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一章 第一話

「……ん」


 少年が目を覚ますと、見慣れたやや汚れ気味のベージュ色の天井がぼやけて映る。


「………………」


 寝ぼけてまったく働かない頭でぼんやりと周囲を見る。


 比較的整頓された机。洋服などをかけておくクローゼット。枕元に置いておいた目覚まし時計。総じて言えば、物がやや少ない以外は特徴のない、至って普通の部屋だ。


 何もかもがいつも通りの風景。しかし、何かがおかしいと少年の脳が訴える。


 違和感を感じているはずなのに、それを違和感と認識できない違和感がそこにあった。普通だからこそ、何かがおかしいのだ。


 そのような寝起きに考えるにはいささか難解な事を考えつつ、二度寝したい誘惑に少年が抗う事十分ほど。


「…………ん?」


 ようやく目の覚め始めた少年が現状のおかしさに気付く。というより、


「何で生きてんだ……?」


 明自身、自分が今何で生きているのか分からなかった。






「よし、まずは落ち着いて状況整理だ」


 こうして慌てていても何もならない。そう考えた明は昨日の事を思い出す事にした。


「えっと……裏路地で鬼みたいなバケモノと出くわして、そいつに食われかけたところを女の子に助けてもらって……あれ?」


 そこから先が思い出せない。もうほとんど出かかっているはずなのに、最後の一押しがない。


「ぐあ……っ」


 無理に思い出そうとすると、激しい頭痛が明を襲った。まるで体が思い出したくないと叫んでいるように。


「いつつつつ……」


 しばらく耐えると、波が引くように痛みが治まっていく。しかし、再び思い出そうとするとまた頭痛が走る。


「考えない方が良いのか……?」


 体がここまで拒絶するという事は何かがあるのだろう。明はそう判断してこの事はもう考えない事にする。それよりも大きな問題が今の明にはあるのだ。


「……遅刻確定だな」


 目覚まし時計の時間はすでに八時半を指していた。ちなみに始業式の開始は九時からである。


「いや、ギリギリ間に合うかっ!?」


 ベッドから降りてクローゼットにある制服を引っ掴む。夏服である開襟シャツと紺色の薄い生地で作られた長ズボンだ。


 階段を落ちる勢いで駆け下り、そのままリビングへ直行する。


「おはよう二人とも!」


 明はいつもリビングにいる両親に朝の挨拶をし、懐かしむように目を細める。


 明の両親はすでに故人だ。明が高校へ上がってすぐに原因不明の事故で亡くなっている。彼が挨拶したのは両親の遺影にである。


 すでに一年が経つので、別段悲しみを覚えたりはしない。両親がいなくても、生きていく事は充分にできる。


「ってそんなこと思ってる場合じゃない! 急がないと!」


 しんみり感傷に浸っている余裕がない事を思い出した明はコップに牛乳を注いで一気に飲む。それが今日の朝食だ。


「ああ、弁当作る時間もない……!」


 家計の事を思うと、購買で買うより弁当を作った方が遥かに経済的だ。しかし、今現在そんな時間は一秒たりとも存在しない。


 ……というより、今日は始業式だけなので午前で終わるのだが、良い感じにテンパっている明は気付いていない。


