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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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33/41

第三十一話 しかして建国祭が巡って来る

 新期が始まって二ヶ月が過ぎ、建国祭が遣って来た。六日から十日まで休日となるが、今年は九日と十日が週末と重なって十一日と十二日が振替休日となり、七連休の大型連休となった。

 その期間、生徒の大半は帰省せず、ツェーニブゼル領が属しているエナダリン州の一番大きな街があるエナダリン領エナダリン市ラシャイーツ地区や、ツェーニブゼル領の一番大きな街があるツェーニブゼル市ロジョーン地区で行われる建国祭に赴く。全日通う生徒もいれば、寮で自習に励む生徒もいる。六学年生に関しては、カンタロッダ学院主催の催し物がある為に帰省したくても出来ない。

 玲太郎はと言うと、連休の初日で朝食は寮で済ませ、その後、颯に屋敷へ送って貰って居室にいて、当然ながら明良が隣にいた。

「今年はどうするの? 建国祭へ行くの?」

「今年も行かなーい」

 気怠そうに返事をすると、背もたれにもたれた。

「やはり行かないの? ウィシュヘンドの何処どこかの建国祭を見ておくのもよいと思うのだけれど、行ってみない?」

「うーん、なんか、王都の建国祭に行ったから、もう行かなくてもよいっていう気持ちになっちゃった」

「ウィシュヘンドは王都より賑やかなのだよ?」

「それは人が多いって事でしょ? 尚更行きたくないなぁ……」

 茶器を持って、茶を飲みながら静かに会話を聞いていた水伯がそれを机に置いた。

「人は多くないのだよ。小規模だからその分賑やかに感じるだけなのだけれどね。それにつけても、そのような寂しい事は言わないで、今年は行ってみない? 人の数は、宿泊施設の都合でウィシュヘンドの方が断然少ないから、本当に王都程は混み合っていないのだけれどね?」

 玲太郎は姿勢を戻して水伯を見る。

「そうなの?」

「そうなのだよね。集客数を上げる為に宿泊施設を増やそうという案が、もうずっと出ているのだけれど、私がそれを許可していないのだよ」

「どうして?」

ごみの問題だよ。それと治安ね。玲太郎は気付かなかったかも知れないけれど、王都でも塵の問題はあって、食べたその場に置いて行く人も多いし、塵箱に捨てない人も多いのだよ」

「え! あんなに大きなごみ箱があるのに?」

 思わず眉をしかめた。水伯はそれを見て「ふふ」と笑った。

「そうだよ。塵箱を増やしても効果がないから、塵拾いを雇っているのだよ。それが逆効果になって、更にその場に捨てて行く人が増えているのだそうだよ」

「それは酷いね」

「ウィシュヘンドでは祭りの際には徴収人を置いて、塵箱以外に捨てる人から罰金を徴収しているからね、少ない方ではあるのだけれどね」

「罰金は幾らなの?」

「小金貨一枚」

 玲太郎は目を丸くした。

「一万こんも? ゴミを捨てただけで?」

「容易に払える金額でも、塵を捨てた程度の事で払うとなると、痛いと感じる金額がよいのだよ」

「え、一万金は容易に払える額じゃないでしょ?」

「祭りだとその程度の金額は持って来ているよ。だから掏摸すりが多いだろう? 何年か前に颯が捕まえていたよね」

「あ! そうなのよ。僕も一緒にいたから知ってる。二年前だね」

「ああ、「とある貴族のお手柄」、と新聞で何故か名前を伏せられていたあれね」

 明良が頷きながら言った。

「そう、それ。何人かは逮捕されていたのだけれど、全く効果がなかったようだったからね。ウィシュヘンドでも掏摸がいるそうだから、颯を雇おうとしたら、断られてしまったのだよね」

 残念そうに話すと、明良が頷く。

一昨年おととしから王都の別邸で、ばあちゃんとお父様の三人で一緒に過ごしているから仕方がないね」

 玲太郎が露骨に不機嫌になった。

「そのせいで、ばあちゃんが作ってくれる夕食がなくなっちゃって、僕達可哀想……」

「あはは。可哀想なのは玲太郎だけだろう? たまには八千代さんにも纏めて休んで貰わないといけないからね」

 珍しい事に、水伯が声を上げて笑い、玲太郎が目を丸くして見ていた。

「私は水伯が作ってくれた夕食で十分嬉しいし、美味しいと思うのだけれどね」

 明良が透かさず言うと、玲太郎は明良を横目で見る。

「あーちゃんが作ってくれればよいのに」

「私は玲太郎の傍にいたいね」

 玲太郎に顔を向け、満面の笑みを湛えると、玲太郎は苦笑するだけだった。明良はあれ以来、一度も調理をする事はなかった。

「美味しい料理で僕を喜ばせたいと思わない?」

「玲太郎を喜ばすよりも傍にいたい気持ちの方が強いのだよね」

「そうなの……」

「だから今夜は水伯を楽させる事にして、ウィシュヘンドの建国祭に行かない? 建国祭の間は毎日でも良いよ?」

「露店で夕食ねぇ……」

 朧気になって来た記憶の中でも、確かに美味しいと思える物は沢山あった。僅かばかりだが食指が動いた瞬間だった。

「私は露店の焼きそばが食べたいのだよね」

 玲太郎がにわかに表情を明るくさせた。

「それなら私も食べたいね。ウィシュヘンドの建国祭は建国のお祝いと言うよりも、五穀豊穣を願った春祭りの意味合いが強いからね、ウィシュヘンドの郷土料理を扱った露店と、和伍の料理を扱った露店が多いのだけれどね」

 それを聞いて、更に表情を明るくさせた。

「え! そうなの?」

「回転焼きもあるよ」

「え! 本当? 焼きそばも回転焼きも食べたい!」

 完全に行く気になった玲太郎を見て、二人も笑顔になっていた。

「どうして去年はその話をしてくれなかったの? 惜しい事をしちゃったなぁ……」

「昨年は王都の方に行こうとしていたからだね」

 苦笑しながら水伯が言った。

「王都に回転焼きはなかったものね。でも露店の数は圧倒的に王都の方が多いのだよね」

「あーちゃんはウィシュヘンドの建国祭に行った事があるの?」

「それはないのだけれど、書類上で知っていてね。アメイルグ郡でも露店が並ぶ自治体はあるし、それに花火を揚げる自治体もあるからね」

「ふうん、なるほど」

 納得して頷いていると、水伯が微笑んだ。

「王都に比べると少なくて記念日は一万発、それ以外は八千発になるのだけれど、行ってみる?」

 明良が笑顔で言うと、水伯も口を開く。

「ウィシュヘンド郡も多い所はそれと同じだから、其方そちらでもよいよ?」

「花火は別に見なくてもよいのよ。露店で食べたいだけだね」

 そう言って悪戯っぽく笑った。それを見て水伯が柔和に微笑んだ。

「それでは夕食は露店でよいのかい?」

「うん。五日間、ずっと露店でもよいよ」

「そう? それではウィシュヘンド中を回るとしようか?」

「さんせーい!」

 右手を大きく挙手し、元気良く返事をした。

「王都程ではないにしても、屋外座席は設置しているからね。きちんと座って食べられるよ」

「そう言えば、王都でも中々座って食べられなかったような気がする」

 水伯が頷く。

「そうだね。でもウィシュヘンドでは、四人掛けの長方形の机を各五台付けて並べているのだけれど、一時間の集客数を考慮しても大目に出ている筈だよ。それ以外に縁台も沢山置いているからね」

「王都では円卓だったものね。円卓の方が場所を取る筈だから、王宮前の道路みたいに広い場所がないといけないから、ウィシュヘンドでは出来ないよね」

 そう言った明良に顔を向けて、また頷く。

「そうだね。それにつけても、これから五日間の夕食作りから解放されて、私は楽で嬉しいよ」

 いつもの微笑みを浮かべた。

「父上を楽に出来て良かったのよ。僕はね、焼きそばは絶対に食べる! 後、回転焼き!」

 玲太郎は一人意気込んでいた。それを微笑ましく見守る二人だった。


 十九時半になると州都であるウィシュヘンド郡ウィシュヘンド市ウィシュヘンド町ウィシュヘンド地区へ向かった。露店が立ち並ぶ周辺では箱舟が通行止めにされている。そして露店通りが幾つかあって、屋外座席も、沢山の縁台が並んでいるのも見えた。前者は半数以上が人で埋められている程度で、今なら容易に座れそうな様子だった。

 玲太郎はじゃんけんに勝った水伯に抱かれていた。その水伯は手近な露店通りへ入って行き、その傍に些か不機嫌そうな明良がいた。

「たこ焼き! たこ焼きがあるよ!」

「私は焼きそばを見付けたから、それを買って来るよ。水伯は玲太郎とたこ焼きを買っていて貰える?」

「解った。明良はたこ焼きを何人前を食べたいの?」

「たこ焼きは一人前で。焼きそばはどうしようか? 水伯は一人前を食べる?」

「私は玲太郎と半分にしようかと思うのだけれど、玲太郎はどう? 半分も食べられるかい?」

「一人前って言っても、どうせ少ないんでしょ? 半分なら食べる。たこ焼きも半分にしようね。色々な物を食べたいから」

「解った。それでは明良、私達二人で一人前を頼むよ」

「買ったら早速食べたいから、先程通って来た屋外座席で席を取っておいて貰える?」

「先に買えた方がそうしようか。それでは後でね」

「それではね」

 二手に分かれてそれぞれの露店へ向かった。水伯は誰も並んでいないたこ焼き屋の前に行くと、看板を見て眉を顰めた。そこでは四個千五百金で売られていた。高くても四個で六百金、露店という事を踏まえても、千五百金は暴利を貪っている事が想像に難くない。

「君は和伍人かい?」

 明らかに和伍人の風体の店員に声を掛けた。白髪交じりの黒髪で茶色い目、半袖からは刺青が見え隠れする。

「見て分からないのかい? 黒髪に茶色の目、黄色い肌、見るからに和伍人だろ?」

 不敵に笑いながら水伯を見る。水伯は無表情で、その男を見詰めていた。

「共通語は話せるようだね。では、何故このような値段を付けているのか、説明をして貰おうか?」

「それはお兄さんには関係のない話だよ」

「領主には関係ない、と言うのだな? 宜しい。関係がある事を解らせる為に、至急役所の担当者に来させるが、それでよいな?」

「連れて来れるなら、連れて来いってんだ」

 玲太郎はどこを見ればよいのか判らず、交互に二人を見ていた。水伯は上着の衣嚢から容器を取り出し、蓋を開けて音石を操作する。

「ウィシュヘンドだけれど、さっ急に報せたい事があるから直ぐに出なさい」

「お待たせ致しました」

 十秒も経たない内に男の声がする。玲太郎には聞き覚えのある声だった。

「今、ウィシュヘンド地区の露店に来ているのだけれど、たこ焼きが四個で千五百金と倍以上の値を付けている露店を見付けたのだよ。このような法外な値を付けている露店の出店を許可しているようでは、本当に困るね。担当者を至急寄越して貰えるかい。北側の通りの中間にある屋外座席にいると伝えるように」

「畏まりました。北側の通りの中間にある屋外座席でございますね」

「そうだ。頼むよ」

「それでは只今連絡を取りますので、今しばらくお待ち下さいませ。失礼致します」

 水伯は無言で男を見ながら容器を衣嚢に入れた。男は険しい表情をして水伯を見詰めていた。

「君のように法外な値を付けている露店は、此処ここ以外にも当然あるのだろうね?」

 男は目を逸らせた。

「そっ、それは知らない。オレも仕事でここにいるだけだから……」

 俯いてしまい、水伯を見ようともしなかった。

「組織ぐるみか。今後は出入り禁止にしなくてはならないね。何処の組織だ? 私の領地でこのような事を何時いつから遣っていた?」

「詳しい事は知らない。オレがここに来たのはさん年前と今年の二回だ、です……」

「最低でも三四年前から遣っていた、という認識でよいのかい?」

「……はい」

「それで、組織名は? 教えてくれないのかい?」

 男は俯いたまま、貝になってしまった。

「潔くないね。君は男ではないのかい?」

 それでも返事がなかった。水伯は諦めて、値段を書いてある紙の札を取った。

「証拠は貰って行くからね。それから、今年はこのまま営業してもよいけれど、四個なら六百金ね。それともじっ個で千金にするかい?」

 男が小声で何かを言うと、水伯の右手に別の紙の札が顕現した。それには「四個六百金」と書かれていた。それを良く見える位置に張り付ける。

「今まで暴利を貪って来たのだから十個で千金にすればよい物を。潔くない上に小声で言う辺り、小物なのだね」

 そう言って水伯はその場を去った。


 焼きそばを二箱と紙袋を一袋持った明良が屋外座席に来て二人を探す。水伯は黒尽くめの上、夜にも拘らず黒の帽子を被っていて目立たないが、玲太郎は橙色と緑黄色りょくおうしょくと黄緑色の三色の帽子を被り、黄緑の外套を着ていて目立つ為、玲太郎を目印に探した。水伯と隣り合わせて座っている玲太郎の後ろ姿を見付け、急いでそちらへ向かう。

「お待たせ」

 先ず紙袋を置いてから、二人の前に焼きそばの一箱を置いた。それから玲太郎の正面に座って、自分の前に一箱を置いた。そして机にはたこ焼きがない事に気付く。顔を上げて二人を見る。

「たこ焼きはどうしたの?」

「それがね、四個で千五百金だったのよ」

 玲太郎は疲れた素振りで言った。明良は水伯を見る。

「それは高いね。和伍で買うと一個百金くらいだよね? それで、高いから買わなかったの?」

「そうなのだよ。今、担当者を呼び出しているから、私はそれを待つ事になったのだけれどね」

「ああ、それは仕方がないね。和伍から呼んだ業者なの?」

「和伍人だったから、そうだろうね。三四年前に一度来ているようだから、それ以前から遣っていたのだろうね」

「そうなのだね。それはそれは……。若しかして、アメイルグでもそうだろうか。直ちに調べなくてはならないね。やはり視察は定期的に遣らなければならないね。それにつけても、焼きそばと回転焼きを買って来たから食べようね」

 玲太郎が俄に笑顔になった。

「あ、この紙袋、回転焼きなんだ? 嬉しい! でも焼きそばを先に食べるね」

「それでは玲太郎が先にお食べ。私は後でよいからね」

 玲太郎は水伯に顔を向ける。

「そう? ありがとう」

 笑顔を見せて、それを返事とした水伯は紙袋に手を伸ばした。

「それでは私は先に回転焼きを頂こう」

「それはね、一個三百金だったよ」

「海を渡って来ているのだから、少々高いのは目をつぶるよ」

「若しかしたら、場所代が高いのかも知れないね」

 明良はそう言うと、焼きそばの蓋を開けると合掌して挨拶をして割り箸を割った。

「そうだね。暗い話は此処までにして、頂きます」

 回転焼きを一個取り出し、紙袋の口を閉めてから半分に割って、片方を食べ始めた。玲太郎も既に焼きそばを咀嚼している。水伯は咀嚼しながら苦笑していた。それに気付いた明良が口を手で覆った。

「どうかしたの?」

 口の中の物を飲み込んだ水伯が明良を見る。

「この餡子の少なさと言ったらないね……」

「そうなの? 其処そこまで見ていなかったよ」

「焼きそばはね、なんかね、肉が少ぉし臭うのよ。だから細かく切ってるみたい」

 明良もそれを感じていたのか、何度も頷いていた。

「臭うからか、別に味付けをしている感じだね。今日は出はなを挫かれてしまって残念だよ。この後、外れに当たらないように祈るしかないね」

「私は担当者と話すから、この後は玲太郎と二人で回って、お腹が満足したら帰って貰ってもよいかい?」

「解った。美味しい物を見付けたら、追加で水伯の分を買っておくね」

「そうして貰えると有難いね」

 柔和に微笑むと、餡子の少ない回転焼きを頬張った。文句を言いながらも焼きそばを半分食べた玲太郎は、餡子の少ない回転焼きを手にした。目を閉じて咀嚼をする。

「多々羅の回転焼きを知ってるから、これでは物足りなく感じるねぇ……」

 文句を言いながらも食べ切った。なんだかんだと買っていた物を平らげた三人は、物足りなさで一杯だった。

「飲み物を買って来るよ。待っていてね」

 明良が席を立つと塵を集めて持った。

「有難う。宜しく」

「いってらっしゃい」

「行ってきます」

 二人は明良の後ろ姿を見送っていたが、直ぐに人混みに紛れて見えなくなった。

「王都の露店では、こんな事はなかったのにね」

 水伯はそう言った玲太郎の方に顔を向け、柔和に微笑んだ。

「あれはあれで、偶々当たりばかりだっただけかも知れないよ?」

「ああ、それはあるかも? ……あるの?」

「下手を打てば出店出来なくなるかも知れないから、ああいう所では遣らないのかも知れないね? 王都の王宮前が一番稼げるから、其処を逃せば大きな痛手になってしまうもの」

