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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第五話 しかして二歳になったある日

 玲太郎が二歳になってから約五ヶ月が過ぎた十月末日、颯はいつものように玲太郎を迎えに診療所へ行った帰路に乳母車を押していた。玲太郎の歩調に合わせて進んでは乳母車に乗せて休憩を取らせる、という事を繰り返し、約二時間も掛けて家に到着する。

 颯はまだ十歳だというのに身長が五尺七寸もあり、乳母車を押すと腰が辛くなる為、帰り道が苦行以外の何者でもなかった。颯は腰を労わりながら徐に歩き、その隣にヌトが浮いて付いて来ていた。

 先頭を歩く玲太郎は未だにヌト達が見えている。玲太郎はヌトと会話を交わす程になっている事もあって、診療所ではヌトが子守をするようになっていた。

 その一方でハソとニムに関しては苦手意識がなくならず、近付いてくると相変わらず叫んで逃げている。ハソはここぞとばかりに姿を隠す術を使ってみたが、それでも玲太郎には効果がなかった。ニムも試してみたが同様に見えているようで近付けなかった。仕方なく、後方から傍観しているのだった。悲しい哉、名前は未だに憶えられていない。

 玲太郎は道端に屈み込んでは草むらから虫を捕まえて来て、颯に得意満面で見せに来る。

「はーちゃん、みて。むし! むしなのよ!」

 颯は笑顔になって、玲太郎が腕を伸ばして見せ付けている虫に目を遣った。

「ああ、うん。ほれはバッタな。この前もおっただろ? ちゃんと放したげてよ」

 声もすっかり変わり、やや低めで張りのある声になっていた。

「わかっとる。ばったはなす」

 摘んでいるバッタを凝視して言った。それを見て颯が口を開く。

「ほんな事より、そろそろ乳母車に乗れへんで?」

「のれへん。あるく~」

 そう言うと小走りで前方へ行き、持っていた虫を放して別の虫を探す。明良が標準語になるよう、玲太郎に必死で言葉遣いを教えているのだが、颯が方言を使う所為で方言も当たり前のように遣っていた。明良は颯にも標準語を使うように迫っているが、颯は一向に聞き入れていない。

 家に近付いてくると颯の表情が時折険しくなる。ヌトはそれに気付かなかったが、良く知った気配を感知すると、後方の上空にいる二体の方へ飛んで行く。

「ケメがおるな」

「ケメが来るなぞ、初めての事よな」

 ニムが言うと、ハソもヌトに言った。

「お主等、何か聞いておらぬのか?」

「わしは何も話しておらぬぞ」

 ハソがそう言ってニムを見る。

「わしも話しておらぬな」

「では皆が来る事を知らされておらぬという事であるな。何をしに来たのであろうか」

 ヌトが言うと、二体は微笑んだ。

「それは玲太郎を見に来たに決まっておろうが」

如何いかにも。それ以外あるのか? わし等に会いに来る事はなかろうて」

 そう話していると、ケメの気配が一気に近くなった。三体はその場にとどまった。

「もう直来るな」

 ハソが言うとニムが頷く。

「直ぐ其処そこにおるな」

 ヌトが振り返り、気配のする方に目を遣った。ケメの姿が見えた直後、傍に遣って来た。やはり同じ顔、同じ髪色で、髪型は前髪と横髪を頭頂部で結び、その下から編み込みにして襟足の少し上の位置でまた結ばれていて、長さは腰まである。長衣の裾の波模様の色は白だった。体を縮めている三体に対し、十五尺あるケメが浮いて見える。

「やあ、久しいな」

 声も当然ながら同じだ。三体はケメの方に顔を向けて微笑む。

「どういった風の吹き回しよ?」

「何をしに此処ここへ来たのよ?」

「わし等の中の誰に会いに来たのよ?」

 口々に言うと、誰が何を言ったのか判らないケメが戸惑った。

「待て待て、そう一気に言われては判らぬわ。一人ずつ言うて呉れぬか」

 ケメの隣にいるヌトが軽く挙手した。

「わし等の中の誰に会いに来たのよ?」

「い、や何、れいたろうと言う子を見に来たのよ。ズヤから話を聞いて興味を持ったのでな」

 ヌトの顔を見ながら微笑んで言った。次にハソが挙手をする。ニムはそれに気付いて挙げ掛けた手を引っ込めた。

「どういった風の吹き回しよ?」

 顔をハソに向けると無邪気な笑顔を見せる。

「どういったもこういったも、家の木の花が咲いた原因がれいたろうという子にあるやも知れぬ、と聞かされては来るしかなかろうて」

「わしの質問も似たような物であるからよいわ。それにしても来る時が遅いのではないのか」

 ケメはニムを見ると苦笑する。

「珍しい事があるのであるなと思うておったのであるがそれで終わってしもうとったのよ。調べる事もせず、誰とも話す事なく過ごしておったからな」

 今度はヌトを見ながら続ける。

「ノユと話したられいたろうの話を聞いてな、その時は然程興味が持てなんだが、この間ズヤと話している内にまたれいたろうの話になって、それで来るしかないなと思うて来たのよ」

「ノユと話した時は何時いつ頃の事よ?」

 ヌトが訊くと、ケメは視線を上に遣って少し思案した。

「割と前であったような……。子の言う所の日数は判らぬぞ。数えておらぬからな」

「それはわしも把握しとらぬわ。それでズヤとは何時話したのよ?」

 ケメはニムに顔を向けた。

「二日か三日前であったような?」

「そうなのであるか。直ぐには来なかったのか」

 ハソが訊くと、ハソに顔を向ける。

「先にレウの所に行っておったのよ」

「それはそれは。元気にしておったか?」

「いつも通りであったぞ」

「相変わらず家の木に籠ったままであったのか?」

「それはそうであろうて。レウが外に出る筈もなかろう?」

 ハソと笑顔で話していると、ふと下にいる二人に目を遣った。

「れいたろうはあの子か?」

「如何にも。乳母車に乗っておる方であるがな」

「どれ、近くで見てくるか」

「近寄るなら実寸は止めて遣れよ。玲太郎は何をしても見えておるからな、驚かせない為にも小そうなった方がよいぞ」

 レウが忠告をしたがケメは微笑みを浮かべただけで、そのまま下りて行った。そして数秒後、玲太郎の絶叫が響き渡った。

「駄目であったな」

 ハソが頷きながら言うと、ニムが大きく頷いた。

「うむ、駄目であったわ」

 二体は顔を見合わせるとまた頷いた。

「ぬといやあー! ぬとー! ぎゃあぁぁあああ!」

 玲太郎がそう叫ぶ物だからヌトが慌てて玲太郎の下へ向かい、颯は玲太郎を抱き上げ、玲太郎は颯に抱き着いて顔をうずめ、ケメは叫ばれても動じなかった。

「確かに見えておるのであるな」

 そう感心した。

「さっさと消え失せてくれんだろか」

 颯は不快感をあらわにし、語気を強めて言ったが丸で効果がなかった。ヌトがケメを引き離そうとしていたがケメは堪えている。

はよう離れぬか。ハソ等の方へ行こうぞ」

「もう少し我慢して呉れぬか」

 ヌトはケメが何をしているのか察した。

(颯、颯、済まぬが今しばらく待って呉れぬか)

 念話を飛ばしたが、仏頂面の颯は足早に進む。

「オレはこいつが嫌いだ」

 そう呟くと走り出した。振り切れないと解っていても走るしかなかった。乳母車を引っ張りながら兎に角走った。それに少しも距離を離れずに付いて行くケメは笑った。

「こいつ? ……わしの事か? わしが判るのか?」

「颯は気配を感知しておるのよ。わし等の事は見えぬ」

 ケメの腕を引っ張るヌトが言うとケメは真顔になる。

「……気配が判るのかよ? 久しくそのような子にうてはおらぬな」

「わしを上回っておるぞ」

 それを聞いたケメは思わずヌトを見た。

「何っ、まことか? そのような事が有りるのか?」

 横目でケメを見ると、ケメは目を剥いて颯を見た。

「それは凄いな。後でこの子にも印を入れてみるとするか」

「わしはした方がよいと思うがな」

何故なにゆえ?」

「嫌いと言われておるからな、入れたとて消されるぞ」

 ケメは驚愕して颯とヌトを何度も交互に見た。

「え、子が印を消すなぞ、出来得る事なのか?」

 ようやく出た言葉が質問だった。ヌトは頷く。

「わしも明良が遣るまで知らなんだわ」

「待て、あきらとは誰ぞ?」

「この子等の兄よ。颯は遣り方を聞いて知っておるから消せるぞ」

「そのあきらとやらは、誰の印を消したのよ?」

「ニム。ハソとわしの印は消しておらぬが、何時消えてもおかしくはないな。颯もニムの印を消しておるからな。ニムは明良に嫌われてしもうとるのよ」

 また愕然としてヌトを見詰めた。しかしそれも好奇の目に変わる。

「そうならば入れるだけ入れておいても良かろうて。あきらとやらにも入れたいわ」

「明良は難しい子ぞ。機嫌を損ねたら其処で終わりであるからな。ハソとわしはまだ何も遣っておらぬから、一応許容はされておるのであるが」

「ニムは一体何を遣らかしたのよ?」

 ヌトは微笑んだ。

「ニムに訊け」

「ご尤も」

 ヌトはケメから手を離すと、速度を少し上げて玲太郎を見た。

「よし、もうよいな」

 そう言ってまたケメの腹を両手で突いた。

「ぐふっ」

 ケメが情けない声を出すとそのまま上空へと連れられ、ハソとニムの所へ行った。ケメはニムを見ると不敵な笑みを浮かべた。

「ニム、聞いたぞ。印を消されたらしいが、何を遣らかしたのよ?」

 渋い表情になったニムは暫く黙っていた。

「……たまに話し掛け、触れておっただけよ」

 そう小声で言うと呆然としたケメを見て、ハソが笑った。

「ふふ、それ程度の事で消されてしもうたのよ」

 苦笑するニムがケメを見る。

「嫌がる事を遣り続けておったから相当お冠のようで、颯の分まで消されてしもうてな。それよりもどう遣って消し方を編み出したのかを知りたいのであるが、ハソもヌトも訊いては呉れぬのよ」

「入れたままにしておきたいからご免被るぞ」

 ハソは真顔でニムにそう言うと、ヌトも頷いた。

「わしも」

 するとケメが目を閉じて軽く何度か頷いた。

「成程成程。確かに消されたな。はやてとやらには消されたな。嫌いと言われたから当然か」

 そうするとニムが声を上げて笑った。

「初対面なのに颯に嫌われたのかよ。そうであるにも拘らず、印を入れるとは阿呆よな」

「お主に言われとうないと思うがな」

 ヌトが言うとニムは無表情になった。そしてハソが笑う。

「嫌われてもよいから遣ると言うて明良に話し掛け、触れ、そして嫌われ、挙句に印を消されてしもうたのであるからな。……しかし明良が印を消した時は戦慄したわ」

 眉をしかめて言い終えると、ニムも無表情のまま口を開く。

「覚醒しておらぬのにああいう事が出来てしまうのは末恐ろしいな」

 ケメが難しい顔をすると小首を傾げた。

「わしはそういう風にこしらえた憶えはないが」

「子が消す事を想定をせなんだだけではないのか」

 ヌトに言われてケメは更に難しい顔になる。

「それはある。しかし消えるようにはしておらぬ筈なのであるが」

 三体は驚いてケメを見た。

「わし等も思いのままに消せるのであるぞ?」

「おいおい、拵えた本人が何を言うのよ?」

「ヌトから消し方を聞いたが……」

 口々に言うとケメが無表情になった。

「印は欠陥品かよ……」

 ニムが呟いた。ケメは目を逸らして口を尖らせた。

「わしとて完璧ではないのでな」

「それにつけても、ケメもわし等の仲間入りよな。おめでとう」

 ニムが満面の笑みで言うとハソが続く。

「わし等は玲太郎に嫌われておるのよ。ヌトはどういう訳か不思議と平気なようではあるな」

「顔も声も同じなのにな」

 ニムが苦笑した。ヌトはそれを聞いて頷いた。

「そうであるな。わしは玲太郎に受け入れられておるな。わしのみ名も憶えてもろうとるものな」

「うわー、腹が立つわ」

 無表情で自慢するヌトにニムが言った。ケメはそれに興味がなかった。

「それにつけても、玲太郎には印が入れ難かったのであるが、皆もそうであったのか?」

 三体はケメを見て頷いた。

「そうなのであるか。わしだけかと思うたわ」

「玲太郎もその内、印を消すようになるのであろうか」

 ニムが寂しそうに言うと、ハソが頷いた。

「透虫等と接触し出したら遣るであろうな。なにせわし等の事が嫌いであるからな」

 ケメがハソを見ると目を輝かせた。

「ああ、透虫か! そうなのであるな、透虫なのであるな。解った、なんとなくであるが解ったぞ」

 興奮して腕を組むと独り言を呟き始めた。三体はそれぞれの顔を見合わせてからケメを見た。そしてヌトは颯がどこにいるか確認をする。

「わしは彼方あちらに行くのでな」

 そう言うと飛んで行った。ハソがニムを見る。

「わし等も向かうとするか」

「そうするか」

 そしてハソとニムが示し合わせるとケメを置いて進み出した。颯のいる場所の近くまで一気に行くと、その後は歩調に合わせて徐に進んでいく。颯もケメの気配が遠退いて行くのを感じて、気を落ち着かせた。玲太郎は乳母車に乗って前を見ている。ヌトは何も話し掛けず、颯の隣を飛んでいる。

「あの気配はな、前から月にいち度、千里眼でのぞいてくる気配にそっくりだった」

 素っ気ない物言いで、颯が苛立っているのが良く理解出来た。そしてその内容に納得した。

(それは眠られない日があったという事でよいのか?)