「とりあえず行ってきます!」


 カバンを肩に引っ掛けて家を慌ただしく飛び出す。遅刻は確定だが、せめて始業式の時ぐらいは出ておかないと担任教師の説教が長引く。それは勘弁してほしいところだった。






「っだー……」


 全身汗まみれになった明が精根使い果たした様子で机に倒れ込む。


 悲惨だった。学校まで炎天下の中を全力で走る事十分ほど。ようやく見えた校庭では校長が長話をしている真っ最中。


 どう考えても隠れたりやり過ごせる状況じゃなかったので、静かに最後尾に紛れ込んでしまおうと思い、後ろに歩いたのが間違いだった。


 そこで担任とバッチリ目が合ってアイコンタクトだけで『あとで職員室な?』と伝えられてしまい、さらにげんなりする。


 炎天下の全力疾走、校長の長話、さらに先生の説教、という素敵なコンボを一通り受けた明はすでにグロッキー状態だった。職員室は冷房が入っていたのが唯一の救いである。


「休み明けからキツそうだなあ」


 頭上から声が掛けられたため、ほんの少しだけ顔を上げる。他者を不快にさせない程度の軽い笑みを浮かべている見慣れた顔がそこにあった。


「三上か……、帰れ」


 明はそれをぞんざいに手を振って追い返そうとする。基本的に友人は大切にする方なのだが、さすがに今はそれもできないくらい消耗しているようだ。


「全部お前の自業自得だろ……。ほれ、これやるから」


 三上が苦笑しながら差し出したペットボトルをひったくって飲み干す。脱水症状一歩手前な状態だった明にはまさに聖水のように――


「水じゃねえか!? スポーツドリンクのラベル貼るなよ!」


 スポーツドリンクだと思って飲んだら、中身は水だった。タダでもらった手前怒るのは筋違いなのだが、どうしても詐欺に遭った気がしてならなかった。


「バッカ、ペットボトルをポイ捨てなんてもったいねえじゃねえか。こういうのは有効活用しないと!」


 当然の突っ込みを入れたつもりなのだが、逆に三上の自論を聞かされる羽目になる明。


 別に悪い奴ではないし、家も貧乏じゃない。しかし、彼は極度の貧乏性なのだ。


 何でも再利用し、使える物はゴミ捨て場からであろうと拾ってくる。明も自宅前のゴミ捨て場で三上がゴミを漁っているのを見かけた時は今後の友達付き合いについて真剣に考えたほどだ。


 本人に問い質したところ、自分の周りのゴミ捨て場に良いのがなかったから遠征してきた、という明が目まいを感じる答えをもらえたくらいだ。それくらい三上の貧乏性は筋金入りなのだ。


「そうかい……、んで、これはどこで拾ったものなんだ?」


「ウチの近所のゴミ捨て場」


「そんなとこだろうと思ったよ……」


 一気に飲む気が失せ、明はげんなりしながらそれを返す。洗ってあるだろうとはいえ、気分の良いものではなかった。


「あははっ、悪い悪い。やっぱお前にゃ肌が合わないか」


「いや、ほとんどの人が無理だと思う」


 快活に笑う三上に明が手早く突っ込みを入れる。


「んで、課題はやったのか?」


「……ノートがもったいなかったんだ」


 遠い目をしてつぶやく三上に対し、明は深々とため息をつく。彼はいつもそれを理由に宿題をしてこないのだ。これでテストの成績はいつも上位に食い込むあたり、明は才能の違いを感じざるを得ない。


