない。クラスメイトの男子が寄ってたかるのは明でも容易に想像できた。
明も健全な男の部類に入るのだが、写真の少女に対してそういった感情は抱けなかった。
それよりももっと大事な何かがある。ある時間からあやふやな一昨日の記憶。そこで女の子に助けてもらった記憶はあるのだ。
ただ、その容姿がほとんど思い出せない。思い出そうとするたびに脳みそをかき回されるような激痛にさらされる。
「でも、それならすでに来ててもおかしくないし……」
この少女に何かがあるというのはこんな時期の留学と言う事も含めて確信しているが、それを先日の自分と結び付けるのは早計だとも思っている。
かといって、本人を前に「この前、鬼みたいなバケモノに襲われた自分を助けてくれたのはあなたですか?」なんて面と向かって聞けるはずもない。
どう聞けばいいのか、など様々な疑問が頭の中を巡るが答えは出ない。
結局のところ、まずは自分にあてがわれた仕事をキチンとこなすのが先決だった。
「聞くにせよ聞かないにせよ、まず会わない事には始まらないしな……」
という事で今までの思考に意味はなし、と明は結論付けて顔を上げる。
写真の中でさえあれだけ目立つのだ。本物は見れば一発で分かるだろう、と明は高をくくっていた。
「……遅え!」
時刻は十時半。待ち合わせ時刻を三十分オーバーしている。
明は一時間程度の遅れなら納得できる事情さえあれば、基本的に多めに見る。
しかし、真夏の熱気に延々さらされ続けている彼の気はかなり短くなっていた。せめて日光が当たってくれればそれを言い訳に喫茶店に入るなりできるのだが、駅構内ではそれもできない。
それに頼まれた仕事は律儀にこなすため、明はすでに一時間近く外で待ちぼうけを食らっていた。
明は汗でべっとりしたシャツをつまんで生温い風を中に入れる。けど、それも暑さの緩和には大して貢献はしてくれなかったため、顔をしかめて元に戻す。
「…………ぁん?」
かなりイラついた様子で辺りを見渡すと、何かが違っていた。明自身はその何かを上手く言い表す言葉を思いつけなかったが、雰囲気に変化が訪れていた。
人はまばらどころかほとんどいない閑散とした駅構内。いつもは静けさの中に一抹の物悲しさが漂う空間なのだが、今はそれに人の気配がプラスされていた。
明はそこでようやく電車が来ている事に気付く。実に一時間ぶりの到着で、明は安堵のため息を漏らす。
……この電車に目当ての人が乗っているとは限らないのだが。
そして同時に気付く。否、気付いてしまった。
――時刻表の確認だけしたら、後は適当に待っていればよかったんじゃないか?
前述の通り、ここは田舎で電車は一時間に一本がせいぜいの場所だ。土地勘のない人間なら、時間を間違えてしまう事もあり得ない話ではない。
五分おきに来るとかならともかく、一時間に一本程度なのだ。電車が来る時だけ駅で待てば、無駄な体力は使わなくても良かったのだ。
「早く気付けよ……。俺のバカ」
今まで削られた体力が無駄であった事実に、明はげんなりした様子で肩を落とす。
削られた体力を無意味なものにしないためにもせめて与えられた仕事は完ぺきにこなそう、と明が前向きなのか後ろ向きなのかよく分からない決意をした時、ドアが開いた。
降りる人数はポツポツとひどくまばらだ。その中で金色の髪をしている人を探し出すのは容易だった。
大きなキャリーケースを抱え、電車とホームの段差を軽やかに降りる金髪の少女。着ている服も明の通う学校の制服。間違いなかった。
(……やっぱ本物の方が雰囲気あるな)
明はどこか他人事じみた感想を抱きながら、少女に向かって駆け寄った。
「すいませーん。あなたを案内するよう学校から指示を受けた者ですけど」
「え? ああ、お世話になりま――」