「うん。最初はニムかハソのどっちかと思っとったんやけんど、千里眼の気配の違いが分かるようになって来て、ほれでちゃう奴やなって分かって、気になって寝られへん理由が分かったんよ」

 ヌトは苦笑する。

(颯は繊細であるから、わしの兄弟の気配で眠られぬようになってしまうのは諦めるしかないな)

「どうせ玲太郎を監視するためにしよったんだろうけんど、ほんまにお前らってオレ等を馬鹿にしとるなってつくづく思たわ。ほら玲太郎に嫌がられるわな。ヌトに八つ当たりしてもしゃーないんやけんど、ほうでもせんとやっとれんわ」

(確かにお主等の感情を尊重する意思が感じられぬな。わしからも謝罪する。済まぬ)

 ヌトは心底から謝罪したが、颯は反応をせずにそのまま無言を貫いた。玲太郎は振り返るとヌトを見た。

「ぬと、めっ」

 そう叱るとまた前を向いた。颯の反応が面白くて追い掛け回したあの日の事を思い出し、子に対して気遣いなどした事のなかったヌトは忸怩じくじするばかりだった。


 ケメは身丈を縮めないまま、東の縁側の前に陣取っていた。その傍にはハソがいて、ニムはその光景を縁側から見ていた。ヌトも颯に近付けず、居間にいた。

「颯のあの憤りようは凄い物があったな。ケメが家の中に入ろうとした途端に破裂しおったのは驚愕よ。あれしきの事に我慢が出来なかったのであろうか。体は成長したというにまだまだ子供よな。……それにしても初対面である筈のケメをああまでに嫌うとは一体何があったのよ?」

「わしには推察する事しか出来ぬが、家に入れとうない程にあの気配が気に食わぬのであろうな」

 ヌトは尤もらしく言った。ニムは眉を寄せていた表情を素に戻す。

「そうなのであるか? 颯がどのように感知を遣っておるのか知りたい物よな」

「ケメが傍に来た途端、こいつが嫌いと言うておったからな」

「ふむ……。颯の気配感知はわし等を超えておる嫌いがあるからな、わし等では判らぬ物が判るのであろうな。しかしそれが何故ケメなのか、ケメの何処どこが駄目なのであろうか……」

「ニムも印を消されておるではないか」

 ヌトに睨み付けながら言われたニムは振り返っていたが苦笑して正面を向いた。

「これは痛いな。わしとて颯にまで消されるとは思うておらなんだがな。寧ろ颯に消せるとは思うておらなんだわ」

「颯は透虫の掌握に長けておるからな。それも外のみならず、内まで遣って退けておるのであるから表敬せねばなるまい」

「わしはもっと時間が掛かった物であるがな……。颯は早過ぎる。明良は外が少し判るくらいになって来た所であるが明良も十分に早いと言えるから、颯が如何に早かったかが解るな」

「その事についてハソは何か言うておったか?」

「そうであるな、颯は異常と言うておったわ」

「確かにあのような短い時間の瞑想を毎日行っただけで習熟した事を考えれば異常よな」

 振り返ったニムがヌトを見ると頷いた。そしてまた外へ目を向ける。

「それにつけても、わし等を敬って呉れぬようになってしもうたな。わしはそれが寂しいぞ」

 ヌトは鼻で笑う。ニムは思わず振り返った。目が合うとヌトが冷ややかに笑った。

「果たして敬われるような事をしたのであろうか? わし等はそのような事は一つもしておらぬし、逆に反感を買われるような事しかしておらぬではないのか」

 そう言われ、また庭に目を遣ったニムは苦笑した。

「それはわしの耳が痛くなるな。悪霊がいる! と明良に叫ばれた事もあったな……。しかし颯があのように攻撃的な気配を放つとは思いも寄らなんだぞ」

「それだけ憤しておるのであろうて」

「それ程にケメが嫌いかよ」

「そうなるな」

「ケメの気配はわしにはそう悪い物には思えぬがな……」

「嫌いと言われても気にせず印を入れたからな、余計嫌われたと思うぞ」

 ヌトがそう言った後、沈黙が流れた。


 一方、ケメは家の方を向いて地面に座り込み、ハソはケメの隣で浮いていた。

「颯が怖いわ。わしは近寄りとうない。それもこれも皆ケメの所為ぞ」

「子一人に何を言うか。わし等がへりくだる事はないのであるぞ。しかし透虫をああまで使いこなす子は恐怖よな。わしの中の透虫が気持ち悪い事になっておったわ」

「皆一様に感じておるわ。……ヌトはどうか知らぬがな。それにしても、わし等が子等を斟酌しんしゃくする事は当然の事ぞ。子等は弱い立場なのであるからな」

 ケメは鼻で笑うとハソを横目で見た。

「そのように弱気な事であるから幽せいする破目になったのではないのか。しかも、因縁のあるこの諸島に居着くとは、ハソも酔狂よな」

「玲太郎が此処におるのであるから仕方あるまい。それに居着いてはおらぬぞ。通うておるわ。それから子等とは今は慣れうてはおらぬからな。慣れうとるのはヌトのみよ」

 ハソは、今は、を強調して言うとケメが横目で見続けている。

「それはお主等が線を引かれておるだけであろうが。わしも立派にその中に入ったが、斯くあるべし、であろうよ」

 そう言って目を閉じると大きく頷き、目を開けると空を見上げた。

「しかし、これはどのように攻略すべきか……」

 ハソは驚いてケメを見ると一瞬唖然とした。

「玲太郎が生まれてからほぼ毎日おるが、颯があのように激怒しておるのは初めての事よ。攻略しようとするのは止めておけと助言はしておくぞ」

「では懐柔してみせようぞ」

 ハソの方を見て笑顔になる。ハソは気怠そうな顔になった。

「手を変えても無駄であると思うがな……」

「しかしあのヌトに出来てお主等に出来ておらぬとは、一体どういう事なのよ?」

「それよ。わしも知りたい」

 二体は無表情で暫く見詰め合っていた。ハソがふと思い至ったのか、表情が緩む。

「転機はヌトが颯に話し掛けた日ではなかろうか。あの日を境に色々と狂うたと思う。いや、確かにそうであるな。あの日から颯のヌトに対する態度が一変したのではなかったか……」

 目を閉じて思い出そうとしているハソを目の当たりにしても、ケメは疑念に満ちた表情になる。

「わしよりも子に気を遣わぬヌトがじっ魂になっておるというのが甚だ疑問よな」

 ハソは目を開けてケメに顔を向ける。

「信じられぬのも解るのであるが、あの子等の兄が診療所に勤務しておってな、玲太郎は朝の内は其処におるのよ。その兄が患者を診ておる間はヌトが玲太郎の世話を焼いておるのであるが、信じられぬであろう? しかしながら事実ぞ」

「何っ、あのヌトが子の世話を焼いておる、……と?」

 怪訝そうに顔を顰めて確かめる。ハソは苦笑すると大きく頷いた。

「玲太郎が嫌がるからわし等は近付けぬがな、絵本を読み聞かせておるのよ。あのヌトがな」

 ケメは大きく目を剥くと目を輝かせた。

「それは是が非でも見ておかずばなるまいよ」

「言うておくが、明良は颯より手強いからな。わし等を塵芥のように扱う程にな。ヌトは玲太郎が傍にいる事を許しておるから、明良も否応なく傍におる事は許してはおるが実際には嫌われておる筈」

「ふむ。わし等の存在を其処まで嫌う理由を直に聞いてみたいな」

 そしてケメは玄関の方に目を遣る。

「表札には八千代、ヴィスト、留実、明良、悠次、颯、玲太郎とあるが、悠次とやらは何処で何をしておるのよ?」

「悠次は玄関の左隣の更に隣の部屋で寝ておるわ。硬化症を患っておるのよ。ヴィストと留実が親で、八千代が祖母ぞ」

 八千代は祖母ではない事を知っていたが、便宜上そう言った。

「成程、そういう構成なのであるな。それにしても硬化症とはな、不運な事よ。手術でもして腹辺りを切り開いたか?」

「玲太郎が生まれる前から患っておるようであるが、まだ生き延びておるのよ」

「玲太郎は幾つよ?」

「二歳」

「硬化症は其処まで持つようになったのであるな。よい薬草が採れるようになったのであるか?」

「そうではない。異例の事よ。悠次の主治医がふた月に一度診に来るのであるが、奇跡と毎度医師が言うておるわ」

「そうなのであるか。ノユに聞いた時に来ていれば良かったわ。此処はわしの好奇心をくすぐってくるな」

「であるからと言って居着くなよ」

「何故?」

「颯が眠られぬようになるから」

 ケメは失笑すると、そのまま大笑いした。

「あははははは、それっ、それしきの事でか」

「如何にも。颯に言われたぞ。気配は人のそれとは全くの別物であるから、慣れる事はない、とな」

「ハソが颯と話したのか?」

「いや、わしはその場におっただけで、ヌトが訊いておったのよ」

「あの子はわし等の言う事が聞こえておるのか?」

「そうではない。印を入れておるから念話よ、念話」

「念話かよ。紛らわしいな。……わしは印を消されてしもうたからな、念話すら出来ぬが」

「わしは仲介はせぬぞ。頼むならヌトにしろよ」

「駄目か?」

「短期間ではあったのであるが、颯が素っ気なくなった事があってな、ニムのように印を消されるのではないかと憂慮した物よ」

 ケメは唖然としてハソを見た。ハソはそれに気付かず、目を閉じて思い出に浸っているようだった。

「……ハソのそういう所、直した方がよいと思う、心底思うぞ。子なぞ沢山おるのであるから、一つや二つの印を消された所で痛ようを感じまいて」

「玲太郎は何かある。チムカの魔力に似ているから言うておる訳ではないぞ。透虫等が騒ぐのでな、位置を把握しておく為にも入れておきたい。颯は颯で透虫等に関しては卓絶しておるという事もあって印は入れておきたい。明良は透虫等との接触が存外密でな、印の消し方をどのように発見したのかいずれは訊ねたいのよ」

 ハソを尻目に軽く溜息を吐く。

「ハソの目利きには難があるからな……」

「確かに明良と颯に関しては評価が甘いやも知れぬが、わしはそれでよいと思うておるのよ」

「そうなのであるか。それではわしは何も言うまい」

「颯に嫌われた事を後悔せずに済むとよいな」

 ケメは目を瞬きをさせてハソを見て、それから笑い出した。


 そしてもう一方、颯と玲太郎は勉強部屋にいた。颯は俯せで寝転がっていて、玲太郎の右腿に頭を付けていた。玲太郎は一人で積み木を楽しんでいる。

(あー、こんなに怒ったん、ほんま久し振り。いつ振りだろってくらいに久し振り。しかし怒りは持続せんな。気力も体力もしょうもうが激しいわ)

 勉強をする気になれず、木と木が当たる音を聞いている。

「はーちゃん、よしよし」

 玲太郎は気が向いたらそう言って颯の頭を撫でた。

「ありがと。玲太郎は優しいな」

「れいたろう、やさしいの」

「優しいな」

「やさしいな~」

 そう言ってまた積み木を始める。

(玲太郎になぐさめられて、情けなあ……)

 颯は自己嫌悪に陥り始めた。するとヌトが現れて颯の傍に来た。それを見た玲太郎が眉を寄せてヌトを睨む。

「ぬと、めっ。はーちゃんしょんぼりじょ」

 ヌトはそう言われて狼狽する。

「わしの所為ではないぞ。玲太郎、違うぞ? ケメという奴が悪いのよ」

「ぬと、めっ。はーちゃん、よしよしよし」

 そして玲太郎はまた颯の頭を撫でる。

「玲太郎、ありがとな」

「れいたろう、ありがとじょ」

「ほうじゃ、ありがとうな」

 俯せのまま言う。玲太郎は満足してまた積み木を始め、ヌトは颯に何も話し掛けず、その場にいるだけだった。

 玲太郎はヌトの名は憶えても、それ以外を憶えなかった。ハソやニムの名を聞かせても何故か憶えようとしなかった。ヌトはそれが不思議で仕方がなかったが玲太郎はまだ小さい。理由を訊いた所で教えては貰えない事がもどかしく思えた。

 一頻ひとしきり積み木で遊んで飽きてきたのか、玲太郎がやたらと颯の頭を撫でている。

(なんや玲太郎にいいようにされてアホらしいになって来たな……)

 寝返りを打って仰向けになると勢い良く上体を起こした。気怠そうな表情だったが、玲太郎の方を向くと笑顔になった。

「玲太郎~、ほんまにええ子やなあ」

 そう言って玲太郎の傍に行き、抱き上げた。

「きゃーあーははは」

 玲太郎は喜んで笑った。颯の膝に乗せられると立ち上がって肩によじ登ろうとした。颯は玲太郎の足の裏に手を持って行き、そのまま上げた。髪の毛を掴まれ、その痛みに我慢をするともう片方の手で玲太郎の腕を手探りで掴んで引き上げた。

「肩車?」

「ん、それそれ」

 玲太郎の両腕を掴んで首に跨れるように誘導して遣る。

「かたぐうま、できた」

「か・た・ぐ・る・ま」

「かたぐるま」

「ほうじゃ、肩車」

 颯は玲太郎の両足を掴むと、玲太郎は両腕を頭に回した。すると颯は目が見えなくなり、動けなくなった。

「玲太郎、手が邪魔で目が見えないんやけんど、どうにかならんのん?」

「うん? なんて?」

「むつかしいか……。玲太郎の手で目が見えない」

「れいたろうのて? みえないのじょ」

「ほうじゃ、見えんのよ」

「ほんま」

「ほんまほんま」

 玲太郎はそれでも腕で目を塞いでいた。仕方なく目の前にある腕を掴んで離させる。そして手を頭頂部辺りに置かせた。

「これで見えるわ」

「みえるみえる」

 玲太郎の足首を掴むと徐に立ち上がった。玲太郎の手に力が入る。

「高い?」

「たかーい」

「怖い? 平気?」

「こわーい」

 颯は玲太郎の頭を天井に当てないように上下に揺らさず、膝を少し折って歩いた。動いている事が楽しいのか、玲太郎がはしゃいでいる。部屋の中を行ったり来たりして、太腿が限界に来ると積み木の近くで座って玲太郎を下ろした。

「えー、まだやるんじょ」

「終わり」

「やるの」

「やりません」

「ほんま」

「ほんま、やりません」

「れいたろうかわいそう」

 悲しそうに言うと颯が笑顔を見せる。

「他の遊びをしよう。輪投げはどうかいな?」

「わなげ~? や」

「いやなん? ほな、絵本読もうか?」

「えほんはぬとのん」

「はーちゃんが読むのはあかんのんかいな?」

「んー、わからん? ぬとのん」

 本棚の前まで移動すると、絵本を一冊手に取った。

「ほな、ヌトに絵本を読んでもらって。はーちゃんははーちゃんの勉強をするわ」

「わかった」

 笑顔になった玲太郎の前に絵本を置くと立ち上がる。

「ヌト、よろしく~」

 そう言って颯は机へ移動する。ヌトはその後姿を目で追った。

(一見するといつもの颯であるが……)

 本を挟んで玲太郎と対面すると、魔術を使って本を開いた。開いた本に顔を向けた玲太郎が満面の笑みを浮かべた。

「ぬと~よろしうう」

「よ・ろ・し・く」

 颯が透かさず言い直す。

「よ・ろ・し・く」

 ヌトも同じように言うと、玲太郎が上目遣いでヌトを見る。

「よ・ろ・し・く」

 玲太郎が真似て言った。それを聞いたヌトは頷き、絵本を読み始める。その声が聞こえない颯は、開いたままの帳面の上に置いてあった本を手にすると、どこまで勉強をしていたのかを探し始めた。庭にいる嫌いな気配が気になったが、それは動く事もなく、唯々そこにいる。


 明良が帰宅して玄関前に立っていた。奇妙な気配がそこにあったからだ。ケメは明良を見詰めていたが、明良は気配が強い方をなんとなく見て立っているだけで、視線が合う事はなかった。

「お主が明良か」

 声を掛けたが、明良には聞こえていなかった。

「聞こえておらぬわ」

 ハソが言うとケメがハソを見た。

「そのようであるな」

 そして明良が口を開いた。

ごみが増えたのか。鬱陶しいな」

 大きな声で言うと戸を開けて玄関の中に入って行き、静かに戸を閉めた。ケメは暫くそのまま固まっていたが、失笑するとそのままこう笑した。

「塵扱いされたぞ。あははははははは」

「今はああいう態度になってしまっておるのよ……。診療所に行き出して精神的に病み始めておるのか知らぬが、死んだ魚の目をしてねと言われ続ける事もあるのよ。ニムは無能と言われ続けておったわ。わしの方が病みそうになるから明良が近付いて来たら帰るようにしておるわ」

「診療所な……。それでどの気配が誰なのかは判っておるのか?」

「判っておるぞ。ヌトには何も言わぬわ。ケメは機会があれば塵と言われ続けるであろうな」

「それにしてもこれは手強いな……。明良からはあのように扱かわれ、颯にも嫌われておるのも地味に痛いな……」

「子であるから嫌われてもよいのではなかったのか」

「ううむ、そうではあるのであるが。わし等は崇められる立場の筈なのであるがな?」

 首を傾げるとハソを見た。ハソは気の抜けた表情をしている。

「無条件で崇められるとでも思うたか? その立場とやらに胡坐あぐらを掻いて好き勝手し放題にしておったら、嫌われて然り、であるな。わし等は傍観者になって久しいのであるから、そういった観念は捨てるが吉よ」

 気の抜けた表情のまま何かに思い至ったのか、ケメの方に顔を向けた。

「ニムやヌトのように子に対して要らぬ事をしておったのか?」

 ケメは不快感を露にして顔をハソに近付ける。

「わしはそのような事はしておらぬわ」

「ふむ……。それならばよいのであるが。颯の気配は落ち着いておるようであるが、今日はもう帰るとするわ。颯の気にてられて何やら疲れたわ。ケメは呉々も居着かず帰って呉れよ。ニムに挨拶をしてくるわ。ではな」

 そう言うと居間のある方へ飛んでいき、窓をとおり抜けて家の中に入って行った。ケメはそれを見送るとヌトに念話を送った。

(ヌトよ、わしはケメであるが話がある。此方こちらに来ては貰えぬか)

 するとニムとハソが即座に飛んできて厳つい顔でケメに詰め寄った。

「このような近場で念話を使うなよ、間抜け」

「わし等にも筒抜けぞ、馬鹿者」

 ハソは言いながら額に手を当てた。

「あー、頭に響いたぞ。気持ち悪い」

 そう言うとニムが両手で頭を抱えた。

「わしも頭痛がするわ。ヌトも同様になっておろうな。哀れな……」

 ケメは困惑した顔で二体を交互に見た。

「済まぬ、失念しておったわ」

「はあ……。では帰る。ケメは居着くなよ。ではな」

 先にニムがふらつきながら飛び去って行った。ハソはまだ額に手を当てている。

「わしも帰る。ケメも帰れよ。ではな」

 ニムとは反対の方向へ飛び去って行った。痛手を受けたとは思えない速度だった。ケメは二体の気配がなくなるまで待ったがその間にヌトは来なかった。二体の気配が消えてから暫くしてもう一度ヌトに話し掛ける。

(ケメであるが此方に来ては貰えぬであろうか。駄目ならわしが其方そちらに行くがよいか?)