「それなのに、ウィシュヘンドではやってるって事? それはとっても悲しいね……」

「そうだね。関わった者には相応の罰を受けて貰うけれどね」

 玲太郎は気分が暗くなってしまい、それに気付いた水伯は玲太郎の肩を抱いた。

「そのように暗い顔をしないで、折角のお祭りなのだから楽しまなければね。食べ物以外も来ている筈だから、其方へも行くとよいと思うよ。それに屋台も来ているからね」

「やたい? 露店とどう違うの?」

「屋台はその場で食べられるのだよ。但し、お客さんが沢山いて、席が埋まっていたら食べられないのだけれどね」

「そうなの。どんな食べ物屋さんがあるんだろう? 行ってみたい」

「私も長い事行っていないのだよね」

「多めに買っておいて、明日の朝も食べる?」

「今日から五日間は露店で夕食を済ませるのだろう? それならば朝食は何時も通りに作るよ」

「そう?」

「朝も夜も露店の物を食べると、飽きてしまうよ?」

「うーん……。五日間ずっと焼きそばは食べるつもりだから、そうなっちゃうかもね?」

 そう言って悪戯っぽく笑うと、水伯は柔和に微笑んだ。

「焼きそばなら、私は平気だけれどね。それよりもたこ焼きが食べられなくて残念だよ。別の所で売っていたら、買っておいて貰える?」

「僕も食べたいから忘れなのよ。だから安心してね。きちんと買っておくね」

 微笑んで水伯を見上げていた。些か不機嫌な明良が戻って来て、机に紙製の湯呑みを置く。

「只今。擂り流しがあったから、それにしたよ」

「ありがとう」

「お帰り。意外と早かったね」

「少し並んだだけだからね。時間的にまだ空いているようだね」

 玲太郎は入っていた木製の匙で掻き回し、具が入っているのかを掬って確認していた。

「あ、これは具が結構入ってるね」

「テキータトというテキと言う豆の擂り流しで塩漬け肉が入っているよ。それからじゃが芋と玉葱と人参ときのこだね」

「豚肉だね! ありがとう」

 玲太郎は掬った汁に息を吹き掛け、冷ましてから口に入れた。咀嚼をする内に笑顔になって行き、それを飲み込む。

「美味しい。さっきのふた品を吹き飛ばしてくれる美味しさだね」

 明良を見ながら笑顔で言うと水伯にも顔を向けた。二人はそれを見て微笑む。

「私も頂くよ。明良、有難う」

「どう致しまして」

 三人は口直しをした後、水伯が担当者と席を立つまで、明良が何かを買いに行っては食べていた。


 水伯が屋敷に到着したのは、二十五時を過ぎた頃だった。玲太郎は明良と寝室にいるようで、居室へ向かった。入室すると脚の長い方の机に露店で買った物が置かれていた。そこへ行ってみると置き手紙を見付けて目を通す。思わず微笑み、椅子を引いて腰を掛けた。紙袋から入っていた物を出して並べ、合掌する。

「頂きます」

 蓋を開けて割り箸を手にすると割った。その中には焼きそばがあり、置き手紙には「父上にも食べて欲しくて買ったから、口直しをしておいてね。本当に美味しかった」と玲太郎の手で書かれていた。読み終えると消えたが、それは自室にある箱の中へ移動しただけだった。そして焼きそばを魔術で温め、それから食べる。口に入れた瞬間から、先に食べた物と違っていた。置き手紙に書いてあった通りに美味しかった。それにたこ焼きもあり、それにも手が伸びる。周りがふやけているように見え、水分を少しばかり飛ばしてから口に運んだ。

 一人寂しい夕食を終え、玲太郎の寝室へ向かった。いつも通りに仄暗い部屋の中で、明良が玲太郎の寝台に腰を掛けている。その明良が物音で水伯の方を見た。

「お帰り」

「只今」

「首尾はどう?」

「まだ終わっていないから最後までは話せないのだけれど、露店に穴が空く事は避けて、今年は適正価格より安くして貰う事にしたよ。今日発覚してしまったから、役所の担当者以外の関係者も全員騎士団の尋問を受ける事になったよ」

 そう言って明良の正面に来ると、颯の寝台に腰を下ろした。

「警察に任せないのだね」

「私に見付かってしまったのだから仕方がないよね。それにつけても、玲太郎は何時頃に眠ったの?」

「颯が二十二時に来たから入浴して、二十四時には眠っていたよ。屋台でおでんを食べてね、とても喜んでいたよ」

「そうなのだね。それは良かった」

「明日も楽しみって言っていたよ。……明日はもう大丈夫だよね?」

「そうだね。価格調査はもう指示してあるから、明日以降は見付けても、忘れないように覚え書きをしておく程度だね」

「玲太郎が、最終日は王都の露店へ行きたいと言っていたよ」

「それでは玲太郎様のご希望に添えなくてはならないね」

 明良は頷いて立ち上がった。

「それでは帰るね。お休み」

「有難う。また明日ね。お休み」

 それを聞き届けてから消えた。水伯は玲太郎の寝台脇に移り、暗さに目が慣れたお陰で玲太郎の安らかな寝顔が良く見えた。


 翌日も十九時半に屋敷を出て、アメイルグ郡アメイルグ市アメイルグ町アメイルグ地区へと赴いた。ウィシュヘンド地区と同等に盛況で、とても賑やかだった。

 玲太郎は今日も水伯に抱かれていた。明良はやはり些か不機嫌だ。露店のある方へ行くと、やはり夕食には早い時間なだけあって、屋外座席は約半数が埋まっている程度だった。

「ここも昨日同様、半分くらい空いてるね」

 玲太郎が見回しながら言うと、水伯が柔和に微笑んだ。

「そうだね。それではどのような露店があるか、見て行こうか」

「うん!」

 嬉しそうに頷くと、露店の方へ視線を遣った。

「今日も焼きそばを食べるのよ。昨日は余り美味しくないのと、美味しいのを食べたから、今日は美味しいのを一発で当てたいね」

「それは食べてみない事にはね」

「それはそうなんだけど、直感で当てて欲しいのよ」

「私にそのような直感はないね。明良ならあるかも知れないよ?」

 そう言って漸く玲太郎を見た水伯は、直ぐに明良へ視線を移した。

「そういう物は私ではなく、颯だね」

 玲太郎も水伯の右隣にいる明良を見た。

「はーちゃんは直感が優れてるの?」

「昔から良く引き当てるのだよね。例えば、くじ付きのお菓子を売っていて買うと、当たりを引いているとか、何かを賭けた阿弥陀籤あみだくじでもてるとか、昔から不思議と運がよいのだよね」

「へぇ、そうなの? はーちゃんって凄いねぇ」

 感心していると、水伯が玲太郎の脚を優しく二度叩いた。

「ほら、ご覧。焼きそばの露店があったよ」

「え! どこ?」

 水伯の視線を追うと、確かに焼きそばの露店があった。水伯が足を止めると、それを見た俄に玲太郎が笑顔になったが、直ぐに真顔に変わった。

「あそこ以外は近くにないよね?」

 そう言いながら辺りを見渡したが、見える範囲にはなかった。二人も辺りを見回し終える。

「見当たらないね」

「そうだね」

 水伯が言うと、確認を終えた明良が頷いた。

「それじゃあ、あの店で買う?」

「直ぐに食べたければそうしようか」

「私は何方どちらでもよいよ」

「あーちゃん、そういう返事は困るんだけどね?」

 眉を寄せた玲太郎が明良を見ると、明良はそれに気付いて微笑んだ。

「ああ、ご免ね。私は次でもよい気がするのだけれど、玲太郎に任せるよ」

「えー? 僕が選ぶの? 困ったなぁ……」

 眉を寄せたままで悩んでいる玲太郎を見た水伯が微笑む。

「それならば、次の露店の雰囲気を見て決めればよいと思うよ。大した混雑ではいないから、此方こちらが良いのであれば、また戻ってくればよいだけだからね」

「そう? それじゃあそうする!」

 水伯を見て笑顔になった。明良はそれを見て釣られて笑顔になったが、直ぐに不機嫌な表情に戻った。玲太郎はそれに気付いていなかった。

「それから今日はね、ウィシュヘンドの郷土料理に挑戦するのよ」

「昨日もあったのに?」

 玲太郎は明良を見ると苦笑する。

「だって、既にお腹が一杯だったんだもん」

「でも、最後は屋台でおでんを食べたよ? 蒟蒻こんにゃくと竹輪だけだったのだけれど」

「あれはそんなに大きくなかったからね。僕より、あーちゃんが一杯食べてたじゃない」

 明良が笑顔になった。

「味が良く染み込んでいて美味しかったのだよね。食べ足りていなかったから、丁度良かったよ。それにつけても、屋台もよいのだけれど、此処にはないからね。此処と言うよりも、アメイルグ郡では屋台の申請がなかったのだよね」

「そうなのだね。ウィシュヘンド郡では割と屋台は出ているのだけれどね」

「父上、とりあえずこの辺を見て回りたいから、回ってもらってもよい?」

「そうだね。それでは食べる物を決める為に、一通り見て回ろうね」

「はーい!」

 元気良く返事をすると、耳元で大声を出されても動じなかった水伯が柔和に微笑み、徐に歩き始めた。明良もそれに続く。三人で候補を挙げながら見て回り、その中から絞ると二手に分かれて買いに行った。

 先に買い終えたのは明良で、屋外座席の中で空席を見付けて陣取っていた。玲太郎に荷物を持たせた水伯が少し遅れて遣って来る。

「お待たせ」

「大して待っていないよ」

「そう? それならばよいのだけれど。玲太郎、有難う」

「どういたしまして」

 玲太郎が持っていた箱を二箱と紙袋を机に置き、玲太郎を下ろした。魔術で浮かせていた物も机に置くと着席した。

「これはウィシュヘンドの郷土料理のミツミカッラね」

 水伯がそう言いながら、紙製の湯呑みを配った。

「僕、ブーミルケ語はほとんど忘れちゃった」

 明良が微笑むと頷いた。

「使わないとそうなるよね。ミツミカッラは、確か、蕎麦の実の汁という意味だね」

「ご名答。塩だけの味付けで、きのこと人参と蕎麦の実だけの質素な澄まし汁だね」

「ウィシュヘンドって、小麦じゃなかったの?」

「今は南の方で小麦も大麦も植えているね。それでも中央よりやや南辺りは蕎麦が多いのだよ」

「へぇ、そうだったの。うちはそばも植えてるけど、小麦が多いってディモーン先生に教わったから、てっきりそうなのかと思ってたのよ」

「ウィシュヘンド州は広いからね。総数で言えば圧倒的に小麦、二番目が大麦、三番目がうるち米だから、目立たない蕎麦が大して知られていないのは、仕方がないと言えば仕方がないのかも知れないね」

 明良が湯呑みに入っていた木製の匙で掻き混ぜながら言った。

「頂きます」

 真っ先にそれを口に運んだ。咀嚼をして飲み込むと頷く。

「うん、茸の風味も、蕎麦の風味もあって、素朴で美味しいね」

 玲太郎がそれを見て、湯呑みを手にした。水伯は焼きそばが入っている箱の蓋を開ける。

「焼きそばは先に私が頂くよ?」

「うん、僕はこっちの、……なんだった? …アウ、アル?」

「アスーリュ・ミツミュー、ね。型焼きした蕎麦粉という意味だよ。蕎麦粉を玉子と水で溶いた物と薄切りのじゃが芋と解した魚を型に入れて焼いた物だね」

「そう、それ。ありがとう。アスーリュを先に食べるから、父上は焼きそばを先に食べてね。いただきます」

 言い終えると、ミツミカッラを頬張った。

「それでは頂きます」

 水伯は合掌をして言うと割り箸を割った。箱を手に持ち、一口目を頬張って暫く咀嚼をする。それから飲み込むと首を傾げた。

「これは当たりだね。昨日の焼きそばがおかしかったのだろうか……」

 怪訝そうに言って二口目を頬張った。玲太郎は笑顔で頷いた。

「ミツミカッラはきのこがよい味を出してるね。これはこれで美味しい。あったまるぅ。焼きそばは突き匙じゃないんだね」

「ああ、そうだね。昨日もそうだったけれど、割り箸と選ばせて貰えるからね」

「それはよいよね」

「そうだね。箸の方がよいよね」

 明良が頷いた。それを見た玲太郎が笑顔になり、アスーリュ・ミツミューの箱の蓋を開ける。

「これは出来立てじゃないから、しなってなってる」

 眉を顰めた表情もまた愛らしく、明良は思わず微笑んでいた。玲太郎は文句を言いつつも突き匙で切り分け、一口頬張った。微笑んでいる明良が口を開く。

「地味な見た目に反して美味しいよね?」

 目を丸くし、咀嚼をしている玲太郎を見ながら明良が言った。明良は既に二口食べていた。

「美味しいのは魚が入ってるからなの?」

「そうだろうね。もっと素朴な味がすると思ったのだけれど、魚がよい味を出しているよね」

 水伯は焼きそばを咀嚼しながら微笑んで会話を聞いていた。

(隠し味に牡蛎油が使用されている事は黙っておこう。見事に隠れ切っているようだからね)

 そんな事を思いながら焼きそばを半分食べてしまうと玲太郎の傍に置き、ミツミカッラを飲んだ。


 二日目は無事に楽しめ、三人揃って明良の瞬間移動で水伯邸の居室へ戻った。掛け時計は二十一時を少し過ぎている。

「今日は全部が美味しかったし、楽しかった! 父上、あーちゃん、ありがとう」

 玲太郎は水伯に抱き着いた。それを見た明良は露骨に不機嫌になる。水伯は玲太郎の背を擦りながら、優しく二度頷いた。

「そうだね。今日は良かったね。明日もこうだとよいのだけれどね」

 嬉しそうにしている水伯を上目遣いで睨み付けている明良に気付いた玲太郎が苦笑した。

「父上、お茶が欲しいから、出して貰ってもよい?」

「そうだね、一服しようか。明良もいるかい?」

 水伯はようやく睨んでいる明良を目にした。失笑すると、玲太郎を離した。

「そのような顔で見なくても……。あはははは」

 無表情になっている明良が横目でこう笑している水伯を見る。明良は笑い終えた水伯を冷めた目で見ていた。

「其処まで笑わなくてもよいのではないの?」

「いや、だって、ね、……はぁ……。さて、明良もお茶はいるかい?」

「うん、貰う」

 言いながら長椅子の方に座った玲太郎を見て、その隣へ滑り込むように座った。水伯は定位置に座る。

「何が飲みたいの?」

「僕は緑茶」

「私も緑茶でお願い」

「解った」

 返事をした途端、机に湯飲みが三個出現した。どれも湯気が立っている。

「ありがとう」

「有難う」

「どう致しまして」

 立っていた湯気が消え、不思議に思った玲太郎は湯呑みを掴んだ。すると大して熱くなく、直ぐに口を付けた。

「はぁ……、美味しい」

 穏やかな表情で言うと、明良も湯呑みを手にして二口飲んだ。

「美味しいね」

 玲太郎を見ながら言うと、玲太郎が明良を見て微笑む。

「明日はシュンゾー地区にしようか。この近くだから、この辺りの郷土料理の露店が出ている筈だよ」

「シュンゾー地区ね。私はそれでよいと思う」

 明良が水伯に視線を移して頷いてそう言うと、玲太郎の方に再度視線を向けた。

「前におか船で辿り着いた所ね」

「そう、其処だね。この辺りで一番大きな町だから、祭りは大抵其処で遣るのだよ」

「ふうん。僕もそこでよいよ」

「それではそうしよう」

 水伯が柔和に微笑んで頷いた。明良が玲太郎を見ている。

「でも、アメイルグ郡だから屋台がないよ? 玲太郎はそれで構わないの?」

「明後日ウィシュヘンド郡のどこかへ行けばよいから、それでよいのよ」

「それはらばよいね」

 納得した明良は茶を三口飲んで、無表情ながら、水伯の目から見ても気持ちが落ち着いている事が良く解り、自然と微笑んでいた。

「やはり夕食時間より早目に行くから、空いていてよいね」

「落ち着いて食べられるし、座る場所にも事欠かないし、王都とは大違いだよね」

 明良が同調して水伯に視線を向けた。

「そのお陰で、食べて休んで、食べて休んで、だから、何時もより余計に食べているような気がするよ」

「あーちゃんは確実にいつもより多いね。僕もいつもより、少し多いと思う。お腹が破裂しそう」

 そう言った玲太郎に顔を向け、微笑んだ。

「破裂したら必ず治すからね」

「本当に破裂したら死んじゃうよぉ」

 困った表情をして項垂れると脱力した。

「ふふ、可愛い」

「あのねぇ、僕はもうすぐ十歳なのよ?」

 頭を上げて明良を見ると、明良は満面の笑みを浮かべた。

「本当に可愛いのだから、仕方がないよね」

「はぁ……」

 何も言う気が起きず、正面を向いた。そして茶を飲み、一息吐いた。

「……そうなのだね、もう十歳になるのだね。早いね」

 水伯が感じ入って玲太郎を見ているが、視線は今の玲太郎を見ていないようだった。

「急に何?」

「あの小さかった赤ん坊が、今はもうこんなにも大きくなってしまって……」

「あの……、僕、四歳くらいから成長が止まってるんだよ?」

「ああ、そうだったね。でもこんなに小さかったのだから、本当に大きくなったよ」

 手で大きさを示し、自分の言った事に何度も頷いていた。

「それでももう成長が止まってからの方が長いのだよね。ああ、六年になるのだね……。正確には六年と……四ヶ月、五ヶ月程だね。振り返ると早く感じるね」

「僕が覚えてる限り、背は伸びてないね」

「記憶が一番古い頃の私は、玲太郎と同程度の身長だったよ。もう少し低かったかも知れないけれど、玲太郎より魔力量が少なかったから、どうにか二千年程で此処まで背が伸びたね。玲太郎は魔力量が多いから、私以上に時間が必ず掛かるだろうけれど、悠長に構えるしかないね」