そこまで言った少女が振り向いて完全に顔が見えた時、明は頭がカチ割れたんじゃないかと錯覚してしまうほどの痛みと同時に、ある事を思い出す。
そう、目の前の少女は先日自分を助けてくれた少女だ。
なぜ気付かなかったのだろう、と未だに痛む頭を抱えながら明は思う。そして、頭痛に耐えつつ顔を上げて、こちらを信じられない顔で指差す相手を指差し返し、
『あーーーーーーっ!!』
電車もまだ出ていないホームの中に少年少女の甲高い声が響き渡った。
場所は変わって近くの喫茶店。そこで二人はアイスコーヒーとオレンジジュース片手に向かい合っていた。
あの場で叫んでしまい、駅員などにジロジロ見られて気まずい思いをした二人はそそくさと場所を変えていた。本来なら真っ直ぐ学校に向かうべきなのだが、道すがらに聞く程度の浅い質問を二人は持ち合わせていなかった。
……それに待ち合わせ時刻はすでにオーバーしているのだ。今さら一時間や二時間ぐらい大したことないと開き直っている面があるのも否定はしないが。
「……気まずい」
オレンジジュースから口を離した明が思わずつぶやいた一言に、少女は流暢な日本語で返した。
「そうね。制服姿のままというのはキツイわね」
第三者から見れば、学校を抜け出してデートしているカップルのように見られてしまうのかもしれない。事実無根だが、そう思われてしまうだけで明の積み上げてきたイメージは崩れ去ってしまう。
「よし、あまり長居もできないし、手早くいこうか。俺の名前は草木明。草木が名字で明が名前な」
明の本音はもう少し涼んでいたかったのだが、うっかり警察でも呼ばれたらヤバいと思い、話を勧める事にした。
「あたしはキリエ・マルトリッツよ。よろしく」
「よろしく。マルトリッツさん」
差し出された手を握り返し、それで自己紹介は終わった。
「んで、単刀直入に聞くけど――」
自己紹介の時点では愛想笑いを浮かべていた明の顔が無表情なものとなる。
「――先日のあれは何だ?」
「………………知りたい?」
「当然だ。あんなわけの分からない事は初めてなんだ。少しでも情報を得ようとするのは悪い事か?」
知らなければ良い事なのかもしれない。だが、あんな出来事をこじつけなり無理やりなり、納得させる術を明は持ち合わせていなかった。
「……まあ、知っとくのは悪い事じゃないか。それで何ができるとも思えないけど」
キリエは誰にでもなくそうつぶやき、コーヒーで喉をうるおしてから話し始めた。
「で、何が聞きたいの? 質問はもう少し具体的に」
「いっぺんに質問するのは?」
「答えられる範囲で答えさせてもらうわ」
明は目をつむって頭の中を整理してから、一番聞きたかった事を聞いてみる。
「もう一回、あのバケモノに出くわしたらどうすればいい?」
「諦めなさい」
「おい!」
にべもないお言葉に明は思わず突っ込んでしまう。
「仕方ないでしょう。それともなに? あんなバケモノ相手にどうこうする方法があるとでも思った?」
「現にお前は何とかしてみせただろ」
「言い方を変えようかしら。あんたみたいな“一般人”がバケモノに対して何とかできるわけ?」
一般人の部分を強調された言葉に明は黙るしかない。
実際、ただの高校生でしかない明に武器を入手する手段など持っておらず、仮に持っていたとしてもあの死そのものを体現させたかのようなバケモノと相対したら、恐怖に呑まれて何もできずに食われるのが関の山だろう。
「それに一般人は滅多に遭わないわよ。一生に一度の体験ってところかしら。良かったわね、珍しい体験ができて」
そんな体験などこちらから願い下げだった。
「……じゃあ、こっちはもう聞かない。なら、あいつらに遭わない方法は?」
これ以上聞いても望んだ答えが得られないと判断した明は次の質問に移る。