 すると思っていた気配と違う気配が近付いてきた。玄関から出てきたのは颯だった。ケメの前まで来ると大きく息を吸い込み、鬼の形相になった。

「お前が大嫌いなんだよ。帰れよ。消えろよ。うぜえんだよ、クソが!」

 激烈な怒気を帯びた気を浴びせられ、ケメの体内が悲鳴を上げた。

(ヌト、来て呉れぬか。颯のこの気に耐えられぬ……)

(わしもその気は無理よ。大人しく帰れ)

「お前、時々のぞいとっただろ。知らんとでも思ったか? あ? お陰で寝られへんかったわ。うぜえ! さっさと消えろよ!」

 月に一二度とは言え、寝られない日を過ごすのは辛かった。颯の激烈な怒気が更に強みを増していく。ケメは遂に耐え切れなくなり飛び去って行った。颯は些か渋い表情をして、気配が飛んで行った方向に目を向けていた。颯が感知出来る範囲外に出たようで、居場所の把握が出来なくなってしまった。颯は小走りで玄関まで行くと家の中に入って行った。

 居間に戻って食事の続きした。今日は悠次が先に食べてしまっていて、三人で食卓を囲んでいる。

「庭にはいなくなったようだけど、どの辺にいるか、判る?」

 そう言った明良を上目で一瞥すると颯は手を止めた。

「消えた。オレの感知出来る範囲の外に行ったけん、どこにおるか分からん」

 じゃが芋をつつきながら言った。

「そうなのか。それなら今夜は安心して眠られるね」

 颯は顔を上げると明良を見た。

「ほうやったらええんやけんどな」

「所で、そろそろ標準語にしようよ、真面目な話」

「い・や」

 顔を顰めてそう言うとじゃが芋を口に入れた。颯は玲太郎が器用に箸を使って食べている所を見ていると、明良も横からそれを見た。すると玲太郎が顔を上げて颯を見る。目が合うと颯が微笑んだ。

「美味しいな」

「うん、おいしい」

 二人が笑顔になると、明良は苛立ちを覚えた。しかし玲太郎の前では笑顔を見せる。

「玲太郎、口に物が入っている時に話したら駄目だよ。飲み込んでから話すようにしないといけないね」

 颯は不満気に明良を見た。

「まだちっこいし、ちょっとくらい、ええんとちゃうん」

「小さい頃からしっかりと教えておかないと駄目」

 明良と颯を交互に見た玲太郎は颯を指で差した。

「はーちゃん、めっ」

「めっは玲太郎な。オレとちゃうけんな」

「れいたろう、めっなの?」

「ほうじゃ、玲太郎にめっなんよ」

「ちゃうじょ、はーちゃん、めっよ」

 真顔で言うと箸を置き、汁椀に入っている匙で汁を掬って飲んだ。匙を汁椀に戻すと、また箸を持って白飯を箸に載せて口に運ぶ。明良は時折ではあるがそんな玲太郎の様子を窺いながら、自分の食事を進めている。颯は明良と玲太郎を交互に見ながら食事を進めた。

 そんな颯の隣にいるヌトはずっと颯を見ていた。怒りはもう静まったようで表情も穏やかになり、それは素直に嬉しかったのだが、それよりも玲太郎の事が気掛かりだった。ケメから念話が飛んで来た時、玲太郎は明らかにヌトを見ていた。一度ならず、二度までも見ていた。念話が聞こえていると悟った時、生まれて初めて背中に悪寒が走った。それを颯に報せるべきかどうか、苦悩する破目に陥っていた。しかし、それでも玲太郎が食べ物を零さないように気を配っていた。

(それにしてもケメも通う積りでいるのであろうか? それはないか……。あれだけ颯にして遣られたのであるから、自尊心を傷付けられて攻撃を仕掛けて来ないとも限らぬ。わしもまだ体の感覚が戻らぬな。それにつけても、この子等はわしが護らねばなるまいな……。ニムは二人に印を消されておるから、玲太郎以外はどうなってもよいと考えるであろうから当てにはなるまい。頼るならハソしかおらぬが、ノユにも頼んでみるとするか。ズヤには手出しせぬように話を通しておけばよいか。レウとシピは我関せずであろうから話さずともよいな。よし、念話は皆が寝静まってからにしよう)

 ヌトはにわかにおかしくなって含み笑いをした。玲太郎がそれに気付いて見て来たが、微笑むと視線を余所に遣った。

(わしが護る…とはな。ハソは喜びそうであるが、ノユなぞ腹を抱えて笑い転がるであろうな)

 容易に想像が出来て些か嫌になり、思わず表情に出てしまった。玲太郎以外は見えていない為、そこは安心して表に出せた。そして先程の颯の怒気に耐え切った衝撃でまだ体が震えていたが、その気持ち悪さは峠を越えてしまえば気にはならなかった。


 それから数日、何事もなく過ごしていた。ケメは来る事もなければ、夜に千里眼を使って覗いてくる事もなく、颯は警戒を解き始めていた。ヌトは変わらず警戒をしていたが、遠巻きに見ているハソとニムも味方をしてくれるという事で話は付いている。特にニムは意外にも明良の護衛を買って出て、水伯が来ている時は明良が一人にならないように診療所へ付いて行く事になった。それにノユは事が起こったら駆け付けると約束をしてくれているし、ズヤまで同様に約束をしてくれ、ケメの勝ち目は完全になくなった。

 水伯が来ていた日、明良がニムとケメの印を入れて帰って来た。それに気付いたヌトは驚いたが、それよりも何があったのかを聞く事の方が怖かった。玲太郎を早目に寝かせて水伯にも早々にご帰宅を願い、勉強部屋で話し合いと相成った。

「田井先生を人質に取られた」

 明良が開口一番にそう言うと颯が怪訝な表情になった。ニムは知っていて平然としていたが、ヌトとハソは暗い表情になる。

「ケメが田井先生の精神を奪取して、いつ命を取られてもおかしくない状況になっていてね、今日はずっとケメに付き合わされていたよ」

 些か不機嫌そうな顔で言うと、颯は呆然とした。

「ケメめ……、其処まで遣るのか……」

 ハソが怒りを露にした。ニムは頷くとヌトを見る。

「ヌトがずっと念話に反応して呉れぬと言うておったわ」

「する訳なかろうて」

 ヌトは開いた口が塞がらない颯を見ながら言うと更に続けた。

「それで、ケメは何が望みなのよ?」

「ヌトはケメから何も聞かされておらぬのか?」

「ずっと無視しておったら念話が来ぬようになってな」

「成程」

 ニムが仏頂面になり、ハソに目を遣った。

「兄ちゃん、だっしゅって何?」

「やはりまだ子供よな……」

 颯の質問に思わずニムが感じ入った。

「奪取は、簡単に言うと取るいう意味だよ。奪う、取る、という熟語ね」

「ふうん、ありがと」

 颯は笑顔で礼を言うと、直ぐに真顔になった。

「ほんで兄ちゃんはケメと何を話っしょったんかいな?」

 その質問を聞いて明良は髪を掻き上げ、三体は明良に目を遣った。

「うん、まあ、色々。端的に言うとケメはこの輪に入りたいんだそうだよ。だから颯に怒らないでいて欲しいと、そう言っているんだけどね……」

「ほんで言う事を聞かんかったら先生殺されてまうん?」

「うん、そうだね」

「ひきょうな……」

 颯が鬼の形相になると、三体が瞬時に颯の気配が届かない位置へ飛んで行った。明良は三体の気配が消えると表情が穏やかになった。

「よいね。私もそれを習得したいよ」

「何が?」

 無自覚に遣っている颯は意味が解らなかった。

「怒ると悪霊が消えるのはよいなと思ってね。私には出来ない芸当だから羨ましいよ」

「ああ、なるほど。そういう事か。ほなけんど、好きでやりよる訳とちゃうんじょ」

「解っているよ」

(颯、颯、気持ちを静めて呉れぬか。わし等が傍におれぬわ)

 ヌトから念話が届くと颯は声を出して笑ったが、田井の事を思い出して口を押えた。

「ヌトが傍におれんけん、気持ちを静めろって言うてきたんよ。なんでかわろてもた」

「笑いたくなる気持ちは十分解るよ」

 まだ穏やかな表情が続いている。颯は伏し目になり、暫く黙考した。その間に三体が同時に帰って来た。気配が近くに来ると顔を上げる。

「みんなごめんじょ。怒ったんはわざとでないけんな」

 苦笑しながら言うと三体は頷いたが、颯にはそれが見えず、明良を真っ直ぐ見据える。

「ケメはオレが目当てなん? ほれとも玲太郎なん?」

「颯に断然興味があるような口振りだったよ。でも颯の傍にいたら玲太郎の方に興味が移るんじゃないかと思う」

「ほれはほれで嫌やな……」

 颯はまた伏し目になり黙考した。ハソがニムを見ると眉を顰める。

「ケメの目当ては颯なのかよ?」

「そのようであるな。透虫等の扱いが巧いから目を付けたのであろうて」

「わしより上ぞ。それは確実よ」

 ハソが頷くと、ヌトもそう言って頷いた。

「このようになって来ると殊更印を消された事が口惜しいな。颯の情報を少しでも得たいわ」

 ニムが悔しそうに言うと、ハソが横目で見た。

「そうは言っても明良にまた印を入れておるではないか」

 そう言われて無表情になる。

「あれは明良に入れろと言われ、念話の遣り方も教えさせられたわ。それに此度こたびの事が済んだらまた消されるのよ」

「都合良う使われておるのであるな」

 ハソが鼻で笑った。

「それも致し方なし。わしが明良をああいう風にしてしまったのよ。わし等への印象が少しでも良うなるように、此度は自尊心なぞ捨てるわ」

 ハソとヌトが「当然である」と何度も頷いた。ニムは顔を背ける。そしてハソがニムの肩を叩く。

「その印を入れた経緯いきさつを詳しく頼む」

「経緯な……。診療所に向かっておったらケメの気配がして、明良の傍に下りておったのよ。診療所に近付いて行くと明良もケメの気配を感じたようで、念の為に印を入れて、念話の遣り方を教えろと……。それで診療所に行ったらケメがおるわ、田井がケメに精神を乗っ取られておるわ、休診にして宇野田を帰しておったわ、ケメの今までの観察の、いや、実験報告をされるわ、色々とあったのよ。精神的に疲れたわ」

 聞いているハソとヌトも疲れて来た。ヌトがニムを見る。

「それにしても精神を奪取するなぞ、どう遣れば出来るのよ?」

「それはもう、実験報告を聞く限りでは、精神操作をしている内に出来るようになったと言うておって、尚且つヌトにも似たような事が出来るのではないかと言うておったぞ」

「わしはそのような乱暴な事はしてはおらぬわ」

 即座に否定するとニムは疑いの眼差しを向けていたが、ヌトの目を見て素に戻った。

「そうであるか。ヌトも大概な事をしておると思うておったが、ケメはヌトを遥かに超える常軌を逸した阿呆であったわ。ケメは何故実験なぞ始めたのか……」

「何っ、ヌトは何をしておったのよ?」

 ハソが目を剥いてヌトを見た。ヌトは渋い表情になる。

「ケメに比べれば増しに違いないのであるが、今となっては言いたくないな……」

 そう言って顔を上げた颯に目を遣った。ハソは顔を逸らすと笑いを堪えた。

「兄ちゃん、オレはケメを受け入れようと思うんやけんど条件を付けるわ」

 余所見をしていた明良は颯の方に顔を向けた。

「条件とは?」

「何がええ?」

 三体は失笑した。明良は真顔になっている颯を見据えた。

「じぶっ、自分で考えろよ。ふっく、ははは」

 ニムが笑いながら言うと、ハソとヌトも笑った。

「オレな、正直これが父ちゃんか母ちゃんだったら良かったのにと思てしもたわ。ほしたら見殺しに出来るのになって……。田井先生やったら助けなあかんもんな」

 三体の笑いは見事に止まった。明良が頷くと頬杖を突いた。

「それなんだよね。何故近親者ではなかったのかと考えたよ。田井先生なんて微妙に痛い所を突いてくる辺りが本当に対応に困る。それにしても、ばあちゃんじゃなくて良かったと心底思うよ」

「ほれは言えとる。ばあちゃんが人質になっとったら怒り狂ってまいそう」

 それを聞いて明良が頷く。

「成程、颯が逆上する事を考えて田井先生にしたのかも知れないね。田井先生なら逆上する事はないと踏んだのだろう」

「ほうなん? よう分からんけんど、条件はどうしようか。オレの頭では夜におらんとって欲しいんと、千里眼を使わんとって欲しいくらいしか思い付かんわ」

 明良は黙ると開いていた本を閉じた。颯は明良任せにして寝転ぶ。

「先ず、通いは譲れない。居着かれるのは私も勘弁だよ。後、図体の大きさが気になる。あれだけ濃い所が多いと鬱陶しさ百倍増しだから、悪霊の大きさに揃えて貰うのも入れよう。それと近辺での千里眼の使用禁止、玲太郎への接近禁止、それから……、ケメが颯の傍から離れないなら、ヌトが一緒にいた方がよいと思うんだけど、それはニムかハソに頼みたい。ヌトは玲太郎が唯一認めているから玲太郎の傍にいて、玲太郎を護って貰いたいからね」

