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閑話その二

 その日、キリエが学校を休んだ。


 明はもちろん、神楽もこれには首をかしげる。


「鬼喰らいだろ。体も丈夫なんじゃないのか……?」


「ですよね……? 何かあったんでしょうか?」


 実は身体能力が高い代わりに体が弱いとかじゃないのか、いえいえだったら言いますよあの人の性格上、などと二人でキリエの休んだ理由を推測する。


「うーん……連絡もなしってのはちょっと気になるな。授業終わったらお見舞いに行ってみるか」


「賛成です。わたしも行きたいんですけど、キリエさんの家ってどこですか?」


「あー……、まあ行けば分かるよ」


 明が不自然に話を切った事に神楽は首をかしげるが、これ以上聞かせてくれそうにない気配をしていたため、追及は諦めざるを得なかった。


「幸い、今日は午前授業だ。帰りに寄らせてもらおう」


「そうですね」


 こうして、彼らの午後の予定が決まった。






 その日の放課後。彼らが見舞いに行こうとしたところで楪に呼び止められる。


「頼むっ、あいつの見舞い行ってやってくれねーか?」


 用件は明たちが今まさに行おうとしていた事であり、二人とも苦笑を隠せなかった。


「別にいいですよ。むしろ俺たちもこれから行こうとしていたところです」


「はい、わたしもです。……ところで、キリエさんってそんなにひどいんですか? 楪先生が頼みに来るなんて……」


「ん? 草木、お前話してなかったのか?」


 楪の質問に明は頭をバリバリとかいて苦笑しながら答える。


「いや、行けば分かると思って説明しなかったんですよ。それはそうと俺もキリエの容体は気になります。どうなんですか?」


「そんな身構える事ほどじゃねえ。ただの風邪だよ。本当ならあたしが看病するところなんだが……悪い。この前キリエに付き合って授業を脱走した罰でな。今回の会議は抜けらんねえんだ。頼む」


 授業を脱走した原因が自分たちにあるため、明たちは乾いた笑いを上げる事しかできなかった。むしろそれを持ち出して断れるはずがない。


「ははははは……。もちろん、引き受けますよ。なあ神楽?」


「もちろんです。……断れませんよ」


 神楽がボソリとつぶやいた言葉に明は深く同意した。これで断れる奴がいるなら、明は結構尊敬する。


「助かる。お詫びに夕飯はおごってやる」


 いえ、むしろおごらせてください、とは二人の心の声。だが、本当のところを話すのは地獄への片道切符を切るのと同義なので口をつぐむ。


「んじゃ、俺たちはこれで」


「ああ、頼んだぞ」


 背中を向けて歩いていく明とそれについていく神楽を楪は手を振って見送る。


「……あの二人、どんな関係なんだ? あいつ、キリエ一筋じゃねえのか……?」


 割と下衆な勘繰りをしながら。






「ハイ到着……っと」


「……えと」


 ボロアパートとしか表現のしようがない建物を前に、神楽は一生懸命何かを言おうとしていた。


「余計な感想はいらないからな。むしろこれを前にしてまともな感想が言えるとは思えない」


 その様子を不憫に思った明が釘を刺し、訳知り顔でさっさと歩きだす。


「……そういや、お前ってキリエの家は知らないんだよな。今さらだけど」


「ええ。わたしの任務は明さんの監視ですから。キリエさんが明さんと一緒にいるのは任務ではなく、あの人自身の意志なので、わたしも特に連絡の取り合いとか必要ないんですよ」


