自分の心の閉じこもり
その日は給食が食べられなくて、昼を過ぎると体がズシーンと重たくて、明かに集中力を欠いていたと思う。授業で発言を求められても、全然授業の内容が頭に入ってこず、ぼーっとしていたような記憶がある。当然給食を食べられなかったので、家に帰ったら猛烈な空腹を感じていた。今の自分ならお腹が空いたと思ったら、近所のスーパーまで行って何か買ってくるか、自分で家にあるもので適当に作ることもできるが、小学生の乏しい小遣いでは何か買ってくるということもできず、危ないということで、ガスコンロを使わせてもらうのも、親がいるとき限定だったので、母が妹を保育園から連れ帰って、夕食ができるまではひたすら我慢するしかなかった。やがて母が帰ってきて、夕食を作る支度をして、夜に父が帰ってきてから食事。ご飯が空っぽになった胃にゆっくりと落ちていく。この日はいつもより多めに食べたんじゃないかと思う。
そして夕食が終わって、姉が
「もう学校辞めたい」
と言い出した。やはり姉の通っているK中学校では、授業の妨害が相次ぎ、授業が成り立たないのだという。姉は学校で真面目に勉強したいだけなのであるが、度重なる授業の妨害により、まったく勉強がはかどらないと嘆いていた。姉は中学校に入学してから、そろばん塾をやめて学習塾に通っていたが、学校での授業が成り立たないため、学習塾の勉強にも影響が出ているそうで、ほかの中学校に通っている生徒と比べても、勉強の習熟度が遅れていたのだそうである。姉としてはもっと勉強できる環境に身を置きたいという思いが強かったのだろう。
その一方で、私は私でいじめとの戦いに明け暮れるようになって、だんだん自分の殻に閉じこもるようになっていって、家にいるときでさえ、自分の部屋に閉じこもって、なかなか出てこないという日が増えていった。部屋の中で何をしていたかと言うと、せめて勉強だけはいじめ加害者に負けたくないという思いもあって、教科書や百科事典を持ち出しては、予習・復習したり、何もする気が起きないときはラジオを聴いたりして、家族とも顔を合わせる時間が減っていった。一人きりになりたかったのである。しかしそんなことは妹はお構いなしで、
「お兄ちゃん遊んで~」
とか言いながら私の部屋にもよく入ってきていた。妹を無視するわけにもいかず、
「じゃあ、ゴンの散歩にでも行くか?」
と誘うと
「うん。一緒に行く~」
と言って、このころになると、ゴンの散歩に一緒についてきていた。途中近所の人にあうと
「ちーちゃん、今日はお兄ちゃんと一緒に散歩か~」
と言われると、天真爛漫な笑顔を見せながら
「そうやねん。これから一緒に行ってくるわ~」
と言って、近所の人も
「気を付けてね」
などと言ってくれて、そのあとも妹のペースに合わせて歩いていく。途中で歩き疲れて妹が
「お兄ちゃんおんぶ~」
と言われたときはどうしようかとも思った。ゴンのリードを持ちながら、その上妹をおんぶするなど無理であった。そのため
「お兄ちゃんはゴンもつれてるし、ちーちゃんまでおんぶはできんよ。家まで休憩しながら、歩いて帰ろう」
そう言い聞かせて、散歩を終えて帰って、しばらくすると夕食ができている。母の作る料理はいつも手作りで、既製品だけで済ませるというのは、母の体調が悪い時か、何か用事があって料理をするのが遅くなった時くらいであった。なので私はいつも母の作ってくれた料理をゆっくり味わって食べていた。母が愛情込めて作ってくれた料理をあっという間に食べてしまうのがもったいないような気がしていたからである。夕食でお腹がいっぱいになったとき、それは私がいじめの苦しみから少しだけ心が解放される時間であった。夕食が済むと、このころの私はあまりテレビも観なくなっていた。私のこのころの主な情報源はラジオで、ラジオを聴きながら自分一人の部屋に閉じこもって、ニュースやスポーツ中継を聴いていた。特に私が応援している阪神タイガースの中継は欠かさず聴いていた。そして夜10時前には眠りについていたのであるが、このころの私はうまく眠ることができなくなっていた。朝が来ると体が鉛のように重たい状態が続いていた。疲れが抜けずに、前日の疲れを引きずったまま学校に行って、授業中に眠気に襲われるということが増えていった。恐らくいじめによるつよストレスが原因で睡眠障害にかかっていたのかもしれない。
7月のそんなある日、私は授業中に眠気に襲われて、居眠りをしていたらしく、楢崎先生から起こされて、
「リンダ、この頃授業中に居眠りしてることが多いけど、夜寝てないんとちゃうか?」
と言われた。私は
「夜になっても熟睡できひんのです。眠れないまま朝が来てしまうんです」
そう話すと、保健室で休むように勧められた。
保健室で永田先生から
「リンダ君どないしたん?」
と聞かれたので
「夜、なかなか寝られへんのです。昨夜もほとんど寝てないんです」
と話すと
「何か心配なことでもあるん?」
と聞かれたが、いじめのことには触れずに
「別にないです…」
と答えると、永田先生は
「何かあったらいつでもここに来なさい。楢崎先生にも言いにくいことやったら、先生が聞いてあげるから」
そう言ってくれた。でも最後までいじめのことは言えなかった。自分がいじめられているということを永田先生に話すと、楢崎先生の耳に入ってしまい、それが原因で復讐されるのが怖かったからである。保健室で2時間ほどベッドに横になっていると、少しの間ではあるが眠ることができた。多少疲れも回復したので、永田先生にお礼を言って、教室に戻った。教室に帰って昼休み。清川が
「テメェー。保健室で余計なこと喋ってねぇやろうな。余計なこと喋っとったら、ただじゃ済まさんからな」
と凄んできた。それに口を合わせるように浜山や天田が
「お前、なんで戻ってきたんや?このまま消えてしまえや」
そう言ってきた。もう私には言い返す気力さえも残されていなかった。
「あぁ。わかったよ。そのうちおまえらの目の前から消えてやるよ」
そう思っていた。このころから朧気ではあるが「死」と言うものを意識し始めていた。これ以上生きていたってなにもいいことなんてない。ならばいっそのこと死んでしまいたい…。そう思い始めていたのである。ただ、この時はもう少ししたら夏休みが控えていて、1か月半の間、学校に来なくてもいい日がやってくる。
「夏休みまで頑張れば…。」
そう自分に言い聞かせて、学校に通っていた。