 明良が次々に言うと颯は上体を起こして聞いた。

「ほうやな。オレの傍にケメがおるっちゅうんなら、ニムかハソにおってもらおう」

「おや? わしの出番か?」

 ハソが喜んだが、ニムが微笑んでハソの肩に手を置いた。

「わしやも知れぬぞ?」

「ははは、印を消されておるニムに役が回って来るかよ」

 そう言われてニムは苦い顔になった。

「ケメはオレに興味があるんやったら、オレとずっとおるっちゅう事だろ? ヌトは玲太郎に付いてもらうんやけん、やっぱりハソに頼むか」

 颯が言うと、明良は頷いた。

「私もそれがよいと思う」

「ニムは玲太郎の方を観察しとりたいだろうけん、オレより玲太郎の傍におってもろて、オレの側にはハソにおってもらうわ。ハソはほれでええ?」

 ニムは取って付けられたような理由が気に食わず、苦い顔のままだった。選ばれて表情が明るくなったハソは颯に念話を飛ばす。

(ハソであるが、わしはよいぞ。颯、宜しく頼むな)

「ハソ様~、よろしくお願いします~」

 そう言うと辞儀をする。すると明良が無表情から不機嫌な表情へと些かだが変わった。

「それは気持ちが悪いから止めろ」

「いや、待て。明良の傍には誰が付くのよ?」

 ニムが言うとヌトが横目で見る。

「念話が出来るのであるから遣れば良かろうて」

「むう」

 ニムは意を決して先程言った内容と一言一句変わらない念話を飛ばす。

「私にも誰か付いておいた方がよいと?」

 颯は不思議そうに明良を見ている。明良は一拍置いて口を開く。

「ケメが颯の傍に居るのであればその必要性はないと思う。ケメは私には興味がないと言っていたからその点は大丈夫だと思いたいし、体内にヌトとハソの石が入っているから、何かがあった時に念話をすればどうにかなると思っているよ」

(しかし延々と実験の話を得意満面でしておったからな、備えておくに越した事はないぞ)

 明良はそう言われると黙ってしまった。暫くすると小さく頷いた。

「解った。それでは私の護衛はニムにお願いする事にしよう」

(わしでは不満であろうが我慢して呉れよ)

 明良はそれに応える事はなかったが、ニムはそれで良かった。

「これで大体は決まったが、誰がケメに連絡を取るのよ?」

 嬉しそうなハソがニムの方に向いて聞く。

「明良が念話で伝える事になっておるのよ。わし等では嫌なのだと」

「わしが無視しておったからこのような事態になり、皆には迷惑を掛けてしまって申し訳ない……」

 改まって頭を下げた。今までのヌトならこのような事は言わなかったが、池之上家に居着いてから変化があったようだ。ハソはそれが喜ばしかった。ニムは一時的な物だと受け取り、気怠そうにヌトを一瞥した。

「気にするな。わしらは永い事生きておるから色々と問題が起きる物よ。短くても問題だらけであるがな」

 ハソが笑顔で言うと、ヌトは気持ちが少し軽くなった。

「では解散とするか。また明日な」

 そう言って一番に飛んで行ったのはニムだった。ハソもそれに続く。

「ではな」

 天井を透り抜けて消えて行った。二体の気配が遠ざかって行く。それを感知した明良は顔を上に向けた後、颯を見た。

「ケメの実験の話をしておくよ。ある程度聞いておけば、ケメに言われてもケメに対して気持ちが縮こまる事はないと思うから。そういう話になって怒りが抑えられなくなったら、それはそれで感情のままにしておけばよいからね。怒らせたケメが悪いんだから仕方がないよね」

 そう言って些か穏やかな表情を見せると、颯も微笑んだ。明良は無表情に戻ると続ける。

「一番胸糞が悪かった話をするよ。ケメは人を何処まで操れるか実験をしていたんだそうだ。遠隔…遠くからどれだけの人数を操れるか、という実験ね。人から人へ精神をケメの意のままに操れるようにして行くんだけど、三十六人が限界だったんだそうだ。三十六人を超えると、一番目に精神を奪取した人が死ぬんだって。一万回遣って一万回全てがそうだったから、それ以上は出来ないという結論を出したと言っていたよ」

 ヌトは無表情で聴き入っていた。颯は顔を顰めながら聞いていたが少し気になった事があった。

「人から人へ精神を…ってどうやってやるん?」

「ああ、それはね、先ず術を使って一人精神の奪取をして、その人を仲立ちにしてまた別の人の精神を奪取して、と増やして行くんだそうだよ。一番目の人を使って三十六人の精神を奪取しても、複数人を使って三十七人に増やしても、どういう形を取っても三十六人を超えると必ず一番目が死ぬと言ってた。考え得る手段を各一万回確認したからほぼ確定なんだと言っていたよ」

 変わらず顔を顰めたままの颯は低い声を出した。

「術って魔術? だったらオレは抵抗出来んな……」

「だからハソに守って貰うんだよ」

「ハソで大丈夫なんだろか……。ハソは優しいから兄弟に対して強く出られるかどうか分かれへんなあ……」

 今更ながらに心配になって来た颯は落ち込んだ。

「確かに、何かがあると逃走癖があるからな……」

 ヌトも一緒になって心配したが当然ながら二人には聞こえていない。

「観察対象の奪い合いだからね、本気を出して頑張ってくれると思いたい。唯、ハソが颯に対して其処まで思い入れがあるのかという点が気掛かりだけどね」

「ニムとハソは玲太郎だろ。ヌトはオレには借りがあるけん守ってくれそうではあるけんど」

「ヌトは玲太郎がご指名だから諦めて。悪霊にしてみたら二年五ヶ月なんて一瞬の時間なんだろうけど、爪の先程の情を持ってくれているかも知れない。…と希望を持たせておいて悪いけど、大いなる存在にすれば、どうせ私達なんて羽虫程度の存在にしか過ぎないだろうから、死んだら死んだ時だよ」

「ほんな身もふたもない言い方せんとってくれるで……。オレには覚悟が出来てないんやけんど」

「いざとなったら怒りをぶつけて引き離せばいいよ」

 颯はそう言われて言葉が中々出てこなかった。渋い表情で明良を睨む。

「ひっ、他人ひと事と思うてからに……」

「私も危険に曝されているから似たような物だよ。寧ろ反撃が出来ない分、私の方が死に近い。それから人の精神を奪取する術は、ケメが創ったから今の所はケメにしか使えないと本人が自慢に言っていたよ。だからニムにしてもハソにしてもヌトにしても、防げるとは限らないからね」

「ほうなんじゃ……。ほな玲太郎が危ないんとちゃうん?」

「いや、玲太郎よりも颯にご執心なんだよね。颯のその透虫とかいう物を掌握している事に興味があるみたいだね。颯が怒って近付くだけで体内にいる透虫が暴れ出すと言っていたよ」

「とうちゅうって何?」

「目には見えない微生物で透明の虫みたいな物って言ってた。颯はそれと深い仲になっている、とかなんとか言っていた。それで遠くを見る事が出来るようになると言っていたよ」

「ふうん、透明の虫な。ほれで透虫か、なるほど。オレはほないに言うほど、透虫と仲がええとは思わんけんどな。ただ毎日ちょっと遊んでもらいよるだけっちゅう感じ。ほれにしても透虫なぁ……」

「兎に角、颯は対抗出来得る術は持っているから、ケメに脅されても怯むなよ」

 颯は考え事をしていて話を聞いていなかった。明良は口を閉じて暫く颯を眺めていた。

「ああ! 透虫、見た事があると思うわ!」

 颯が俄に声を上げ、明良は些か驚いた。颯は満面の笑みを浮かべて前のめりになる。

「あのな、ダンゴ虫っておるだろ? あれの節がない形状で透明でな、頭の辺りに同じ虫が入っとるんよ。ほんで更に中におる虫の頭の辺りに同じ虫が入っとって、ほれがずっと続いとるんやけんど、ほれが透虫とちゃうだろか? 透明やし絶対ほうじゃわ。うんうん、前に見た事があったわ。奇妙なもんを見たと思とったんやけんどあれかぁ、あれが透虫なんかぁ、解ったわ! ありがと、透虫!」

 一人で納得して喜んだ。明良は知りたかった事がなんとなくではあったが把握が出来て内心嬉しかったがそれも一瞬で、姿を見た事がない自分を情けなく思って落ち込んだ。しかし、今はそれ所ではない。

「お喜びの所を大変申し訳ございませんが、お話を続けても宜しいでしょうか?」

 颯は固まると、明良を見て苦笑いする。

「ごめんじょ。どうぞ続けてください」

「兎にも角にも、颯はケメに対抗し得る術を持っているから、ケメに脅されても怯むなよ? それと石を入れて来ても直ぐにどうこうして来る事はないと思うんだけど、十分気を付けるようにね」

「兄ちゃん、入れられとるんだろ? いけるん?」

「うん、直接話せるように入れられたけど、今の所は平気。田井先生が元に戻れるかどうかは判らないけど、先ずは解放して貰わないといけないね。此方に来られるなら当然解放するとは言っていたけど、精神も解放するとは言われていないから、それが心配なんだよね。その事を失念していたよ」

「えっ、解放って、田井先生の所にケメがおるん?」

「ん? 言っていなかった? 私からの返事があるまで田井先生の所に居ると言っていたよ」

「ほなはようどなんぞせなあかんだろ」

 颯が焦って言うと、明良は落ち着き払っていた。

「此処に来てもよい条件の中に、精神の解放も条件に入れるよ」

「ほれは絶対やな。出来んって言われたらどうするん?」

「出来ないと言われたら来る事は許さない。話を聞いた限りだと色々試していたようだし、解除は可能ではないかと推察出来る。兎に角、颯が眠ったらケメに念話をしてみるよ」

 明良はふと何かを思い立つと、颯の目を見た。

「そう言えば訊いていなかったけど、颯は悪霊との念話の仕方は聞いているの? ヌトとはいつも普通に声を出して話しているよね」

「知っとるよ。知っとるけんどなんや気持ち悪いけん、つい口で話してまう」

「そう。それならケメに聞かれると不味い話は念話でするようにね」

「了解」

 真面目な面持ちになって言った。明良は頷くと立ち上がった。

「それでは入浴してくるね」

 颯の傍に行くと指先で軽く頭を二度叩いてから部屋を出て行った。颯は自分の頭を撫でた。それから寝転ぶと、ヌトの気配がする方に目を遣った。

「ほんな訳で念話の練習に付きうてくれへん?」

 ヌトは頷くと颯の傍に座った。

(よいぞ。明良が風呂から上がって来るまで話そうぞ)

 ヌトはいつになく険しい表情になっていたが、颯がそれを知る事はなかった。明良が部屋に戻って来るまでの間にヌトは一度だけ颯の傍にいられなくて飛び出した。颯の怒りが静まるのに暫く時間が掛かったが、明良が部屋に戻るより先に戻っていた。


 翌日、明良はいつも通りに玲太郎を連れて診療所へ行き、家に残っている者は颯とハソ、そしてケメだった。ケメは機嫌がすこぶる良く、颯に印を入れてずっと話し掛けていた。

「勉強しよるけんやめてって言よるだろ。次話し掛けたら石を消すじょ。ほんでほの後は何があっても入れさせへんけんな」

 注意をするのはこれで三度目だった。ケメは悲しそうな顔をすると漸く静かになった。ハソはケメと目を合わせても話さずにいた。ずっと颯の隣に居て一緒に勉強をしていた。勉強自体は全く面白くなかったが、ここの所ずっと遠巻きに玲太郎達を見ていた事もあって、こうして人の傍にいる事が新鮮に感じてよい気分転換となっている。間で八千代が茶と菓子を差し入れてくれて休憩を挟んだが、十時になるまで勉強に励んだ。

 悠次が呼びに来て間食をしに食堂へ行くと、二体が共に付いて来た。今日は若布わかめうどんだ。ヴィストと留実もいたが、八千代と颯が時折話す程度で、他は静かに食べている。ケメはそれぞれの傍に行って軽く観察をした。最後の悠次の番になると、颯の傍にいるハソがケメの様子を見ていた。悠次を色々な角度から見ている。

「この子が悠次か? 硬化症なのであろう?」

 その視線に気付いたのか、不意に話し掛ける。ハソは頷いた。

「如何にも」

「田井が奇跡と絶賛しておったが、治りそうなのであるか?」

 ハソは気怠そうな表情になる。

「硬化症が治るかよ。進行が遅いだけよ」

「ほう。それでも興味が湧くな。わしは硬化症が到頭寛解する病になるのかと期待しておったのであるがな。どれ、悠次にも印を入れて見てみるとするか」

 そう言って満面の笑みを浮かべた。印を入れて目を伏し目にすると暫く黙った。

「成程。奇跡と言う割には広がっておるな。しかし食道の大部分が硬化症に侵されておるというに、このような物をよく食べる気になるな。詰まるぞ」

「詰まらぬように、よう咀嚼しておろうて。食べたい物を食べて力を付ける事が大切であると思うがな」

 美味しそうにうどんを啜る颯を見ながら言った。ケメは横目でハソを見た。

「それにしてもこの親から魔力水準の高い子が生まれるとは考え難いな」

「親は大して関係ないと思うのであるが……」

「父親の魔力は平均並みか、それより少し上といった所か。風に特化しておるのか。しかし母親が酷い。水準は最低、無に等しい。特化もなし。これでは術を使えまいて。祖母は母親より増しであるが、最低水準の術を使うにしても心もとないな。寧ろ出来ぬ、か……」

 ハソはその評価に目を見張る物があった。

「ケメはやはり魔力に明るいのであるな」

「これ程度なら皆容易に遣って退けるであろうて」

「そういう事は何も言うておらなんだぞ。わしは詳細までは判らぬから羨ましいわ」

「そうなのであるか。これしきの事が判らぬでどうする」

 蔑むように言うとハソの隣に行った。

「そのような事が判らずともよいのよ。ニムとわしは玲太郎兄弟の成長を唯々見守っておるだけになっておるからな。ヌトは玲太郎に嫌われておらぬから傍で手を貸しておるが、ニムとわしは嫌われてしもうて気落ちしとるわ…」

「わしも嫌われておるがな。あれはどうにかならぬのか?」

 ケメは話がまだ続きそうな予感がして切りのよい所で口を挟んだ。

「玲太郎が成長せぬ事には判らぬな。わしもこのままなのは寂しいのであるが…」

「それにつけても何故ハソが颯の傍におるのよ? 玲太郎は診療所に行ったが」

 今度は話題を変えて来た。ハソはそれに付き合う。

「わしは透虫等の意思に従っておるのよ。ケメこそ何故颯を選んだのよ?」

 そう言って横にいるケメを見た。

「そう言えばハソが最初に透虫を見付けたのであったな。透虫も面白いが、子の方がもっと面白いぞ」

 それを聞いて眉を顰めると、また颯に視線を遣った。

「それは言えておるが、透虫等がおってこそであると思うがな」

「それよ、それ。わしは透虫を軽視しておったわ。それもあって颯を隅々まで観察して知らねばならぬ事がある」

 真顔で言うとハソを見る。ハソは颯を見て楽しんでいるようだった。

「ケメも透虫等に接触しておるというに、それ以上に知る事があると言うのか?」

「子を拵えた時も、印を拵えた時も、透虫の存在を知らなかったからな。今となっては手遅れであるが、透虫を知ればまた子の有りようもちごうて見えてくる事があろうて」

 勢い良く麺を啜って頬を膨らませている颯を見ながらそれを聞いたハソは不快な表情を浮かべた。

「透虫等が子等に何かしらの影響を与えておると?」

「与えておるに決まっておろうが。透虫は何処にでもおるからな。ハソが一番それを解っておる筈であるがな」

「これは愚問であったわ。済まぬな。しかしそれは子等に限らず、わし等にも言える事ぞ。共存しておるのであるからな」

 また横に向いてケメに視線を投げると、ケメは大きく頷いた。

「わしも遣れる事が広がったわ。透虫恐るべし、といった所よな」

「子等はそれを忘れてしもうとるがな。悲しい事よ」

「それは仕方がなかろう。透虫も選別しておるのであるからな。しかし、此処の子はそうでもあるまい?」

「透虫が選別をしておるのかどうか。それにつけても、玲太郎と悠次は判らぬが、明良と颯は透虫等に受け入れられておるな」

「わし等を退しりぞかせる程に透虫を扱っておるのであるから、颯は別格よな」

 目を輝かせて言うと、ハソは小首を傾げた。

「あれは扱っておると言うよりも、透虫が反応したと言うだけであると思うがな」

「しかし子の言う千里眼とやらで覗いておった事に気付いておったからな、颯は間違いなく慣熟かんじゅくしておるぞ」

 それを聞いてケメの方に顔を徐に向けた。動きの遅さにケメは身構えた。そして動きが止まると、また徐に口を開く。

「ケメは、颯に、何も遣っておらぬのではなかったのか?」

 ハソは無表情だったが、心中穏やかではない事が見て取れた。

「偶に見ておっただけよ。何も遣ってはおらぬではないか」

 目を細めてケメを見詰める。

「そういう言動を屁理屈と言うのであるが……。見ておるではないか。立派に遣っておるではないか」

 言い終わるとまた颯の方を見た。丼を持ち上げて美味しそうに汁を飲んでいた。

(ヌトは知っておったが、わし等には黙っておったのであるな。まさか颯があれを感知出来るようになっておったとは……。何時からよ? 直接訊いてみるか? いや、関係のない事であるからな……)

