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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第九話 しかして失意に満ちる

 四月に入っても、玲太郎は相変わらず夢の中にいる時だけ宙に浮く事があった。そんな玲太郎も最初の内は時間を掛けて魔術の練習に励んでいたが、夢の中以外では浮ける気配がない事もあって、徐々に時間が短くなって行き、今では二時間足らずしか遣っていなかった。その分共通語とブーミルケ語の勉強に励んでいるお陰か、和伍語よりも共通語での会話が増え、和伍語を習うようになっていた。八千代も共通語を順調に習得し、水伯家の使用人と話せるまでになっていた。

 明良はたしなみとして颯と共に剣術を習い始めていた。剣術の才能があったのか、習い始めた頃から颯に勝つ事が多かった。負けが込んでいた颯は闘志を燃やして暇さえあれば鍛錬をし、今では勝敗は五分五分といった所だ。

 颯は玲太郎同様、三ヶ国語を学んでいた。明良は既にブーミルケ語の難しい本を読破出来るまでになっていて、水伯の蔵書を読む為に別の言語の習得に励んでいる。

 明々後日しあさっての四月八日はナダール王国の建国記念日で、前後二日ずつの計五日が建国祭として休暇となっている。覚醒式はその祝いの一環として各州で六日と七日に挙行される。

 明良と颯はアメイルグ郡ダラッガ町にあるシュンゾー地区で受ける事となっていた。イノウエ家の領地ではあるが、水伯邸から一番近い会場があると言うだけでそこに決まった。

 二人の参加が決定している六日は明良の待ちに待った日になる。明日には自分の魔力がどれ程度の物なのか明確になるというのに、明良は落ち着き払っているように見えた。それに対して颯は落ち着かず、授業が耳に入っていなかった。

「ハヤテ様、本日の授業は止めましょうか」

 白髪交じりの金髪に碧眼、小太りで身形のよい男性が優しく言うと、颯は首を横に振った。

「いえ、やります。続けてください」

「では私が先程言った事を復唱して下さい」

 颯は何も言えずに俯いてしまった。明良が颯に顔を向ける。

「屋内訓練所に行って剣でも振っておいで」

「私もアキラ様の意見に賛成です」

「ほら、ディモーン先生もそう仰っているから行っておいで。落ち着かない気持ちも解らなくはないけれど、もう覚醒式は明日だから、腹を括らないと」

「うん、それじゃあ行ってくる。ディモーン先生、ごめんなさい」

 ディモーンは笑顔になると頷いた。

「私も覚醒式の前日は落ち着きませんでしたから、心中をお察しする事が出来ます。お体をお動かしになった方が落ち着く事もありましょう。行ってらっしゃいませ」

 颯は席を立つと勉強机に入椅子をれて足早に勉強部屋を出て行った。文字の練習に必死だった玲太郎は扉を開閉する音で顔を上げた。

「なに?」

「颯が部屋を出て行っただけだよ」

「ふうん」

 玲太郎はまた俯いて文字の練習を始めた。それを見た明良もまた本に視線を戻した。ハソとニムは玲太郎の勉強机の両脇にいて見守っていたが、ヌトは横たわって天井付近に浮いている。

「颯に付いて行きたいわ」

 小さく小さく呟くと、ハソがヌトを見上げた。

「わし等がおるから心配無用ぞ。行けばよい」

 すると玲太郎が左側にいるハソを見て、左の人差し指でハソの腕をつついた。ハソは驚いて玲太郎を見ると、玲太郎に睨まれた。

「済まぬ。静かにするわな」

 申し訳なさそうな表情で言うと、それを見ていた明良からも冷たい視線を向けられている事に気付いて口を押える。八千代は颯が出て行こうが、明良が返答しようが全く気にせず、ひたすら本を小声で音読していた。

 ディモーンはディモーン・ミッディ・ソゾルスと言う氏名なのだが、ソゾルス家は一家総出で水伯に仕えいる為、苗字ではなく名前で呼ばれていた。ディモーン自身は水伯の従者だが、基本的に時間を持て余している事もあって一部の家事も担当している。

 水伯が玲太郎を養子として迎えた時、前代未聞の出来事に魂がどこか遠くへ飛んで行き、中々戻って来られなかった。それ程に衝撃的な珍事だったのだが、その玲太郎と颯の家庭教師を任されて様子を見ている内に、水伯が養子にするに至った理由を理解した。ナダール王国では、精霊のまなこと言われる目の持ち主であろう事、ナダール王国では平均以上の魔力を持つディモーンでも計り知れない魔力量を持っている事、そして何よりも水伯との距離が余りにも近い事で理解に至った。

 最初は人見知りで敬遠され勝ちだったが、今では大分慣れたのか笑顔を見せてくれるようになっていた。ディモーンはそんな玲太郎の書いている文字を確認しに行った。ほぼ四歳にしては上手く書けている。集中して書いている様子だった事から声は掛けなかった。徐に歩き、窓際へと行く。

 明良は平静を装っていたが実は緊張をしていて、颯にああは言ってみた物の、自身もまた腹を括り切れていなかった。本から視線を外して玲太郎を見ると、邪魔な二体がくっ付いているのが気に食わなかった。天井付近には能天気に浮いている悪霊が一体いるのも気に食わない。

(何故こうも苛立っているのだろうか……)

 小さく溜息を吐くと本に目を遣った。明良は今、目族が第一公用語にしているサーディア語を学んでいたが、今までのように容易に習得出来る質の物ではなかったのも苛立ちの一因となっていた。ディモーンはそんな明良を一瞥して微笑ましく思っていた。

「できた。せんせい、ブーミルケはおわってもいい?」

 ディモーンは鉛筆を置いた玲太郎の傍まで遣って来ると、帳面を手に持ち、書かれた文字を全て見た。

「とても上手に書けていますね。レイタロウ様はここまでに致しましょう。あちらでお遊び下さい」

「ありがと~」

 帳面を閉じて勉強机に置くと、笑顔の玲太郎は席を立って玩具の方へ行った。ハソとニムも付いて行く。ディモーンはそのまま明良の傍に行く。

「アキラ様もレイタロウ様とご一緒されては如何いかがです」

 そう言ったディモーンを見ると、首を横に振った。

「私はこのままこの本と格闘します」

「そうですか。それでは解らない文法があれば直ぐに仰って下さい」

「解りました。その時はお願いします」

 小さく辞儀をすると、また本に視線を遣った。ディモーンは静かに歩いて窓際へ行く。八千代が時折つまずきつつも音読しているのを耳にしながら窓の外を眺めた。


 そして、夕食の時間になる。最近は一日四食の内、夕食だけを八千代が作るようになっていた。やはり口に慣れている味が一番美味しく感じ、特に颯は食事が進んだ。

「いよいよ明日になったけれど、颯はもう腹を括った?」

 水伯にそう訊かれ、口に含んでいる物が喉に詰まりそうになった。慌てて味噌汁を啜る。

「んん、まあ、ぼちぼち。素振りをして大分マシになったよ。だけどやっぱり落ち着かないよ」

「玲太郎は異常だったから参考にはならないけれど、颯も明良もきっと素質があるから」

「ありがとう。しょっぱい結果になっても気落ちしないようにするよ」

 颯は苦笑していたが、水伯は柔和に微笑んでいる。

「まりょくはあっても、まじゅつがつかえないボクかわいそう」

「使えるように、練習する時間を増やすかい?」

 透かさず水伯が言うと、水伯を上目遣いで見た。

「やめとく」

 それを聞いて水伯は柔和に微笑んだ。

「私みたいに魔力がないに等しくても生きていけるんだから、みんなも大丈夫よ」

 八千代が満面の笑み浮かべて言うと、全員が八千代を見た。

「それに、精霊の眼を持っているんだから、それだけでも十分だと思うよ」

「精霊の眼ね……」

 明良が肉と野菜の炒め物に手を伸ばしながら呟くと、颯は思わず明良を見た。

「和伍では、昔は神の眼と書いて、神眼しんがんと呼んでいた事を考えると、和伍の方が仰々しく感じるよね」

「和伍は神を信仰しているけれど、ナダールは基本的に精霊を信仰している宗教が多いからね」

 水伯は明良に顔を向けて微笑んだ。

「でも最大の宗教団体は創造神を信仰していて、神が精霊を創った事になっているよね。話は戻すけれど、精霊の眼や神眼なんて綺麗な言葉を並べていても、実際は悪霊だからね」

 明良は冷たく言い放つと、味噌汁の具を口一杯に頬張った。三体はまた始まったと思い、気の抜けた表情でそれぞれ視線を明良以外に向けていた。

「ヌトはよいよー。あくりょうじゃないのよ」

 珍しく玲太郎が庇った。それに驚愕した明良は咀嚼を止め、目を丸くして玲太郎を見た。

「ハソとニムは?」

「うん? はそとにむ? なに?」

 相変わらずヌトが三体いるという認識だった。厳しい現実を突き付けられたハソとニムは後方に倒れ、そのまま浮いていた。ヌトは笑いを堪えていた。颯が指で差しながら口を開く。

「これがヌト、そっちがハソ、あっちがニム」

 八千代は見えなかったが、頷きながら聞いて「ほうほう」と相槌を打った。

「宙に浮いているんだねえ。凄いねえ」

「ボクはちゅうにうけないの。ボクかわいそう」

 玲太郎は気を落として箸を置いた。

「玲太郎の意識がない時だけど、時々は浮いてるじゃないか」

 眠っている玲太郎が宙に浮く度、ヌトに起こされる前に起きて玲太郎の名を呼び、手元に下りて貰っている颯が言うと、玲太郎は横目で颯を見る。

「そういうのはダメなのよー」

「そうですか。それはすみません」

 そう言うと玲太郎の人参の甘酢漬けを摘んで、玲太郎の口へ運んだ。玲太郎は口を開けるとそれを頬張る。

「美味しい?」

「うん、おいしい。これすき」

 笑顔で頷き、口を覆ってから言った。それを見ていた明良は些か怒っている様子だった。

「ばあちゃんも共通語が大分出来るようになってるよな。凄いよ」

 颯はそれを放置して八千代に言った。八千代の表情が明るくなる。

「目に見えて上達しているのが分かって、私も楽しいし嬉しいよ」

 二人は笑顔で顔を見合わせる。

「颯も上達しているからもう少し難しい本が読めるようになれば、後は学校の授業で間に合うだろうね」

 颯はそう言った水伯の方を見ると頷いた。

「それよりも歴史の方がまだ足りない感じなんです……」

「歴史は学者達の研究の成果で、事件のあった年や改革の内容などが変わる事もあるからね。それに創作された出来事が入り混じっていて正史も複雑なのだよね」

「ディモーン先生も、私と習った時と違うって言ってました」

「明良はどうなの?」

 明良は手を止めて箸を置くと水伯の方に顔を向ける。

「私はサーディア語が思いの外難しくてどう攻略しようか悩んでいる所」

「サーディア語が理解出来るようになれば、現存する目族の古書が大体は読めるようになるから、頑張るしかないね」

 柔和な笑顔を見せると、明良は頷いた。

「それで明良は覚醒式に対してはどう思っているの?」

 箸を持とうとした手を止めた。横に顔を向け、水伯を見据える。

「それは……念願の強制覚醒なのだけれどね、なるようにしかならない、とは思ってはいても、負の感情が勝っているね」

「そう。明良は希望の進路があるから仕方がないけれど、覚醒してしまったらもう受け入れるしかないからね。希望の進路に進めない場合は、また新たに進路を考え直そう」

 明良は頷いて顔を正面に向けた。颯が頬を膨らませて嬉しそうに咀嚼をしているのが目に入る。そして炒め物に目を遣った。

「ばあちゃん、今日の炒め物、一味違う感じがするのだけれど何を入れたの?」

 八千代の方を見て訊くと、八千代は明良を見る。

「この前、魚醤を使ったら好評だったからそれを使って、隠し味に味噌を二種類入れてみたのよ」

「そう。やはり味噌が万能って事なのだろうか。魚醤が思いの外美味しいという事なのだろうか。美味しいよ」

「ありがとう」

「ばあちゃんも共通語が凄く上手になったよな」

 颯がまた言うと口一杯に野菜炒めを頬張った。八千代は思わず笑った。

「ふふふ。今、純文学を読んでいる所なんだけど、私にはまだ少し難しいねえ」

「繰り返し読んでいると、引っ掛かる事なく読めるようになるだろうから頑張って」

 明良がそう応援すると、八千代は大きく頷いた。

『まあ頑張るけんど、やっぱり和伍語が一番ええわ』

 そう和伍語で言うと笑った。明良も微かに頬を緩めた。

『オレもやっぱり和伍語がええわ』

 いつの間にか咀嚼をし終えた颯が会話に入って来た。二人は顔を見合わせて笑顔になると食事に戻る。明良も汁椀を手に持ち、具を摘んで口に運んだ。玲太郎が颯の方を何度も見ている。颯がそれに気付いて玲太郎を見ると、玲太郎の表情が少し明るくなる。

「はーちゃん、まんぷくになったから、のこりたべて」

「はいはい」

 颯は箸を置くと、玲太郎の皿を覗き込む。白飯はくはんは食べ切っていて、炒め物の皿と小鉢を自分の方へ移動する。

「味噌汁は後少しだから、飲んでしまって。これも入らない?」

「はいる」

 そう言うと汁椀を持って飲み干した。

「はい、いい子」

「ボクいいこ」

 汁椀を静かに置いて颯の方を向き、笑顔になった。颯も釣られて笑顔になる。

「玲太郎は最近、食べる量が少し減ったの?」

 水伯が誰ともなく訊くと、颯が首を振った。

「今日はそんなに運動をしてないからだと思う。昨日は今日より多く食べてました」

「そうなのだね。玲太郎、食後に温室へ散歩に出掛けるかい?」

「でかけない。つみきであそんで、それからふろね」

「そう、それは寂しいね」

 水伯が寂しそうに言うと、明良が颯を見る。

「颯、私はお代わり入れてくるけれど、どうする? いる?」

「それじゃあ炒め物半分に味噌汁とご飯を普通盛でお願いします」

 そう言って茶碗に残っていた白飯を一口で食べ切り、皿と茶碗と汁椀を颯と八千代の間に置いた。

「了解」

 明良は台車に食器を載せると食堂を出て行く。しばらくすると茶の用意もして戻って来て、先に颯の分を置き、次に明良の分を置いてから、水伯、八千代、玲太郎の順番で、茶碗に茶を注いで回った。

 食後、水伯は二階の執務室へ行き、各地から届いている報告書に目を通している。颯は八千代と一緒に後片付けをしてから温室へ散歩に行った。玲太郎は言っていた通り、勉強部屋へ行って積み木で遊び始めた。それに明良は付き合っていた。明良は少し離れた所で、授業でも読んでいた本を開いたままにして玲太郎の方をずっと見ている。玲太郎が振り返って明良を見ると目が合ったような気がした。

「あーちゃんもつみきする?」

「誘ってくれて有難う。でも私は此処ここで見ているだけにするよ。ヌトに遊んで貰って」

「ヌトはだめなのよ。ボクだけあそぶ」

 ハソとニムは帰っていて姿がなく、いつものようにヌトだけが残っていた。ヌトは明良から玲太郎に視線を移すと玲太郎と視線が合い、小さく二度頷いた。それを見て玲太郎は積み木へと視線を下げた。以前よりも積み木の数が増えて形状の違う物があり、積み上げる難度が高くなっていた。ヌトは玲太郎の積み上げていく積み木を見詰めていた。どの積み木を次に置くのか、慎重に考えながら遣っているようで中々進まなかった。八段まで積み上がると玲太郎は得意顔でヌトを見た。最後は三角柱を屋根に見立てて置くのが常だっだ。ヌトが大きく頷く所を見ると、暫く積み木を眺めて満足したのか、手で押して崩した。次は違う積み木で土台を作って積み上げて行く。ヌトは玲太郎を見詰めた。積み木を選んでは置いて行く玲太郎の表情は至って真剣だった。

 明良が時折こちらに視線を投げているが、それも僅かな時間で殆ど本を見ている。何気ない時間が過ぎて行き、五度目を積み上げようとした所に颯が勉強部屋へ入ってきた。

「玲太郎、そろそろ風呂に行こうか」

「うん、わかった」

 そう言うと積み木を箱に片付け始める。颯は手伝わないで扉付近からそれを見ていた。片付け終わると靴を履いて颯の所へ行く。明良は本から玲太郎へ視線を移していた。

「それじゃあ兄貴、二じっ分後くらいによろしく」

「よろしく~」

 明良は声を出さずに頷いただけだったが、二人はそれを見て退室した。閉扉する音を聞いてから開いている場所に栞を置いて本を閉じ、勉強机に置いて立ち上がった。そして窓際へと向かい、外を見る。外はもう暗かったのだが月明りで雪が仄かに輝いて見えた。