「……それはそれはドライな関係みたいで」


 何だか組織の冷たい面を見てしまった気分になる明だった。そしてそこはかとなく損をした気がする。


「あ、もちろんこれは形式上だけですよ? わたし個人はあの人と友人のつもりです。ほら」


 取り繕うようにそう言った神楽が明に携帯を見せる。そこにはアドレス登録されたキリエの名前が載っていた。


「……まあ、友人になっているんならいいよ。ウチの空気悪くしないなら」


 少し前の自分を暗に皮肉っていると思った神楽は頬を膨らませて明の方を見上げる。


「あれは……明さんが悪いんですよ? 機械みたいに淡々としていたんですから。効率重視、合理性重視の無味無臭な生活してました」


「そこまでひどいか……。規則正しい生活って言ってほしいな」


 明も以前の機会ぶりには自覚があるらしく、苦笑しながら肩をすくめる。ある種の癖みたいなその行動に対し、神楽も少しだけ笑みを見せる。


「それにも限度があるんです。……なんてやってないでほら? 行きましょ?」


 明の言葉をぴしゃりと切り、神楽は笑いながら階段を上る。明も敵わない、と苦笑を深めてその後を追った。


「おい、どこがキリエの部屋か知ってるのか?」


「あっ」






「あれ? ここって……」


 キリエの部屋の前で神楽はようやく気付いたように首をかしげた。


「ああ、キリエは先生のところに住んでいるんだ。あの人、留学生を受け入れるホームステイをやっているらしくてさ。本人いわく、この家に住んでいた外国人は多いらしいぞ」


 ただ、キチンとした日本のマナーを覚えたかどうかは疑問だが、と明は付け足す。


 以前、キリエが明の家で見せたあのぐうたらぶりは日本人特有のものだった。あれを一日でマスターしたキリエに怠惰の才能があったのかどうかは定かではないが、どう考えても黒幕は楪である。


 その事から明はキリエに正しい日本の文化を教えるのは自分だ、と意気込んでいた事もあった。もっとも彼女の日本に対する博識ぶりは半端じゃなかったため、意味のないものとなったが。


