二章 第五話
だんだん近くなる神楽の後ろ姿を追いかけながら、明は神楽が怒った理由を推測してみる事にした。
(何かあいつの琴線に触れるような内容が書いてあったんだろうけど……。封筒握りしめたまま行っちまった以上、確認のしようがないな)
そこで思い出されるのは先日、キリエとの鍛錬が始まる前日の夜に神楽が『もっと鬼に詳しい人が来るように掛け合ってみます』と言った事。
(ってことは、自分の要望が無視されて向こうからの用件を一方的に伝えられたのが切っ掛けか……?)
それらしき原因ではあるが、どちらにせよ確証がない。ならばさっさと追いついて直接本人から理由を聞いた方が手っ取り早かった。
「おい……、待てよ!」
とりあえず本人から聞くのが得策、と判断した明は速度を上げて神楽を追う。山の地形は向こうの方が詳しかったが、身体能力でこちらに分があったため、十分ほどで追いつくことに成功する。
「離してください!」
「訳も分からず放り出されてたまるか! そっちの考えてる事なんてこっちには分からねえんだよ!」
「……誰もわたしの事を理解してくれる人なんていないんです!」
イタッ!? と明が自分の心に突き刺さった黒歴史に悶えている間に、神楽はさらに先へ行ってしまう。
「……あんのバカ!」
一瞬でも止まってしまった自分への嫌悪と、人の言う事を聞かない神楽に腹を立てて、明は再び走り出した。
「待て! 待ちやがれ! 止まらないと止めるぞ!」
「待てと言われて待つ奴はいません!」
「待ちやがれっつってんだろ! 命令だ!」
割と余裕のありそうな口論を交わしつつ、神楽は明から逃れようとスピードを上げる。
「この……っ!」
なかなか縮まらない距離に苛立った明は手当たり次第に拾った物を投げつけて、無理やりにでも神楽を止めようとした。
「もうっ、何なんですか人を追いかけ回して!」
しつこく追いかける明に業を煮やした神楽が立ち止まって怒声を上げる。
「いきなり出てった奴を追わないバカがどこにいる! だいたい、荷物はほとんどお前が持ってんだぞ!」
すぐさま明も反論し、ようやく神楽の隣に並び立つ。
「え? ……じゃあ、荷物渡すから一人で帰ってください」
「無理。道覚えてない」
いともあっさり遭難宣言する明にさすがの神楽も目を丸くする。
「し、仕方ないだろ! 追いかけるのに夢中で道を忘れちまったんだよ!」
「じゃあどうして追いかけてきたんですか!」
「お前捕まえないと帰れないだろ!」
「すっごい個人的な理由!?」
「お前が走り出した理由だってそうだろうが。こうなったら理由を説明してもらえるまで意地でも帰らんぞ」
というか帰れん、と胸を張って言う明に神楽は疲れたため息をついて、その場に腰を下ろした。
「はぁ……。あなたって、ひょっとしなくてもかなり無鉄砲じゃありませんか?」
「いきなり走り出すお前は何なんだよ」
「うっ……」
ちょっとした反撃を試みただけなのに、明からは手痛い反撃が返ってくる事を学んだ神楽は話題を変える事にする。
「と、ところで話って何ですか?」
「さっきから言ってるだろ。いきなり走り出した理由だよ。青春時代特有のリビドーでも迸ったか?」
普段の彼女の言動からあり得そうなやつを明は言ってみる。しかし、神楽はそれを真っ赤になって否定した。
「古過ぎます! いくらわたしでもそんな事はしません!」
いくらわたしでもって……自覚あるんだ、と明は変なところで感心してしまう。
「……まあ、ここまで来てしまったからには話します。ちょっと長くなるかもしれませんから、楽にした方が良いですよ」
「んじゃ、お言葉に甘えて」
木の根にもたれかかり、楽な姿勢を作って足を休める。そして神楽が話しだすのを待つ。
「まず、わたしに頼まれた仕事の内容から話しますね」
「お前がさっき口走った事から推測すると……悪霊退治か?」
「正解です。やや数が多いらしいですが、鬼と比べればさほど脅威ではありません」
「そう……なのか? なんか、悪霊の方が性質悪そうなイメージあるけど……」
鬼は直接姿を現して相手を傷つけ、悪霊は相手の嫌いな存在になって相手を傷つける、そんなイメージが明にはあった。
