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さと子という女

 文化祭での演奏する曲を決めるまでの暫くの間は、課題曲を決めて、楽譜を取り寄せて練習に励んでいた。その曲が、ジャズを代表する名曲、イン・ザ・ムードであった。この曲はのりが良くて覚えやすい半面、ミスをするとかなり目立ってしまう曲なので、けっこう最初は緊張しながらの練習であった。その練習も回を重ねるごとに慣れて行って、楽譜を見なくても暗譜で演奏できるようになっていた。そして、そんな練習が終わった土曜日の夜、清田とまりちゃんから、私に合わせたい人がいると告げられた。

「俺に合わせたい人物って、一体誰だよ…?」

 そう思いながらも、市の郊外にあるファミレスまで、清田の運転する車のあとをついて行った。この時、清田とまりちゃんは付き合い始めており、なんでもまりちゃんが仕事をしている個人病院に勤務するナースという事であった。一体どんな女性なのか、私は全く見当がつかないまま、案内された席に座った。そのファミレスは、まりちゃんが勤める病院のすぐ近くにあって、その私に合わせたいという女性が、私が座って待っているとまりちゃん・清田と一緒にやってきた。ちょっと小太りな感じの、私より2歳年下(学年で言うと3学年下)の、さと子と名乗る女性を紹介された。産まれは県北部で、高校を卒業して看護学校に入学して、その当時は準看として働いていた。

 そのさと子という女は私を見るなり

「初めまして。さと子と言います」

「こちらこそ初めまして。私はリンダと言います」

「随分と背が高いんですね。何センチあるんですか?」

 と聞いてきたので、私は

「183センチあります」

「すごいスリムな体系ですけど、何か運動とか、していますか?」

「今はこれと言った運動はしてないですけど、仕事がめっちゃハードなので、仕事で鍛えられています」

「どんなお仕事されているんですか?」

「大手の工場で○○の仕事をしています」

「かなり専門的な仕事なんですか?」

「そうですね、私の仕事は専門的な知識と、技術が必要ですね」

「あの、いきなり失礼なことをお聞きしますが、今までお付き合いした女性っていますか?」

「好きになった人はいましたけど、恋人として付き合ったことはないですね」

「どういう女性がタイプなんですか?」

「ウーン。スポーツ選手で言うと、女子バレーの中山選手のような女性がいいなと思います」

「具体的にどんな感じなんですか?」

「中山選手というのは、バレーの選手の中では身長が低いんですが、その身長の低さにもめげずに頑張って、日本代表の要として活躍している姿に勇気づけられてます」

「そうなんですね」

「さと子さんは準看だと聞きましたが、具体的にどのような職務についておられるんですか?」

「私は、まだこちらに採用されてまだ日が浅いので、受付などの仕事をしていて、注射を打つ練習をしているところです」

「じゃあ、これからまだまだ覚えることがたくさんあるってことですね。これからが大変ですね」

 などと言ったことを話して、最後に家の電話番号を教えてほしいという事だったので、このころまだ、私は携帯電話や、PHSを持っていなかったので、家の電話番号を教えて、その日は家に帰った。印象としては

「ナースにしてはちょっと太っているな」

 という感じであった。この時はまだ好きとか嫌いとか、タイプとかタイプじゃないとか、そういった印象は持ってなくて、何度か会って話をしてみれば、相手の人となりが解るだろうくらいにしか考えてなかった。そして、翌日、私が家でくつろいでいると、19時ごろ電話があった。母が電話に出て