 六日の朝、颯はいつも通りに六時前に起きる。三人の中で一番寝起きが良く、真っ先に起きていた。枕元に置いてあった調節器で集合灯を点けて起き上がり、窓掛けを開けて外の景色を見ると綿雪が降っていた。そして服を着替えてしまってから玲太郎を起こし、次に明良を起こした。

 二人が着替える間に西棟一階にある脱衣所へ向かい、籠の中に先程まで着ていた寝間着を入れる。そして備え付けられている洗面所で歯を磨いて顔を洗うと厨房へ向かった。その途中で玲太郎と明良に擦れ違う。厨房に入ると朝食の担当である水伯がいて、ほぼ作り終えたようで皿を並べていた。

「閣下、おはようございます」

 手を止めて颯の方を見ると笑顔を見せた。

「お早う。良く眠られたかい?」

「はい。お陰様で」

「颯はその言葉遣いを止める気はないのかい?」

「他の者に示しが付きませんから、このままがいいと思います」

 水伯は苦笑すると残りの皿を並べ出した。

「颯がそのような事だから、今年は沢山雪が降ったのかも知れないね」

「わたしの所為ではありません」

「やはり玲太郎だと思うかい?」

 颯は献立が気になって、焜炉の方へと来ていた。その下にある天火から熱が伝わって来て、膝を折ると耐熱玻璃はりの窓から中を見た。

「玲太郎だと思います。あっ、天火焼きがある! 乾酪かんらくに焼き目が付いてるのが凄く好き」

「颯の好きな乾麺と茄子が入っているよ。明良の好きな芋も入れてあるよ。今日は覚醒式があるからね、結果がどうあれ、しっかりと受け止めて前を向かなくてはね」

「お気遣い、ありがとうございます!」

 立ち上がって水伯を見ると笑顔になった。水伯は苦笑する。

「畏まった颯はとてもむず痒くなって来るよ。これでは一生慣れる事はないね」

「そうですか? 一応イノウエ家の人間なので、閣下には馴れ馴れしくするなときつく言われてしまいまして……」

「デヒム?」

「そうです。よく判りましたね」

「ガーナスはそういう事は言わないからね。明良もそういう事は言わないだろうし、残るは家令だろうなと思ったのだけれど、当たったのだね……。けれど、あのデヒムは人を見て態度を変える所があるようだから、何を言われても気にしない方がよいと思うのだけれどね」

 颯は焜炉に置いてあった鉄鍋を持つと根菜の炒め物を皿に盛り付け始めた。

「お父様は、閣下は無礼でなければ馴れ馴れしくても許して下さる事もあると仰っていました」

 手際良く盛ると残った物を見て、颯と明良の分は多目に盛り直した。それを水伯が見ている事に気付いた颯は大盛りの方を指で差す。

「これとこれは兄と私の分です」

「うん、解っているよ。それだけ食べるのは颯と明良くらいの物だからね」

 水伯は颯の邪魔にならないように魔術を使って汁物を深皿に注ぐ。颯は鉄鍋を焜炉に置き、別の平らな鉄鍋を持った。

「目玉焼きは野菜炒めと同じ皿でよろしいでしょうか」

「そうだね。それでお願い」

「はい、閣下」

 起こし返しで玉子の白身を切り分けながら各皿に置いて行く。

「この小皿は何ですか?」

「昨日南の領地に行っていたから果物を貰ってね。それの皮を剥いて出そうと思ったのだけれど、まだ剥いていないのだよ」

「ああ、そこに置いてある橙色の丸い実ですか?」

「そうだよ。これはヴァンジュと言う果物で、小さな種が中心付近に少しあるのだけれど、果汁が多くて少し酸味があって仄かに甘いのだけれど、さっぱりしていて美味しいよ」

「楽しみです」

 そう言いながら大き目の台車を持って来て皿を載せ始めた。そして天火の扉を開けると、鍋掴みで大皿を取り出して運び、台車の最上段に置いた。

「それでは先に運びます」

「有難う」

 水伯を厨房に残して食堂へと向かった。水伯は魔術で手早く五個のヴァンジュの皮を一気に剥いて、食べ易く六等分のくし形切りにして小皿に置いて行く。勿論小さな種は取り除いた。

 食堂に着いた颯は念の為に食堂の扉を二度叩いてから開けた。中には既に八千代がいた。

『ばあちゃん、おはよう』

 台車を八千代の近くで停めた。

『おはよう。今日もええ匂いやな』

『今日は天火焼きがあるんじょ。嬉しいわ』

 言葉通り、嬉しそうに言うと皿を各席に置き始めた。

『今日は覚醒式だろ。何時から?』

『兄ちゃんとオレは十一時になっとる。終わったらイノウエ邸に行かんとあかんけん、十時とお昼時はおらんけんな』

『分かった。気い付けて行ってきいよ』

『うん。まあ、気い付けるんは箱舟を操縦するファンブニーさんなんやけんどな』

 そう言って笑った。八千代は聞き慣れない名前に反応する。

『先生の次男だったっけ? あんまり会えへんけん、顔が分からんな……』

『ほうじゃ、ディモーン先生の息子さん。うーんとな、金髪なんやけんど少し濃い色で、目が青おて、顔は眉毛が茶色で、彫りが深あて、シュッとした輪郭で、割と筋肉質でオレより背が低いな』

『金髪碧眼だったら先生と一緒やな。何をしよる人なん?』

『ここにおる騎士団と親衛隊の洗濯とか宿舎の掃除とかかいな? 二百人くらいおるけん、大変っちょったわ』

『ほないにも騎士の人がおったん? 知らなんだわ……』

『オレも屋内訓練所に行ってなかったら知らんかったわ。ほこに使用済みの汗拭きを取りに来るけん時々会うんよ』

『ほな、私が知る訳なかったな』

『ほうやな』

 二人は声を出して笑い合った。颯は汁物が入った深皿も、箸や匙等の食器類が入った箱も置き終えて、手持ち無沙汰になった。

『麺ぽうがないけん、天火焼きの中にご飯が入っとるんと思う。ばあちゃんはどれくらい食べるん?』

『いやいや、こういうんは水伯さんが来てからな』

『ああ、ほうやな。分かった』

 颯は着席して全員が揃うのを待った。直ぐに水伯が台車を押しながら入って来て、それに載っていた果物の乗った小皿を魔術で起き始めた所に、明良と玲太郎が遣って来た。明良は玲太郎を椅子に座らせると天火焼きが載った台車に向かった。

「それでは私が取り分けるよ。水伯はどれくらい食べる?」

「そうだね、八分の一でお願いします」

「はい」

 言われた通りの量を更に載せて一旦横に置き、次に自分の分を盛った。それらを持って水伯の席へ運んだ。

「ばあちゃんはどれくらい食べる?」

「私は十分の一くらい」

「了解」

 先に少し盛って、次の皿に十分の一程度を盛って玲太郎と八千代に運ぶ。

「颯は?」

「六分の一くらい」

「了解」

 言われた量よりも多目に盛ると颯に運んだ。下の方に白飯が見えて、颯は思わず笑顔になった。明良が着席する所を見届けた水伯は合掌をした。皆もそれを見て合掌をする。

「頂きます」

 水伯が真っ先に言うと、皆が口々に挨拶をして食べ始めた。颯は玲太郎の天火焼きを指差す。

「玲太郎、これは熱いからふーふーして食べるんだよ?」

「わかった」

 匙で掬うと息を吹き掛ける。颯も同じようにして息を五度吹き掛けた所で頬張る。

「うん、おいひい」

 颯が左手で口を覆いながら言った。玲太郎は熱そうに咀嚼をしている颯を一瞥して、息を吹き掛け続けた。颯は早々に飲み込むと擂り流しを飲もうと深皿を持った。

「今日のすり流しは玉ねぎかあ。美味しそう」

 手を扇いで匂いを嗅いだだけで顔が綻ぶ颯は深皿を置き、汁用の匙を箱から出して汁を掬うと、これにも息を吹き掛ける。そして口の中に流し込むと美味しそうに飲み込んだ。玲太郎はそれを尻目に、まだ天火焼きに息を吹き掛けている。

 熱々の食事を終えて茶を飲み、明良と颯は出発時間を確認して解散した。水伯は二階の執務室へ行き、明良は玲太郎を連れて勉強部屋へ、颯は食器を食堂へ持って行った後に屋内訓練所へ、八千代は自室へ戻って行った。

 玲太郎は絨毯に座り込んでいて、積み木を箱から出していた。

「きょうは、あーちゃんとはーちゃんでかける?」

 明良も絨毯に座って本を開き掛けていた。玲太郎を一瞥すると、栞を挟んだ所で本を開く。

「うん、出掛けるよ。さっきも言っていたけれど九時半には出るからね」

「ふうん。それならば、さんじかんはある?」

 明良は壁に掛かっている振り子時計に目を遣ると頷いた。

「そうだね。でも身支度をしないといけないから、三時間より短くなるね」

「ふうん。それならば、それまでいっしょにつみきする?」

「積み木では遊ばない。玲太郎を見ているからね」

 玲太郎は振り返って明良を見る。

「ボクみるの? なにゆえ?」

「玲太郎がどう遊んでいるのか、とーっても気になるから」

「ほん、みないの?」

「本は読むよ。でも時折玲太郎も見る」

「へんなのー」

 玲太郎が顔をしかめると、明良は優しく微笑んだ。

「あーちゃん、かみながいの、やっぱりにあうのよ」

 明良は髪を全体的に伸ばしていた。今は前髪が耳の下まで来ている。縦巻きの癖毛なのだが前髪は割と綺麗に纏まっていた。横と後ろも肩に届く程あった。

「そう? それなら玲太郎のお陰だね。玲太郎が言ったから伸ばしたのだからね」

 そう言われて嬉しくなった玲太郎は笑顔になった。そして箱に顔を向ける。まだ残っている積み木を取り出した。

「ボクものばす?」

「玲太郎は伸ばしたいの?」

「じゃまだからきる~。はーちゃんも、みじかいとらくでよいっていってた」

「あーちゃんも短い髪がよいと思わない?」

「おもわない。あーちゃん、ながいかみがにあうのよ」

 言いながら最後に出した積み木を置き、広げている積み木を眺めた。

「全部出せた?」

「だせた。あーちゃん、つみきしない?」

「しない。本を読みながら玲太郎を見ているからね」

「ふうん。わかった」

 玲太郎は土台になる積み木をどれにするか、手に取りながら悩んでいる。明良は読書を始め、そんな二人を窓際にいるヌトが眺めていた。半時間もすると玲太郎は飽きて来たのか、何度となくヌトに視線を送っていた。ヌトは苦笑すると壁をとおり抜けて姿を消し、暫くすると絵本を持って戻って来た。

「これでよいか?」

 玲太郎は絵本の表紙を見ると頷いた。

「これでよいのよ」

 明良が顔を上げる。玲太郎が積み木を片付け、ヌトが玲太郎の前に絵本を浮かせて読み始めるまで、眉を寄せて見ていたが、深い溜息を吐くとまた本に顔を向けた。

 八時前になると水伯が玲太郎を迎えに来て、魔術の練習の為に北の畑へ行った。ハソとニムもそれに付いて行き、当然ヌトも付いて行った。勉強部屋に一人取り残された明良は隣の寝室へ移り、長椅子に座ると読書を再開した。

 外は薄暗く、水伯が朝に降って積もっていた雪を解かしながら進む。今日は後ろが賑やかで、玲太郎は良く後ろに目を遣った。

「わしは行くぞ。であるから玲太郎の事は呉々も頼むぞ」

「わしも行きたいのであるが」

 ヌトに食って掛かるようにニムが言うと、ハソが笑顔で二体を見る。

「わしが残るから行って呉れば良かろう」

「済まぬな。それでは頼むぞ」

 ヌトがハソの肩に手を置いて言った。ハソは真顔でヌトを見る。

「しかし明良と颯の覚醒式とやらを見た所で、どうという事もあるまいに」

「それは判らぬぞ。明良には非凡な才能を感じるからな」

 ニムが言うと、ヌトは手を戻してニムを見た。

「颯の方こそ才能の塊ぞ」

「いやいや、玲太郎には敵うまいて」

 二体はハソを冷めた目で見た。

「比較対象がおかしいのではなかろうか」

「ニムの言う通りぞ。玲太郎はわし等でさえ比較対象にならぬと言うに……」

「逆に目も当てられぬ魔力であったらならばどうする? わしは行かぬ方がよいと思うがな」

 ハソは止まっている二体を置いて進んだ。二体は慌てて追い掛ける。

「それを確かめる為に行くのではないか」

「帰って来てから確認すればよいだけではないのか? ニムとヌトがおらぬ間に、玲太郎が浮けるようになったらどうする?」

「それは大丈夫ぞ。玲太郎のあの様子では浮けまいて」

 間髪を容れずにヌトが言った。ハソは眉を寄せる。三体は動きを止めた。

「それこそ判らぬではないか。今日こそは浮く事もあろうて」

「眠りながら浮けるから、何時いつ浮けてもおかしくはなかろうて。しかしながら、玲太郎は灰色の子に甘えておるからそう簡単には行くまいて。自然現象を顕現出来る程であっても、手元に玉が出せぬのであるぞ」

「風を吹かせ、それに乗る事もあろうて」

 ニムが頷きながら言うと、ヌトが眉を顰めた。

「お主は起きながらにして寝ておるのか? 夢を見るのも大概にするが良かろう」

「何っ、ヌトこそ颯に肩入れし過ぎておるのではなかろうか。颯こそきん少な魔力であろうよ」

「はい、止め。それ以上はせよ」

 ニムが二体の間に割って入ると、ハソは鼻息を荒くした。ヌトは引かなかった。

「灰色の子の半分程度はある事も…」

「おや? 大きく出おったな。灰色の子はわし等に一番近い存在ぞ? その半分とは夢を見ておるのはヌトの方ではなかろうか」

「ないとは限らぬであろうが」

「いいや、玲太郎に皆吸われてしもうて大した魔力はないと思うがな」

「はい、止め、止め」

 二体の間に自分の体で壁を作って止めようとしたが、ヌトがニムを退かした。

「何を言うておるのよ? 先に颯が生まれておるのであるから、玲太郎に吸われる訳がなかろうが」

「やーめーいーと言うておるのであるがな……。玲太郎は例外、な。灰色の子は別格、玲太郎には遠く及ばぬが別格、な。灰色の子の半分もまた特別、灰色の子の半分ですら届く子なぞおらなんだからな。玲太郎と灰色の子を見ておるからと言うて、そう容易に魔力量の多い子が誕生するかよ。ヌトも颯に入れ込むのは結構であるが、胸の内に秘めておれよ。わしは明良が希望通りの進路に進めるかどうか、それを見届けたいだけであるから、ヌトと一緒にするなよ?」

 ハソとヌトは睨み合っていたが、お互いが背を向けた。真ん中にいるニムは愛想を尽かせた様子で玲太郎達の方に向かって進み出した。

「そういう訳で、わしは明良等に付いて行くから玲太郎を頼むぞ」

「詰まる所、ニムは強制覚醒を間近で見たいだけかよ」

 ヌトがそう言うとニムを追った。ハソも負けじとニムを追う。

「それもあるが、あれだけ治癒術やら薬草術やら人体に関する本やらを読んでおるから、気になってしもうてな」

「確かに。魔力が伴わなければ詰め込んだ知識が無駄になるものな」

 ハソが同調すると、ヌトは仏頂面で二体を追い抜いて行った。

「医師一本では患者が来ぬからな」

「明良は目標を持って努力をして来たが、颯はそうではないからな。魔力がのうてもどうという事はなさそうではあるな」

 ハソはわざと声を張り上げて言った。ヌトだけではなく玲太郎も振り返った。玲太郎に睨まれ、ハソは口を押えた。

「ヌートー! めっよ、めっ!」

 玲太郎が怒鳴るとヌトが動きを止めて不機嫌そうにハソを見る。

「お主はあれよ、今日はもう帰れよ。わしが玲太郎の傍におるわ」

「良かろう。ヌトの代わりにわしが颯を見届けようではないか」

「好きに致せ。わしが今日中に玲太郎を浮かせてみせるわ」

「ふん、どうせそのような事は出来ぬわ。ヌトがそれを一番解っておろうが」

「玲太郎はわしには心を許しておるからな、希望はあろうて」

 ニムは脱力して二体を残して先に進んだ。

「解った。どうしても颯を見届けて遣りたいと言うのであれば代わって遣ってもよいぞ?」

「構わぬ。お主が行けよ」

 無表情でそう言ったヌトも玲太郎を追ってハソより先に行った。今度は残されたハソが仏頂面になって皆を追い掛ける。


 明良と颯が出掛けるとハソとニムがそれに付いて行った。水伯は玲太郎を自分の目線まで浮かせて、浮いている感覚を覚えさせていた。

「二人が出掛けたようだよ」

 玲太郎が水伯の方に顔を向ける。

「ふたり?」

「明良と颯ね」

「ふうん。いつかえってくる?」

「十六時半頃になると思う」

「さみしいね」

「そうだね。それにも慣れないといけないね」

「なれる?」

「二人は学校に行き出すから、今までみたいに一緒にいられないという事だよ」

「えええ、ほんとう?」

「本当。二人がいない間に色々学ぼうね」

「なにをまなぶ?」

「うーん、魔術とか言葉とか、礼儀作法、芸術、まだ早いだろうか?」

「やるやる。ボクことばおぼえるのよ。えほんたくさんよむね。でも、まじゅつはできないのよ」

「魔術は出来るのだよ。玲太郎が出来ないと思い込んでいるだけで出来るのだけれどね」

「そう?」

 水伯は大きく頷いた。そして二人はその後もいつもと同じような会話を続けた。


 明良と颯はウィシュヘンド公爵家の紋章の入った箱舟に乗り、覚醒式のある会場へ三十分も早く到着した。ファンブニーは先に明良と颯と護衛一人を降ろして駐舟場に箱舟を停めに行った。後ろから付いて来ていた護衛の箱舟から二人降りると、その箱舟も駐舟場に行った。護衛達は手にしていた剣を革帯に装着している。明良と颯と護衛達は背面にイノウエ家の紋章を大きく刺繍された白地の外衣を着ていて衆目を集めている。辺りを見回していた明良は会場前に十一時から開始と書かれた張り紙がされていて、それを見付けた。

