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コラム・いじめっていう呼称、止めないか?いじめではなく犯罪として扱うべき

昔も今も一向になくならないいじめ。今日ではSNSを使った悪質な誹謗中傷や、暴言を浴びせるなどの、ステルス化がますます進行しているように感じられるが、身体的な暴力を伴うものや、直接本人に対して暴言を浴びせる・誹謗中傷をするといった行為は、暴行罪・傷害罪・名誉棄損・侮辱・性犯罪などに一般社会なら問われるような事案であるが、なぜか児童間・生徒間の言った間では、犯罪ではなく、いじめとして語られる場合がほとんどである。まだ精神的に未熟だから、こういった犯罪行為が成立しない・いじめ事案だと言っているが、旭川市で起きた悲惨な事件や、大津市で起きた凄惨なリンチを加害された事件など、普通に刑事事件として問われても、何ら不思議ではない事件が、今も各地で起きているが、こういった加害行為は、絶対にやってはいけないと、子供が小さい時から周りの大人や、親や祖父母がきちんとしつけておけば、こういった犯罪行為に子供が走ることもなく、周りともうまくやっていけるのにと、私は被害者として思う。子供が小さい時から、いかに周りとのかかわりを持たせるか、というのが親として大事なことだと思う。

 私が子供に対して、小さい時から口酸っぱく、何度も繰り返し伝えてきたのは、これまでも書いたが、

「自分が大人になって、いつか子供が生まれた時に、自分の子供に胸を張って言える生き方をしなさい」

「人に酷いことを繰り返していたら、いずれまわりまわって、自分に帰ってくる」

「一度失った信用は、もう二度取り戻すことはできないかもしれない。だから自分が今言おうとしていること、やろうとしていることが、どのような結果をもたらすのかよく考えて、その発生した結果には、自分で責任を取りなさい」

これに尽きると思う。

もし自分の子供が、他人に危害を加えて、取り返しのつかない結果を招いたときは、親として、自分のやったことで生じた結果なのであるから、自分で責任を全うさせるのがせめてもの被害者に対する誠意であり、自分の子供がやったことに対する、けじめだと思う。

 言葉というのは、人に生きる希望を与える道具にもなれば、人の命を奪う凶器・人を殺す凶器にもなるんだっていうことを、親として・祖父母として、伝えていく必要があると同時に、いじめっていう呼称は、発生した結果に対して、事の重大性に対して、どうも矮小化されているように感じられてならない。こういった行為をすれば、犯罪として処罰されるべきだと思うのは、私だけだろうか。小学生でも、高学年になれば、いかなる理由があろうとも、こういったことはしてはならないっていうことの判断・事の善悪の判断はできると思う。

 加害者の未来をどうのこうのとかいう前に、やったことに対して、発生した結果にはきちんとした代償を払わせて、その代償をすべて払い終えた後で考えるべきで、一番に考えなくてはならないのは、人権を蹂躙されて、辛い思いをしている被害者の人権と被害の回復が一番に最優先されるべきであって、加害者の人権とか、未来は二の次・三の次で考えることだと私は思う。

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