「さと子って人から電話がかかってきているけど、一体誰?」

 と母が聞くので

「清田と清田の彼女から昨日紹介を受けた女性」

 と話すと、

「変な人じゃないじゃろうね。怪しかったらすぐに電話を切りなさいよ」

「まぁ、怪しいかどうか、昨日会ったばかりじゃからまだ何とも言えんね」

 そう言って電話をかわった。なんでも仕事の悩みを聞いて欲しいというものであった。昨日会ったファミレスで待っているという事だったので、家族に

「ちょっと出かけてくるわ」

 そう言って、車を走らせて、15分ほどでファミレスに着いた。そこにはさと子がすでにやってきていて、私を待っている状態であった。

「いきなり昨日会ったばかりで、呼び出してすいません。でも、どうしても仕事の悩みを聞いていただきたくて」

「まぁ、俺で解決できることであれば、別にかまいませんが…」

 そういうと、彼女が職場での人間関係に悩んでいるという事で相談があった。なんでも彼女にきつく当たる先輩ナースがいるということで、そのことで悩んでいるという事であった。そして、詳しく話を聞いてみると、彼女は4月に今の病院に採用されたという事であったが、住み込みで働いていて、普段は仕事が終わったら、自室で過ごしているという事だそうである。一番年が下ということで、病院内の戸締りや清掃、医療機器の片付けなどを押し付けられる。仕事を習っているが、きつい口調で言われる。正直辛いからやめたいという事であった。まぁ、私の経験から言わせてもらえば

「ちょっと甘えているんじゃないか」

 と思ったので、私は

「俺は今、工場の中で工業製品を作る仕事をしているけど、よその人は、工場の中に入っていく俺らを見て何と思うか。周りの人たちは俺らを、その製品を作るプロとして見ている。そこに勤める人は、仕事を覚えて1日目だろうが、10年目だろうがそんなの関係なし。仕事を始めて1日目の社員が作ったから、すぐに故障する製品ができました。そういう言い訳は一切通用しない。だから仕事を教える方も一生懸命だし、覚える方も、先輩から習うことを全力で覚えていかないといけない。ナースの仕事も同じで、患者さんにとっては、あなたを看護のプロとしてしかあなたを見ていない。だから、その先輩は医療事故やミスがあってはならないから、厳しく教えるのであって、それはどこの職場であろうと、どんな仕事であろうと一緒。あなたはまだ下積みなんだから、そういう雑用もやって当然の話」

 と、私の経験談を交えて話をすると、私から同情してもらえると思っていたのだと思うが、私からは社会人の先輩として、かなり厳しい言葉が投げかけられたので、後になってまりちゃんに

「リンダさんにはかなり厳しいことを言われた」

 と話していたそうである。吹奏楽の練習の合間に清田も

「ちょっと厳しく言い過ぎたんじゃないんか。まだ新米なんじゃから、もっと優しく言ってやればよかったのに」

 と言っていたが、私は下手に同情するよりも、社会人として、ナースとして何を求められているのか、はっきり自覚させた方がいいと思ったので、厳しい言葉を言ったのであるが、それで私のことを気に入らないというのであれば、付き合ってくれなくても別にかまわないと思っていた。そしてしばらくしてさと子から電話があって

「もう少し頑張ってみます。この前は愚痴を言ってすいません。これで私のこと嫌いにならないでください」

 そう言って、先輩ナースともなんとかやっていこうという意思を示したので、これでよかったんじゃないかと思った私である。そして、さと子から

「今度の日曜日、どこかに出かけませんか」

 と誘いを受けたので、私も特に用事もなかったので、出かける約束をして電話を切った。ただ一つ、私はあまりテーマパークとか、レジャー施設に行くよりも、普段工場内で機械に囲まれて仕事をしているので、私が車を運転してどこかに出かけるときは、自然が豊かなところに出かけることが多いので、歩きやすい靴と服装で来るように伝えておいた。

 さと子も私のことについてあれこれ、まりちゃんから聞いていたようで、歩くことも多いから、疲れないような、動きやすい靴と服装で出かけた方がいいというアドバイスを受けていたようである。

