体育館閉じ込め事件
殺される夢を見て、その日は何か不吉な予感がしていた私であるが、その不吉な予感は現実のものと化していく。私が学校に行ったら、罵声や罵倒を浴びるのは、もはやこの6年4組ではそれが当たり前のようになっていて、このころでは、いじめをやめさせようとするよりも、いじめを加える・煽る方が多数派となっていた。私がやったことではないことでも、何かクラスに問題が発生した場合は、その責任を負わされるということもあったが、その悪夢を見た日は何があったのかと言うと、その日は先生が何か急用で午前中の授業が自由時間となり、体育の授業では、体育館で皆でドッジボールをしていて、休憩時間を告げるチャイムが鳴り響き、片付けをしていたのであるが、いじめ加害者といじめを煽ってる奴らが打ち合わせをして、私を体育館に閉じ込めるということを考えていたらしく、私が片付けをしている間にみんなが一斉に体育館から外に出て、体育館出入り口の鍵が閉められた。出入り口から出られなくなった私はあわてて側扉から出ようとしたが、そこもすべて鍵が閉められていた。先生は昼過ぎにならないと学校には帰ってこない。私が閉じ込められたということを伝えようにも、他のクラスの先生も、他の学年の先生もやってこない。この時期、閉め切った体育館は蒸し風呂のようで、最悪脱水症状を引き起こしかねない、非常に危険な状態に追い込まれた。
今の時代であれば、スマホがあれば外部との連絡も可能であるが、1983年当時の世の中にそんなものがあるわけなく、私は完全に閉じ込められた。ようやく通りかかった他の学年の先生に助けを求めてどうにか外に出られたのであるが、この先生が教室にやってきて、私が体育館に閉じ込められた理由について、クラス全員に問いただした。渡部が
「リンダ君がまだ中にいるとは思ってもみませんでした」
「リンダ君はもう外に出ていると思って鍵を閉めてしまいました。ごめんなさい」
などと言って、
「決してわざと鍵を閉めて、閉じ込めたのではない」
ということをアピールするので、その先生もいじめについて疑うこともなく、教室を出ていって、その後楢崎先生に報告することもなかったようである。しかし、私は渡部たちの悪意を感じ取っていた。決して故意にやったことではない。最初から先生のいない時を狙ってこういうことをしてやろうと考えていたのはわかっていた。そして、先生のいない教室は”無法地帯”と化していた。先生は自習するようにと言っていたのであるが、自習しているのはごくわずか。私は自分の席で歴史の予習をしていて、教科書を開いては、大切なところをノートに書き写していた。そのノートが突然強引に取り払われた。私が顔をあげるとそこには中井と浜山が立っていた。
「あんたさぁ。なんで出てきたん。あのまま閉じ込められてたらよかったのに」
「お前まだわかれへんの?このクラスにおまえは必要ないねん。お前みたいな奴は生きてく価値なんかないねん。ほんま頼むからさっさとうちらの前から消えてくれへんか?」
そして、取り上げたノートで思いっきり私の頭をひっぱたいた。それから授業が終わるまでの間、散々罵声を浴びせ続けられた。そして給食の時間。私も並んで給食を受け取ろうと思ったのであるが、湯川が
「お前に食わせる給食なんかないねん。さっさと自分の席に戻れや」
そう言い放つと、いじめを煽ってる奴らが
「お前が食ったら、俺たちのおかわりがなくなるやろ。お前食うなや」
と、湯川の言うことに賛同し始めた。結局この日は私は給食にありつけなかった。星田や今田たちが
「俺たちのぶん、食べるか?」
と言ってきてくれたのであるが、そういう風に言われる自分が情けなくて、言い返せなくて相手の言いなりにしかなれない自分が悔しくて。気が付いたら涙が頬を伝っていた。そして私は人目もはばからず泣いた。なんで自分だけこんな目にあわなければならないんだろう…。自分は何が楽しくて学校に来ているんだろう…。いじめられるのをわかっていて、なぜ無理して学校に来てるんだろう…。俺の人権て何なんだろう…。そんな思いが波のように繰り返し私の心の中に押し寄せては消えていった。自分は先生が教室にいなければ、給食を食べることさせ許されない人間なのか…。




