7.タカマサ 教室に着く
レベッカが泣き始めてから、どのくらい経っただろうか。
彼女は今や、涙を止め、ゴシゴシと目を擦っている。
「もう、大丈夫か?」
「…ええ、恥ずかしいところを見せたわね」
先ほどまで泣いていたとは思えない程、彼女の言葉はしっかりとしていた。
しかし、目元は少し赤い。そして、何より、表情が先ほどは違い、明るくなっていた。あの全てを諦め、悲しんでいるような顔はもう、していなかった。
「いや、可愛かったぞ?」
タカマサはニヤニヤしながら、レベッカの顔を見る。
「…うるさいわね。ふざけたこと言ってるとひっぱたくわよ」
「あ、さーせんした」
先ほどまでの彼女とは違って、少し元気にはなった感じだ。
「そう言えば、タカマサ。教室いかなくていいの?」
「ん? あ、そうだった…」
そう言えば、教室がどこか分からなくてウロウロしていたのだった。校長室から出てから大分時間が経ってしまっている。このまま、二日連続無断欠席なんてなろうものなら、次は怒られそうだ。
「…仕方ないわね、こっちよ」
そんなタカマサを見かねたようにレベッカはベンチか立ち上がり、タカマサを導くように歩き始める。
「…大丈夫なのか? 教室行くってことは生徒も多いぞ?」
「大丈夫よ、そのくらい。…それにあなたが居てくれるんでしょう?」
「あ、ああ。ま、大丈夫ならいいんだが」
振り返り、にこやかに笑うレベッカ。
先ほどとは別人だなと、思いながら、タカマサは彼女の後をついて歩いた。
「そう言えば、レベッカは何であんな所に居たんだ?」
「私は成績だけは優秀だから、先に今年の全ての課程を終えているの。テストもちゃんと受けたわ」
「…そんなことできんのか」
「ええ、でも朝の出席確認時には居なくてはいけないから、教室には毎日行かなきゃいけないのよ」
「へえ、別に出席なんてとる必要なんてなさそうだけどな」
「私もそう思うけど、生存確認的な意味もあるんじゃないかしら。あとは体調の把握とか」
「ふぅ~ん」
たわいのない話。ここしばらくなかった、同年代の人との会話。
そんな当り前の事に、嬉しさを感じながら、レベッカは教室へと足を運んだ。
***
「ここよ」
数分歩いた時、彼女は歩みを止めた。
何も考えず彼女についていった先には、確かに教室らしき同規格の部屋が5つほど並んでいた。
「ちなみに何組かは聞いてる?」
「…いや、特に何も…」
「そうなの? う~ん…まあ、よっぽどの事がなければAクラスだと思うのだけど」
「そうなのか?」
Aクラスと言われても、そもそもクラスが何クラスあるのか分からない。
それを察したのだろう、レベッカはおもむろにクラスについて話し始めた。
「ええ、クラスは全部で5つね。Aクラスは成績が優秀な者が集められていて、B、C、D、Eクラスはそれ以外の生徒がランダムに分けられているわ。あなたは編入試験満点だから、おそらくAクラスでしょうね」
「へえ、てことはレベッカもか?」
「そうね、私もAクラスよ」
「言いにくかったらいいんだけど、王太子殿下とかは?」
「そうね、彼らはCクラスに居るわ。元々Aに居たんだけど、ある令嬢と仲良くし始めてからどんどん成績が落ちて、Aクラスには居られなくなったわ。基準点を下回ると、いつでも別クラスに飛ばされるから。あ、でもAクラスに上がるには学年末試験で上位30位以内を取る必要があるわ」
「結構、シビアなんだな。…あれ、俺は何でAに入れるんだ?」
「編入試験満点の人をBやCには行かせないだろうっていう、ただの私の勘よ」
「勘か…」
「…なに、信じられないの?」
「い、いや、そうだよな、Aだと俺も思う」
正直、他人の勘なんて信じられない、とは思ったけれど正直には言えなかった。
レベッカほどの美女に不満げにねめつけられては、首を縦に振る以外にできることはなかった。
タカマサが首を縦に振ったのを見て、レベッカは満足げな顔をしながら、教室の方へ向き帰って、扉に手を掛けた。
「そう、じゃあ、入りましょうか。この教室がAクラスよ」
「え、ちょ、え?」
***
タカマサとレベッカが教室のドアを開けて入ると、教室に居た生徒と、授業をしていた教師の目が一斉にこちらに向いた。