「見ておったとは言うても千里眼ぞ。誰がそのような微細な気配に気付くと思うのよ。わしとて気付けぬと言うに……」

 ハソはケメの話を聞いていなかった。

「ニムとわしが此処に居着くようになった頃、丁度颯が透虫等と接触をし始めた頃でな、早々に成功しおってわし等の気配を感知して眠られぬようになっておったのよ。そのような時にヌトが来て、余計に眠られぬ日を送るようになってな、わし等はそれで颯に嫌われておるのよ」

 ケメは眉を寄せた。

「わしは関係ないではないか。完全にハソ等の所為ではないか。わしは偶に見ておっただけぞ」

「……何時からよ? 何時から見ておった?」

 ケメの表情が更に険しくなる。ハソは顔を横に向けた。

「何時から見ておったのか訊いておるのであるが」

「ノユに玲太郎の事を聞いた後であるが、それがどうかしたのであるか?」

「玲太郎に興味は持てなんだと言うておったような気がするのであるが……」

「ヌトがおると聞いたからヌトを見ておったのよ。玲太郎ではないわ」

「ケメがヌトを気にするなぞ、珍しい事もあるのであるな」

 話をしている内に颯がうどんを食べ終えてしまった。食器を流しに持って行く為に席を立つと、ハソはそれを見送ったがケメは付いて行った。颯は折り返して来てハソの横を通り過ぎようとした時、ハソが颯の後ろに付いた。そしてそのままの状態で勉強部屋へと一緒に戻る。

(度々であるが颯の機嫌が悪い事があった。それも最近まであったからな。その時にケメが千里眼で見ておったのであるとしたら、眠られずにわし等に八つ当たりをしておったのであろうな。しかも観察対象がヌトとはな。本を正せばヌトが原因になるのか……。それにしてもケメはどれだけヌトに気を掛けておるのよ? ヌトはケメの事なぞ丸で眼中にないと言うに。さて、この事は颯に報告するとして、それは診療所へ行く時でよいな)

 颯の隣で本を見入る振りをして思案した。ケメはケメで颯の後ろにいて何かを探っている様子だった。それを放置していると颯からハソに念話が届いた。

(ハソ、今ケメに腹の中を探られよるんよ。オレは好きにやらせとるんやけんど、探る範囲が広がろうとしたらほれを抑える何かがおるんよ。これはハソがやりよるんで?)

 体内の事にはまだ疎い颯は些か不安になっていた。

(わしは何も遣っておらぬが……。わしも探ってみてよいか?)

(ええよ、やってみて)

 颯の許可を得られて内心歓喜した。目を開けたまま意識を颯の中にある印に集中して付近を探ってみると何という事はなかった。颯の体内にいる透虫がケメの存在を拒否しているだけだった。

(颯、判ったぞ。これはな、颯の細胞が抵抗をしておるだけよ。ケメの事を完全に敵と見做しておるだけの事であるから安心いたせ)

(ほうなんじゃ。ありがと)

 ケメは眉を引きらせながら暫く颯の腹の中を探っていたが印から少ししか進めず、諦めて止めてしまった。颯は一安心したが、ハソは危機感を募らせていた。ケメは不機嫌な表情になっていたが、八千代が来てハソが八千代を見ると瞬時に素の表情に戻した。


 颯は三人分の弁当を持って診療所に向かう。その後ろを二体が無言で付いて行く。約一時間二十分も掛かる道のりを一時間弱で到着した。診療所はまだ昼休憩に入っておらずに営業中となっていたが、患者がいない事もあって、明良は玲太郎と颯を連れて休憩室へ向かった。ヌト以外は診療所の屋根の上で待機している。

「わしは嫌われておると言うに、ヌトは役得であるな」

 ケメが不平を言うとニムが苦笑する。

「こればかりは玲太郎次第であるから致し方あるまいて。しかし天井裏より上の方が開放的でよいな」

「如何にも。今日も相変わらずヌトが絵本を読んでおったのか?」

「ヌトが絵本を読むと玲太郎が楽しそうにするからな。声も同じなのであるから代わって欲しいわ」

「ヌトは完全に絵本を読む係になっておるな」

「あのヌトが絵本を読む係とは笑うしかあるまいて」

「如何にも」

 ニムとハソは顔を見合わせると声を出して笑った。ケメは完全に輪から外れていて詰まらなかった。しかし、会話に入る気にもならず、横たわって浮いて遠くを眺めた。

 明良が三人分の茶を入れて脚の短い机の上のそれぞれの近くに置くと、口々に挨拶をして食べ出した。明良は玲太郎の膝の上に弁当箱を置いてから箸を渡す。玲太郎は笑顔で南瓜の煮付けを箸で刺すと口に運んだ。颯も大口を開けて白飯を頬張る。明良の腹からケメの気配が消えているのに気付き、明良の顔を見ていた。

「ケメは何か遣って来た?」

 その視線に気付いた明良が訊くと、颯は咀嚼しながら頷いて手で口を覆う。

「石から腹の中を探られた。ほんでハソに見てもろたんやけんど、オレの細胞が抵抗して探られる場所を広がらんようにしとったみたい」

 言い終わると咀嚼を再開した。弁当のおかずに目を遣っている明良が口を開く。

「細胞が抵抗……ね。私達が透虫の存在を知らないと思っているのだろうね。それにしても、初日から探りに来るとは気が早いね」

 感心すると、箸で出汁巻き玉子の一切れを半分に切ってそれを口に運んだ。颯は梅干しを解しながら明良を一瞥する。

「悠ちゃんの腹からケメの気配がするけん、石を入れられとると思うわ」

 明良は動じず、玲太郎に目を遣って口にある物を飲み込んだ。

「ばあちゃんは?」

「ばあちゃんはいける」

「田井先生が、悠次が硬化症という話をしたと言っていたから硬化症が気になったのだろうか? でも何時でも人質に取られる積りでいないといけないね」

 颯は頷くと、そこからは黙々と食べた。明良も玲太郎に気を配りながら完食し、玲太郎が食べ終わる時を待つ。颯は茶を飲みながら、玲太郎を見ていた。

「兄ちゃん、田井先生は精神を奪われとった間のきおくはあるん?」

 明良は湯呑みを取ると颯を見た。

「いや、なかったんだけどね、ニムが診てくれて治癒術を掛けてくれたんだよ。そうしたら精神を奪取されていた間の記憶が復活してね、先生には悪霊に乗っ取られていた事にしたよ。事実だけど。……それでケメは悠次以外の家族の事も訊き出していたみたいだけど、先生がそんなに知らないから悠次以外は大して知られていないよ」

 大分冷めた茶を飲むと湯呑みを持ったまま玲太郎に視線を移す。

「ふうん、ほうなんじゃ。先生はもういけるんかいな?」

「大丈夫だよ。ニムに治癒して貰ってからは後遺症もないし、いつも通り確りしてるし、ニムがケメの干渉はもうないと言っていたからね」

「ヌトは何しよったん?」

「玲太郎の世話」

「さよで……」

 颯は無表情だったが落胆していた。ヌトはそれを感じ取って遣る瀬なくなった。

「ごちそさま」

 玲太郎が合掌をして言うと明良が玲太郎を見て笑顔になる。

「綺麗に食べたね。偉いね」

 そう褒める明良の顔を見ると笑顔を見せた。明良は玲太郎の膝の上にある弁当箱を取ると机に置く。颯がそこから箸を取って箸箱に入れ、弁当箱に蓋をする。

「おちちちょーだい」

 明良は湯呑みを取ると玲太郎に渡した。

「此処ではお茶ね。もう熱くないから、そのまま飲めるよ」

 湯呑みを両手で受け取ると笑顔の明良を見上げる。

「あついはない?」

「ないね」

 それを聞いて湯呑みを口に付け、寄り目にして茶を見ながら少しずつ飲み込む。明良は零れた時の事を考えて手拭いを用意していた。

「一気に飲まなくてよいよ。湯呑みを口から離して」

 玲太郎は横目で明良を見ると、湯呑みを口から少し離した。

「ごくごくしたいんじょ」

「そうですか。それではお飲み下さい」

 玲太郎はまた少しずつ飲んだ。明良も颯もヌトも穏やかな表情で見守っている。玲太郎はその視線に気付いて湯呑みを口から離した。

「れいたろうはみないの、めっ」

 眉を寄せている玲太郎を見て、明良は満面の笑みを湛える。

「私は見ていてもよいよね?」

「みないの」

 即座にそう言われると衝撃を受けて見るに堪えない表情になった。颯は片目を閉じて目を逸らす。ヌトは玲太郎を見続けていた。

 休憩を終える前に、明良が玲太郎との別れの儀式をする為に約五分も使い、毎度玲太郎を抱き締めた明良が半泣きになる所を見せ付けられて辟易している颯は、玲太郎と荷物を乳母車に乗せると帰路に就いた。退屈しきりのケメはやっと颯と合流が出来るかと思いきや、傍に玲太郎がいて近付けなかった。仕方なくハソと一緒に後方の上空を飛んでいる。

「この空模様では帰り着くまでに降るな」

 ハソが言うとケメは興味がないようで無言だった。颯は念の為に雨具を持って来ていたから、空を見上げても心配する事はなかった。ヌトはいつも通り颯の隣を飛んでいる。

「はーちゃん、あるく~」

 颯はその場で停まり、玲太郎を抱き上げると靴を履かせて降ろした。

「雨が降りそうやけん、今日はあんまり歩けんと思うじょ」

 颯を見上げると目を大きく開けた。

「あめくる?」

「うん、雨が降る。ほの前に家に帰りたいけん、今日は歩くんは少しだけな」

 俯くと頷いた。

「わかった。すこしじょ」

 そう言ってまた前に行き、道路脇に生えている草むらに手を突っ込んだ。颯の歩調が遅くなる。ケメは気怠そうに止まっていた。ハソはその隣に行く。

「ケメは颯に何を遣りたいのよ?」

 ハソは単刀直入に訊いた。

「何を遣りたい……か。遣りたい事がある訳ではないのであるがな。但し、あの透虫の扱い方には大いに興味があるから、頭を覗いてみたいとは思うがな」

「ふむ。透虫等の扱いなら、わしの方が長けておるが?」

まことか? あのように怒りをぶつけてわしを怯ませる事が出来ると?」

「それは出来ぬな。わし等は兄弟。兄弟同士で傷付ける事は出来ぬ筈であるからな。それ以外ならばわしの方が長けておるぞ。それも確実にな」

「それはそうであろうて。どれだけ生きておって、透虫とどれだけの時間を共にしたのよ」

「それを言われるとな……」

「颯は青二才であろうに、透虫をあれだけ扱う何かを持っておる。その何かを知りたいのよ」

「そうなのであるか。それは透虫次第の所もあるから、その何かは判明せぬと思うがな」

「有体に言えば、わしの好きなように遣らせて欲しいのであるが」

 ハソはそう言われ、少し黙った。

「それはよいが、悠次に手を出したら徒では済まさぬぞ。もう寿命がないのでな。であるからと言って颯に手を出して見ろ。後悔してもし切れない程の苦痛を与えてみせる。明良や玲太郎も同様。遣れる事は観察だけぞ」

 ケメを見て笑顔で言った。ケメも満面の笑みを浮かべる。

「ふっ、わしがそのような事をするかよ。ヌトでもあるまいに」

 それを聞いたハソは無表情になった。

「ヌトが玲太郎達に何かを遣っているとでも言いたいのであろうか」

「いや、何、ヌトは居着いておるから何かしらしておると思うての事よ」

「ぷはっ、ははは……、ははははははは」

 失笑した後は笑いが止まらなかった。一頻り笑った後、呼吸を整える。

「済まぬ。何を勘違いしておるのか知らぬがそれは杞憂ぞ。一時期は阿呆な事を遣っておったが、今はケメが思うておる程の阿呆ではないのでな。もうケメとは違うのよ」

 ケメの気に障ったのか、些か不機嫌な顔になる。ハソは玲太郎達のいる方に目を向けていた。

「しかしヌトは…」

「ケメとは違うと言うておろうが」

 困ったように笑うとケメを見て言い掛けた言葉を遮った。ケメは言葉を呑むしかなかったが、沸々と怒りが湧いて来た。

(此奴……、わしの何を知っておると言うのか。嫌に引っ掛かる物言いをするが……)

 怒りはあったが、冷静だったケメは眉が引き攣るだけに抑えた。ハソはそれを見逃さなかった。

「もう永い事生きておるのであるから、その子供染みた思考から脱却せねばなるまいよ」

「わしはハソのそういう年寄り染みた所が好かぬわ」

「何を言うておるのよ、わし等は年寄りぞ……。数え切れぬ程生きておろうが」

「わしは見た目通り、気も若いのよ」

「気が若いと、己を律する事はせぬと言うのであるな?」

 そう言うと厳しい顔付きでケメを見据えた。

「わしはこの好奇心を大切にしたいと思うておる。であるから律する事は今後もなかろう」

 ハソを見て真顔で答えると玲太郎達のいる方に顔を向けた。

「それに因って裁断されても構わぬと?」

「構わぬぞ」

「それならば好きにするがよい。であるが手を出さぬと言うたのであるから、先に言うた通りに観察だけで見極めよ」

 念を押すとハソも玲太郎たちの方に視線を遣ると前進した。ケメは不機嫌な顔をして、少し前を飛んでいるハソを睨み付けていた。

 玲太郎は草を搔き分けて虫を探していた。その傍にヌトが浮いていて、颯が玲太郎に追い付かないように乳母車を徐に押している。

「はーちゃん、見つけたじょ。むし! むし!」

 颯のもとに駆け寄って、捕まえた虫を差し出して見せる。二人は立ち止った。

「ほれ、なんの虫?」

 良く見えずに顔を近付ける。

「むしはむしじょ?」

「ああ、これはカマキリな。ちっこいなあ」

「かまきり?」

「うん、カマキリ。この前も捕まえとったじょ」

「かまきり、つかまえた?」

「またカマキリを捕まえたんよ」

「ふうん」

「ちゃんと放してあげてよ?」

「まかせてください」

「任せてくださいって、誰が言よったんかいな?」

 玲太郎は前方にある草むらへ小走りで向かう。

「あーちゃんがいよった~」

「こけられんじょ。気い付けよ」

 そう言って後姿を見て颯は微笑んだ。玲太郎はヌトを追い越してその先に行く。そして石につまずいて転倒してしまった。颯は乳母車を置いて駆け付ける。ひざまずくと俯せになっている玲太郎を抱き起こして様子を見る。ズボンの裾をたくし上げて、膝に怪我をしていないか、急いで確認をする。

