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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第二十九話 しかして平穏が戻る

 新期が始まってから最初の土の曜日、玲太郎は朝食後に颯に屋敷へ送って貰った。颯は居室にいた水伯にだけ挨拶をして直ぐに帰寮してしまうと、玲太郎は水伯にこの約一週間の出来事を話した。水伯は相槌を打つだけで、玲太郎が話し切って茶で喉を潤していると、いつもの微笑みを浮かべて見ていた。

「父上は今の話を聞いて、なーんにも思わないの?」

「うん? うーん……そうだね、何も思わなくはないけれど、人間だなという感想しかないね」

「え、そうなの? 人間ってそんなものなの?」

 玲太郎は面食らった。水伯は表情を一変させ、真顔になる。

「人間は弱い生き物だからね、集団行動を取っていると虐めが起き易いのだよ。虐められる側であっても、突如虐める側に転じる場合もあるし、その逆もある。当然ながら生涯虐めをしない人間だっているけれどね。それに虐めとは無縁の集団もあるのだけれど、その中に入ったから虐めは絶対にないのかと言えば、相性の悪い人間がいれば虐めが始まる場合もある。相性が悪くても何も遣らない人間もいるから、これだけは本当に運なのだよね。何が切っ掛けで虐めが始まるかは、その時になってみないと判らないからね」

「ふうん。……それじゃあ、僕は運が悪いって事になるね。一学年の時は狙われたもんね」

「それも二人もいたのだから驚いたね。二人目は反転の餌食になっていたけれど、どうして玲太郎を狙ったのか……。虐め易そうだったからなどという理由だったけれど、やはり体が小さいと標的になり易いのだろうか……」

 途中、難しい表情をして玲太郎から視線を外して呟き、玲太郎には聞き取れなかった。そしてまた玲太郎に視線を戻す。

「それにつけても、カンタロッダ学院のように身分差があると、大抵は身分差別から平民が標的にされるから、校則で厳しい罰則があったとしても、今度のように巧みに隠されて、陰で遣られてしまうと見付けられないから、白日のもとに曝されるまで時間が掛かってしまう場合もあるのだよね。これは若しかしたら、卒業するまで気付かなかった事もあるのだろうね……。もう終わってしまった事だから、蒸し返す事はしないにしても、今後はこのような事がないようにしなければね。昔は貴族の中にも正義感の強い子が必ずいたのだけれど、今はそれ程いないのだろうか? やはり文官貴族の弊害なのだろうね……」

 また途中から視線を外し、難しい顔をして呟いた後、視線を伏せていた。玲太郎は空気が暗くなってしまい、場を明るくする為に別の話題にしようと思案した。

「あ、そう言えばね、魔術の授業で玉を出す練習をやってるんだけど、僕の玉を的に当てると、的の方が必ず壊れちゃうんだよね」

 水伯が柔和な微笑みを浮かべた。玲太郎はそれを見た瞬間、安心した。

「玉と言えば、やはり土か岩なのかい?」

「僕は土のつもりでやってるから、岩になったのはたまたまなのよ」

「ああ、そうだったね。ご免ね。それでは土で遣っているのだね?」

「うん、そう。やっぱり土が一番作り易いのよ」

「玲太郎の場合は土と言っても、只の堅い岩だからね……。的も無事ではいられないのだろうね」

「僕は泥団子のような物を作ってるつもりでいるのに……」

「そうなのだね。それはご免ね。玲太郎が顕現させた大きな玉の処理を毎度遣っていたから、その印象が強くてね」

 苦笑しながら言うと、折良く明良がにわかに開扉した。

「お早う。颯は?」

 二人は驚いて明良の方を見た。

「おはよう。はーちゃんは寮に戻ったのよ」

「お早う」

 玲太郎の言を聞いて立ち止まった。

「そうなの? 家に戻って来るかと思って待っていたのだけれど、それでは帰って来ないね……」

「何? 用事があったの?」

 また歩き出した明良に訊くと、玲太郎に笑顔を向けた。

「用事と言う程の事でもないのだけれど、直接話しておきたい事があったのだよ。でも仕方がないから、頃合いを見計らって連絡を取る事にするよ」

 そう言いながら、長椅子に座っている玲太郎の隣に座った。

「明良、先程は扉を叩いたかい?」

「叩いたけれど、聞こえていなかったの?」

「うん、聞こえなかったから驚いたのよ」

「それはご免ね。二人で話に熱中していたのではないの?」

「熱中はしていなかったのだけれど、聞こえなかったのだよ」

「ね」

 玲太郎が水伯を見ながら笑顔で同調すると、明良がそれを見て鼻から思い切り息を吸った。玲太郎はその音が気になって明良を見る。明良はその瞬間、玲太郎を抱き締めた。

「笑顔で、ね、だって! 可愛い!!」

「ぐ、ぐるじい……」

「私にも言って貰えない?」

「む、無理……」

 珍しく水伯が慌てて傍へ行き、明良の腕を玲太郎から離そうとした。しかし、かなり強い力で抵抗をされてしまい、出来ずにいた。

「玲太郎が苦しがっているから止めなさい」

「嫌です」

「ぐるじいから、やめで……」

「ほら、玲太郎もそう言っているから止めなさい」

 明良は渋々玲太郎を解放したが、何気に玲太郎の左手を握っていた。玲太郎は右手を胸に当て、深呼吸をしている。

「はー、苦しかった。もう少し優しく抱き締めて欲しいのよ」

「ご免ね。玲太郎が余りにも可愛くて、我を忘れてしまったよ」

 そう言って、椅子に戻る水伯に視線を遣った。

「水伯はどうして玲太郎の味方をするの? 私に少しくらいよい目を見させてくれてもよいのではないの?」

 いつもの無表情な明良は些か水伯に冷たい視線を浴びせていた。

「それは私が玲太郎の父親だからね。息子が嫌な目に遭っているのだから助けなくてはね」

「父親なのに、息子に花束を上げた事はなかったの?」

「それはないね。何時いつも北の畑で花を咲かせていたから、それを摘んで部屋に飾る事はしていたよ」

 明良は思わず玲太郎に顔を向けた。

「どうしたの? 大きな目が落ちそうなくらい開いてるけど大丈夫?」

 心配そうに言ったが、明良はそれ所ではなかった。

「玲太郎は、花束を貰った事がないと言っていたのではないの?」

「あーちゃんからもらったのが初めてなのよ」

「でも、水伯が今、それを摘んで部屋に飾っていたと……」

「うん? でもああやって紙に包んだ物をもらったのは初めてなんだけど、それじゃあダメなの?」

「でも、水伯が摘んで部屋に飾っていたと……」

「お花畑に咲いてる花を持って帰って来てただけでしょ? あーちゃんはきちんとくれたじゃない」

 しばらくの間、明良は百面相をした。水伯は明良の感情が見て取れ、笑いを堪えていたのだが、玲太郎は何事かと見詰めていた。

(美人は何をやっても美人なんだね。少し面白いけど……)

 そう思うと自然と笑っていた。

「ふふ」

「うん? 何か楽しい事でも思い浮かんだの?」

「そうなのよ。あーちゃんがくれた花をね、押し花にして額に飾ろうと思ってるのよ」

「えっ、寮長室に行った時、そのような事を全く言っていなかったのに?」

「厚い本に挟んで置いてあって、いつ気付くのかと思って言わなかったんだけど、全く気付いてなかったよね」

 明良は衝撃を受け、顔をしかめていた。玲太郎はそれを見ても笑顔を崩さなかった。

「まだ隣の部屋に飾ってるのもあるから、それもきちんと押し花にするね。ありがとう」

「どう致しまして。押し花にするのは初めてだよね?」

「押し花は初めてじゃないね。父上がやってくれた事があって、ノリを付けて紙に張って、絵も描いたような気がする」

「え!? そのような事を何時遣っていたの?」

「いつ? ……僕が幼い頃だね。四歳か、五歳だったと思うけど……」

 玲太郎は水伯に視線を送ると、水伯が柔和に微笑んだ。

「確かに絵も描いてあるね。私の寝室にきちんと飾ってあるよ。明良に上げる訳にはいかないから、見せるだけになるけれど、見るかい?」

 水伯に顔を向けると一瞬で明良が無表情に戻り、大きく頷いた。

「当然見るよ。このような事になるのならば、水伯が昏倒した時に水伯の寝室へ運べば良かったよ。そうすればもっと早く見られたのに……」

 言いながら徐々に落胆して行った。玲太郎は水伯と目を合わせると苦笑した。明良の玲太郎の手を握る手に力が入った。


 今期から治癒術と薬草術に加えて、社会も明良から学んでいる玲太郎は、それ等を期末で修了試験を受けるべく、休日も重点的に学習を開始する事になっていた。時間に余裕が出来れば、その分を魔石作りに充てる予定になっている。

「それでは今日は治癒術と薬草術と社会ね。その後に魔石作りの練習も遣ろうね」

「はい。お願いします」

 明良は玲太郎を独占出来る時間が確実に増えていて、大層ご満悦だった。しかし、授業中は熱心に教え、玲太郎もそれに応えるように真面目に取り組んでいた。

 休憩に入ると、明良は必ず玲太郎の隣に座り、密着していた。

「あーちゃんはどうして僕にくっ付くの? 離れようと思わない?」

 常々持っていた疑問を投げ掛けてみると、明良は一瞬放心し、直後に「ふふ」と笑った。

「ばあちゃんに、抱き癖が付くから抱っこし過ぎないようにって言われていたのだけれど、その所為だと思うよ。私は玲太郎をずっと抱っこしていたかったのに、それが出来なかったからその分を取り戻すべく密着しているのだよ」

「いつまでやれば取り戻せるの?」

「何時までだろうね?」

 満面の笑みを湛えて、一人和やかな雰囲気の中にいたが、玲太郎は直感的に気付いてしまった。

(これは体が小さい間はずっとくっ付いてるつもりだろうなぁ……)

 反射的に愛想笑いをして、茶器に視線を向けて手に取った。

「それにつけても、魔力を含んだ薬草は遣り難い?」

「うん。最近は薬草の魔力量が増えてるでしょ? 魔力を馴染ませる時に一定量を超えると、馴染ませていた魔力も全部外に出ちゃう感じがするのよ。そうなると一からやり直しになるでしょ? だから僕の場合、直ぐにやり直しになって困ってるんだけどね……」

「魔力を多目に含んでいる薬草だから魔力操作に長けているのだろうね。乾燥してしまうと魔力を馴染ませて薬効を上げる事は出来ないから、頑張って慣れるしかないね。そう……、玲太郎の魔力でも外へ弾かれてしまうのだね、成程」

「術者の魔力を馴染ませて薬効を上げるのって、意外と難しいよね」

「そう? それはきっと、玲太郎が馴染ませる時に注ぐ魔力量が多過ぎるからだろうね。こればかりは仕方のない事だけれど、小型の魔石作りが出来るようになれば、自然と注ぐ魔力量も減って遣り易くなると思うよ」

「うーん、道のりは長いねぇ……」

 そう言うと茶を飲んだ。

「そうだね」

「小型の魔石作りは、今までと違って時間が倍はかかるような気がする」

「そう、其処そこまで大変という事なのだね。地道に遣って行こうね」

 口調と同じく、優しい微笑みを向けられた玲太郎は、釣られて笑顔になった。

「うん、頑張るね」

「頑張るのは構わないのだけれど、呉々も無理のない範囲でね」

「無理してると思ったら、あーちゃんが止めてくれればよいのよ」

「そうだね。そう思ったら、直ぐに止めるね」

 玲太郎は小さく頷いて、ずっと手に持っていた茶器を口元に運び、温い茶を飲んだ。受け皿に茶器を置き、生菓子を菓子用の突き匙で切り分け始めた。

「はぁ……、出来る事ならば、玲太郎には私の手から食べて貰いたいのだけれど、それは遣らせては貰えないのだよね?」

 玲太郎は無言で暫く明良を見詰めた。

「……僕はもう九歳なのよ? あーんは僕が小さい頃に一杯やったでしょ? それでよいと思うんだけどね」

 素っ気なく言うと、明良は悲愴な表情で玲太郎が生菓子を頬張る様子を見ていた。玲太郎はこうして休日の殆どを明良と過ごした。


 五学年になってから、特別活動という授業が増えた。ルセナが言っていた授業だが、玲太郎には初めて受ける授業で、担当教師は学年主任のダーリーだ。

 学祭は十二月十五日の日の曜日で、五学年はその時に魔術を披露するのだが、退学者がこの先も続出する可能性がある為に今年は見送られ、その代わりに呪術の中から三種類選んで呪物を各五個作って販売する事となった。

