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卒業記念制作

 卒業記念に、スイミーの巨大版画を制作するということに。6年生全体で国語の授業で習った「スイミー」の版画を完成させるのである。その版画用の板を受け取って、鉛筆で書かれた線に沿って、マジックで印をつけていく。私の担当する部分は絵柄が少なく、線を引くのは楽であるが、その分たくさん彫らなければならないため、なかなか大変なところが当たってしまった。その板を家に持って帰ったのであるが、家に帰ってからどうも体がだるく、少し悪寒がしたので体温を測ってみると38度近い熱が出ていた。母に保険証を出してもらって、かかりつけの病院で診察してもらったところ、インフルエンザに感染しているということであった。11月にもインフルエンザにかかっており、1年で2回も高熱を出す羽目になってしまった。当然、翌日からは登校禁止措置が取られて、私は1週間学校を休むことになった。その夜から高熱がずっと続いて、頓服薬を服用すると37・5度くらいまで熱が下がるのであるが、薬が切れると再び38度以上の高熱が出るということを繰り返して、ほとんど食べ物ものどを通らない状態が続き、まる2日間は絶食状態が続いていた。そして薬を服用すれば眠気がきて眠るのであるが、真夜中に目が覚めたり、朝になっても起き上がれなかったり、体が鉛のように重たい状態が続く。発熱して4日目くらいから次第に体調も落ち着いてきて、朝起きてお粥くらいなら食べられるようになってきた。高熱がつづいて大量の汗をかくので、とにかく塩分補給をしなさいということで、お粥に梅干しをつけて食べた。梅干しの酸っぱさが口の中に広がっていく。それからとにかく喉が渇くので、枕元に水筒を置いていつでも水が飲めるようにしておいた。そして窓のカーテンを開けてみると、深々と雪が降っていた。大阪では珍しく大雪が降ったのである。深々と降り続く雪を眺めながら、自分の身の行く末が気になった。これから山口に引越しして、どんな人生が待っているのだろう。もし山口に引越ししても同じ目にあったら、高いお金を払ってまで引っ越しをした意味がなくなる。転校生だとわかって、皆受け入れてくれるのであろうか。

「俺も降り続く雪のように、真っ白な心で、憎むことも、恨むことも知らずに一生を終えたかったな…。」

 ふとそんな思いが頭の中をよぎった。

「俺はあいつらをいつか許せる日が来るのだろうか…。いじめから逃れることが出来たからと言って、それですべてが解決するのだろうか…。」

 いろんなことが頭の中をぐるぐる駆け回る。結局答えを見つけ出すことが出来ないまま、再び眠りに落ちた。

 目が覚めると14時過ぎ。少し食欲が出てきたのであろか、おなかが空いたので、朝食で残っていたお粥がまだあったので、温めなおして食べて、少しお腹が膨れたところで、再びベッドに戻ってラジオを聴いていた。そして夕方を迎えて、私も久しぶりにみんなと一緒に夕食。まだ脂っこいものは胃が受け付けないので、私はあっさりとしたご飯とみそ汁というものであったが、久しぶりに食べるご飯はおいしかった。インフルエンザにかかってから5日目、熱はすっかり下がったが、まだ登校禁止措置の期間中であったため、家で寝て過ごしていた。夕方になって星田から電話があった。

「具合はどんなや~?」

「うーん。だいぶ熱は下がったんやけどな、まだ完全に戻ってないみたいやわ」

「みんな卒業制作やってんねんけど、リンダの分が遅れてるから、学校に来れるようになったら、俺手伝うわ」

「有難うなぁ。あともう2日ほどしっかり休んで、体調を元に戻すわ」

 そんな話をして電話を切った。

「そうかぁ。そういえば卒業制作があったんやった」

 それから2日が過ぎて登校禁止措置期間が明けて、私は卒業制作の板と、彫刻刀をランドセルの中に入れて学校に向かった。そして、教室の中に入ると星田や永井達が私のところに来て