「十一時からという事は、私達が一番という事だね」

「さすがはイノウエ家と言うべきか。それにしても寒いな」

「普段は水伯に甘やかされているから、余計寒く感じるのかも知れないね」

「緊張も混じってるのかも」

「それはあるかもね」

 明良は素っ気なかったがそれはいつもの事だった。暫くするとファンブニーと護衛の一人が合流した。

「中に入って待てるはずだから入りましょう」

 ファンブニーの外衣は黒地にウィシュヘンド公爵家の紋章が刺繍されている。それを見ていた衆人がどよめいた。

「何を騒いでるんだろ?」

 不思議に思った颯が呟いた。先導するファンブニーの後ろを歩き出した明良が颯を見る。

「公爵家とイノウエ家の仲が悪いという噂があるからだと思うよ」

「ふうん?」

「私はウィシュヘンド公爵家の、アキラ様とハヤテ様はイノウエ家の紋章を背負っておりますから、それを見て、うわさは嘘だったと気付いたのでしょう」

 ファンブニーが歩く速度を落として言った。

「もしかして噂を否定するための外衣だったのか?」

「これは寒いから着ているだけだよ。護衛達は制服だからね。私達や貴族の使用人は何処どこの家の者かを知らしめておかなければならない。それで噂を否定する事になってしまっても只の結果だね」

「ふうん。当たらずも遠からず、だな?」

「物は言い様だね」

 明良はそう言うと颯を横目で一瞥した。ハソとニムは上空にいて、二人が建物の中に入って行く様子を見ていた。

「意外と人がおるぞ。これは中に入りとうないな……」

 ハソが我儘を言い出した。

「わしは中に入るが、ハソは此処でおるか? そうなると来た意味がないと思うがな」

「良う考えぬでも、わしには微細な魔力の事が判らぬからな、来た事自体が間違いであったと思うぞ」

「ヌトとあのような言い合いをするからこうなるのであるぞ」

「しかし、判らずとも直接見ておかねばな。ヌトを後悔させて遣るのよ」

 にわかに鼻息を荒くして会場の中に向かって行った。ニムは苦笑して跡を追った。

 会場の中は暖房魔術が掛かっていて暖かく、三人は外衣を脱いだ。ファンブニーが外衣を預かった。二千人は収容出来る会場内の座席は半分以上が埋まっていて、明良達は後方に行って端の方に座った。

「お二人は硬貨をお持ちになりましたか?」

「持って来たよ。小白金貨ひゃくまん一枚」

「オレもお父様に頂いた小白金貨を一枚持って来てる」

「閣下から大金貨じゅうまん一枚と言われませんでしたか?」

「言われていないね」

「同じく」

「覚醒式の寄付は多過ぎてもいけないので、大金貨一枚が上限という不文律が存在するんです」

「領主だからとお父様に言われたから、私はこれでよいよ」

「オレも白金貨しか持ってないからこれでいいや」

 ファンブニーは戸惑って言葉を失った。

「水伯が何も言わなかったのは任せてくれているからだろうし、これでよいと思うよ。それに寄付箱に入れる際に硬貨を見せなければよいだけだからね」

 明良に真っ直ぐ見詰められてそう言われると、それで構わないような気がして来たファンブニーは頷いた。

「それにしても始まる前からこんなに人が集まる物なのか。ちょっと多過ぎないか?」

 颯が小首を傾げた。

「野次馬も混じっていますからね。イノウエ家の新しい次期当主が覚醒式に出席するという噂も流れていましたので、外にもあれだけ人がいたのだと思います」

「それなら兄貴は外衣を着ていた方がいいんじゃないのか? イノウエ家って分かり易くなるよ」

「氏名を呼ばれて順に始めるので外衣がなくても分かりますよ」

 ファンブニーが前のめりになって颯の方に笑顔を向けて言うと、颯も上体を前に倒してファンブニーを見る。

「えっ、名前呼ばれるのかよ。それだとオレも知られてしまうな。うわあ……、緊張して来た」

 そう言うと外套を脱ぎ出した。

「それにしてもこの服、窮屈で堪らないな」

 外套を簡単に畳んで膝に置くと、首と襟の間に人差し指を突っ込んで首周りを気にした。

「貴族の一員になったのだから我慢しなさい」

「ほら、剣の素振りしてるだろ? それで筋肉が付いてきつくなってると思うんだよな」

「ああ、そういう事ね。成長したのならば仕方がない。買い直さなければいけないね」

「この服、兄貴に上げようか?」

「颯の服は私には大きいよ。だからいらない」

 明良は颯の方を見ないで、真っ直ぐ前を向いていた。

「そう? 勿体ないな」

「騎士の中には体格の近い人がいるだろうから、欲しい人がいないか、騎士団か親衛隊で訊いてみればよいのではないの?」

「そうだな、そうする。腕周りとか太もも周りもきついわ」

「そんな事より、共通語を話すようになって少しは増しな言葉遣いになっていたのに、何故そんなに荒れてしまったの?」

 明良が颯の方に顔を向けると、既に明良を見ていた颯と目が合う。

「うん? んー、多分だけど、騎士達と話してる内に移ったんだと思う。大丈夫、閣下には失礼な口は利いてないから」

「玲太郎に移るだろう? その直ぐ感化される癖を直さなければならないね。それと閣下と呼ぶのは人前だけね。それ以外は水伯と呼ばないと寂しがるよ?」

「後ろっヶ月もすれば玲太郎とは距離が出来るから、そんなに神経質にならなくてもいいと思うけどな。まあ、閣下の呼び方は癖付けておかないと、人前でも水伯って呼んでしまいそうだから閣下でいいよ」

 それを聞いた明良は無言で前を向いた。

「それにしても、オレらの付近に誰も座らないな」

 三人の半径十五尺以内に誰も座っていなかった。それもその筈、四人の護衛が目を光らせている。

「人がいないと気が楽だからこれでよいね。それよりも、舞台に置かれている物が見える?」

「うん、見える。なんか道具が一つある。後は長机が一台と椅子が三脚だな。あの道具は何だろう?」

「魔力量と質を測定する道具になります。あの道具は閣下の魔力を計るために作られた道具ですので、最高値を百とすると大抵は十以内を指します。突出した人で十と言った所でしょうか。それ以上は極まれに出る事があるそうです。質の方はムラが多いですが五十まで行く事もあるそうです。ちなみに閣下は量の方が測定不能で振り切るそうなので、目的は達せていない事になります。質は正確に百で計れているそうですよ」

「ふうん。量も閣下を百とした測定器があったらいいのにな」

「それは言わないお約束という物だよ。それに水伯が百になる測定器があったら皆の数値が下がってしまうから、ない方がよいのだと思うよ」

「所で、ファンブニーさんはどれくらいだった?」

 不意に話を振られたファンブニーは前のめりになって顔を横に向けると颯を見た。

「私はですね、量が十一、質が二十三でしたね。量の平均は六、質の平均は二十一と言われていますから、平均以上になります」

「おお、凄いな。オレもそれくらいあれば御の字なんだけどな」

「そうだね。兎にも角にも、高望みはしないでおこう」

 明良は気を引き締めたが、颯は緊張で落ち着かなかった。

「舞台の上にいる人って、どうして長衣を着ているんだろうか」

「あれはですね、国の機関で魔術に関する仕事をしている方の制服になります。色は役職などは関係なくあの黒のみです」

「ふうん。それじゃあお偉いさんとヒラの区別が付かないんだ」

「一見はそうですね。襟元に章が着いているので、それで区別が出来ると思いますよ」

「きしょう?」

「所属団体などの意匠を刻んでいる小さな装飾品ですね。大抵は貴金属で出来ています」

「意匠って事は、外衣にある意匠を小さくして、装飾品にしてるんだ?」

「そうです」

「成程」

 落ち着かない颯は話が終わってしまうと、また辺りを見回した。こちらに視線を向ける人が多い事に気付く。

(兄ちゃんを見よるんだろか。顔が抜群にええもんな。意図せず注目を浴びる兄ちゃん可哀想)

 隣に座っている明良を凝視した。そしてとある事に思い至り、含み笑いをした。

「どうかした?」

「兄貴、ファンブニーさんがいるのに、閣下の事を水伯って言ってたなと思って。人前なのに水伯って言ったらダメだろと思ったらおかしくなった」

「……ああ、そうだね」

 相変わらずの無表情だったが、頬が本の少しだけ緩んだのを颯は見逃さなかった。そしてその頬が紅潮している事が気になった。

「兄貴、暑いのなら外套を脱いだらどう?」

「そうしよう」

 明良は立ち上がると外套を脱いで腰を掛けた。外套を簡単に畳んで左前腕に掛けた。

(兄ちゃんも緊張しとるんかいな。ほらほうか。これで選択肢が狭められてしまうもんな。まあ魔力があれば逆に広がるけんど、ほういう未来が見えて来んもんなあ……)

 颯は足を組んで背もたれに身を預けた。

「そういう姿勢はしない。足を組むのは止めなさい」

「今日は礼儀作法の授業はないはずなんだけどなあ」

 颯は椅子に居直って姿勢を正した。

「不満も漏らさない」

 そう言われると仏頂面で明良を見て黙った。明良は姿勢を伸ばし、前を見据えていた。


 ハソとヌトは明良達と正反対の位置にいた。ニムは舞台の上で値踏みをしている。

「此処におる子は、どの子も魔力が今一つよな。これで強制覚醒させられるのであれば、ある意味凄いな」

「そうなのであるか? 覚醒させるだけなのであるから、魔力は大して関係ないのやも知れぬぞ」

「覚醒する為の切っ掛けを僅かでも与えられればよいと言いたいのか?」

如何いかにも」

「さてどのように覚醒させるのか……」

「ニムはこの地方の遣り方を知らぬのか?」

 ニムの方を向いて訊くと、ニムは首を傾げた。

「地方というか、この国がこのように大々的に遣っておるとは知らなんだし、覚醒の遣り方も知らぬな。わしが見て来た所は学校のような施設で覚醒に至って、そのまま術の習得という流れであったと思うのであるが、今はどうか知らぬ。目族は成人儀礼で覚醒させるのであるが、験担ぎにその時おる一番魔力の強大な者が新成人の子の両手を取って覚醒させるのよ。それを見ておるから、この子等では心もとなく感じるな」

「しかし魔力の多寡は持主次第であるから、覚醒させる側には関係なかろうて」

「それはそうなのであるがな……」

「灰色の子はどういう風に覚醒したのであろうか。ニムは知っておるのか?」

「シピから聞いた話では、灰色の子が覚醒した時に偶々たまたま近くにおって、海中で溺れ掛けて覚醒したようで、海面へと徐々に浮かび上がり、浜に流されるのを見ておったとかなんとか」

「そうなのであるな。灰色の子も難儀な事よな……。それにつけても、やはり覚醒させる側の魔力の多寡は関係なさそうであるな」

 ニムは顔を顰めた。その表情を見たハソは微笑んだ。ニムは平静を装う。

「兎も角、明良も颯も子としてはそれなりに多い方だとよいのであるがな」

「明良は努力が実るようにねごうておるが、颯はな……。颯は透虫等が付いておるから魔力がのうても、どうにかなりそうではある」

「颯には魔力がないのではなかったのか」

 ハソは慌てた様子でニムを見る。

「いや、ないとは言うておらぬ。のうてもどうという事はないと言うただけぞ」

 ニムは冷ややかにハソを見続けた。

「なければよいとか、そういう意味で言うたのではないぞ」

「確かに颯に魔力がのうても、透虫でどうとでも遣りそうではあるがな。あれもまた一種の才能よな」

 そう力強く言うと、ハソが怪訝そうな表情になる。

何故なにゆえそのような言い方をするのよ? 何かあったのか?」

「いや、何、透虫を使つこうて覗き見をしておったら見えなくされたのよ。明良にそのような芸当は出来まい。玲太郎にも無理であろう。となると颯しかおるまいて」

「そのような事か。以前から遣っておるぞ。わしも遣られたからな」

「そうなのであるか」

「何時頃であったか……。すっかり忘れてしもうたが、一度遣られて以来、颯の付近では遣っておらぬな」

「わしは夜に玲太郎が浮くかどうかを見たかったから何度か遣ったわ。毎度消されたが、ヌトという線はあるまいか」

「ヌトはどうであろうな。何が何処まで出来るか一切判らぬが、千里眼を中断させる事は出来まいて」

「ふと思うたのであるが、以前にもこのような会話をした事があったのではなかったか?」

「そうであったか? 記憶にないが」

 二体はその後もたわいない会話を続け、覚醒式が始まるのを待った。


 十一時になると、長衣を着た係員の一人が直径二寸程ある音石を口元に持って来て息を吸った。

「それでは今年の覚醒式を始めます。アキラ・ジャネシュ・イノウエ様、壇上へお越しください」

 拡音器で音声が会場に響き渡り、一番に呼ばれた明良は立ち上がる。颯が通路に出ると、明良も通路に出た。颯が席に戻ると、明良は護衛二人に前後で挟まれて左側の通路を歩き、舞台の脇にある階段を上る。会場はざわついていた。すると別の係員が音石を手にした。

「ハヤテ・ボダニム・イノウエ様、壇上にお越しください」

 颯はまた立ち上がると、明良同様、前後を護衛二人に挟まれて壇上へと向かう。騒然となっている会場が更に煩くなった。先に上がっている明良は、呼んだ係員の傍に行った。男は簡素な細工が施された魔術棒を持っていて、それの先端を明良の胸の前へ向けた。

「それでは始めます」

 会場が俄に静まり返った。

「我等を守りし大精霊の導きにより、新たなる芽吹きがあらん事を」

 呪文を唱えた後、暫く動かずにいたが咳払いをした。そして中央の前方に座っている内の一人のもとへ行って耳打ちすると、その係員も遣って来て、今度は二人が魔術棒の先端を明良に向けた。

「我等を守りし神聖なる大精霊よ、木深き中に響く声風に応え給う。き隣人となるであろうこの子に新芽の歓びを与え給う」

 二人が口々に先程より長い呪文を唱えた後、顔を見合わせて三人目を呼びに行った。静かになっていた会場がまたざわつき始める。ニムは笑いを堪えるのに必死になっていた。ハソは険しい表情をしている。颯も二人体制になっているが、上手く行っていないようだった。明良の方は三人体制になった。

「我等を守りし神聖なる大精霊よ、木深き中に響く声風に応え給う。佳き隣人となるであろうこの子に新芽の歓びを与え給う」

 先程と同じ呪文で唱えると三人は険しい表情になった。一人が颯の方に向かい、もう一人を呼び、連れて行ってしまった。颯は表情を変えず、後ろ手に手を組んで待っている。四人体制となった明良側の係員がまた呪文を唱えたが、颯の傍にいた残りの一人を手招きで呼び、五人体制となると会場のざわめきが大きくなる。ニムがその中に混じると、無表情だった明良の眉が少し動いた。五人は長い方の呪文を各々が唱え、ニムは明良の背後に行って手をかざすと呪文を追随して唱えた。すると、五人は咄嗟に両手を前に遣り、何かを防ごうとした。その後、安堵したようで笑顔になった。

「どうぞ、こちらへお出でください」

 最初に呪文を唱えた係員が明良を先導して魔力測定器の前へと連れて行く。颯の方には三人が集まっていて、当然のようにニムも混じっていた。

「こちらに手をお置きください。それから指針の動きが止まるまでお手はそのままでお願いします」

「解りました」

 指示された通り、半球体が見えている部分に手を置いた。そうすると片方の指針が振り切り、もう片方は百を指していた。会場の前方に座っていた人々から歓声が上がったが、直後に会場全体が沸いた。

