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結婚式

 翌日、朝起きてまずは、すぐに朝食を済ませた後、髪の毛セットをしてもらいに、家のすぐ前にある理髪店に行ってきた。理髪店のおばさんに

「今日、結婚式があるのでお願いします」

 と話をすると

「あらぁ。それはおめでたい事じゃね。誰の結婚式?」

「えぇ、私の結婚式なんです。今日の昼から結婚式が行われますので、セットをお願いします」

「そうなんじゃ。おめでとうございます。じゃあ明日からは新居に住むの?」

「はい、家の近くにアパートを借りることができたので、そこに住みます」

 などと話をしながらも、おばさんはてきぱきと私の髪にはさみを入れて、髪形を整えていく。そして、開店一番でお店に行ったので、10時前にはセットが終わって家に帰ると、大阪の親戚がみんな家に集まていた。そして皆口々に

「おめでとう。これであんたも所帯を持つようになったんかぁ。小さい頃はよう遊びに来てたよなぁ。あんな小さかった子がこんな立派な大人になるんやからなぁ。私達も歳を取るはずやわ」

 などと言っていた。やがて結婚式会場に行く時間が来て、私は自分の車で会場入りして、やがて皆も集まってきて、正午に結婚式が始まった。私達とさと子の親戚一同が対面形式で座って、それぞれ親族紹介を行って、やがて神職が祝詞を挙げて、結婚指輪を互いにはめて、誓いの儀式なども滞りなく終わって、やれやれという感じがしていた。姉が言っていたが、やはりけっこう緊張するものである。私も姉が結婚するときに、どのような流れで結婚式が行われるのか、大体は知っていたが、いざ自分がその結婚式の当事者になると、全く違うものである。結婚式が終わってからは、結婚写真の撮影が行われて、カメラマンには、私たちが山口に引っ越ししてからの付き合いであるカメラ屋さんのおじさんに頼んで、何枚か写して、後日現像してもらったのを見せてもらった。この当時はまだ、デジカメが一般には普及しておらず、まだまだ銀塩写真が主流だった時代である。なのでなかなか取り直しというのができないため、カメラ屋さんのおじさんも緊張したのではないかと思う。

 その結婚写真の撮影も終わって、披露宴会場にうつって、披露宴が執り行われた。 司会者の

「新郎新婦の入場です」

 というアナウンスを合図に私たちが入場した。キャンドルサービスで、各テーブルを回って、キャンドルに火を灯していく。やがて私の両親と姉夫婦、妹が座っているところにやってきた。母が

「あんたは本当に辛い思いをこれまでしてきたんじゃから、幸せにならんといけんよ」

 そう話していた。父も口には出さなかったが、結婚式を挙げた私達のことを喜びの眼差しで見つめているのが見て取れた。

 そしてさと子の親戚一同のところにやってきた。小野田の叔母さんには、さと子の両親の遺影を持ってもらっていた。私は、もしさと子の両親が生きていたら、きっとこの日を夢見ていたんじゃないかと思ったのである。さと子は遺影を家から持ち出すのには消極的だったが、私が

「自分の娘の晴れの姿を見たくない親がどこの世界におるよ。きっと両親も喜んでくれているんじゃないのか。晴れの姿を見せてやれ」

 そう言って、さと子に話をして、遺影を持ってきてもらったのである。

 そのキャンドルサービスが終わって、私たちは壇上に上がって、披露宴の進行を見ることになる。仲人を担当してもらった高校の時の先生にお祝いの言葉を頂いた後、職場の上司や、友人代表のスピーチが行われて、やがて会食の時間となった。姉夫婦が言っていたが、会食の時間になっても食べる暇がなく、本当目まぐるしく時間が過ぎていった。

 やがて花束贈呈にうつり、奏兄ちゃんの子供二人に花束を贈呈してもらった。そして、私たち二人がそれぞれ集まって、皆そして両親に対して感謝の口上を述べる時間になった。人前でしゃべることは、私はあまり得意ではないのであるが、ふぅーっと深く深呼吸をして緊張をほぐした後、今日、この場に集まってもらった先生方や、職場の上司や同僚、大阪や高校時代からの付き合いである山口の友人、そして両親に対して感謝の言葉を述べて、いよいよ私たちが披露宴会場を後にする時間となった。この披露宴の最後を飾る曲に選んだのが杉山清貴さんのヒット曲、僕の腕の中で。この選曲にはこれから二人で大きく羽ばたいて行こうという思いを込めていた。

 こうして披露宴が終わって、私たちは着替えを済ませて、会場を後にして、これから二人が暮らすアパートに向かって、一息ついた後時間を見計らって、改めて来ていただいた皆に挨拶をして回って、結婚式から一連の儀式は終わった。怒涛の如く過ぎていった一日で、二人で

「はぁ、疲れた~」

 と言って、その日は夕食を作るのもしんどいということで、アパートの近くのレストランに出かけて夕食を済ませた。

 そして風呂に入ってさっぱりした後、アパートに住んでいる人たちに挨拶をして回って、翌日から新婚旅行に出かけるため、準備に抜けがないか最終確認をして、その日はそのまま眠りについた私達である。

 こうしてこれから13年近くに及ぶ、結婚生活が始まったのである。まだこの時は、二度目の地獄を見るようになるとは夢にも思ってなかった私なのであった。



 これで大富豪ゲーム第一幕は終わります。いじめとその後遺症に悩まされながらも、どうにか自分を奮い立たせ、ようやく人並みに結婚式を挙げて、所帯を持てるようになった私ですが、これはのちの悪夢の第二章の幕開けにしか過ぎなくて、上の子は知的障害を併せ持つ自閉症児・さと子は新興宗教に狂って家庭は崩壊し、私はメンタルに重大な問題を抱えることとなり、生きる屍のような毎日を過ごしてました。仕事に行ってる間はさと子のことを

「殺してやりたい」

 とか、許されるものならば

「徹底的に殴り殺してやりたい」

 とかも思わずに済んでましたが、家で寝るときや、一人で車を運転してる時などは、常にそのようなことを考えていましたし、

「死にたい」

 って毎日思うようになって、両親や私の姉や妹も

「このままでは取り返しのつかないことになる」

 といって、メンタルクリニックを受診することを強く勧められて、メンタルクリニックに通院するようになって、今に至っていますが、睡眠障害とメンタルの不調はずっと続いていて、おそらくもう、元に戻ることはないでしょう。本当に時間を戻せるのならば、この1997年3月30日に戻って、さと子との結婚を取り消したいって思います。

 

 この後の私の人生がどのようなものなのか、引き続き皆さんにお付き合いいただけたらと思います。果たして大富豪ゲーム第二幕で、私は勝ったのでしょうか?それとも負けたのでしょうか。皆さんに考えていただけたらと思います。


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