大阪最後の夏
そして夏休みがやってきた。1学期の終業式が終わると私と姉は山口に帰省することが決まっていたので、あいつらの顔を1か月半の間見なくて済む。いじめとの戦いに明け暮れた3か月が終わって、心からホッとできる時間が私に訪れた。山口に帰省するといことは星田や永井達には伝えてあって、1か月半大阪を離れるので、終業式が終わって昼過ぎに星田たちが遊びに来た。学校から帰ると、ゴンの散歩の時以外は外に出る機会も減っていたので、夏の強い日差しの下、思いっきり遊んだ。久しぶりに全力で遊ぶこの感覚。なんか少し懐かしい感じがした。夕方になり家に帰る時間がやってきた。星田も永井も
「気をつけて行って来いよ」
と言葉をかけてくれた。山口に帰省するので、子供会の盆踊り大会には参加できないのでが残念であったが、班長代理を近所の5年生の男の子に任せての帰省となった。
翌日、私と姉は二人でT駅から電車に乗って、途中で地下鉄に乗り換えて新大阪駅へ。梅田駅を出発して、中津駅を出ると地下から一気に高架線に駆け上がって、淀川の長い鉄橋を渡る。淀川を渡り切って、やがて新幹線の高架橋が見えてくると、新大阪駅に到着する。新大阪駅から新幹線で山口に帰省して、1年ぶりに祖父母の顔を見た。何も言わないけれど、暖かな慈愛に満ちたその柔らかな瞳から、私は
「大事なじいちゃん・ばあちゃんを悲しませてはいけない。どんなに辛くても生き抜いていかなければ」
そう思った。祖父母の澄んだ瞳を見ていると、自分の心の中に抱えてしまったもの。いじめ加害者に対する激しい憎しみや恨み、・怒りの感情。そして
「死んでしまいたい」
と思っている自分の心を見透かされてしまうそうであった。そして、山口の実家に帰ると、恒例となったまるちゃんの盛大なお出迎えが待っていた。私たちがやってくると、いつもしっぽをふりながら歓迎してくれるまるちゃん。こんな私でも歓迎してくれるまるちゃんには
「ありがとう」
という思いしかなかった。
山口の家に着くと、荷物を置いてリードをもってまるちゃんの散歩へ。1年前と変わらない風景。澄んだ空気にきれいな川の水。小川に行けば沢蟹がたくさんいて、用水路の砂を掘り起こせばたくさんとれるシジミ。山口の家の周りの風景は何も変わらないのに、私の身の回りで起こる出来事は悪い方向へと激変してしまった。散歩をしながらなぜ自分はこうなってしまったんだろう…。これが運命と言うのであれば・自分に与えられた運命だというのであれば、呪いたかった。呪ってすべてが解決するのであれば、呪い殺してしまいたかった。そんなことを考えながら家に帰ってから
「そういえば無事についたって連絡してなかったな」
と思って大阪の家に電話をした。母が電話に出た。
「今無事について、まるちゃんお散歩に行ってきたところや」
「そうなん。無事に着いてよかったわ。病気とか怪我とかせんように気をつけるんよ」
そう言って電話を切った。
山口に着いてからは、自分をいじめる奴はいなくて、午前中に宿題を済ませて、昼からは近所の子供たちと遊ぶ毎日であった。自分と年が近い子供たちと遊ぶのは、暗く沈んでいた私の心を少しでは、明るく照らし出してくれた。
「この夏休みはいつまでこっちにおるん?」
「夏休みぎりぎりまで煽るよ」
「そうなんじゃあ。じゃあいっぱい遊べるね」
「そうじゃねぇ。今度何して遊ぶ?グローブとボールを持ってきてるから、キャッチボールできるけど」
「そうなん?じゃあ、明日はキャッチボールしようか」
翌日、近所の子供たちみんなで家の近くの小学校の校庭に行ってキャッチボール。方が慣れてきたところで、バットを持ってきた子がいたので、野球のミニゲーム開始。私は一番年上ということで、バッティングピッチャーを担当。最初は皆、タイミングが合わずに三振ばかりしていたが、次第に私の投げるボールに慣れてくるとバットに当たるようになり、最後の方ではヒットをかっ飛ばすようになっていたそんなごく普通の小学6年生としての穏やかな日々が過ぎていった。昼から遊びまくって、夕方になると五右衛門ぶろの窯に火を起こして風呂を沸かして、夕食後に入浴して夕涼みがてら真っ暗な夜空を眺めながら外に出て歩く。自然に恵まれた環境の中を歩きながら星々の瞬きを見ていると、荒んだ心が浄化されていくような、そんな気がした。夏の南の空にはさそり座が広がり、地平線から白鳥座を過ぎるあたりまで、天の川がくっきりと見える。私は思い悩んだときや、苦しい時はよく夜空を眺めているが、星空を眺めていると
「大丈夫。きっと乗り越えていける」
そう言ってくれているような気がするのである。山口に帰省した時も、晴れていれば星空を眺めていた。そして夜9時過ぎになると布団の中に入って眠りについていた。しかし夜眠るときになると、幻聴のようにあいつらの下卑た笑い声が聞こえてくる。