「久しぶりやなぁ。だいぶん痩せたんちゃうか」

「熱が出てる間、ほとんど何も食べられへんかったからなぁ。多分だいぶ体重が落ちてると思うわ」

 そんな他愛ない話をして、授業が始まるのを待った。実は私が休んでいる間に卒業生にインタビューするという企画があったのであるが、私は参加できなかったので、私が本来話すことになっていたことを、ほかの誰かが話したらしい。

 そして、私は遅れた卒業制作を何とか間に合わせようと、放課後残って彫刻刀を握って、版画を彫り続けていた。一緒に残っていた星田が、用事があるからと言って先に帰っていった。

「お前、病み上がりなんやから無理するなよ」

 そう言って帰っていった。私も

「もうちょっとしたら帰るわ」

 そう言って帰っていく彼と別れた。そうこうしているうちにクラスメイトが1人帰り、2人帰り、いつの間にか私と天田・浜山・湯川・中井だけになっていた。そのことにうかつにも私は全く気が付かなくて、一心不乱に彫刻刀で彫り続けていると、不意に背後に人の気配を感じたと思ったら、私が彫り続けていた版画がいきなり取り上げられ、その板で思いっきり後頭部を殴られた。そして、

「テメェーはさっさと帰れや。お前がおったら目障りなんだよ」

 そう言ってさらに激しく後頭部を殴られた。その影響で私は脳震盪を起こしたらしく、体の自由が全く効かなくなっていた。帰れと言われても体が動かなくて、それが反抗的な態度を取ったとみられて、さらに激しい暴行を受けた。やがて少しずつ体が動かせるようになると、彫刻刀を奴らめがけて思いっきり投げつけて

「わかったよ。さっさと帰ってやるよ。もう卒業制作も一切やらんからな」

 そう言って私は、なにもかも放り投げて帰った。それから私は一切卒業制作はしなかった。提出期限がきたが、私はほとんど何も手が付けられていない状態で提出した。先生が

「なんでほとんど彫ってないんや」

 というので、私は後頭部を何度も殴られたこと・それ以外にも激しい暴行を受けたことなど、すべて話した。すべて話したところで、もう何か解決策が見つかるなどという期待もしていなかったが、私がさぼって何もやってなかったと思われるのが嫌で話した。このことに先生は

「殴ったやつは誰か手を挙げてみ‼」

 と言っていたが、私は

「もう、こいつらにそうやって怒ったってなにも意味なんてないんですよ。こいつらは、俺が死ねばいいって本気で思ってる奴やから。もう何を言ったって無意味なんですよ。もう俺はいじめを解決してほしいなんて思ってないですから。俺は何も、もう期待してないですから」

 そう言うと先生も怒りの矛先を収めた。とにかく私には、卒業制作を最後までやるようにと言っていたが、私は断固拒否した。そして卒業制作は、私の部分だけ未完成なまま飾られることになった。ほとんど彫られていない、色も塗られていないところが一か所存在する不格好な卒業制作となった。

 このころはユーゴスラビアのサラエボで冬季オリンピックが行われていて、日本人選手の活躍も、連日大きく報道されていたが、いじめとの戦いに明け暮れる私には正直、あまり記憶に残っていない。スピードスケートでメダルを獲得したことくらいしか覚えていないのである。普通の6年生であれば、日本人選手の活躍にワクワクドキドキしながらテレビ観戦していたんだろうと思うが、私にはそんな余裕はなかった。スポーツ観戦も楽しむ余裕がないくらい、私は精神的にギリギリなところまで追い詰められていたのは確かである。恐らく山口に引っ越すということがなければ、私は将来に絶望して自らの命を絶っていたと思う。山口に引っ越したって、明るい未来が展望できたかというと、必ずしもそうではなかったが、今は大阪に残るよりも、山口に引っ越した方がよかったのだろうと思う。

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