二章 第八話
実際のところ、明が鬼の力を相殺できたのは偶然でも何でもない。
先ほど食べた鬼の肉片が彼の力を底上げし、さらに一撃一撃が後先考えない全力攻撃である事が鬼の攻撃を弾く事に成功させたのだ。
とはいえ、そこまでしてようやく弾けただけの事。鬼が全力を出せば明などひねり潰されるだろうし、そもそも攻撃がかち合ったのはただの偶然だ。
『わ、我と拮抗した!?』
だが、幸運な事に目の前の鬼は自分の一撃が相殺された事に動揺していた。この隙を逃したら今度こそ明に勝機はなくなってしまうだろう。
「まだまだぁっ!!」
先ほどの鬼が見せた腕の変形。明はあれを試してみる事にした。拳だけではいい加減限界だと思っていたところなのだ。
届かない場所から全力で拳を放ち、同時に腕が伸びるイメージをする。
神経と皮膚、さらに骨まで伸びるという異様な感覚に背筋を寒くしながらも、キチンと腕は伸びた。
すさまじい勢いで伸び、迫りくる拳を鬼は容易く回避する。明もバカ正直に正面から打った拳など効果がないのは承知していた。
そのため、今のはフェイントでしかない。本命は踏み込んだ右足を軸にして放つ回し蹴りだ。
「このぉっ!」
左足も同様に伸ばし、鞭のようにしならせながら鬼の側頭部を強襲する。今度はまともに入り、鬼の体がグラリと揺らぐ。
「そらっ!」
さらに蹴った足に力を込め、右足で跳躍する。大きな円運動を描きながら明の体が鬼の背後を取る。
(取った!)
ここまで上手くいくとは思っていなかった明自身、内心で喝さいを上げる。そしてそのまま首筋に大きく口を開けて喰らい付いた。
『このっ!』
本音を言えば首を噛みちぎってやりたかったのだが、鬼が空いている手で明の体を掴んで地面に叩き付けたため、それはできなかった。
「へへへ……肉喰ったっと」
しかし、明もただでは起きず首の肉を口に入れていた。再び湧き上がる力に陶然となりながらも、したたかに打ち付けた背中をさすっている。鋼の皮膚のおかげであまり痛くはないが、衝撃はキチンと通るらしい。
『小癪なぁ!』
鬼がいきり立ったように猛攻を仕掛けてくる。明もそれに合わせるようにステップを踏んで回避していく。
二度目の鬼の肉によってさらに強化が施され、明の体は鬼の攻撃にもついてこれるようになっていた。
「あり得ません……。鬼を喰らった鬼喰らいがこんな勢いで強くなるなんて……」
後ろで神楽が信じられないような顔でつぶやいているが、明も内心で同意していた。たった二口、鬼の肉を喰うだけでここまで強くなれるのなら、キリエがあんなに死に物狂いになって鬼を求める必要性がない。
大方、鬼でもある体が原因なのだろうが、どうせ考えても意味のない事である。それより今は鬼を倒す事が先決だ。
「神楽! まだ治らないのか!?」
そして鬼の攻撃についていけるようになったとはいえ、暴風雨のような攻撃相手にそう長く持つはずもなく、明は割といっぱいいっぱいだった。どうにかこうにか距離を取って神楽に向かって叫ぶ。
「あと少しで……何とか動けます!」
それはつまり、浄眼の使用も可能になるという事。希望の見え始めた現状に明の頬も緩む。
「なら、あと少し時間稼げばいいな!」
『させるかっ!』
鬼の巨体が神楽の方目がけて突進する。直撃したら神楽の体など、紙きれのようにバラバラになってしまうだろう。
「っらぁ!」
それを阻止するように明が両手を組んでフルスイングする。当然、腕を伸ばして遠心力も加えている。
体を倒す、とまではいかなかったが、何とか傾けてバランスを崩させる事には成功する。バランスが崩れた事により、鬼の体は神楽の隣をかすめるように通り抜けていく。
「し、死ぬかと思いました……」
「生きてるだけありがたいと思え」
「寿命が縮まりますよ! 分かります!? あの超重量が横を通る感覚!」
相当怖かったらしく、神楽の目には涙が浮かんでいた。それを見た明もちょっと悪い事をした気になるが、あの時の最善を尽くした結果なのだからどうしようもなかった。
「俺も何度か体験したけど、全部直撃してるからなあ……。受けちゃえば恐怖ってあんまりないぞ?」
「ないでしょうよ。命吹っ飛んでるんですから!」
神楽の突っ込みが華麗に決まるが、明は流して鬼と対峙する。
(さて、新しい能力に上昇した力を使えているから今のところは互角に近い。だけど……)
肉体面の限界が近い。先ほどから立っているだけでも筋肉の軋みが聞こえてしまうほどなのだ。すでに全身に痛みはなく、鈍い痺れのようなものが走っていた。
(これ以上戦うとマズイって事なんだろうけど……。ここでやめたらそれこそ意味がない!)