 そしてそんな7月の終わりの日曜日。待ち合わせの場所まで車で迎えに行って、彼女と合流して向かったのが長門峡。ここは阿武川の流れが刻んだ峡谷の風景を楽しむことができる所で、川のせせらぎを聴きながらちょっとしたウォーキングにはもってこいの場所であった。その長門峡入り口の駐車場に車を停めて、峡谷の奥深くに入り込んでいくのであるが、峡谷沿いの道を1キロくらい歩いたところで、彼女が

「疲れた」

 と言い出した。私は

「はぁ?まだほんの少ししか歩いてねぇのに、もう疲れたかよ。一体普段どんな運動してるんだよ」

 そう思いながら、彼女に

「じゃあ、少し休もうか」

 そう言って、道沿いに設置されているベンチに腰掛けて駐車場で買っておいたジュースを飲んだ。

「リンダさんは、普段からこうやってよく歩くんですか?」

「俺?俺は仕事で一日中歩きっぱなしで、大体1日10キロくらいは歩いていると思うよ」

「そんなに歩くんですか?すごいですね。休みの日はこういうところによく出かけるんですか?」

「まぁね。普段仕事で機械の騒音を聴きながら仕事しているから、休みの日は自然の音を聴いていたいからね」

「そうなんですね。私は普段からあまり運動しないから、正直歩くのがちょっとしんどくて」

「看護婦って体力勝負の仕事でしょ?だったら休みの日くらいは何らかの運動をした方がいいと思うよ」

「私って運動音痴だから…」

「ただ歩くだけでしょ?歩くのに特別な技術とか必要ないと思うけど?」

「そうですよねぇ…。私、太っているから運動したほうがいいと思うんですけど、ちょっと体を動かしただけでもしんどくて」

「だったらなおさら、体力つけないといけないんじゃない?少し歩いただけで疲れるようじゃ、仕事にも影響が出ると思うよ」

 そんな話をしていたのであるが、もう歩きたくないというオーラを感じたので、車を停めたところまで引き返すことにした。

 駐車場に戻って道の駅で昼食を済ませたあと、まだ帰るには早すぎるので、どこに行こうかって言う事になって、秋吉台に行ってみようということで、秋吉台カルストロードに向かって車を走らせた。久しぶりに訪れた秋吉台は、夏の強い日差しを受けて深い緑に包まれていた。ここは標高が高いため、涼しく心地よい風が吹き抜けていく。秋吉台の駐車場に車を停めて、しばらくの間高原を吹き抜ける風に吹かれていた。そこで持ち寄った飲み物やおやつを食べながらしばらく時間を過ごした後、さと子が私に

「なぜこのような自然が多いところばかり行くのか?」

 という疑問をぶつけてきた。私は普段、工場の中で非常に騒々しい中で仕事をしているので、休みの日ぐらいは静かな自然の音が溢れる所で過ごしたいという思いが強いので、それで、テーパパークや遊園地と言ったところよりも、自然が豊かなところや、歴史的建造物が立ち並ぶ街並みなど、静かで落ち着いたところをよくドライブしているのであるが、そのためにはどうしても歩く距離が長くなる。歩きやすい靴を履いてくるように伝えたのはそのためであるということを伝えたが、彼女としては、テーマパークなどのアトラクションでキャーキャー言いながら絶叫マシーンなどに乗ったりすることが思い描いていたデートだったそうで、後日、まりちゃんからは結構歩き疲れたと言っていたと聞いた。テーマパークに行ったって、結局歩かなければならないので、同じことだと思うのであるが。

 夕方になってそろそろ帰らなければならない時間になったので、待ち合わせたところまで連れて帰って、私は家に帰った。デートっていうのは私自身、それまで彼女とか、恋人とかいなかったので、よくわかってなかったが、まぁ、車の運転中は他愛のないおしゃべりをしたり、目的地に着いたら一緒に歩いたり、そんなものだろうと思っていたのであるが、果たしてこれから彼女がどういう風に出てくるのか、わからなかった。私自身は正直、まださと子のことについてまだわからないことがたくさんあったので、付き合うかどうかはまだ判然としなかった。