 週に二時限しかない特別活動は、お守りの製作に必要な材料を揃える事から始まった。ちなみに学祭に参加するのは三学年以上となり、いち学年は従来通り休日で、観覧者として参加が出来るが、しなくてもよい。昨年の玲太郎は観覧をせずに屋敷に帰っていた為、些か楽しみにしていた。

 呪物にする材料を集める為、授業中に郊外に出て、木の葉や枯れ枝や木の実、それに石などを拾っていた。玲太郎はルセナと一緒に袋を片手に話しながら材料集めをしている。二人は麓まで下りずに、道中の勾配が緩い場所を見付けて、そこで探していた。

「これはどう思う?」

 そう言ってルセナが枯れ枝を持って来た。屈んでいる玲太郎はそれに視線を遣る。

「うーん、形は好き。色も渋くてよいね」

「じゃあこれも入れる。ありがとう」

「どういたしまして」

 ルセナは一々玲太郎に拾った物を見せて、意見を聞いていた。ルセナの拾う物は植物ばかりで、石を探している玲太郎とは拾う物が被っておらず、取り合いになる事はなかった。

「それにしてもウィシュヘンドは石でいいのか? 一度かけると、二度とかけられないぞ?」

「それでよいのよ。だから失敗しても大丈夫なように、少し多めに拾っておこうと思ってるんだけどね」

「そうだな、それがいいな」

「うん」

 玲太郎はまた視線を下げ、落葉を手で払って石を探したが、まだ一個も拾えていなかった。

「この辺に丁度よい大きさの石ころはないみたいだから、僕はふもとまで下りるね」

「分かった。オレも行く」

 玲太郎が立ち上ると、二人は並んで麓へ向かった。

「今日見付けられなくても、週末に探せばいいって先生も言ってたから、焦らなくていいと思うぞ」

「そうなんだけど、僕は屋敷に帰るからねぇ……。屋敷で石ころを探してもよいけど、出来れば学院周辺で探したいのよね」

「そうなんだな。それじゃあ、ふもとにある事を願うしかないか」

「うん」

「ふもとは畑があるから、石もありそうだけどな」

「そうだね。二十か、三十くらい拾いたい」

「ふっ、三十は欲張り過ぎじゃないか? 二十にしとけば?」

「そう? でも失敗する事を考えたら、三十くらい欲しいんだけどね」

「ウィシュヘンドなら、言う程の失敗はしないだろ。大丈夫だよ」

「そうだとよいけどね」

 玲太郎は微笑んだ。すると、上を目指している生徒と擦れ違い、終いにはダーリーが遣って来た。

「そろそろ教室に戻りましょう」

 それを聞いて玲太郎は落胆した。

「先生、ウィシュヘンドはまだ一つも拾っていないんです」

「そうなの? それではまた次の授業の時に拾いましょうね」

 苦笑しながら言うと、玲太郎は小さく頷いた。

「はい……」

 玲太郎とルセナはきびすを返し、上り始めた。ダーリーが玲太郎の隣を歩く。

「ウィシュヘンド君は、一番効果の低いの呪術にしましょうね。イノウエ先生とルニリナ先生からそうするようにと、強く言われているのよ」

(やっぱり……)

 また苦笑すると頷いた。

「分かりました」

「それじゃあ石はダメになるな。次の授業の時に、一緒に葉っぱか枝を探そうぜ」

「そうだね、そうするしかないもんね。まだ青い葉が落ちていたから、次はそれを拾うね」

「虫が食ってないヤツな」

「うん。後、茶色くなってない、綺麗な葉っぱね」

 その遣り取りを微笑ましく聞いていたダーリーは玲太郎に一瞥をくれた。

「所でウィシュヘンド君」

「はい」

 玲太郎がダーリーを一瞥する。

「イノウエ先生によいように計らってもらおうとする生徒から、まだ声を掛けられるのかしら?」

「それはなくなりました。うちの組は朝礼の時にイノウエ先生が直接話してたんですけど、そのお陰だと思います。星と海組の子からも声をかけられなくなったので、きっと注意されたんだと思ってます」

「そうなのね。それは良かったわ」

「ルセナ君のいない時に来てたんで、困ってたんです」

「オレがいたら、そもそも来ないもんな。オレがいる時に来るような根性のあるヤツが、一人もいないんだからそれに驚きだよ」

「ふふふ。ルセナ君はそれだけ恐れられているのね。でも声掛けも一日だけで済んで良かったわ」

「そうですね。昨日だけで八人に声をかけられたんです……」

「本当に油断も隙もないな」

「脅されていたという理由だけではなく、自分の意思でも侮蔑をしていたという事なのでしょうね。由々しき事態です」

「先生、仮にそれが分かったとして、やっぱり退学処分になるんですか?」

 ルセナが何気に訊いた。ダーリーは些か険しい表情になる。

「自白してくれれば、になるわね。やはりそれは難しいから退学にはならないでしょう。それと、ウィシュヘンド君に声を掛けて来た子達は停学三ヶ月が決定したのよ。アメイルグ先生が学院長に詰め寄って冬休みまでになりそうだったんだけど、さすがに上期中となると退学を促しているようなものだからと、学院長と副学院長が止めたのよ。イノウエ先生は、笑いを堪えている感じで見ていただけだったわね。アメイルグ先生は意外と過激ね」

 玲太郎は苦笑した。

「アメイルグ先生は僕の事になると、見境がなくなると言うか、なんと言うか……」

「そうであるな。何せ溺愛しておるのであるからな」

「領地が隣同士だから、やはり仲がよいのね」

「兄弟同然で育ってます。年齢差があるから、兄弟と言うよりも親子に近いのかも知れません」

「ああ、ウィシュヘンド君もアメイルグ先生の身内になるのね。身内を守ろうとするのはよいけど、度が過ぎているわね。ご自身にも厳しいけど、他者にはもっと厳しいのよね……」

「そうですか。もう少し手加減してもらえるように言ってみます」

「お気遣い、ありがとう。でもそれには及ばないわ。アメイルグ先生の持ち味ですからね。それにしても、ウィシュヘンド君はアメイルグ先生に大事にされているのね」

 微笑みながら玲太郎を一瞥した。

「それはもう大切にされておるぞ」

「あはは……」

 気力なく笑った玲太郎は、所々で会話に入って来るヌトに反応しそうになって困惑していた。二人の会話を聞いていたルセナは口元が綻んでいた。


 颯は放課後、聞き取り調査を続けていた。その為、二十一時前後まで戻らない。そんな訳で、ヌトが眠っている事が颯に知られていて、代わりとしてハソが玲太郎の傍にいた。玲太郎の傍にいると言うよりも、眠りこけているヌトを観察していると言った方が正しいかも知れない。玲太郎としては、勉強の邪魔をされる事がなかった為、ハソがいても気にならなかった。

「只今」

 衣こうの前で靴を履き替えて、気付いていない玲太郎の傍へ行く。

「お帰り」

 声を掛けたハソは颯の寝台のど真ん中に、足を投げ出して座っていた。颯はそれを一瞥して足を止めた。改めてハソに顔を向ける。

「玲太郎はずっとこうか?」

如何いかにも。集中しておるようであるな。わしも声を掛けたのであるが、無反応であったわ」

「解った。有難う」

 颯は気が変わったのか、玲太郎には声を掛けずに隣室へ向かった。ハソもそれに付いて行く。颯は冷蔵庫に入っている箱を取り出して調理台に置いた。炊飯器からかまを出して来てその隣に置き、箱の蓋を開けると、中に入っていた容器で米を量りながら釜に入れる。容器を戻し、蓋を閉めた箱を冷蔵庫に入れる。釜を流し台に持って行き、米を研ぎ始めた。

「今日はどうであった? 白状した子はおったか?」

「んー、それないないんだけど、やはり噓かどうかの見分けが難しいな」

 そう言うと暫くは黙って米を研いだ。研ぎ汁を捨て、新たに水を入れて掻き回す。

「まあ、平民の子も平気で嘘を吐く子がいるから、本当に厄介だわ」

「そうであるか。ご苦労な事であるな。玲太郎に声を掛けた子等は三ヶ月の停学となったのに、口惜しい事よな」

「それを知って、益々白状しなくなったからな」

 大きな溜息を吐くと続ける。

「見逃したくない気持ちはあるんだけど、そうせざるを得なくなって来ているからなあ……」

 口を動かしながらも手も動かし、何度も水を入れ替えている内に段々と研ぎ汁が澄んで来た。釜の外側を乾かして炊飯器に入れると、湯を沸かし始め、茶の用意をした。そこへ玲太郎が遣って来て、調理台の傍で足を止めた。

「おかえりなさい。どうして声をかけてくれなかったの?」

「只今。声は掛けたよ。玲太郎の耳には届かなかったようだけどな」

「そうなの……」

 不満そうにしながら颯の後ろ姿を見詰める。

「緑茶を飲むけど、玲太郎も飲むか?」

「飲む」

「解った」

 頷くと、水屋から玲太郎の分の湯飲みを持って来た。

「それじゃあ二人分の茶葉を入れて貰えるか?」

「うん」

 笑顔で返事をすると、颯が魔術で動かした踏み台に上った。

「ありがとう」

 そう言って茶筒の蓋を開ける。

「どう致しまして」

「あ、そうだった。今日ね、ダーリー先生から、あーちゃんが昨日僕に声をかけて来た子の停学期間を、冬休み前までにするって言ってたって聞いたのよ。とっても恥ずかしかった……」

「ああ、あれな。利用しようとする卑怯さが許せないんじゃなくて、玲太郎に声を掛ける図々しさが許せなかったんだよ。……ふっ、如何にも兄貴らしいだろう?」

 笑いを堪えながら言った。玲太郎は苦笑しながら、茶筒に蓋をした。颯がそれを見て急須の中を覗き込むと頷いた。

「この前は茶葉が多かったけど、今度は大丈夫そうだな」

 玲太郎が茶筒を調理台に置くと、颯はそれを棚に片付けた。

「この前は話しながらやってて二度入れちゃったからああなっただけなのよ」

「今度もそうだろ? 一応気にしておかないとな」

 そう言いながら玲太郎の傍に来た。

「大丈夫なんだけどね」

「まあ、失敗しないに越した事はないけど、失敗しながら上手になって行くからな」

 玲太郎の頭を乱雑に撫でる。

「お、湯が沸いたぞ」

「僕が行く」

 踏み台から下りて焜炉こんろの前へ行く。髪が乱れていたが、それを気にする事はなかった。急須に湯を注ぎ終え、鉄瓶を鍋敷きに置いて急須に蓋をすると、颯が乱れた髪を整えた。玲太郎は何も言わずに颯を見て微笑み掛けた。


 それから数日は何事もなく過ごし、十三日になると虐めに参加していた生徒は脅迫されていたという名目の下、一様に一ヶ月の停学処分が決定した。平民の生徒からは不服の声が上がったが、ここぞとばかりに偽証した生徒も二週間の停学が決定した事で、それを飲み込んだ生徒が少なからずいた。

 翌日、ルセナはこの結果を意外と言うべきか、受け入れていた。

「まあ、あれだよな、退学される事が分かってて、自分の意思でやったなんて言うヤツはいないから、仕方がないよな。これが限界なのかも。残念と言えば残念だけどな」

 そう言いながら麺ぽうに具を挟んだ物にかじり付いた。今日の具は葉物と晩茄と玉子、葉物と胡瓜と鶏の胸肉の揚げ物が挟まれた物だった。

「うちの組からも五人が停学処分になってるもんねぇ……」

 玲太郎も麺麭に齧り付いた。二人で咀嚼をして、先にルセナが飲み込んだ。

「本当におどされてやったヤツに合わせて一ヶ月になってるから、受け入れるしかないんだよな」

 自分の言った事に何度も頷いて、また齧った。玲太郎は漸く口に入っている物を飲み込んだ。

「まあ、次はないってもう分かってるだろうから、卒業するまでイジメはないだろうね」

「そえはおうあろう。えお、よいはあうあも」

「うん? 女子はあるかもって言った?」

「うん」

 玲太郎は顔をルセナに向けると、ルセナは咀嚼しながら二度小さく頷いた。

「仲良く出来ないなら、口を利かないだけにすればよいのにね」

 今度は大き目の一口を齧った。ルセナは「あひあい」と言って頷いていた。玲太郎は笑いそうになったのを堪えて、手で口を押さえると咀嚼を続けた。ルセナは口の中の物を飲み込んで苦笑した。

