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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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閑話 しかしてカラネイは死なば諸共

 カラネイ家に子が誕生したのは、玲太郎の誕生より二年早い春の日差しの強い日だった。既に七歳になる長子がいて、次子の誕生に喜んだ者は只の一人、「ようやくお腹から出てくれた」と母が喜んだのみだった。

 そのカラネイ家は、その子の祖父が中央文官で侯爵位まで上り詰めた成功者だったが、それでも家族として機能している部分が薄い所為なのか、長子の出来がよい所為なのか、次子且つ女の子だった所為なのか、兎にも角にも興味を持たれなかったその子は、ティダ・セヨナ・カラネイと名付けらた。

 産まれて直ぐに乳母が付けられたが、彼女は必要最小限の世話しかしなかった。家の者が誰も様子を見に来ないのだから、そうなってしまう事は至極当然だったのかも知れない。

 ティダの物心が付く頃には、家族と顔を合わせない一日を送る事が常となっていた。


 この日もいつもと変わらない朝の始まり、不機嫌な顔をした乳母に指示をされ、言われるがままに朝支度をする。そして、硬い麺ぽう、冷めた擂り流し、垂れの掛かっていない生野菜を少々と、これもいつもと変わらぬ朝食だった。食後もいつもと同様、表紙の擦り切れている絵本を開き、漫然と絵を眺めた。

 しかし、いつもと違い、午後の間食前に生まれて初めての来客があった。開け放たれた扉から入って来たのは、金髪碧眼に白い肌をした麗人で、中黄ちゅうき色の服を身に纏い、鮮烈でディタの目を惹いた。父の黒髪と、母の茶色の目を受け継いでいたティダは、常日頃から乳母に「地味な見目」と言われ、それを自覚させられていただけに、幼いながらも自分と正反対である麗人の派手さに心を奪われてしまったのだ。

「まぁ、なんとも愛らしいお嬢様ですわね」

 そう言ってティダに微笑み掛け、膝を折って辞儀をした。その所作の美しさもまた、ティダの目を惹いた。

「わたくしはロレース・モマン・シギと申します。ティダ様が本日四歳になりましたので、礼儀作法の教師として雇われましたの。今日からよろしくお願いいたします」

 生まれて初めて自分の誕生日を知ったティダは衝撃を受け、シギの言っている事を理解出来なかった。呆然としているティダを見たシギが笑顔になる。

「驚かれているご様子ですが、いかがなさいました?」

「……?」

 今度は不思議そうな表情をした。シギは微笑んで頷く。

「何か、わたくしに言いたい事がございますでしょうか?」

 そう聞かれたティダは、いつもと違ってすまし顔になっている乳母を一瞥する。上目遣いでシギを見ると、言い難そうに口を開いた。

「あの、……おとなは、わたしに、いやなきもちになることをいうの。でも、あなたはいわない。どうして?」

 シギは微笑みながらも乳母を睨み付けた。

「そういう事をする大人は、大人になり切れていない子供なのです。体だけ大人で、精神はティダ様と同じ、変わりないという事ですわね」

 乳母は顔色を変え、シギを睨み付けた。二人はしばらく視線を戦わせていたが、シギは微笑みを崩さなかった。

「ようございます。わたくしが過ごしにくくなるのは困りますので、この事はラーサ様にお伝えして、わたくしが過ごしやすくなるようにいたしましょう」

「らーささま?」

「わたくしの雇い主ですわ。ティダ様はこれから毎日わたくしと過ごして、礼儀作法を学んでまいりましょうね」

「れいぎさほう?」

「そうです。あの乳母のようになりたくございませんでしょう?」

「あれはいや」

 ティダにしては珍しく、自分の意見を述べた。乳母はそれを睨み付けたが、ティダには見えていなかった。それに反して、シギは優しく微笑んで頷いた。


 乳母との少ない会話、地味な衣類、味気ない食事、少ない絵本、小さな庭で短時間の散歩、約十六畳の自室、幼いティダの日常はそれだけだったのだが、シギが来てからは生活に革命が起きた。

 先ず、乳母は解雇され、その代わりに侍女が付いた。専属ではなかったが、あの乳母より何万倍も良かった。侯爵令嬢として似付かわしくない衣類も、それらしい物に入れ替えられた。食事も今までとは違い、大人と同じ物が出されるようになり、その都度シギから食事時の作法を学んだ。間食も、好天の日は庭にある小さな四阿あずまやで摂る事もあった。絵本は、挿絵が多目の児童書に変わった上に数が増え、半分しか判らなかった文字も覚え、単語も毎日少しずつ覚えて行った。

 ティダはシギに気を許し、そして慕った。シギのいる日々はとにかく楽しかった。白い頬を桜色に染めて笑う様子は、筆舌に尽くし難い程に大好きだった。ティダはその笑顔を見る為に沢山話し掛けた。


 そして今日もまた快晴で、四阿に間食の用意をして貰い、二人で会話をしながら軽食を楽しんでいると、シギの存在をうとむ者が来訪する。父方の祖父母が同居していたのだが、祖父がその派手な容姿を毛嫌いし、四阿で間食を摂っている時は必ずと言ってよい程、邪魔をしに来た。

 そして「誰の許可を得てここで食事をしているのだ?」、「お前の身に着ける物は色が奇抜だから目障りで仕方がない。外に出るなら庭に見合った色の服を着ろ」、「どうした? 何故反論をしない? 囀る口を落として来たのか」などとシギに向かって言うのだった。

 殆どが白髪となっているこの老人は、横柄な物言いで人を不快にさせる事が得意なようだった。毎度の事ながら、淡褐色の目でシギを値踏みするかのように見ている。楽しい時間が苦痛の時間へと変えるこの老人が、ティダは大嫌いだった。