痛みがない? 好都合じゃないか。痛みで動きを阻害される事もない。どうせ死ぬ気でかかってやっと生き残れる可能性ができるような化け物が相手なんだ。この程度のリスク、呑み込めないでどうする。
『……やはり、惜しい。その才気、こちらで使うつもりはないか?』
あっという間に自分と拮抗するとはいかなくても、肉薄するレベルの身体能力を手に入れ、なおかつ肉体の変化を使いこなすようになった明の才能を買ったのか、鬼が再び明を招き入れようとする。
「断る。俺は俺だ。俺が俺であるための条件は、少なくともこの場では神楽を守る事なんだよ!」
『その精神は……確かに邪魔だ。我々の仲間になる以上、理性などない方が良い』
「あいにく、人間捨てる気はないんでね。……行くぞ!」
『……仕方ない。本気を出すか』
減らず口を! と思った明はそのまま突進するが、鬼はそこで奇妙な行動を取り始めた。体を丸め、何かに脅えるように体を縮ませたのだ。
意図の読めない行動に眉をひそめるが、鬼の首がガラ空きの姿を見てそんな疑問は消し飛んでしまう。
キリエの刀のように薄く鋭くした右手で鬼の首を斬り飛ばしてやろうとして――
鬼の全身から飛ばされた棘のようなものに吹き飛ばされた。
「な……っ!?」
棘が次々と明の体に突き刺さるが、明は右腕で神楽を守るように広げる。そのため、傷は右腕に集中した。
「ぐっ……!」
先ほど受けた肩がひしゃげるような苦痛には程遠いものの、鋭く刺さるような痛みがそこかしこから生まれる。おまけに血が流れて意識も朦朧とする。
「明さん!」
「…………」
口を開く余裕がないため、かろうじて動く右腕でサムズアップする事で意識の有無を教える。しかし、右腕は棘を全て抜かない限り使い物になりそうになかった。
「チッ……」
舌打ちをしながら右腕を振り、浅く刺さっていた棘を落とす。そしてその部分から血が流れる事に気付いて即座にやめる。これ以上血を流してもメリットは一つもない。
(ヤバ、血ぃ流し過ぎて寒気がしてきた)
全身が気だるく、流れた血の代わりに鉛でも入ってるんじゃないかと思うほど体が重い。今までのような動きは到底不可能だった。
(死ぬかな? ……キリエには悪い事したな。とりあえずあの世で土下座しておくか)
そうすれば彼女が来た時、真っ先に謝れる。そこまで考えて、明は自分の思考が後ろ向きになっている事に気付く。
(ダメだ。どうも考えが負け犬になってる。どうにかしたいところだけど……)
なけなしの気力を振り絞っても、流れる血とともに消えていってしまう。
「明さん! 今すぐ治癒術式を――」
そう言った神楽がこちらに駆け寄ってくる。明はそれを見て、神楽の体が動くようになっている事を確信する。
「いらね。この程度、時間を置けば……治るはず。それより集中して……あいつを倒してくれ。そうしなければ……俺もお前もお陀仏」
この日だけで何度死を覚悟しただろう、と明は前にも思ったような事を思う。
だが、今回は座して死を待つのはできなかった。そして、都合良く誰かが助けてくれるとも思わなかった。
世界はそう何度も誰かを助けるなんて事はなく、この世は弱肉強食。つまり、強い奴が生き残って弱い奴は喰われる。非常にシンプル極まりない、だからこそ真理である言葉。
(キリエは今回頼れない。来るようには言っておいたけど、ぶっちゃけ期待薄。さらに神楽は前に出て戦うタイプじゃない。なら……俺がやるしかない)
「悪いけど、鬼喰らいの能力は使えない。自分の力で何とかしてほしい」
今の状態で人間に戻ったら間違いなく死ねる。何せ体中に棘が刺さっているのだ。明自身、ここまでひどい怪我を負った高校生は未だかつていないんじゃないかと思うくらいだ。