 柔和に微笑んでそう言うと、玲太郎は首を傾げた。

「二千年と言われても、今一分からないのよ」

「まだ九歳だものね。…ああ、もう直ぐ十歳ね。私の二百分の一だね」

「二百分の一って一言で言っちゃうと呆気なく感じるけど、とっても長いんだろうね」

「そうでもないのだけれどね。もう二千年も経ったのだろうかと、ふと思う事もあるからね。悲しい哉、やはり記憶が欠落して行くのだよね」

「それは仕方がないね。僕も九年、ほぼ十年生きてるけど、覚えてる事の方が少ないと思うのよ。あーちゃんが言った事なんて、全ては覚えてないし、あれだけ必死で勉強した事だって、忘れて行ってるもん」

 言い終えると明良を横目で見た。明良は優しく微笑む。

「残念ながら、私も玲太郎の全てを記憶していないのだよね。どうして忘れてしまうのだろうね。忘れないように反すうをしているのだけれど、それにも限りがあるのだよね。寂しいね……」

 些か眉を顰めていた明良はいつもの無表情に戻り、水伯に視線を向けた。

「水伯は二千年ではなく、二千五百年だよね?」

 思わず目を丸くして明良を見た水伯は、直ぐに柔和に微笑んだ。

「約二千五百年ではあるけれど、五百年は切り捨てたのだよ」

「切り捨てるには大きな数字だと思うのだけれど……」

「そう細かい事を気にしないで、お茶が冷める前に飲みなさい」

「細かい事ではないよね? 五百年だよ? 五百年」

「確かに、私が生きてきた長さの五分の一だから数字としては大きいけれど、そもそも二千五百年も生きた実感がないのだよね」

 大真面目に言うと、明良は目を逸らして湯飲みを手にした。玲太郎は苦笑して、目を閉じている水伯を漫然と眺めた。


 二十三時になると颯は瞬間移動で勉強部屋兼図書室に直接遣って来て、並んで長椅子に座って読書をしている二人の後ろ姿が視界に入った。

「今晩は」

 玲太郎は直ぐに振り返り、笑顔になる。

「いらっしゃい。お風呂に入るの?」

「その積りで来たんだけど、まだ入りたくないのか?」

「もう少し読んでもよい? 今だと切りが悪いのよ」

 近付いて来る颯を見ながら言うと、颯は無言で対面の長椅子に腰を下ろした。

「いいぞ。待っているよ」

「ごめんね」

 そう言うと、視線を本へ移した。明良は膝に置いている本に集中しているようで、颯が来た事に全く気付いていなかった。

 颯は長椅子に横たわり、仰向けになると肘掛けに足を置いた。読書を再開した玲太郎は、そんな颯が気になり、何度も視線を送っていた。目の端でそれを捉えていた颯は鼻で小さく笑った。

「集中して読まないと、また読み直さないといけなくなるぞ」

 玲太郎は咄嗟に顔を本で覆った。颯は肘を突いて上体を起こした。

「もう集中力が切れているんだろう? 諦めて風呂に行こう」

 本を徐に下ろし、颯が視界に入ると動きを止めた。眉を顰めて颯を見据えている。

「栞を挟んでおけよ」

 そう言って立ち上がると歩き出した。玲太郎は机に置いてあった栞を取り、本に挟んで閉じた。

「あ、待って。僕も行く」

 急いで本を机に置いて立ち上がり、先に行く颯に追い付こうと小走りになった。颯は扉の前で待ち、玲太郎が傍に来ると開扉した。

 当然のように手を繋いで廊下を歩き、脱衣所に辿り着くと玲太郎は服を脱ぎ散らかして先に浴室へ入り、かん水浴装置の温度調整を確認してから湯を出し、体を簡単に洗ってから浴槽に浸かった。遅れて入って来た颯も同様にする。

「はー、やはり湯船に浸かる方がいいよなあ」

「ばあちゃんとお祖父様は何をしてるの?」

「うん? さあ? 何をしているんだろうな?」

「今じゃなくて、昼間の話なのよ」

「ああ、昼間な。今日はお父様が疲れたからと言うから、ばあちゃんだけを美術館に連れて行って、その後、生地を見に行って、…布の方な、その後は菓子を食べに行った。屋敷に戻ってからは部屋へ行ったから知らない」

「美術館!」

「そう。ロデルカ王立美術館な。多かったわ。美術品じゃなくて、人を見に行ったようなもんだな」

「あはは。そんなに人がいたんだね。今日行ったお祭り会場もそんなに人がいなかったのよ」

「王都と比べれば、何処も少ないよ」

「それはそうだね」

「今日は何を食べたんだ?」

「今日はね、焼きそばでしょ、ミツミなんとかでしょ、アウ? …アスなんとかでしょ」

「ミツミカッラか? アスはなんだろう?」

「そう、それ、ミツミカッラ。アスなんとかはね、そば粉を溶いた物を型にはめて焼いた物って聞いた」

「……あ! 判った。アスーリュ・ミツミューだな。あれ、美味しいよな。魚がいい味を出しているんだよなあ。俺も食べたいわ」

「なんで知ってるの?」

うちで出るからに決まっているだろう? 此処はウィシュヘンドの郷土料理は出ないのか?」

「出ないね。……うん、出た事がないのよ」

 思い出して頷くと颯を見る。

「ふうん、イニーミーさんなら作りそうなもんだけど、そうではないのか」

「父上が、僕が貴族らしく食べられるように、後、作法を覚え易いように、気取った料理を頼んでるからじゃない?」

「そんな事は関係ないと思うけどな。郷土料理を貴族らしく食べる練習もしておく必要がないとも限らないぞ?」

「うん? ……うん、まあ、でも、ああいうのは作法関係なく食べたいね」

「作法に則って食べても、美味しい物は美味しいぞ?」

 玲太郎は顔を顰めて、颯を横目で見た。

「えー、なんか嫌だなぁ。上品に食べたいとは思えない」

「まあ、兎に角だ、イニーミーさんの中では、郷土料理は似付かわしくないと思っているのかも知れないな。それはさて置き、言った物以外は何を食べたんだ?」

「あ、うん、あのね、料理名はもう忘れちゃったんだけど、小麦粉を溶いて焼いた皮で、砂糖煮の人参を巻いた物とか、……あ! りんごあめを食べたのよ。それから揚げた腸詰めでしょ、焼き鳥でしょ、……焼き鳥はウィシュヘンドの郷土料理ね。香草がかかってて、なんとか言う野鳥を食べたのよ。美味しかった!」

「鳥はネキマータだな。香草はなんだろう? ルイメフかメイショだな。場所に依って違うんだけど、大抵はその何方どちらかなんだよな」

 玲太郎が唖然として颯を見ていた。

「どうかしたか?」

「あ、うん、意外と詳しいんだなと思って」

「兄貴とイノウエ邸に引っ越してから、ウィシュヘンドの事を学ばなくてはならないってお父様が言って、その一環で郷土料理は良く出ていたからな」

「えー! それは知らなかったのよ。僕も食べたい!」

「そうは言っても、祭りの露店で食べられるじゃないか。それでは駄目なのか?」

「お祭りにならないと食べられないって寂しいでしょ。それ以外でも食べたいのよ」

「イニーミーさんか、カイサさんに言ってみれば? 水伯でも作れそうだけど、どうだろう? 取り敢えず聞いてみろよ」

「そうだね。そうする」

 暫く静かにしていた玲太郎が、ふと眉を寄せた。

「あれ? あーちゃんはどうして普段からウィシュヘンドの郷土料理を食べてる事を、教えてくれなかったんだろう?」

態々わざわざ言う必要があるのか? 俺だって今の今まで玲太郎に言っていなかったぞ?」

「うーん……」

 腑に落ちないと言いた気な玲太郎は首を傾げた。

「兄貴の場合は、自分の事を話すよりも、玲太郎の話を聞いていたいんだろう。なんと言っても、玲太郎が大好きだからな」

 納得せざるを得ない事を言われて悔しくなった玲太郎は、湯を掻き分けて颯の背に回り込み、抱き着いて行った。

「おんぶ!」

「それ、最近好きだなあ」

「うん」

 颯からは見えなかったが、玲太郎は満面の笑みを浮かべて頷いていた。

「おんぶはいいけど、程々にして肩まで浸かれよ?」

「分かった」

「それで、言った以外の物は食べていないのか? 腸詰めを揚げた物とネキマータと林檎飴と、それから?」

「……はーちゃんも僕に話させるよね」

「俺のいない間に何を遣っていたのか、やはり気になるからな」

 嬉しくなって笑顔になった玲太郎は気を良くした。

「そうなの? あのねぇ、大根と豆腐の田楽でしょ、……うーん、それから何を食べたんだろう? ……あ、あーちゃんがうどんを食べてて、一口もらったね」

「うどん! うどんがあったのか。俺も行きたかったなあ……」

「うどんはね、天かすと切ったネギと薄いかまぼこが二枚付いてたんだけど、もう少し具があっても良くない?」

「露店だろう? それで十分じゃないか」

「せめて、もう少しネギが多ければ良かったのに……」

「一口食べただけなんだろう? 少なくてもいいじゃないか。それから何を食べたんだ?」

「ああ、後はね、お菓子を食べたのよ。木の実が入ってた。あーちゃんは切れ食べて、僕はひと切れ、父上はふた切れ食べてた」

「ふうん。焼き菓子だな? 木の実ってどの木だ?」

「えっとね、松って言ってたと思う」

「松か。菓子よりうどんが食べたいな。それに田楽も食べたいなあ……。玲太郎が羨ましいわ」

「いひひひ。美味しかったよ?」

 悪戯っぽく笑って颯の頬を見ると、微笑んでいるようだった。

「ほら、そろそろ肩まで浸かれよ。冷えるぞ」

「もう少しだけ」

(余程おんぶが気に入っているんだな。まあ、何時も抱っこだもんな)

 颯は苦笑すると頷いた。

「体が冷えるから、少しだけだぞ」

「分かった」

 満面の笑みを浮かべた玲太郎は大きく頷いた。颯が少しと言うと、本当に少しの為、玲太郎としては不満だった。


 翌日の建国祭三日目は建国記念日で、花火の数が増加する事もあり、夜に外出する人数が確実に増加する。それもあって、今日は十九時に屋敷を出た三人は瞬間移動ではなく、飛行で移動した。露店が立ち並んでいる場所を確認してから、最寄りの駐舟場へ下りた。そこから歩いて行くが、今日は明良が玲太郎を抱いていた。

「ここから抱っこしなくてもよいと思うんだけどなぁ……」

「直ぐ其処だから、何処から抱っこしていても似たような物だよ」

「そう?」

「小さ目の町とは言えども、この周辺では此処だけだから、少し早目の時間でもこれだけ人がいるのだね。少々侮っていたよ」

 水伯が驚いた様子で言うと、明良が辺りを見回した。

「そう? 昨日と一昨日と比べると、圧倒的に少ないけれどね」

「町の規模が違うだろう? 小さい割には多いという事だよ」

「いる人数より屋外座席や縁台の方が圧倒的に多い気がするのだけれど、出し過ぎではないの?」

 明良がまた周りに視線を遣る。水伯が柔和に微笑んだ。

「最高潮になると、これでも足りないのだと思うよ」

「これはこれでよいと思うのよ。今の時間だと、こうやって好きな所に座れるからね」

 玲太郎が座れている事を喜んだ。水伯が玲太郎に顔を向けて微笑む。

「記念日だから、若しかしたら夕食を家で済ませる人が多いのかも知れないね?」

「えー、僕だったら、露店の物を食べたい」

 明良もそう言う玲太郎を見て微笑んでいた。それからもたわいない会話を続け、人がまばらに座っている屋外座席を通り過ぎ、目的の露店へ辿り着くと明良が足を止めた。

「それでは今日も一通り見て回ってから、買う物を決めようか」

「はーい!」

 元気良く返事をすると水伯に視線を移す。

「今日も父上と半分だからね」

「解っているよ。今日は昨日のように無理して食べないでね」

「昨日は美味しいのが多くて、調子に乗っちゃったからね」

 苦笑しながら頷くと、明良が微笑んで玲太郎を見る。

「私が食べるから大丈夫だよ」

「そう? それじゃあ新しいのを開拓しないとね!」

「そうだね。それでは行こうか」

 明良が歩き出すと、水伯も付いて行く。三人は話し合って買う物を決め、二手に分かれて買いに行き、通り過ぎてきた屋外座席で合流した。

「昨日はうどんがあったけれど、今日はなさそうだね」

 明良が買って来た物を机に置きながら言った。着席している水伯が柔和に微笑む。

「有難う。まだ三分の一程度しか見ていないから、諦めなくてもよいのではないの?」

「うどんがあったら僕も食べたい!」

 荷物の次に下ろされた玲太郎がそう言いながら水伯の正面に陣取った。明良は玲太郎の隣に座る。

「うどんもだけれど、今日は初っ端に焼きそばがない事が寂しいね」

「ああ、そう言えばそうだね。残りの露店にあるとよいね」

 箱の蓋を開けると、たこ焼きから湯気が上がった。水伯はそれを見ていつものように微笑む。

「作り置きではないのだね」

 そう言ってもう一つの箱の蓋を開け、たこ焼きを二個移して玲太郎の前に置いた。

「うん。行った時に丁度焼いていて、それを売って貰えたのだよね。有難いね」

「お姉さんには特別だよって言われたんだよね。いただきまーす」

 玲太郎が苦笑しながら、挿されていた爪楊枝でたこ焼きを持ち上げた。

「母親に見られなかっただけ増しだね。玲太郎、たこ焼きは絶対に熱いから、気を付けた方がよいよ」

 頬張り掛けていた玲太郎は動きを止め、たこ焼きを箱に戻した。

「ぬるいのしか食べた事がないから、熱いのをどうやって食べればよいのかが分からない……」

「試しにその熱いたこ焼きを一口で頬張ってみるかい?」

 玲太郎は目を丸くした。

「熱いんだったら、はほはほってなって、飲み込めなくなるのが目に見えてるのよ。天火焼きで知ってるんだからね」

「息を吹き掛けて冷ましてみても、中が冷めていなくて、本当に熱いからね。でもそれが美味しくもあるのだけれど」

 そう言った明良が、たこ焼きに息を吹き掛けていた。玲太郎はそれを見ると、水伯に顔を向ける。

「父上はどうしてるの?」

「私はこのまま置いておいて冷まして、揚げ芋があるから、それを先に半分食べようと思っているのだよね」

「なるほど。それじゃあ僕は先に、……これはなんだった? えーっと…」

「モンダーシね。水と小麦粉と玉子と乾酪を混ぜて焼いた物だね。何処にでもあるのだけれど、ウィシュヘンド南部ではモンダーシと言われている物だね」

「そう、それ。父上、ありがとう。僕はモンダーシを食べるね」

 水伯に微笑み掛けると、静かな明良がふと気になって横を向いた。左手で口を覆って、熱いたこ焼きと格闘していた。

「あーちゃん、はほはほしてる」

「ふん、あふいはあえ」

 明良は正面を向いたまま、横目で玲太郎を見ながら言った。何を言っているのか、きちんと理解は出来なかったが、なんとなく理解した玲太郎は微笑んで、モンダーシに付いていた木製の突き匙を手にして切り分け始めた。そして一口分を口に運ぶ。

