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プロローグ

 草木明(くさきあきら)は半ば恐慌状態にある心を必死に落ち着かせ、異臭漂う裏路地の一角で立ちすくんでいた。


 肝が据わっている、と二年に入ってからの友人である三上(みかみ)は言っていた。


 しかし、明はそいつに全力でウソだと叫んでやりたい気分だった。


「ははは……厄日もいいところだな」


 人間、極度の恐怖に襲われるとパニックになる事すら許されずにただ、乾いた笑いが出るんだと明は学んだ。


 ……実際、普通の人間ならまずパニックになるところを乾いた笑いだけで済ませているのだから、並の人よりは精神的に打たれ強い証明になるのだが、あいにくとこの空間でそれを指摘する人はいない。


 次に彼はどこでこんな事になったのだろうかを考え始めた。今、彼の眼に映る景色は嫌にゆっくりと流れているため、妙な余裕があるのだ。


 夏休み最後の一日だからと、羽目を外して夜遅くまで遊んでいたのが悪かったのだろうか? それとも帰りに道を間違えて、いつの間にか裏路地にまで来てしまったのが悪いのだろうか?


 どれも後から振り返れば一因になるかもしれないが、未来の事など分かるはずもない。明が思っている事は無意味で、詮無き事である。


 時間はまだ動かない。こういう時は自分の事を思い浮かべ、声に出して言うと思考能力を取り戻すのに良い、とどこかのテレビで言っていた事を思い出して実行する。


「名前は草木明。十六歳の高校二年生。今日は夏休み最後の日で、課題も終わっていたので課題を必死にやっている奴らをとりあえず鼻で笑ってやろうと遊びに出かけて、その帰り道に――」




「――鬼に遭った」




 そこまで一息に話すと、ようやく周囲の時間が流れ始めた。


 目の前にはシュウウゥゥ……と、生臭い息を吐き出す異形の存在がいた。


 皮膚などなく、むき出しの筋肉がくすんだ鋼色をしており、ひどく吐き気を促す。そして額に生えた長大な角は鬼を連想させた。実際、そう思ったからこそ明は“鬼”という言葉を使ったのだが。


「……やっぱ厄日だな」


 それはただの強がりでしかなかった。明の足元は傍目からもはっきり分かるほど震えており、鬼に飛びかかられたら避ける事もできないだろう。


(足は……ダメだ。もつれて転ぶ事くらいしかできない。ポケットとかに起死回生のアイデアもない。……終わったな)


 現状を自力での打開は不可能。残酷な結論が出てしまい、明の顔はさらに引きつる。


「はぁ……、ここで死ぬのか、俺」


 死に対する恐怖がなかったわけじゃない。口調こそ普通を装っているが、顔色は蒼白だし、唇も細かく震えていた。


 それでも精いっぱいの虚勢を彼は張る。そうしないと無様に泣き出してしまいそうだし、それは彼のなけなしのプライドがひどく傷つけられる事だった。


 せめて最後くらいは意地でも目を閉じないでいよう、と悲壮な決意を固めて鬼を見返す。


 明が覚悟を決めるのを待っていたかのように、鬼が体を折り曲げて力をためる。


 次の瞬間、飛びかかってくる事を頭では理解していても、明の体は上手く動かずに硬直しているだけだった。


 そのため、目の前に牙の生えそろった鬼の口が見えても、半ば予想できていた事のために驚きはしなかった。


「うわっ!?」


 しかし、明は声を上げざるを得なかった。まだ生きているという驚愕に、だ。


「な、何で……?」


 確かに彼は死を覚悟する、とまではいかなくてもそれなりの決意を固めていた。


 なのに、まだ生きている。足が動かない事はさっき分かっていた。どう考えても自分の体を意識して動かした結果じゃない。


「こけただけか……」


 どうやら無意識に体が脅威から逃れようとした結果らしい。足がもつれて後ろに尻もちをついた姿勢からそう判断できた。


 しかし、飛びかかられた時に爪でもかすられたのか、明の腕にはザックリと切り傷が走っていた。赤黒い血が流れ、それでもはっきりと分かる墨汁でもぶちまけたような黒い染みが浮かび上がっている。




 ――黒い染み?




「何だよこれ……っ!?」


 自分の体に何かが起こっている。それが分かって怯えるも、すぐに目の前の脅威に視線を向ける。


 そうだ。自分の体に何が起ころうと意味がない。どうせここで終わる命なのだから。


「もう、どうにでもしろよ……」


 何もかも投げやりになった明は背中から汚いコンクリートの地面に倒れ込み、ビルとビルの隙間から見える夜空を見上げた。


 都心から遠いとはいえ、そこそこビルの立ち並んだ街並みから見る空は明るく淀んでおり、夏特有のムッとした空気も相まって星がほとんど見えなかった。


 明が倒れるのを待ち構えたかのように鬼が再び前傾姿勢を取る。


 ――今度こそ終わった。これから自分は食われて死ぬ。


 どうせならなるべく苦しみませんように……と思い、目を閉じる。




 ――銃声が響き渡った。




「……まだ生きてる」


 今日一日で何回死の覚悟をしたんだろう、とかを自嘲的に思いつつ、発砲音のした方向へ顔を向ける。


 いたのは明と同年代くらいの少女だった。


 ただし超が付く美少女である、と言わねばならない。


 煌びやかな金髪をストレートロングに伸ばし、瞳は若草のごとき碧眼。日本人とは一線を画す深い彫りのややキツめな顔立ちをしており、唇も一文字に結ばれている事がそれに拍車をかけていた。


(うわっ……)


 しかし、それらを差し引いても少女は美しかった。何もかも現実感の希薄なこの状況で、明が思わず見とれてしまうほどに。


 両手には刀と拳銃が握られており、それが現実感のなさに拍車をかけていたが。


 少女は明の存在など気付かないで鬼に近づく。鬼の体にはいくつかの小さな穴が開いており、そこから赤い血がドクドクと流れていた。


(じゃあ、あの時の銃声は……、俺を助けるため?)