「鬼はそれなり以上の攻撃力がないと倒す事すら難しいですが、悪霊は対処法さえ分かっていれば素人でも勝てます。分かりますか?」
「……何となくは」
悪霊の存在自体を初めて知った明に聞く質問ではなかった。神楽も期待していないのか、そのまま話を続ける。
「例えるなら……そうですね。拳銃一発で倒せるのが悪霊で、アサルトライフルで弾を使い切ってようやく倒せるのが鬼です。分かりましたか?」
「すごく分かった」
銃に詳しくないため、適当に合わせている明。だが、そこで一つの疑問が生じる。
「なら、何でキリエは拳銃を使うんだ? アサルトライフル使った方が良いだろ」
「そこは一発あたりのコストとか持ち運びの容易さを考えたんじゃないですか? あの人の能力は軽くしか聞いてませんけど、相当強力な能力である事くらいは分かりますから」
確かにキリエなら拳銃の弾一発でもショットガンの散弾にできる。明は納得して続きを促す。
「確かに悪霊退治は鬼喰らいの仕事ではなく、退魔師であるわたしたちの領分です。だからってこんな……!」
「そのこんな……! の部分が俺には分からないんだが」
器用に神楽の声真似をしてみせる明に神楽は少しだけ恥じ入ったように目を伏せる。どうやら自分がいかに自分一人の世界で怒っていたか分かったらしい。
「す、すみません……。ちょっと耐え切れない内容でしたので……」
「早く説明してくれ。それが聞きたくてここまで来たんだ」
「えっとですね……この仕事、わたしにやらせるようなレベルじゃないんです。もっと駆け出しがやるような内容なんです」
依頼内容は明たちが現在いる山に湧き出てきた悪霊の退治。数は多く見積もっても二十体前後であり、神楽であれば楽にこなせるレベルであるとの事。
「それを明さんの手を借りて行えって……、侮辱にもほどがあります!」
「はぁ……なんかゴメン」
神楽の気迫に押される形で明は思わず謝ってしまう。まったく関係なく、むしろ被害者なのに。
「だいたいですね、組織の方もそうです! わたしに明さんの監視を任せておきながら、別の仕事まで割り振るなんて……正気の沙汰じゃありません!」
「えっと……そうなんですか……」
だんだんと愚痴になってきているが恐ろしく気迫が迫っているため、明には突っ込めなかった。
溜まっていたのであろうストレスを全部ぶちまける勢いで愚痴を言い続ける神楽から明が解放されたのはきっかり三十分後だった。
「す、すみません……」
「……まあ、いいけどね。神楽も言いたい事が色々とあるんだろうし」
羞恥のあまり縮こまる神楽がぺこぺこと謝罪し、精魂抜け切った明もそれを笑って流す。雰囲気から言って怒れる雰囲気ではなかったのだ。
「明さんに怒っても仕方ありませんよね。今は目の前の仕事に集中しましょう」
「……あれ? もしかして、俺もやるの?」
外れてほしいと願いながら恐る恐る聞いてみる。しかし、返ってきた返事は非情なものだった。
「当然じゃないですか。第一、わたし抜きでどうやって帰るつもりです?」
「お前の暴走を止めようとして、俺まで巻き添え食らった形なんだからそれぐらい多めに見てくれてもいいだろ」
「でしたら、毒を食らわば皿までです。手伝ってください。経験を踏むのも重要ですよ?」
そう言ってニッコリ笑う神楽。しかし、目がまったく笑っておらず、逆らってもボコボコにされるシーンしか思い浮かばない明はうなずくしかなかった。
「よろしい、素直な人は長生きできますよ。では……始めましょうか」
聞き捨てならないセリフとともに神楽が両手を組み、何やらブツブツ唱え始める。
「……? いま、背筋がゾワッと……」
「……顕現!」
神楽の言葉とともに、今まで目に見えなかった存在が次々と出現――いや、可視になっていく。どれもが悪霊らしく怨嗟の顔になっており、姿形も嫌悪感を催す形である事は共通だが、見た目は全て違っていた。
「な……っ!?」
あまりのおぞましさに明の体が硬直してしまう。恐怖だけで言えば鬼以上のものがあるかもしれない存在だ。
「怯えないでください! 所詮は見かけ倒しです! それに今なら直接攻撃も効きます! ……浄眼よ!」