「いだい…、いだい……」

 玲太郎は顔を顰めて泣きそうになるのを我慢して呟いていたが、打っただけのようで傷はなかった。掌も見てみると小石が掌にくっ付いている程度だった。両手のそれを払って立ち上がる。

「痛かったなあ。ほなけんどもういけるじょ。痛あない、痛あない」

 玲太郎は颯の首に抱き着くと顔をうずめた。

「いだい……」

 颯は玲太郎の背中を撫でながら乳母車の所に戻る。

「いける、もう痛あなくなるわ」

「いけるはない、いたいじょ」

「ほな痛あなくなるまで、抱っこしとったんわ」

「ほんま」

「ほんまほんま」

 片手で乳母車を押し出すと早足で歩き出した。雲行きがおかしくなって来て、今にも雨が降りそうだった。

(持ち手の位置がもっと上だったら楽なんやけんどなあ……)

 不満に思いながら歩を進める。玲太郎は上下に揺れている内に心地好くなって寝てしまった。颯は玲太郎が黙っていた為にそれが気になって見てみると目を閉じていた。穏やかな表情になると速度を落とさず、なるべく玲太郎を揺らさないように歩き続けた。

 思っていたよりも遅く雨が降り出して慌てて雨具を使って凌いだが、足下が濡れてしまった。納屋に乳母車を置くと棹に雨具を干し、傘を広げて地面に置いた。それから乳母車に寝かせていた玲太郎を抱き上げてから荷物を取ると、傘は持たずに小走りで家まで行く。

 家に入ると式台に荷物を置いて玲太郎を寝かせ、靴を脱がせて沓脱石くつぬぎいしの端にそれを置いた。そして自分も脱いで式台に上がり、靴の向きを変え、荷物はその場に置いたままにして玲太郎を抱き上げた。勉強部屋へ行くと、玲太郎用の座布団を枕代わりにして寝かせ、薄手の掛け布団を掛けて遣る。ヌトは玲太郎の傍に下りるとその場に座った。颯は部屋を出て玄関へ荷物を取りに行き、それを持って今度は食堂へ向かう。布袋から弁当箱を出すとそれを流しへ持って行った。

「おかえり」

 不意に声を掛けられて驚いて、声のする方を見る。八千代が微笑んで颯を見ている。

「ただいま」

「降られたで?」

「うん、足が濡れたわ」

「ばあちゃんが弁当箱をあろといたげるけん、ズボン穿き替えてきい」

「ありがと。弁当、おいしかった」

 そう言うと、流しの隣にある台に弁当箱を置いて、桶に水を溜め出した。

「ほうで、ほな良かったわ。玲太郎もちゃんと食べたで?」

 八千代は笑顔で訊いた。

「完食しとるよ。おいしいって言よったわ」

 蛇口の取っ手を捻って水を止めると、弁当箱の蓋を取って水に浸け始める。

「ほんま、ほな良かった」

「ばあちゃんの作るもんは皆おいしいけんな」

「どしたん? ほんな事言うても何も出んじょ?」

「ほんまの事を言うただけじょ。ほな後はよろしく~。着替えて勉強してくるわ」

「はいな」

 八千代に笑顔を見せると、服を置いてある部屋へ行き、ズボンを穿き替えた。濡れているズボンを持って脱衣所に行って籠の中に放り込む。ついでに手を洗ってから勉強部屋へ戻る。ケメはずっと付いて来ていた為、当然ながらハソも付いて来ていた。ヌトは二体が颯の両脇にいるのを見て複雑な心境になった。


 何事もなく一日が終了し、颯は就寝前の瞑想をする。今日は体内にあるケメの印を観察していた。ケメの印は他の印と何かが違っているような気がしてならなかったからだ。白い石にしか見えないケメの印は淡い光を放っていたが、三十分程度では何も起こらなかった。

 ヌトは颯の瞑想に同調していたが、最近では颯が何を見ているのかが見えるようになって来ていた。ケメの印を見て、自分の印がどのような物かを見たかったが、颯の意思が尊重される為に見る事は叶わなかった。

 颯が眠りに就いた後、颯の体の中を覗こうと瞑想を始める。颯が見せてくれたように見られるかと言うと、その時々で違っていて、巧く透虫と接触が出来ない事も多々あった。今回は自分の意思に副わず、何故か自分の入れた印に視界が飛んだ。気配が自分の物だった為にそれが判り、色を見て納得をした。

(此処からどうすればケメの印に辿り着けるのであろうか? 視界を自在に動かせる訳ではないからどうしようもないが……。わしはこと透虫に関しては未熟よな。それ以外も未熟ではあるが。ま、それにつけても、ハソの言う事をきちんと聞いておけば良かったわ。ノユも千里眼は使えぬと言うておったからな、わしは千里眼を会得しておきたいが理解するには程遠いわ……)

 ケメの印を見張る事は諦めて別の物を見る為に仕切り直した。無になり、何を見るともなく、透虫が見せてくれる物を見る。するとまた印に視界が飛んだ。先程とは背景が違っている気がして不思議に思っていると、明良が障子を開けて部屋に入って来た。そして颯の傍に来て腰を下ろした。

「おい、悪霊。人の腹の中を見るなよ。私が気付かないとでも思ったか、間抜け。玲太郎が気を許しているから傍にいる事を許してはいるが、私はお前達が傍にいる事を本当は許していないのだからな」

 颯の真上で浮いているヌトに向かって小声で言った。ヌトは戸惑ったが明良には見えていなかった。

(済まぬ。颯の中にあるケメの印を監視しようと思うて遣っておったのであるが、わしが透虫との接触に慣れておらぬ事もあって巧く行かぬのよ)

 念話でそう言うと、明良は不機嫌な表情を見せた。

「下手糞」

 言い捨てると立ち上がり、部屋を出て行った。ヌトは落胆して桜輝石おうきせきで仄かに照らされた颯の寝顔を見た。

(玲太郎の事があるからか、わしには印を消すと脅さぬ明良は可愛いな。……しかし明良がわしの千里眼を特定するとは透虫との繋がりが思うておったよりも強いようであるな。それでも颯の方が上回っておるのであるから恐れ入る。それにしても、わしはその颯に便乗して透虫と接触しておるからか、透虫に翻弄されておるような気がしてならぬわ。……いや、待てよ、透虫がわしに何かを伝えたいのやも知れぬな。わしの印を見せて何を伝えたかったのであろうか……)

 ヌトが熟考をし始めた頃、ハソがこの部屋を千里眼で覗いていた。それに気付いて目が覚めた颯は目を閉じたままの状態で、ハソの気配がする透虫を特定して乗っ取ろうとした。すると成功して、その透虫から見える光景が映った。寝ている自分と玲太郎が見える。ハソの気配がしなくなった事から、ハソの視覚を追い出した事が判った。

(こういう状況やったら、オレの意思が尊重されるんやな。状況っちゅうか、距離なんかも知れんな。まあ、これでケメの千里眼も消せるっちゅうんが分かって良かったわ。明日ハソにお礼を言おうっと)

 颯は寝返りを打つと固く目を閉じて数秒経った後にそれを緩めた。


 その頃、ハソは呆然としていた。こんな事をされたのは初めての事で、最初は何が起こったのか、全く理解が追い付かなかった。そして我に返った時、自然と笑いが込み上げて来て大笑いをしていた。

(それにしても颯は面白い事を遣りおるわ。……であるからこそケメに狙われてしもうたのであるがな。あの嗅覚の鋭さには舌を巻く。ヌトは子等を玩具として弄んでおったがケメは違う。虫けらとしか思うておらぬから颯を殺す事も厭わぬであろうな。しかしケメは何故ヌトを敵視するのか、それが解らぬ。……それにつけても、颯に嫌われてしもうたから先に根回しをしておくとするか)

 何もない部屋の中で胡坐を掻いて浮いていたハソは目を閉じたまま念話を飛ばし始めた。


 明良はヌトに悪態を吐いた後、勉強部屋でどうするかを悩んでいた。腹の中にケメの印が再生しようとしていたからだ。再生しようとしてはいるが、透虫がそれを抑えているようだった。ふと思い立ち、部屋を出て行くと忍び足で八千代の部屋の前まで来ると気配を探った。安心して勉強部屋に戻る途中、悠次が寝ている部屋の前でも足を止めた。悠次の中に印が入っている事に変わりなく、ケメの気配が僅かながらだが感知出来た。それから勉強部屋に入り、颯用の座布団に座るとまた暫く黙考した。

(こうなってしまっては仕方がない。ヌトは頼りにならないだろうからニムかハソに話すしかないか……。頼るのは嫌だけど相談しておいても損はないと思う。うーん、どちらにしようか)

 そこまで思案した所で、颯がヌトを連れて部屋に入って来た。明良の傍で座り込むと険しい表情をしている。

「ケメの気配がするけん来てみたんよ。石が出来かかっとるけんどどないなっとんかいな?」

「起きていたのか」

「うん、まあ、ハソが千里眼使つこうて来たけん、ほれで目え覚めとっただけ」

「一厘にも満たないであろう大きさと言うに、それが判ったのか?」

「石な、うん、分かるよ。オレの分かる範囲内にケメはおれへんのんやけんど、どないなっとんかいな? 勝手に出来よるん?」

「そうなんだよね。突然再生し出して驚いていた所で、ニムかハソに相談しようかと考えていた所だよ」

「ヌトではあかんのん?」

「透虫に関して疎いから、今一信用出来ない。神様と崇められる存在だと解っていてもね……」

 そう言われたヌトは己が情けなく思えた。

「透虫が再生を抑えてくれているみたいだから、透虫に造詣が深そうなニムかハソに相談しようと思い至ったんだけどね」

「ふうん。ほなハソがええんとちゃう? うん? ……透虫は関係ないってヌトが言よる」

 颯は口を開けたままハソの気配が濃い方に目を遣る。そして目を明良に戻す。

「兄ちゃんは印を消す事が出来るはずやのに消せんのんだったら、透虫で消すんは無理って」

「透虫が抑えてくれているから、このままでいても大丈夫だろうか?」

 今度は口を閉じてハソの気配のする方に目を遣る。そしてまた明良に目を遣る。

「大丈夫と思うって。今までやった事がないけんど、消せるか試してもいいかって聞っきょる」

 明良は颯から視線を外して、暫く考えた。

「ニムもハソもやった事がないはずなんやと。ヌトが出来んかったら二体にも試してもらおうって」

 明良は颯を見ると頷いた。颯も釣られて頷く。

「解った。それでは試して下さい」

 颯がまたヌトに目を遣った。

「気持ち悪いだろうけんどがまんしてよって」

「解った。我慢する」

 明良がそう言うと、即座に腹に圧迫感のある空気が触れているような感覚になり、それが腹の中に入って来た。丁度小さなケメの印がある辺りを覆うように圧迫感がある。明良はニムに触れられた時の感覚を思い出していた。それはヌトがケメの印を右手で握っていたからだった。すると印はケメからヌトの物となり、ある程度の大きさまで膨れ上がると消えて行った。

「ヌトのんになったと思たら消えたな」

「消えたね。悪霊様、先程は馬鹿にして申し訳ありませんでした。有難う御座います」

 俄に態度を変えて辞儀をした。ヌトはそれが気持ち悪かった。

「いつも通りでええよって。これは透虫のお陰よって」

「そう言うという事は、さっき腹の中を覗いた事が関係しているとでも?」

 颯は眉を顰める。

「多分なって。あのな、念話で直接話せるだろ。オレを間に入れんとってくれる?」

「この方が気軽でよいのだよね。ご免よ?」

 颯が失笑すると、口を押えた。

「ヌトもおんなじ事を言よるわ。まあ、ええけんどな」

「所で、今更だけど、玲太郎に入っている石は大丈夫なのだろうか?」

 明良が真剣な表情でヌトのいる方を見た。颯は明良を見ながら頷いている。

「玲太郎に入っとるんは、オレらに入っとるんと同じもんを入れたはずなんやけんど、別もんになっとるんやと。入っとるだけやけん、気にせんでいけるって。オレな、前にニムの石を消した時、玲太郎のんも消せるんちゃうんかと思て試してみたんよ。消せんかったわ。兄ちゃんはやってみた事ある?」

「あるよ。ニムの石を消そうと思って遣ってみたけど、玲太郎の中の透虫とは巧く繋がれなかった」

 そこでふと何かを思い立った明良は声を上げる。

「あ! 若しかしてさっきの方法で玲太郎と悠次の中にある印も消せるのではないだろうか」

 そう捲し立てると、颯は丸い目をして見ていた。

「悠次に試す価値はあるが、先程よりも分は悪いぞってよ。玲太郎はあかんのんか。ほな悠ちゃんの所に行ってみようだ」

 颯が立ち上がると明良も立ち上がり、一緒に部屋を出て行った。颯が桜輝石を持っていて足下は明るかった。悠次の部屋の前で止まると静かに障子を開ける。部屋の中央に布団を敷いて寝息を立てている悠次の枕元に二人が座る。颯が険しい顔をしていたが明良は気付かなかった。ヌトは悠次の状態を見て言葉を失った。気配から形状が把握出来るのだが、印の形状とは異なっている。先程と同様に悠次の体内に手を突っ込んでケメの印を握ってみると見立て通り変形していた。本来の印は球体なのだが至る所から棘が出ていて、その先端から微細に千切れた印の一部が血管へと入って行き、血液と共に流れている。その為、全身からケメの気配が漂っていた。

「兄ちゃん、悠ちゃんの全身からケメに気配がするんやけんど分かる?」

 明良は悠次を隈なく見て首を横に振った。

「腹の辺りにあるという事しか判らない」

「ほんま。あのな、悠ちゃんの全身からケメの気配がしよってな、特に頭がごっついんよ。石の形もおかしいしな……、ヌトがハソかノユって人を呼びたいんやけど、かんまんか聞っきょる」

「解った。寧ろ来られるならケメ以外全員呼んでも構わない」

「ほれにしてもこれは……。なんでこんな事になっとるんだろか? ケメは悠ちゃんをどないするつもりなんだろ?」

「特に脳に集まっていて、尚且つ全身にもあるのなら、先ず考えられるのは傀儡だろうか」

「くぐつ?」

「操り人形の事だよ。自分の思いのままに操って、その先は…硬化症に興味を示していたから、それを調べたり、何かを遣ったりする積りなのだろうね」

 小声で話していたが、悠次が起きてしまった。

「…うるさいな……。こんなとこで何しょん? …ちょお、桜輝石がまぶしいじょ」

 目をこすりながら颯と明良を見上げた。しかし、直ぐに反応が無くなった。颯は悠次の顔を覗き込む。

「あれ? 寝てもたんかいな?」

 一瞬の事で颯が心配して明良を見ると、明良も颯を見て首を横に振る。颯が眉を顰める。

「邪魔やけん眠らせたって。ヌトもおとろしい事をするなあ……」

 そう言って悠次を見ると、何度か軽く頷いた。そして明良の方を見る。

「兄ちゃんが言うた通り、呼べるだけ呼ぶって。四体が来てくれるらしいじょ」

「悪霊は意外と数が少なかったか。もっといると思っていたから安心した。ハソとニム以外はお初だね」

「多分初めてとちゃうじょ。確か水伯がおった日におとろしい気配が五つになった事があるんよ。汗やかけへんオレが冷や汗をかいたくらいやけんな、覚えとるわ」

「ああ。以前にそういう事を言っていたね」

「言うたっけ? まあ、同じ人やったらの話な。人とちゃうけど、ん……同じって言よるわ」

「颯は助数詞をたいにしているから、人ではなくて悪霊でよいと思うよ。遣ってる事は悪霊と大差ないからね」

「じょすうしって何?」

「例えば、箸だと一膳、二膳と数えるだろう? 指なら一本、一と二種類あるよね。その膳とか本とか指とかの事を助数詞、助ける、数字の数、言偏に司と書くんだけど、そう言うんだよ」