「悪い、確かにって言ったんだよ」

「うん」

 玲太郎は微笑んで頷いた。

「女子はなんせ殺人未遂事件にまで発展してるからな。犯人が退学していなくなっても、次に牛耳るのは私よ、と思ってる子がいるかもな」

「ふうん……」

 玲太郎はこの手の話に全く興味がなかった。ルセナはそんな玲太郎を尻目に麺麭を齧った。

「いつも思うけど、この鶏肉の時のタレ、美味しいよね」

「おえもこえふい」

 玲太郎はまた微笑んで頷くとまた大口を開けて麺麭を齧った。二人共、鶏肉の方から食べていた。

「ルセナ、隣いい?」

 黒髪に茶色い目、黄色い肌をした少女が言うと、ルセナがそちらへ顔を向けた。

「ケワビムか。いいぞ」

「ありがとう。話す機会を探してたんだけど、食事は遅く取るようになったんだね」

 盆を机に置き、隣の席に荷物を置いてから座ると、それを見届けたルセナが口を開く。

「うん、まあな、遅いんだよ。改めて言うけど、大変だったな」

「ああ、そうね。でもアメイルグ先生が救ってくれて、どうにか生き延びられたわ」

「アメイルグ先生の腕は確かだからな」

 得意満面でルセナが言うと、玲太郎は何故か面映ゆくなった。

「復帰して一週間くらいになるだろ? どうだ? 調子はいいのか? 無理はするなよ?」

「うん、体調はもう万全だね。ありがとう。入院先の先生が、少し長めに入院していなさいって言ってくれて、そのお陰かも。普通だったら死んでたって言われたから、ゆっくり休む気になったんだけどね」

「そうなんだな。それにしても、どうしてカラネイが持って来た茶を飲んだんだよ?」

「だって、カラネイさんは、スダージュさんに嫌々従ってるって言ってたから……」

「ああ、信じたんだな」

 ケワビムは顰めた顔をして徐に頷いた。

「これからは貴族の事は信じない事にするわ」

「ふん、平民でも平気で裏切って来るけどな。ケワビムもオレも、人を見る目ってのを養わないといけないな」

「そうだね。本当にそれだよね」

 そう言ってルセナの奥に見える玲太郎を一瞥する。

「それにしても、独りになってたのに、今は違うのね」

 ルセナは玲太郎に顔を向けると、目が合って笑顔になった。それからまたケワビムに顔を向ける。

「ウィシュヘンドは大丈夫だぞ。いいヤツだ」

 ケワビムは体を前のめりにして玲太郎の方に視線を送った。

「初めて話すよね。ウィシュヘンド君は一学年から飛び級して来たんでしょ? 頭が相当いいのね」

 笑顔で言うと、玲太郎は苦笑した。

「僕は家庭教師が付いていたから、元々習ってたお陰なのよ」

「でも男子の首席なんだから、ルセナより上じゃない」

「それは勉強を必死にやったからね。後、兄に色々教えてもらったからだと思う」

「そうなの、お兄さんがいるんだね」

 ケワビムは納得したように頷いていたが、玲太郎に顔を向けたルセナは驚いていた。

「え、ウィシュヘンドって兄ちゃんがいたのかよ?」

「うん、いるよ。血は繋がってるんだけど、家は違うのよ。今は別々に暮らしてて、僕は養子でウィシュヘンド家にいるのよ」

 二人はそれを聞いて気まずくなった。

「えっ、そうだったのか。……それはなんか、悪い事を聞いたな。ごめん」

 焦ったルセナが謝ると、玲太郎は笑顔になる。

「ああ、大丈夫。親が死んでそうなっちゃっただけだからね」

「え……、それはますます悪い事を聞いたな。ごめん……」

「よいのよ。物心付いた頃からの話だし、親の記おくがないから平気なのよ。今はウィシュヘンド公爵が父だからね。片親だけど、兄もいるし、ばあちゃんもお祖父じい様もいるから全然平気なのよ」

 玲太郎の屈託のない笑顔を見たルセナは申し訳なさで一杯になり、ケワビムも言葉を失っていた。

(言い方が悪かった? まあ、よいよね)

 誤解しているであろう二人を、敢えてそのままにしておいた。

「本当に大丈夫だから、気にしないでね」

 笑顔で言うと麺麭に齧り付いた。二人はそれを見て、黙って食べ進めた。ヌトは食卓で寝転んでいて睡魔と戦っていた為、話を聞いている余裕がなかった。


 翌日は土の曜日だったが玲太郎は朝食後に直ぐ帰らず、学院の外で学祭用の呪物に使う物を探していた。当然ながら颯が付き添っていた。

 最初は男子寮と女子寮の間にある中庭で探そうとしたのだが、綺麗に掃除をされていて選ぶ事が出来ずに外へ出た。

 颯の手を握って徐に歩を進め、坂道を下って行くも、食指の動く物がなかった。

「青い葉っぱにしたらルニリナ先生にダメって言われちゃったし、枯葉は嫌だし、どうしよう……」

「元気な物は魔力が多く籠るからな。だから枝にするしかないって言っているだろう?」

「もう落ちてないじゃない」

「それはもう拾われているんだろうから仕方がないな。大きくても俺が小さく切るよ」

「小さ過ぎると、魔力を籠める時に入る量が少なくなって、僕には籠められなくなるから小さ過ぎないようにしてね?」

「解ってる。取り敢えずどれくらいだと呪術が掛かるか、試せばいいよ。だから大き目の枝をさん本拾って行こう」

「うん、分かった」

「道端はもう駄目だな。山腹の方に行くか」

「え? それは怖いのよ」

「大丈夫。抱っこするから」

 玲太郎の手を離し、軽々と抱き上げた。

「あ、あの、僕はもう九歳なのよ?」

「手を繋いだままだと山腹に行けないじゃないか」

「……仕方がないね。今だけね」

「大き目の枝な。きちんと見てくれよ?」

「うん、分かった。見落とさないように見るね」

 そういう玲太郎の顔が紅潮していた。最近は玲太郎を抱き上げると大抵こういう顔色になる為、なんとも思っていなかったが、見ていたハソは笑いを堪えていた。颯は少し浮くと道から逸れた。木の枝が落ちていないか、二人で探す。意外と直ぐに見付かった。枝の太さが直径一寸はある物を二本拾い、瞬間移動で寮長室へ戻る。持ち込んだ枝は洗浄魔術で綺麗にしていて、隣室の長机の方に置いた。

「それじゃあ屋敷に送るわ」

「え? 先に呪術をやらないの?」

「戻って来てからでいいだろう? 遅いと兄貴が文句を言って来るからなあ……」

「はーちゃんは今日、何をするの?」

「事件は二件共に一応落着はしているから、今日はお父様と過ごして、騎士団の鍛錬に付き合って、それから寮に戻って夕食を摂りながらニーティと話して、玲太郎と一緒に風呂に入って、読書して寝る感じになるな。何かあるのか?」

「ううん、気になって聞いただけなのよ」

「ふうん。まあ、二十四時には行くよ。若しかして早く寝たいのか?」

「ううん、二十五時までに眠るつもり。はーちゃんが来るのは二十四時くらいね。待ってる」

 玲太郎が笑顔になると、颯も微笑んで玲太郎の頬をつついた。

「それじゃあハソ、イノウエ邸にいるからな」

 振り返って言うと、颯の真後ろにいたハソが頷いた。

「解った。わしも向かうとするわ」

 そう言うと北へ向かって飛んで行き、台所の壁をとおり抜けて行った。それを見届けた颯は玲太郎に顔を向ける。

「荷物を持って行かないとな」

「そうだね」

 颯は寮長室へ瞬間移動で玲太郎の机の傍に行き、置いてあった鞄を持つとまた玲太郎を見る。

「屋敷へ行こうか」

「うん」

 玲太郎が返事をした次の瞬間、水伯邸の玄関広間に到着した。颯は玲太郎を抱いたまま、居室へと向かう。開扉すると、明良が不機嫌そうな顔を向けていた。

「お早う」

「おはよう」

 颯は後ろ手で閉扉した後、玲太郎を下ろした。玲太郎は「ありがとう」と颯に礼を言ってから、水伯に一直線に向かって行った。

「お早う。遅かったね」

 そう言った水伯は玲太郎ではなく、颯に視線を遣っていた。明良は無言で、自分の所へ来ない玲太郎を目で追った。

「お早う……」

 玲太郎は頗る不機嫌そうな声色の明良に微笑み掛け、直ぐに水伯へと視線を戻す。

「学祭で売るお守りの素材を探していたんだよ。玲太郎が意外と煩くて、直ぐに決まらなかったもんだから遅くなった」

 水伯は膝に覆い被さって来た玲太郎に視線を移す。

「そんな事はないのよ。すぐに決めたんだけどね」

「ふふ、そうなの。それで何にしたの?」

 そう言いながら玲太郎を膝に乗せた。明良が恨めしそうにそれを見ている。玲太郎はその視線に気付いて、また微笑み掛けた。

「あのね、落ちてた枝にしたのよ。大きいからはーちゃんに短く切ってもらって、呪術がかかるかどうかを確認して、っていうのを繰り返してかかる大きさになったら、その大きさで全部やるつもり」

「落ちていた枝ね。落ちている物なら、若葉も落ちていたのではないの? それにはしなかったのかい?」

「青い葉っぱはね、ルニリナ先生に止めましょうって言われちゃったのよ」

「学祭で売るには、物が良過ぎても今後が困るし、高額になる事は控えたいからな」

「ああ、そういう事ね。でも枝でも同じなのではないの?」

「遣ってみないと判らないけど、若葉より増しだと思う。枯れ枝だからな」

「成程」

 颯は机に玲太郎の鞄を置くと、水伯を見る。

「それじゃあ俺は帰るわ。夕食は寮で摂るから、今夜は二十三時くらいに来るよ」

「解った。有難うね」

 明良が颯を横目で見た瞬間、颯が消えた。

「あーちゃんははーちゃんと話さなくて良かったの?」

「そうだね、今は話す事がないから大丈夫だね」

「ふうん……」

 俯いてしまった玲太郎を見た明良が、満面の笑みを湛える。

「それにつけても、此方こちらに来ない?」

 顔を上げると、明良を見ながら首を横に振った。

「行かない」

 明良は衝撃を受けて激しく落胆した。水伯が笑顔になる。

「ふふ、どうせ勉強で二人切りになるのだから、暫くは私の番でよいと思うよ」

「しばらくじゃなくて、半時間くらいいようよ」

 玲太郎は振り返って水伯を見上げようとしたが、目の端で捉える程度しか出来なかった。無理に体を捩じろうとうすると、水伯がそれを止めて横向きに座らせた。玲太郎の背中を支え、足は椅子の肘掛けに乗っていた。

「ほら、こうすれば顔が見られるよ?」

「ありがとう」

 二人が笑顔で見合っている様子を見た明良は意外にも無表情だったが、心中は嫉妬でおかしくなりそうな程に乱れていた。


 玲太郎は明良の目前で水伯に甘えた事を後悔していた。何故なら、勉強部屋兼図書室へ来た途端、明良に抱き締められていたからだった。ヌトは寮長室にある颯の寝台で熟睡をしていて来ていない為、本当の二人切りで助けてくれる者はいない。玲太郎は意を決した。

「あーちゃん、そろそろ放してくれない?」

「え? 水伯に抱っこされるのはよいのに、私は駄目なの?」

「だって、あーちゃんは満足する事がなさそうだから、そろそろ勉強をしたいのよ」

「そう……」

 渋々腕の力を抜き、玲太郎を隣に座らせた。漸く解放された玲太郎は気が楽になった。

「それじゃあ勉強を教えてね。よろしくお願いします」

 机に置かれている鞄を持つと、勉強机の方へ向かった。明良は掛け時計に視線を遣って時間の確認をすると、小一時間も独占していた事を知る。いつも張り付くように後ろにいる明良がおらず、玲太郎は明良の方に視線を遣った。

「あーちゃん、どうしたの?」

「ああ、ご免ね。どうもしないよ」

 大きく膨れ上がっていた嫉妬心が萎んだのか、玲太郎に優しい微笑みを見せた。そして玲太郎の傍へ行くと、椅子を玲太郎の正面に持って行って腰を掛けた。

「今日は社会で良かったのだよね?」

「そう。三教科の中で一番遅れてるからね」

「解った。それでは教科書を借りるね」

 机に出されていた教科書が、明良の手元へ飛んで行く。玲太郎は黙読を始めた明良の顔を凝視していた。

(こうやって離れてると、本当に気持ちが楽なのよね。ああなると息苦しくされちゃうから、それが困るのよねぇ……。それもこれも、きっと独占欲のせいなのよ。どうして独占したいんだろう? ああ、僕もはーちゃんを独占したいと思う時があるから、あれと同じなのだろうか? でもあーちゃんの方が酷いよね?)

