四国初上陸パート1
この夏休みの間も新聞配達は続けていたのであるが、私が高松に向かうときは、私は山口にはいないので、新聞販売店のご主人には2日ほど休みを申請して、行く準備は整った。一緒に行くのは中学時代の同級生の柳本。なかなか会う機会がなかったのであるが、久しぶりに電話してみたら、元気にしているようであった。夏休みに瀬戸大橋に乗りに行ってみようという約束をしていたのである。柳本に切符とホテルの手配が済んだことを伝えて、夏休み最後の週末、瀬戸大橋に行く日がやってきた。朝早い電車に乗るので、駅で待ち合わせて電車に乗り込む。山陽本線を東に向かって、県内の各駅に停車しながら、少しずつ広島が近づいてくる。県境を越えて広島県に入ると、ちょうど皆出かける時間になってきたのか、乗客が増えてかなりの混雑になってきた。その広島駅で大勢の乗客が入れ替わり、向洋駅に着くと、大きな工場群が見えた。そう、向洋と言うと、広島に本社があるマツダの最寄り駅で、電車を使って通勤する人も多いのか、結構な人が降りて行った。そして呉線が分岐する海田市駅を過ぎると、山陽本線は瀬野川に沿って谷をさかのぼっていく。山陽本線最大の難所である、瀬野八越えのふもとに位置する瀬野駅に到着。ここからは急カーブを繰り返しながら急こう配を上っていく。この区間は勾配抑速ブレーキを装備した車両しか走れないため、今は227系に置き換えられているが、当時は115系電車が運用されていた区間である。その瀬野八を超えて、次第に開けてくると酒蔵で有名な西条駅へと入っていく。その西城は東広島市の中心で、古くから酒どころとして知られていたところである。今回はそのままスルーして、白市駅を過ぎると広島都市圏区間が終わり、入野・河内・本郷と小さな駅に停車していくが、この間の駅間距離は長い。白市駅から三原にかけては、瀬野八越えのような急な勾配はないが、地形に忠実に沿った形で線路が敷設されており、急カーブが続く。そして、新幹線の高架をくぐって、この当時はまだ高架化されていなかったので、大きく山を迂回する形で線路が敷かれていた。今は新しく高架になった線路を新幹線と並走する形で三原駅へと入っていく。その三原では呉線が合流し、ここからは岡山方面に向かう電車が頻繁に運転されている。私たちが乗った電車は確か、岩国駅から岡山駅まで直通する電車ではなかったかと思うが、当時は山陽本線にも、長距離の普通列車が設定されていて、中には岡山駅と下関駅を走る長距離普通列車もあった。
その高架工事の真っ最中の三原駅を過ぎて、糸崎駅に到着。ここはかつて機関区が置かれていたところであり、今ではJR西日本の岡山支社と広島支社の境界の駅として、岡山方面から糸崎行の電車も多く設定されており、留置線にはたくさんの電車が次の出発に備えているのが見えた。その糸崎駅を過ぎると、宮島付近以来の瀬戸内海が見えてくる。対岸には因島や向島などが間近に見えており、海と言うよりも、川幅の広い川のように見える。この当時はまだ西瀬戸自動車道(通称しまなみ海道)はまだ開通しておらず、工事の真っ最中で、しまなみ海道が開通したのはこの10年後であった。その尾道駅付近の瀬戸内海の風景を見ながら、福山市内に入っていく。福山駅は2階を山陽本線と福塩線、3回を山陽新幹線が走る2層式の高架となっており、新幹線の高架の下は日の光が差し込まないので、地下鉄のような雰囲気である。
福山駅を出発してしばらくすると、岡山県内に入り、白壁の街で有名な倉敷駅では伯備線が左から合流。電化される前は強力なエンジンを搭載した、キハ181系特急型ディーゼルカーが投入されていたが、電化後は急カーブに強い381系電車が投入されて、岡山駅と米子駅や松江駅、出雲市駅の間の所要時間が大幅に短縮された。倉敷駅から先、岡山駅までは伯備線の電車も乗り入れてくるので、運転本数は格段に増える。岡山電車区の車庫をまわりこむようにして、岡山駅のホームに到着して、6~8番ホームに向かう。私たちが乗り込む快速マリンライナーは6番線から発車。この当時使用されていた車両は213系で、東京地区や東海地区で運用されていた211系電車の系列である。あいている席に座って、しばらくすると静かに発車。茶屋町で宇野線が分かれて行って、JR四国との境界駅である児島駅に到着。ここで乗務員が後退して、鷲羽山トンネルを抜けて瀬戸大橋を渡る。左右に広がる一大パノラマに、私も柳本も
「おーっ。スゲー」
と声を上げていた。やや西に傾いた日に照らされて輝く海面。無数に浮かぶ島々。瀬戸内海の風景をなかなか上から見るという機会はないので、しばし見入っていた。そして、瀬戸大橋博が開かれている会場の上を通過。宇多津駅の構内をかすめるようにして右にカーブして坂出駅に到着。ここが瀬戸大橋を渡って高松方面に向かう場合、一番最初に停車する駅で、ここで多くの乗客が降りて行った。瀬戸大橋博に行くのであろうか。私たちは、この日は高松から高徳線に乗って栗林公園に行く予定になっていたので、そのまま乗車。やがて高松駅に着いて、高徳線の列車に乗る。高徳線は高松駅と徳島駅を結ぶ幹線鉄道で、特急もかなりの本数が運転されているが、全線単線非電化である。その高徳線のディーゼルカーに揺られて、高架の栗林駅で下車。ここから少し歩くと。栗林公園に到着する。ここは四国を代表する日本式庭園で、美しく手入れされた植木や花々が出迎えてくれる。その栗林公園をゆっくり歩いて散策して、一旦ホテルにチェックインした後、荷物を置いて切符と財布だけ持って、駅に向かい、再び坂出駅まで行ってみた。夜のライトアップされた瀬戸大橋を見てみようということになったのであるが、柳本は
「これだけ乗ったら十分元は取ったんじゃないか」
と言っていた。私は
「そりゃあ、フルに使わんともったいないじゃろ」
などと言って笑っていた。
やがて坂出に到着して、瀬戸大橋を見渡せるビュースポットにタクシーで向かい、色々写真を写してきた。このころのカメラはデジカメではないので、あまりたくさん写すとフィルム代がバカにならないので、できるだけ枚数を抑える必要があったのであるが、私は列車も写すということで、36枚撮りフィルムを3本用意していったので、少し余裕があったので、夜の瀬戸大橋と高松駅で写したいしづちの運用に入っていたキハ181系や、マリンライナーを写したりしていた。結局36枚撮りフィルムを全部使い切ってしまったので、残りは2本になっていた。
ホテルに帰って夕食を済ませた後は二人でトランプ。ページュワンをしていて、結構遅くまで遊んでいた記憶がある。