「はぁ……」


「見せてくれんのか!?」


 カバンの中を探り始めた明を見て、三上は希望を見つけたように顔を寄せる。それを暑苦しそうに振り払いながら、明はカバンからノートを取り出す。


「今日課題提出だろうが。今さら間に合わねえよ。それに、お前ノートがもったいないんじゃないのか?」


 ニヤリと悪人顔で笑いながら明が問う。うぐっ、と引きつった声を上げて三上は黙りこくる。


「……ルーズリーフください!」


 そして華麗な土下座を決めてきた。どうやら意地でも自分のノートは使いたくないらしい。そもそもノートを持っているのかすら疑問だ。


「お断りだバカ」


 そんな三上のお願いを明はさわやかな笑みでぶった切る。


「あうっ!」


 涙目になって机に突っ伏す三上。それに対して笑って追撃をかける明。二人のやり取りはクラス内の定番になっているようで、誰もとがめない。


「おらお前ら席に付けー。時に草木。お前は放課後職員室な?」


 明たちの担任である女教師(ゆずりは)アヤメが入ってくる。人工的な輝きを放つ金髪をセミロングに伸ばし、瞳は一般人とはおよそかけ離れた鋭い輝きを宿している。


 当然ながら、元ヤンキーの噂もある。その粗暴な物腰もそれを裏付けている一因だ。


 ……何でそんな人が学校の教師になれたのかはこの高校の七不思議となっている。聞くのが怖くて誰も確認が取れないのだが。


「えー。朝あれだけ絞られたじゃないですか」


 そんな怖い噂もある教師だが、基本的に生徒への面倒見は良い。このクラスの面々は一学期の間にそれが分かっており、特に物怖じする事なく接している。


 ……例えお説教の最中でもそうできるのは明ぐらいだが。この辺りが肝が据わっていると言われる理由でもあった。


「バカタレ。あれぐらいであたしの説教が終わると思ってんのか」


「はい」


 明の認識では楪は竹の割ったようなさっぱりした性格となっており、そんな性格の人がネチネチと怒るのは考えにくかった。


 特に怖がる様子もない明を見て、楪は呆れた顔で学級日誌を肩にかける。


「お前本っ当にビビらねえな……。結構、殺気とか乗せてたんだぞ。一般人ならビビるもんだ」


 いや、生徒にそんな物騒なものをぶつけてたんですか、とはクラス全員の総意。


「まあ、お前の言ってる事も当たりだ。ネチネチと言い続けるのはあたしの性に合わん」


「ですよね」


 さも当然と言ったように明はうんうんとうなずく。自分の予想が当たっていても特に感慨はないようだ。


「いや、納得されるのもそれはそれで業腹なんだが……。話があるんだよ。遅刻のやつとは別件だ」


「はぁ、分かりました」


 特に断る理由もないので首を縦に振る。楪はそれを満足そうにうなずいてから、


「よぉーしっ! それじゃ、お待ちかねの課題提出だ! 列の後ろが集めて来い!」


 地獄の宣言をした。悲鳴がそこかしこから上がり、課題を終わらせている連中からの苦笑いを受ける。


(やっときゃいいのに……)


 明も苦笑を送る側の人間だ。親もいない一人暮らしの身分では、誰かに弱みを見せるわけにはいかないのだ。何かが起こっても、自分の力でどうにかしなければならないのだから。


 それが両親のいない一年間で身に染みて理解できた。明に手を差し伸べてくれた親戚もいたのだが、それを振り払って選んだ道だ。甘んじて受け入れるべき事であり、明もそれは重々承知していた。