「はい、結構です。お帰りください」

「お世話になりました」

 小さく辞儀をすると寄付箱へと行き、上着の衣嚢から硬貨を出して寄付箱へ入れた。颯の方を見ると周りにいる護衛を含めた人々が固まっていた。ニムは声を出して笑っている。明良は先に舞台から下りて、出入口で待っているファンブニーの所へ向かう。浮遊感に襲われていて、きちんと歩けているのか甚だ疑問だった。

「歓声が沸いたけれど、何かあったの?」

 ファンブニーの下に着くや否や訊くと、ファンブニーは目を輝かせて大きく何度も頷いた。

「ハヤテ様の周りが煌々としていたのです。ここでも明確に見えました」

「そうなんだ。見ていれば良かったな」

「測定中でしたし、仕方のない事です。それで魔力は如何程ございましたか?」

「片方は振り切って、片方は百だったよ」

 冷静な明良がそう言うと、ファンブニーが目を丸くした。

「閣下と同じですか。それは凄いですね。おめでとうございます」

「有難う」

 余程嬉しかったのか、僅かに微笑んだ。それを見ていたファンブニーの顔が紅潮した。明良は外套を羽織ると、ファンブニーが我に返った。そして手に持っていた外衣の一つを広げた。

「失礼致します」

 明良の背後に回って外衣を肩に掛けた。明良は外衣の端を手に取り、留め具を探して留めた。すると既に外套に身を包んだ颯も遣って来て、ファンブニーが持っている外衣を取ると素早く羽織って留め具で留めた。

「あー、体が気持ち悪い。自分の物ではないみたいな感じ。お父様の所へ早く行こう。腹が減ったよ」

 颯に急かされたファンブニーが開扉して外へ出るとそのまま扉を支え、護衛二人に続いて明良と颯が出て、護衛二人が続いて出た。

「ファンブニーさん、外衣をちょうだい」

 差し出された手に素早く外衣を渡す。

「ありがとう」

「ハヤテ様の魔力は如何程でしたか?」

 外衣を羽織ると、ファンブニーが後ろから声を掛けた。

「百と百だな」

 颯は感情が表に出ておらず、平然とした態度だった。

「えっ、ハヤテ様もですか?」

 ファンブニーは目を丸くしていた。

「も? もって事は兄貴も?」

「私は片方が振り切っていたよ?」

「オレも振り切ってたけど、あれは百だろ?」

「いいえ、片方は振り切ると百以上ですね」

「そうなんだ。それじゃあ百以上か」

「おめでとうございます。閣下と同じですね」

 そう言いつつも、内心は信じられなかった。

「ありがとう。閣下と同じという実感がまだないけどね」

 護衛の一人が扉を開けると会場を出た。

「それでは箱舟を持ってまいりますので、この辺りで暫くお待ち下さい」

 ファンブニーと護衛の一人が駐舟場へ向かった。

「これで玲太郎と一緒に魔術の練習が出来るようになったね」

 明良は颯を見るでもなく言った。颯は明良を見る。

「強制覚醒だから、魔術を使うにも呪文が必要になってくるんだよな?」

「そういう事になっているから、そうなるんだろうね」

「だったら玲太郎とは一緒に出来ないだろ? 玲太郎は呪文なしだからなあ」

「……そうだね」

 颯は苦笑したが直ぐに無表情に戻る。

「兄貴が覚醒した時、熱波を浴びた感じがしたよ。オレの時は周りが輝いて驚いたわ」

「そうだったのだね。私は熱など感じなかったのだけれど……。颯の時は違う方を向いていて見ていなかったから残念だよ」

「一生に一度しかないから、見ておいて欲しかったよ」

 明良は颯の肩を軽く叩いた。二人はファンブニーが迎えに来るまで沈黙していた。今度の覚醒式は後にナダール王国の伝説となる。


 その頃、ハソとニムは既に水伯邸へ向かっていた。

何故なにゆえニムが手助けをするのか。あれは駄目であろうが」

 ハソが小言を言っていた。ニムは苦笑をしている。

「しかし、ああでもせぬ事にはあの二人の覚醒が出来ておらなんだぞ。結局は覚醒する側の魔力が多いと、させる側にもそれなりの魔力が必要である、という事が判明したのであるからよいではないか」

「しかしも何もないわ。わし等は傍観者ぞ」

「さてはハソめ、己が遣りたかったのではなかろうか」

 図星を突かれて口を噤んだ。ニムは苦い表情をする。

「あの魔力操作はハソには難しいと思うがな。透虫ならばハソの出番であろうが、魔力ではな……」

 悔しくて切歯した。ニムは得意満面になる。

「それにつけても、ヌトも悔しかろうな。このわしが! 明良と颯を覚醒させたのであるからな」

「……それはわしも悔しいのであるが……」

 ハソはそう言うと心底から悲しそうな表情になった。

「わし等の中ではわしが一番にあの家に辿り着いておるのであるからな。わしが一番あの兄弟を見守っておったのであるぞ」

「僅差ではないか。自慢出来る程の事ではなかろうて」

 ニムが眉を顰めて言うと、仏頂面になったハソが小さく溜息を吐く。

「わし等と同等の魔力を持っておるというに、それにも気付かずずっとおったのであるぞ」

「覚醒せねば判明せぬから仕方なかろうて。しかし、こうなると痛切に灰色の子が気の毒に思えるな」

 ハソはそう言ったニムに顔を向けた。

「何処が気の毒なのよ?」

「シピが言うておったではないか。灰色の子は壊れておると。壊れておらなんだら如何程の魔力であったのかと思うとな……」

「そういう事か。玲太郎ならば直せるとシピは言うておったが、それに就いてはどう思う?」

「わしは直せると思うのであるが、玲太郎が手段を見付けられるかどうかが問題だと思うておる。灰色の子のつい精霊を見ておると、どうすれば直せるのか、わしでは見当も付かぬわ」

 ニムの言に「うーん」と唸ったハソは口を開いた。

「あれは初めての型よな。大き過ぎるわ、半透明であるわで、あのような精霊は見た事がないぞ。本当に精霊であるのか、甚だ疑わしいのであるが……、灰色の子と繋がっておるから本物よな」

「大きゅうなってしもうておるが、あれは灰色の子の魔力を吸い上げておるからであろうな。昔はあそこまで大きゅうのうて、年数が経つに連れて徐々に大きゅうなりおって、今ではあの有様よ」

 二体は険しい表情で水伯邸に到着すると、玲太郎の気配がする北の畑へと向かった。玲太郎とヌトが遣り取りをしていて、水伯が少し離れた所でそれを眺めているようだった。ハソは顔を顰めてヌトの所へ行く。

「玲太郎、父上の所へ行ってよいぞ」

「え? もうすこしやるのよ」

「既に時間が過ぎておるぞ? 共通語の勉強をせねばなるまいて」

「ことばのべんきょう、きょうはやすむ」

「毎日遣ると明良と約束をしたのであろう? 続きは明日にでも遣ろうぞ」

 玲太郎は渋々頷くと水伯の下へ歩いて行った。水伯はそれを見て玲太郎の方へ歩く。顰めっ面のハソと得意顔のニムがヌトを見ている。二体を交互に見たヌトは無表情になった。

「嫌な予感しかせぬな」

「心して聴けよ、颯の魔力が如何程であったかを」

 ニムがヌトに近付いた。顰めていたヌトの表情が真顔になる。

「その前にわしの話を聞いて呉れよ。強制覚醒させる子等の魔力が足りずに、ニムが手つどうて明良と颯を覚醒させたのよ。有り得ぬであろう?」

 ヌトは気の抜けた表情でニムを見る。

「それは駄目であろうて」

「いやいやいや、そうでもせぬと覚醒しておらぬのであるぞ」

「灰色の子がおるのであるから、とっとと帰って来て灰色の子に頼めばよいだけの話ではないのか。お主が手を貸す事ではないわ。明良なぞ内心では嫌がっておったであろうて」

 ニムは消沈した。渋い表情をしたハソがニムを見た。

「確かに明良の気持ちを考慮しての行動ではなかったな。しかし、もう遣ってしもうたのよ。後の祭りぞ」

「どうせならば灰色の子に覚醒して貰いたかったろうて」

 ヌトが言い終えるとハソの方に顔を向けた。

「それで魔力は如何程であったと言うのよ?」

「ああ、それはな、わし等と同等であったぞ。明良は覚醒した瞬間に熱を発しておったわ。颯は周りの空気が煌いておったな。颯のは会場におった子等にも目に見えたようで、歓声が上がっておったぞ」

「そうなのであるな。わしも行きたかったわ。ま、玲太郎が浮けるようになったから、これはこれで良かったのであろうがな」

 ハソは愕然とした。ヌトは無表情でそれを見ている。

「何っ、本当に浮いたのか!?」

「浮いたぞ、少しではあるがな。それもあって今日は時間を過ぎても練習を遣っておったわ」

 それを聞いて、ハソは悔しそうに顔を顰めると固く目を閉じて暫くそのままでいた。目を開け、ヌトを見る。

「わしは今日、ひとっつもよい事がなかったわ」

「まだ今日が終わった訳ではないし、お主は明良と颯の覚醒した瞬間を見ておろうが。贅沢を言うなよ」

 そう言われて思い直したのか、表情が些か明るくなったが、まだ渋い表情をしている。

「……どの程度浮いたのだ?」

「五ジル(約三寸三分)程か? 浮けたのであるが動けぬのよ」

「ほう、それだけか。それならば良かったわ。わしの知らぬ内に彼方あちら此方こちらへと飛べるようになっておったらどうしようかと思うておったからな」

「強がりは止せよ。本当は浮く瞬間を見たかったのであろう?」

「ヌトこそ颯の覚醒する所を見たかったのであろう? 済まぬな、わしが行ってしもうて」

 そう言って不敵に笑って見せたが、ヌトは無表情のままだった。

「千里眼で見ておったから別に構わぬ。魔力が如何程かが判らなんだがな」

 ハソは愕然として消沈した。

「ま、颯の魔力はそれなりにあるとは思うておったが、明良もであったのは意外であったわ。しかし、それなりという水準ではなかったな。結果が良ければ全て良しよな。これで颯も明良もわし等の仲間入りという事になるな」

 気の抜け切っているニムが俄に我に返り、ヌトを見た。

「頼む、明良にわしが覚醒させた事をどう思うておるのか訊いて呉れぬか」

「唐突に何を言うかと思えばそのような事かよ。己で訊けば良かろうて」

「ヌトなら明良も話して呉れるであろう? わしは駄目なのよ。わしに話し掛ける時は、悪霊退散とかねとか消えろとかなのよ」

 片眉を下げたヌトは、哀れむようにニムを見た。

「それは話し掛けておるわけではないと思うのであるが……。わしも悪態を吐かれる事はあるが、お主程ではなかったと判って安心してしもうたわ」

「わしだけではないぞ。ハソも言われておる。少しでも居着こうとすると言われるのよ……」

 ヌトは眉を顰めた。すると、今度はハソが我に返りヌトを睨み付けた。

「ヌトだけよい思いをしておるのはずるいではないか。わしは玲太郎をずっと見て来たと言うのに、初めて飛ぶ姿を見られなんだのであるぞ。それなのにヌトは颯の覚醒した瞬間も見おって……、くうっ」

「それは完全に難癖よな。千里眼で玲太郎を見ておれば良かった話ではないのか。そもそも颯等に付いて行くと決めたのは己自身であろうが。油断しておったハソが悪いのであるから、わしに八つ当たりをするなよ」

「何っ、ヌトは颯の覚醒した瞬間を見ておったのかよ?」

 ヌトはそう言ったニムの方に顔を向ける。

「当然ではないか。千里眼を使うなとは言われておらぬからな。明良が五人の子とニムに何やら遣られておるのが見えて、それが終わってから颯の周辺が煌いておったのも見たぞ。外衣を羽織って外へ出て行く所まで見ておったわ」

「颯に千里眼を中断されなかったのかよ?」

「されなかったが」

 ハソとニムは目を剥いた。

「わしなぞ何度も中断されたが、何故なにゆえヌトは許されるのか」

「わしは一度遣られた後はもう止めておると言うに……。ヌトだけは何故なにゆえか居着く事を許されておるし、玲太郎には気を許されておるし、特別扱いは狡いと思うのであるが!」

「これは颯に抗議せねばなるまい」

「わしも颯に抗議するぞ」

 二体は何故か憤っていた。ヌトはふと何かを思い出して表情が厳しくなった。

「それにつけても、颯と明良が覚醒したら魔力の漏れがのうなったように見えたのであるが、見ておって何か変わった事はなかったか?」

 ハソとニムはそれを聞いて顔を見合わせ、直ぐにヌトに顔を向けた。

「わしは其処そこまで見ておらなんだわ。漏れがのうなったとは真の事か?」

「わしもよ。何も気付かなんだが、変わった事と言えば覚醒した程度よな」

「如何にも。明良と颯も覚醒して、印が只の石に成り下がった可能性はあるな」

「ふむ。そうなのであるか。気付かなんだのか。成程、成程」

 ヌトは気の抜けた表情で二体を見ていたがそれ以上は言わず、二体を残して先に玲太郎の下へ向かった。


 明良と颯は夕食に何とか間に合う時間に戻って来た。二人は急いで着替えて食堂へ行くと、既に食事の準備が整っていて、後は二人が着席するだけとなっていた。帰宅の挨拶を済ませてから着席して、水伯が食事を始める挨拶をすると、それに続いて皆が挨拶をした。豪華な食事に颯が嬉しそうにしている。

「ばあちゃん、今日はご馳走だね。大変だったんじゃない?」

「聞いたよ。二人共、水伯さん並みに魔力があるんだって? おめでとう。良かったねえ、玲太郎とずっと一緒にいられるね。だからお祝いに腕を振るったよ」

「ばあちゃん、ありがとう」

「それは有難う」

 颯に続いて明良も礼を言うと、微かに頬を緩めた。八千代はそれを見て満面の笑みを浮かべる。

「これだいすき」

 玲太郎も嬉しそうに箸で食べ始めた。

「お祝いと言えばこのバラ寿司だよな。久し振りに食べられて嬉しいよ」

 颯がそう言って大きな一口を頬張った。明良は既に咀嚼をしている。

「このお肉は水伯さんが和伍に行って買って来てくれたんだけど、物凄くいいお肉だから塩だけの味付けにしてあるからね」

 颯は一口大に切られた肉に目を遣った。そして口の中の物を飲み込むと水伯を見る。

「閣下、ありがとうございます」

 柔和な表情で颯を見た水伯は頷いた。

「颯には話があるから、食後に二階の執務室へ来て貰えるかい?」

「分かりました」

「私も水伯に話があるのだけれど……」

 水伯は明良の方を向くと頷いた。

「それでは颯の後に話そうか」

「お願いします」

 二人は各自の皿に視線を遣り、二人共がバラ寿司を箸で摘んで口に運ぶ。颯は肉を美味しそうに咀嚼している。そして不穏な空気を放っている二体に目を遣った。険しい顔をして颯を見ている二体の少し後ろで、無表情のヌトが玲太郎を見ていた。颯も玲太郎に視線を移すと、玲太郎も上機嫌で咀嚼をしている。


 颯は八千代と後片付けをした後、二階にある水伯の執務室へ向かった。扉の前で止まると軽く二度叩いた。

「颯です」

「どうぞ」

 声を聞いてから開扉した。右側には椅子が三脚に、脚の長い机、奥に椅子が三脚ある。そして左側に執務机があり、一階とは違って資料が雑然と積まれていた。両壁には絵画が飾られている。水伯はちょうど真ん中にいて、颯の右側の方を手を差していた。

「こちらに座って」

「はい」

 颯は後ろ手で閉扉すると手前の椅子に座った。その前に水伯が腰を下ろす。

「閣下、お話とは何でしょうか」

「先ずはおめでとう。玲太郎と長く一緒にいられるね」

「ありがとうございます。それは本当に良かったと思うのですが実感がないんです」

「それは生きている内に実感し出すよ。それにつけても、颯は以前、私に言った事を憶えているかい?」

 颯はなんの事だか判らず首を横に振った。水伯は柔和に微笑む。

「私程長生きになったら友達になるという話だけれど、憶えていない?」

「ああ、うん、いや……、はい、そのように言った事は記憶しています」

 崩れ掛けた表情を元に戻して真顔で答えた。

「だから、その言葉遣いはもう止めなければならないね」

「なぜです?」

「友達だから」

 言葉を失った颯は水伯を真っ直ぐ見ていた。水伯は柔和な微笑みを崩さない。

「もう観念しなさい」

 颯は目を閉じて頭を掻くと、開いていた股を更に開いた。

「参りました。でも友達でいいのか? 二千歳以上離れてるんだけど……」

「友達に年齢は関係ないよ。これで私は颯の友達一号だから宜しくね」

 そう言って手を出すと、颯はその手を握った。

『いやあ、こうなるとは夢にも思ってなかったわ。こちらこそ末永くよろしくお願いします』

 二人は同時に手を離して微笑み合った。

「質は同じだけれど魔力量が私より多いね。……という事は、私より長生き出来るという事になるね」

「そういうのも分かるもん?」

「判るよ。覚醒してくれてさえいれば、ある程度は判るね。颯も直に判るようになるよ」

「そんなもんだろうか? まあ、これから長生きになるから、経験も半端なく積むんだろうけど……」

「経験と言えば、やはりこのまま学校へ行くのかい?」

「うん、そのつもり」

「そう……。それでは颯も飛ぶ練習を遣ろうか」

 そう言われて少し間が空いた。

「え?」

 水伯は微笑む。

「慣れれば十分程度で和伍まで行けるよ。十分とは言っても、法定の昇降に掛ける時間の問題で十分になってしまうのだけれど、ね。学校に行くのであれば王都になるだろうから、此処から通えるように明日から飛ぶ練習を遣って、それから特級免許の取得をしようね。下級や中級や上級は駄目だよ。特級を取得しておけば、高度を気にせずに飛べるし、他にも特権があるからね」

