花瓶
二学期が始まって間もないころ、私が教室に行くと、私の席には花瓶が置いてあった。どこかで摘んできたのであろうか、花が活けてあった。自分の席に置かれている花瓶と花…。それが何を意味するのか、当時の私も知っていた。それは児童・生徒が不慮の事故や不治の病に倒れて亡くなった時に、哀悼の意味を込めてする行為だということを。正直、私の心は
「もうええわ」
という思いでいっぱいだった。心が折れてしまって、反撃する気力も、誰かに相談する気力も完全になくしてしまっていた。星田に
「もうどうでもええわ俺。死にたい…」
と漏らしたことがあった。それを聞いて星田は
「そんなん言うたらあかん。死んでええわけない。頑張れ」
と言った。星田としては精一杯励ましていてくれたのはよくわかるが
「俺、今まで懸命に頑張っていじめに耐えてきたよ。でも、もうこれ以上、何をどう頑張ればええんや」
半ば自暴自棄のような感じになって、初めて他人に
「死にたい」
と漏らしたのである。星田にそんなこと言ったって、星田自身もどうしようもなかったと思うし、何の解決にもならないというのもわかっていたのであるが、このころの私の頭の中は完全に
「死にたい」
という考えで埋め尽くされていて、
「どうせ自分が死んだって、誰も悲しむ奴なんていない」
そう思っていたのである。
そして、さらに眠れない夜が続いて、みるみる私はやつれていった。目は完全に生気を失い、生きる屍状態であった。
「どうやったら楽に死ねるんやろうか」
「今日、首を吊って死のうか」
「どこか、高いところから飛び降りようか」
そんなことが頭の中で渦巻いていた。朝起きてから、夜寝るまでの間、ずっとそんなことを考えていたのである。死ぬことしか考えられらない日々が続く。そして、とうとう私の体が悲鳴を上げた。強いストレスから眠れない日々が続いていた9月の終わりごろになって、高熱を出したのである。家の近くのかかりつけの病院に行って、診察してもらったところ、眠れないことによって疲れがたまったことが原因だということで、頓服薬が処方された。高熱で意識がもうろうとする中、なんとか家に帰りついて、母が作ってくれた消化のいいおかゆを食べて、薬を服用すると、そのあとはなんとか眠りつくことができた。目が覚めたら翌日の朝6時であった。眠れたのはずいぶん久しぶりだった。しかし、まだ完全に体調が戻ったわけではなく。完全に体力が回復するまでは、学校も塾も休むことになった。3日ほど休んだであろうか。
熱が下がって、学校に行くと
「なんでお前来たんや。そのまま死んでたらよかったのに」
「お前がおらん間、うちらは幸せやったのに。お前が来たから、またうちら不幸になるわ」
などと言う罵声を浴びせられた。私はもう、学校には来ないと思っていたのだろう。