「……分かってます。そして、この一撃で決めないとマズイという事も承知してます」
「なら早く。盾になるのだってあと一回が限界だ」
それにしたって腕を犠牲にしなければ難しい。ここに至って、明は両腕を捨てる覚悟を決めていた。
『虫の息のようだな。これでとどめだ!』
鬼が自らの腕を鋭くとがらせ始める。明はそれに対して迎撃するように両腕を低く構え、こちらも腕の形を変えていく。
そして突き込まれる鬼の腕。その勢いは明の体を容易く貫く事が確実とされるほどで、明もそれをバカ正直に受け止めるつもりはなかった。
「攻撃は――」
むしろ、
「最大の防御ぉ!!」
避ける気満々だった。
明は神楽を横抱きに抱えたまま大きく跳躍し、鬼の上空にまで移動してみせる。
「神楽!」
「これで最後です! はぁっ!!」
ありったけの力を込めた神楽の浄眼による光が鬼の脳天に穴を開けんと迫る。
光の速度だ。鬼に避けられるわけがない、と明も勝利を確信する。
「なっ!?」
だが、その目論見は脆くも崩れ去ってしまう。
鬼の皮膚が滑らかに輝いたと思ったら、光を反射してしまったのだ。
一応、無傷ではなかったようで焼け跡は残っているものの、鬼の再生力の前には微々たるものでしかなかった。
「くっ! この!」
一瞬の動揺はしたものの、すぐに理性を取り戻した明は神楽を近くの木に放り投げ、両手を刃のようにとがらせて首を落とさんと力を込める。
しかし、それすらも先ほどの攻撃で位置を特定した鬼の腕によって阻まれてしまう。おまけに反撃で振るわれた腕がアバラ骨をごっそり持っていく。
「げっ……、あ……っ、は……っ」
内臓に骨が突き刺さったのか、呼吸すらままならない。視界が黒く赤く白く明滅し、意識も断続的に途切れたり戻ったりを繰り返す。
こんな苦痛が続くのなら生などいらないと思ってしまうほどだ。呼吸をする度、心臓が拍動する度、血流が流れる度に苦痛もともに全身を駆け巡る。体を構成する何もかもが苦痛を運ぶ機械でしかないと錯覚する。
明は死の淵すら見え隠れする激痛に歯を食いしばりながら、仰向けになって鬼の体を見上げる。立ち上がるには傷を負い過ぎており、せめて最期の瞬間まで鬼に対して屈していないと意地を張りたいだけなのかもしれない。
『家畜が手こずらせおって……。これで終わりだ』
鬼の腕が明の体を無造作に引っ掴む。それだけで折れた骨が体内で動いて滅茶苦茶な痛みを生み出す。
「ご……っ!!」
吐血しながら苦悶の声を漏らす明を鬼は愉快そうに見ながら、口元に持っていく。そして大きく口を開け――
「――俺の、がぢだ(勝ちだ)!」
内臓が傷つけられてくぐもっている声で精いっぱい叫び、明は動く腕を鬼の口内に突き込む。
そして、腕から無数の針を生やして鬼の体内を蹂躙する。さらに力を込め、鬼の体を体内から破裂させてしまう。
力の抜けた腕から明の体がずり落ち、地面に落下する。その衝撃で軽く死にかけるが、ここまでやっておいてそれは情けないと自分を必死に奮起させて意識を保つ。
「明さん! 大丈夫ですか!?」
鬼の体が完全に動かない事を触れている肉の感触で調べていると、神楽が明のそばに駆け寄ってくる。少なくとも、傷の程度は明よりひどくはないみたいだ。
「……む……り」
明としては今すぐにでも意識を落としてしまいたかった。だが、それをしたら間違いなく永眠してしまうのが分かるため、寝るに寝れない状態が続いていた。
「アキラ! このあたしが来たからにはもう大丈夫……ってどうなってんのこれ!?」
おまけにキリエまで登場して、状況はグダグダになってしまった。
慌てふためくキリエ。突然の登場に動揺しつつも明の介抱をし始める神楽。そしてシャレになってない怪我をしている明。
あれほどの激戦をした後だというのに、余韻も何もない終わり方だった。