「いや、ちょっと待って。ナダールの強制覚醒だと呪文が必須になってくるんだよな? 違ったっけ?」

「最初の内は呪文は必須だけれど、慣れて来るとそうでもないみたいだね。でもそれだけ魔力が膨大だと強制力が効かないだろうから、呪文は必要ないと思うよ。玲太郎は今日、ヌト様に指導して頂いて少しだけれど浮けるようになったのだよ。だからこのままヌト様に玲太郎を見て貰おうかと思っているのだけれどね。そうすると私も手が空くから、颯と明良に教える事が出来るかと……」

「うん? 玲太郎が浮いたって、ヌトが教えたから浮けるようになったと?」

「そうだよ。私では玲太郎を浮かせる事が出来なかったのだけれど、私では嫌かい?」

 颯は首を横に振った。

「兄貴は水伯がいいって言うと思うし、オレも水伯がいいよ。他に当てもないしな」

「ヌト様やハソ様やニム様は?」

「あの三体は、うーん、仲良くしたいとは思えないね。ヌト以外は来るからいる事を許しているだけって感じ」

「そうなのだね」

「基本的に不干渉だからなんだけど、正直いなくなって欲しい」

「数年前は不眠の原因だったものね」

「それはまだ根に持ってるよ。思い出すだけでイラッてなるから、多分もう忘れられないんだろうな」

「玲太郎の世話で大変だった時と重なっているから、体が余計にきつかったんだろうね」

「しかも気配が強烈だったからなあ、あれは本当に辛かった」

「解るよ。あの気配は尋常じゃないもの」

 苦笑しながら水伯が言うと、颯は大きく頷いた。すると水伯が真顔になる。

「それにつけても、進路はどうする積りでいるの?」

「ああ、それか……。また一から考え直そうかと思ってる。さすがにこの魔力で騎士だと、すぐに天辺取っちゃって続けられそうにないからなあ……。じょう学校に入って、何かを学んで、玲太郎に教えるのもいいなって思ってるとこ」

「颯と明良の魔力の事は既に全国の国家機関には知れ渡っているからね。イノウエ家は今まで以上に敵視されるかも知れない。国外に出さないように、寧ろ取り込もうとして厚遇して貰える可能性もあるけれど、颯はイノウエ家に縛られる事なく自由にしてよいのだからね」

 颯は頭の後ろで手を組んで背もたれに体を預けた。そして視線を上に遣って集合灯を見た。

「自由か……。まあ、学校に行きながら考えるとするわ。…と、その前にどこの学校に行くのかが問題なんだけど、やりたい事が分からないと、なんだよな……。こうなると堂々巡りで話にならないな」

「取り敢えずは騎士の学校に入って、遣りたい事が見付かれば家庭教師を付けるなり、違う学校に入り直すなりすればよいと思うよ。颯の時間は普通の人よりも遥かに長いのだからね」

「……そうしようか。体を動かす事は好きだし、木剣を振り回す事も好きだしな」

「上学校でも初級の魔術を教えて貰える所を探せばよいよ。沢山あるからね。若しくはこの二ヶ月で学校で教わる魔術を習得すると言う手もあるけれどね。魔術は想像力が物を言うから、骨さえ掴めたら後は魔力量でどうとでもなるよ」

「うん……。まあ、まずは宙に浮く事から始めるよ。お手柔らかにお願いします」

 姿勢を正すと頭を下げた。水伯は柔和に微笑んだ。

「受験まで二ヶ月と少々だから、明日から頑張ろうね。でも頭脳や魔術の技術が少々足りなくても、その魔力があれば、何処の学校も受け入れて貰えると思うけれどね。そういった類の話はガーナスとはしなかったのかい?」

「お父様とは主に兄貴が話してたよ。兄貴の進学と同時にお父様が隠居して兄貴が爵位を継承するという話と、公爵位に昇爵出来るのならするという話をしてたな。後は兄貴の学校の話。予定通り薬草術と治癒術を習える所を受験するとかなんとか。後はお父様の長い長い昔話を聞かされてただけ」

 水伯は少し笑うと軽く二度頷いた。

「明良の話はそれなのだろうね。……そう、もうガーナスが引退する歳になったのだね。月日が流れるのは早いね」

 颯は何かを思い付いたのか、目を少し開いた。

「あっ、そう言えば、お父様の父親って騎士だったんじゃなかったっけ?」

「ロベルトだね。そうだよ、魔術騎士だったよ。剣の筋は良くなかったけれど、運動神経が良かったのと、魔力の質が高目だった事もあってそこそこ強かったね」

「その、剣の筋は悪いのに、運動神経と魔力の質が良かったから騎士をやれてたって、それはどういう事?」

 水伯は眉を顰めて颯を見詰めると、暫くして小さく二度頷いた。

「ロベルトはね、運動神経が良かったから、相手の攻撃をかわせていたのだよ。目も良かったのだろうね。それで魔術を使って相手に隙を作らせて勝っていたのだけれど、所謂いわゆる邪道という戦い方だったから印象が悪くなるのは仕方のない事だよね。でも強かったのは確かだよ。平和な中で生きていたから本気を出した事もなかったのではないのだろうか」

「へえ、そうなんだ。ふうん……。水伯は戦場に出た事はある?」

「あるよ。現在進行形だね。南の領地は隣国との境界線の奪い合いをしているからね。向こうが攻めて来たら蹴散らさなければならないし、取られたら奪い返さなければならないからね。私の持っている私兵は強いよ」

「じゃあオレが魔術騎士になって水伯に雇ってもらおうか。それでオレが隣国を潰す」

「あはははは。それは無理だよ。相当手加減をしないと隣国が一瞬で潰れてしまう。颯は自分の力量を知らなければならないね」

 声を出して笑う水伯を見て、颯は少し首を傾げていた。

「え、そんなに強い?」

「世界中の人々を敵に回しても勝てる程だよ」

「そんなに凄いんだ?」

 呆けた顔で訊いた。水伯は二度頷く。

「私が最前線に出る事もあるけれど、死人が出ないように手加減をする事が非常に難しくてね、深紅に白のたがい大鎌と髑髏どくろの意匠を私の象徴として旗にして、それを掲げて行くようにしているのだよ。それを見たら基本的に撤退して貰えるね。隣国では白い死神と呼ばれているよ。死人は出していた頃もあったけれど、今は出していない筈なのだけれどね」

「どくろ? 海賊みたい……」

「髑髏が一番解り易くてよいと思ってそれにしているのだけれど、海賊みたいに非道な真似はしていないからね。兎にも角にも、颯はどれだけ強くても戦場に行く事は考えない方がよいと思うよ。覚醒前にヌト様達に立ち向かおうとは考えもしなかっただろう?」

「それは、うん、そうだな。そもそも見えなかったしなあ」

「見えなくても気配で位置は判っていただろう? 相手からするとそういう感じの相手と遣るような物になるからね。話は変わるけれど、騎士だって時と場合に依っては相手を死なせてしまう事もあるのだから、それは本当にじゅっ考した方がよいよ。鍛えるにはよいと思うけれどね」

 颯はそれを聞いて真剣な面持ちになった。

「分かった。よく考えるよ」

「私の話は以上ね。何はともあれ、颯の敬語をなくせて一安心だよ」

 柔和に微笑むと、颯も笑顔になった。

「正直言うと、水伯が遠くにいるみたいに感じて寂しかったよ。学校の事はお父様とも相談してみる」

「そうだね。私の方でも学校の資料を取り寄せるけれど王都がよいよね?」

「うーん、飛べるようになったら通えるだろうから王都に限らず、だろうか?」

「それでは各地から取り寄せるね」

「そうだ、飛べるようになるまで通わないと言う手もあるか……」

「それは有りかも知れないね。それならば玲太郎と一緒に習得出来るまで頑張ろうね。玲太郎の入浴時間が迫っているのだったね。それでは明良を呼んで来て貰えるかい?」

 頷くと立ち上がる。水伯は颯を見上げた。

「風呂はまだだと思うけど分かった。それじゃあおやすみなさい」

 軽く挙手をして退室した。そのまま勉強部屋へ行って扉を静かに開けると、明良と玲太郎と、何故か、いつもはいない筈の二体がまだ居座っていた。

「兄貴、水伯が呼んでる」

「解った。それでは行ってくるよ」

 栞を挟んで本を閉じて勉強机に置き、席を立つと颯の方に遣って来た。肩を軽く叩くとそのまま出て行く。颯は閉扉して、入って直ぐの左手側に長椅子が一脚、脚の短い机、一人掛けの椅子が二脚があって、その長椅子に腰を掛ける。するとハソとニムが颯を目掛けて一直線に遣って来た。

「颯、何故なにゆえヌトの千里眼には何もせぬのよ?」

 眉を寄せたニムが言うと、ハソが何度も頷いた。

「唐突になんだよ? 昼間なのにする必要ないだろ? 夜はヌトでもダメ、寝てるからな」

「あ、そういう理由……」

 ハソが呟くと、ニムは渋い表情をした。

「大体な、お前らがオレの睡眠妨害をしまくったせいだぞ。だから夜は許さない」

 颯が怒り気味に言うと、ハソとニムは目を剥いた。

「しかし、あれはヌトが一番酷かったであろうが」

 食って掛かったのはニムだった。颯は不快をあらわにしたが、それも直ぐに気が抜けた。

「あれは追い打ちをかけるってやつだよ。元々ハソとニムに睡眠不足にされてたんだからな。自分らがやった事を棚に上げるなよ。あのな、お前らの気配ははっきり言って毒なんだよ。分かる? 兄貴に悪霊呼ばわりされてるのに、それに気付かなかったのかよ?」

 気怠そうに言うと、ニムは黙ってしまった。

「それは済まぬ。わしも眠られるようにと思うて、動かぬようにしておったのであるがな。それ以前の問題であった事を今知ったわ。済まぬ」

 ハソが頭を下げても、ニムは膨れっ面でいた。

「今更謝られても許す気はないから。と言うか根に持っちゃってて許せそうにない。長い事生きていれば、振り返った時に笑いながらあんな事があったなって言えるかも知れないけど、今は無理だからな」

「解った。それは致し方あるまいて。それにつけても、何故なにゆえヌトだけ特別扱いをしておるのよ?」

「ヌトを特別扱いしてるつもりはないんだけどな。事の成り行きでそうなってるだけで、後は玲太郎が受け入れてる奴がヌトだけって事だからな。ハソは未だにヌト呼ばわりされてるんだから、その辺は分かるだろ?」

「それは解る。十二分に理解しておるぞ。その、事の成り行きでそうなっておるとは、どういう成り行きなのかを教えて呉れまいか」

「それはヌトとオレの秘密だから教えられない」

「そうなのであるな。それではこれ以上は訊くまい。話して呉れて有難う。明良ではこうは話しては呉れぬであろうから感謝しておる」

「こっちこそありがとう」

 好い感じに話が纏まり掛けている所に、ニムが割って入って来た。

「颯はわしに強制覚醒されて感謝はせぬのか?」

 颯がニムに顔を向けると少し間を置いた。

「逆に聞きたいわ。どうしてあんな事をしたのか。あの人数で出来るという前例を作った事について、なんとも思ってないのか? オレの時は見た目は三人だぞ」

「それはあの場で覚醒せねば気落ちすると思うて気を利かせた積りであったったのよ……」

「でも間違った前例を作る手伝いをした事には変わりないんだからな」

 颯はニムを睨んでいた。ハソが慌てて助け舟を出そうと口を開く。

「精霊が現れて手つどうた事に出来ぬのか?」

「はあ……、どうやってそれを説明をするんだよ」

 脱力した颯を見て、ニムが焦る。

「颯の場合は周りが煌いたではないか。それでどうにか出来るのではなかろうか?」

「兄貴はどうするんだよ? 五人なら覚醒させる事が出来たとでも言うのか?」

「明良は……、熱波に襲われた感じがしたのも一瞬であったからな……」

「だろ? 証明が出来ないじゃないか」

 ニムは視線を落として沈黙してしまった。

「どうせならオレは水伯にやってもらいたかったわ。まあ、大いなる存在とやらは、オレらの気持ちなんてどうでもいいもんな」

 颯はそう呟くと、ニムの体が縮んで行った。そしてそんなニムを睨んだ。

「小さくなってもダメだぞ。間違いをどう正すか、ちゃんと考えろよ」

「大精霊の加護を得て覚醒した際に明良は熱気を放ち、颯は周囲が煌いた、では駄目か?」

 ハソが言うと、颯はハソを無表情で見た。

「長生きしている大いなる存在が、たった十二歳の小僧に説教されるのって、どんな気持ちなんだろ?」

「それはもう、居た堪れまいて……」

 縮んでいるニムを横目で見ながらハソが言った。颯は気怠そうな表情でニムを一瞥した。

「とりあえずはハソが言った事を水伯に言って新聞に載せてもらうわ」

 そう言うと立ち上がって部屋を出て行った。暫くすると戻って来てまた長椅子に座った。二体は動かずにいたようで、居場所が変わっていなかった。

「水伯が持ってる新聞社に連絡を入れてくれて、その線で載せてもらえる事になったから。全国区だから兄貴もオレもナダール全国に知られてしまうな」

 ニムが小声で何かを言った。颯には勿論聞こえていたが無反応だった。

「軽率な行動を取った所為で済まぬ、と言うておる」

 ハソが通訳すると、颯は視線を余所に遣った。

「遅かれ早かれ名が売れてただろうから、それが早まっただけだと思う事にするわ」

「灰色の子と同等の力を持つ子が二人も当時に覚醒しおったら、俗衆に騒がれるのは仕方のない事よな」

 颯は大きな溜息を吐いた。ハソとニムはそれにおののき、何かを言われると思って身構えた。

「明日から来るなよ。水伯の事はたまにしか見てなかったんだろ? オレらにもそうしてくれよ。まあ、玲太郎を監視したいのかも知れないけど、千里眼を使えば済む話だからな。昼間なら千里眼を使っても潰さないからどんどんやって」

 ハソは顎を引いて視線を下げていたが、上目遣いにして颯を見た。

「颯はわし等がおらぬでも平気か? 寂しくならぬか?」

「悠ちゃんを救ってもらった時は感謝してたけどそれだけだからな。それ以外は別に……、寧ろ邪魔だな」

 ハソは衝撃を受けて後ろに倒れた。ニムは益々縮んだ。

「ずっと思ってたんだけど、お前らがいなきゃケメは家に辿り着けてないんだよな」

 倒れたハソはそのまま横たわって浮いていて、横に九十度回転して顔を颯の方に向けた。

「そうでもないぞ。レウの印が玲太郎に入っておったからな。レウの気配でいずれは居場所を突き止めておったであろうて」

「それって探す事を前提とした話だよな? お前らがいなければケメが玲太郎を探すような事はしてなかったと思うんだけど?」

 ニムが小声で何かを言っている。颯は眉を寄せた。

「どちらも憶測であるし、済んだ事に就いて話しうても無意味ぞ、と言うておる」

 また通訳すると、颯は横目でハソを見た。

「まあ、ケメは監禁されて罰を受けてるみたいだからな」

「如何にも。それにつけても、颯もわし等と同等の魔力を得たのであるから、わし等の仲間入りが決定したな」

「ハソはオレらを作った親なんだろ? 親と子が同等に扱われる訳なんてないだろ。同じ量の魔力を持っていても、やっぱりどこかが違うだろうからな。まだ分からない事だらけだけど、仲間入りはさすがに無理だろ。入りたくもないけど」

