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一章 第九話

 意気揚々と出かけたは良いが、図書館と商店街は正反対の方向にあった事に明が気付く。


 それを正直に伝えたところ、


「先に言っときなさいよね! おかげでずいぶんと遠回りしちゃったじゃない!」


 当然のごとく怒られた。だが、これにはさすがに怒られるいわれのない明も反論する。


「仕方ないだろ! 街の構造に文句言うなよ!」


 誰が悪いというわけでもなく、ただ単に街の構造自体がそうなっているだけなのだ。しかも明の住む街に図書館は一つしかない。その代わり、かなりの規模を誇る大図書館だ。


「……先に図書館の方行くぞ。あっちはあんま長くいられないからな」


「それは構わないけど、本当にこっちにあるわけ? どんどん建物が減ってるじゃない」


 明の後ろを歩くキリエが周りを見て、疑問の声を投げかける。


「図書館はかなり大規模なんだ。当然、土地も多く必要になる。その際、結構エグイやり方で土地をもぎ取ったんだと。もう何十年も昔の話だから実際に体験してんのは爺さまや婆さまぐらいだけど」


 それで、その時の反発からこの辺の住人が別の場所に引っ越したわけ、と締めくくる。キリエは感心したような見てはいけないものを見てしまったような顔をしていた。


「そりゃエグイわね……。でも、あんたはそう言ったわだかまりがないのね。お爺さまとかお祖母さまとかに聞かされたりしなかったの?」


「俺の生まれる前の話だからなあ。いくら言われても実感が湧かないってのが近いかな。内装自体も最近は改装されたりして綺麗だし」


「ま、それが人間として自然な反応よね。それが常識になっているならともかく、一世代程度でどうにかなるもんじゃないってことか」


 キリエが何やら難しい事を言い始めるが、特に興味の湧かなかった明はスタスタと歩を進める。そして立ち止まり、左手前に見える大きな建物を指差す。


「ほら、あれだ」


「へぇ……確かに大きいわね。あれだけの規模なら、土地を集めるのに苦労するのが分かるわ」


「とにかく入るぞ。んな大人の話はどうでもいいんだよ」


 政治とか利権とか、明には今後も縁がなさそうな話を打ち切り、図書館の中に入っていく。何度か入った事があるのか、その足取りには迷いがなかった。


「で、どれから調べるわけ? 時間は有限なんだから、とにかく手分けしましょ」


「伝承が一番なんだけど……その辺はお前だって押さえてるんだろ」


「全部が全部ってわけじゃないし、あたしの知ってるのはドイツ系のが多いけどね。それでも一般人が鬼になった事例くらいは丸暗記してるわ」


 そもそも、一般人が中途半端な傷を負って鬼になる例自体が少ないし、とキリエが笑うが、明としてはまったく笑えない。前例は多い方が良いのだ。助かった例もあるのが理想だ。


 そんな淡い期待が残らず砕け散った。早くも図書館に来た意味がほとんどなくなってしまった。


 第一、鬼喰らいの人々が何百年と調べてなお分からぬ事なのだ。それをたかだか17歳の少年少女二人だけでどうにかするというのはいささか虫の良過ぎる話だろう。


 つまり、正攻法で伝承を調べていたのではどうにもならないという事だ。


「だったら何を調べりゃいいんだよ……。医学的観点から見たところで意味はないだろうし、仮に何か見つかったとしてもこの辺にそんな設備揃ってる場所ないし……」


 いきなり八方塞がりの現状に明は頭をかきむしる。現在、頭の調子はすこぶる良いのだが、それでも所詮は高校生の頭。名案が思い浮かぶわけではなかった。


(こういう時、ゲームとかだと意志で抑え込むとか言えるんだろうけど……)


 そんなあやふや、かつ確実性皆無である手段に命を預ける気にはなれない。そもそも、そんな方法キリエが許さないだろう。鬼になるのを耐えている間に斬られて喰われてしまう。