「マジで死んだらええねん」
「お前がおらんようになったら、皆が幸せになれるんや」
そういった言葉がエンドレスで耳の奥底で響いているような気がして、目をつむれば、あいつらの鬼のような形相が浮かんでくる。山口に帰省して、あいつらとはしばらく会うこともないのに、あいつらの影におびえるような、そんな毎日であった。そして再び悪夢を見た。あいつらにぼこぼこに殴られて、蹴られて、顔は腫れ上がり、顔面から出血しているという夢であった。そして清川から渾身の一発が顔面にヒットするというところで私は飛び起きた。
「あぁ。夢だったんだ…」
夢でよかったと思う反面、夢にまで完全に支配されている現実を突きつけられて、ふと気づくと頬を涙が伝っていた。この日もうなされていたらしく、姉が心配して
「あんたさぁ。何かあったんとちゃう?ごっついうなされとったで」
と言ってきた。私は
「ちょっとな。めっちゃ怖い夢を見たんや」
そう言うと、
「ふーん。それだけやったらええんやけどな」
と言っていたが、姉も私の様子が少し変だということに気がついたのであろうか。あの血塗れになった夢は今でもはっきりと覚えている。
8月に入って私たちは海水浴に連れて行ってもらった。伯母の家が海のすぐ近くで、家から歩いて3分も歩けば海水浴場と言うところに住んでいるので、車で叔父に送ってもらって、私と姉と従兄弟の4人で海水浴を楽しんだ。ゴーグルをつけて泳いだり、泳ぎ疲れたら浜辺でジュースを飲みながら休んだり、近くに
ある干潟でアサリをとったり。海に来なければ楽しめない遊びを満喫して、一日体を動かして、帰りの車の中では遊び疲れて眠っていた。
家に帰ったらまるちゃんの散歩。いつものコースを30分ほどかけて歩いて帰ると、夕食ができていた。山口の実家の夕食は、農業が仕事ということもあって、朝早いので、それに合わせて夕食も早く、皆早く寝るので、私たちも朝早く起きて、夜は早く寝るのである。
夕食が済んだら祖母と一緒に風呂を沸かすため、五右衛門ぶろの窯に薪を入れていく。まずは燃えやすい小枝を敷き詰めて、少しずつ大きな薪を入れ行く。薪の焼けるいい香りがして、時々ぱちぱちと言う音を響かせながら燃えていく。風呂が沸いた後は大きな木炭は冬に火鉢として使うため、大事にとっておく。そして灰は肥料として土に混ぜて使うのである。冬のために残される木炭を見ながら
「今度冬がやってくるとき、俺は生きているんだろうか…」
ひょっとしたら、あまりに激しいいじめに耐えかねて、自殺しているかもしれない。
そんな思いが頭の中を駆け巡る。そんなネガティブな考えしか頭の中に思い浮かばないのである。せっかくの夏休み。真夏の太陽のように心身とも元気に過ごせたらいいのであるが、この夏休みだけは、夏を楽しむという気にはなれなかった。
やがて、盆連休に入って両親と妹がやってきた。妹も保育園に通いだしてからだいぶしっかりしてきていて、保育園ではやっている遊びなどを祖父母に話していた。姉は男勝りな性格であったが、妹はままごとなどで遊んでいたようである。保育園に通う園児の中に、妹と仲のいい男の子がいて
「私ねぇ、○○君と結婚するんよ~」
などと話していた。保育園児とはいえ、妹の結婚宣言に父はかなり焦っていたのではないかと思う。妹は末っ子ということで、時にかわいがってもらっていたから、父としても複雑な心境だったかもしれない。妹のウェディング姿…。私は生きてみることができるのかなぁ…。そう思いながら結婚宣言を聞いていた。
そして妹がついたその日の夕食は回転ずしに行くことになった。一番近い回転ずしに行って、軍艦巻きや握りなど、いろいろと食べてお腹いっぱいになって家に帰った。帰宅するとまずは風呂を沸かして、着いたばかりの妹や両親が先に入って、それから私たちが入って、風呂から上がると叔父が花火を買ってきてくれていたので、家の近くを流れる川の橋の上で花火大会。線香花火や打ち上げ花火などいろいろと種類があるので、特に妹は楽しんでいた。ただ、ねずみ花火はかなりビビっていたが。そして花火が終わると、両親や妹は疲れていたのであろう、すぐに眠りについて、私も一緒に寝た。その日は渡部たちにぼこぼこに殴られる夢や、蹴り倒される夢を見ることはなかった。久しぶりに落ち着いた夜を迎えることができた。こんな平穏な日がずっと続いてくれたらいいのに…。そんなことを思っていた。
お盆休みに入って、晋兄ちゃんが家に遊びに来た。そして私を見るなり、
「お前、何かやつれたんじゃないか?」
と言っていた。私が、今置かれている状況を見透かされているような気がして、咄嗟に
「別に何ともないけどなぁ」