 明良がその視線に気付いたのか、上目遣いで玲太郎を見た。それから顔を向ける。

「どうかしたの?」

 そう訊かれて思わず姿勢を正した。

「うん、あーちゃんは綺麗だなと思って見てたのよ」

「そう。有難う」

 笑顔になると、玲太郎も釣られて笑顔になった。嘘を吐いて些か胸が痛んだが、本心を言える訳もなかった。

「環境問題からだね。環境問題の項目を一通り読んで、その後は音読しようね」

 本は開いたままで玲太郎の前へ飛んで行き、机に置かれた。

「はい」

 玲太郎は両手で本を持つと黙読を開始した。明良は穏やかな表情で見詰める。こうして明良と過ごす時間が和やかな物となった。


 翌日、帰寮してからはいつものように茶を飲んで寛いでいた。そしてそのまま、颯が枝を小さく切り、玲太郎が呪術を掛けた。最初は小さ過ぎて枝が破裂していたが、遣って行く内に破裂しない大きさになった。颯はそれで十四本を切り出すと、残りの枝を捨てに行った。

「玲太郎、颯がおらぬのであるから、術は掛けるなよ?」

「これくらい大丈夫なのよ。それによい物じゃなくて、質の悪い物にするからね。加減して魔力を籠めるから平気」

 玲太郎はハソへの嫌悪感がいつの間にか薄れていたが、本人はそれに気付いていなかった。

「そうであるか? わしがおるからよいとは思うのであるが、何かあっては困るから、出来れば颯のおる時に遣って欲しいのよ」

「分かった。それじゃあ戻るまで待つね」

 そう言った直後に颯が戻って来た。

「只今」

「おかえりなさい」

「もう全部出来たのか?」

「出来る訳ないのよ。ハソに、はーちゃんがいない間はやるなって言われてた所でね…」

「ふっ、そうなんだな。いるから遣っていいぞ」

 椅子に腰を掛けて玲太郎を見た。玲太郎は笑顔で頷く。

「分かった」

「呪文は唱えるなよ?」

「分かってるってば。さっきも言われたのよ……」

「悪い。でも玲太郎には言っておかないと、ふと遣りたくなるかも知れないからな」

 玲太郎は苦笑した。

「やっぱりやりたくなる時もあるのよ」

「北の畑では唱えていいぞ?」

「分かってる」

 颯が微笑んで軽く二度頷くと、玲太郎は小さく切られた枝を一本持って目を閉じた。授業の時とは違って、質の悪い物を作る為に繰り返し掛けた。

 颯は寮長室から紙を持って来て、枝が入る大きさの封筒を作りながら時折玲太郎を見て、ハソも注視していた。玲太郎は招福の呪物を五個作って終わりにした。

「これは意外と気を使うから、疲れちゃうね」

「質の高い物じゃなくて、逆に質の低い物を作るんだから仕方がないな。残りは授業中に作れるんだろう?」

「うん、呪術の授業で作ってよい事になってる」

「特別活動じゃないんだな」

「そうなのよ。ダーリー先生より、専門のルニリナ先生の方が分かるからじゃない?」

「じゃあ特別活動は学祭まで何を遣るんだ?」

「はーちゃんが作ってくれた、呪物を入れる紙袋の飾り付けとか、教室の飾り付けを作るとか、そういうのをやるみたい」

「成程。教室も飾り付けか……。後片付けが大変そうだなあ」

「ふふ。はーちゃんは片付けないんだからよいじゃない」

「まあ、俺は魔術でさっと遣ってしまえるからいいんだけど、生徒はそうじゃないからな」

「そうなの?」

「いつも魔術を使わず、ほうきで掃いたり、雑巾で拭いたりしているだろ」

「ああ、そうだね。そうだった、あのね、掃除と言えば、僕は洗浄魔術を習いたいのよ。洗顔や歯磨きが大分楽になるよね。後、洗濯も出来るようになっちゃうね!」

「先ずは水の玉を小さく作れるようになってからだな」

「ああ、それがあるのかぁ……」

「まあ、唾液で遣るって手もあるけどな」

「……綺麗にならなそう」

「あははは。歯に付いている物を除去するだけだから、唾液でもいいんだよ」

 颯が楽しそうに笑う様子を見た玲太郎は嬉しくなったが、話題の所為で直ぐに気分が沈む。

「そう? でもよい感じはしないんだけど……」

「確かに、乾いたら臭いもんな」

「どうしてそんな事を知ってるの?」

「玲太郎が赤ん坊の頃、口の周りに付いていた乳を舐め取った後、なんか臭うと思ったら、俺が舐めたからだったんだよ」

「な、なるほど……」

 不快そうに颯を見た。

「まあ、山羊の乳も癖のある臭いなんだけどな。それはさて置き、今夜から唾液で練習でも遣ってみるか?」

「出来ると思う?」

「出来るようになる為の練習だろう?」

「あ、そうだね。唾液……、それじゃあ水でお願いします。頑張ってみる」

「水かよ。うーん、解った。でも夜だけな。朝は時間に余裕がなくて見ていられないから勘弁な?」

「うん、分かった」

 二人はたわいない会話を続け、二十二時が来ると八千代が作った弁当を食べた。食後は約半時間寛いでから玲太郎は週末に習った社会の復習を開始し、颯はハソを残してルニリナの部屋へ行っていた。


 二十四時少し前に寮長室に戻って来た颯は、勉強机に伏せて眠ってしまっている玲太郎を目にすると苦笑した。背中に手を置き、玲太郎を揺する。

「玲太郎、玲太郎。風呂に入ろう」

「……うん」

 目を開けて颯を見上げたが、その目は半開きで寝惚けているようだった。颯は仕方なく洗浄魔術で玲太郎の全身を綺麗にして、浮かせた状態で寝間着の着替えさせた。そのまま颯の寝台へ運び、掛け布団を捲り上げて寝かせる。掛け布団を掛けて、玲太郎の寝顔を見て微笑んだ。

「お休み」

 無反応だった。玲太郎が着用していた衣類にも洗浄魔術を掛け、収納棚の中に片付けた。颯は玲太郎の机の傍に浮いているハソへ視線を遣った。

「それじゃあ、俺は風呂に入って来るから、頼むな」

「うむ。此方こちらは気にせずに入って来るがよい」

 集合灯の明るさが落とされ、室内が薄暗くなると颯は隣室への扉を開放したままにして浴室へ向かった。ハソはそれを見送ってから、薄暗い中で玲太郎の寝顔を見詰めていた。

 それは颯が戻って来ても続いていて、その視線は時折ヌトにも注がれた。颯はそれを一瞥すると、玲太郎の寝台へ上り、柔軟体操を一通り遣り終え、瞑想を始めた。それが終わると次は本棚から本を取り出して机に向かい、光の玉を顕現させて読書を始めた。

 ふと気が付くとハソが浮いたままで横たわっていて漂っていた。顔を確認すると眠っていた。

(ヌトも最初はこうだったなあ……。いつの間にか寝台で寝るようになったけど、ハソはこのまま浮きっ放しなんだろうか?)

 寝台にある目覚まし時計を手元に飛ばして手にすると、それを机に置いて読書を再開した。

 巡回する二十九時には十分ほど早かったが、颯は時間を掛けて巡回する事にして、寮長室を後にした。ルニリナやノユやズヤも眠っているようで、気配が動く事はなかった。四階の五学年が使用している大浴場に行き着くと、瞬間移動で寮長室に戻った。

「玲太郎、厠へ行こう。起きて」

 掛け布団を無造作にめくり、玲太郎を抱き上げる。

「……ねむい……」

 目は閉じたままで一言言うと、颯の肩に頭を預けた。颯は玲太郎の背中を優しく何度も叩いた。

「起きろよ。一度しっこを出しておかないと、朝には寝具に地図が出来るだろう?」

「うん……」

 力の入らない手を持ち上げ、寝惚け眼を擦った。颯に抱かれて隣室の地下へ行き、小用を足すと次は台所へ行き、湯呑み一杯の水を飲まされると目が覚めた。颯がその湯呑みで水を飲んで、洗浄魔術で綺麗にした湯呑みを水屋に戻す。

「はーちゃん、僕、お風呂に入った?」

 水屋の扉を閉めながら、声に張りのある玲太郎を見た。完全に目が覚めているのが見て取れた。

「入ったよ。臭いを嗅いでみろよ。臭いか?」

 玲太郎は俯いて臭いを嗅いだ。

「臭いは良く分からないんだけど、入った覚えがないのよ」

「へえ、そうなのか。でも入ったから綺麗だぞ?」

「なんか目が覚めちゃったから、入りたい」

「ふうん、そう……。仕方がないなあ。入るとするか」

 颯は玲太郎を抱いたまま、地下へ戻って行った。


 それからは平穏な日々の中、玲太郎は真摯に学び、成功しない魔石作りにも音を上げずに練習を続けた。

 そうこうしている内に学祭のある週末になり、玲太郎は土の曜日になっても屋敷に帰らず、教室を飾り、机を四角をかたどるように配置して商品を並べ、翌日の開催日を迎えた。

 六学年生は十人を一班とし、三組合わせて九班に分けて中庭に露店を出店、運動場では四学年が泥団子で行う的当ての露店や、土で造った像などが所狭しと置かれていた。三学年と五学年は、一二年の教室で呪物の販売となっている。

 十時から開始となり、校門が開放されると近隣住人が続々と来訪した。生徒の父兄へも通知が送られていて、当然ながら来訪者の中にいるだろう。

 五学年月組は一人が三ヶ月の停学中、七人が退学となっていて二十三人に減っていた。それを三班で分け、交代で店番をする事になっていたのだが、玲太郎は三班で十六時から十九時までが店番となる為、それまでは時間があり、二班のルセナと十時から観覧する約束をしていた。

 今日の午前の間食は、朝食後に水筒と共に油紙で包まれている携帯食を渡され、各自で自由な時間に食べられるようになっている。昼食は時間に区切りを付けておらず、遅くなっても食べられるようになっていた。校舎の学食は観覧者に向けて解放され、ここで飲食物が買えるようになっていて、露店で買った物も食堂で食べるようになっていた。

 玲太郎とルセナは私服で寮を出た。露店には玲太郎の大好きな焼きそばに、ルセナの好きな揚げ芋もあったが、二人が買う事はなかった。校舎の裏口から正面玄関に抜け、駐舟場を通ってから運動場へ向かった。的当ては各組でやっていて、三ヶ所あったが立ち寄らなかった。二人は最初に出合った高さ一間は優にある馬の像の前で立ち止まって見上げた。

「結構立派だね」

「馬だな。たてがみがキレイに再現されてるよな。風になびいてる感じがいい」

「そうだね。ルセナ君は馬を見た事があるの?」

 目を輝かせている玲太郎を見て、ルセナは微笑んだ。

「あるよ。買い物をしにヤニルゴルへ歩いて行くんだけど、そこに一杯いるだろ?」

「ヤニルゴルは肉を買いに行く以外で行った事がなくて、動物は見た事がないのよ」

「大角牛もいるんだぞ。山羊や羊や豚もいるけど、色々な種類の鳥がいて見て回ると楽しいぞ。家畜化されているから飛べなくなってるんだけどな、歩いてる姿が可愛いよ」

「そうなんだね。次に行った時に見てみるね。でも、そういうのを見ちゃうと、食べられなくなるんじゃないの?」

「あはは。それはない。旨い肉に育てよって思う事はあるけどな」

「あはは。それは僕もそう思いそう」

「ウィシュヘンドは動物を見に行った事はないのか?」

「図鑑では見たけど、動物を直接見た事はないね。食べに行く事はあるけど……」

「あはは。完全に食べる方に振り切ってるんだな」

「そうなのよ。ルセナ君は動物を見に行く事はあるの?」

「わざわざ見にヤニルゴルへ行ってるよ。一緒に行ってみるか?」

「え、よいの? 行きたい!」

 喜んで言ってみた物の、ふと明良が頭をよぎった。

「あ……、でも許可をもらわないといけないから、すぐに返事は出来ないのよ。ごめんね」

 気を落とした玲太郎を見て、ルセナは微笑んだ。

「公爵家の子息だから護衛もいるだろうし、仕方がないよな」

「父上は行ってもよいって言ってくれるだろうけど、護衛が来るとなったら、アメイルグ先生かイノウエ先生になりそう……」

「それは最強の護衛じゃないか。アメイルグ先生が来ると人の目を集めそうだから、イノウエ先生がいいな……」

 そう言いながら一人頷き、玲太郎を見る。

「ウィシュヘンドの兄ちゃんは護衛にならないのか?」

「あ、えっと、なる時もあるけど、護衛って言う感じじゃないのよ」

 咄嗟に行った事でも、罪悪感が少しあった。

「そうなんだ。……でもそうだよな。兄弟で一緒にいたらそうなるか」

 後ろに人が遣って来ると、二人はその気配に気付いて顔を見合わせると移動した。次は鶏が八羽いたが、大き目に造られていた。屈んでそれを凝視した。

「朝早い時間なのに、結構人がいるんだね」

「そうだな。校舎の方の食堂で、格安でご飯が食べられるし、露店も少しだけどあるし、それ目当てで来る人もいるみたいだな。後、お守りも人気があるみたいだぞ。一人一体しか買えないけど、安いし、効き目があるって話だな。オレは去年と一昨年もやったけど、昼くらいには完売してたな」