「なるほど。あれの事な、分かった。ありがと」

「神様なら柱、しんとかだね。でも悪霊だから体だね」

 そう言うと珍しく鼻で笑った。颯は眉を顰めて明良を見る。

「兄ちゃん、わろとる場合とちゃうんじょ。悠ちゃんのこれ、どなんぞせんとあかんのんじょ」

「そうだね。ご免。悪霊の内の一体が遣ったとは言え、他の悪霊にこれを祓えるかと言うと、祓えない事も有り得るんじゃないの……」

 明良が完全に悪霊扱いをしていて、颯は心配になった。

「兄ちゃんがほんなん言よったら、悠ちゃんの事、元に戻してもらえんのんとちゃうん?」

「そうでもないよ。大いなる存在からすれば、羽虫程度の存在の暴言なんか屁とも思わない筈。それよりも元に戻せるかどうかが問題なのだけどね」

「ほら神様なんやけん、出来るんとちゃうん?」

「颯は信じ過ぎではいないだろうか。残念ながら万能ではないからね」

「ほうだろか? まあ信じとこ」

 そして颯は手を組んで目を固く閉じた。

「悠ちゃんが元に戻りますように」

 それからじっ分も掛からずにハソ、ノユ、ズヤ、ニムが集合した。一番に到着したノユとズヤは悠次の左側に並んで座り、無言でニムを見ている。最後に到着したニムは悠次の真上にいて、ヌトの話を聴きながら全身を隅々まで見ていた。

「明良の件は解った。それにしても悠次は酷いな。特に脳。どのように遣れば印がこのような事になるのか……。田井の場合は印が入っておらなんだからか、こうはなっておらなんだぞ。脳の細胞が所々切れておったからそれを修復しただけで済んだのであるが……、これは一つずつ消去出来るかどうかを試さねばなるまいな」

 そう言いながら悠次の右側にいたハソの隣に行く。

「然り。わしもこのようになっておるのを初めて見たわ。ヌトがあきらに遣ったように一つずつわし等の印に作り直して消えるか試行する前に、もとを絶たねばらちが明かぬぞ」

 ノユが言うと、ヌトが渋い表情になった。

「わしが明良に遣った方法では印は潰せなんだのよ。小さく散っておる物もな。それでお主等に来てもろうたのよ」

「試しに焼いてみぬか?」

 ズヤが言うとヌトが視線を向ける。

「焼くとなるとわしか」

「ヌトしかおるまい」

 ハソが言うと颯の隣にいるヌトに視線を遣った。

「小さい物は最早印ではないな。印であった物も、であるが……。ケメは一体何をしておるのよ……」

 ズヤが言うとハソも厳しい表情になる。

「如何にも。これではもう庇い立ても出来まいて」

「する気なぞ毛頭なかったであろうに」

「如何にも」

 ニムを真顔で見たハソは大きく頷いた。

「それにつけても、試しにわしに遣らせては貰えぬか」

 ノユが名乗り出た。全員がノユを注視する。

「印は音石に酷似しておるからな、わしが遣ってみて駄目ならばヌトが遣ってみて、それでも駄目ならばまた考えるとしようではないか」

「その前に明良と颯を眠らせた方がよいのではないのか? これはわし等の手に余るやも知れぬのでな」

 ハソが言うと、ヌトが首を横に振った。

「心配で眠られぬであろうて。それにこれだけ集まれば颯が眠られぬわ」

「そうであるな。それではこのままでよいな」

 そう言ってハソは黙った。そして目を閉じて悠次の体内にいる透虫と接触を図った。その正面にいるノユが悠次の傍に寄り、掛け布団の上から手を突っ込んだ。残りの三体はノユを注視している。

「おや、これはわしで大丈夫やも知れぬぞ」

 口調は喜んでいたが、表情はやや険しいままだった。暫く沈黙が流れた。

「……消せたわ」

 約五分の奮闘で消去する事が出来た。気の抜けた表情をしているノユを見たニムの頬が緩む。

「それは良かった」

「でかした」

「よう遣った」

 三体が口々に言うと、一番安堵しているのは颯だった。

「兄ちゃん、石が消えたじょ。後は全身にあるやつが消えたらいけるわ。消してくれた人、ありがと!」

「それなら一安心だね。悪霊様、有難う御座います」

「悪霊様って……、わし等はそういう扱いなのか?」

 ノユが無表情で明良を見ながら言うと、ニムが苦笑した。

「済まぬ、わしの所為よ」

「何を遣っておるのよ……」

 引き気味にニムを見たズヤが言った。そしてノユの方を見る。

「それにしても潰せて良かったな。どう遣ったのよ?」

「ズヤ、済まぬがそれは後にして呉れぬか。この小さい物が中々難しくてな……。印であった物と同様に遣っておるが、これはわしでは無理やも知れぬわ……」

 一段と険しい表情になったノユが言うと、今まで目を閉じていたハソが目を開いた。

「悠次の体内におる透虫等に頑張って貰おうかと思うたのであるが、反応が悪くて無理のようであるな」

「ハソが無理と言うのならば、透虫を使う事は諦めるしかあるまいな」

 ニムが言うとズヤとヌトが頷いた。ノユが首を横に振る。

「これは駄目であるな。印であった物は外側から普通の石に変え、それを内側へと向けて行き、完全な石にした後に一旦砂にしてから霧散させたのであるが、小さい物には通用せぬわ。ヌトが試しに焼いてみては呉れぬか。それにしても魔力を相当持って行かれたぞ。ケメが今来たらわしは何も出来ぬわ」

 そう言ったノユはズヤの隣に戻った。ヌトは少し上に浮くと悠次の体内に散らばった物を全て認識出来るようにした。ハソはまた目を閉じた。

「手抜きはせぬ。強目の火力で一気に行くぞ。ニム、治癒を頼むぞ」

「解った。わしに任せておけ」

「火力は最大がよいぞ。小さいからと言うて侮るなよ」

 ニムが大きく頷いた後、ノユが助言をした。ヌトの表情が段々と険しくなり、力を籠めて行くのが解る。ハソ以外が注視していた。颯はヌトの気配が濃くなって行くのを感じて、悠次の寝顔を見ていた。明良も僅かながらそれを感じていて息を呑んだ。俄にヌトの気配が衰えると、颯の隣に下りて両膝を突いたと思ったら、力尽きたのか、畳に手も突いた。

「大丈夫か?」

 ノユが声を掛ける。ヌトは顔を上げると頷いた。

「殆どの魔力を持っていかれたわ。こんな事は初めてぞ……。小さいとは言えども数が多過ぎるわ」

 ニムが悠次の傍に行き、掛け布団を透り抜けて悠次の体に手を当てていた。颯は気が緩んだのか、目から涙が流れて来て、腕でそれを押さえていた。

「ヌトとハソ、ありがと。どうなるかと思ておとろしかったわ。ケメの気配が消えて良かった……」

 涙声で言うと、ヌトは何度も小さく頷いていた。明良もそれを聞いて安堵したようで、些か穏やかな表情になっている。

「ノユ、ヌト、ニム、有難う。わしが目こぼしをしておったばかりにこのような事になってしもうて、大変申し訳ない。明良と颯を悲しませずに済んで何よりよ。夜が明けてケメが此処に来たら会合をするわな」

 そう言ってハソが頭を下げた。ズヤも喜んでいるのか、笑顔を見せている。

「わしは手伝えなかったが、此度の件は目の当たりに出来て良かったわ」

「それよりもわしも動きとうないのであるが、少しの間で構わぬから此処におってもよいであろうか」

 ノユはヌトよりも増しではあったが、同様に草臥くたびれていた。

「ノユも魔力が底を突き掛けておるな」

 ズヤがノユの方を見て言うと、ノユもズヤを見て頷いた。

「然り。ヌトよりは増しであるがな。しかしあの印であった物が異様で恐怖しかないぞ。あのようなおぞましい物を子に入れ続けておったと思うたら怒りを通り越して呆れるわ。こう言うと怒られるであろうが、正直な所、知りとうなかった……」

「うん、ええよ。今日はもう寝られへんと思うけん、おってくれてかんまんよ。好きなだけおって」

 涙が乾いた颯が悠次の寝顔を見ながらそう言うと、ハソがノユを見た。

「こう言うて呉れておる。わしもこのままおるとするわ」

「それでは遠慮なくおろうて」

 ノユが頬を緩めた。ニムが悠次の頭に手を当て終えると、元の位置に戻って行く。

「ヌトの最大火力で焼いた割には損傷が少なかったぞ。ハソが何かしたか?」

「如何にも。ヌトの炎から透虫等と護っておったのよ。魔力は大して使つこうておらぬがな」

「そうなのであるな。それにしても本来ならば治癒はケメの仕事、それなのにこのような状況をもたらすとは何事ぞ」

 ニムの語気が強くなる。明良はずっと悠次の寝顔を見ていたが意を決して口を開く。

「悪霊様、悠次の事は感謝に堪えません」

 五体が一斉に明良を見ると、明良は手を突いて頭を下げたまま続ける。

「本日は当家でごゆるりとお休み下さい。それでは部屋に戻ります。本当に有難う御座いました」

 ニムが失笑すると、そのまま笑った。

「はははっ、はははは。遣り遂げてもやはり悪霊のままなのであるな」

 立ち上がって部屋を出て行く明良を見ながら言った。颯も慌てて頭を下げた。

「ほなオレも行きます。寝られへんけど布団で横になってきます。ありがとうございました」

 立ち上がって小走りで部屋を出ると静かに障子を閉め、明良を追って一旦勉強部屋へ向かった。


 ヌト以外はそれを見送っていた。

「わし等の事を心底嫌ってしまっておるのであるな。寂しい事よ……」

 ハソが寂しそうに言うと、ニムが苦笑する。

「あれはもう引込みが付かぬようなっておるのもあるのではなかろうか。わしが悪いのではあるが」

「ニムが逆撫でした所為でああなってしもうたからな……。わしも遣り掛けておったが……」

 ハソも最後は苦笑した。ヌトは寝転んでいて気怠そうにしている。

「わしも先程は悪態を吐かれたぞ。千里眼で颯の腹の中を見ようと思うたら、明良の腹の中を見てしもうてな、それで怒られたわ。あはは」

 気の抜けた笑いだったが、他の兄弟の笑いを誘った。

「ヌトは千里眼が使えるようになったのか?」

 ハソが目を剥いて聞いた。ヌトはハソの顔を見ずに頷いた。

「出来るようになっては来たのであるが、わしの意思よりも透虫の意思が優先されておるわ」

「わしが透虫等の話をしても丸で興味を示さなかったというに、どういった風の吹き回しよ?」

「颯が遣っておるから、わしも遣るようになったのよ」

「そうであったか。颯は良き師なのであろうな」

「確かに良き手本であるな。透虫に関しては鋭利であるからな」

「颯の感覚は驚異的ぞ。わしの千里眼を見抜かれたのは颯が初めてよ」

 ニムがハソを見ると目を剥いた。

「何? そのような事が可能なのか?」

「如何にも。その上、使うておった透虫から排除されてな、見えておった物が見えぬようになったわ」

「そのような事が出来るとは、はやては恐ろしい子よな」

 ズヤは驚嘆した。ニムが悔しそうな表情をする。

「明良ではのうて、颯に手を付ければ良かったわ。あの子ならわしを受け入れて呉れておったであろうに」

「わしもごうは止めにして、此処へ来るとするか」

 ノユが羨ましそうに言うと、ニムが眉を寄せた。

「ノユまで来ると、また明良の機嫌が悪くなるわ。それはご免被りたいわ」

「ニムは其処まであきらの機嫌を取る必要はないと思うがな」

「そうは言うても悠次を救うてもやはり悪霊扱いぞ。わしの所為でこうなっておると思えばな……」

「わしは今回役に立っておるぞ。有用である事を示しておるから受け入れて貰えるであろうて」

 ノユの楽観的な意見を聞いてニムとハソが笑った。

「明良はそれでも受け入れぬと思うぞ」

「如何にも。わしもノユであるから許されるという事はないと思うがな」

「其処まで拗らせておるのか」

 ノユが眉を顰めると、今度はヌトが笑った。

「明良には何もしておらぬ上に、今頑張ったわしに対しても悪霊扱いであるからな」

「ヌトは此処に来て直ぐの頃、颯を変にさせておった原因であるからな……」

「如何にも。明良もそれは知っておろうて。明良は兄弟思いであるからヌトも当然ながら悪霊であろうて」

 ニムの指摘に続き、ハソにまでそれを肯定されるたヌトは不敵に微笑んだ。

「ふむ。それを言うなら、お主等も颯を眠らせなかったではないか」

 ハソとニムは口を噤んだ。そしてズヤが苦笑する。

「わしとノユ以外は駄目という事よな」

「いや、わし等の所為でお主等も悪霊よ。例外はないぞ。それに此度の事で更に思いも強うなってしもうたからな」

 ヌトが言うと皆が残念がった。

「明良は颯に敵わぬまでも透虫等に見込まれておるからな。行く末が楽しみではあるのよ」

「それにしても悠次は透虫と接触を図っておらぬのか?」

 ハソが言うとニムが疑問を投げ掛け、二体はまだ寝転んでいるヌトを見る。

「わしの知る限りでは遣っておらぬ。ま、悠次に興味がないから見ておらぬと言うた方がよいか。お主等が玲太郎を観察しておるように、わしは颯を観察しておるからな。ハソの見立てはどうなのよ?」