「知らない」
しかし、こちらにも返ってきたのはつれないお言葉。
「おい!」
二つ目の質問でも望んだ答えは得られず、もしかしたらこの少女は自分をからかって遊んでいるのではないか? という疑心暗鬼に駆られた明は先ほどと同じ言葉で、しかしかなり苛立っているのが分かる声を出した。
「こっちは本当。あたしたちにもあいつがどんな法則で出現してるのか、まったく分からない」
「あたしたち?」
複数形になっている事に気付いて確認すると、キリエは大して気にした風もなく言った。
「うん。あのバケモノは世界中に出没するからね。あたし一人だけでやっているわけないでしょう」
それはつまり、キリエの後ろには何らかの組織じみたものの存在を証明していた。
「……そういう話なら」
明は自分がいかにバカバカしい質問をしたのか気付いて、顔をしかめる。
色々と知りたいと思っていたが、この調子では自分の望む情報は得られそうになかった。そして自分の望まない――知ったら危険になるような情報ばかりが手に入りそうな予感すらした。
「まっ、そろそろ学校に行きましょうか」
明が黙りこんだのを見て、キリエはコーヒーを飲み干して席を立つ。もう質疑応答を続けるつもりはないらしい。
「あ、待てよ! まだ質問は終わってないぞ!」
「まだあるの? 何にせよ、まずはここを出るわよ。いい加減、時間もマズイだろうし」
「時間? ……あ、ホントだ」
腕時計はすでに十一時半を指しており、今から向かったのでは確実に十二時を回る。
「……お前が一時間遅れたのがそもそもの原因だろ」
「なによ。あんたが長々と喫茶店にいたのも一因じゃない」
心外だと言わんばかりに頬を膨らませながら反論してくるキリエ。しかもそれが正論なため、明も黙るしかなかった。
「……そうだな。ここで今生の別れってわけでもないし」
明もコップの中にあった飲みかけのオレンジジュースを喉に流し込み、席を立つ。
「人生、一期一会とも言うけどね」
「良くそんな言葉知ってるな」
外国人はまず知らない四字熟語がキリエの口から出た事に明が目を丸くする。キリエは得意げに胸を張る。
「ふふん、日本人の知り合いがいてね。そいつに日本語を教わったの」
「なるほど」
明がうなずく。どうやらキリエはかなり長い期間日本語を教わっていたらしい。でなければこんな流暢には話せないし、知識も豊富にはならない。
「んじゃ行くか。確かに、いい加減学校行かないとマズそうだな」
背筋を伸ばしながら、明が喫茶店のマスターに会釈する。お騒がせして申し訳ありません、という意味を込めたのだが、目を細めただけの返事が戻ってきたので意味は伝わらなかったようだ。
「あたしはそう言ってんじゃない。ほら、あんたの聞きたい事には後で付き合ってあげるから感謝しなさいよ」
「さて、学校までは三十分ほど歩くからな。今のうちに涼んでおけよ」
キリエの言葉を右から左に流し、明は店を出てしまった。
「聞きなさいよ人の話!」
そんな明の方へキリエが肩を怒らせながらキャリーケースを持って歩み寄る。
「あ、学校終わったらさっきの話の続き、お前の言った通り付き合ってもらうからな。覚えておけよ」
「長くなるわけ? 粘着質な男は嫌われるわよ」
「別に好かれようと思ってないんでね」
キリエの呆れたような目にも一切堪えた様子がない明。彼はこう言った精神的な打たれ強さに定評があった。よほど異常な状況下でない限り、明は基本的に状況を楽しめる。
「ったく……ケースぐらい持ちなさいよ。あたし、女の子よ?」
「そこまでする義理はない」
キリエが突っかかり、明が流す。先ほどとは逆の様相で二人は学校へと続く道を歩いて行った。
ようやくヒロインの登場です。ですがほとんど進んでません(苦笑)
…………眠過ぎる。