「え! それだと三班の僕は店番しなくても良くなるって事?」

「そうなるな」

「知らなかったのよ……」

「三班のヤツらは、クジを引いた後に喜んでただろ? 前は四班で、去年は四班のヤツらも喜んでたよ」

 玲太郎はルセナを見ると、ルセナが次の像を指差した。二人は立ち上がって次へ向かう。

「去年はルニリナ先生が全員のお守りの値段設定をしてたからか、迷う人が多かったんだよな。今年もそうなると思うよ。オレのは高めの値段が付けられてたけど昼前には完売してたから、ウィシュヘンドもそうなるだろうな」

 また大き目に造られている羊三頭の前に立ち止まり、像を見ないで顔を見合わせていた。

「そうなの? 値段って一律じゃないんだね」

「効果も違えば、持ちも違うんだから当然と言えば当然だな。一昨年は月組の中では五百、七百五十、千の値段で分けられてただけだったけど、昨年はルニリナ先生は細かく付けてくれて、一言添えてくれてたよ。今年もそうしてくれてると思うぞ」

「へぇ、ルニリナ先生凄いね。僕のは幾らになってるんだろう? 気になる」

「次の特別活動の授業で値段は教えてもらえるんだけどな。……像を全部見終わったら、教室に行ってみるか?」

「うん!」

 二人は大き目の羊を見て感想を言い合うと次へ向かった。玲太郎は図鑑で見ていた動物が、土ではあるが立体になって佇んでいる様を見て感心していた。図鑑を見ても実物を見たいと思わず、植物に傾倒していた幼少期を過ごしていた所為か、大きさに圧倒されても実物ではない事もあって感動が薄かった。


 一階にある二学年月組の教室に、玲太郎の作ったお守りが置かれていた。高目の値段設定をされている物の中に入っていただけでも驚愕したのだが、一番高い値段になっていて更に驚愕した。

「やっぱりウィシュヘンドが一番高いんだな」

 ルセナは納得しているようで、一人頷いていた。

「それにその値段で残り少ないなんて、凄いな」

「ルセナ君のはもうないじゃない」

「そうだな。でも値段が分からずじまいだ」

「値段はどうあれ、開始四じっ分で完売は凄いね」

 その会話を聞いていた人物が二人に近付く。五尺八寸の身長に赤銅色の髪、灰色の目に、小麦肌をした月組で最年長の少年だった。

「何しに来たのかと思えば、ルセナの分の値段が知りたいのか?」

 ルセナは声のする方に顔を向けた。

「オレのはイクショーヨと同じ値段だったんだろ?」

「俺より二百こん前後高かったよ」

 ルセナが意外そうな顔をする。

「お、そうなのか。イクショーヨも完売か?」

「そうなんだよ。ウィシュヘンド君はまだ残ってるけど、俺達と千金も違うからな。そのお陰で俺達のが先に売れたんだと思う」

「僕のが三千金前後とは思わなかったのよ……」

「ルニリナ先生の一言は「当校随一のお守り」としか書いてないもんな」

「俺とルセナの値札には、「一般的なお守りより確実に良く効く」って書いてあったぞ」

 そう言うと、玲太郎を見て何かを思い出したのか、イクショーヨが笑い出した。

「何?」

「何か面白い事でもあったのか?」

「いや、アメイルグ先生がウィシュヘンド君のお守りを買いに来てて、一種ずつ三体買いたいってワガママを言い出して粘られたんだよ」

 玲太郎の顔が見る見るうちに紅潮して行く。

「ご、ごめんなさい」

「保健室を出入り禁止にされた子もいると聞いていたから、厳しいんだろうなって思ってたら違ったからおかしくて。それに、隣にいた灰色の髪で黒尽くめの格好の人がなだめてくれて、他にお爺さんとお婆さんの二人がいたんだけど、四人が一体ずつ買って行ったよ」

「あ、父上以外にもばあちゃんとお祖父じい様も来てたの。またお礼を言わないと…」

「え!? 今、父上って言った!? あの人がウィシュヘンド公爵様だったのか!?」

 イクショーヨが驚きの余りに大声で言うと、全員がこちらを見た。

「アメイルグ先生が来て、みんなが俺を見るから俺が接客をしたんだよ……。無礼じゃなかっただろうか……」

「オレもウィシュヘンド公爵を見たかったなぁ……」

 玲太郎は衆目を集め、恥ずかしくて俯いていた。

「関係ないけど、ウィシュヘンド君のお守りはイノウエ先生が一番に買ってたよ。ルニリナ先生も一緒にいて、悩みながら選んで買ってた。二人とも招福だったよ」

「あ、そうなの? 教えてくれてありがとう」

 顔を上げて笑顔になると、周りの目が気になってまた俯いた。

「二人も買ってくれてたなら、後でお礼を言わなきゃ……」

「やっぱりイノウエ先生とは本当に仲がいいんだな。寮では同室だから当然か。それにしてもルニリナ先生とも仲がいいのか?」

 ルセナに顔を向けた玲太郎は頷く。

「ルニリナ先生は父上と親しいのよ。それでご縁があるんだけどね」

「そうなのか。ルニリナ先生も顔が広いんだな」

「稀たいの占術師って呼ばれてるんだって」

「占術師なんだな。オレはてっきり呪術師だと思ってた」

「呪術師でもあるって言ってたね。占術師としてとっても有名だって聞いたのよ」

「へぇ、それは凄いな」

「目族の占いは、一人につき生涯で一度切りだって言ってたから、契約書に署名しないと占ってもらえないんだって」

「ルニリナ先生って目族だったんだな。どうりで目の色が違うと思った」

 イクショーヨが呟いて頷いた。ルセナは腕を組んで俯いていた。

「占いか、オレも占ってもらいたいな」

「そう? 僕は占ってもらうのが怖いから嫌なのよ」

 顔を上げて玲太郎を見る。

「当たるんなら、未来が分かっていいじゃないか」

「悪い事を言われるかも知れないんだよ?」

「確かに悪い事を言われて、それが当たるとなると怖いよな。でも商売でやってるんなら、そういう事を言わないで欲しいって先に言えば、言わないもんじゃないのか?」

「それはそうなんだけど、悪い事が起こるって占いの結果に出る事自体が嫌なのよ」

「なるほど。それはどうしようもないな」

 ルセナは苦笑した。玲太郎は室内にある時計を見る。

「四十五分になったよ? 半から運動場で魔術演技会だからそろそろ行こうよ」

「お、そんな時間か。それじゃあイクショーヨ、頑張って売ってくれよな」

「お邪魔しました」

 玲太郎は小さく辞儀をした。

「楽しんで来いよ」

 二人が退室すると、教室には店番の生徒以外いなくなった。

「それにしてもルセナも丸くなったよね」

「よっぽどウィシュヘンドと馬が合うのか、一人じゃないからなのか、とにかく楽しいんだろうな」

「まあ、学校も寮も過ごしやすくなったもんね」

「それを言えば、みんなが丸くなったよ」

「それは言えてる」

 イクショーヨはそんな声が聞こえて苦笑した。貴族に属している生徒の殆どが、自分より上位にいる者に抑圧される事も、虐めを強要される事もなくなり、ルセナが正義感を発揮する機会を失っただけで、丸くなった訳ではなったからだ。

(虐めていた奴らがいなくなってから二ヶ月が過ぎて、校内がかなり過ごし易くなったと感じている生徒は多いみたいだから勘違いしてるんだろな。確かにウィシュヘンド君がいるからってのもあるだろうけど、いてもまた虐めがあれば尖るに決まってる。丸くなったんじゃなくて、ならされている、が正しいんだと俺は思うんだけどな。ルセナの目の前で虐めるアホはあの一件以来いなかったけど、相談する平民は多かったからルセナも尖ってたけど、今はそれもないからな)

 会話に入ることなく、一人で思案していた。

「それにしても演技会のある時間は人が本当にいなくなるよね」

「来ても二三人だからな」

「魔術演技なんて、そう簡単に見られないもんな」

「本当だったらうちらがやってたのに……」

「三年連続お守りだもんな」

「僕はそれで良かった」

「あたしも」

「私もだわ」

「お守りが楽でいいよ」

 客が一人もおらず、店番の生徒の雑談で賑わった。それに参加していないイクショーヨともう二人は売れて空いている机に別の生徒の商品持って来て、ルニリナが書いた一言を読み易いように並べた。


 十三時前になると、寮長室の扉を叩く音がした。ヌトは役目を終えたとばかりに颯の寝台で眠り始め、玲太郎は扉を開錠して静かに開け、水伯と明良を招き入れた。

「いらっしゃい」

「今日は」

 水伯に笑顔を向けると、その後ろにいる明良に声だけ掛ける。

「あーちゃん、扉の鍵、一応閉めておいてね」

「解った」

「父上、お茶飲むでしょ? 僕が淹れるからね」

 玲太郎は水伯の手を握って、一緒に隣室へ向かう。一人取り残された明良は大きな溜息を吐くと一人寂しく隣室へ行く。水伯は既に食卓の席に着いていて、玲太郎は台所で湯を沸かそうとしていた。

「明良が傍にいて、火の始末を見てくれるのだよね?」

 水伯にそう言われ、柔和に微笑まれた明良は大きく頷いた。

「行きますとも」

 真っ直ぐ台所に向かい、玲太郎の傍へ行く。

「もう準備は万端で、お湯が沸けばよいだけなのよ」

 明良の影に気付いてそう言うと一瞥した。

「そう。それでは一応傍に付いているからね」

「うん」

 頷きながら火を点けた。それから振り返ると、明良に笑顔を見せる。明良は透かさず屈んで視線を近付けた。

「今日、お守り買ってくれたんだってね。ありがとう」

「どう致しまして。誰から聞いたの?」

「店番してた子が言ってたのよ。父上もばあちゃんもお祖父様もいたって聞いたから、わざわざ来てくれたんだなって思って」

「成程、そうなのだね」

「一人一体のみなのに、三体欲しいって言ってたって聞いたのよ」

 明良は満面の笑みを湛えて玲太郎を抱き締めた。

「それは玲太郎の作ったお守りだから、記念に全部欲しくなるのは当然だよね」

「一体しか買えないように購入券を配ってたのに?」

「そうだね。欲しい物は欲しいのだから仕方がないよね。それにつけても、購入券を貰う為に名前を書かされたよ。それも一人に就き一度しか持って書けない万年筆で書いたのだよ。水伯も面白い物を作るよね」

「へぇ、そんな物があったんだね。知らなかったのよ。それであーちゃんは、どのお守りを買ったの?」

「私は招福にしようかと思ったのだけれど、二体売れていたから金運上昇にしたよ。水伯がどれを買ったのかは本人に訊いてね? ばあちゃんとお父様は健康を買っていたよ」

「うん、分かった。でもあーちゃんが金運なんか持ってても、意味がなさそうだけどね」

「そう? 金運が上昇すれば、領地の運営も安定して出来るから、私としては稼げると嬉しいのだけれどね」

「それだと商売繁盛の方になるんじゃないの? 作ろうか? あ、でも僕よりあーちゃんが作った方がよい物が出来るね」

「ふふ。何時かまた玲太郎が作ってね。楽しみにしているよ」

「よい宝石や金属を使って呪術を掛けるのは、一発勝負だから怖いのよ。それもよい物が出来る確率は五割くらいだから、まだ作りたくないね」

「練習を遣ればよいではないの」

「ルニリナ先生は五割も上物が出来ればよい方だって言ってたよ?」

「それでは練習は遣らないの?」

「呪術より魔石作りの練習をやらないとね」

「それはそうだね」

 遮る物がない為、会話は水伯に筒抜けで、柔和な微笑みを浮かべて聴いていた。そしてお守りを買いに来た時の明良を思い出し、一人笑っていた。耳ざとく明良がそれに気付き、水伯を一瞥したが、された方は気付かず笑っていた。