そう言ってごまかしたが、晋兄ちゃんには何か、私に異変が起きていると思ったのかもしれない。
晋兄ちゃんが遊びに来て、家の前で釣りをしようということになって、近くの竹林から竹を切り取ってきて、竹竿を作って、近所の雑貨屋さんで釣り糸とウキと錘を買ってきて、即席の釣竿を作って、家のすぐ近くの橋に行って、釣り糸を垂らして、たくさんいるウグイを狙う。エサはご飯粒。ウグイは雑食性なので、ご飯粒でも食いつくのである。釣り糸を垂らして数分。いきなり強い引きが伝わってきて。急いで竿をあげると、30センチくらいはあるウグイが釣れた。もちろん釣ったウグイを食べるわけではないのであるが、山口の家の裏には池があって、そこに話してやるのである。合計10匹ほどを池に放したであろうか。ウグイは池に放してやると勢いよく泳ぎだした。
釣りが終わって、次は何して遊ぼうかということになって、晋兄ちゃんが
「俺のアパートに来い」
と言うので、姉と二人で駅近くの晋兄ちゃんと伯母が暮らすアパートに行くことのいなった。1年ぶりに叔母と再会し、伯母は
「あれまぁ。二人とも大きくなったねぇ」
と私たちの成長に驚いていた。家に着いて
「今夜は花火をしよう」
って話になって、私たちは晋兄ちゃんと一緒に駅前のお店で花火を買った。夜の帳が降りると、アパートの前の少し広くなったところで花火開始。打ち上げ花火が勢いよく空に向かって飛んでいく。手持ちの花火もいろいろ色が変わって綺麗で、しばらくの間、夏の夜を満喫して、つらいことや苦しいことをしばし忘れさせてくれた。そして、その夜、ふと姉が
「あんた、何か辛いことがあるんとちゃう?」
と私に問いかけてきた。
「なんか、ここ最近あんたの笑ってる顔見てないから、学校で何かあったんとちゃう?」
と言うのである。笑顔…。確かに6年生に進級してからは、学校で辛いことばかりで、心の底から笑うということを忘れていた。それが顔の表情に表れていたのかもしれない。いつも顔を合わせる姉だからこそ、何か私が危機的な状況に追い込まれつつあるという風に感じていたのかもしれない。姉が感づくくらいであるから、私の両親もないかおかしいと感じ取っていたのではないかと思う。今になって思えば、私は正直に、自分が置かれている状況・自分が学校でされていることを話すのを待っていたのかもしれない。
私は姉の問いかけに
「別に何ともないよ。大丈夫やから」
そう伝えたが、大丈夫と言っては見たものの、全然大丈夫じゃない状況に置かれていることに変わりはなかった。ただ、姉もそれ以上聞いてくることはなかった。そして私たちは布団に入ったのであるが、晋兄ちゃん言われたこと・姉に言われたことが頭の中を駆け回って、。なかなか眠れないでいた。
「ひょっとしたら、皆俺が今置かれている状況を知っているんじゃないか」
そんなことが頭の中に浮かんでは消えていった。眠れない中、電車の音を聞きながら布団の中で起きていた。晋兄ちゃんの住むアパートは線路がすぐ近くにあったので、最終電車が出発した後も、時折貨物列車や寝台列車が轟音を響かせながら通過していくのが聞こえる。
「今通過した列車はどこに行くんだろう」
そんなことを考えていた。そして眠れないまま朝を迎えて、一番列車が出発していった。晋兄ちゃんの家で朝食を済ませた後、母の実家に戻った。実家に戻ると再びまるちゃんからの熱烈な歓迎をうけた。
「1日離れていただけなのになぁ」
そう思いながらも、まるちゃんの熱烈な歓迎は嬉しかった。朝の散歩はまだ行ってないということで、さっそくリードをもってまるちゃんの散歩へ。そのあとは夏休みの宿題をして、日記も書いてそのほか漢字ドリルや計算ドリルも済ませて、お昼からは妹も交えて遊んだ。沢蟹を捕まえて遊んだのであるが、妹は沢蟹に指を挟まれて
「痛い」。
と泣き出したり、やぶ蚊に刺されて痒いと言ったり。姉はさすがに中学生になっていたので、あまり川に降りて蟹を捕まえるなどということはしなかったが、姉は姉で夏を楽しんでいたようである。
妹と一緒に捕まえた沢蟹を持って帰るわけにはいかないので、その場で逃がしてやって、家になって横になっていたら。昨夜眠れなかった影響からか、眠くなってきて、いつの間にか眠っていた。
そんな山口の生活から大阪に戻る日がやってきた。両親はお盆休みが終わる前に帰っていって、私たちは夏休みの終わりに帰ったのである。大阪での生活が再び始まって、
「あと少しで、再び学校が始まるのか…」
そう思うと私の気分は、重く暗く沈んでいたその一方で
「夏休みが終わったら、ひょっとしたらいじめのターゲットじゃなくなっているのかもしれない。クラスもいい方に変わっているかもしれない」
そんな淡い期待も少しではあるが抱いていたが、それは始業式で木っ端みじんに吹き飛ばされることになる。