「どう? 美味しいかい?」

 咀嚼の途中だった玲太郎は、手で口を覆って水伯を見た。

「うん、乾酪かんらくだけでも美味しいんだね。でもこれだと、甘らんも入れて欲しいなぁ……」

「それはね、平民の食べ物で、小腹が空いた時に良く食べられている物なのだけれど、本来は玉子か、乾酪の何方かしか入っていないのだよ」

「え、そうなの?」

「玉子も乾酪もそう安い物ではないから、平民は日常的に食べられないのだよ。でも祭りだから、両方入っているのだよ。平民だけではなく、貴族にも言える事なのだけれど、貧富の差という物があるからね、こういった誰しもが食べられる物も売られているという事だね。揚げ芋もその一つになるのだよ」

「へぇ……」

「家は裕福だから金を湯水の如く使えても、皆がそうとは限らない事を憶えておいてね」

「はい」

 いつもの微笑みを浮かべている水伯だったが、玲太郎は真面目な表情で頷いた。何か思う事があったのか、その後は無言で半分食べ切り、表面だけ冷めたたこ焼きを頬張って熱がっていた。

「結構冷めてると思ってたのに、中の方は意外と熱かったのよ」

 モンダーシが半分残った箱を水伯に渡し、紙製の湯呑みに入った汁物を、木製の匙で掻き回しながら言った。

「たこ焼きも熱い内に食べる方が美味しいのだけれどね」

 明良が笑顔で言うと、玲太郎は眉を顰めて明良を見た。

「やけどをするのは嫌なのよ……」

「確かに。慣れていないと火傷をしてしまうのだけれど、慣れていてもしてしまう時はしてしまうね」

「そう言えば、あーちゃんもはーちゃんも、熱いのをはふはふしながら食べるよね。もしかして、熱いのが好きなの?」

「好きと言うか、出来立てを食べるのが当たり前だからだろうか。ばあちゃんが作り立てを食べさせてくれていたからだろうね」

「父上の料理も出来立てだよね」

 顔を水伯に向け、目が合うと水伯が柔和に笑った。

「そうだね。出来立てが一番美味しいからね。それにつけても、揚げ芋をテキータトに浸けて食べると美味しいよ」

 水伯から半分渡されていた玲太郎は言われるがままにした。

「芋と芋だね。でも美味しい」

「今日のテキータトには牛乳が入っているようだよ」

「そうなの? 昨日も一昨日もそんな感じがしなかったのに」

 目を丸くしていると、明良が頷く。

「この近くで酪農を遣っている地区があるからね。それでだろうね」

「昨日と一昨日はそうじゃなかったの?」

「東西と離れているけれど、何方も海岸沿いで何方も塩が名産品だからね」

 先に明良が言うと、玲太郎は明良に顔を向ける。

「ああ、それで塩味なんだね?」

「そうだね、基本は塩だけで、後は素材の味で食べる事が昔からの習わしなのだろうね」

 今度は水伯が頷いて言った。玲太郎は水伯を見ているとふと何かを思い出し、水伯から明良に視線を移す。

「そう言えば、あーちゃんってウィシュヘンドの郷土料理を食べ慣れてるんでしょ?」

「そうだけれど、唐突にどうしたの?」

「アスなんとかが美味しい事とか知ってたんじゃないの?」

「知っていたけれど、いけなかった?」

「初めて食べたのかと思ってたのに、違うんだったら教えてよぉ」

 眉を顰めて言うと、明良は微笑んでいた。

「それでは、明良はアスーリュ・ミツミューの隠し味の事を知っていたのかい?」

 一瞬で無表情になった明良が水伯を見る。

「それは知らないね。料理長が説明をしてくれて、内陸の方では干物が使用されていて、魚の味が凝縮されている云々という話は聞いていたのだけれど、その後は聞いていなかったのだよね。海岸沿いの町だし、干物ではない事は判ったのだけれど、隠し味があった事は今知ったよ」

「隠し味って何? そんな物があったの?」

「ふふ。牡蛎油だよ。それを酒で薄めて、魚を浸けて時間を置くのだよね」

「ああ、そうなの。牡蛎油だとは想像も付かなかったなぁ……」

 意外そうに言うと、水伯は柔和に微笑んでいた。

「牡蛎油と酒ね。憶えておくよ。ウィシュヘンドは広いからその分郷土料理も多くて、料理名を憶える事も一苦労なのだよね」

「そうは言っても、晩餐会や舞踏会を主催する訳でもないのだろう? 披露する機会がないのではないのかい?」

「それはそうなのだけれど、視察に行った先で出された時に恥を掻かないようにと、お父様が言っていたからね。そういう時は颯を連れて行こうかと思ったのだけれど、私以上に話を聞かないで食べていたから、料理名しか憶えていないだろうと思うと連れて行けないのだよね」

「あはは。はーちゃんらしいね」

 楽しそうに玲太郎が笑った。それを見た明良の口元が緩む。

「本当に颯らしいね」

「はーちゃんは料理名をきちんと覚えてたのよ。僕もアスなんとかじゃなくて、きちんと言えるようにならないといけないね」

「アスーリュ・ミツミューね」

「そう、それ。カンタロッダ下学院を卒業したら、またいちからブーミルケ語を習わないといけないね。習う教科が増えて来た時に、ディモーン先生が、これだけ覚えてたらブーミルケ語は大丈夫って言うから止めちゃったんだよね。そうしたらもうほとんどを忘れちゃったのよ……」

「それでは、呪術とブーミルケ語を学ぶのだね。それ以外は何を学ぶ積りでいるの?」

「あ、えっとね、薬草術の国家試験を受けるから、薬草術の勉強も続けるのよ。あーちゃんが教えてくれるって。ね、あーちゃん?」

 そう言って明良を見ると、明良が微笑んで頷いた。

「治癒術も教えると言ったのだけれど、それはまだ決まらないのだよね?」

「うーん、治癒術は別に……」

 揚げ芋を一切れ手にすると、テキータトに浸けて頬張った。数度咀嚼して、テキータトを匙で掬って口に運ぶ。その様子を見ていた明良が微笑む。

「薬草術を学ぶのならば、治癒術も一緒に学んでおこうよ。ね?」

「僕は治癒術よりも、植物を育てる方がよいね。薬草術と直接繋がってるから、その方がよいと思わない?」

 そう言うとまた揚げ芋を頬張ってから明良を見た。明良はまた微笑む。

「後で、治癒術も学んでおけば良かった、となるよ?」

「……そう? そうなったら、その時に習うね」

 歯を見せて笑顔になると、また揚げ芋を頬張った。

「モンダーシは美味しい事は美味しいのだけれど、物足りないね。贅沢に慣れているという事は恐ろしい事だね」

「それは言えるね。ばあちゃんが畑で色々と作ってくれていたから当然のように食べて来て、ばあちゃんの味に慣れていると、ウィシュヘンドの料理と言うか、ナダールの料理に物足りなさを感じる事は多々あるね」

「八千代さんの味は甘味が強いからね。ウィシュヘンドは味が濃い方だけれど、甘味が足りないのだよね。だから餡子を持ち込んで以来、餡子菓子は大人気だよ」

「でもあの回転焼きは好きじゃない。あんこが少なかったのよ」

 玲太郎が怒り気味に言うと、水伯は苦笑した。

「ふふ、そうだね。あれは少なかったよね」

「露店はああいう物なのだろうね。如何いかに原価を下げるかが勝負みたいな側面があるものね」

「初日の焼きそばがよい例だよね。あの肉は安物なのだろうね」

「初日であれだと、最終日はどうなるのかと考えると怖いよね」

「うん? どういう事?」

「大抵は買い置きしてある物を使うのだよ。纏め買いをすると安いからね」

「少しでも利益を出そうとするとそうせざるを得なくなるのは解るのだけれど、客としては勘弁願いたいね」

 そう言って揚げ芋を頬張った明良を、玲太郎は見上げていた。

「低温を保持出来る魔道具に入れているとしても、少々でも傷んでいる物は怖いからね」

「ばあちゃんが傷みかけが美味しいって言ってたよ?」

「限度があるだろう? それによい肉とそうではない肉との差もあるからね。臭み抜きをしたり、別に味付けをしたりして誤魔化しても、それで腹痛を起こす客が増えると困るだけだからね」

「玲太郎は食べ物で腹痛を起こした事がないから、そういう事は解らないのだろうけれど、食中毒は怖いからね。物に依っては死に至る程だからね」

「そうなの……」

 不安そうに水伯を見ると、いつもの微笑みを浮かべた。

「あの露店には指導をするように言ってあるから、心配しなくても大丈夫だよ。単に安物の肉で、臭みが残っているだけという可能性もあるからね」

「臭い肉って初めて食べたんだけど、安いとどうしてああなるの?」

「腐っている以外だと、餌か、血抜きが巧く出来たかどうかでも違って来るね」

「血抜き! 血抜きが上手く出来なかったら臭いが残るの?」

「そうだね、臭くなるね。それは魚でも同じだよ」

「へぇ、そうなの。そういう物を食べた事がないから、知らなかったのよ」

「臭い消しの方法は幾つかあるから、気になる時はそれで消せばよいからね。完全に消えない場合もあるのだけれどね」

 玲太郎は頷きながら、揚げ芋をテキータトに浸けた。そして匙で掬って頬張る。

「玲太郎、テキータトはもう冷めているのではないの? 温めようか?」

 横から明良が覗き込むように見て来た。玲太郎は咀嚼しながら湯呑みを明良の方に近付けた。

「はい、どうぞ」

 俄に湯気が立った。それを見て口にある物を飲み込み、苦笑する。

「ありがとう。でもこれだと熱過ぎるのよ」

「そう? それ程でもないよ。湯気も少ししか立っていないではないの。試しに飲んで貰える?」

「うん」

 匙でテキータトを掻き混ぜ、匙で掬って恐る恐る口に運んだ。口を閉じると目を丸くして、横目で明良を見た。

「大丈夫だっただろう?」

「うん、ごめんね」

 頷くと笑顔で明良を見た。明良も釣られて笑顔になる。玲太郎は直ぐに冷めていた揚げ芋を入れ、少し浸けてから頬張った。

「揚げ芋も温めようか?」

「それじゃあお願い」

「はい、どうぞ」

 また湯気が立った揚げ芋を見て、明良に顔を向ける。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 明良の笑顔を程々に見て、揚げ芋を頬張った。明良もまだ残っている揚げ芋を頬張る。その様子を微笑みながら見ていた水伯も残っているモンダーシを切り分けていた。

 この後の玲太郎は、質素な物を好んで食べた。勿論焼きそばも食べたのだが、今日も当たりで上機嫌だった。


 明良が焼きそばの露店で五十人前を買い込み、一旦水伯邸へ戻ってから王都にあるのイノウエ家の別邸へと向かった。玲太郎は気が進まなかったのに連れて来られた上、眠い事もあって、明良の膝に座らされて不貞腐れていた。屋上には颯以外に、八千代とガーナスもいた。明良の左側に円卓があり、向かい側にいる颯は八千代の隣にいて、また円卓を挟んでガーナスがいる。そのガーナスは、ウィシュヘンドと違って春らしい陽気とは言え、夜になると冷え込むと言うのに、大して厚着をしている訳でもなく、薄手の膝掛けをしているのみだった。八千代に至っては膝掛けすらもしていなかった。

「ガーナス様、お寒くはありませんか?」

「颯が魔術で冷えずに済むようにしてくれているから大丈夫。八千代さんも大丈夫ですか?」

「同じく温まっておりますから、大丈夫です」

「それはいいから、ばあちゃんは膝掛けくらいしてよ」

「温かいから平気。それに花火が終わったら湯船に浸かって温まるから大丈夫よ。ありがとうね」

「寒くなったら、直ぐに言って貰える?」

「うん、分かった」

 八千代の笑顔を見た颯は、手にしている膝掛けを自分に掛けた。

 玲太郎は轟音が響き渡る頃には、もう目を閉じてしまっていた。明良は残念そうに玲太郎を抱えたまま、水伯邸へと戻って行った。三人は揃って苦笑しながら見送った。


 翌朝、目覚めた玲太郎は、既に水伯がおらず、時計を確認すると五時七十分になっていた。慌てて着替えに自分の寝室へ走る。

(朝ご飯作りは手伝うから起こしてって言ってたのにぃ!)

 着替えると足下に脱ぎ散らかしていた寝間着を持って退室し、走って一階へ向かった。先ず脱衣所へ行き、籠の中に寝間着を入れてから厨房へ走った。水伯が朝食の準備をしている。

「おはよう」

 玲太郎の声に即座に反応し、振り返った水伯が柔和な笑顔になる。

「お早う。早いね。もう少し眠っていても良かったのだよ?」

「一緒に作るから起こしてねって言ったでしょ」

「起こしたよ? 起きなかったのは玲太郎なのだから、私に怒るのは筋違いという物だからね?」

「あ、そうなの? ごめんなさい」

 水伯の傍に行き、切っていた材料を見る。

「人参切ってたの?」

「そうだよ。味噌汁に入れるからね。それと小松菜と人参の胡麻和えを作ろうと思っているから、その分も切るよ」

「手伝う」

「助かるね。それでは踏み台を出すから、少し下がって」

「はい」

 一歩下がって足下を見ていると、踏み台が顕現した。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 それに上り、水伯から違う包丁を用意されて、それを手にした。

「胡麻和えの分は細切りだからね。宜しく」

「はーい!」

 玲太郎の前にまな板と、既に薄切りにされている人参も置かれた。

「手を切らないように、ゆっくり遣るのだよ?」

「うん、分かってる」

 水伯は玲太郎に視線を配りながら、先程の続きで人参を短冊切りにしていく。小気味よい音と、たどたどしい音が厨房に響いた。

「父上、切れた」

「はい、有難う。それでは小松菜を切って貰えるかい? いちジル(約六分)程度の長さに切ってね。一口で食べられる大きさだよ?」

「はーい!」

 切った人参が小松菜と入れ替わる。玲太郎はまたたどたどしい音を立てながら小松菜を切った。

「玲太郎が手伝ってくれているから、もうひと品足そうか。……牛蒡ごぼうがあったから金平牛蒡にしよう。玲太郎、申し訳ないのだけれど、もう少し人参を切って貰えるかい?」