 そんな自惚れに近い事を考えてしまうのも無理はなかった。しかし、それはすぐに違うと思い直す。本当に助けに来たのなら、自分に一言くらい声をかけても良いはずだ。


 少女は鬼のすぐ近くまで歩み寄り、刀を一閃させる。剣道とかにはいっさい縁のない明であっても分かるほど綺麗な円を描いた横薙ぎの一閃だった。


 それにより、鬼は両断された。




 ――無数の肉片に。




「な……」


 非現実的な光景は今日一日で腹いっぱいだと言えるほどに見た明でさえ目を剥いた。


 確かに彼女が刀を振ったのは横に一回だけ。明の目がおかしくなっているのでなければ、それは見間違えようがない。


 それにも関わらず、鬼の体はバラバラになっていた。無数に斬線が走ったかのように。


 何で、と明は聞きたかった。だが、口は己の意思に反して引きつった声しか出さず、少女はこちらに気付いてもない。そして今もまた動き出していた。


 少女は悠然とバラバラになった鬼の肉片に近づき、しゃがみ込む。


「あ……」


 まったく読めない少女の行動に明は腕に走る灼熱の痛みと、そこから広がる黒い染みを忘れて見入っていた。


 そのマジマジと見る視線を受けてなお、少女はこちらに気付く事なくその細い指を動かす。




 ――そして、おもむろに鬼の肉片を掴み、口に入れた。




「……っ!」


 今度は声を上げる事さえ許されなかった。


 ガフガフと、一心不乱に鬼の肉を喰らう少女。その小さな唇から形の整った顎に赤い血が落ちる様は何とも凄絶だった。


 明は鬼だったモノの肉片が人の肉片を連想させるほど酷似していたため、この少女は人の肉を喰らっているのではないかと錯覚してしまう。


 そして、その錯覚が明に強烈な吐き気を催わせた。


「ぐ……っ!」


 喉元まで迫った苦くて喉を焼く液体を飲み下しながら、明は必死に少女を見た。なぜだか知らないが、目を離してはいけない気がするのだ。


 少女はそんな民間人の姿など歯牙にもかけず、黙々と鬼の肉を咀嚼していた。すでに口周りは鬼の血で真っ赤に染まっている。


「げええ……っ!!」


 そんな様子に耐え切れず、明はついに胃の中の物を全て吐き出してしまう。


 びしゃびしゃと液体が撒き散らされる音が響き、明本人も内心で呆れてしまうほどの量が口から出る。


「げほっ、げほっ……」


 喉の奥がジリジリと痛み、それがどうしようもなく不快感をあおる。舌の上に感じる酸味にも感じられる痛みを唾液で薄めながら、地面に広がる自分の吐いた物を見る。この時ばかりは少女を見ている余裕などなかった。


 しばらく咳き込み、口の中の不快感が気にならない程度になって、ようやく理解する。


 少女の肉を咀嚼する音が消えている事に。


 得体の知れない何かに急かされる気持ちで明は顔を上げる。


 そこにはピタリと食事を止めた少女がいた。一切の身じろぎがないのが不気味さを誘う。


「…………」


 明は黙っているよりほかなかった。自分の存在に気付かれているのは明白で、何の関係もない民間人にあのような姿を見られたのだ。ひょっとしたら口封じに消されるくらいあり得るかもしれない。


 そんな事を思って明は背筋がスウっと冷える感覚を味わう。命の危機は去ったと思ったのに、一難去ってまた一難とはつくづく今日は厄日だと、明の頭で妙に冷静な部分が告げていた。


 少女は微動だにせず、手元にある鬼の肉をただじっと見つめているように見える。いつその血にまみれた手がこちらを殺すために使われるのかと思うと、ドキドキものだったが。


 しばらくお互いに動かない時間が過ぎていく。傍から見ればひどく間抜けな光景に見えるだろうが、少なくとも現在進行形で命の危機にいる明は切羽詰まっていた。


 少女の驚くほど細い首が身じろぎする気配を出す。


「……っ!」


 ビクッ、と明は思わず肩を震わせてしまう。女々しいな、と自嘲する余裕すらない。


 その首がゆっくりとこちらを振り向き、少しずつその美しい碧眼が見えるようになる。


「あ――」


 そこで明は自分の視界が徐々に黒一色になりつつある事に気付く。さらにそれが瞼の落ちる事によって起こる現象であると理解するのに数瞬の時を必要とした。


 意識も黒に塗り潰されるまでそこから数秒もかからなかった。ただ、最後まで覚えていたのは少女の澄んだ碧眼だけだった。そこにどんな感情が宿っていたのか、彼は理解できなかった。






 ――この日、少年は鬼を喰らう少女と出会った。

という事で新作投稿です。前作を見ている方はお久しぶり。初めて見る人は初めまして。アンサズです。


今作は前々から直そうと思っていた三人称の書き方を勉強するため、完全三人称でお送りします。一人称はほとんど入らないと思うので、ご容赦ください。


何か変な点、おかしい点などがあったらドシドシ言ってください。勉強させていただきます。

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