 シギは何を言われても微笑みを絶やさず、沈黙して遣り過ごしていたが、祖父の視界に入っていないティダが二ヶ月もしない内に心が折れてしまい、間食を四阿で摂る事はなくなってしまった。シギの雇い主である祖母はそれを窓から眺めているだけで、注意をする事はなかった。


 五歳になると教養と共通語の家庭教師を付けられ、シギと過ごす時間は短くなったが、日の曜日はビセッチ教の教会へシギと共に出掛ける許可が出て毎週通い始めた。ビセッチ教は創造主を信仰し、世界一の教徒数を誇っていて、ナダール王国でも多くの人にビセッチ教が支持されていた。

 教会で同じ貴族でありながら仲良し親子を見る機会が増え、ティダは自分の家のおかしさに気付き始めた。自分に無関心な家族、それも全員がそうで、使用人の態度も悪い。幼くとも思う所はあった。しかし、ティダにはシギがいる。シギが傍にいる事で誇れた。

 そのシギの美貌は教会でも問題となった。紳士からは持て囃されたが、同性である貴婦人から忌み嫌われ、一緒にいたティダも遠巻きにされる事となった。ティダとしては外出できる唯一の日であった事から、教会を変えて尚も通い続けていた。

 この頃になると、侍女から兄の話を良く聞かされるようになっていた。ティダと違い、祖父母や両親と共に食事を摂っている事、将来を嘱望されている事、自分が蔑ろにされている存在である事などを知った。ティダはシギがいる限り、それで平気だったし、寧ろどうとも思わなかった。


 ティダが六歳になる直前、手洗いの帰りにシギと会えればと思い、遠回りをして部屋に戻っていると、シギがどこかへ向かっている所に遭遇した。好奇心から気付かれないように付いて行き、誰かの部屋へ入って行く様子を目撃する。そして、その部屋の扉を本の少しだけ開け、中から聞こえて来る声に首を傾げていた。相手はティダの兄のようだった。

 ティダはそれ以来、夜になるとシギの居場所を探した。時には祖父、時には父、と、大抵誰かの私室にいる。そして決まって兄の時と同様の声が聞こえて来る。毎度ながら怪訝そうに聞き耳を立てて、二人で何をしているのか、幼い思案を巡らせた。

 ある日、父の私室の前で、そんなティダの肩に手を置く者がいた。祖母だった。これが祖母との初対面で、驚いた表情のティダに莞爾として頷く。

「付いてお出で」

 ティダは大人しく従い、祖母の私室へ初めて招かれた。そして遣られた事は、鞭打ちだった。

「馬鹿な男共の血を引いて、なんと嫌らしい事か! 覗き見をするなど、恥を知りなさい!」

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいぃっ」

 涙で頬を濡らし、何度謝っても許して貰えず、容赦なく打たれた。結局尻を二十六発も打たれ、数日は難儀する事となった。その痛みを感じる度に鞭打ちの事を思い出し、ティダはふと思い至った。

(おばあ様があそこにいたという事は、おばあ様もあれを見にいらしたという事ではないの?)

 その疑問が浮かんだ時、あの鞭打ちが理不尽な八つ当たりである事を悟った。それからは祖母に対する憎悪を胸に抱き、後ろにも気を配りながらシギの様子を窺った。


 六歳になって三ヶ月が過ぎたある日、ティダはいつものように張り込み、シギがいつもと違う廊下を歩き、祖母の私室へ入って行くのを目撃してしまった。ティダは首を傾げて扉の前へ行き、耳を澄ませた。

「ラーサ様、お約束通り、ヨーゴ様と関係を持ちました。それももう一年になりますから、そろそろお役を解いて頂きたく存じます」

(ラーサはおばあ様、ヨーゴはおじい様よね。かんけいを持つとはどういう意味なのかしら?)

「若い頃のわたくしに良く似ているあなたですから、主人があなたに手を出す事は判っていました。だけれど、モッカモゼまで籠絡しろとは言っていないわ。契約違反よ」

「だからでございます。ソウン様に知られる前に、ここを出とうございます。モッカモゼ様はとにかくしつこくていらっしゃいまして、始まりは無理やりでございました。ほとほと困り果てておりますの。このような殿方がいらっしゃるのなら、最初に仰って頂きたかったですわ」

 いつもの優しいシギの口調とは打って変わって、毅然としていた。

(モッカモゼはお父様、ソウンはお母様ね。お母様に知られてはまずい事をやっているという事ね。でもシギ先生はおばあ様とは仲が良かったのね……。どういう事なのかしら?)

「モッカモゼが、父親の悪い所を受け継いでいた事に気付けなかった事は、本当に申し訳なかったわ。よろしいでしょう。近日中に出て行けるように手配いたします」

「……それで、裁判に訴えられるのですね?」

「主人と別れる為にあなたを雇ったのですもの。当然ですわ。証言をよろしくお願いしますね」

 扉の外で、自分の為に雇われた訳ではなかった事を知ったティダが衝撃を受けていた。

「そういうお約束ですもの。きちんと証言いたしますとも。誘惑などせずとも、あちらから手を出した事は事実ですから」

「あなたは昔のわたくしに良く似ていますから、手を出す事は当たり前の事だったのです」

「ヨーゴ様は女好きでいらっしゃり、あのお年でもわたくしに手を出す程にお元気でいらっしゃいますから、離縁なさる機会は多々ございましたでしょうに」

「死ぬのを待っていたのですよ。でも死なない上に娼館通いが増え……、わたくしももう我慢が出来なくなりました。四度目の不義の際に離縁しておけば良かったと、今更ながらに後悔しておりますわ」

 ティダは知らない単語を、頭の中で何度も唱えながらその場を去った。途中からは駆け足になり、急いで図書室へ向かった。ティダは籠絡と娼館と不義と離縁の意味を知ったその日の夜、寝台で横になっても天井を見ていた。