「早くも手詰まり? 何とかするって言ったのに、情けない」


 これだから最近の若者は、とでも言わんばかりに肩をすくめるキリエ。ちなみに彼女は今まで何もやってない。


「……あのな。情報が少な過ぎるんだよ。文句言ってられる状況じゃないのは分かってるけど、どうにもならない状況じゃ言いたくもなる」


「分からなくもないけど……。それで、どうするの?」


「……最悪の場合を覚悟しておくしかないな」


 それは意志による抵抗を試みる事だった。使いたくないと思っていた手段にさっそく頼らざるを得なくなっている。


 現実が自分に一介の高校生でしかないという事実を突き付けているような錯覚さえ感じてしまう。


 それがひどく忌々しく、その黒い感情が己の内にある何かに火をつける。


「……あ?」


 自分の体に起きている異変を自覚した瞬間、小さな火が一気に炎になったように全身が熱くなる。


「がっ!?」


「ちょっとあんた!? どうしたのよ!」


 急に胸元を押さえて苦しみ始めた明を見て、キリエが慌てて駆け寄る。その姿をチラリと見て、制止をさせるように手を伸ばす。


「来るなッ!」


 あまりの音量に図書館を利用していた人が何事か、と明たちの方を見る。しかし、二人には周りを気にする余裕はなかった。


「……まさか、早過ぎない!?」


「分から……ねえっ。どっちにしろこれは……キツイ!」


 全身の細胞一つ一つが焼け爛れていると思ってしまうほど体が熱い。そして腹の奥からグラグラと煮えたぎった破壊衝動が襲いかかってくる。


 ここにある全てをメチャクチャに引き裂いてやりたい。そして――




 ――目ノ前ニイル女ヲ引キ裂イテ喰ラッテシマイタイ。




「――っ!」


 明確にヤバいと感じた明はかろうじて残っている理性をフル動員し、近くにあった窓をぶち抜いて外へ飛び出した。その速度は人間に出せる域を遥かに超えていた。


「あっちに人がいるかもしれないじゃない……! ったく、あのバカ!」


 それを唯一肉眼で捉えたキリエが歯ぎしりとともに、熱風を運んでくる新たな風の通り道をくぐる。


 彼が街に向かっていたら何としても止めなければならないし、向かっていなくても完全に鬼になったら治す方法はない。


 ならば、あの言葉通り自分の手で喰ってやるのがせめてもの礼儀。


(これがあたしの使命であり決意! ならば……成し遂げるだけ!)


 すでに明の姿は見当たらない。キリエの嗅覚にも反応しないところを見ると、それなりに距離は稼がれているようだ。


 完全に鬼になるのがいつかは分からない。だが、あの苦しみようから判断するにそう長くはないはず。可能な限り急いで居場所を探り出し、倒してしまうのがベスト。


 そこまで考えた上で、キリエは方向転換をした。万全の準備で敵に臨むためだ。


 悠長な事をしている時間がないのはキリエも痛いほど理解している。だが、自分がやられてはいけないのだ。ここにいる鬼喰らいは自分しかおらず、自分がやられるという事は次の鬼喰らいがやってくるまで鬼は好き放題できるという事であり、そうなった場合の被害は計り知れない事になるだろう。


 それだけは認められない。たとえ自分が準備をしている間に明が完全な鬼となって誰かを殺めたとしても、だ。


 小を切り捨て大を取る。そうせざるを得ない状況であり、キリエはこんな状況を作ってしまった己の未熟に歯噛みする。


(あのバカ……せめて抵抗はしないで斬られなさいよ!)


 心の中で毒づきながら、キリエは楪の家へとオリンピック選手も真っ青のスピードで走っていった。






 ガラス張りでない窓越しに見える空が暗くなっている事から、夜になっているんだな、と明は熱に浮かされた頭でぼんやり考える。


 ほとんど無我夢中で走り回り、そして見つけたこの廃棄されたビル。昔、一時期都市開発に躍起になっていた時期があり、それは元が勢い任せという事もあってすぐに鎮静化したのだが、その名残がこうして存在していた。


 正直、このビルを見つけた時は神様の配剤かと思ってしまったほどだ。ここなら、誰にも被害をもたらさずに静かにいられる。


(……でも、なぜかある一線だけは越えない)


 明が体内に熱を抱えるようになってからゆうに三時間近くが経過している。最初の五分も持てば良い方だと思っていたのだが、理性がなくなりかける一歩手前の熱を体はずっと維持し続けていた。


