児童館のバイトをやめる日
そして、2学期も終わり、高校最後の冬休みがやってきた。この年も私は郵便局でのアルバイトをすることになったほか、児童館でのバイトを辞める日がやってきた。就職に向けた準備のためであるが、やはり小さな子供たちとの触れ合いの場がなくなるというのも寂しいものである。最後の児童館でのバイトを終えて、職員の方々からねぎらいの言葉を頂いて、一日のバイト代を受け取って帰る道の途中にある小さな書店。ここに立ち寄って文庫本を買って帰るのもこれで最後になるのか…。そう思いながら西村京太郎さんの推理小説を買って帰った私である。翌日からは郵便局でのバイトが始まり、年末年始の郵便物を次々ポストに投函していく。まだ正月前ということで、年賀状の配達はなかったが、それでも結構な量の郵便物があって、自転車をこぐペダルも重い。私が受け持った地区は去年と同じ地区で、昼食は家で食べることになっていた。そして郵便局でのバイトを初めて2~3日した頃であったと思うが、私が自分の家の近くの配達をするのに、自転車をこいでいると
「リンダくーん」
という声がするので、後ろを振り返ったら、みっちゃんと直ちゃんが車から窓を開けて
「リンダ君頑張って~」
と声をかけてくれたのである。私は左手をあげて手を振ってこたえて、過ぎ去って行く二人の乗った車を見送った。彼氏であろうか、それとも兄弟の運転する車だったのであろうか。やがて1989年の大晦日を迎えて、平成元年が終わろうとしていた。やってくる1990年は、いよいよ私が社会に羽ばたいていく年である。どんなことが待ち受けているのか楽しみな私であった。
1990年の元旦の郵便配達を終えて家に帰る。2日は、郵便業務は休みのため、元旦の夜はゆっくりと過ごすことができた。みんなで雑煮を食べたり、テレビのお正月特番を見たり、初詣に地元の神社に行ったり、いろいろと楽しく過ごして、私あてに届いた年賀状を見てみる。星田や永井、柳井や今田など、大阪の友達や親せきからの年賀状が多く、あとは山口の親戚や中学校時代の友人や吹奏楽仲間から届いていた。やはり年賀状は貰うと嬉しいものである。残念ながら年賀状のお年玉に当たったことはないが…。そして、一足先に社会人になっていた姉からもお年玉をもらうことができた。まさか姉からお年玉をもらえるとは思ってもみなかったので、ちょっと驚いたが、ありがたく貰うことにした。姉としても、社会人となって初めて迎えた年末年始で、普段一緒に暮らしている私や妹への配慮もあったのだろうと思う。
翌日は私がこの日しか休みがないということで、母の実家に帰省して年始の挨拶。私も就職試験や文化祭の発表の練習などでなかなか母の実家に顔を出すことができていなかったので、帰省したのは夏休み以来となった。母の実家にやってきて10年になるマルちゃんが相変わらず元気に出迎えてくれて、まるちゃんの頭を撫でてやって、家に着いたらさっそくリードをもって散歩に出かけてマルちゃんの運動をさせた後、家に帰って温まる。母の実家はまだ大きな火鉢が健在で、今の真ん中に置かれて木炭が赤々と燃えていた。時折ぱちぱちと音をたてながら木炭が燃えて、そのうえでスルメイカを焼いたり、お餅を焼いたりしてお正月の雰囲気を楽しんで、お年玉をもらった。この年に貰ったお年玉は冬休み明けから通うことになる自動車学校の入学費用の一部に充てることにした。そして半日ほどの帰省を終えて家に帰って、3日からは再び郵便配達のバイトへ。寒風吹き抜ける中の配達はなかなか大変であったが、この年は雪に見舞われなかったので助かった。この郵便局でのバイトも7日で終わって、バイト代としておよそ6万円を受け取って、お年玉と合わせて自動車学校への入学費用や、就職に向けて必要になるスーツなどの購入などに充てて、さっそく翌日自動車学校に向かって入学手続きを済ませて、学科の教習や車に乗っての実技が始まった。