(おじい様は、わたくしの間食時にわざわざ来て、シギ先生と仲良くなりたかったのね。あれで好きになってもらえるとでも思ったのかしら。……それにしても、おばあ様がそうなるように、シギ先生をやとっていたなんて。それならどうしてあの時、ムチでわたくしをぶったのかしら……。でも、こうなったら、これですませるわけにはいかないわ。ムチでぶったむくいを受けてもらうわ)

 決意して目を閉じ、就寝した。


 翌日、ティダは朝食後、侍女に頼んで母の私室へ連れて行って貰った。

「お母様、おはようございます。お時間をさいていただき、ありがとうございます」

 膝を折って辞儀をした。

「何かご用かしら?」

 母とは初対面だったが、緊張する事はなかった。ティダは自身を産んだ女を見据える。

「まずはじじょをさがらせてください」

 その真剣な面持ちを見た母は頷く。

「よろしいでしょう。皆、お下がりなさい」

 侍女二人が辞儀をすると部屋を出て行った。ティダは少し間を置いてから口を開く。

「シギ先生が、お父様と不義の関係にございます」

 初めて話す娘から語られたのは、信じ難い事実だった。一笑に付そうとした所、ティダは続けた。

「シギ先生はお父様だけではなく、おじい様、お兄様とも関係をお持ちです」

 母は大笑いした。一頻ひとしきり笑って、ティダの傍に行き、見下ろした。

「あなた、そこまでしてわたくしの気を惹きたいの?」

「おばあ様が、おじい様と離縁なさるため、シギ先生をやとい入れたのです。ですが、シギ先生の美しさに、おじい様も、お父様も、お兄様も、わたくしもむちゅうになってしまったのですわ。わたくしは体の関係は持っておりませんが、おじい様や、お父様、お兄様と同じように、好きになっておりますの。シギ先生がおばあ様に、モッカモゼ様はとにかくしつこくて、始まりは無理やりで、ほとほと困り果てておりますと申しておいででした。おばあ様はシギ先生にあやまっておりました。わたくしの言いたい事は以上です。それでは失礼いたします」

 言いたい事を言うと、膝を折って辞儀をして開扉した。

「待ちなさい」

 ティダは振り返ると閉扉した。

「なんでしょう?」

「あなた、何故その事をわたくしに話したの?」

「先ほども申しましたが、わたくしはシギ先生が好きですの。先生をお守りするためなら、なんでもやるつもりです。裁判で証言しろとおっしゃるのでしたら、知っている事を全て証言いたします。でも、お母様にだけは言っておこうと思いましたの。同じ女性ですから。わたくしのいう事を信じられないと思いますが、掃除をしている下女にきけば、すぐに分かる事ですから、ウソいつわりなく、全てをお話しいたしました。それでは失礼いたします」

「待ちなさい」

 辞儀をしようとしたティダは顔を母に向けた。

「あなたは何故そういう事を知っているの?」

「はしたない事ですが、おばあ様がのぞき見をしておいでだったのを見まして、まねをいたしました。わたくしのシギ先生をないがしろにする男どもがきらいなのです」

 辞儀をしようと目を伏せた所、ふと思い出した事があった。

「……そうでしたわ。シギ先生はおばあ様の若いころに似ておいでだそうですわ。そうなりますと、おじい様も、お父様も、お兄様も、わたくしも、若いころのおばあ様にむちゅうという事になりますわね」

 ティダは口にした事で、急激にシギに対する燃え上がっていた物が冷めて行った。冷めたと言っても完全になくなった訳でもなかった。そして母に一瞥をくれると、また膝を折って辞儀をした。

「失礼いたします」

 退室すると、母を一瞥した時に見た、苦渋に満ちた表情を思い出し、口元が少しだけ綻んだ。


 二日後、午後の間食前にシギが神妙な面持ちで来室した。ティダは不思議そうにシギを見た。

「シギ先生、どうかなさったの?」

 ティダの傍でひざまずき、視線を合わせると微笑んだ。

「明日の朝にお暇する事が決まりました。二年と三ヶ月という短い時間でしたが、あなたはとてもよい生徒でした。覚えも良く、これからが非常に楽しみでしたが、傍にいて見守る事が出来ません。この家での生活はつらいかも知れませんが、これからもどうか勉強を頑張ってくださいね。そうすればきっと世界が開けます」

「今日はもう授業はなさってくださらないのですか?」

 シギは寂しそうに微笑むと、小さく頷いた。

「申し訳ございませんが、授業はもう終わりですわ。荷造りがございますし、夕食はラーサ様にお誘いを受けましたので、そちらで頂きます。ですから、明日の朝食はご一緒出来ますわ。二人の最後の朝食ですわね」

 ティダは美しいシギの微笑みを見て、心底嬉しそうに笑顔になった。

「わかりました。あすの朝、楽しみにしております」

 次の瞬間、視線を落として落胆した。

「……ですが、急な話で、どうしてよいのか分かりません。本当にここにはいていただけないのですか?」

 真っ直ぐに見つめて来るティダと視線を外さずに頷いた。

「ごめんなさいね。それでは明日の朝食はご一緒しましょうね」

 申し訳なさそうに言った。その表情もやはり美しく、ティダはその顔をいつまでも見ていたかった。しかし、シギは立ち上がり、膝を折って辞儀をすると退室した。ティダは眉をしかめて、閉じられた扉を暫く見詰めていた。