 いっそ理性なんてなくした方が楽なのに、と思う本能がある事は否定しない。事実、何度も危うい場面はあった。


 しかし、そのたびに明の精神がそれを抑えつける。それを繰り返して早三時間だ。ここまで意識を保っている事は奇跡に近い。


 鬼に近づく事で異常をきたした精神。それが明を本当の鬼になってしまうのをかろうじて留めていた。皮肉なことだが。


「……遅えなあ。あいつ」


 四角く切り取られた空を見上げながら、明がポツリとつぶやく。


 最初は体内で暴れ狂う熱に耐えるので精いっぱいだったのだが、三時間もその状態が続けばさすがに若干の慣れが生まれてしまう。あるいは熱に対する感覚が鈍っているだけなのかもしれないが。


 つまり、今の明は割と余裕が戻っていた。


「早く来いよ。俺は……ここから動かないからさ」


 そう言いながら頭をかこうとして手を前髪の上辺りに置く。


「……ん?」


 何やら尖った出っ張りにぶつかり、明の手が止まる。そこを手でまさぐってみるとわずかにくすぐったい。


「角が生え始めたのか……」


 それは小さなものではあるが、角と呼ぶにふさわしいものだった。


「とうとうそこまで進んだか……あとちょっとってところかな?」


 手の爪も尖り始めてなかなか鋭そうだし、歯も犬歯みたいに鋭角になっているのが口腔の感触で分かった。


 極めつけは皮膚の変色である。月明かりに照らしてみると、明の皮膚は鋼色に冷たく光っていた。どうやら自分に傷を付けた鬼のくすんだ皮膚色にはならないようだ。それにはちょっとだけホッとする。


 明の気付かぬうちに、鬼化はもうほとんど終わりに近づいていた。自分が草木明という存在でいられる時間はあと僅か。


(……だというのに、あんま怖くないんだよなあ)


 不思議そうに首をかしげながら、明は自分の体が徐々に人じゃなくなっていくのをどこか他人事のように眺めていた。


 ある程度肉体が鬼に近づくと、今度は体内にくすぶっていた炎が再び燃え上がるのを感じる。


(これを乗り切ったら、どうなるのかね……)


 明はこの状況に来てまで、まだ完全に諦めたわけではなかった。再び瞳に意志の光を宿し、体内で暴れる熱をやり過ごそうとする。


 体を小さくまとめ、爪の生えた両手で己の体を抱く。その際、皮膚と爪がこすれてギャリギャリと耳にうるさい音が鳴り響くが、今の明にそれを気にする余力はなかった。


「はぁ……、っく」


 静かに呼吸を整えながら、必死に体内の熱と戦う。


 そこへ無遠慮に響き渡るコツン、というローファーの音。明は不幸にも顔を上げる余裕すらなかったが、声を耳に入れる余裕くらいはあった。




「あんたを……喰らいに来たわ。鬼」




 それは鬼となってしまった自分を解放してくれる、福音のように聞こえた。


 キリエの声に耳を奪われてしまっていたため、明は己の手が一瞬だけ淡い緑色の光を宿した事に気付かなかった。






「あたしは鬼喰らい。あんたは鬼。……分かってるわね」


 キリエは未だに鬼になり切っていない明に驚嘆の念を禁じえなかった。


 鬼になるという事がどういう感覚なのかは分からないが、少なくとも図書館で見せた苦悶に三時間以上耐えている計算になる。その事に関して、キリエは明に対して尊敬の感情すら覚えた。


「ああ……。分かってる。……一思いにやってくれ」


 すでに声も出せないと思っていたのに、普通に会話が成立した。これにもキリエは驚いた。理性があり、思考する能力すら残っているのだ。運などの要素も当然あるだろうが、彼の心は非凡な強さである事は想像に難くない。


 目の前の鬼は体を小さく縮こまらせ、小刻みに震えている。それはまるで親に怒られるのを恐れる子供のように見えた。


 コツコツとローファーを鳴らし、鬼の手前までやってくる。自分という餌を前にして、鬼はいささか苦しげな声を出す。


「早くやれ……! お前を視界に入れるとヤバいんだよ……!」


 本気で切羽詰まった声だった。それに応え、キリエは家から持ってきた刀を引き抜く。


 本当なら遺言でも何でも聞いてやるつもりだった。だが、自分という存在が彼の鬼になるのを促進してしまうのなら、それはできない相談だった。


 キリエは刀を振りかぶり、




「――さよなら。あんたといた時間、悪くなかったわ」




 ためらう事なく振り下ろした。

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