「はい」

 小松菜を切っている最中で、返事が小さくなった。暫くして切り終え、顔を上げる。

「切れた」

 水伯が左側におらず、周りを見る。

「父上?」

「はい。有難う。それでは人参ね」

 牛蒡を持って戻って来ると、小松菜と人参が入れ替わった。今度は人参を薄切りからしなくてはならないようだ。

「味噌汁にも牛蒡を入れようか。……玉葱が入っていても、人参と牛蒡が金平牛蒡と被ってしまうね」

「味付けが違うから平気」

 そう言って微笑み掛ける。水伯も釣られて微笑む。

「そう? それではそうしようね」

 ふと、玲太郎の口角から頬に掛けて涎の跡が見えた。

「玲太郎、顔を洗ったのかい?」

 手を止めて固まり、少ししてから水伯に顔を向けた。

「……洗ってなかった。歯磨きもしてないね。あはは」

「それでは洗ってお出で。まだ二十分以上時間はあるから、慌てなくてよいからね」

 包丁を置いて踏み台から下りた。

「はーい!」

 返事をしながら退室する。水伯はその後姿を見送った。


 朝食が済み、居室で寛いでいると明良が来訪した。

「お早う」

 長椅子に座っている玲太郎の右側へ行き、腰を掛ける。

「おはよう。今日はやけに早いね」

「お早う。本当に早いね。どうかしたのかい?」

「昨夜は玲太郎を連れ出して眠られてしまったからね。謝罪をしようと思ってね。玲太郎、ご免ね」

 謝罪をすると、玲太郎は明良を横目で見ていた。

「だから嫌って言ったのに」

「あれ? うん、解った、と言う所ではないの?」

「ない。朝は早起きしてたし、昼寝もしてないのに、夜遅くまで起きていられる訳がないのよ」

「そうですね。ご免なさい」

 素直に頭を下げると、玲太郎はその頭を撫でた。

「もう無理やり連れ出さないでね」

「はい、そうします」

 水伯はその様子を見て「ふふ」と笑っていた。玲太郎が思わず水伯を見る。

「明良は玲太郎相手だと形なしだね」

 それを聞いた明良は頭を上げて水伯を見た。

「玲太郎に嫌われたら生きて行けないからね」

「それだったら、嫌だって言ってるんだから、最初から連れて行かなきゃ良かったんじゃないの?」

「ご尤もです」

 機を落として俯き、玲太郎の手を取ると握った。

「一緒に花火を見たかったのだけれどね」

「だから朝早いし、昼寝もしてないから、起きていられないんだから見られる訳がないのよ」

「でも実際に行けば、音で眠らないと思ったのだけれど、甘かったね」

「本当にね」

 いつになく厳しい口調の玲太郎は、明良の手の中から手を抜いた。態度が軟化しない事から余程行きたくなかった事を理解した明良は、今更ながら心底申し訳なく思った。

「それにつけても、今日は何処へ行く? ウィシュヘンド郡の方の何処かになるのだよね?」

 水伯が話題を変えると、玲太郎は表情を一変させて微笑んだ。

「そう。今日は屋台で先に何かを食べたいね」

「屋台ね……。それでは屋台が出店している地区を探して来るから、待っていて貰えるかい?」

「うん、待ってる」

 水伯は柔和に微笑んで頷くと立ち上がり、萎れている明良を一瞥する。

「明良が猛省しているようだから、早く許して遣りなさい」

「まだダメ」

 即答すると、水伯は苦笑して退室し、玲太郎は萎れている明良を横目で見ていた。この後は、休日とは言え、玲太郎はいつも通りに勉強をしていた。明良がそれを見ていたのだが、昨日の事をまだ許していない玲太郎の視線が痛かった。

「その睨み付けるような目付きは止めない?」

「止めない」

 即答された明良は苦笑するしかなかった。しかし、玲太郎の不機嫌は昼食後までも続き、明良は遂に泣いてしまい、そこで終了となった。そして明良の膝に座り、抱え込まれている。

(うん、やり過ぎてたね。次があったらもう少し早めに切り上げよう……)

 目を閉じて反省をしていた。


 今日は水伯が玲太郎を抱いて歩く番だった。玲太郎としては明良を泣かせた罪悪感から、明良ではない方が気遣わなくて済み、気持ちが楽で良かった。

 玲太郎の希望通りに屋台から始まる。屋台が大きな公園に所狭しと建っている。屋台とは言っても、景色が見通せないように板が立て掛けられて、中が見えなくなっている。田楽、焼き鳥、うどん、一品いっぴん料理、大麦の乳粥、麺料理、郷土料理、酒も飲める屋台と色々あった。玲太郎は田楽が屋台で食べられる事に衝撃を受けたが、迷わずうどんを選んだ。

「もし多かったら、あーちゃん食べてくれる?」

「うん、勿論食べるよ。屋台だから普通に一人前あると思うし、露店でも食べたいのならば残すしかないものね」

「多いの?」

「私も多いと思うのだけれど、どうだろうね? 訊いてみようか」

 水伯が暖簾をくぐって中に入って少し奥へ行く。厨房と店舗の仕切り台が、そのまま食卓として使われているようだ。

「今日は」

 奥にいた捻じり鉢巻きをした若い店員が振り返ると目が合う。

「いらっしゃい」

「申し訳ないのだけれど、量はどれくらいだろうか? 普通の店で食べられる量程度なのかい?」

 店員は水伯を笑顔で見ていた。

「ああ、量ね。普通の店より少ないよ。別の屋台でも楽しみたいって人もいるからね。そうだなぁ。……半分より少し多いくらいだよ」

「それでは玲太郎は私と半分ずつにしようか。それでも多かったら明良に食べて貰うとよいね」

「うん、そうするね」

「ありがとうございます! それではどれにいたしましょう?」

 小さな厨房の壁の上部に品目が書かれた札が下がっていた。

「僕、きつね」

「私は若布が欲しいから、きつねに入れて貰ってもよいかい?」

 水伯は札から店員に視線を向ける。店員は笑顔で頷く。

「はい。わかめを入れるなら二百金追加ですがよろしいでしょうか?」

「それで宜しく」

 水伯に向かって笑顔で頷くと、明良に視線を向けた。

「それではお姉さんの方はどうなさいますか?」

「私は玉子とじに若布をお願い」

「きつねにわかめ、玉子とじにわかめが各一人前、ありがとうございまーす!」

 大声で言うと、裏から中年に見える女が入って来た。

「いらっしゃいませ。ありがとうございます」

 仕切り台を挟んで水伯の前に来ると笑顔になる。

「先にお代をいただいてもいいですか?」

「お幾ら?」

 水伯が訊くと、明良が水伯を見る。

「私が出すよ」

「きつねが六百、玉子とじが七百、わかめが二つで四百で、……合計千七百金になります」

「はい」

 明良が返事をすると、手に持っていた財布から大銀貨二枚を出し、差し出された女の手の上に置いた。

「お釣りはいらないから取っておいて。少なくてご免ね」

「え! 太っ腹! ありがとうございます!」

 笑顔で言いながら魔道具の円型の受け皿に置き、それから硬貨を入れておく箱の中へ入れた。

「明良、ご馳走様。それにつけても、親子でこのお店を遣っているのかい?」

 着席した水伯が俄に声を掛けた。女は何かを書き終えると水伯に笑顔を向ける。

「そうなんですよ。毎年建国祭の間だけ和伍から来てるんですけどね、和伍のお店は主人に任せて二人で来たんです。忙しい時間帯になるとそれはもうてんてこ舞いで、とっても楽しいですよ」

 そう言って笑った。

「それではおかみさんがいなくて、ご主人は羽を伸ばし放題ですね」

「それはこっちも一緒。あはははは」

 真ん中に座っている玲太郎は微笑みながら見ていた。

「お兄さん達はご家族なの?」

「そうです」

「この坊やはお兄さんの息子さんですよね?」

 玲太郎を見ながら言うと、水伯がまた頷く。

「そうです」

「それではこの方が奥さん? お綺麗ですねぇ」

 お上が明良の顔を凝視して言った。水伯は柔和に微笑むと、玲太郎の肩に手を置く。

「この子の兄なのですよ」

「兄? …あらやだ、ごめんなさい。あまりにもお綺麗だったもんだから」

 一瞬固まった後、申し訳なさそうに言う。明良はいつもの無表情で頷いただけだった。

「何時もの事ですから構いませんよ」

「それにつけても、和伍では今、うどんは如何程なのだろうか?」

「ああ、今ね、小麦が値上がりしてて、小麦を扱ってる店は軒並み値上がりしてるんだよ。うちは素うどんが九百金で、きつねが千二百金だね。材料は全部運んで来たんだんだけど、お祭りだから少しだけ安くしてあるんだよ」

「そうなのだね。…値上がりしているのに安く提供してくれて有難う」

 柔和に微笑むと、女は笑顔で頷いた。

「お客さんが喜んでくれればいいんだよ」

 玲太郎は不思議そうに水伯を見ていたが、何かを訊く事はなかった。そして明良の方に顔を向ける。

「あーちゃん、また女の人に間違われてたね」

「そうだね。何時もの事だね」

 苦笑して小声で言った。

「綺麗だから仕方がないねぇ」

 そう言っている玲太郎の表情を見て、釣られて微笑んだ。

「玲太郎、そういう事は嬉しそうに言ってはいけないよ?」

 水伯の方に顔を向ける。

「どうして嬉しそうだって分かったの? 顔は見えなかったよね?」

「見えなかったけれど、こういう時は大抵嬉しそうにしているからだね。人の美醜を、外見だけで決め付けてはいけないよ?」

「びしゅう? びしゅうって何?」

「美しい事と醜い事ね」

「美人を美人って言ったらダメなの?」

「それは構わないけれど、綺麗だから女性に間違われて当然、のような言い方は感心しないね」

 玲太郎は納得したようで頷く。

「ごめんなさい。気を付けます」

 少々場都合の悪そうな表情で明良に顔を向けた。

「あーちゃん、ごめんなさい」

「私は構わないよ。玲太郎だからね」

「……僕は構わないの?」

「当然よいに決まっている」

 大きく頷いた明良を見て、玲太郎は苦笑した。

「はーい、お待たせしました。まずはきつねうどんね」

 息子が丼を仕切り台の上段に置き、水伯が手を伸ばす。

「有難う」

「小さい器がないから、ごめんなさいね。どんぶりでもいいなら…」

「いいえ、先に息子に食べさせるから大丈夫ですよ。お気遣いを有難う」

 そう言いながら、玲太郎の前に丼を置いた。

「ありがとう」

 水伯が割り箸入れの中から一膳取り出し、玲太郎に手渡す。

「ありがとう。それじゃあいただきます」

 笑顔で割り箸を割った。

「父上、凄いよ。わかめが一杯」

「そうだね。きつねが少ししか見えないね」

「うん」

「はーい、玉子とじです。お待たせしました」

 明良の前に丼を置くと、明良が手を伸ばす。

「有難う」

 自分の前に丼を置くと、若布の多さに満足して頷いた。しかし、何かがない事に気付いた。

「此処は葱がないのだね」

 割り箸を取りながら言うと、玲太郎は咀嚼をしながら丼の中を見た。

「ほんとおだ、ない」

「うちはわかめが入ってる分にはネギを入れないんですよ。なんでも、わかめの栄養分の吸収を、ネギが邪魔するとかなんとかで、ネギを入れない代わりに、わかめを少し多めにしてあるんです。和伍のお客さんに言われてからそうしてるんですけど、ネギが欲しいのなら別料金になりますよ。一皿五十金です」

 息子が鍋を洗いながら言うと、玲太郎が「ふうん」と軽く何度も頷いていた。

「そうなのだね。それは初耳。それを聞いてしまうと、葱はいらないと思えるね」

 明良は無表情ながら、些か驚いた口振りで言うと、水伯も頷いた。

「若布と葱は私も初耳だね。食べ合わせがあるのは知っているけれど、それも年月が経つ毎に増えて行く物なのだね」

 そう感心した。興味のない玲太郎はわかめを退かしてきつねを持ち上げ、大き目に齧った。咀嚼をして飲み込むと、水伯に顔を向ける。

「きつね、凄く美味しい!」

「そう、それは良かったね」

「父上の分も残しておくからね」

「有難う。若布も沢山食べてよいからね」

「ありがとう」

 明良は横目で笑顔の水伯を見て、些か不機嫌そうな表情になりつつも手にしていた割り箸を割った。


 祭りへ赴いた時間が少し早かった事もあって、夜食用に焼きそばを買って来ていた。それは颯の分もあり、入浴後に脚の長い方の机で箱を前に二人並んで座っていた。

「二箱も有難うな。嬉しいわ」

「あーちゃんが二箱にした方がよいって言うから、そうしただけなのよ。お礼はあーちゃんにね」

「兄貴、有難う」

 玲太郎の正面に座っている明良を見た。

「どう致しまして」

「明日は俺も付いて行きたいなあ」

 そう言うと、焼きそばを豪快に頬張った。頬を膨らませて咀嚼をしている。一口で半分も頬張っていて、玲太郎は手を止めて見ていた。

「余所見をしないで食べてね」

 明良に言われて我に返ると、少し湯気の立っている焼きそばを頬張る。玲太郎が一口を食べ終えても、颯はまだ咀嚼をしていた。

「はーちゃんはどうしてそんなに頬張ったの? 一度に全部は飲み込めないでしょ?」

 颯は玲太郎に視線を移して咀嚼を続け、暫く見詰め合っていた。

「玲太郎、余所見をしないで食べてね」

「うん」

 また明良に注意をされると颯から焼きそばへ視線を移し、箸で適当に摘んで頬張った。咀嚼をしながら横目で颯を見ると目が合った。颯はまだ咀嚼をしている。そんな二人を見て、明良が露骨に不快な表情になる。漸く颯が一口目を飲み込んだ。

「そんなに俺を見ていたいのか?」

 玲太郎は不意の言に顔を紅潮させた。

「ちがっ、……いつ飲み込むのかと思って見てただけなのよ」

 言った拍子に短く千切れた麺が口から飛び出した。

「口を手で覆っていないから飛んで来ただろう? きちんと覆っておけよ?」

 そう言うと笑顔になり、魔術で飛んで行った麺を箱の蓋へ移動させた。そして残りの半分を頬張り、先程と同ように頬を膨らませて咀嚼をした。明良は真っ赤になった玲太郎を少し驚いた表情で見ている。それを一瞥した颯は次の箱の蓋を開けた。玲太郎は口を尖らせて焼きそばを解し、持ち上げた。

 颯が食べ終わる頃、玲太郎はまだ半分残っていた。颯はそれを見て微笑み掛ける。

「俺が残りを食べようか?」

 颯に顔を向けると、顔を顰めただけだった。

「何か言えよ」

 玲太郎は目を閉じて眉を吊り上げた。表情を変えるだけで、無言で咀嚼を続けている玲太郎を見て、明良が眉を寄せた。

「私にはそういう表情を一度も見せていないのに、颯には何故見せるの?」

 玲太郎は思わず目を丸くなり、咀嚼が止まった。「んん?」と言って眉を顰めると、徐に咀嚼した。

「俺も見たのは今が初めてだぞ?」

「そうなの?」

「うん。焼きそばを飛ばしたから口を開きたくなくて、表情で言いたい事を表現しているだけだと思う」

 明良から玲太郎に視線を移す。口の中の物を飲み込んだ玲太郎も颯を見る。

「合っているか?」

「合ってる」

 苦笑しながら明良に顔を向けた。

「あーちゃんは、なんて言うの? ……んー」

「疎外感からそういう事を言ってしまうのか? それとも嫉妬か?」

「そがいかん?」

「仲間外れにされているように感じる事だよ。自分が玲太郎と視線を合わせている時はいいんだけど、そうじゃないと目の色が変わるからな。疎外感じゃなくて、只の嫉妬だったか」

 そう言って鼻で笑い、玲太郎に顔を向ける。

「玲太郎の事が好き過ぎて、視線も独占したいんだよ」

 苦笑したままの玲太郎は颯を見た。明良は不機嫌そうな表情になる。

「それの何処がいけないの?」

「あ、開き直った」

「あーちゃんはもう少し気持ちを抑えないといけないね。気持ちを押し付けられる僕が可哀想なのよ」

 少し怒ったような表情で窘めた。しかし、明良には全く効果がない。

「その顔、とっても可愛い。幾らでも叱られていたいね」

 満面の笑みを湛えると、玲太郎は脱力して首を倒し、大きな溜息を吐いた。

「力が抜けるのよぉ……」

「焼きそばの残りを食べようか?」

 直ぐに頭を戻し、焼きそばに手を伸ばす。

「食べる」

 明良は愛おしそうに玲太郎を見ている。

「食べないから、ゆっくり食べろよ。俺は茶でも入れて来るわ」

「あ、僕は緑茶をお願い」

「私は紅茶がよいね」

「解った」

 立ち上がると空いた箱と割り箸を持って退室した。玲太郎は意図的に明良と目が合わないように、ずっと焼きそばを見ていた。


 玲太郎の緑茶は湯呑みではなく、紅茶を淹れる茶器に緑茶が入って遣って来た。前に置かれて、颯を見ると、また茶器を見てから颯に視線を遣った。颯は微笑んでいる。

「偶には違う茶器で飲むと、気分が変わっていいだろう?」

「うーん、湯呑みの方が良かったのよ」

「まあ、今日はそれで飲んでくれよ」

 そう言いながら明良の前に茶器を置いた。

「有難う」

 玲太郎は台車の上にある颯の分が湯呑みである事が気になった。

「はーちゃんのは湯呑みじゃない。どうして僕は茶器なの?」

「俺のは湯呑みでも緑茶じゃないからだよ」

「え、……何を入れて来たの?」

「梅湯だよ」

「あー、あれね……」

 酸っぱそうな顔をして、熱い緑茶を啜った。颯は隣に座り、湯飲みを置いた。左手で湯飲みを持ち、入っている匙で梅干しを解す。

「玲太郎には、酸っぱい梅干しの良さが解らないかあ……」

「嫌いじゃないけど、お茶にしてまで飲みたいとは思わない。……思えない、が正しいかも」

「兄貴も好きで時々飲んでいるんだぞ?」

 玲太郎は明良を見て、また酸っぱそうな顔をした。

「梅干しは胃を整えてくれるし、塩気が強いから汗を掻いた時には最適だし、お腹を下した時には梅肉を煮詰めた物を舐めれば治るのだよ? 梅は素晴らしい食品だよね?」

「それ、本当?」

「本当」

 明良が大きく頷くと、玲太郎は苦笑した。

「僕、お腹を下す事がないから知らないんだけど、その梅肉を煮詰めた物は薬草より効くの?」

「私が配合した程に効くよ」

「どの程度か分からないのよ」

 玲太郎がまた苦笑すると、明良が微笑んだ。

「あの梅肉は凄いぞ。腹痛が不思議と止んで、厠へ駆け込まなくて済むようになるからな。ばあちゃんが良く作っていたから家にあったんだけど、あれを湯に溶かして飲んでいた事もあったなあ。ウィシュヘンドに来てからは作っていないから口にした記憶がないけど、あれは本当に良く効いた」