 そして翌日、いつものように朝仕事に向かうため車を走らせていたら、彼女が勤める病院の前を通るのであるが、7時前に通ると彼女が病院の玄関の掃き掃除をしていた。私が通るのに気が付いたさと子は、私に向かって手をふっていたのであるが、この時すでに、さと子は私と付き合ってみるということを決めていたようである。そして、その週のOB・OGバンドの練習のため土曜日の夜、学校に向かって車を走らせて、吹奏楽部の部室の鍵を開けて、楽器の用意をしていると、清田とまりちゃんが一緒にやってきた。なんでも、さと子が私と付き合いたいと言っているようである。そう告げて清田が

「お前はどうなんじゃ?さと子さんと付き合ってみる気あるんか?」

 と聞いてきたので、私は

「正直まだ相手のことを知らんことが多いので、一回デートしたからって付き合うかどうか決めるのは早すぎるんじゃね?」

 そういうと、清田は

「やっぱりお前は石橋どころか、鉄橋でも叩いて渡るくらい、慎重なんじゃな」

 そりゃそうであろう。一対一で付き合うって言う事は、見方を変えれば、一生付き合っていくことになるかもしれない相手であるという事である、そう簡単に

「付き合ってください」

 と言われたからと言って

「はいそうですか。わかりました」

 と言えるはずなどない。そしてまりちゃんからさと子の伝言として

「吹奏楽の練習が終わったら、この前のファミレスで一緒にお茶でも飲まないか」

 って言っていたよ。と聞いたので、貴ちゃんには練習が終わった後

「今日はちょっと寄るところがあるから、先に帰るわ」

 と告げて、貴ちゃんの家には寄らずに、そのまま彼女の病院の近くのファミレスに向かった私である。

 ファミレスに着いて、彼女の病院の教えられた番号に電話をかけると、彼女の先輩が応対に出た

「あの、私はリンダというものですが、さと子さんは只今ご在宅でしょうか」

 ときくと、ハキハキした明るい声で

「はい、少しお待ちいただいてもいいですか?」

 と言われて、電話口で

「さと子さん、リンダさんていう人から電話よ」

 とよくとおる声で彼女に伝えていた。声の感じからは、彼女が言っていたような厳しく当たるような、そんな感じには聞こえなかった。

 やがて彼女が電話に出て

「今日は急に呼び出してごめんなさい。少しでも話ができたらと思って。ありがとうございました」

 そう言って、彼女の家のことについて話し始めた。私にどうしても伝えておきたかったそうで、彼女が小学3年生の時に母親が亡くなり、中学3年の時に父親が亡くなって、県西部に住む伯母が彼女と、彼女の弟(良夫)を母親代わりに育てたということ、彼女の実家には今は90歳近い祖父が一人で住んでいること、岡山県と北海道に彼女の父方の親戚が住んでいることや、県中部に母方の親戚が住んでいること、初めは県西部の病院で寮に入っていたのであるが、新興宗教団体に引っかかって、しつこく勧誘されるので、その病院を辞めて、その新興宗教団体から逃れるために、今の病院に変わったことなどを話した。彼女が自分の家族のことについて話をするので、私も自分の両親や姉や妹のこと、大阪に父方の親戚や友人がいるということ、私が大阪出身であること、県東部に母方の親戚が住んでいることなどを話して、これで少し彼女の家族構成を知ることができた。まだ20代前半なのに、親がいないというのは、少し可哀想な気もした。そんな身の上話をして時間も遅くなってきたので、その場で別れて家に帰った。たぶん彼女は私に対して付き合ってほしいという思いを持っているのではないかと思いながら帰ったのであるが、私自身はまだ、正直彼女と付き合うのかどうするのか、まだ判断がつきかねていた。好きというか、そういう感情がまだ私の中では生まれてこなかったのである。とりあえず、仲のいい女友達として付き合いながら、しばらく様子を見てみるのがいいのではないかと思っていた。


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