 ティダの夕食後は入浴まで時間を潰すべく、いつも読書をして過ごしている。今日もそうしていたのだが、侍女が遣って来てティダを食堂へ連れて行った。

 初めて訪れた食堂は約二十畳の広さで、十人掛けの食卓が中央にあった。そして祖父母と両親と兄がいて、シギがいなかった。無表情で膝を折って挨拶をした。

「ティダがまいりました」

 祖父は顎で侍女に合図を出し、侍女は辞儀をして退室した。それを確認してから祖父がティダを見る。

「お前の趣味は覗き見だそうだな?」

「はい。おばあ様がやっていらっしゃるのを見て、やってよいものだと思いましたので」

 祖父は祖母に厳しい視線を投げた。祖母は涼しい顔をしている。

「この年で虚言癖か。そこまでして気を惹きたいのか。で、お前はどこを覗いたのだ?」

「おじい様、お父様、お兄様のお部屋です」

「何を見たのだ?」

「これ以上は裁判で証言いたします」

 祖父は顔を顰めた。

「何?」

「わたくしが見たものはお母様に話しました。ですので、ここでは話しません」

「裁判などしない」

「そうですか。それは残念です。ですが、おじい様とシギ先生のやりとりは、裁判の際にお話しいたします」

 ここまで冷然として祖父から視線を一切外さずにいたティダは、膝を折って辞儀をすると背を向けた。

「待て。戻っていいとは言っていない」

 ティダは振り返り、祖父を睨み付けた。

「どうしてもどってはいけないのでしょうか?」

「お前の教育は今日で全て終わりにする。謹慎するといい」

「わかりました。それでは失礼いたします」

 開扉して退室しようとして侍女三人が廊下で待機しているのが目に入った。ティダは歩みを止めた。

「わしがこの年まで生きておったのは、お前をはらませるためだったのだな。今夜もたくさん種をうえてやるぞ」

 大声で言い、扉を開けたまま振り返った。祖母に冷ややかな視線を向けられた祖父は顔色を変えて項垂れ、それを見ると父に視線を向ける。

「もうつまは女に見えない。あれはただのおばさんだがお前はちがう。わたしの子を生め」

「なっ……」

 父が思わず声を漏らした。祖母と母が父を睨み付ける。

「ああ、ロレース様、父のきたならしいかんしょくを忘れさせてみせますから、ぼくのものになってください。やくそくどおり、父との関係はだれにも話しませんが、また来てくださいますね。……ようやく来てくださったのですね。あやうく母に口をすべらせる前で良かったです」

 兄の真似をして言い切ると無表情に戻った。祖母と母は兄に視線を向けず、険しい表情をするのみだった。

「シギ先生をけがしたばつを受けるとよいのだわ」

 淡々とした口調で言った。祖父が、息子はおろか、孫まで同じ女と肉体関係を持っていた事を知り、頭を両手で抱えた。

「わたくしの家庭教師が来なくなったら、この話をどんな手を使ってでも広めます。では、今度こそ失礼いたします」

 退室して、扉を閉めずに食堂を後にした。


 翌朝、侍女が遣って来て朝支度をし、着替えを手伝って貰う。

「ティダ様は本日より謹慎と伺っております。家庭教師はお出でになるそうですから、その前に掃除をしに参ります。それでは朝食をお持ちいたします」

 退室際にそう言った。

「待って。シギ先生の分も一緒におねがいするわね」

「それは既に伺っております。では」

 閉扉せずにそのまま行ってしまい、ティダが閉めに行くと、シギが入室して閉扉した。初めて会った時に来ていた、中黄色の服を着ていた。膝を折って辞儀をする。

「ティダ様、おはようございます」

 いつと変わらない笑顔だった。ティダは安心して頬が緩む。

「おはようございます」

 朝から綺麗な顔を見られて、機嫌の良くなったティダが満面の笑みを浮かべた。二人で窓際に置かれている机へ向かう。それぞれが椅子に座り、沈黙の中で見詰め合っていた。

「ティダ様は、わたくしが夜にしていた事をご存じだったのですね」

「はい。二階の図書室へ本を取りに行った時、おばあ様がおじい様の部屋の前にいらして、べつの日からその真似をしておりました」

「そうですか。……気持ち悪いと思われなかったのですか?」

「気持ちがわるいのは男どもです。先生の事は気持ちわるいと思いませんでした」

 シギが寂しそうに微笑む。

「男共などというお言葉は、お使いにならない方がよろしいですわね」

「……はい」

 シギは窓の外に顔を向けた。

「この二年、楽しかったですか?」

 そう聞いたのはティダだった。シギはティダに顔を向けると微笑んだ。

「ティダ様とご一緒の時は楽しかったですわ」

「うちに来たばっかりに、こんな事になってしまって申しわけございません」

 小さく辞儀をして、そのまま頭を下げていた。

「お顔をお上げください。ティダ様のせいではございませんわ。欲を抑えられない未熟な方が悪いのですから」

 頭を上げてシギを見詰めると、シギは微笑んでいる。

「シギ先生は、ああいった事になれていらっしゃるのですか?」

「慣れてはいませんわ。なにせ無理やりですから。わたくしの気持ちはそこにありませんもの。けれど、相手に満足していただかないと終わっていただけませんから、相手によっては演技が必要ですの。それには慣れましたかしら……」

 そう言って微笑む。

「ティダ様にお話しするのは早い内容でしょうか。ですが、いつかはティダ様もご経験なさるでしょうから申しておきますわ。どうかわたくしと違って、愛のある関係を築いてくださいませね」

「愛のある……」

 神妙な面持ちになり、シギを真っ直ぐ見詰めた。丁度そこへ扉を叩く音がして開扉され、朝食が運び込まれた。二人は一緒に摂る最後の朝食を静かに味わった。

 謹慎を言い渡されていたが、シギを見送りに門扉まで行った。見送るのはティダと侍女の二人だけだった。門扉の前には乗客送迎箱舟が来ていて、シギは笑顔で膝を折って辞儀をするとそれに乗り、箱舟が動き出すと、ティダが見えなくなるまで手を振ってくれた。ティダは生まれて初めて涙を流した。