体を硬直させている明に神楽が叱咤を飛ばし、右目の眼帯を取り外す。
そして右目から発射される青い光が放射状に広がり、光を浴びた悪霊たちが片っ端から消し飛ぶ。
「おお! そんな技があるんなら最初っから使えよ!」
神楽の攻撃に明が喝さいを上げる。しかし、神楽は油断せずに辺りを見回す。
「あれで倒し切ったとは思えません。すぐに新しいのが来るはずです。……あと、これは鬼相手にはほとんど効果が見込めないほど威力は低いんです。もっぱら悪霊専用です」
「……なんかゴメン」
途中から自虐に近くなった言葉に居た堪れなくなったため、意味はないが謝っておく。
「いえ。……来ます!」
神楽の言葉とともに、再びおぞましい姿の存在が出現する。
「またかよっ! ……このっ!」
今度も一瞬だけ硬直はしたものの、すぐに動けるようになった明が攻撃に出る。鬼の体にはならず、人間のままでも出せる力の全てを込めて近くの悪霊を殴り飛ばす。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッッ!!』
文字通り身の毛のよだつ叫び声が辺りに響き、さらにその拳に伝わる寒々しく毒々しい感触に明の顔が引きつる。
「倒すのではなく消滅を狙ってください! そいつの声聞いたらベテランでもすくみますよ!」
「そんな危険な奴と一般人を戦わせるな!」
「それだけ言えれば充分です! ――浄眼!」
再び戦線に戻る神楽を見て、明も先ほどの声で震えていた膝を無理やり動かして隣に立つ。
「……何です? 確かに悪霊はそれなりの駆け出しが戦う相手ですが、今のあなたでは荷が勝ちますよ。それに相性も悪いです」
萎えかけた心に鞭打って隣に立ったのに、散々ぼろくそに言われてしまう。だが、明にも明の考えがあるのだ。ここで引くわけにはいかない。
「文句言うな。お前の隣が一番安全だし、何より――」
「――一番役に立てそうだ」
鬼喰らいとしての能力を発動させ、神楽に手を添える。明の手から生み出された光が神楽を覆い、神楽は眼を見開く。
「これは……!? 想像以上です!」
「…………(早くしろ! キツイんだよこれ!)」
すでに身動きも話す事もできない明は必死に思念を送るが、テレパシー能力などない神楽には当然届かない。
「行きます……! はあああぁぁぁっ!!」
放たれた光は先ほどと同じ放射状。だが密度、範囲ともに先ほどとは次元が違っていた。
直撃した奴は当然の事ながら、余波だけでも神楽の周囲にいる悪霊は消し飛ぶ。それほどの威力が今の攻撃にはあった。
「……なるほど、キリエさんがあなたに執着する理由が分かりました。これは……驚異的です」
「…………そうかい」
神楽の称賛を明はやや不機嫌になりながら受け取った。
(……まあ、いいけどな)
彼が不機嫌になった理由は先ほどの神楽の言葉にある。キリエが明に執着する理由はこれにしかない、と取れる意味合いの言葉を言ったためだ。
俺の価値はそこしかないのか、と憤る明だが、それが鬼喰らいの世界では事実である事も理解している。つまり、今はどうにもならないジレンマだ。
無理やり割り切り、腹の奥で自分を納得させる明を元凶である神楽は不思議そうな眼で見ていた。
「ほら、仕事もあっさり終わりましたし、帰りましょうか」
「ああ、俺も力使ったから疲れて……神楽! 後ろ!」
ホッと一息つこうとした明だが、神楽の後ろに悪霊の影を見たため、神楽を抱えて横に跳ぶ。
「えっ!? 気配を感じなかった……、このわたしが!?」
神楽の驚いた声を皮切りに次々と現れる新手の悪霊。しかし、今度のは先ほどと纏う凶悪さが違っていた。
「……おい、これはヤバいんじゃないか? 今までとは違う気がするし、何より数が多い」
神楽を横に抱えたままの明が冷や汗を流しながら問う。神楽も明の腕の中で周りを見るが、そこにはすでに目に見えるだけで百体以上の悪霊が存在していた。
「……賛成です。ここは逃げましょう」
神楽の賛成を得る前から、明は敵に背を向けて走り出していた。
明が初めて経験した仕事としての戦いは、撤退という惨めな形で一度幕を下ろした。