 湯が沸き、玲太郎は急須に湯を注いだ。時間が少し経過するとそれを湯呑みに注ぎ、明良が湯呑みを食卓へ運んだ。茶請けは颯の残り少ない焼き菓子だった。三人はその焼き菓子を平らげてしまい、温くなった茶を飲みながら雑談をしていたが、玲太郎がふとある事を思い出した。

「そうだった。あのね、ルセナ君とヤニルゴルへ動物を見に行こうと思うんだけど、行ってもよい?」

「私は構わないけれど、颯を一緒に連れて行くようにね」

 玲太郎の想像通り、水伯の許可は条件付きだったが直ぐに得られた。

「え? 私が行くよ?」

 それが当然のような口振りで言うと、玲太郎が「ふふ」と笑った。

「肉を買いに行くのではなく、飼育されている動物を見学しに行くのだよね?」

「そうなのよ。今日、運動場に土の像が造られてるんだけど、ほとんどが動物なのよ。それで見てみたいなと思ってたら、ルセナ君が誘ってくれたのよ。だからルセナ君が一緒なのは絶対なんだけどね」

「邪魔者がいても構わないよ。私が一緒に行くからね」

 玲太郎は思わず苦笑し、水伯は失笑した。玲太郎は驚いて水伯を見た。

「あはは、邪魔者は明良だろうに。あはははははははは……、はーあ。笑わせてくれて有難う。さて、悪い事は言わないから、明良は行かないようにした方がよいね。颯と、ニーティが行くと言えばニーティも連れて行くとよいと思うよ。そうすれば颯が退屈する事はだろうからね」

 明良は怒りを僅かばかりあらわにした。

「私が行くと言ったら行くのだよ」

 笑顔だった水伯の表情が引き締まり、明良を見据えた。

「護衛に徹する事が出来ないだろうから止めておきなさい」

 明良は言い返せずに口を噤んだ。玲太郎はそんな明良を哀れに思った。

「あーちゃん、別の日に一緒に行こうよ、ね?」

 そう言った玲太郎に明良が笑顔を向けると、玲太郎は微笑んだ次の瞬間、水伯に顔を向けた。

「父上も一緒に行くでしょ?」

「それでは一緒に行くとしようね。ふふ」

 明良は落胆したが、置いて行かれるよりは随分と増しの為、納得せざるを得なかった。

「それならば一層の事、別の場所へ行かない? ヤニルゴルのように動物の種類は揃っていないだろうけれど、水伯の南の領地にそういった場所はない?」

 水伯は明良に視線を向けてる。

「ヤニルゴル以外となると、そうだね、……いても三種か、四種になってしまうよ? 私の領地以外なら若しかしたらあるかも知れないけれど、そうなると調べないと判らないね」

「別にヤニルゴルでよいじゃない。僕は同じ所でよいよ?」

 そう言いながら二人の顔を交互に見た。

「でも食肉用に飼育されているのだよ? そういう動物を見てどうも思わないの?」

 明良が些か眉を顰めていた。玲太郎は思わず顔が綻びそうになり、それを我慢した。

「可愛い姿を見て食べられなくなるかも知れないって事?」

「そう」

「それはないね。僕、動物図鑑を見ても、どういう味がするんだろう? とか、美味しいのかな? って思っちゃうから、食べ物としてしか見てないと思うのよ」

「そうなのだね。それでは別に構わないか」

 明良の気遣いは不要の物だった。玲太郎は平然としていたが、水伯は苦笑していた。

「では、そろそろ運動場へ行くかい?」

「うん、行こう。動物の像が一杯あるんだけど、凄く上手に造れてるのよ」

 明良がその言にいち早く反応する。

「玲太郎はもう見て来たの? 一人で?」

「ううん、ルセナ君と行って来たんだけどね、僕ではあんなには造れないと思うのよね」

 湯呑みを盆に載せながら「そうなのだね」と素っ気なく言い、湯呑みを下げに台所へ行ったかと思えば、水屋に片付けていた。玲太郎はそれを見てから水伯に顔を向けた。目が合うと、水伯が柔和に微笑む。

「それでは行こうか」

「うん」

 二人は椅子を机に入れて手を繋ぐと、明良が戻るのを待ってから退室した。明良は自分が玲太郎を抱いて回りたかったが、それが出来ずに不機嫌になっていた。それでも玲太郎の空いている方の手を取り、何とか機嫌を直していた。


 店番の時間が近付き、制服に着替えた玲太郎は二班との交代で教室へ向かった。裏口には「お守りは完売しました」と書かれた看板があり、玄関広間で購入券を配っていた人達がいなくなっていた。そして通り過ぎる教室の扉には「完売」と書かれた張り紙がされている。一応二年月組の教室へ入室すると、颯と、それから既に三班の数人がいた。玲太郎は颯の傍へ行き、見上げた。

「イノウエ先生、もう完売してますけど、これからどうするんですか?」

「三班で後片付けを遣るんだよ。商品がないのにいても仕方がないからな」

「そうですか……」

「高い所は俺が遣るから、机を元のように並べて、椅子も戻して、ああ、その前に掃き掃除と拭き掃除を遣って綺麗にしておかないとな」

「分かりました」

「先にこれを取ってしまうから、椅子に座っていていいぞ」

 上の装飾を指差して行った。

「はい」

 玲太郎は頷いて、壁に並べられている椅子に座った。他の生徒もその遣り取りを聞いて座りに行く。

 一人が遅刻をしたが、全員が揃った所で掃除が始まった。壁の高い位置に飾られていた物を、颯が言った通り、魔術で高い所にあった飾りを取り外し、生徒は黒板を綺麗にしたり、床掃除をしたり、机を拭いたりしている。颯がいる事で皆が真面目に取り組み、二十分もしない内に終わった。

「うん、綺麗になったな。お疲れ様。もう帰っていいぞ。演技会を見に行く時は私服で行けよ」

 女子の数人が口々に「先生、さようなら」と言って退室し、男子は黙って退室し、玲太郎が一人残っていた。

「どうした? 帰っていいぞ?」

「あの、ルニリナ先生と朝一番に来てお守りを買ってくれたんでしょ? ありがとう」

「ああ、その事か。どう致しまして」

 そう言ってズボンの衣嚢から小さな紙袋を出した。

「きちんと身に着けているからな」

 それを見た玲太郎は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。でもみんなが買ってくれるんだったら、もっとよい物にすれば良かったね」

 また颯を見上げると、颯は玲太郎を見ながらお守りを衣嚢に入れた。

「これくらいで丁度いいんだよ。こういう所で売るなら、良過ぎる物は駄目だな」

「そうなの?」

「まあ、玲太郎はこの一度限りだからな。それにしても二年は持つんだから凄いよな。常識を超えているんだぞ。これは所謂いわゆる掘り出し物って奴だな」

「ほりだしものって何?」

「いい物なのに安いって事」

「えっ、三千金だよ? お守りなのに十分高いと思うけど」

「これを店で並べるなら、強気の一万金を付けるな」

「ええ、それは高過ぎるのよ」

「玲太郎は価値を解っていないな? もっと自分の力を正当に評価しろよ」

 そう言うと玲太郎の頬を優しく摘んだ。

「玲太郎、そろそろ戻らぬか。わしは眠いのよ……」

 気力のない声色でヌトが言うと、玲太郎は苦笑した。颯が手を離し、教壇の演台に置いてある紙袋を手にした。

「それじゃあ寮長室に戻るね。ありがとう」

「ヌトが寝るなら、玲太郎は外出するなよ?」

「うん、分かった。もう魔術演技会も見たし、運動場の像も二度も見たから出ない。じゃあ後でね」

「気を付けてな」

「なんならわしが傍におろうか? ヌトは眠るのであろう?」

「散歩もしないから大丈夫。ありがとう」

 颯の後ろにいたハソに言うと、颯に手を振って扉の方へ向かって行った。それを見送った後、颯は手に持っている塵を見て焼却炉へ向かった。


 十八時を過ぎて寮長室へ戻って来た颯は、勉強中の玲太郎に挨拶をして隣室へ向かった。五分もしない内に寮長室に戻って来ると、玲太郎の傍へ行く。

「俺の菓子がもうないから、ついでに色々と買い物に行くけど、玲太郎も行くか?」

「行く!」

 鉛筆を置いて勢い良く立ち上がった。颯の後ろにいたハソが笑顔になる。

「玲太郎がおるなら、わしも行けるな」

 玲太郎よりもハソの方が喜んでいた。

「何か野菜と、燻製肉と、それから玉子も買うからな」

「お菓子を買いに行くんじゃないの?」

「それも行く。だから色々買い物に行くって言っただろう?」

「あ、そうだった。僕もお小遣いを持って行って、お菓子を買おうっと」

 颯はつい鼻で笑った。

「それくらい奢るよ。小遣いは大切に持っておけばいいよ」

「そう? よいの?」

「今更だろう?」

「ありがとう」

 勢い良く颯に抱き着いて行くと、直ぐに颯に剥がされ、抱き上げられる。

「うん? 抱っこで行くの? 僕はもう九歳なのよ?」

 颯は「そうだな」とだけ言い、ハソに視線を遣って「行くぞ?」と声を掛けるとハソは慌てて玲太郎に触れて「よいぞ」と頷いた。

 その直後にりく合が一変した。ハソは何度体験しても、この変化を楽しんでいた。それが路地裏であっても楽しかった。

「おお、何やら建物の間であるな? 路地裏か」

 辺りを見回して言うと、颯はその相手をせずに歩き出して表通りに出た。

「お菓子からだね?」

「そうだな」

 玲太郎は見覚えがあった。最近は同じ店で菓子を買っていた。颯が入店した途端に店員に呼び止められる。

「お客様、少々よろしいでしょうか?」

「はい」

 声を掛けて来たのは白い前掛けを着た老女だった。その老女の前には長机があり、白い布で何かを包み、その口を色取り取りの帯で蝶々結びにされている物が沢山置かれていた。

「今日で開店三十周年なんですよ。今日だけお菓子をお配りしていましてね、この中から一つ選んでください。お一人様お一つですから、坊やもどうぞ選んでね」

 老婆はそう言って玲太郎に優しく微笑み掛けた。

「玲太郎はどれにする?」

「濃い黄色の帯のにする」

 颯が手前にある物を指差した。

「これ?」

「違う、奥の方」

「こっちな」

 そう言って老婆の近くにある物を取ると玲太郎に渡した。

「おばあさん、ありがとう」

「どういたしまして。中に「アタリ」と書かれた紙があったら、それを持って来てね。お好きな商品を無料で一つ差し上げますからね」

「え! 本当? 当たってるとよいね」

 颯に笑顔を向けると、颯も釣られて笑顔になって頷いた。

「それじゃあ俺が当てるしかないな」

 そう言うと真剣な眼差しで選び始めた。玲太郎は微笑みながらそんな颯を見ている老婆に視線を遣ると、それに気付いた老婆と目が合い、微笑み合った。

「これにするわ」

 そう言って手にした帯の色は緑だった。

「濃い方の青にせぬか」

 後ろにいたハソが言うと、玲太郎がハソに一瞥をくれた。

「やはり俺と言えば緑だよな。おばさん、有難う」

「どういたしまして。またいらしてくださいね」

「はい」

 笑顔で軽く辞儀をして、陳列棚の方へ行く。いつもより焼き菓子を多目に買って店を後にし、先程到着した路地裏へ向かう。この店の紙袋には持ち手が付いていて、左手首に通して提げていた。紙袋が足に当たって音を立てていたのだが、それが止んだ。