「んじゃ失礼して……」


 ドアを思いっきりノックする。インターホンなどという上等な物は備え付けられていないのだ。


「キリエー。お見舞いに来たぞー」


 隣の人に迷惑にならない程度の声で明がキリエを呼ぶ。それを三回ほど繰り返すと、ドアが力なく開かれる。


「誰よ……新聞ならお断り……、ってあんたたちか」


 額に冷却シートを貼り、黄色と白のチェック地のパジャマに身を包んだキリエが出てくる。顔色は真っ赤になっており、どうやら本気で具合が悪そうだ。


「よっす、見舞いに来たぞ」


「果物がないじゃない……ケチるんじゃないわよ……」


「予算の問題で見送られた。ってか、お前も図々し過ぎだ。ほら、中入って休んでろって」


 今すぐドアを閉めて帰りたい衝動に駆られながらも、明は頼まれた仕事を果たそうと中に入る。


 中はやはり意外と綺麗に片づけられており、明たちが入っても手狭にならない程度の空間があった。


「昼飯は食ったか?」


「まだよ……。というか、食欲ないの……」


 そう言うキリエの体はフラフラしており、今にも倒れそうだった。


「神楽、キリエの世話頼む。俺はお粥を作るから」


「分かりました。ほら、キリエさん……部屋に戻って寝てましょう」


 神楽がキリエに肩を貸して歩いていくのを見送ってから、明は冷蔵庫の中をのぞいて食事の準備に取りかかった。






 神楽はキリエの部屋に入り、やや興味深げに周囲を見回す。


 ポンと置かれているカバンの中から洋服やら下着やらが見え隠れしており、それ以外はあまり目につかない。有り体に言えば物の少ない部屋だった。


 キリエは床に敷かれた布団に倒れ込み、そのまま動かなくなる。普段は活発なキリエがここまで憔悴している事に神楽の保護欲が刺激される。


「キリエさん、パジャマを脱いで体を拭きましょう? そうしないと、汗で体が冷えますよ?」


「うぅ……お願い。あたし一人じゃ無理……。ああ、頭痛い……」


 ぐったりとしながらも、キリエが体を起こす。そこを神楽が支え、甲斐甲斐しくパジャマのボタンを外してゆく。


 汗の浮いた脇腹や二の腕をタオルで拭っていく。一通り拭い終わってから新しいシャツとパジャマを用意して着せる。そこまでの手際に淀みはなく、慣れている事がうかがえた。


「助かったわ。……にしても、慣れてるわね……」


「あはは……わたしも体が弱い時期がありましたので、そういう時に何をやられると嬉しいのか分かるんです」


 キリエの感心したような言葉に神楽は苦笑して、キリエを布団に寝かせる。


「もう少ししたら明さんがお粥を持ってきてくれると思いますので、ちゃんと食べてくださいね?」


「分かってるわよ……。………………あのさ」


 布団のそばに正座して看病する姿勢の神楽に、キリエが聞きにくそうに布団を口元までたくし上げながら声をかける。


「はい、何でしょう?」


「その……ありがとね。正直、一人は寂しかったんだ」


 もともと赤い顔をさらに赤くしての言葉に神楽はわずかに呆け、次には満面の笑みになっていた。


「どういたしまして。わたしもその気持ち、分かります」


 キリエの頭をゆっくり撫でながら神楽は明がお盆を抱えてくるのを待つ事にした。






 カチャリ、とスプーンが土鍋の縁に引っ掛けられる。


「ふぅ……、ご馳走さま。美味しかったわ」


「そりゃ良かった。あんま材料がなかったからまともな物作れなかったけどな」


 お粥の制作者である明はお粗末さまでした、と言いながら土鍋を下げる。


「あ、わたしが洗ってきます」


「頼む。俺は薬飲ませる。……飲めるよな? 錠剤型だし」


「あたしをどんだけ子供扱いしてんのよ……飲めるわよ。ほら、貸しなさい」


 明の手から薬をひったくり、コップに注がれた水とともに飲み干す。それを見て、明はぱちぱちと拍手した。


「はい、よくできました。……なあ、鬼喰らいでも風邪って引くもんなのか?」


 神楽もいない事だし、と明は今の今まで疑問に思っていた事を聞いてみる。キリエはやや赤みの薄くなった顔で呆れた表情を作る。


「あんたねえ……、あたしたちだって人間なのよ。体調崩す事もあれば病気にかかる事だってあるわ。まあ、他の人よりかかりにくいってのは確かだけど……」


「なるほどねえ……。それじゃ、仕方ないか。俺は分からんけど」


「その通りよ……もしかしたら、鬼特有の病とかもあるかもね?」


 キリエがいたずらっぽい表情でささやく。笑うべき場面なのだろうが、その可能性が否定できない明としては背筋が冷える思いだった。


「やめてくれ。マジでありそうで怖い。……まあ、大事に至らないみたいだし、良かったよ」


 明はキリエの言葉をかぶりを振って否定しつつ、キリエの体調が快方に向かっている事に安堵の笑みを見せる。


「……その、看病してくれてありがと」


「気にすんな。お前がいないとなんか調子狂うんだよ。だから早く良くなれ。俺のために」


 キリエのお礼を明は苦笑して受け取る。結構恥ずかしいのを我慢して言ったのに、あっさり流されたキリエとしてはあまり面白くなかったが。


「はいはい……。ふわ……、なんか眠くなってきた……」


「薬飲んだからだろ。寝とけ寝とけ。寝れば大抵の病気は治る。先生が帰ってくるまではここにいるからさ」


 笑顔のまま明がキリエの頭を撫でる。病人状態のキリエは何というか同い年という気がしないのだ。そのため、明も保護者気取りで頭を撫でるという行動ができる。


「ん……」


 キリエもそれを心地良さそうに目をつむって受けていた。特に拒絶されない事に気を良くした明がそのまま頭をサラサラと撫でていると、静かな寝息が聞こえるようになる。


「寝たか……」


 珍しく苦笑ではない柔らかい笑顔を浮かべながら、明は一人つぶやく。後ろから静かに神楽が入ってきた事にも当然気付いている。


「……キリエさん、明日には良くなってるといいですね。やっぱり、キリエさんがいないといつもの感じがしませんし」


「ああ、そうだな……。あいつは俺たちの――」


 お互いに小声で会話し、クスクスと笑い合う。そして、声をそろえてこう言った。




『――仲間、だからね』

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