「へぇ、そうなの。経験者が語るんだから、余程なんだね」

「和伍では売っていると思うから、次に行った時に買って来るよ」

 明良が笑顔で言うと、玲太郎は首を横に振った。

「ううん、それはいらない。酸っぱ過ぎるのは好きじゃないのよ」

「美味しいのに」

 颯が透かさず言うと、明良が玲太郎に笑顔を向ける。

「蜂蜜が交ざっている邪道の梅干しなら食べられるのではないの?」

 不思議そうな表情をしている玲太郎は明良に顔を向ける。

「そんなのもあるの?」

「あるよ。甘酸っぱいんだけど、私は塩だけの方が好きだね」

「あれはあれで、あられ茶漬けに入れると美味しいんだよな」

 颯には顔を向けず、梅干しを解している手を見た。

「あられちゃづけ?」

「茶漬けって言っても茶じゃなくて、只の湯なんだけどな、解した梅干しに塩気のない只の素焼きのあられと湯を入れて、あられをふやかして食べるんだよ。梅の甘酸っぱい風味と、あられの香ばしさが相俟って美味しいぞ」

 颯は湯呑みの中を見ながら話した。玲太郎は視線を上げて颯を見た。

「ふやかすって何?」

「湯に浸けるとあられが軟らかくなるんだけど、そういう状態にする事をふやかすって言うんだよ」

「ありがとう。そのあられ茶漬けは食べてみたい。お湯じゃなくて、お茶にして貰える?」

「あられがないから出来ないな」

「えー、それは残念」

「蜂蜜入りの梅干しもないよ」

「それじゃあ、次に和伍へ行った時に買って来るよ」

 笑顔になった玲太郎が頷く。

「楽しみにしてるね」

 明良が珍しく無表情のままで玲太郎を見ていた。それに気付いた玲太郎は茶器に視線を落とし、それを手にして口に近付けた。

「懐かしいね……。あられ茶漬けは随分と食べていないね」

「そうだなあ。食べていた頃は悠ちゃんが元気だった頃だからなあ。小腹が空いた時は三人で食べていたもんな」

「田舎あられは何処で売っているのだろうか」

「笠木商店にならあるんじゃないのか? ばあちゃんも其処で買っていた筈だけど。蜂蜜入り梅干しも其処で買える筈」

「笠木か……、懐かしいね」

「最寄りの店といえば笠木だったからな」

「それでは明日にでも行って来るよ。それ以外では何か欲しい物があるのであれば買って来るけれど、何かある?」

 明良が二人の顔を交互に見る。玲太郎は表情を明るくして頷く。

「多々羅の回転焼きが食べたい。普通のあんこと、芋のあんこと両方をお願い」

「解った。颯は?」

「俺かあ……。あられ茶漬けが食べられれば、それでいいよ。……今の所はな」

「そう? 解った。でも、此方に来てから口が贅沢になっているから、美味しく感じるかどうか……」

「あられは食べた事があるけど、塩気のないあられって言うのが、どういう物なのか気になる」

 玲太郎が嬉しそうに言うと、颯が鼻で笑って梅湯を飲んだ。

「それだけを食べると、歯応えが良くて香ばしさがあるだけだな。噛むと甘味を感じるけど、それも大して感じないからな」

「あれも質素な物だものね。あれはあれで美味しく感じていたのだけれど、今だとどう感じるかは食べてからのお楽しみ、だね」

「そうだな。それで何時頃に行くんだ? 出来れば俺も一緒に行きたい」

「それでは七時にしよう。それとも夜中に行く?」

「夜中の方が良くないか? 相当過疎化が進んでいるから、店が夕方も開いているかどうかが疑問だからな」

「ああ、それは言えるね。あの辺りは田舎で朝が早いものね」

「それじゃあ兄貴に時間を合わせるよ。笠木は確か、朝の七時から開いていたからな」

「そうなの? 良く憶えているね」

「でも閉まる時間は知らないんだよなあ……」

 玲太郎は誘って貰える物だと思い込んでいたのだが、全く誘われなかった。眉を顰めて俯いていると、颯が「ふふ」と笑った。

「何がおかしいの?」

 玲太郎が眉を顰めたままで訊く。

「面白い事を思い出しただけだよ。……まあ、夜中だから玲太郎は一緒に行けないけど、それは仕方のない事だから我慢しろよ?」

 口を尖らせて暫く黙り、眉をこれでもかと顰めて颯を見上げた。

「行きたい」

「それでは水伯に話しておこうね」

 明良が即答して、颯が困惑する。

「え、連れて行くのかよ? 夜中だぞ?」

「どうせ厠で起きるのだから構わないのではないの? ね?」

 玲太郎に笑顔を向けて訊くと、玲太郎が満面の笑みを浮かべた。

「うん! 起きるからね! 今日は早めに寝るから、お茶を飲んだら寝室へ行くね!」

 颯は掛け時計に視線を遣り、また玲太郎を見る。

「早目って言ってももう二十四時半を過ぎているんだけど、厠に起きた時に目を覚ませるのか?」

「大丈夫、きちんと起きるから」

「ふうん。……それじゃあ水伯も一緒に行くだろうな。執務室へ行って話して来るわ」

 そう言って梅湯を呷り、種に残っている梅肉を吸い取って湯呑みに戻して立ち上がった。

「お茶を飲んだら玲太郎を寝かし付けるからね」

「おやすみ、はーちゃん」

「解った。お休み」

 頷いた颯は湯呑みを片手に厨房に近い方の扉から退室した。玲太郎が笑顔だと、明良も満足そうに微笑んでいる。


 笠木商店は池之上家の最寄りの店で、割と何でも揃っていた。明良も颯もウィシュヘンドへ引っ越ししてから、一度も立ち寄った事はない。久し振りに店の前に立ち、懐かしさが込み上げたのは颯だけではなかった。その一人は懐かしさとは別の事を思い出したのか、微妙な表情をしていた。

 格子に玻璃が嵌め込まれた引き戸を開けて、店内へ入る。明良は一直線に本棚へ向かった。それを見た颯は苦笑している。

『あられはこっちだと思うから』

 振り返って、玲太郎を抱いている水伯に言った。後ろ手で引き戸を閉めながら、店内を見回す。棚が高くて全ては見えなかったが、意外と広くて驚いていた。

『このような店があったのだね』

『うん。宿泊施設を建てたのに、あの周辺を調べなかったのか?』

『私はあれを追い出したかったから、目的を達した後は人に任せたのだよね』

 颯の後ろを付いて行きながら言うと、また振り返る。

『そういうもんか。まあ、此処がこの辺りで唯一の店だよ。先ずは梅干し発見』

 そう言って足を止めて手に取ると、更に奥へ進む。

『色々置いてあるのだね』

『お、あったぞ』

 棚の上段に紙袋が幾つか並んでいた。また立ち止まってそれを一袋取ると、水伯に笑顔を向ける。

『田舎あられはこれだよ』

『これで全て発見だね。店の中を見て回ってもよいかい?』

『どうぞ』

『有難う。玲太郎は何方どちらへ行きたい?』

『んー、あーちゃんを探しながら見て回ろうよ』

 重い瞼を頻繁に瞬きさせながら言った。水伯は頷くと、玲太郎の目の前で颯の方を指差し、次はその逆を指差した。

『何方へ行く?』

『来た通路を戻る』

『解った』

 今度は颯が水伯に付いて行くが、その歩みは遅かった。商品を舐め回すように見ている二人を、颯が微笑んで見ている。

『あ、これ、凄く安いみたいだね?』

 水伯が見付けた物は金柑だった。籠に盛られていて、値札の千に線が入り、三百に訂正されていた。

『千から三百になっているなんて、なんだか怖いなあ……』

『見切り品なのだろうね。……よし、これを買って甘露煮を作ろう』

 そう言って籠を持った。

『俺が持つよ』

『そう? 悪いね』

 水伯は籠を颯に渡し、また徐に歩く。玲太郎は目を擦りながら商品を見ている。颯は眠そうな玲太郎を見て苦笑した。

『玲太郎は随分と眠そうだな? 大人しく寝ていれば良かったんだよ』

 玲太郎は脱力し切った顔を颯に向けた。

『だって、来たかったんだもん……』

『眠っていてもよいからね』

『うん……。でも折角来たから起きてる』

『無理するなよ?』

『大丈夫』

 そう言いつつも目を擦った。食料品、雑貨、衣料品を見て回り、最後に明良のいる本棚に辿り着いた。

『明良は何を見ているの?』

 そう問われて、水伯を一瞥した明良は本を閉じた。

『<組紐の編み方>』

 表紙を見せると水伯が柔和に微笑んだ。

『こういった類の本なら、家にもあるよ』

『そうなの? ……家にはあったかどうか、憶えていないのだよね』

 本を手にしたまま、颯が持っている物に一瞥をくれた。

『興味があるのならば、探しておくけれど』

『有難う。これは買うよ。私が欲しいからね。それにつけても、何故金柑を?』

 明良が視線を金柑に移すと、水伯も同様にした。

『ああ、これはね。安かったから買おうと思ってね』

『千が三百だからな』

『それは安いね。私が一緒に出すよ』

『そう? それではお言葉に甘えるとしよう』

 柔和に微笑むと、明良が頷いた。明良が颯に一瞥をくれ、目が合った颯が先に歩き出した。勘定場の前に颯が立つと、明良が隣に遣って来る。そこに座っていた白髪の老爺が明良を凝視した。

「なんや見覚えがあるな? 随分と久し振りとちゃうか?」

「そうですね。約六年振りです」

「おじさん、俺の事は憶えてないん?」

 老爺はそう言った颯に視線を移す。

「んん? ほう言われてみれば……、見覚えのあるような、ないような。あれあれ、……えっと、……ほうじゃ、池之上の子だろ?」

「ほうじゃ、池之上よ」

「最後まであの辺におったのに出て行ってもうたもんな。名前は知らんけんど池之上なんはよう覚えとるわ。もう一人おったんとちゃうん?」

「もう一人おったんやけんど、もう亡くなってしもうたんよ」

「ほれはほれは……、ご愁傷様。ほいで八千代さんは元気なん?」

「ばあちゃんは元気」

「ほれは良かった。元気にしよんやったらええわな」

 老爺が笑顔で何度も頷いた。颯も笑顔になる。

「ついこないだも池之上の話が出てな、ほれでワシもすっと苗字が出て来たんよ。野菜をうちに置いてくれよったけんな。八千代さんがおらんようになってしもうて、残念がっとったお客さんもほんまにようけおるんよ」

「ほんまにな。ばあちゃんに言うとくわ」

「うんうん、笠木のじいさんがそろそろ死にそうっちゅうといて」

 そう言うと豪快に笑った。細い体から出る声量だとは思えない程だった。一頻り笑った後、ふと表情が変えて颯を見た。

「あの、池之内の家があった一帯は見たで? ごっつい宿泊施設が建ってな、お陰でうちにも外国人がぎょうさん来よるわ。共通語が話せんけん、何を言よるんかが分からんだろ。しゃーないけん、勉強を始めたわ」

「ほんまにな。儲かって良かったな」

「もしかして、ほこに泊まっとるん?」

「いや、泊まってないな。田舎あられが懐かしいて買いに来たんよ」

「ああ、あられな。在庫がなくなるまでなんぼでもこうてって」

「ほうやな。おじさんに儲けて貰わんとあかんけん、皆買おか」

「ほうしてくれたら、うちも左うちわじゃ」

 二人は声を出して笑い合っていた。明良は颯が持ったままの商品を取り、台に置いた。颯が思わず明良を見る。老爺も釣られて明良に一瞥をくれてから商品を見る。

「ああ、ほうやな。ボクはいつも本やな。今日はこの本でええん?」

「うん。それでお願い」

「はいはい」

 老眼鏡を掛けると座ったままで手を伸ばし、本の値段を見る。

「千三百と、金柑は三百、梅干しは千金、田舎あられは五百。なんぼで?」

 そう言いながら算盤を弾く。

「三千百やけん、百おまけして三千金でええわ」

「ほれはあかんじょ」

「ほんまにかんまん。ほの田舎あられ、古いけんな」

 そう言って豪快に笑った。明良は無言で魔道具の円型の受け皿に硬貨を置いた。颯はそれを見ると、大銀貨三枚と、小金貨一枚が置かれていた。

「かんまんっちゅうたのに」

 老爺が硬貨を取りながら言った。

「大銀貨を四枚出して、釣りはいらないって言おうか?」

 明良が淡々と言うと、老爺が笑顔になった。

「ほらええな、ワシも残りの人生、楽して暮らせるわ。まあ、今回はもろとくわ。ありがとう。次回は八千代さんを連れて来てな。久し振りに会いたいわ」

 台の下から小さな紙袋を出して来て口を広げ、そこへ金柑を入れ始めた。丁寧に片手でひと掴みずつ入れている。

「ばあちゃんはこの時間は寝よるけんなあ……。あ、ほうじゃ。此処って何時に閉店なん?」

「ここはな、ワシの気分次第よ。早かったら十九時半には閉めよるな。遅い時は二十二時、くらいやなあ」

「ほんまにな。ほな来る時は十九時までに来るわ。次に来る時まで元気にしとってよ」

「ほら分からんな。ワシもこの年やけん、明日にはころっと逝くやも知れんわ」

 また豪快に笑いながら大きな紙袋に商品を入れた。

「ほなこれな」

 紙袋を押し遣った。颯がそれを手にすると、笑顔で老爺を見る。

「有難う」

「こっちこそありがとう。久し振りに会えて嬉しかったわ。また来てよ、ワシが死ぬまでにな」

 豪快に笑って軽く挙手する。颯は笑顔で頷き、明良は小さく辞儀を、水伯も同様にして老爺に背を向けた。玲太郎は既に夢の中にいた。

 水伯邸へ戻り、三人は夜中だと言うのにあられ茶漬けを食べた。無表情の明良が、玲太郎もいないのに本の少しだけ微笑んでいた。


 翌朝、あられ茶漬けを食べた事を水伯に聞かされた玲太郎は、朝食の量を減らし、食後にあられ茶漬けを食べた。意外と梅干しの酸味が受け入れられた。

「父上、蜂蜜入りって凄いね。酸っぱいけど、我慢出来ちゃうのよ」

「そうだね。私も知らなかったよ。……やはり梅干しはあの強烈な酸っぱさで攻めて欲しいと私は思うのだけれどね」

「僕、これ好き。酸っぱ過ぎるのより断然よいよ」

 笑顔でふやけたあられを匙で掬って頬張った。

「それにつけても、今日は何方の祭りへ行く積り? ウィシュヘンド? アメイルグ?」

「んー」

 手を口で覆うと水伯を見る。

「ウィシュヘンドで屋台に行きたい」

「それでは昨日の候補から落ちた中から選ぶか、昨日か初日に行った所へ行くか、だね」

「うん」

 あられを飲み込んで、水伯を見ると微笑んだ。

「昨日食べたうどんが食べたい」

「またレフマテへ行くのかい?」

「そう」

「解った。それではそうしようね」

「レフマテ町のなんていう地区だった?」

「ハソゼンイゲ地区のミナナミ公園ね」

「ハソゼンイゲ地区ね。ありがとう」

 あられを頬張り、笑顔で咀嚼をする。水伯もあられを頬張ると頷く。

「次は普通の梅干しで食べてみよう。酸味が増すとどう感じるのだろうね?」

「酸っぱいのは酸っぱいに違いないから、酸っぱいなって思うよ、きっと」

 そう言ってあられを頬張る玲太郎を、水伯は柔和に微笑んで見ていた。


 十九時を少し過ぎた頃、颯が屋敷へ遣って来た。玲太郎が颯を誘った理由は建国祭の最終日という事もあったが、それ以外に目論見があった。しかし、何故か八千代とガーナスもいて、ガーナスの護衛であるバラシーズもいた。そして建国記念日には見掛けなかったルニリナもいる。玄関広間で出迎えた三人は、玲太郎を除いて話していた。

(あれ? なんでこんなに大人数になってるの?)