青い髪を1つにまとめ、腰の辺りまで伸ばしている、中性的な顔をした教師は授業の手を止め、レベッカへと向き直った。
「おや、レベッカ君。君が授業に来るなんて珍しいな」
「アロライン先生、今日は編入生を連れてきました」
「おお! そうなのか! そちらの君か!」
アロラインと呼ばれた教師は、レベッカの言葉を聞いて、ひどく興奮した様子を見せている。持っていた教科書らしき本など、投げ捨てズンズンとタカマサの方へ歩いてきては、顔を紅潮させながらタカマサの方をがしっと両手で掴む。
「君が! 編入試験を満点で通過したのか! 名前は何と言うのかね!」
教室に入っていきなりの事に驚いているタカマサは何も答える事が出来ない。
ただただ、美形な先生だなと思っていたアロラインの豹変ぶりに驚いている。
「先生、彼の名前はタカマサ・タナカです」
「タカマサ君か! いや、素晴らしい名前だ!」
レベッカが代わりにタカマサの名を教える。
その名前を聞いて、アロラインはタカマサの体をぐわんぐわんと揺らす。
タカマサの視界も同じくぐわんぐわんと揺れていた。
「先生、タカマサが驚いています。とにかく、彼の自己紹介も含めて、みんなに挨拶させても?」
そんな二人を見かねたレベッカは冷静にアロラインへと言葉を投げかけた。
その言葉にはっとしたアロラインは、必死に興奮を抑え、タカマサの肩を掴んでいた手を離し、少し乱れた衣服を整えている。
「んっんん、すまない、タカマサ君。少し興奮してしまった。何せ、私が作った最高難易度の編入試験の魔法科目を満点と聞いたのでね。どんな天才かと思ってわくわくしていたのだよ」
「…は、はあ」
「うむ、少し困惑しているようだね。…とりあえず、私はアロライン・フルート。魔法の中でも攻撃魔法全般を担当している。よろしく頼むよ」
「あ、はい、タカマサ・タナカです。よろしくお願いいたします」
タカマサはまだ困惑しながらも、アロラインへと簡単に挨拶をした。
「じゃあ、みんなにも自己紹介を頼むよ、タカマサ君」
そう言って、アロラインは教卓へと戻って行く。
タカマサはとりあえず、言われた通りに、自己紹介をしようと、生徒達の方へと体を向けた。
その瞬間、タカマサは違和感を感じた。それは生徒達の目に含まれる感情だった。
生徒達は歓迎している様子はなく、明らかな敵意の視線、嫌悪の視線、それがタカマサ、いや、タカマサの隣に居るレベッカへと向けられていた。
誰もタカマサの事など見ていない。それよりも、レベッカにこの場を去れという視線を向けていた。
タカマサはレベッカの言っていたことは何の誇張もなく、そのままに伝えられていたのだと再認識した。
だからこそ、タカマサは大きな声を張り上げて自己紹介を始めた。
「初めまして! 俺の名前は、タカマサ・タナカ! 今日からこの学園に来た、レベッカ嬢の友人だ!」
急に大声を上げたタカマサに対して、生徒の注目は集まった。しかし、彼の言葉に含まれる『レベッカの友人』というフレーズに、眉を寄せた。
何を言っているのだこいつは、理解が出来ないといった顔をしている生徒や、既に敵意をむき出しにしてタカマサを見る生徒など様々だった。
「うん、レベッカ嬢の友人なんだね。早くも友人を作るとは素晴らしいことだ。みんなも仲良くしてやってくれ給え」
そう言ってアロラインは生徒達に向かって言った。
生徒達は仲良くする気などさらさらないと言った様子で、それぞれ頷いている。
「では、タカマサ君、早速だが席に着いてくれ給え。君からしたら退屈な授業かも知れないが、この学園での授業の様子を知ってもらおうと思うのでね」
アロラインはタカマサを席に座るように促すが、タカマサはどこに座れば良いかなど分からない。
「あの、先生、どこに座れば…」
「タカマサ、席は空いている所に座れば良いわ。今日は私の隣にでも座ればいいわ」
タカマサの疑問に答えたのはレベッカだった。
レベッカは、生徒達の席の間を縫い、教室の後ろの方へと腰を掛けた。
タカマサもレベッカに続き、隣の席へと腰を下ろす。その間も、生徒達からの嫌悪の目は向けられていた。