吹奏楽部を引退
就職先も決まって、足早に文化祭がやってきた。11月も半ばになると、誕生日の早い者は、車の運転免許取得のために自動車学校に通いだす者もいて、学校が終わると、自動車学校の迎えのバスに乗り込む同級生を何度か見た。私は誕生日が2月なので、自動車学校の通いだすのは、年明けになってからであるが、先に自動車学校に通いだした皆に様子を聞くと、最初、エンジンをかけて動き出すまでの操作が結構難しいとか、ハンクラにしてシフトレバーを操作して、坂道発進をするのが難しいとか、そういった話を聞いていた。
自動車学校に通っているみんなの話を聞きながら、
「自分に車の操作なんてできるのか?」
など思っていたが、4月生まれの清田の話では、
「慣れたらなんてことはない」
という事であった。
そんなこんなで迎えた文化祭の日。3年生の時にステージで発表する曲は、夏のコンクールで金賞を受賞したスカイ・ハイに、長渕剛さんの乾杯、TMNETWORKのDIVE INTO YOUR BODY、プリンセスプリンセスの世界で一番暑い夏などであった。乾杯を除いて、リズミカルな曲が多かったので、観に来てくれた観客の方も、大変盛り上がった。会場からは手拍子も起こって、皆楽しんでくれたようである。そして曲紹介を私が行うという大役を担う事となった。曲紹介をするための文章を下書きして、先生と確認をして、ワープロで打ち込んで、プリントしてもらって、曲紹介をすることになったのであるが、紹介するときにかまないように気を付けていたのであるが、やはりみんなの前でしゃべるというのは緊張する。何度かかんでしまったが、何とか無事に曲紹介を終えることができて、ほっとした私である。ある意味、ステージで曲を演奏するよりも緊張したかもしれない。そして、文化祭の終了とともに、私の高校生活の中での、吹奏楽部員としての引退する日がやってきた。私は高校1年生の時の2学期から吹奏楽部に加わったので、実質吹奏楽部員としての活動は2年間であったが、中学時代は部活をする気にもなれずに、吹き荒れる校内暴力と、いじめの後遺症に苦しんでいた日々に比べると、圧倒的に楽しい事が多くて、自分が好きな科学の実験もたくさんできたし、非常に充実した日々であった。その充実した日々の中で、吹奏楽部での部活というのも、重要なウェイトを占めていたように思う。正式に吹奏楽部員としての活動は終わったが、私はまだ自動車学校に通うようになるのは少し先なので、授業が終わったら部室に顔を出しては一緒に演奏をしたり、下級生との雑談を楽しんだりしていた。りっちゃんが
「先輩はまだ自動車学校に行かないんですか?」
というので
「俺は2月生まれじゃから、多分年明けてから行くようになると思う」
「じゃあまだしばらくはここに来れるんですか?」
「まぁね。今はまだ時間があるから顔を出すよ」
というと、
「やった~。先輩のギャグ楽しみにしてますよ」
というような、他愛のない会話をしていた。それにしても私のギャグを楽しみにしていたとは、ちょっと意外であった。清田は自動車学校があるので、帰りの時間は、私とは違う状態になっていたが、引退しても私は吹奏楽部に顔を出していたので、りっちゃんたちと、途中までは一緒に帰っていた。りっちゃんたちは電車通学だったので、駅の近くで彼女たちと別れて、私は自転車をこいで帰るのであるが、一人で帰るのはちょっとやはり寂しい感じもしていた。