 それから二ヶ月後、祖母が本当に裁判を起こした。そしてティダが証言台に立つ事となった。傍聴席が百席あり、全席が埋まっていた。

「国王へいかにちかって、真実のみを口にします」

 証人台にて右手を肩の位置に挙手して宣誓すると、祖母の弁護士から質問が始まった。弁護士は中年で少し若く見えた。

「貴方のお祖父じい様のヨーゴ・ケスマン・カラネイ様と、貴方の家庭教師であったローレス・マモン・シギ様の関係を知ったのはいつですか?」

「五ヶ月前くらいだと思います」

「二人はどういった会話をしていましたか?」

「おじい様が、シギ先生に好きだとか、きれいだとか、種をうえてやるぞとか、気持ちがいいとか、後はほかの人とくらべて、ここがこんなにきれいな人は初めて見るとかおっしゃっておりました。そして次のお約束をしていました。シギ先生は、祖父の時はとくに何も言っておりませんでした」

 弁護士は中年だったが、六歳の小娘からそんな言葉が出て来るとは思っておらず、困惑した。傍聴席もどよめいている。

「そ、そうですか。有難うございます。お祖父様は、貴方のお祖母ばあ様のラーサ・トモナ・カラネイ様の事を、何か言っていましたか?」

「おじい様はシギ先生にいつも、アンより美しい顔だとか、エイミーよりちぶさが大きいとか、サンドラよりはだがきれいだとか、そうやってくらべておいででしたが、おばあ様の名前が出た事は一度もありませんので、分かりません」

「それ以外にお祖母様の話をするといった事は、本当に一度もありませんでしたか?」

「ございません」

「ラーサ様と別れて、シギ先生と一緒になりたい、といったような事は言っていませんでしたか?」

「いつもとちゅうで部屋へもどっておりましたので、それは分かりません」

「それでは何故二人がそういう話をしている所を見るようになりましたか?」

「二階にある図書室へ行くには、おじい様の部屋の前をとおらなければならないからです」

「そんなに夜遅くまで起きていたの?」

「わたくしは、小さいころからほうちされていました。育児ほうきというものだとシギ先生から教えていただきました。乳母はいましたが、いつもイヤな事しか言わないし、たまに庭でさんぽをする以外は部屋でいました。でも夜おそくになると乳母がいないし、人に見つからなければすきに家の中を見て回れるので、それでおそくまで起きていました」

 また傍聴席がどよめいた。弁護士は咳払いをすると、ティダを見る。

「寝惚けていた、という事はないのでしょうか?」

「ねぼけるとはどういう意味でしょうか?」

「眠くて、頭がぼんやりしている事です」

「それはないです。夜もはっきりしています。毎日二十九時までは起きています」

「そうですか。有難うございます。それにしても、お祖父様が言っていた事を、良く覚えていましたね。どうやって覚えていたのですか?」

「会話を聞いて、おぼえていられないと思ったので、部屋に戻ってちょうめんに書き出して、それを毎日読んでおぼえていました」

「何故帳面に書き出していたのですか?」

「初めは意味が分からなかったので、言葉の意味をしらべるために書いていました」

「例えば、どの言葉を調べましたか?」

「籠絡、不義、娼館、離縁、口付け、下の口、しごく、横れんぼ、情をつうじるなど色々です。意味が分からないままのものもあります」

 弁護士は予想外の言葉が並べられて思考停止していた。裁判長が咳払いをして視線を弁護士に遣り、ほぼ全員が弁護士を見ていた。暫くして漸く我に返った弁護士は険しい表情をしていた。

「解りました。有難うございました。話は変わりますが、お祖父様とお祖母様の仲はどうだったかは知っていますか?」

「先ほども申しましたが、いじわるな事を言う乳母はいましたが、家族からは育児ほうきをされていました。シギ先生が家に来られるまで、一日のほとんどを部屋で過ごし、たまに庭をさんぽするくらいで、家族のだれとだれの仲がよいとかわるいとか、知る事はできませんでした」

「解りました。お祖父様とお祖母様が一緒にいる所を見掛けた事はありますか?」

「部屋でほとんどの時間をすごしているのに、どうしてそういう二人を見かけると思えるのか分かりませんが、見かけた事は一度もございません」

「大変良く解りました。先程言っていた、忘れないように帳面に付けていたそうですが、その帳面を見せて欲しいと言えば、見せてもらえますか?」

「国王へいかになら仕方がないので見せます。それ以外はイヤです」

「何故ですか? 何故見せたくないのですか?」

「シギ先生がいじめられていた事も書いているからです。わたくしはシギ先生をわるく思われたくないので、見せたくありません」

「そうですか。有難うございました。私からは以上です」

 茶髪に白髪交じりの裁判長に深々と辞儀をすると、祖母の隣へ戻って行った。ティダは視線を裁判長へ向けると、裁判長は祖父の隣にいる老齢の男に顔を向けた。

「被告人の代理人も質問があればどうぞ」

 ティダはその老人に視線を向けた。老人が立ち上がり、ティダの近くに歩いて来た。

「あなたは覗き見をしていたそうですが、何故覗き見をするようになったのですか?」

「おばあ様がしていらっしゃったので、わたくしもしてよいものだと思いましたが、おばあ様に見つかった時に、ムチで何度も何度もお尻をぶたれ、その時にわるい事だったと知りました。ですが、おばあ様もしていらっしゃる事でしたので、やめられずにつづけました」