「如何にも。判らない事だらけであるから、それを知る為にも明日以降も来るから宜しく頼むぞ。仲間入りに関しては保留にしておくわな」

 颯が眉を寄せたが、ハソは上手く纏めた途端に一瞬でどこかへ飛び去って行ってしまった。ニムももういなかった。颯は膝に肘を置いて頬杖を突くと仏頂面になった。

 玲太郎はヌトと積み木で遊んでいて、まだ入浴する気にはなれないようだった。玲太郎の後ろ姿を見ながら、ふと何かを思い出すと仏頂面が一変して綻んだ。


 数日が経ち、九日になった。ハソとニムはやはり来ていたが以前より距離を置くようになっている。だが、遠巻きになった所為か、体を縮めてはいなかった。

 颯は剣術と歴史以外の授業は受けずに魔術の練習を遣っていたが、明良は一日目に魔術の練習を遣ると一日三時間と決め、それ以外は勉強に時間を費やし、玲太郎はまた一日二時間に戻して水伯に浮かせて貰って上下に動かされている。ヌトはそれを側で見守っていた。

「わし等はもうあの輪には加われぬのであろうな……」

 切なそうにハソが言うと、ニムは無表情で頷いた。

「わしはもう玲太郎を見守る事に徹すると決めたからな。明良と颯には近付かぬ」

「それならば此処に来ず、千里眼で見ておればよいのではなかろうか」

 冷ややかに言ってニムの方に顔を向けた。

「確かにそうではあるのであるが、やはり玲太郎の成長を直接見たいのでな」

 ニムがそう言うと、ハソは下を眺めた。

「それにしても意外な事に、明良よりも颯の方が適性があるのであるな。読書が趣味の明良の方が想像力が豊かでこういった事に向いておると思うておったのであるがな」

 二体が見ている限りでは颯は既に縦横無尽に宙を飛んでいた。明良はと言うと、動きは遅いがそれなりに飛べている。

「わしはもう玲太郎だけを見るのよ。明良と颯は見ぬぞ」

 ニムは頑なに玲太郎だけを見ようとしていた。

「しかし、此処から見ておれば、自然とあの子等も視界に入って来るであろうが」

 それを聞いて苦笑したハソはニムに目を向ける。

「玲太郎は玲太郎で、また灰色の子に指導をしてもろうとるのであるな」

「それよ。ヌトもお役ご免になる日も近いやも知れぬな」

 嬉しそうに言うとハソを見た。ハソはそんなニムと目が合うと、不快そうな表情になった。

「わし等がそうであるように、ヌトもそうなって欲しいと願うのは解るが、そうなるとわし等はもう玲太郎に近寄れる望みが潰えると思うのであるがよいのか?」

 ニムは気の抜けた表情になる。

何故なにゆえ潰えると?」

「わし等はヌトと思われておったのであるぞ? 本物のヌトが傍におらぬようになったからと言って近付いて、ヌトでないと認識が出来るようになっておったらどうする」

「どうするとは? わし等はヌトではないのであるからそれで構わぬ。寧ろ願ったり叶ったりではないか」

「ヌトに似ておる何者かが来たとでも騒がれたら事であるぞ」

「玲太郎はそのように騒がぬわ。杞憂ぞ」

「そうであるとよいがな。こうして離れておる内にヌトは一つになって、三つではのうなる事は確定しておるからな」

「玲太郎はわし等と目を合わせたとて話もして呉れなんだからな」

「目が合うというよりも睨まれておっただけという表現が正しかろうが。ヌトには話したり、絵本を読ませたりしておったがな」

「あれは田井の所にいた時からであるから、最早習慣になっておるのであろうて」

「止め、止め。気分が暗かいになるわ」

 ニムが首を振った。ハソは何度か軽く頷いた。

「そうであるな。玲太郎が成長をすれば、わし等を受け入れて呉れる可能性もあろうな」

 二体は下に目を遣って、魔術の練習をしている三人を眺めた。

 玲太郎に続き、明良も勉強をしに屋敷へ入ると、水伯と颯の二人切りになった。颯が速度を上げて飛べるようになって来た事もあって、二人で遠出をする事にしたようだ。颯は勉強部屋の窓に張り付いている二体を冷ややかな目で見て飛び立った。


 玲太郎は明良との約束で共通語の勉強は好きな事もあって身を入れて遣っていたが、それ以外は気もそぞろだった。これでもう三日も続いている。明良が三窓の窓掛けを閉めていたが、二窓から顔が一つずつ出ている。以前のように身を縮めていない事もあって以前よりも顔が大きく、玲太郎はそれが気になった。

「レイタロウ様、最近気が散っているようですが、どうかなさいましたか?」

 ディモーンが優しく訊くと、玲太郎が困惑した表情をして顔を上げた。

「うん……」

 ハソ達の事は他の人には言わない約束をしていて言えなかった。明良はそれを察して口を挟む。

「すみません。大精霊が窓からこちらを覗いていて、窓掛けを閉めていても効果がなくて困っているんです」

「そうなのですか。私には見えませんし、感じる物も御座いませんので、どうしたらよいのか見当も付かずに申し訳御座いません」

 申し訳なさそうにディモーンが言うと明良は立ち上がった。徐に窓際へ行き、ニムの前で立ち止まる。そして満面の笑みを浮かべると大きく息を吸い、ニムが呆気に取られた次の瞬間、明良は無表情に戻った。

「悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散」

 息の続く限り言うと、深く息を吸ってまた言い出した。ヌトは俯いて額に手を当てて顔を顰めていた。ハソは顔を引っ込めて窓から少し離れたが、まだ居続けているニムは無表情で明良と見詰め合っている。

「悪霊共は本当に塵屑ごみくず以下だな。いや、未満か。颯に千里眼で見ていろと言われたのだろう? 大人しくそうしていろよ」

 些か怒っている表情をした明良の冷めた目を見ているニムは黙って身を引いた。そして目を剥いてハソの方を見ると、ハソは上空を指差した。ニムは頷くと二体は上空へ行く。

「この数日は大丈夫であったのに、どうして今日は駄目なのよ?」

 ニムが眉を顰めて言うとハソは首を傾げた。

「わしにも判らぬが、玲太郎の落ち着きがなかったからな。若しかしたらそれが原因か?」

「明良はどうか判らぬが、颯からあの怒気を浴びせられる前に退散するか……」

 二体がそれぞれの帰路に就いた一方、明良はいつもの無表情に戻っていた。

「ディモーン先生、すみませんでした。大精霊は私達に取って佳き隣人ではないのです」

 平静を装っているディモーンは笑顔を作った。

「そのようですね。私も大精霊がよい影響を与えてくれる存在ではないと今知りました。勉強させて頂き、有難う御座います」

 二人はお互いに辞儀をすると、明良は窓掛けを開けてから席に戻った。玲太郎は落ち着いたようで微笑んでいる。

「アキラ様は大精霊の加護を得たのではなかったのですか?」

 明良はディモーンの方に顔を向けた。

「新聞ではそうなっていますが、加護などありません。それに玲太郎に惹かれて付き纏っている只の悪霊です」

「ですが、大精霊のお力で覚醒したのではなかったのですか?」

「それはそうなのですが、悪霊は何を遣っても悪霊ですから」

「ヌトはあくりょうじゃないのよ」

 玲太郎がそう言うと、明良は玲太郎の方に向いて笑顔になる。

「そうだね。今はね」

「うん」

 玲太郎も笑顔になり、明良は満足をしたようで顔を本に向けた。玲太郎はヌトに笑顔を見せてからブーミルケ語の文字の練習を再開する。ヌトは照れ臭そうに微笑んでいた。ディモーンは少し混乱して玲太郎の書いている文字を見ながら思案し始めた。


 昼食後、茶請けに蜜芋の皮包みが出た。

「これ、前にも食べた事があるよね?」

 明良の頬が微かに緩んだ。

「先程、颯と阿女倉あめくら島に行って来てね。だからお土産に買って来たのよ」

「玲太郎は覚えてない? 前に蜜芋を食べただろ?」

 颯が玲太郎を見ると、玲太郎は颯を見て笑顔になる。

「まえにたべた、あのあまいの」

「そう、それそれ」

「うれしい、ありがと~」

「見覚えがあると思ったら、あれね。あれは美味しかったわ。ありがとうね」

 八千代も嬉しそうに言った。水伯と颯は顔を見合わせて笑顔になる。

「掘って直ぐの芋よりも寝かせた芋の方が甘味が増して美味しいのだそうだよ」

 明良がそう言った水伯の方を見る。

「前に食べた時は甘くて美味しかったという記憶はあるけど、味までは明確に憶えていないよ」

「食べたら、あ、この味! ってなるよ」

 颯が言うと、明良は一口頬張った。数度咀嚼して手で口を覆う。

「うん、なるね」

「だろう。これは本当に美味しいわ。阿女島甘芋っていう銘柄だったよ。蜜芋は他の島でも作ってるって言ってたから、次はそこへ行って、蜜芋の菓子を売ってる店を探して買って来るわ」

 颯は嬉しそうに言った。

「ボクもいく」

 玲太郎が颯を見て言うと、颯が少し驚いて玲太郎を見た。

「飛んで行くから、玲太郎が飛べるようになったら、になるけどそれでもいい?」

 それを聞いて玲太郎は眉を顰めた。

「ええ、ボクまだとべないのよ。すこしうくだけね」

「練習がてらに玲太郎を抱っこして連れて行けばよいよ。颯は箱舟の免許を取る為にも人と一緒に飛んで、箱舟、陸船、旅客空船と段階を上げて行こう。それと並行して光の玉が出せるようになろうね」

 水伯が颯を見て言った。颯も水伯を見ていたが、段々と顔が険しくなった。

「オレ、まだ十二になってないんだけど?」

「免許に年齢は関係ないからね。免許が取得出来るか出来ないかだよ。実技以外に筆記の試験があるから筆記の勉強も始めようね。法律は大切だからね。旅客空船は私の会社から一隻借りてくるよ。明良はどうする? 一緒に練習を遣るかい?」

 明良は手で口を覆って水伯を見る。

「旅客空船まで練習を遣るの?」

「大型貨物空船でもよいけれど、兎にも角にも、特級には必須だからね。特級を取っておけば、高度は関係なく飛べるようになるのだけれど、誰も見ていないし、誰かに知られる事もないから、無理に取らなくてもよいかも知れないね」

 颯が不思議そうな顔をする。

「水伯は誰にも見られていなくても法律は守ってる?」

「私は地位が高いから守っているよ。自分が守っていない物を守れとは言えないからね」

「そうなんだ。それじゃあ玲太郎を抱っこして飛ぶ練習からやってみるよ」

 柔和な表情で見ている水伯に笑顔で言うと、玲太郎の方を向いた。

「玲太郎、そういう訳で蜜芋の菓子を見付けに行こうな」

「やくそく~」

 そう言って小指を立てた手を颯の方に近付ける。颯も同じようにして小指を立てた。

「約束~」

 明良は小指を結んでいる二人を見て苛立ったが、軽く息を吐いて水伯を見る。

「私も練習時間を増やして免許取得に向けて頑張るよ」

「そう。それでは明良は明日から箱舟の操縦を練習を遣ろうね。教師はウログレに頼もうか。颯は明日は明良と交代する形でね」

「はい」

「分かった。頑張る」

 明良と颯が頷きながら言うと、玲太郎が皆の顔を見た。

「ボクはなにをやるの?」

「玲太郎は私と一緒に浮く練習ね」

「はーい」

 玲太郎は元気良く返事をして水伯を見ていた。水伯もまた柔和な笑顔で玲太郎を見ている。


 午後は颯も座学に参加し、集中して歴史を学んだ。その次の授業はディモーンが気を利かせたのか、特級免許の筆記試験の為の授業が行われた。その中で颯にまだ理解出来ない言語があり、共通語と筆記試験の授業を同時に行う事となった。

 颯の隣では玲太郎も言語を必死に学んでいた。ブーミルケ語の文字を覚えるのに一苦労しているようだが、根気良く書き取っていた。

 更にその隣にいる明良は、特級免許の筆記試験の為に用意されている本を熟読している。

 颯は時間が来ると、一番楽しみにしている剣術の稽古をしに屋内訓練場へ向かった。

 十八時にはディモーンの授業が終わり、明良は玲太郎の面倒を見ながら読書を続けた。

 十八時半になる少し前、颯が戻って来ると今度は明良が剣術の稽古をしに行った。颯は積み木をしている玲太郎のすぐ後ろに胡坐あぐらを掻いた。玲太郎が振り返る。

「はーちゃん、いものおかしをさがすの、きょうとちがうの?」

 顔が赤い颯は手で顔を扇ぎながら頷いた。

「今日じゃないよ。明日って水伯が言ってたから明日行こう」

 玲太郎の前髪が少し乱れている事が気になって、整えるのに手を伸ばした。すると、何故かその手を取って口元へ持って行って舐めた。咄嗟に手を引いて玲太郎の顔から離した。

「何やってるんだよ。汚いぞ?」

「はーちゃんが、ボクがあかちゃんのときになめてたってきいたから、やりかえしてるのよ」

 颯はヌトを見る。ヌトはそれに気付いて颯を見ると首を横に振った。

「わしではないぞ。ハソかニムであるな。気を惹こうとして言うたのではないかと思う」

「だから玲太郎がオレの事を舐めるのか。それでか。……分かったわ。いつ聞いたんだろ……」

 颯は玲太郎を左膝に乗せると、右手で玲太郎の両頬を摘んで唇を突き出させた。

「舐めてた事は謝る。ごめんな。玲太郎ももう何度もオレを舐めたから、これで終わりにしような?」

 玲太郎は颯の目を見ながら、手首を両手で掴んで離そうとしている。颯が玲太郎の顔から手を離すと、玲太郎も手を離した。

「はーちゃん、ずるいのよ。ボクはまだやりたいのよ」

「兄貴に見つかったらオレが怒られるから止めて欲しいんだけど、どうやったら止めてもらえる?」

「やめなーい、やるのー」

「止めよう、な?」

「やだー」

「それじゃあ、兄貴を舐めたら?」

「あーちゃん? んー、あーちゃんはぎゅってするだけで、へんなことはしないのよ?」

「オレはぎゅっすらしないから、許してもらえない?」

「でもボクがあかちゃんのときにな…」

「確かに舐めてた。乳を飲ます時に、乳が口から零れてたからそれを舐めてた。ごめん。オレが悪かったから許してもらえない?」

 謝罪しながら頭を下げたが、玲太郎は口を尖らせていた。

「はーちゃんは、どれだけなめたの?」

「覚えてないくらい舐めた」

「それじゃあボクもそれくらいなめるのよ」

「蜜芋の菓子を探しに行く時、オレが奢るから許してもらえない?」

「おごる? ってなに?」

「オレが店に金を払って食べるって事」

 玲太郎は小難しい表情をして颯を見た。

「わかった。じゃあ、じっかいおごってくれたらゆるす」

「本当に? それじゃあ十回奢るわ。どこ行こうか?」

「んー、わからない」

「それじゃあまずは蜜芋の菓子な。ちゃんと数は覚えておくから」

「わかった。やくそく~」

「約束」

 二人は小指同士を結ぶと笑顔を見せ合った。玲太郎の左腕に颯の左手が添えられていたのだが、それを舐めると、積み木の前に移動した。

「玲太郎! 舐めないんじゃなかったのかよー!」

 玲太郎の両脇を手で掴んで持ち上げると、また膝に乗せた。

「いひひひひ」

 玲太郎が笑って後ろに倒れようとしたが、颯の左腕が邪魔で体がずれて、仰向けになっただけだった。颯は玲太郎の腹を右手でくすぐった。颯は直ぐに止めて、笑い転げていた玲太郎を膝に座らせた。

「はい、終わり」

「くすぐったいのよ。これダメなのよ」

「玲太郎がオレを舐めなかったらもうやらないよ?」

 玲太郎は顔を顰めて舌を出すと、四つん這いで積み木の方へ行った。颯は玲太郎が可愛くて堪らずに微笑んでいた。ヌトはその情景を微笑ましく眺めていた。


 翌日、颯は北の畑で玲太郎を抱いて一頻ひとしきり飛ぶ練習を遣った後、水伯と連れ立って阿女倉島の北北東にある月志摩つきしま島へ向かった。水伯が先導し、それに颯が玲太郎を抱いて付いて行く形だったのだが、とある島の上空で水伯が止まった。高度が高く、足下に島の全貌が広がっていた。そして日が暮れ掛けていてとても眩しく、水伯と共に日を背にしている。

『形状からして此処が月志摩のようなのだけれど、一旦港へ行って調べてみよう。月志摩だったならば切符売り場にある観光窓口へ行って、何処に美味しいお店があるか訊こう』

『わかった』

 玲太郎が颯よりも先に返事をした。水伯は微笑んだが、颯は苦笑する。

『港って、島のふちが灰色になってるとこが三ヶ所あるけど、どこに行く?』

『そうだね、緑が少ない辺りは町がある筈だから、……左下がよいね』

『了解』

 水伯が言った港の方へ行き、下降する。水伯が上下に光の玉を出して点滅させた。高度が下がるに連れ、下降速度も落ちて行く。無事に着陸すると颯は徐に体を回転させて周りを見た。玲太郎も一緒に景色を見る。

