職場の異動
それからしばらくたった1991年秋、大きな変化が私に起こった。私がそれまで仕事をしていた部署から、新しく設置された部署に異動になったのである。私は新しく設置された部署での仕事をするということで、当初採用されていたので、その新しい部署が稼働するにあたっての異動であった。新しい設備にロボットが所狭しと並んでいて、それまで仕事をしていた部署に比べて、大幅にオートメーション化が進んでいた。そして、そこで仕事をすることになって、本格稼働するまでの間、夜勤がない状態になったのである。本格生産の準備期間を経て、昼夜2交代の勤務が新しい部署で始まったのが、1992年のゴールデンウィークあけ。ところがこのころになると世の中はバブル崩壊後の、長期にわたる景気低迷期に入っていって、夜勤は2か月ほどで中止になってしまった。そして半分の人員が必要なくなり、リストラの嵐が吹き荒れて、多くの人員が職場を去っていった。私は幸いなことにリストラ対象ではなかったため、職場に生き残ることができたが、残業がなくなり、夜勤もなくなったため、大幅に収入が少なくなって、ボーナスも前年に比べて大幅ダウンという不況に見舞われた。この当時私はまだ独身で家から通勤していたため、何とかやっていけたが、所帯を持っている人や、アパートなどを借りて通勤している人にとっては、厳しい生活を強いられることになったのである。私もそれまでは、吹奏楽仲間や清田といった、高校の同級生とよく遊びに出かけていたのであるが、あまり外に出歩くということも少なくなっていった。それでも当初の目標である日本全国を旅するという目標に変わりはなく、この当時、まだ訪れたことがない都道府県は秋田県のみとなっていた。そしてその目標を達成したのがこの年のゴールデンウィーク。長年目標にしていたことが実現し、夢がかなった瞬間であった。この時は奥羽本線を北上して、山形県の新庄方面から秋田県の横手まで乗って、横手から北上線に乗って東北本線の北上へ出た後、好摩から花輪線に乗って大館へ、さらに奥羽本線を北上して川辺まで出て、川辺から五能線に乗って東能代へ。そこから奥羽本線を南下して大曲に出て、田沢湖線経由で盛岡に出るルートをとったのであるが、奥羽山脈を越える路線の景色は、どれもみんな美しかった。
こうして、あいつらを見返してやりたいという思いから、目標に掲げていた、日本全国全都道府県制覇。このときに私の心の中で少しずつ変化が起きていた。もう二度とあいつらの顔なんか見たくないって思っていたし、ずっと恨んでやるっていう思いも心の中にあって、同窓会のハガキが届くたびに
「もしあいつらの顔を見た瞬間、自分の理性が吹っ飛んだらどうしよう」
という思いがあって、正直平常心でいられる自信がなかったのである。しかし、自分が長年の目標に掲げていた日本全国全都道府県を旅して、
「今奴らがどのように生きていようが知ったこっちゃない。それよりも今大事なのは、今と言う時間を精一杯生きること。そして、胸を張って言える生き方をすること。自分の故郷にずっと背を向けながら生きていくのはしたくない」
そう思うようになって、6月に再び同窓会の案内のハガキが来ていて、今回は参加するという方に〇をつけて返信を出した私である。