「成程。そうですか。それではお祖母様は、お祖父様がシギ様と男女の関係にあった事をご存じであったという事ですか?」

「おばあ様がそうなるようにシギ先生をやとっておいでだったので、知らないわけがございませんし、のぞき見をしている所を見たので、ご存じです」

「お祖母様がシギ様を雇われていたのは、お祖父様とシギ様を男女の関係にさせる為だったという事ですか?」

「そうです。おばあ様がおじい様と離縁したいから、シギ先生をわたくしの家庭教師にやとったのです。わたくしのためにシギ先生をやとったのではありません。おばあ様がおばあ様のためにやとったのです」

「そうですか。それを知ったのはいつですか?」

「いつだったかはおぼえていませんが、シギ先生がおばあ様の部屋へ行く所を見かけ、あとをつけた時です」

「また覗き見をしましたか?」

「しました」

「どのような話をしていたか、覚えていますか?」

「おじい様と関係を持った事をおっしゃって、おばあ様は若いころのわたくしに似ているのだから、先生に手を出す事は分かっていたけれど、お父様までろうらくしろとは言っていない、けいやくいはんとおっしゃっていました。先生はお父様がしつこくて、それで関係を持ってしまい、それがお母様に知られる前にやめたいとおっしゃって、おばあ様があやまって、受け入れ、先生がおやめになる事になりました」

 場内がどよめいた。老人は気にせず、ティダに質問を続けた。

「それで先生はお辞めになったと?」

「そうです」

「あなたから見て、先生はどのような方でしたか?」

「笑顔がとてもステキで、天気のよい日はいっしょにお外へ行きましたが、髪がかがやいて、笑顔がさらにステキになるのです。初めてわたくしにやさしくしてくださった人で、シギ先生をいじめる人は、だれであろうとゆるさないつもりです」

「あなたから見て、お祖父様はどのような方ですか?」

「わたくしとシギ先生があずまやで間食をいただいている時、かならず来て、先生だけを見て、先生に色々といじわるを言いました。それでお外で間食がいただけなくなってしまいました。せっかくのシギ先生との楽しい時間をダメにするし、シギ先生をけがした最低男で、はっきり言って大っっ嫌いです」

「そうですか。それではおばあ様はどのような方ですか?」

「自分ものぞき見をしているのに、わたくしだけをせめ、ムチでぶつ最低女で大っっ嫌いですが、シギ先生と会わせてくれた事だけはかんしゃしています」

「……その大嫌いな二人の事だから、嘘を吐いているという事はありませんか?」

「二人はどうでもよいのです。わたくしはシギ先生がやとわれていた事を証言しに来たのです。ですので、ウソをついてしまうと、やとわれていた事もウソにされてしまうので、ウソはついていません」

「そうですか。お祖父様とシギ様との関係を知る人物は他にいますか?」

「お母様にはお話ししました。それからお兄様が、お父様とシギ先生の関係を知り、それをだれにも言わない代わりにシギ先生との体の関係を持っていたので、もしかしたらお兄様も、おじい様とシギ先生の関係を知っているかも知れません」

 場内がまたもやどよめいた。老人は顔を顰めてティダを見た。

「あなたは何故、そうも家族の事を辱めるのですか?」

「はずかしめるとはどういう意味でしょうか?」

「恥をかかせるという意味です」

「先にシギ先生にはずかしめるような事をしたのは、わたくしの家族です。それに先ほど、おじいさんにわたくしの言う事がウソではないかと言われてしまいましたので、全てをかくさずに話さなければならないと、さらにつよく思いました」

 老人は頭を垂れ、溜息を吐いた。

「良く解りました。それではまた同じような事を訊きますが、お祖母様がお祖父様と離縁するためにシギ様を雇ったという事に間違いはありませんか?」

「まちがいございませんが…」

「そうですか。有難うございました。私からは以上です」

 更に言を続けようとしたティダを遮って終わらせ、老人は徐に席へ戻って行った。ティダは退場を促され、その後は侍女に付き添われて帰路に就いた。言い足りずに満足感が得られなかったし、その日から護衛が扉の外に張り付いて徘徊が出来なくなってしまい、大いに不満が募る事となった。


 祖母の念願が叶い、祖父母は離婚となった。祖父の私財は殆どなく、慰謝料を払う為に農奴として買われ、祖母も当然屋敷から出て行った。

 この一件は瞬く間に社交界で噂の的となり、祖母は覗き見が趣味と言われ、父は職場でも白い目で見られた上に閑職へ回される事となり、中央での昇進は望めなくなった。その所為で、母の兄に対する教育がより厳しい物となった。

 兄は兄で国立ロデルカ学院を卒業後、十月からロデルカ上学院へ入学する筈だったのだが、上下一貫の男子校である貴族院立ロデルカ貴族学園へ転入、と進路変更を余儀なくされていた。母からの信用が失墜してしまったのだから、仕方のない事ではあった。

 祖父母がいなくなり、金銭的な負担が一気に減った事で、離婚を選択しなかった母は浮いた金を美容に浪費し始めた。カラネイ家の収入の殆どは、母の実家である商家からの仕送りだった為、母が浪費しても誰も文句を言えなかった。

 そしてティダは、その母から「全寮制か、寮のある伝統校へ行きなさい。その為なら家庭教師を増やしても構いません」と言われ、沢山の学校案内の散らしや冊子を渡されたが、こればかりは魔力の覚醒を済ませないと決断出来ない問題で、七歳になる年の覚醒式まで保留となった。


 翌年の四月七日、最寄りの会場で覚醒式を受けた。結果は魔力量が二十九、質三十三と、量が六、質が二十一という平均値を上回る物だった。優秀だと家族から持て囃されていた兄の魔力量二十一、質三十をも上回った事で、母が俄にティダに注目した。