「留学生を迎える、ですか……?」


「ああ、その通りだ」


 簡単なホームルームを終えて、午前中のうちに終わった休み明け最初の一日。普通の生徒はそこで明日から始まる授業に気分を沈ませながら帰路につくはずだった。


 しかし明は楪に呼び出されたため、未だ校内にいた。


「珍しいですね。それ、ずいぶん急な話でしょう? ここ一週間以内の」


 明は別になんて事のないようにつぶやく。楪はその言葉に自分の頭をグシャグシャとかき回す。


「ったく、可愛げのないガキだよ。あたしの説明の余地がないじゃねえか。――正解だよ。もっと前から決まっていたんなら、今日来るはずだからな」


 楪の説明に明はふむふむとうなずく。ようやく事情が呑み込めてきたのだ。


「別にそれくらいなら良いですよ。明日は休んでいいんですよね?」


「遅刻扱いだバカタレ。迎えに行ったらすぐに戻って来いよ。ウチのクラスに来る事になってるから、そのまま自己紹介もやらせる予定だ」


「やっぱ大っぴらにはサボれませんか」


 どちらかと言うと言ってみただけなので、明の顔には苦笑が浮かんでいる。


「やるんだったら、あたしの目をかいくぐってみるんだな。サボる奴の逃げ場所なんざ、手に取るように分かるぜ?」


 楪はこの学校の不良生徒を取り締まる事に長けている。なんでも『昔はあたしもヤンチャしていたから』という理由らしい。


 実際、彼女が捕まえた不良生徒は校内でも断トツトップにいるので、あながちウソでもなさそうだ。聞いたら半殺しにされそうなので、誰も聞かないが。


「できない事はしない主義なので」


 もっとも、明はこの辺では無難に学校生活を送っているので、そんな事をするつもりはない。


「チッ……。無茶は若者の特権だぜ?」


 それとは別に小声で夢を見る事もな、と楪は付け足す。


「それより、その人の特徴は何です? それが分からないと見つけようがありませんよ?」


「人の話を聞かねえなお前も……。まあいい、ほらよ」


 楪がぞんざいに顔写真を渡す。それを見た明は怪訝な顔をする。どこかで見覚えのある顔だからだ。


「あれ……?」


「ん? 何だお前。まさかこいつと知り合いっていうオチか?」


 明の様子に目敏く気付いた楪が体を乗り出す。明はそれに苦笑しながら首を横に振る。


「いえ、ちょっと見覚えがあるような……ないような?」


「あたしに聞くなよ。ったく、つまんねえな」


 興味が削がれたように椅子に体重をかけるダメ教師を見て、明はさらに苦笑を深める。本当、どうしてこの人が教師になれたのか明にも不思議でならない。


「まあ、明日は頼むわ」


「分かりました。次の中間テストの採点甘くしてくれれば良いです」


「上等だ。次のはマーク式だな」


「鬼だよこの人!」


 マーク式に甘く点数を付けるも何もない。正解か不正解かの二択しかないのだから。


「かっかっか! この暑い中送らせんだ。今度ジュースくらいおごってやるよ。それで妥協しろ」


 それを断ったら何ももらえなくなりそうだった。明はそれを直感的に感じ取って首を縦に振った。


「じゃあ、話はこれで終わりだ。帰った帰った」


 言いたい事は終わったと言わんばかりに手をシッシと振って明を追いやろうとする。それに関して特に何も言わずに明も床に置いておいたカバンを拾ってドアに向かった。


「――草木」


 ドアを開けて出ようとした時、後ろから楪のかしこまったような固い声をかけられた。


「何ですか?」


「あー……その、だな……夏休み、怪我とかしなかったか?」


 照れ臭いのか顔を赤らめ、チラチラと視線をそらしながら楪がそんな事を聞いてくる。どうやらそんな普通の事を聞くのに照れを感じているらしい。


 明はそれに思わず苦笑してしまう。やはりこの教師は良い人だ。他の平凡な教師よりかよほど好感が持てる。


「大丈夫です……よ?」


「何でまた疑問系なんだよ」


 明の記憶が正しければ、昨日の夜にザックリと右腕に切り傷をこしらえたばかりだった。しかし、今それは存在しない。明の体を覆うように浸蝕した黒いナニかも綺麗サッパリ消えている。


「あはは、ちょっと夢と現実が混同してるみたいです。昨日、結構キツイ夢見たんで」


 とはいえ、それを正直に答えるわけにもいかないため、明は適当なウソをでっち上げてその場をしのごうとする。


「そうか……? お前、今度良い精神科教えてやろうか?」


 本気で心配されているのが逆に居たたまれなかった。明自身、夢か(うつつ)か判断がつかないのだ。


「し、失礼します!」


 半ば逃げるように明は職員室を出ていった。






「それにしても……どこかで見た覚えがあるんだけど……」


 帰り道、明は楪からもらった写真を見て首をひねっていた。


 昨日、女の子に助けてもらったのは覚えている。だが、その輪郭がどうにもボヤけているのだ。はっきりと見た記憶はあるのに、その内容が細かく思い出せない。


「がっ! ……クソッ、また痛み始めてきた……」


 おまけに、それを思い出そうとすると頭を内側からトンカチで叩かれているような痛みが襲う。しばらく何も考えなければ静まってくれるのだが、続くようなら病院に行く事を真剣に考えないといけない。


「ったく、明日は体調崩さないでくれよ……」


 思い通りのコンディションにならない自分の体に悪態をつきながら、明は自分の家へ帰った。

ヒロインが出せずじまいでした。

そして序盤の宿命と言うべきか、伏せておくべき事柄が多くて難しいです。全部回収できるかな……。


ちなみに今作は一章二章というふうに続けていきます。よろしくおねがいします。

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