「悠次の体内は接触し辛かったからな、遣っておってもまだ接触が出来ておらぬか、遣っておらぬか、そういった所であろうて」

「玲太郎の体内はどうなのよ? 接触してみた事はあるか?」

 ニムがハソを見て言うと、ヌトが上体を起こしてハソを見た。

「ないな。玲太郎の体内におる透虫等に接触する必要がないからな」

「そういえば玲太郎を見ておらぬな。見て来るとするか」

 ズヤがそう言うとノユも頷いた。

「わしも行くぞ。少しは成長しておるのであろう?」

「もう走れるぞ」

 何故かニムがしたり顔で言った。

「子の成長は早いな。少し見ぬ間に自力で動けなんだ子が走るようになるのであるからな」

 感慨深そうにズヤが言うと、ハソが苦笑した。

「それはよいが、今は眠らせておいては呉れぬか。それにわしらが近付くと眠っていても起きて嫌がるのでな」

「ノユとズヤはまだ判らぬではないか。試しに近寄ってみてもよいのではなかろうか」

「ケメも近付いたら拒絶されておったぞ。ヌト以外は受け入れぬのではなかろうか」

「ヌト以外も受け入れられるやも知れぬぞ。試す価値はあろうが」

「それで玲太郎が起きて騒がれたら明良に余計嫌われるぞ」

 ハソとニムが言い合いを始めると、ヌトがノユに目を遣った。

「ま、今は行かぬが吉よ。おってもよいと許可は得ておるから朝まで待つ事よな」

「解った。それでは此処で朝まで待とう」

 ノユが頷くとズヤも頷いた。それからは和気藹々と会話が弾み、夜を明かした。悠次は大いなる存在の声が届かない静かな部屋の中で六時前まで眠りに就いていた。


 翌朝、明良と玲太郎が出掛けた後、ケメは何事もなかったかのように勉強部屋へ遣って来た。ノユとズヤが来ている事は気配で判っていたようだった。

「久しいな」

 笑顔のノユがケメの顔を見るなり声を掛けた。ケメは無表情で答える。

「ノユもズヤもどうした。玲太郎に会いに来たのではないのか?」

「わし等はゆうじに会いに来たのよ。玲太郎にも朝になってからうたがな」

 ズヤが笑顔で答えた。ケメの眉毛が僅かばかりではあったが引き攣った。ハソはそれを見逃さなかった。

「これより場を設ける」

 そう言うと一瞬でりく合が夏虫色になった。その場にはハソ、ノユ、ズヤ、ケメの四体と、少し離れた所に深緋こきひ色と紫紺しこん色の十二尺の人型が二体、更に少し離れた所に黒い人型が一体、別の方向には群青色の六尺の人型があった。

「これはわしが、チムカから長子であるという理由だけで授かった術よ。これを使う時が来ぬようにねごうておったのであるが、残念ながら来てしもうたわ」

 そうハソが残念そうに言うと、紫紺色の人型が動いた。

「成程、少し離れておると服の模様の色の人形に見えるようになっておるのか。ヌトは明確に見えておるが、他は色の着いた人形であるな。これは面白い」

 ニムが感心して言った。声のする方を見ていたズヤが目を剥いた。

「発言をすると頭上に名前が出るな。声が同じであるから当然か。しかしながらチムカも何かと残しておるのであるな」

「皆がこの場に来るのは初めてであるから興味もあろうが、此処は裁断し、必要とあらば断罪をする場。此度はケメが対象となる」

 ハソがケメを見ながら言うと、ケメはこのように大掛かりな事になるとは思ってはいなかった事もあって言葉を失っていた。しかし、意を決した表情でハソを厳しい目付きで見詰めた。

「わしが手を出すなと言う前に印を入れておったから許されるとでも思うたか」

「あれは硬化症を軽減させる物なのであるが」

「成程。硬化症を軽減させる為に印を変形させ、主に脳を侵食して支配するのか」

「そうである。脳からの刺激で硬化症の進行を遅らせるのよ。残念であるが治らぬ病であるから、手立てがそれしかないのよ」

「印から分離された小さな物質は患部にほぼ付着しておらず、脳に次いで四肢に広がっておった理由は何よ?」

「脳に刺激を送る事で動作が鈍化するから、それを補助する為に決まっておろうが。患部に付着しておらぬ理由は、脳が患部の位置を把握しておって必要がないからよ」

「成程。その成果を得るために、何人の子を犠牲にしたのよ?」

「数えてはおらぬ。どうせ硬化症で短くなった命を有効活用したまでの事よ」

「それ以外でも大分犠牲を出しておると思うのであるが?」

「それはないな」

「わしが知らぬと思うておるのか?」

「逆に訊くが、わしの何を知っておると言うのよ?」

「わしが千里眼以外で一度に遠視が出来る数はな、ケメが一度に操れる数を優に上回っておるのよ。それを幽棲しておる時に駆使して見ていたとは思わぬか?」

 澱みなく続いていた問答がここで途絶えた。ケメは不快さを露にして顔を顰める。

「只の茶番か。わしをあげつらい、断罪するのであるな」

「如何にも。丸で反省しておらぬから断罪するより外はあるまい。これは決定事項よ」

「わしは! わしはヌトより酷い事はしておらぬ!」

 俄に声を荒らげた。ハソは苦笑した。

「ケメがヌトの何を見てそう言うておるのか見当も付かぬが、ヌトが遣っておったのは悪戯な精霊と同等の事ぞ。ケメの遣っておった事とは天と地程の差があるわ」

「そんな事、信じられる訳がなかろうが! ヌトに追い掛け回されて飛び下りた子もおったというに」

「確かに飛び下りた子はおるが、死んではおらぬぞ」

 そう言ったのはノユだった。ヌトは頷いて話し出す。

「わしは、わしの事は見えぬが気配を感知出来る勘のよい子を確かに追い掛け回しておった。怯えたり、冷静さを欠いたり、逃げ惑ったりする様を見るのが楽しくて仕方のうてな。それで遣り過ぎて気が触れたり、自害したりしようとする子も少なからずおったのも確かではあるが、死んではおらぬし、正気に戻してもろうておったのよ」

「それは尻拭いをしておったわしが保証する。ヌトの所為で変になりおった子はわしが再起させたわ」

 ノユが言うと、ハソが頷いた。

「わしもノユから相談を受けて知っておったし見ておった」

「わしが遣っておった事は明良の言う悪霊その物であるから、そう言われても享受しておったわ」

「自慢出来る事ではないのであるぞ」

 ノユが厳しく言うとヌトは黙った。ハソが含み笑いをする。

「ヌトが颯を追い掛けて行った時も、わしが念の為に監視しておったわ。岬まで走って行って海に飛び込むかと冷や冷やしたが…」

「あれを見ておったのか。今は関係のない事であるからそれ以上は言うなよ」

 ハソは笑いを堪えて、それ以上は言わなかった。

「そういう訳よ。これで解ったであろう? ケメとは違うと言うた通りぞ」

「子になぞ気を遣わぬでよいと言うたのはヌトぞ。わしはその通りにしたまでよ」

 ケメは誰もいない所に視線を投げて言った。ハソは無表情になる。

「であるから硬化症でもない子を硬化症に仕立て上げてまで実験をしておったのか?」

 そう言われてケメは思わずハソに目を遣る。

「わしはな、見ておるだけであった。何をしておるかまでは理解出来なんだから、レウに頼んで調査してもろうておったのよ」

「子に興味はなかったが、ハソに言われてケメが何をしておるのか、少しばかり興味を持ってな。割と早い段階から知っておったのよ」

 レウが言うとケメの顔が徐々に険しくなる。

「己が拵えた子は可愛くなかったのか? ああ、あれらはケメが拵えた子ではなかったのか? わし以外は色々な子を拵えたおったものな」

「レウ、止めろ……」

 震えながら小声でケメが言った。ズヤが顔を顰める。

「どういう事ぞ? レウは明確に言えよ」

「皆で色々な種族の子を拵えたであろう? ケメは己が拵えた種族には一切手を出さず、兄弟が拵えた子をさろうて実験しておったのよ」

 暫く沈黙が流れる。

「ケメが拵えた子と言えば、わしの知る限りでは獣人のきば族と族、南半球の諸島におる人種……であったか。レウ、残念ながら尾族以外は絶滅しておるぞ」

 ニムが沈黙を破るとレウが透かさず言う。

「尾族は現存しておるではないか。それに諸島の人種が絶滅ではのうて全滅したのは、ケメが何かをさせておったからぞ。その所為で食肉樹の森が生成されて全滅しただけの話よ。何をさせておったのかは些事であるから失念しておるがな。それとあの諸島の人種は幾人か難を逃れておるから絶滅はしておらぬのよ」

「レウは意外と精通しておるな」

 ズヤが感心した。ノユが何度も軽く頷いている。

「ケメの周辺は殆ど調査しておるのでな。ついでに言うておくと、攫うておったのは全滅する以前からの話ぞ」

「…という事は、それだけ永く調査をしておったという事か」

 ニムの声色が低くなっていた。

「レウは家の木にいながらにして調査が出来るからな、永い間、頼り切りで本当に迷惑を掛けたが、それも今日で終わりぞ」

 ハソはケメを見ながら言った。ケメは渋い表情でレウの人型をずっと見ていた。

「印が消せる事も知っておったろうに、何故知らぬ振りをしたのか。あきらの印が再生されたら、知っておる事が露見するであろうにな。ケメは阿呆よな」

「見え透いた挑発は止めぬか。わしには通用せぬぞ」

 ケメは目を閉じて静かに言った。そして目を開けて続ける。

「それにしてもレウがわしを売るとは思いもよらなんだわ。失望したぞ」

「わしはわしの味方であって誰の味方でもないが。存分に失望して呉れよ」

 ケメは切歯するとハソに目を遣った。

「それでわしをどうする心算ぞ」

「どうもこうも、反省を促すだけよ。それ以上は望まぬ」

 怪訝な表情になった。

「反省? 反省をしたと誰がどのように判断するのよ?」

「それはこの術が判断する事よ。わしも初めて使うのでな、仔細は知らぬのであるがどうにかなろうて」

 それを聞いてケメは笑った。

「そのような事が術で判断出来るかよ」

 ハソが優しく微笑む。それを見たケメの表情が無になって行く。

「それを試す為にも、此度は観念して反省しろ」

 ハソはそう言うと真顔でケメを見据えた。

「罪は子殺し。刑はおよそ三十億年前より今までの間にケメが会得した全ての術の使用を禁じ、現在も継続されておるケメが使用した術を消去し、心底反省をするまでケメを自身の家の木にて拘禁を命ず。それに因り身の丈を一寸とする」

「おい、勝手に決めるなよ。皆と話し合ってからにしろ」

「残念ながら、わし等は既にハソに一任しておるのよ」

 ノユが苦笑しながらケメを見た。ケメは絶望的な表情を見せた次の瞬間、身丈が一寸になった。

「えっ」

 そう言った瞬間、姿が消えた。

「おお、消えた。家の木での監禁生活が始まるのか。偶には顔を見せに行くとするわな」

 ズヤが言うとノユはハソを見た。

「それにつけても、どれだけの子を殺しておるのよ」

「……それは永い時間を掛けておるのでな、十億は下らぬ」

 悲愴感を漂わせて言うと、それが見えていないニムが笑う。

「十億とはまた大仰な事よな。千や万でも容易に数えられぬと言うに」

 自分で言った事に笑っているニムを余所に、ノユとズヤはハソの表情を見て呆然としていた。

「兄弟よ、有難う。助かったわ。それではこの場を解散とする」

 ハソとノユとズヤの六合は勉強部屋に戻った。

「場を設けておった間は此処の時間が止まっておった筈なのであるが、それを確かめる術がないな」

 ハソがそう言って掛け時計を見たが、始まる前の時間を見ていなかった為に意味がなかった。

「そういう事は先に言うておけよ。そうすればわしが時間を確認したというに」

「済まぬ」

 ズヤに苦笑しながら謝罪をした。ノユが笑顔になる。

「次の機会があれば確認すればよいぞ」

「次があればの話になるな」

 ズヤは気を落として言った。ハソは颯の方を見て何度も小さく頷いている。

「ケメの印が消えておるわ。玲太郎に入っておる物も消えておるとよいのであるが」

まことに消えておるな。これではやても安心であろうて」

「然り。それではわし等は恒に戻るとするか」

 そう言ったノユを見たズヤは頷いた。

「ノユとズヤも有難う」

「どう致しまして。とは言うても、わしは何もしておらぬがな」

 ズヤが苦笑したがハソは笑顔で頷くだけだった。ノユが颯を見て少し難しい顔になる。

「しかしはやてに入っておったケメの印が消えたのであれば、ゆうじに入っておった物も消えておったのではなかろうか」

「そうであろうな。しかしながら、ああなっておっては早く除去した方が良かったと思うのであるがな」

「それもそうであるな」

 ズヤに言われて納得したノユは、ハソに笑顔を見せた。

「ではまたな」

 飛び去りながら身丈を実寸に戻し、大きな足が天井に吸い込まれる所が少し見えた。

「またな」

 ズヤも少し遅れて飛び去って行った。二体がいなくなって振り返った颯がハソの方を見た。視線は合わなかったが、ハソも颯を見た。

「二体とももう帰ってもうたん? もういっぺんお礼言いたかったんやけど、オレの代わりに言うておいてもらえる? ほれにケメが入れた石が消えたし、ケメの気配もいきなり消えたけんど、死んでもうたん?」

 ハソは何故か笑いたい衝動に駆られたが寸での所で堪えた。

(死んではおらぬが術だけが消えたのよ。颯の家族にはもう害が及ばぬから安心致せ)

「ほんま。昨日から色々ありがと!」

 颯は笑顔で言うと本に向かった。ハソは颯の後ろ姿を笑顔で見ていた。颯を残して玲太郎の所へ行っても問題はなかったのだが、今日はこのまま颯の傍にいる事にした。すると念話が入った。

(ヌトであるが、今よいか?)

(どうした?)

(玲太郎の中のケメの印が消えぬのであるが、先程の刑は執行されておらぬという事か?)

(消えておらぬのか? 颯に入っておる分は消えたのであるがな)

(そうなのであるか。……やはり玲太郎の中にある印は中身が全くの別物に変化しておるから、わし等の手を離れてしもうておるのであろうか)

(そうであろうな。玲太郎の中の印を取り出して確認したい所であるが、それは出来ぬからな……)

(ふむ。それにつけても、颯の傍におらずともようなっておろうから此方へ来ぬのか)

(颯が診療所へ行く時に同行するわ)

(解った。ではな)

 念話が終わるとヌトは玲太郎が見詰めているのに気付き微笑んだ。

「ぬと~、しずかに、めっよ」

 ヌトの微笑みが苦笑に変わり、人差し指を立てて口の前に持って行く。

「ほんま、しーじょ、しー」

 直ぐに「玲太郎の独り言がまた始まった」と言う田井の声が聞こえて来た。診察室の中にある診察台が三台あって天井から吊るされた布で間仕切りされている。その内の一番大きな一台に囲いを施していて、そこに玲太郎とヌトがいて、天井付近にニムがいる。

 診療所は明良が臨床研修に来るようになってから結構な数の患者が押し掛けるようになり、特に男性患者が増えた事で明良は辟易としていた。平日の午前中だと言うのに三十人以上は診ていて、丁度患者が途切れていた所だった。

「玲太郎、寂しい?」

 明良は事ある毎に玲太郎の下へ遣って来た。玲太郎は明良を見て笑顔になる。

「さみしいはない、あるくじょ」

「歩くのははーちゃんが来てからね」

「はーちゃんくるじょ」

「来るけど、まだ来ないね」

「ほんま」

 そう言って少し悲しそうな表情になった。

「本当だよ」

 玲太郎を抱き上げようと手を伸ばすと、玲太郎はそれを嫌って逃げた。

「ねむいはないのよ」

「抱っこはさせてくれないの?」

「だっこはないじょ」

 明良は苦笑すると、囲いの一部を取って診察台に腰を下ろした。近くにあった絵本を手に取る。

「そろそろ新しい絵本にしようか?」

「えほん? これがいい」

 明良の傍に寄って来て、明良から絵本を取ろうとした。それを見て玲太郎に渡す。

「ぬと、えほんじょ」

 絵本を開きながら言うと、明良は僅かに眉を寄せた。

「うむ、それでは読むぞ」

 ヌトはそれに気付いていたが玲太郎が開いた一面を読み始めた。

 先程ハソが言っていたケメが殺した子の数が膨大でまだ受け入れられずにいたし、あの最中さなかに言っていた三十億年という数字にも理解に苦しんでいるが、それ以上に今まで生きて来た中で、こういった事を遣れてしまう己がいた事を心底不思議に感じていた。

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