 帰宅して間もなく、母の居室に呼び出されて「ロデルカ下学院に入学しなさい」と言われるも、ティダは首を横に振るだけだった。

「これだけの魔力量と質がございますので、カンタロッダ下学院に入学するためにがんばろうと思います。お母様のおっしゃった寮もございますし、その方がわたくしにとってよい事かと思います」

 母はそれを聞いて眉を顰め、「カンタロッダ下学院……」と呟いて頭の中で計算した。カンタロッダ下学院はロデルカ下学院よりも学費が遥かに安い。その上、寮も完備されていて、長期休暇以外は夜に必要とする護衛と言う名の監視も不要になる。人気はロデルカ下学院に劣るが、五指に入ると聞き及んでいた。

「分かりました。滑り止めに他校の受験を義務付けます。その滑り止めはわたくしが決めますが、それでよろしいですね?」

「はい、それでよいです」

「タジファン同様、中央入りすべく、これから励みなさい。帰室してよろしい」

「その前に、魔術の家庭教師をやとっていただけませんでしょうか?」

「そうですね。……分かりました。近日中に手配いたします」

「よろしくお願いしたします。では、失礼いたします」

 膝を折って辞儀をすると退室した。ティダは兄と同じ学校へ通う事だけは避けたかったし、兄と同じ中央の文官を目指す気も更々なかった。

(クズ父もクズ兄も、クズ祖父のように転落させないといけないわ。どうすればよいのかしら……。それにしても、あそこでクズ兄の名を出すお母様もイヤだわ……。やはりわたくしの事はどうでもよいのね)

 侍女に張り付かれて寄り道する事なく、自室へ下がった。


 受験に合格し、カンタロッダ下学院への入学が決まった。十月になる前に入寮する事となる。それまではいつも通りに過ごし、日の曜日にはビセッチ教の教会へ相変わらず通っていた。シギと別離してからは、ビセッチ教徒を通じて文通をしていた。その教徒はシギと昵懇じっこんの妙齢の女で、シギには劣るが美人だった。本来なら彼女からシギの手紙を受け取れる筈だったのだが、それが出来なかった。代わりに、誰の物とも判らない筆跡の手紙を受け取った。

 帰宅して手紙を読むと、今度の仕事では自由が利かない為、手紙は当分届けられないとの内容だった。激しく落胆したティダは次の週にその手紙の主に宛てた物を渡し、それ以降は接触が出来なくなった。


 侍女に付き添われてカンタロッダ下学院に到着し、女子学生寮に入寮したティダは、身分差別を禁止しているというのにも拘らず、それが横行している事実を知り、この程度の物かと受け入れた。

 一学年生には公爵令嬢が一人いて、その子の天下となるのだ。一歳下のその子は、アラナ・タティー・スダージュと言う名で、既に周りにいる上級生の貴族令嬢から持て囃され、差別をすべく、彼女等から指導を受けていた。それを見たティダは彼女に取り入る事にした。

 一学年生に侯爵令嬢が三人いて、スダージュに取り入ったのはその中でもティダだけだった。しかし、それは振りをしただけで、スダージュに従う気は全くなかった。そして八方美人に徹し、人脈を広げる努力を始めた。これはシギからの助言で、カラネイ家は既に後ろ盾がおらず、文官貴族としても落ち目であったからだった。

 学問の方は、魔術の実技を本格的に学び始め、魔力操作の難しさを改めて痛感していた。それでも意外と出来ている生徒が多かった。それに、組分けは魔力の質で決められ、その上位である月組にいる事で自分より上の魔力の持ち主が殆どであった事がより惨めにさせた。

 座学の成績は女子だけで言えば十位以内に入っていないという現実、そして魔力の質は全体の二十八番目と上位に食い込んでいるとは言えなかった。そしてそれ等は、励んでもどうにもならない物でもあった。

 ティダは人付き合いの中で人を誘導する事を覚えた。割と素直で、擦れていない貴族令嬢にはそれが出来た。別の言い方をすれば、人の善意を利用する物でもあった。誰彼構わず話し掛け、同学年でティダが話していない女子生徒はおらず、上級生や下級生にも交流を広げて行き、成績は横這いだったが、洞察力は鍛えられた。


 二学年に進級しても、三学年に進級しても、ティダの成績順位はほぼ変わらずに十五位前後にいた。その為、長期休暇の間も家庭教師を付けて貰い、主に座学の勉強に励んでいた。

 その中でも、兄への復讐を忘れてはいなかった。暇さえあると、日中は仕事で留守をしている兄の部屋へ侵入し、本棚を漁っていた。植物や薬草、薬草術に関する本が多数を占めるようになっていた。

(そう言えば、国の機関に薬草の研究をしている所があったわね。あの口の軽い侍女が中央には違いないと言っていた覚えがあるから、そこへ入ったのかしら? わたくし専属の侍女あれはなぜか知らないけれどクズ兄の自慢話をするのよね。文官ではなく、研究者になったから詳しく話さなかったのかしら。あれが言わない所を見ると、薬草師にはなっていないようね)

 ティダは背表紙を見て、掌の大きさの帳面に標題を片っ端から書き写して行った。

 復習と言えば、祖母に対する恨みも萎えていなかった。ティダは自分の衣裳を買わず、代わりに侍女に衣裳を買い与え、その代償として祖母の情報を得ていた。

 ティダが裁判で祖母が若い頃はシギと似ていたと言っていたと証言した事から、その頃を知る者達からは図々しいと蔑まれ、自分も覗きをする癖にそれをした孫には鞭で打つ酷い祖母として敬遠されている事を知った。それもあって実家には戻れず、一人暮らしをしている実妹の家へ身を寄せている事も聞いた。

(もしかして、うちにあのままいた方がよほど寂しく暮らせていたのではないのかしら……)

 離婚に協力する形になった事を、些か後悔した。

 そして侍女は告げ口を忘れなかった。母の傍に付いている若い執事見習いが、情夫である事を知ったティダは、両親の婚姻生活が破綻している事を幼い頃に知っていて、どうでもよい事だと気にもしなかった。


 そして事件が起こる。

 ティダは寮で過ごしている間、シギとの文通を再開していた。その手紙を大切に保管をしていたのだが、それを誰かに見られた痕跡があった。

(一体誰が……? ……なんのために?)