『あれはなに?』

 停泊している船を見て指を差した。水伯が差している物を見ると二度頷いた。

『あれは船、水の上を走る乗り物だよ。船で海を走って、島と島を行ったり来たりするのだよ』

『ふうん』

『潮の香りがするな。懐かしいわ』

 水伯も辺りを見回して、看板を見付けると颯の方に顔を向けた。

『やはり此処が月志摩で間違いないね。案内所がありそうな公共の建物に入って、観光窓口がないか探そうか』

『わかった』

『玲太郎は下りて歩くか? このまま抱っこしてようか?』

 玲太郎は颯を見ると首を横に振った。

『このままでよいのよ』

『分かった』

 玲太郎に微笑んで言うと、先に歩き出していた水伯を追い掛ける。玲太郎は人がいるのを見て、颯の肩に顔をうずめた。水伯は建物内に入ると庇の広い帽子を脱いだ。天井から吊り下げられている案内板に従って観光窓口へ向かう。水伯は受付の女性と話し、散らしを貰うと後ろにいた颯の所へ遣ってくる。

『二十二時まで遣っている多々羅というお店があるそうだよ。其処へ行こう。美味しいと評判だと言っていたから間違いはないと思うのだけれど……』

 颯は観光窓口の奥にある時計に目を遣った。

『今十九時時六十五分くらいだから時間は大丈夫そうだな』

『いくの?』

『行こうか』

 柔和に微笑んだ水伯は顔を伏せている玲太郎を見て言った。建物の外に出て、水伯が迷いなく歩いて行く後ろを颯が歩いた。当然ヌトもいて、その後ろを浮いて付いて行く。

『近くに箱舟を貸し出している所もあるそうだから、先ずは其処へ行こうか』

『今日は箱舟を出さないの?』

『特級免許があるから札なしの箱舟でもよいのだけれど、気が向いたから借りようかと思ってね』

 水伯はそう言いながら持っている散らしを颯に渡すと前を歩いた。颯は散らしを見ながら付いて行く。散らしは三つ折りにされていて、近くの街の店の中でも人気とされている店を紹介していた。

『水伯、たたらって言う店が載ってないんだけど、店はどこにあるんだ?』

「多々羅のたは多少の多いという字で、その次の「た」は踊り字の一種で片仮名のノとマを合わせた文字に、らは羅針盤の羅ね。もう一度探してみて貰えるかしら?」

 水伯が和伍語で話した。颯も同じように話す。

「おどり字って何?」

「前と同じ文字を表す時に使う記号、とでも言うのかしら」

「……あ、分かった。苗字の佐々木とかにあるやつやな」

「それだね」

「ありがと。見てみる」

 颯は歩きながらまたチラシを見る。それでも見付からずに小首を傾げた。

「ないけんど、どこに載っとん?」

 水伯は笑いながら振り返った。

「裏だよ。足下に気を付けて歩いてね?」

 そう言うと直ぐに前を向く。

「うん、分かった」

 颯は苦笑してチラシを裏返した。

『玲太郎、持つの手伝ってもらえる?』

『よいよ~』

 玲太郎は左端を持つと、颯は右端を持った。

『あ、あったわ。町の外れか。これはちょっと距離がありそう』

『どこ?』

『右の上の方にあるよ。共通語でも表記されてるから分かるかい? タタラだよ?』

『みぎ…、おはしもつほうね』

 玲太郎は颯に言われた方を見て探している。顔が明るくなった。

『みつけた。ここね』

 指を差すと、颯がその先を見る。

『そう、そこ。共通語も大分上達したな。偉いぞ』

『ボクえらい』

『偉い偉い。もうチラシを離してもいいよ』

 そう言われて玲太郎は手を離す。そして颯が片手で器用に折り畳んだ。箱舟が沢山停まっている一角に遣って来ると水伯は足を止めた。振り返って颯を見る。

『此処だね。それでは借りてくるから待っていてね』

『はーい』

『行ってらっしゃい』

 建物へ向かう水伯を見てから、二人は暮れつつある空を眺めながら水伯が戻るのを待った。


 町外れの年季が入った建物に「多々羅」と書かれた暖簾が掛かっている。駐舟場には箱舟が結構停まっていたが、中に入ると想像以上に人がいた。玲太郎は颯の脚にしがみ付く。水伯は開いてる席へ向かって座ると、その向かいの奥に玲太郎を座らせてから颯も座った。すると店員が水の入った湯呑みを持って来て、おしぼりと一緒に置いた。

「ご注文が決まりましたら仰って下さいねー」

「分かりました。ありがとうございます」

 颯がそう言って軽く辞儀をした。店員がいなくなると水伯が品書きを手にする。

『はい、品書き』

 颯が見易いように置く。

『ありがと。結構品数があるなあ』

『そうだね。好きなだけ選んでね』

『あ、今日はオレの奢りな。玲太郎と約束してて奢る事になってるんだよ』

『そうなのだね。それではご馳走になります』

 水伯が柔和に微笑むと、颯も笑顔になった。

『なにがあるの?』

 玲太郎が颯の袖を引っ張った。

『えっとな、芋餅、饅頭、大福、芋羊かん、最中、回転焼き、きんつば…』

『普通の和菓子もあるようだけれど、折角だからのぼりにもあった月志摩芋を使っている物にしない?』

『そうだな。それがいいかも。それじゃあ……、芋餅と饅頭と芋羊かんと最中と、回転焼きにきんつばと芋大福になるな。どれがいい?』

『んー、わからない』

『それじゃあ全部注文して少しずつ食べてみればいいよ。残ったらオレが食べる。どう?』

『そうする~』

『水伯はどうする?』

 そう言って品書きを回転させた。

『私はね、そうだね、芋餅と芋羊羹と抹茶ね』

『あ、飲み物もいるか。玲太郎はどれにする? みかん果汁、ぶどう果汁、紅茶、番茶、緑茶、抹茶』

『んーとね、みかんかじゅうにする』

『分かった。それじゃあ注文しよう』

 颯は店内を見回して店員を見た。こちらを見た時に透かさず手を挙げると、店員が笑顔になって遣って来た。玲太郎は颯の左腕に顔を埋めた。

「何に致しましょう?」

「芋餅と芋羊かんを二つずつ」

「はい」

 店員が伝票に書いている手を見て、それが止まったのを確認する。

「それから饅頭、最中、回転焼き、きんつば、芋大福を一つずつ」

「月志摩芋を使用した物を全部ですね。ありがとうございます」

 店員は笑顔でそう言いながら書き込む。また手が止まるのを確認すると口を開く。

「後は抹茶と、蜜柑果汁と、番茶をお願いします。以上です」

「かしこまりました。食べ切れなくてもお持ち帰りいただけますので遠慮なく仰って下さいね」

 そう言って飲み物も書き終える。

「それでは確認いたします。芋餅と芋羊羹が各二つ、饅頭、最中、回転焼き、きんつば、芋大福、抹茶、蜜柑果汁、番茶が各一つ、以上でよろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫です。お願いします」

「承りました。少々お待ち下さいー」

 店員は満面の笑みを浮かべて席を離れた。玲太郎も颯から離れる。

『颯は沢山頼んでいるけれど、食べられるのかい?』

『持って帰れるって言ってたから、食べられなかったら持って帰るよ』

『ボクがたべる』

 二人は玲太郎を見ると笑った。

『食べられるのかい?』

『たべるたべる』

 玲太郎は笑顔で言った。椅子の高さが足りず、玲太郎は食卓から顔を覗かせているだけだった。水伯は玲太郎が食べ易いように椅子の座面の位置を高くした。

『ちちうえ、ありがと』

 玲太郎が水伯を見て言った。水伯も柔和な笑顔で軽く二度頷く。暫くすると、注文した品物が食卓に勢揃いした。玲太郎は颯に渡されたおしぼりで手を拭いている。颯は菓子楊枝で芋餅を饅頭の皿に移し、空いた皿にそれぞれを1個の四分の一ずつ切り分けて置いた。それを玲太郎の前に置くと、玲太郎は菓子楊枝を持って食べ始めた。

『水伯も少しずつ食べてみる?』

『そうだね、それでは少しずつ貰おうか』

『まあまああまい、おいしいのよ』

『それは良かったね。どれが美味しいの?』

 玲太郎は食べた物がどれだか判らなかった。

『んーとね、わからない』

 困った顔をして言うと、颯が手を止めて皿に見比べる。そして饅頭を指差した。

『ないのはこれだからこれだな。これがなんだかもう分からないけど』

『饅頭だね。羊羹も甘さが程良くて美味しいよ』

『ふうん。羊かん、どれ?』

『これ』

『ありがと~』

 玲太郎は颯に菓子楊枝で指された物を刺して頬張った。咀嚼し始めると表情が明るくなった。

『これおいしい。これもっといる』

『分かった。先に別のも食べてしまってからな?』

『はーい』

 玲太郎は素直に従って別の物を口に運んだ。颯は切り分け終えると、水伯の方に皿を置く。

『有難う』

『どういたしまして』

 颯はようやく食べられる喜びで一杯だった。水伯は颯から貰った皿に盛られた物を全て平らげると、店員の方を見ていた。店員がそれに気付いて席へ遣って来る。その途端に玲太郎は驚いて颯に顔を埋めた。

「回転焼きを二百六十個、芋羊羹を二十六本、お土産で持って帰りたいのでお願い出来ますか」

 店員は目を丸くしたが、直ぐに取り繕って笑顔になる。

「回転焼きが二百六十個と芋羊羹が二十六本ですね。ただいま聞いてまいりますので、しばらくお待ちいただけますでしょうか?」

「解りました」

 返事を聞くと軽く辞儀をして、早足で厨房に向かって行った。

『そんな数を言われたらぎょっとなるよな。分かるよ』

 店員の表情を見ていた颯が言うと、水伯が苦笑する。

『それじゃあオレは饅頭と芋大福を四十個ずつ買って帰ろうか』

『どうして四十個になるの?』

『ユージュニーさんちとディモーン先生んちとホンボードさんちに十個ずつと、うちの分』

『家の使用人達にも買って貰えるのかい? 申し訳ないね』

『お世話になってるからたまにはやるよ、たまには』

 水伯は柔和に微笑む。すると店員が戻って来た。

「お待たせいたしました。芋羊羹は数がございます。回転焼きはただいま二十個しかございません。一度に焼ける数が五十個でして、焼き上がるのに約十分かかります。ですので約半時間、お時間をいただきたいのですがよろしいでしょうか?」

「はい、構いません。それと饅頭と芋大福を四十個ずつ、これもお土産でお願いしたいのですが、大丈夫ですか?」

 颯はそう言ってくれた水伯から店員へ視線を移した。

「饅頭はございます。二十個ずつの二箱でよろしいでしょうか?」

「いえ、十個ずつの四箱でお願いします」

 颯が透かさず言うと、店員が颯に笑顔を向けた。

「かしこまりました。芋大福はただいま確認してまいりますが、こちらも十個ずつを四箱がよろしいでしょうか?」

「それでお願いします」

「かしこまりました。それでは確認してまいります。しばらくお待ち下さいませ」

 また足早に去って行った。颯が水伯を見る。

『言ってくれてありがと』

『どう致しまして』

『そんなにたくさんかって、どうするのよ?』

 玲太郎が不思議そうに颯を見ると、颯も玲太郎を見た。

『みんなに土産だよ。オレらだけ食べたらずるいだろ?』

『ふうん。それじゃあボクにも、やわらかいおもちのやつ、ちょうだい』

『羊かんじゃなかったっけ?』

『りょうほうほしい』

『はいはい』

 颯は半切れ残っている芋羊羹と芋大福を一個、玲太郎の皿に移した。

『ありがと~』

 嬉しそうに言うと、颯も笑顔になる。

『どういたしまして』

 颯は半分になっている回転焼きを手で掴んで口に運んだ。そして手で口を覆う。

『これは美味しいわ。うん、美味しい』

 まだ飲み込んでいないのに、残りの回転焼きを頬張った。再度店員が戻ってくると笑顔で水伯を見る。

「芋大福も四十個ございますので、十個ずつを四箱でお包みしておきます。申し訳ございませんが、約五十分、お待ち下さいませ」

「済みません、会計なのですが回転焼きと芋羊羹は別にして貰えますか」

「かしこまりました。回転焼きと芋羊羹は別会計ですね。それではご用がありましたら、またお呼びください」

 店員が辞儀をすると去って行った。水伯は颯を見る。

『今日はご馳走になるね。有難う』

『どういたしまして。月一でどっか一緒に食べに行こうよ。オレが奢るから』

『それは駄目だよ。自力で稼ぐようになったならば付き合うけれどね。今日は友達になった記念だから特別なのだよ?』

『成程。それじゃあ早く卒業して仕事に就かなきゃな』

『その前に入学しないといけないだろう?』

『そうだった』

 二人は声を出して笑った。玲太郎がそんな二人を交互に見た。

『たのしいの?』

『うん、楽しいよ。玲太郎は楽しくない?』

『ボクはおいしいのよ』

 笑顔でそう言うと、颯も笑顔になって頷いた。

『良かったな。まだあるけど、どれがいる?』

『じゃあこれ』

 手を伸ばして半分になっているきんつばを菓子楊枝で刺すとそのまま口へ運んだ。

『あ、それはまだ食べてないからオレにも食べさせて欲しい。残りはちょうだい?』

『ん』

 かじった残りを颯に差し出した。それを頬張ると数度咀嚼して手で口を覆う。

『これもいけるな。でも回転焼きの方が美味しいな』

『好みが分かれる所だよね。それにしても五十分も待たなければならないから何か頼むかい?』

 颯は口にある物を飲み込むと、頷いた。

『頼むけど、もう少し時間が経ってからでいいと思う』

『そうだね、そうしよう』

 水伯はまだ残っている芋羊羹を割いて口に運んだ。

 待っている間に店から接待を受けて再注文をする必要がなくなってしまった。有難くその接待を受けて回転焼きが出来上がるまで待ち、出来上がると水伯と颯は別々に会計を済ませて店を後にした。勿論、水伯は椅子を元の高さに戻していた。


 荷物が多かったが水伯がいつもの魔術で瞬間移動させ、箱舟を返しに行った後、ウィシュヘンド州にある水伯邸を目指して飛んだ。水伯は颯の速度に合わせて飛び、昇降時間を含めて三十分程で水伯邸に到着した。玄関前に下りた途端に玲太郎を下ろした颯に、水伯がズボンの衣嚢から懐中時計を取り出して時間の確認をした。

「覚醒して数日しか経っていないと言うのに、この上達振りは早いという物ではないよ」

 そう水伯に言わしめた程だったが、颯は今一嬉しくなかった。

「ありがと。もっと精進するよ」

 颯の表情がやや暗い事に気付いていた水伯は柔和に微笑む。

「贅沢は禁物だよ」

「いやいや、そうじゃなくて、水伯に誘導してもらえたから迷わず真っすぐ来られたなって思って。それがなきゃもっと時間がかかってたはずだなって思ったらちょっとな……」

「ああ、其方そちらね。それは慣れもあるから仕方がないよね。何度往復したか憶えていない程に往復している私と比較してはいけないよ」

「これは地理の勉強もやらないといけないんだろなあ」

 手を組んでそれを上に遣って背筋を伸ばした。玲太郎が颯を見上げる。

「はーちゃん、ちりのべんきょうやるの? ボクもやる」

 颯は手を下ろし、そのまま膝に置くと腰を曲げて玲太郎の目線に近付いた。

「地理はまだやらなくてもいいと思うよ」

「ボクもそらをとんで、ちりのべんきょうやるのよ」

「そもそも地理が何か分かってなさそうだけど、その前にもっと浮けるようにならないとな」

 玲太郎は浮かない表情になった。

「そうなのよ……。うけないのよ……」

「五ジル(三寸三分)くらいは浮けてるよ。でももっと練習をやろううな。一緒に頑張ろう」

「わかった……。がんばる」

「兎にも角にも、今日の魔術の練習は十時前までやろうね」

 柔和な笑顔でそう言って二人に懐中時計を見せる。八時六十分を少し過ぎた所だった。

「一時間三十分は練習出来るな」

「北の畑まで飛んで行こう。颯が玲太郎を抱くのだよ?」

「あ、歩いて行かないのか。それなら四十分くらいになるなあ」

 そう言いながら玲太郎を抱き上げた。

「それではお先に」

 先に水伯が低空飛行で飛んで行くと、颯は慌ててそれに付いて行く。颯は水伯に追い付けはしなかったが、今の魔力操作が未熟である事が良く理解出来て身が引き締まった。


 翌日、箱舟での練習を始めた時、玲太郎を抱いて飛ぶ事は練習になり得なかったと気付かされた。

(兄ちゃんが言うとったけんど、これはしんどいわ。浮かそうと力んでまうけんど、ほの力とちゃう。想像力、想像力)