 玲太郎は人数が増えている事に驚きを隠せなかったが、颯がいる事で笑顔は保てていた。

「向こうに着いたら別行動な。俺はお父様とばあちゃんとニーティと行動するよ。うどんだけ一緒に食べるわ。初っ端に行くんだろう?」

 それを聞いて、玲太郎は衝撃を受け、目論見が音を立てて崩れて行った。こうして玲太郎から笑顔が消えた。颯は水伯と明良とまだ話を続けていたが、耳に入って来なかった。

「玲太郎君、元気がないですね? どうかしましたか?」

 それに気付いたルニリナが微笑んで声を掛ける。玲太郎は一瞥すると俯いた。

「いえ、別に……」

「そうですか? 何もないようには見えませんが、本当に大丈夫ですか?」

「はい」

 返事をしてから顔を上げ、ルニリナを見て愛想笑いをする。ルニリナは穏やかに微笑んで頷く。玲太郎はルニリナに小さく辞儀をして水伯の下へ行き、背に顔を埋めると手を握った。明良はそれを見て眉を寄せる。

「うん? どうかしたのかい?」

 振り返らず、左手を後ろに遣り、玲太郎の肩に触れた水伯は苦笑する。

「今日は最終日だからね、楽しもうね」

「玲太郎、甘えるのならば私にして貰えない?」

「兄貴、玲太郎は水伯に甘えたいんだよ。割って入るなよ?」

「今日は私が玲太郎を抱っこする番だからね」

「二日ずつ抱っこをしただろう? 残りの一日はまたじゃんけんで決めなければね」

「初日は私だったのだから、最終日も私になるのに」

「それを言うならば、私の番だろう? 初日は本当ならば私だったのだからね」

「ふふっ、明良は分かるんだけど、水伯さんまで子供染みた事を言うとは思いませんでしたよ」

 そう言って八千代が笑った。ガーナスは呆気に取られ、ルニリナは微笑んでいた。

「玲太郎は大人気だからな。続けるなら、その争いに俺も参戦するぞ?」

 玲太郎は頭を上げ、水伯の後ろから頭だけを出して颯を見る。

「それじゃあ、はーちゃんが抱っこしてくれる? そうすれば父上もあーちゃんもケンカしないから」

「いいぞ」

 玲太郎の表情がこの上なく明るくなった。そして颯の下へ駆け寄った。

「でもこれじゃあ別行動が取れないな。皆で一緒に行くしかないな」

 そう言いながら玲太郎を抱き上げるとガーナスを真っ先に見た。

「それでよい。皆で回ろう」

「大所帯だけど、その方が楽しいだろうね」

 八千代も笑顔で頷いた。水伯は苦笑して明良を見ると、明良は案の定、仏頂面になっていた。

「わしも行くからな」

 付いて来ていたハソが言うと、玲太郎が頷く。

「よいよ。でもハソは何も食べられないでしょ? それでも行くの?」

「如何にも」

「それでは行こうか。明良、お願いするよ」

 水伯が言うと颯の後ろに回り込み、玲太郎の肩に手を置いた。八千代は玲太郎の背中に触れ、ガーナスが足に触れた。

「人数が多いから一旦これで締めるよ。バラシーズさんとニーティは悪いけど待っていて貰える? 直ぐに迎えに来るから」

「解りました」

「畏まりました」

 颯の言に二人が頷くと、明良が颯の正面に立ち、玲太郎の左手を握った。

「それでは行くね。申し訳ないのだけれど上空へ行くね。落ちる事はないし、最寄りの駐車場へ下りるから安心してね。それでは行きます」

 言い終えた途端に消えたが、それから思いの外早くに颯が玲太郎と共に現れた。

「お待たせ」

「大して待っていませんよ」

 ルニリナが笑顔で言うと、バラシーズが頷く。

「それじゃあ玲太郎に触れて貰える?」

「はい」

「どこに触れても大丈夫ですか?」

 バラシーズが訊くと、玲太郎が笑顔を見せた。

「お尻は止めて下さいね」

「分かりました」

 バラシーズが笑顔で頷いた。ルニリナは玲太郎の背中に、バラシーズは左腕に触れる。

「それじゃあ行こうか」

「お願いします」

「よろしくお願いします」

「待て、わしがまだであるぞ」

 大人しく待っていたハソが慌てて玲太郎の脚に触れた。

「よし、行くぞ」

 言い終えた途端に移動した。


 四人と一体のりく合が一瞬で変わり、先に来ていた四人の傍に到着した。駐舟場は半分程が埋まっているだけで、今の所はまだ余裕があった。

「ありがとうございました」

「颯、玲太郎君、ありがとう」

 二人は玲太郎から手を離し、バラシーズはガーナスの傍へ行った。

「どう致しまして」

「どういたしまして」

「それでは揃ったから屋台へ行こうか。直ぐ近くの公園だからね。うどんでよいのだよね?」

 水伯が言うと、全員が頷いた。

「僕は今日、玉子とじにするのよ。わかめも入れて貰って、父上と半分ずつにするのよ」

 玲太郎が嬉しそうに言うと、颯が歩き出した。

「玉子とじか。天麩羅はないのか?」

「あったけれど、海老天うどんだったと思うよ」

 水伯が言うと、颯は冴えない表情をする。

「海老天か……。まあ、いいか。それじゃあそれにしようっと」

「ばあちゃん、行こう」

 八千代を誘ったのは明良だった。八千代は「うん」と頷いて、明良の隣を歩く。二人が先頭となり、全員がそれに付いて行った。最後尾は颯と玲太郎で隣にはハソが浮いていて、その前に水伯とルニリナがいる。玲太郎は目論見通りとなって、一人笑顔だった。

「ご機嫌さんだなあ。そんなにうどんが嬉しいのか?」

「そうなのよ。うどん、美味しかったからね。きつねも美味しかったけど、あーちゃんが玉子とじが美味しいって言ってたから食べたかったのよ」

「暖簾に店名は書いていなかったのか?」

「共通語と和伍語でうどんとだけしか書かれてなかったと思う」

「ふうん、そうなんだな。店名が判れば、和伍の店も探せそうなんだけどな」

「今日聞けばよいじゃない」

「そうだな」

「聞いたら行けるね。屋台であれだけ美味しいんだから、お店だともっと美味しいんじゃない?」

「過度の期待は禁物だぞ? 屋台と同等の味かも知れないしな。まあ、店は行けたら行こう。時差の問題があるから頻繁には無理だからな」

「分かってるよぉ。でも美味しいからね」

「楽しみだなあ。海老天」

 笑顔で颯が言うと、玲太郎も笑顔になる。

「僕も玉子とじがとっても楽しみ」

 二人は目を合わせて更に笑顔になった。

「わしも食べられる物なら、食べてみたいわ……」

 ハソがそう呟いたが、二人は苦笑するだけだった。

「それにしても、ノユとズヤは来なかったんだね」

「如何にも。ノユは来るかと思うたのであるが、四六時中一緒ではない方がよいと来なんだのよ」

「そうなの」

「ズヤは屋敷の図書室にずっといるみたいだからな」

「ズヤは本が好きだねぇ」

「普通なら読むとなると夜しかないけど、今だと堂々と昼間でも読めるのが嬉しいんだろうな」

「ふうん……」

「読んでも記憶に留まらぬから、同じ本を何度も読んでおるわ。わはは」

 二人と一体はたわいない話を続けながら歩いた。


 昨日見た顔が複数人を引き連れて入って来て、今日は丁度出入口を向いていた息子が驚いた表情をしたが、そこは商売人、直ぐ笑顔になった。

「いらっしゃい。昨日の今日で、また来て下さってありがとうございます」

「今日は。今日も美味しいうどんをお願いしますね」

 そう言ったのは水伯だった。奥から明良、八千代、ガーナス、バラシーズ、ルニリナ、水伯、玲太郎、颯、と着席する。息子は奥へ行き、暖簾を退けて頭だけを外に出す。直ぐにお上も遣って来た。

「あら、いらっしゃい。今日は大人数でありがとうございます」

「今日は。息子がどうしてもと言うので、またお邪魔しました」

 柔和に微笑んだ水伯が、笑顔のお上を見た。

「それはありがとうございます。今日で終わりだから、また来年来てね」

 玲太郎の方に顔を向けて言うと、玲太郎が笑顔になる。

「和伍の方のお店って、なんて言う名前なんですか?」

「かがわ、平仮名でかがわって言う店をやってるんだけど、……もしかして、来てくれるの?」

「はい、行きたいと思います」

 玲太郎が頷くと、お上は驚きつつも笑顔を保っていた。

「本当に? あのね、和伍の西側の方に位置する渡々野戸とどのへって言う島があってね、そこの沢田野市の市街地にあるんだよ。かがわね、かがわ」

「渡々野戸島ですか。沢田野と言うと渡々野戸の二番目に大きな市ですね」

「さすがはお父さん、よくご存じで。そうなの、二番目に大きな市なのよ」

「私も昔、渡々野戸に住んでいたのですよ。懐かしいですね」

「あら、そうなの? 渡々野戸のどの辺りに?」

「母さん、先に注文を聞いてくれないと困るなぁ……」

 息子が渋い表情で言うと、お上が手で口を押さえた。

「みなさん、ごめんなさい。ご注文を先にお伺いしましょうか」

「それでは私は若布に若布と葱を追加でお願いします」

 間髪を容れずに明良が言った。お上は慌てて鉛筆を持ち、紙に書く。

「わかめに、わかめとネギね。はい、次の方は?」

「私はきつねをお願いします」

「私も」

「私もきつねにわかめを追加で」

 八千代に続いて、ルニリナが軽く挙手し、バラシーズが最後に言った。

「きつねが三つで、一つはわかめを追加ですね」

「僕は玉子とじにわかめとネギとかまぼこを追加でお願いします」

「私も玉子とじで、追加はなし」

 玲太郎に続いたのはガーナスだった。

「玉子とじが二つで、一つはわかめとネギとカマボコを追加、と」

 書き終えると水伯に顔を向けた。

「私は息子から半分貰うので、申し訳ないのだけれど注文はしません」

「あ、そうだった。それじゃあお兄さんは何にする?」

 颯に顔を向ける。

「俺は海老天で、若布と葱を追加でお願いします」

「海老天で、わかめとネギを追加ですね。ありがとうございます。それでは確認します。わかめにわかめとネギ、きつね三つで、一つがわかめ、玉子とじが二つで、一つがわかめとネギとカマボコ、海老天が一つで、わかめとネギの以上でよろしいでしょうか?」

「お願いします」

 全員が口々に言った。

「ありがとうございまーす!」

 息子が元気良く言うと調理に取り掛かった。

「それではお代を先にいただきますね」

「はい」

 返事をしたのは明良だった。

「わかめが五百五十、きつねが六百の三つで千八百、玉子とじが七百の二つで千四百、海老天が九百、わかめ追加が四つで八百、ネギの追加が四つで二百、カマボコの追加が一つで百金、……これが繰り上がって、こうなって、……」

「五千七百五十だね。颯、お代わりする?」

 明良が珍しく声を張り上げる。

「それじゃあ追加で頼もうか。ほぼ半人前だろう?」

「うん、そう」

 返事をしたのは玲太郎だった。

「有難う。バラシーズさんとニーティはどうする? お代わりする?」

「私は露店でも食べたいので、一杯だけにしておきます」

 ルニリナが即答すると、バラシーズが困惑した。

「私は……」

「露店でも食べるのだろう? 食べられなくなるかも知れないから、食べてから決めなさい」

「ガーナス様がこう仰るので、私は後で決めます」

「露店の物で欲しい物があっても食べられそうになかったら、持って帰ればいいんだよ。うどん屋のうどんが食べられる今、食べておいた方がいいんじゃないのか」

 颯にそう言われ、バラシーズは決意を翻した。

「それはそうですね。それでは私は玉子とじにわかめを追加でお願いします」

「えっ」

 お上は慌てて書き足した。書き終えるのを見届けた明良が口を開く。

「それでは私も玉子とじに若布と葱を追加でお願いします」

「俺も同じで玉子とじに若布と葱を追加で」

「玉子とじ三つ追加で、わかめが三つ、ネギが二つね。七百が三つで二千百、二百が三つで六百、五十が二つで百、えっと? ……二千八百追加だから……」

「八千五百五十だね。それではお釣りはいりませんからこれでお願いします」

 小金貨を台に置いた。

「一万金もいただけるの? お兄さんは太っ腹だねぇ。ありがとうございます」

 丁寧に頭を下げた。

「あーちゃんがまた玉子とじだって。玉子とじ、美味しいんだね」

 小声で水伯に言った玲太郎はいやが上にも期待が高まった。水伯は「ふふ」と笑っただけだった。


 美味しくうどんを頂いた一行は露店の方へと繰り出したが、大人数という事もあって二手に分かれた。明良、八千代、ガーナス、バラシーズの四人と、残りの四人になった。

「明良が彼方あちらへ行くとはな……」

 ハソが呟いていると、颯が微笑む。

「玲太郎と一緒にいられないからなあ。それなら、ばあちゃんと一緒にいる方を選んだんだと思うわ。組み合わせを考えると、あれが妥当ではあるんだけど……」

「明良、玲太郎、水伯、八千代という組み合わせもあろうが」

「え、今日ははーちゃんに抱っこしてもらうのよ」

「そうであるか」

「うん」

「玲太郎がおるのに気働きを利かせるなぞ、槍が降るぞ。戸板でも防げぬわ」

 前を歩いていた水伯が足を止めて振り返った。ルニリナも同様にする。

「そろそろ買う物を決めようか。まだ入るよね?」

「僕は入る!」

「俺も入る」

「わしは入らぬ」

「ぶっ」

 失笑したのはルニリナだった。左手で腹を押さえ、右手で口を覆った。水伯は苦笑している。

「俺としては焼きそばかお好み焼きが食べたいんだけど、お好み焼きは来ていないんだろう?」

「そうだね、此処はなかったよ」

「たこ焼きはあるよ」

「たこ焼きなあ……。お好み焼きが良かった……」

「蛸の養殖が成功して価格が安定しているからね。お好み焼きはそうではないから、残念だけれど諦めるしかないね」

「何が高騰しているんだ?」

「私の知る限りでは和伍では野菜全般が不作だそうだよ。それと聞いた話では小麦粉の値上がりだね」

「ああ、そうなんだな。それじゃあたこ焼きと焼きそばにする。後は見てから決めたい。玲太郎は決まっているのか?」

「僕はね、アスーリュ・ミツミュー。昨日迷って食べなかったのよ。それとテキータトと、たこ焼きと焼きそば」

「決まっているのか。それじゃあニーティは?」

「私は見てから決めます。でも焼きそばとたこ焼きは食べたいですね」

「それじゃあ水伯は?」

「私は玲太郎が食べたい物の半分を食べて、それからまだ入りそうならその時に決めようと思っているよ」

「解った」

「では先ずは一通り見て、それから買う物を決めてから分かれようか」

「了解」

「解りました」

「はーい!」

 各々が返事をすると、水伯が歩き出して皆がそれに付いて行き、露店を見ながら屋外座席に辿り着くと足を止める。

「これと言う屋台はあったかい?」

「俺はたこ焼きとマヒュキスとテキータトとアスーリュ・ミツミュー」

「僕はテキータトとアスーリュ・ミツミューとたこ焼き」

「私はマヒュキスとたこ焼きとアスーリュ・ミツミューとテキータトです」

「たこ焼きが三つと、マヒュキスが二つと、アスーリュ・ミツミューが三つと、テキータトが四つだね」

 水伯が纏めると皆が頷いた。

「それじゃあ俺が屋台が近いテキータトとたこ焼きを買って来るわ」

「それでは私がアスーリュ・ミツミューを買って来ますね」

 そう言って指を三本立てて見せた。

「私もマヒュキスを食べるとして、三つ買うとしようか。玲太郎もあれば食べるよね?」

「マヒュキスって何だった?」

「マヒュと言う鳥の唐揚げですね」

 透かさずルニリナが答えると、玲太郎の表情が明るくなった。

「あ、そうだった。ありがとう。僕も食べる!」

「解った。それでは三つ買って来るね。先に来た者が席取りを頼むよ」

「了解」

「解りました」

 三人は来た道を戻り、それぞれの商品を買いに行った。


 二人が担当の商品を買いに離れ、玲太郎と颯は一番遠い露店のテキータトから買いに向かった。

「テキータトを四つも持てるの?」

「魔術でどうとでもなるよ」

「なるほど」

 人が疎らではぐれる事もなさそうではあったが、颯は玲太郎を抱いたままだった。玲太郎も下りるとは言わなかったし、それ以前に下りる気は更々ないと示しているかのように、颯の肩に腕を回していた。