 疑問は尽きなかったが、答えは意外と早く出た。

 約十日が過ぎ、日の曜日になるといつものようにビセッチ教の教会へ赴き、そこでシギの手紙を受け取る筈だったのだが、いつ以来だろうか、また筆跡が別人の手紙を渡された。

 帰宅後、侍女が退室した直後、机の傍へ行き、椅子に座る前に封を開けた。手紙にはシギが刺殺された事が書いてあり、新聞記事の一部を切り抜いた物が同封されていた。見出しは「麗しの君、痴情のもつれか?」で、記事には犯人である男の名前も書かれていた。その男の名に覚えがあるティダは血の気が引いた。

(この名前、お母様の愛人ではないの……)

 膝から崩れ落ちたティダは新聞の切り抜きを握り締めたまま、うずくまって号泣した。そして侍女の噂話をきちんと聴いていなかった自分に落胆した。

(あれがお母様と愛人の話をしていたような気がするのに、話の内容を全然覚えていないわ……。でもお母様がクズ男を招き入れたせいで、それでシギ先生の居場所にたどり着かせてしまった事は確かよ。許さない……。絶対に許さない。やはりこの家にわたくしの味方はいないのだわ)

 シギに対する燃え上がるような情熱は冷めてはいたが、表面上は凪いでいただけで、奥底では出会った当初と同様に激しく渦巻いていた。それと同等のどす黒い感情が込み上げ、その矛先は母へと向いた。ちなみに新聞の切り抜きには「犯人はシギに覆い被さって息絶えていた」と書かれてあり、本来向ける先がいない事で、母に向いたのは自然な流れだったと言える。


 図書館で借りられない本を兄の本棚から失敬して熟読した。毒性の強い植物を探したが、適当な物が見付からなかった。しかし、それも「秘匿書物」と書かれた本で、毒を発生させる薬草の組み合わせがある事を知る。いつの頃からか、監視を兼ねていた護衛がいなくなっていて、夜通し灯りを点けていても注意を受ける事も、母に報告される事もなく、ここぞとばかりに写本した。

 二種類以上の配合で毒を発生する植物が紹介されていた中でも、どうにか手に入りそうな物に絞り込み、比較的手に入り易い咳止めに使われているサダレルと合わさると毒を発生させるワービュに目を付けた。

 ワービュはサダレルと相性が悪いだけで、サダレル以外の薬草と配合すると薬効を高めるという素晴らしい特徴を持っていた。その為、サダレルと相性が悪くても、条件付きで薬草師が栽培している薬草だった。それにワービュを育てているであろう薬草師に近しい人物を知っていた。

(父親が国の機関の研究者で、敷地内の温室で色々な植物を栽培していると話していた子がいたわ。どの子だったかしら……。ワービュがあったとして、どうやって盗むのかも問題ね)

 外は冷風が吹き荒び、窓を叩いていた。


 ティダは着々と前準備を進めて行き、四学年修了後の夏休みにワービュを手に入れた。こんなに上手く行くとは予想外で、内心歓喜していた。そこでふと思い至った事は、本当に死ぬのかどうかを試行する事だった。ワービュの量については詳細が書かれていたが、サダレルの量には言及されていなかったからだ。

(丁度よいから、スダージュがワービュを盛る時、量を増やして飲ませればよいわね。そういたしましょう。薬さじ三杯分を持ち歩いていれば大丈夫かしらね)

 こうして事件は起こったのだった。


 裏で画策していた事や、実行している現場を颯に映像で押さえられていた為、母への復讐を果たす前に捕えられてしまった。その上、自白薬も使われると言う。生きてさえいれば、母への復讐が果たせる時が来るかも知れない。しかし、自白薬を使われるとなるとそうは行かない。約八割の確率で気が触れてしまうのだ。そうなってしまうと、あの美しいシギを思い出せなくなる。それはティダにとって、恐怖でしかなかった。

 気が付くと号泣していた。涙が枯れるまで流し、声の限りに喚いた。その最中にシギの事を思っていたが、思い描いたシギは横たわっていて、その上に重なっているのは自分だった。

(ああ、わたくしは……、クズ男が想いを遂げたのがうらやましかったのかも知れない……)

 そう思った時、冷静になった。そして笑いが込み上げて来て、今度は笑い出した。

(わたくしの想いは宙ぶらりんになってしまった。本当に馬鹿みたい……。せめて二割に賭けてクズ母に復讐をしなくては……)

 一頻り笑った後、誰に言われるまでもなく立ち上った。

「どこへなりとお連れください」

 決意を新たにすると、爽快な気分になった。

「気が済んだんだな。それじゃあ行くか」

 颯がティダに顔を向けて言うと、ケフッカに顔を向ける。

「それでは、お先に失礼します」

 軽く辞儀をすると立ち上がり、ティダを連れて学院長室を後にした。


 数ヶ月後、ティダは自白薬を使用されたにも拘らず、少年刑務所で元気に作業をしていた。作業は手縫いで手提げ袋や巾着を作るのだが、黄系の色を見るととても心が穏やかになった。

 母に対する復讐心は相変わらず持っていたが、黄系の色を好ましく思う理由を思い出せないでいた。それでも穏やかで、とても愛おしい気持ちになる事もあって、少しでも長く手の中に置いておこうと、針を刺す手がいつになく丁寧になった。

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