 明良は約半時間も格闘して漸く浮いたと言っていた。その明良は水伯と共にどこかへ出掛けていた。

 颯はウログレを隣に乗せていたが、ウログレは感心していた。ウログレは茶髪に碧眼で、颯よりやや低い身長だが、颯より体が大きかった。

「ハヤテ様は凄いです。この短時間で浮かせられるようになるとは思いも寄りませんでした。アキラ様にも言いましたが、箱舟を浮かすのは風属性に特化していても、練習に丸一日かけるとして、浮けるようになるまでに二週間はかかると言われてますから、ご自身が特殊である事を認識なさった方がいいです」

 約二十分で浮くようになった颯は嬉しさもあったが焦りもあった。

「ウログレ先生の教え方が上手いので出来たんです。ありがとうございます」

 ウログレはホンボードの息子で本職は庭師なのだが、風属性の魔術が得意で教師に指名されていた。

「いえ、このような短時間で出来てしまうのは才能があってこそです。慣れてくると単身で飛ぶ魔力量の倍ほどの量で箱舟を操縦出来るようになりますし、補助の動力源が付いていて魔力量も半分程度しか消費しなくなります。それでは道なりに移動してみましょう。ここは私道なので速度は気にせず、ゆっくり参りましょう。もしかしたら動けないかも知れませんが、それでも気にせずやって参りましょう」

「はい」

 動けないかも知れないと言われたが、箱舟が徐に前進し出す。颯は芋虫が這う程の速度しか出せずに不甲斐なく感じた。

「言われてすぐ動けるなんて驚きです。アキラ様ですら十分程かかったというのに……。ハヤテ様はもしかしたら風属性に特化なさっているのかも知れませんね」

 ウログレの言っている事は耳に入って来るのだが、それに反応する余裕はなかった。そこへ俄にハソの気配がし出して思わず気が散り、咄嗟にそれを潰してしまった。お陰で動きが止まってしまう。

「ふう……。そうは上手く行きませんね。精神的に疲れます」

「いえ、初日の、それも短時間でここまで出来ているのですから、本当に凄いです。休憩も浮いたまま出来ていますし、余裕を感じます」

 ウログレは常に笑顔で颯を褒めていた。

「今言うのもなんですが、正月には私の子供達がお世話になりました」

「とは言っても、オレが見ていたのは一日だけですけどね」

 そう言って苦笑すると、ウログレは首を横に振った。

「一日でも十分です。エネンドはあれからよくコミッセンと鬼ごっこをしているようです。コミッセンは事あるごとに正月の話をしますから、余程楽しかったんだと思います」

「そうですか。それではお守をした甲斐があったという物です」

「昨夜も閣下とハヤテ様からのお土産を頂きましてありがとうございました」

「あ! あの中でどれが一番美味しかったんですか?」

「私はもっちりとした皮の中に芋の餡が入っていたお菓子が今の所一番です」

「芋大福! あれ美味しいですよね。まだ食べていない物があるんですか?」

「まだ二種類しか食べてないですね。寒天で固めたような物と今言った物の二種類です。残りは今日頂きます」

「どうぞご堪能下さい」

 颯はウログレを見て笑顔になった。ウログレも嬉しそうに頷いている。颯は自分でも気持ちが解れたのを感じた。

(今ならすいすい行けそう)

 そう思ったが現実はそう簡単には行かなかった。芋虫の這う速度から蝶の飛ぶ速度に上昇はしたが、そこからは中々進歩しなかった。ウログレは「凄い」を連呼していたが、颯の思う速度にはならずに時間が来て終了となった。八時半を過ぎると明良が遣って来て、入れ違いで箱舟の操縦練習を始めた。

 颯は飛んで屋敷へ戻ると、玄関前に水伯と玲太郎とヌトがいた。

「おかえり。どこへ行ってたんだ?」

「只今。今日は別の所へ行ってきたよ。お土産を買って来ているから、食後に食べようね」

「ありがと。玲太郎は美味しい物を食べて来たのか?」

「んとね、きょうより、きのうがおいしかった」

「そうなんだ。確かに昨日のは美味しかったもんなあ」

「それより、颯も遠出するかい?」

「いや、しない。玲太郎を抱っこしても練習になってなかったって気付いたから、地理でも勉強するわ」

「うん? 玲太郎を抱っこしても練習にならないとはどういう事?」

「なんと言うか、……自分の一部みたいな感じになるんだよな。だから箱舟を浮かす感覚と全く違ってて、意味がないなって思ったんだよ」

 水伯は少し目を丸くした。

「そうなのだね。私は玲太郎を抱いていても、そういった感覚にはならなかったのだけれど……」

「ふうん? どうしてだろ……。玲太郎が産まれた時から毎日抱いて世話をしてたからだろか?」

「ボクだっこ?」

 玲太郎は颯に向かって両手を広げた。颯は思わず抱き上げる。

「こうやって抱っこすると、しっくり来るんだよな」

「しっくりくる? なに?」

「玲太郎を抱っこしてるとオレはオレとしていられて落ち着くって事」

「ふうん」

 玲太郎は颯から水伯の方に顔を向ける。

「ちちうえ、まじゅつのれんしゅうやる?」

「そうだね。玲太郎はしなければならないね。それとも颯と一緒に地理の勉強を遣りたいかい?」

「ボクまじゅつのれんしゅうやるのよ」

 それを聞いて、颯は玲太郎を下ろした。

「それじゃあオレは地理の勉強をやってくるよ。また後でな」

 そう言って屋敷の中へ入って行った。玲太郎は颯が直ぐにいなくなって寂しく感じていたが、水伯が手を玲太郎の方に近付ける。それを見てそれを握ると水伯が優しく引っ張り、歩き出した。

「今日の魔術の練習は、久し振りに玉を作ってみない?」

 水伯から意外な提案があった。玲太郎は早く空を飛び回りたい気持ちが強く、玉を作る気など全くなかった。

「たまはやらない。とぶのよ、あーちゃんやはーちゃんみたいにとぶのよ」

「そう、解った。それでは今日も飛ぶ練習を遣ろうね」

 玲太郎は後から練習を始めた明良と颯が、既に空を飛べるまでになっていて複雑な心境だった。それが顔に出ていたのか、水伯は心中を察していた。ヌトはこういった機微には疎いが、ここ数日の玲太郎の雰囲気が違っているのを感じ取っていた。


 その頃、颯がどれだけ飛べるようになっているか知らない明良は、昨日から練習している箱舟の操縦をしていた。約七寸は浮けるのだが、進む速度は蟻と同等程度だった。それでも根気良く練習に励んでいる。ウログレは無言で明良に付き合っていた。休憩する時には停まる所か、箱舟を着地させる為、その時に色々話すようにしている。

 十時の食後には天火で温め直した回転焼きが出た。

「玲太郎はどれだけ浮けるようになった? 前と一緒くらい?」

 颯が訊くと、玲太郎は暗い表情になった。それを見た水伯が苦笑する。

「玲太郎はね、早く空を飛びたいから浮く練習はしていなくてね、高度は低いのだけれど、私と一緒にずっと飛んでいてどれだけ浮けるかは不明なのだよ」

「そうなんだ。それじゃあ次はオレと飛ぼうな」

「んー」

 咀嚼をしながら、気のない返事をした。

「颯より、私と一緒に飛んでみない?」

 明良が透かさず言うと、やはり気の抜けた表情のままで明良を見る。

「んー」

「玲太郎、どうかした? なんかおかしいぞ?」

 颯が玲太郎の顔を横から覗き込むと、颯を一瞥して回転焼きを頬張った。颯は体勢を戻して回転焼きを手に取った。

「お? 温かいな」

「うん、天火で温めたからね。焼きが入って皮の水分が飛んで、歯切れがいいよ」

 八千代が笑顔で言うと、颯は何度か軽く頷いて頬張った。そして表情が明るくなる。咀嚼し終えて飲み込むと口を開いた。

「うん、これは美味しいわ。店で食べた物より美味しい。これが一番だな」

「私は芋羊かんが一番好かったね。次は饅頭ね」

「うんうん、羊かんも美味しかった」

 八千代に同調した颯は嬉しそうにまた頬張る。

「確かにお店で食べた物よりも香ばしくて美味しいね」

「お店は出来立てを出してくれるのではないの?」

 明良が水伯の方を見ると、水伯は首を傾げた。

「出てくるのが割と早かったから、出来ていた物を出して来たのだと思うのだけれどね。皮はもちもちしていて微かに温かかった程度だね」

「そうなんだ。食べ比べた訳ではないけれど、此方が美味しいと言う気持ちが良く解るね。皮が香ばしくて歯切れも良くて美味しい。中の餡も程よい甘さで好ましいね」

 明良も美味しそうに食べている。

「そう言えば、今日は三人でどこに行ってたんだ? また和伍?」

「きょうはねー、さばすとっていうとこの、んーとね、わからない」

 玲太郎は機嫌が少し良くなったのか、会話に入って来た。

「サバストって?」

「私の所有する領地の内の一ヶ所だよ。ナダールの南にあるのだけれど、温暖と熱帯の中間辺りの気候で緑の濃い場所だよ。颯はまた今度一緒に行こうね」

「果樹園に行って果物を貰って来たから、昼食後にでも食べよう」

 明良がそう言うと水伯が頷いた。ふと颯はある疑問が浮かんで水伯を見る。

「水伯って、領地を幾つ持ってるんだ?」

「五ヶ所。ウィシュヘンド公爵位は玲太郎に譲るから上げられないけれど、颯にはそれ以外の爵位を上げようか? 領地付きだから領主になってしまうけれどどうする?」

「は?」

 驚きの余り声が漏れ、目を丸くして水伯を見た。明良も八千代も水伯を見ていた。

「侯爵位が二つと伯爵位が二つあるよ」

 いつもの柔和な表情で言うと、焦った表情の颯は首を横に振った。それも激しく振った。

「いやいやいやいやいや、ないない、いらないよ」

「そうなのだね。ふふ、残念」

 本気ではない口振りでそう言うと回転焼きを口に運んだ。明良はふと何かに思い至ったのか、水伯を見る。

「玲太郎は水伯の子供になったから、水伯と同じ苗字になるのだよね?」

 そう訊かれて水伯は明良を見た。手で口を覆う。

「私の苗字はロデルカだからね。詰まる所は王族なのだよ。しかしそれは一代限りの約束だから、玲太郎はウィシュヘンド公爵令息となって苗字はウィシュヘンドになるね。今頃そのような事を訊いて来てどうしたの?」

 手を下ろして咀嚼を再開した。

「いや、時折は考えていたのだけれど、訊いた事がなかったから」

 水伯は明良を見て柔和に微笑みながら咀嚼を続けた。今度は颯が何かを思い付いた顔をする。

「そういや、イノウエ家の爵位はアメイルグ侯爵位になるんだよな? どうして名前が違うんだ?」

「元々あった爵位を貰ったからだよ。そうお父様から聞いた」

「正確には昔はアメイルグ地方を統治していた人がいたのだけれど、その人は土地が枯れてしまうと出奔してしまってね。その後に土地再生計画が始まって、初代がそれに応募してウィシュヘンドへ遣って来たのだけれど、見事に再生して褒美として爵位を頂いて土地も付いて来たという訳。明良は近い内に、アメイルグ侯爵アキラ・ジャネシュ・イノウエ、となる。領地は今はウィシュヘンド州アメイルグ郡になっている土地がイノウエ家の領地、ウィシュヘンド郡が私の領地ね。余所では郡を領としている所の方が多いのだけれどね」

「へえ、アキラ・ジャネシュって言う名前になるんだね。凄いね」

 八千代が感心すると、明良が八千代の方を見る。

「仰々しい中間名なんだよ。意味を聞いたら驚くよ?」

「へえ? 意味は何?」

 微笑みながら訊くと、明良は些か眉を顰めた。

「英俊だよ。才能が優れているという意味なのだけれどね」

「そんなに言う程、仰々しくはないね。明良を良く表してると思うよ」

「そう?」

「うん、明良その物だよ」

「努力の結果だけれどね」

「いやいや、その努力も才能の内だし、結果も才能があればこその結果だよ。卑下も自慢の内だよ? 普通は努力しても、そこまではなかなか結果が出せないんだから誇りなさいね」

 八千代が言うと、明良は頷いた。

「うん、解ったよ。有難う」

「鳶が鷹を生むってやつだね。家の子はみな鷹だったね」

 そう言った八千代が感慨深げに何度も頷いた。颯はそんな八千代を微笑んで見ていた。

「みないい子でばあちゃんは本当に嬉しいよ。イノウエ家始まって以来の鬼才揃いだものね」

「きさい? なに?」

 柔和に微笑んでいる水伯が玲太郎に顔を向ける。

「優れた才能の持ち主という意味だよ。玲太郎の魔力量は神様をも超えているのだからね」

「ふうん……?」

 理解が出来ていない玲太郎を皆が微笑ましく見ている。

「でも、ボクはそらとべないのよ……」

「それはその内に飛べるようになるよ。焦らずゆっくり遣って行こうね」

「わかった」

 水伯は笑顔で二度頷いた。玲太郎は回転焼きを齧って咀嚼を始めた。颯は最後の一口を頬張った。

「そうだった。颯、資料を請求した以外の学校からも資料が届いているけれど、それも見るかい?」

 水伯を見ながら咀嚼をして早目に飲み込む。そして首を横に振った。

「それは見ない。オレの居場所を知っているなんて気持ち悪いだろ」

「イノウエ邸にも届いているそうだけれど、其方は見るかい?」

「それも見ない。今夜にでもお父様の所に行って捨ててもらうように言ってくるよ」

「解った。それでは帰ったら二階の執務室へ来てね。一緒に資料を見よう」

「どの学校がいいのかが分からないから助かるよ。ありがと」

 颯が笑顔で言うと、玲太郎が颯を見る。

「がっこう?」

「そう、勉強をする所だよ。一つの部屋に人がいーっぱいいて、みんなで授業を受けるんだよ」

「え、いっぱいいるの? やだー」

 玲太郎が眉を顰めて言うと、颯は微笑んだ。

「授業を受けていれば他の人なんて気にならないぞ」

 玲太郎は眉を顰めたまま、首を横に振って嫌がった。

「ディモーンせんせいがよいのよ」

「そうなんだな。それじゃあディモーン先生に教わって、いーっぱい勉強してな」

「わかった。でもまじゅつはちちうえなのよ」

「そうだな」

 颯は笑顔で頷いた。玲太郎も釣られて笑顔になって頷いた。


 夕食後、颯はイノウエ邸へ行った。玲太郎は明良が入浴させ、出た後は水伯が世話を焼いた。そして颯が戻る時を執務室で一緒に待ったが、明良が玲太郎を迎えに来る方が早かった。

「はーちゃん、いないの?」

「まだ帰っていないね」

「ふうん」

 寝台に寝かされ、明良が絵本を音読し始めると寝台の脇にいるヌトに視線を遣った。

「さいきんヌトひとつなのよ。さみしい?」

 明良は口を閉じた。

「わしか? 寂しくはないぞ。玲太郎も玲太郎の父上も明良も颯もおるからな」

「ふうん」

「どうかしたのであるか?」

「ヌトがふたつおおきくなったの、こわかったのよ」

「そうであったな。大きくなっておったな」

「もうヌトはひとつのまんま?」

「そうであるな。一つだと思う。若しやしたら、二つか、三つか、四つか、五つか、六つか、七つになるやも知れぬがな」

「ななつ? ななつはおおいのよ……」

「八つになる事もあるやも知れぬぞ?」

「えええ。それはいやー」

 眉を顰めた玲太郎を見たヌトは笑顔になった。

「ま、それは遠い遠い未来の話よ。明良に絵本を読んで貰って眠りに就くが良かろう」

「もうねむるの?」

「そうであるぞ。もう時間であるからな」

「とおいとおいみらいっていつ?」

「そうであるな、玲太郎が大人になった頃であるな」

「ボクおとなになるの?」

「何時かはな」

「ふうん……」

「明良が絵本を読もうと待っておるぞ。目を閉じて静かにせねばな」

「はーい」

 玲太郎は大人しく目を閉じて静かになったが、それも直ぐに目を開けた。

「よなかのかわやは、だれがつれてってくれるの?」

「それは颯が帰って来るから、颯が連れて行ってくれるよ」

「わかった」

 そして再度目を閉じた。明良はそれを見てから音読を再開する。玲太郎は明良の声に耳を傾けた。暫くして明良が玲太郎の頬をつつく。無反応だった為、明良は絵本を持って部屋を出て行った。扉の閉まる音を聞いた玲太郎は目を開ける。先程まで居た場所にヌトはいなかった。頭を上げると窓際にいて外を眺めているようだった。頭を下ろして目を閉じる。

(おとなって、いつかちちうえや、ばあちゃんや、あーちゃんや、はーちゃんみたいになるの? ボクはこのままがよいのに、おとなになるの? やだー、なりたくないのよ)

 いつかは必ず大人になるとは夢にも思っ手もいなかった為、ヌトの言葉に抵抗があった。次第に悲しくなって来て、自然と涙が溢れた。心中で拒否をしていたが、目を閉じて何も考えずにいたら、いつの間にか眠りに就いていた。

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