 露店の前に来ると、店員が顔を颯に向けた。

「いらっしゃい」

 髪は黒く、肌色の浅黒い青年だった。

「四つ下さい」

 そう言って、ズボンから出した財布を玲太郎に渡す。

「一つ五百金で、四つだと二千金です」

 玲太郎はそれを聞いてから、財布の中から大銀貨二枚出して、差し出されている颯の手に置いた。颯はそれを店員に渡すと、玲太郎が財布を返そうとした。

「たこ焼きも買うだろう? だから持っていて貰える?」

「あ、そうだった。持ってる」

 店員はその会話を聞きながら魔道具の円型の受け皿に置いてから頷く。

「ちょうどいただきます」

 そう言うと鍋の蓋を開けて、掻き混ぜてから紙製の湯呑みにテキータトを注ぎ、それぞれに蓋をしてから紙袋へ入れ、それから匙を入れて紙袋の口を閉めた。二人はその動作をつぶさに見ていた。

「お待たせしました。ありがとうございます」

 紙袋を颯の前に差し出すと、それを受け取った颯は笑顔になる。

「有難う」

「ありがとう」

 受け取った紙袋を玲太郎に渡し、颯は次の店へと向かった。

「湯呑みに入れる前に、良くかき混ぜてたね」

「そうだな。あれくらい掻き混ぜてくれると、具も浮いて来て沢山入ってそうだよな」

「そうだね」

 笑顔で返事をする。二人は既にたこ焼きの露店に視線が行っている。

「個数が選べるんだね。僕、何個にしよう……」

「ニーティは何個がいいんだろう?」

 露店の近くで足を止めてズボンの衣嚢から容器を取り出して、器用に片手で蓋を開けると音石を操作する。

「颯だけど、たこ焼きが八個、六個、四個、三個と選べるんだけど何個にする? たこ焼きが八、六、四、三個な」

「それでは四個でお願いします」

「解った、四個な。それじゃあ後で」

「はい」

 音石を操作して容器の蓋を閉め、ズボンの衣嚢へと戻した。

「四個入り一つと、八個入り一つと、玲太郎は?」

「僕は六個にする。父上と三個ずつ!」

「解った」

 頷いて歩き出し、たこ焼きの露店の前で足を止める。ここでは若い夫婦が遣っているようだ。

「八個入り、六個入りと、四個入りを一つずつ下さい」

「いらっしゃい! 毎度!」

 男の方が威勢良く言い、後ろの台にある、既に出来上がって積まれている箱を取り始めた。

「八個と、六個と、四個を一つずつですね。ありがとうございます! お代は八百金、六百金、四百金で千八百金になります」

 颯が紙袋を宙に浮かせ、玲太郎は財布の中を確認してから顔を上げて颯を見た。

「はーちゃん、小金貨しかない……」

「それでいいよぉ。ない時は仕方がないからね」

 女が笑顔で優しく言うと、玲太郎は小金貨を出して颯に渡す。

「金貨しかなくて済みません」

 颯が差し出すと、女が受け取った。

「いえいえ、お釣りは十分にありますから大丈夫です。ありがとうございます!」

「それにしても此処のたこ焼き、凄く安いね」

「ああ、和伍では小麦や野菜が値上がりしてるから、仕方なくこっちで仕入れたんですよ。そしたら、ニワカなのに問屋さんが凄く安くしてくれたんで、高く売れないなと思ってこの値段にしたんだけど、ありがたい事に売れ行き好調でね」

 男が紙袋に入れながら言った。

「へえ、そうなんだ。子供も小遣いで買えるから嬉しいだろうなあ。それで、蛸は和伍から?」

「タコは和伍の方が安いからね」

「お話し中にすみませんが、八千二百金のお返しです」

「ああ、有難う」

 受け取った硬貨をそのまま玲太郎に渡し、玲太郎が財布に入れて口を閉めた。

「いえいえ、こちらこそありがとうございます!」

 女が朗らかに言うと、男が紙袋を差し出した。颯はそれを受け取った。

「有難う」

「ありがとうございました」

 玲太郎が小さく辞儀をしている最中に颯が歩き出した。

「ありがとうございました!」

「また来年お越し下さーい!」

 そう後ろ姿に挨拶をしたが、それに紙袋が付いて行く。夫婦は顔を見合わせて、また紙袋へ目を遣った。


 二人が屋外座席に到着すると、既に水伯とルニリナが着席していた。颯はそこへ行く。

「お待たせ」

 紙袋を机に置き、それから玲太郎を下ろした。玲太郎は水伯の正面を陣取り、颯はルニリナの前に座った。

「大して待っていないよ」

 柔和な微笑みを浮かべて水伯が颯を見る。

「父上、たこ焼きは三個ずつだからね」

「解った」

 颯はテキータトが入った紙袋を先に開け、蓋を開けて匙を入れると、それぞれの前に配って紙袋を畳んで置き、次はたこ焼きを配った。玲太郎が手を出して来て、玲太郎に渡す。

「水伯は玲太郎が隣の方が色々と都合がいいんじゃないのか? 代わるぞ?」

「正面だから大丈夫だよ。有難う」

「ここの机はそんなに大きくないから、食べ物の交換もすぐ出来るよ。ね?」

 微笑んでいる水伯が頷く。

「そうだね。それでは私が買って来たマヒュキスね」

 そう言いながら箱を配る。ルニリナもアスーリュ・ミツミューの箱を配った。

「有難う。それでは頂きます」

 最初に言ったのは颯だった。全ての箱の蓋を開け、突き匙を持ってどれから食べるか悩んでいるようだった。その間に三人も挨拶をし、玲太郎はたこ焼きを爪楊枝で半分にして息を吹き掛け、水伯はマヒュキスを頬張り、ルニリナは颯同様に悩んでいた。

「美味しいね。マヒュがこれだけ美味しいと、密猟も止まらないよね」

 アスーリュ・ミツミューを切り分けているルニリナが顔を上げた。

「そうですね。野鳥の方はもうそろそろ準絶滅危惧種になりそうです」

 たこ焼きを頬張っている颯は「ふうん」と言って、熱そうに咀嚼して飲み込んだ。

「このたこ焼き、美味しい。なんでこんなに美味しいんだろう?」

「だよな。俺も驚いたわ」

「私にも一個」

 マヒュキスの箱を玲太郎の方に寄せると、玲太郎が一個入れた。水伯はそれを頬張る。

「うん」

 咀嚼しながら頷いている。それを見たルニリナもたこ焼きに手を伸ばす。

「これは美味しいね。昨日は別の露店のたこ焼きだったけれど、あれは外れだったのだね」

「あれはあれで美味しかったから、ハズレじゃないのよ。でもこっちを食べちゃうと、昨日のはなんだったんだろうってなっちゃう」

「これは美味しいですね。たこも出汁が出るのですか?」

 水伯がルニリナに顔を向ける。

「ああ、それだね。出汁を別に入れているのではないだろうか」

「成程」

 颯が頷くと、ルニリナが水伯からたこ焼きに視線を移した。

「そういう事ですか。どの出汁を入れているのでしょうね?」

「俺には判らないけど、まあ、無難な所は鰹出汁だろうなあ……」

「美味しいから、これを土産に買って帰ろう」

「父上、八個、六個、四個、三個だからどれにする?」

「四個を二百四十箱だね。私は注文をしてくるから、申し訳ないのだけれど暫く席を外すね。玲太郎、これも食べられるだけ食べておいて」

「分かった」

 立ち上がるとアスーリュ・ミツミューの箱を玲太郎の傍に置いた。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 颯が言うと、水伯が返事をして足早にたこ焼きの露店へ向かって行った。玲太郎は気にせず、たこ焼きを頬張って咀嚼をしていた。颯とルニリナはその背を見送る。

「二百は多いですね……」

「騎士団や家人に差し入れをするんだろうなあ」

「優しい領主様ですよね」

 颯はルニリナに微笑み掛けると、ルニリナも微笑んだ。咀嚼していた玲太郎の動きが止まったが、眉を顰めて視線を逸らし、咀嚼を再開する。

 五分もしない内に水伯が戻って来て着席する。

「只今」

「お帰り」

「お帰りなさい」

「おかえり。早かったから、まだたこ焼きを食べ切った所なのよ」

「そうなのだね」

 柔和に微笑むとアスーリュ・ミツミューが入った箱を寄せ、湯気が立つほどに温めた。それに突き匙で半分に切り分け始める。

「たこ焼きの箱を貰えるかい?」

「うん」

 水伯の分が入っている箱を水伯の方へ置く。

「有難う」

「どういたしまして」

 半分をたこ焼きの箱へ移して自分の方へ置き、残りの半分が入った箱を玲太郎の方へ置いた。

「温めた所だからね」

「うん、ありがとう」

 玲太郎は箱を手前に置き、箱に入っていた突き匙を手にした。嬉しそうに切り分け始める。

「水伯、二百箱でどれくらい掛かるって?」

「焼くのに約十分、箱入れに約五分として、約十五分で三十五人前だから、約一時間二十分は最低でも掛かると言われたから、それまではゆっくりと食事をしようね」

「はーい!」

「そんなに掛かるんだ。……まあ当然か」

「申し訳ないのだけれど、私に食事をさせてね」

「ああ、どうぞ。食べて」

 颯が笑顔で言うと、水伯が柔和に微笑んで頷き、アスーリュ・ミツミューを切り分ける。颯は口一杯に頬張って咀嚼をしている玲太郎を見てからマヒュキスを頬張った。ふと視線を上げると、ルニリナと視線が合う。微笑み合うと、どちらともなく手で口を覆って話していた。


 屋敷へ戻ると、先に戻っていた明良が居室で退屈を極めていた。玲太郎が居室に来た途端に表情を明るくさせた。玲太郎に続いて颯が入室をしたが、丸で視界に入っていないかのようだった。

「兄貴、ばあちゃんとお父様を送ってくれて有難う」

「礼を言われる程の事ではないよ」

 そう言うと、明良が座っている長椅子を通り過ぎ、水伯の定位置の隣の一人掛けの椅子に座った玲太郎を見て悲愴な表情をした。そんな明良の隣に颯が座り、机に紙袋を置いた。

「あれ? 水伯は?」

「今、騎士団の寮に差し入れをしに行っているよ。ディモーン先生とか他の家人の所へも行っていると思う」

「そうなのだね。ルニリナ先生は?」

「玲太郎がいたから、先に王都の屋敷へ送った」

「成程。それでそのお土産は誰の物?」

 明良は紙袋に視線を遣ると、颯も同様にした。

「俺。昨日の焼きそばと同じだって言うから買って来た。五箱買って来たから、兄貴もいるなら食べるか?」

「何箱くれるの?」

「二箱までなら」

「それでは二箱貰うね」

「え? 一箱は僕のじゃないの?」

 眉を顰めて会話に入って来た玲太郎を二人が見た。

「いるかどうかを訊いたら、いらないって言ったのは自分だろう?」

「それでは私の一箱を上げるよ。それでよいだろう?」

「あーちゃん、ありがとう!」

 嬉しそうに言うと、釣られて明良も笑顔になる。

「兄貴は渡さなくていいぞ。玲太郎はあの時にいると言えば良かったんだよ」

 そう言いながら、紙袋から一箱取り出して玲太郎の方に置いた。

「あの時はすぐ食べる事しか考えてなかったんだもん」

 置かれた箱を不思議そうに見てから颯に視線を移す。

「こうなる気がしたから一箱多目に買っておいたんだよ」

「はーちゃん、わかってるぅ。ありがとう!」

 感心しながら言うと、颯は苦笑しながら二箱を明良の方に置いた。

「それにしても、あの地区の露店と屋台は当たりだな」

 颯が話題を切り替えた途端、玲太郎の表情が明るくなる。

「そうでしょ。王都より絶対によいよ」

「それでは来年も行こうね」

 明良が透かさず誘うと、玲太郎が笑顔で頷いた。

「うん!」

「とは言えども、毎日は無理だよ?」

「じゃあ初日と最終日はそこにして、間は別の所へ行こうよ。美味しい所を探したい」

「そうだね、それはよいね。そうしよう」

 来年の約束を取り付けられた明良は、満足そうに笑っている。

「ばあちゃんとお祖父様は建国祭が終わっても王都にいるんだよね?」

「そうだな。連休最終日の火の曜日に帰って来るよ。玲太郎は俺と寮へ戻るんだぞ?」

「うん、分かってる」

「颯」

 明良が俄に横目で颯を見た。颯は眉を顰める。

「俺かよ。……仕方がないなあ。何が飲みたい?」

「私は紅茶をお願い」

「僕、あの蜂蜜入りの梅干しで梅湯にして貰ってもよい?」

「あれな、解った」

 立ち上がり、足早に退室した。玲太郎はその後姿を見ていたが、明良はそんな玲太郎を凝視している。視線に気付いて明良を見た玲太郎が笑顔になる。

「どうかしたの?」

「何時でも、どのような時でも、玲太郎は可愛いなと思ってね」

 そう言うと満面の笑みを湛えた。玲太郎は言葉が見付からず、笑顔で沈黙していた。

「建国祭は今日で終わりだけれど、何日が一番楽しかった? 二日目? 三日目?」

「今日! 今日が一番楽しかった。玉子とじうどんが美味しかったでしょ。それにたこ焼きも美味しかったのよ。露店によって味が違うんだね」

「そうだね。私もアスーリュ・ミツミューを別の所で買ったら、味が違ったもの。使っている魚が違っているのか、若しくは味付けが違っているのか、少し甘味が強くて…、うん、私の口には今日の方が合ったのだろうね」

「ふうん? 僕もアスーリュ・ミツミューを食べたけど、そこまで味わわなかったのよ。美味しいとしか思わなかった」

「元々が美味しいからね」

 微笑むと、玲太郎も微笑む。

「それにつけても、水伯が差し入れに選んだ物は何?」

「たこ焼き。凄く安かったんだよね。あのね、八個で八百円、六個で六百円、つまり一個百円なのよ」

「あ、何処の露店か解った。安かったから買おうとしたら、大量注文が入っていて申し訳ありませんって言われたのだよね」

「あはは。絶対にそこだね」

「それではもう買えるよね。行って買って来ようか……」

 明良が真剣に悩み出した。

「あ、それなら僕も一緒に行く」

「そう? それでは行こうか」

「うん!」

 二人は立ち上がり、玲太郎の方が先に明良の下へ行った。明良は無言で玲太郎を抱き上げると、直ぐに瞬間移動した。

 颯が茶を持って入室すると、二人はたこ焼きを頬張っていた。颯は最初、焼きそばを食べているのかと思ったが、近寄って改めて見るとたこ焼きだった。

「うわ、若しかして、若しかしなくてもあの露店のたこ焼きじゃないのか?」

「そうだよ。颯にも買って来てあるよ」

 手で口を覆った明良が言うと、颯は茶を配り、回り込んで長椅子に座った。盆ごと机に置いて、たこ焼きの入っている箱の蓋を直ぐに開けた。

「八個にしてくれたのか。有難う」

「どう致しまして」

 早速頬張って、嬉しそうに咀嚼をしている。水伯が戻って来ると、水伯もたこ焼きを食べ出して、四人は舌鼓を打った。

 玲太郎はこの五日間の中で、今日という日が番楽しかったし、一番充実していたように思った。そのお陰かどうかは知らないが、夜は熟睡し、夜中に厠へ行く為に起こされても全く起きず、水伯の手を煩わせたのだった。

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