表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
180/218

平成の時代が始まる

 開けて1989年。この年は昭和天皇の体調が1988年後半から思わしくなく、連日のように天皇陛下のご容態を伝える放送が流れていたが、年が明けて一層体調が悪化されて、いつ何があってもおかしくない状態となっていた。そんな中迎えた1989年であったが、元旦になると、郵便局のバイトは、私が思った以上に郵便物が多くて、自転車に目いっぱい荷物を載せて、配達に向かった。年賀状をポストに投函して、受け取った人たちが喜ぶ姿が目に浮かぶようであった。開業医などともなると、ものすごい数の年賀状が送られており、一回では入りきらないので、2回に分けて投函するなんて言うこともあった。自転車では、荷台につみ切れないほどの郵便物の量だったため、指定されたところにおいてある郵便物を受け取って、さらに配達は続く。私が家の近くの各家を配っていると、クラスメイトのみっちゃんと直ちゃんが私の姿を見かけて

「リンダくーん。配達頑張ってねぇ」

 と、車の中から声をかけてくれた。私は片手を上げて手を振り返して、みっちゃんたちが遠くなっていくのを見送った。そして昼になって一旦家に帰って昼食。寒い中自転車をこいでいると、体が温まってきて、さほど寒さは感じなかったが、それでも温かい雑煮はありがたい。美味しくいただいて、しばらく休憩をとったのち、再び自転車こいで配達スタート。今度は家の近くの小学校周りを配るのであるが、私が住んでいるあたりは学校の先生が多いせいか、一件当たりの年賀状の数が多く、ほかのアルバイトからは

「家の近くじゃから楽じゃろう」

 と言われていたが、決して楽なことはなかった。お金をもらって仕事をしているので、楽なはずがあるわけないのだ。時には仕分けの時に間違って、違う担当者の配達区域の年賀状が混じっていることがあり、その時は地図を頼りに家を探し当てて、配達するということもあった。そして配達を終えるのがだいたいいつも17時ごろ。配達を終えると一旦郵便局に戻って、自分の自転車に乗り換えて、配達が終わったことを伝えて帰宅の途に就く。元旦の配達を無事に終えて翌日は配達が休み。新年の挨拶を兼ねて母の実家に挨拶に行く。母の実家に着くと相変わらずまるちゃんが盛大に出迎えてくれる。私は走って出迎えてくれたまるちゃんに、まずは新年の挨拶をして、それから家に入って叔父や叔母に挨拶をして、家の中で他にも集まった親せきと遊んで、つかの間の休息を楽しんで、私は

「アルバイトしてるから、お年玉はいい」

 と言ったのであるが、

「せっかく新年を迎えたんじゃから、これからもっとお金もいるようになるから貰っとけ」

 ということで、お年玉をありがたくいただいて帰った。

 そして、翌日は休みで、3日に再び郵便配達に向かって郵便物を受け取って、配達して17時頃配り終えて、18時ごろに帰宅と言う生活パターンをアルバイト期間が終わるまで続けて、冬休みは終わりを告げた。このころになると、姉は就職先が決まっていたので、通勤に車が必要だということで、免許の取得のために自動車学校に通っていたのであるが、なんせ初めて、自分でハンドルを握って車を運転するので

「自分が思った以上にスピード感があって怖い」

 などと言っていた。そして、冬休みが終わって早々に免許取得のための試験があって、見事に合格して、真新しい免許証を受け取っていた。あとは車を買うだけであるが、車のローンはまだ働いていないため、父が肩代わりして、毎月の給料から父に返すという形で組んだようである。やがて、これまた新しい軽自動車がやってきて、4月以降、この軽自動車に乗って、姉は通勤することになったのである。

 私の方は、冬休みが終わって、再び学校に通う日々が始まったが、1月8日に天皇陛下が崩御されて、昭和という時代が終わりを告げた。翌1月9日からは平成の時代が始まり、新しい時代を迎える準備などでいろいろと気ぜわしい日々がしばらく続いた。そして、いろんなイベントが自粛ムードもあって、次々に中止されて、暗いムードが漂う中、平成の時代がスタートしたのである。平成の時代最初の登校で学校に着くと、皆と久しぶりに顔を合わせる。高校2年の3学期ともなると、自分の進路についてそろそろ真剣に考えなくてはいけない時期に差し掛かっており、大学や専門学校を目指す者、就職を希望する者など、いろいろと進路が分かれる中、私は高校を卒業した後、何をしたいのか考えて、日本全国全都道府県を鉄道で旅するという目標と言うか、夢があったので、旅をするには資金が必要ということで、迷わず就職の道を選んだ。私が希望する就職先は地元の工場。私の就職希望先は基本的に土日が休みで、有休も取れて、給料もよくて、ほかの仕事先に比べて福利厚生もいいということで、就職希望先の第一候補に挙げて、進路指導の先生に書類を提出。このあと3年生の2学期までの間に何度か先生と面談したり、私の親も交えて三者面談を行ったりして、就職希望先を決めた次第である。

 こうして、昭和から平成へと時代が移り変わっていったが、私にとって、昭和58年と59年と言うのは思い出したくもない年代であった。高校生になって、平穏な心安らぐ時間を過ごしていたが、小学6年生の時のように、いじめで苦しむことも、中学校の時のように、校内暴力が頻繁に起こるような時代でもなくなっていたが、このときになってもやはりいじめ後遺症は続いていて、夢の中で小学6年生の時にタイムスリップして、リアルにいじめられている夢を見たり、中学校の時のように、恐喝まがいなことをされるような夢を見たりすることも多々あった。そう言った暗黒の時代を過ごした昭和が終わって、平成と言う時代が新たに始まって、平成と言う時代が平穏であってほしいと思いながら、新しい時代を迎えた。

 やがて高校2年生も終わって、春休み。春休みになって、吹奏楽部は、夏のコンクールに向けた曲の選定に入り、鳥人間コンテストのテーマ曲にも使われた、スカイハイと言う曲を演奏することに決まった。この曲はトロンボーンがいきなり最初から主旋律を演奏することになっていて、トロンボーンがかなり目立つ曲調にアレンジされていた。まずは新3年生と新2年生で演奏を始めて、それなりの形になるようにして、4月から入ってくる新入部員に期待している私であった。春休みは、土日以外は部活で忙しく、日曜日は児童館のバイトもあったので、春休みとは言えど、かなり忙しい日々を送っていた。そして1学期が始まって、新入部員が入ってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