「ハソ、遅れるなよ?」

「少しばかりなら良いではないか。後ろではなく、前を行かねばならなくなるわ。よいぞ、遣って呉れ」

 颯の首に回している玲太郎の腕に触れていた。


 次もまたどこかの路地裏で、颯は大通りの方へ歩き出し、ハソも付いて行く。今度は野菜を買いに来たようで、生鮮食品の並んだ店が軒を連ねていた。

「はーちゃん、魚が食べたい」

「魚かあ……、先に野菜を見てからな」

「うん。所で、ここはどこなの?」

「ウィシュヘンド地区」

「こんな所があったんだね」

「そうだよ。此処でも結構買っているけどな。後は水伯の南の領地」

「ツェーニブゼル領では買わないの?」

 八百屋の前で足を止め、並んでいる野菜を見る。

「肉は買っているからそれで十分だよ。それと菓子。今行っていた菓子屋はツェーニブゼル、…じゃないな、エナダリンだ。隣の領地だったわ」

「あ、そうなの。それは知らなかったのよ」

「エナダリン州エナダリン領エナダリン市だったと思うよ」

「州都だったんだね。……へぇ、そうだったの」

「確かラシャイーツ地区だな」

「ローパートサ屋さんはラシャイーツ地区なんだね。覚えておこう」

 颯は野菜を見ていたが鼻で笑い、笑顔で立っている店員に視線を遣った。

「お兄さん、人参とジャガイモをひと山ずつと、晩茄ひと籠、葱ふた束と大根と、うーん、……甘藍も貰おうか。いい物を見繕って貰える?」

 お兄さんと言っても、四十路前後といった風貌だった。店員は満面の笑みを浮かべて頷く。

「はいよ」

 一番大きな紙袋を手にすると、颯が言った物を、順番は違ったが、復唱しながら入れて行った。

「千三百二十金だから、二十負けて、千三百金ね」

 颯はズボンの衣嚢から出していた財布を玲太郎に渡した。

「出して」

「分かった」

 財布を開けて、硬貨を確かめる。

「大銀貨一枚と、小銀貨三枚……。小銀貨がないね」

 独り言を言いながら財布の中に人差し指を入れて交ぜていた。

「大金貨発見。これは……あ、中金貨だ。はい、はーちゃん」

 颯が広げていた掌に二枚の硬貨を置いた。

「有難う。お兄さん、これ」

「はいよ」

 そう言って手を伸ばすと、颯も手を伸ばして渡した。それを魔道具の円型の受け皿に置いた。

「千五百金のお預かりだから、二百金のお返しね」

 皿に置いた効果を取り、今度は小銀貨二枚を皿に置いた。そしてそれを颯に渡す。

「有難う」

 それを玲太郎に渡すと財布に入れて、その口を閉めた。

「次は魚屋へ行くから、そのまま持ってて」

「分かった」

「お客さん、商品渡しますよ。意外と重いから気を付けて」

「解った」

 店員が右手に紙袋を載せ、左手で上部を持って差し出した。颯は片手で上部を持とうとすると、店員が驚いて颯を見た。颯は笑顔になると、紙袋が俄に軽くなって店員はまた驚いた。

「魔術だから」

 そう言った颯と紙袋を交互に何度も見て手を離した。

「そういう事ね。驚いたぁ~」

「有難う」

「こちらこそありがとうございましたー!」

 玲太郎が店員を見て小さく辞儀をすると、店員が玲太郎に向かって手を振り、颯は魚屋に向かって歩き出した。野菜の入った紙袋は颯の後ろにあって浮いていた。魚屋の前で止まり、陳列棚に並んでいる魚を見る。

「下りようか?」

「いや、いいよ」

 颯は笑顔で立っている店員を見ると目が合った。今度の店員は三十を軽く超えているという事だけはなんとなく判る程度だった。

「お姉さん、白身の魚を二種類二尾ずつの四尾お願い」

「あれまぁ、ざっくりとした注文だね。赤身は嫌なのかい?」

「嫌いじゃないけど、白身の方が好きなんだよ。お勧めはある?」

「そうだねぇ。……それじゃあ最上段にあるこのザーモエンと、次の段のシャタはどう? ザーモエンは基本的にはお汁に使うんだけど、何か野菜と一緒に煮てもいい。ジャガイモと煮ると美味しいよ。味付けは牡蛎油を少し入れるだけで、汁を牛乳にして多めに入れて、お汁としてもいいね。みじん切りのネギを散らすといいよ。シャタは小麦粉や片栗粉を付けて、ぜい沢だけど牛酪ぎゅうらくを多めに溶かして揚げ焼きがいいね。酸味が強めの晩茄に、少し砂糖を入れて煮詰めたタレをかけると美味しいよ」

 シャタは陳列棚から盆ごと出して見せてくれた。

「成程。それじゃあそれでお願い」

「はいよ。鱗を落としてさばいておくかい?」

「それはお願いしたい。宜しく。あらはいるから捨てないで貰える?」

「はいよ」

 笑顔で頷くと、ザーモエンとシャタを二尾ずつ取り出して盆に載せ、後ろのまな板で捌き始める。その後ろ姿で見ていた玲太郎は、慣れた手付きが見えなくて残念に思っていた。

「全部で五千金くらいだろうか」

 颯の言を聞いて我に返り、財布の口を開けた。

「まだだぞ?」

 玲太郎は思わず颯を見ると、悪戯っぽく笑って誤魔化して俯いた。颯は微笑んで玲太郎を見詰めていると、玲太郎がその視線に気付いて上目遣いで見ると目が合い、顔を紅潮させた。

 紙箱二箱を重ねて置き、油紙で包んで麻紐で結び、麻紐で輪にして持ち手を作った。そして陳列棚の上へ置く。

「ザーモエンが一尾で千二百金だから二千四百金、シャタが一尾で千金だから二千金、合計四千四百金ね」

 玲太郎は小金貨一枚を直ぐに出した。颯はそれを受け取り、陳列棚の脇にある台に置かれた魔道具の円型の受け皿にそれを置いた。店員が「一万金ね」と言って取り、「五千六百金のお釣りね」と大銀貨五枚と中銀貨一枚と小銀貨一枚を、また魔道具に置いた。それを全部取ると玲太郎に渡し、玲太郎は財布に入れて口を閉めた。

「お姉さん、有難う」

 微笑み掛けると、店員も笑顔で応える。

「こちらこそありがとうね。次はおばあさんと一緒に来てね」

「また機会があったら。それじゃあ」

 陳列棚の上に置かれた包みの持ち手を手に通して、軽く辞儀をすると玲太郎も辞儀をする。

「さようなら」

「さよなら」

 颯は足早に手近な路地裏へ向かった。立ち止まると後ろに付いて来ていた紙袋が颯の背に触れる。

「ハソ」

「解っておるわ。よいぞ」

 前に回り込んで玲太郎に触れた。颯はそれを確認するとヤニルゴル地区へ瞬間移動した。


 玲太郎は上空にいて体が強張った。

「わ、空に移動するのは止めて欲しいのよ」

 颯の服を握った。

「悪い。何時もの所の近くに人がいて、上空にしたんだよ」

 そう言いながら徐に下降する。

「ゆっくりじゃなくてよいよ。もっと早く着地してよいのよ」

「うん? 高所恐怖症は克服したんじゃなかったのか?」

 玲太郎は颯に顔を向ける。

「え、うん、したけど、うん、……うん?」

 颯は少し目を細めて視界を狭めている玲太郎を見て苦笑した。すると瞬く間に着地した。

「あれ? 今のは瞬間移動だった?」

「そうだよ。さて、豚のバラ肉の燻製を買おう。玉子もな」

「あ、そう言えば、牛乳がもうなくなるって昨日言ってたよ?」

「え、そうだったか? 来る前に見てなかったわ。それじゃあ牛乳もだな」

 ヤニルゴル地区の中では三番目に大きな店に行くようになり、気付けば常連となっていた。そこへ入って行くと、店員が颯を見て笑顔になる。店員の一人はまだ若い青年に見え、明良より少し年上と言った所だろうか。その店員が陳列台を挟んで、颯の正面に来る。

「いらっしゃい、先生。今日は凄い人だったね。学祭、どうだった?」

「成功と言っていいだろうな。昨年より多かったみたいだよ」

「ああ、そうなんだね。そんなに多かった?」

ろく年の中で一番って言っていたよ。食堂の調理人が、全部売り切れたけど草臥くたびれたって言ってたわ」

「うちはそのお陰で、帰りに寄ってくれる人で繁盛したよ。ありがとう。それで今日はどれにする?」

「うん、にわとりの胸肉を一羽分、豚のバラ肉の燻製いちヤチゴナ(約三斤五両)と、牛乳ひと瓶と玉子二十個をお願い」

「鶏胸肉一羽分と豚バラ肉燻製一ヤチゴナと牛乳一瓶と玉子二十個、了解」

 陳列棚からバラ肉の燻製を出して、処理台の上に置いてから颯の方に顔を向けた。

「忘れてたんだけど、今回の燻製は上物の肉を使っているから高くなるけどどうする? 二千五百金の所が、五千金になるんだよ。噛み応えは軟らかめで、味も美味しいのは保証する」

「倍か。……まあいいよ、いつも通りでお願い」

「了解」

 玲太郎は思わず笑顔になり、颯に顔を向けた。

「楽しみだね」

 小声で言うと、颯も釣られて笑顔になった。別の店員が卵を二十個包んで会計台に置き、別の店員が牛乳が入った瓶を持って来て置いた。

「そう言えば、鶏肉買ってどうするの?」

「竜田揚げを作るんだよ」

「たつたあげ? それは何?」

「醤油なんかの調味料に鶏肉を浸け込んで、それから片栗粉をまぶして揚げるんだよ。片栗粉を付けて揚げた様子が、和伍にある竜田川に似てるから竜田揚げって言うんだそうだよ、って、ばあちゃんが言っていたなあ……」

「へぇ、僕、食べた事ないような気がする」

「食べていたと思うけど、憶えていないんだろうな。この前買ったニンニクがあるから、あれを擂り下ろして入れよう。美味しいぞ」

「えー、僕はもっと早く竜田揚げを食べたかったのよ……」

「唐揚げはあるだろう?」

「唐揚げはある。ばあちゃんが作ってる、色んな柑橘類の果汁をかけて食べるのよ。美味しいね」

「あれに下味が付いている物が竜田揚げだな」

「ふうん……。今夜作ってくれるの?」

「そうだな、それじゃあ今夜作ろうか」

「やった!」

 玲太郎ははしゃいで思わず大声が出てしまった。直後に両手で口を押さえ、周りの目を気にすると、対応をしてくれていた店員が笑顔で油紙に包んだ肉を持って会計台へ遣って来た。

「坊ちゃん、いい事でもあった?」

「えへへ」

 笑って誤魔化すと、店員が颯に視線を遣る。

「ではお待たせしました。白い油紙が鶏、茶色の油紙が燻製肉だからね」

「うん、分かった」

「鶏が八百、燻製肉が五千、牛乳が四百、玉子が千で、七千二百金になります」

「はい」

 返事をしたのは玲太郎で、財布から小金貨一枚と小銀貨を二枚出して颯に渡した。

豚脂とんしを入れておくからね。そろそろなくなる頃合いだよね?」

「いいのか? 有難う」

「新人が間違えていい肉を塩漬けにしちゃって、それで燻製肉が高くなってるから、そのお詫びの奉仕品なんだよね。値下げは出来ないから、せめてものお詫びにね。でも本当に味は美味しいから損はないよ」

 そう言いながら紙袋に商品を入れて行く。

「ふっ、解った。今日来て良かったよ」

 紙袋の口を折って、紙袋を颯の方へ動かした。そして颯に顔を向ける。

「そう言えば、先生のおばあさんが来てたよ。燻製肉を買ってたね」

「ああ、そうなんだ。同じ物を買うなんて、やはり家族だよな」

「他にも色々買って頂いたんだけどね、一緒にいた灰色の髪のお兄さんが、燻製肉が上物だって言ったらいつもの三倍の量を買ってくれたよ」

「三倍なあ……。あの人は金を持っているから、もっと高い物を売り付けて欲しいわ」

「あはは、先生がそう言ってたって、言っておくよ」

 颯は頷きながら魔道具の円型の受け皿に硬貨を置いた。店員がそれを見て取り出す。

「一万と二百金のお預かりで、三千金のお返しね」

 大銀貨を三枚、受け取り皿に置くと、颯が取り出して玲太郎に渡した。置かれていた紙袋が浮き上がり、玲太郎の方へ行く。硬貨を財布に入れて口を閉めながらそれを二度見してから颯に顔を向けた。

「僕が持つの?」

「もう帰るから持って貰ってもいいか?」

「分かった。持ってる」

「有難う」

 颯の財布を左手に持ったまま、近くに来た紙袋を抱えた。持ったと言っても、颯が浮かせているようで、重さは一切感じなかった。

「それじゃあ有難う」

「こちらこそありがとうございました! 坊やもまた来てね」

「はい、ありがとうございました」

 小さく辞儀をすると、颯はそれを見て店を後にした。

「一杯買ったね」

「そうだなあ。何時もの事だけどな」

「竜田揚げ、楽しみ! 早く帰って夕食の準備をしようよ」

「まだ十九時になっていないんだぞ?」

「あ、そう……」

「帰って取り敢えず茶にしよう。喉が渇いたわ。今日は間食を注文していないから、買って来た物を食べような」

「うん、そうしよう」

 颯は少し歩いてから建物の陰に行き、辺りを見回していると、ハソが玲太郎に触れた。

「わしはよいぞ」

「よし」

 最後は一言発してから寮長室の隣室へ瞬間移動した。


 到着したのは隣室の調理台の傍で、颯は直ぐに玲太郎を下ろした。

「有難う」

 そう言いながら手を出して、玲太郎から紙袋を受け取り、買って来た物を統べて調理台の上に置いた。

「片付けは俺が遣るから、茶を淹れて貰ってもいいか?」

「やるやる!」

「食器類も全部出してくれよ?」

「紅茶なの?」

 颯は掛け時計に目を遣ったが、颯のいる場所からは角度が悪くて見えず、仕方なしにズボンの衣嚢から懐中時計を取り出した。

「夕食まで三時間半は確実にあるから、紅茶に牛乳を入れようか」

 衣嚢に懐中時計を戻しながら言った。

「分かった。それじゃあやるね」

「あ、記念に貰った菓子を食べるか」

「ああ、そうだね。それがあったんだ」

 颯が先に菓子店の紙袋からそれを出した。

「先に中にあるかも知れない当たりの紙を見てみてもよい?」

「もう当たった気でいるんだな。いいぞ」

「はーちゃんのも見てもよい?」

「いいぞ」

「ありがとう」

 喜色満面になり、踏み台に上って、先ずは黄色い帯の方を手にして解いて布を広げた。焼き菓子を包んでいる油紙も広がる。一見した所ではないようだ。玲太郎は念の為、油紙を持ち上げてみるが、それでもなかった。

「ない……」

 露骨に落胆した。それを見ていた颯は苦笑した。

「それは残念だったな」

「じゃあ、次ははーちゃんの」

 帯を解いて紙と油紙を一緒に広げると、油紙が入っていた。

「なんか入ってる」

 それを手にすると二つ折りにされていて、それを広げると「アタリ」と書かれた紙が挟まれていた。

「あ! 当たった!! はーちゃん、当たったのよ!」

 玲太郎が燥いで、颯に「アタリ」の文字が見えるように突き出し、それを見た颯が鼻で笑った。

「あれだな、玲太郎の招福のお守りの効果が出たな」

「え? そうなの?」

「きっとそうだよ。招福だからな。有難う」

「どういたしまして。早速効果が出るなんて凄いね」

「やはり玲太郎と言った所だな。それは大切に置いておかないとな。次に行く時も一緒に行こうか。それは好きな商品一つと交換して貰えるから、玲太郎の好きな物を選んでいいぞ」

「やった! 次に行った時に選ぶね。ありがとう。嬉しい!」

「その紙、なくさないようにしておけよ?」

「うん、分かった。僕の机のひきだしに入れて来るね」

 玲太郎は小走りで寮長室へ行った。颯は含み笑いしながら、いつの間にやら止まっていた手を動かし始め、店を広げた。

 戻って来た玲太郎は、踏み台の両脇にある持ち手を持ち、流しの前にそれを置くと上って手を洗った。流し台に付いている手拭い掛けに手拭いがぶら下がっていて、それで丁寧に手を拭いた。それから鉄瓶を持って来て、また踏み台に上って水を入れる。焜炉に持って行き、火を点けてから、また踏み台を調理台の傍へ移動させた。

「はーちゃん、湯呑みは大きいのを使うでしょ? 何色にする? 黒でよい?」

「それじゃあ今日は黒で」

「黒ね、分かった」

 水屋へ行って大き目の持ち手の付いた黒と紫紺の湯呑みを持って来ると、また水屋へ行き、茶器を取り、棚に寄って茶筒を抱え、湯呑みの傍に先ず茶器を置いた。颯がアタリを引いた事が余程嬉しかったのか、ずっと笑顔だった。

「玲太郎、浮かれていると失敗をするぞ? 熱湯を扱うんだから、気を引き締めていないとな」

 玲太郎の様子を見ていた颯が真顔で言い、玲太郎は颯を見上げた。

「うん? 気を付けるから大丈夫なのよ」

「そんな締まりのない表情をしているのに、本当に大丈夫か?」

「大丈夫」

 満面の笑みで返事をしたその時、茶筒が玲太郎の手から離れて行った。

「あっ」

 玲太郎が声を上げた直後に茶筒が落ちて音を立てた。幸い蓋は閉まっていて茶葉が散らばる事はなかった。颯は無言で玲太郎を見ていた。玲太郎は慌てて茶筒を拾うと、颯を見て苦笑した。

「落ちちゃった」

「目の前の事以外に気を取られているからだろう? だから気を引き締めてと注意をしたんだよ」

「そうだね。ごめんなさい」

「落ちたのが茶筒で良かったな。茶器だと割れていたぞ?」

「本当だね。先に置いてて良かったのよ」

 颯は玲太郎の頭を乱雑に撫で回し、広げた店を片付け始める。それを一瞥した玲太郎は深呼吸をして、気を引き締めた。颯が片付けている傍で、慣れた手付きで茶葉を蓋に出し、それを茶器に入れた。置いたままの茶筒に蓋を閉めると、颯がそれを見てそれも片付けた。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 玲太郎は出されている牛乳の瓶を見る。

「古いの、少し残ってたんだね」

「そうだな」

「それじゃあ温めるね」

「俺が持つ、両方持つから鍋を出して貰えるか?」

「分かった。ありがとう」

 玲太郎は焜炉前に行き、その下にある棚の扉を開いた。鍋を出すと閉め、焜炉の空いている方の一口に置いた。颯は新しい牛乳を焜炉の脇に置き、古い牛乳の蓋を開けて注ぎ、新しい方と持ち替えて注ぎ足した。そして匙を顕現させると、玲太郎に渡す。

「ありがとう」

 火を点けて掻き混ぜ始めた。

「どう致しまして」

 新しい方の瓶に蓋をし、空になった瓶を洗浄魔術で綺麗してしまうと両方持った。綺麗にした瓶は調理台の端に置き、牛乳の入った瓶は冷蔵庫へ入れた。掻き混ぜながら颯の行動をつぶさに見ていた玲太郎が笑いを堪えた。

「牛乳の空き瓶、もう三本もあるよ?」

「持って行こうと思って忘れているんだよ。次こそは持って行くわ」

「前も同じような事を言ってたよ?」

「うーん、忘れるんだよなあ……。忘れる俺も悪いんだけど、玲太郎が言ってくれないから忘れっ放しになるんだよな」

 横目で玲太郎を見ると、玲太郎は苦笑した。

「僕もつい忘れちゃう」

「そんなもんだよな」

「そうだね」

 二人で笑い合った後、颯は大きな椀を顕現させた。置いてあった鶏肉を魔術で切り分けてそこへ入れ、醤油と酒を加え、ニンニクを持って来て、魔術で潰して入れると揉みながら混ぜ始めた。一頻ひとしきり遣ると手を止め、洗浄魔術で手を綺麗にし、椀に丁度よい蓋を顕現させて椀に被せた。それを冷蔵庫へ入れる。

「何をやったの?」

「竜田揚げの下拵え。このまま寝かせて、味を染み込ませるんだよ。後は片栗粉を塗して揚げたら出来上がりだな」

「楽しみ!」

 玲太郎が嬉しそうに言うと、颯はふと何かに気付いた。

「それにしても、まだ湯は沸かないのか?」

「うん?」

 玲太郎は鉄瓶の方を見ると、まだ沸いている気配がなかった。不思議に思い、隣の火力を調整する摘みを見ると最小になっていた。匙を左手で持ち、右手でそれを最大にした。そして顔を颯に向けた。

「火が最小になってたみたい。今最大にしたからね」

「それじゃあ仕方がないな」

 玲太郎は牛乳に膜が出来て、それを匙で掬うと食べ、火を止めた。

「はーちゃん」

 匙を見せると、颯がそれを消去した。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 温まった牛乳を先に茶器に入れて蓋をし、颯が砂時計を引っ繰り返した。そして玲太郎の持つ鍋を手にして、魔術で綺麗にすると屈んで棚に片付けた。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 玲太郎は屈んでいる颯の背中に覆い被さると、颯はそのまま立ち上がって背負い、左手で玲太郎の尻を支えた。

「おんぶは久し振りだね」

「そうだな」

「抱っこよりおんぶがよいよね」

「うーん、俺は抱っこの方が楽でいいけどな」

「そう?」

「うん」

 湯が沸くと颯が茶器に注いだ。砂時計が落ち切ると、やはり颯が引っ繰り返した。玲太郎は背負われたまま、それを見ていた。小さい頃、颯だけは背負ってくれた事が記憶に残っている玲太郎は、とても懐かしくなった。


 夕食後、竜田揚げに大満足していた玲太郎はそればかりを話していた。颯は相槌を打ち、頷いて聞いていた。

「あ、そうだった。ルセナ君とヤニルゴルの動物を見に行きたいんだけど、父上が行ってもよいけど、はーちゃんと一緒に行きなさいって言ってたから、一緒に行ってもらってもよい?」

「動物? そう言えば、そういう類を見に、態々わざわざ何処どこかへ行くっていう事をしていないよな。行ってもいいぞ。少し離れた後ろから付いて行くよ」

「本当? ありがとう! ルニリナ先生を誘えばはーちゃんも退屈しないんじゃないかって父上が言ってたのよ」

 玲太郎は嬉しそうに笑顔になった。

「水伯がそんな事を言っていたのか……。それじゃあニーティも誘ってみるか。…そうなるとニーティに予定を合わせたいから、日時はニーティが決める、でいいか?」

「うん、それでお願い。なんかね、色々な鳥がいて、家畜化されてるから飛べなくなってるって聞いたんだけど、そうなの?」

 颯は首を横に振る。

「俺も知らない。肉とか玉子とか、商品にしか気が向いていなかったからな。大角牛の肉を売っているから、それもいるんだろうけど、他の店では鳥も色々な種類を売っているんだから、それだけいるって事になるよな。それはさて置き、勝手に見て回っていいのかどうかだな。何処かへ許可を貰いに行くのだろうか?」

「ルセナ君は見たって言ってたから、大丈夫だと思うよ?」

「ルセナ君はもう見ているのか。それじゃあ大丈夫だな。動物をまじまじと見るなんて昔飼っていたキコ鳥と山羊以来だなあ。水伯邸もそうだけど、イノウエの敷地内にも動物はいるのに見に行かなかったからな」

「え? 屋敷にいるの?」

 玲太郎は目を丸くした。

「水伯邸の敷地内には牛がいたと思うぞ。騎士団の乳牛だと言っていたと思うんだけど、うろ覚えだからどうだろうな。うちにはウィシュヘンドに昔からいる種類の馬がいるって聞いた。普通の馬より小さいって言っていたような気がする。その馬は毛が長くて、それを糸にする為に飼っているんだよ。希少なんだって。その辺は憶えているんだけど、大きさの事が曖昧だな……」

「へぇ! 僕、その馬も見たい!」

 玲太郎の目が輝いた。颯が微笑んで頷く。

「それじゃあ一緒に見に行こう。俺は興味がなくて見に行っていないからな。この機会に見ておくよ」

「うん、絶対に行こう! 来週行く?」

「土の曜日に行こうか。朝食後にしよう。馬を見た後、水伯邸へ送るよ」

「分かった。楽しみにしてるね」

「ああ、兄貴に言って一緒に見るか。そうすれば兄貴が玲太郎と一緒に水伯邸に行くだろうから、丁度いいな」

「うん、それでよいよ」

「それじゃあ兄貴に話しておいて貰える?」

「分かった」

 玲太郎は笑顔で頷き、温い茶を二口飲んだ。機嫌良くしている玲太郎を見ている颯は、自然と微笑んでいた。


 二週間後の十三月六日、日の曜日になると、ルセナとヤニルゴル地区へ動物を観覧しに出掛けた。颯とルニリナもいたが、唯々歩いている二人の後ろを付いて行くだけだった。玲太郎はヌトも誘ったが、「眠る方がよい」と断られてしまい、傍には何故かズヤがいる。

 薄曇りで少し肌寒い中、ルセナと楽しく会話をしながら歩いていた。歩いている内に温かくなって来て、肌寒さが逆に心地好くなって来て喜んでいた。そんな玲太郎は時折振り返り、颯とルニリナがいる事を確認する。

「また見ておるな。玲太郎は余程不安なようであるな」

 ノユが苦笑しながら言った。ハソが大きく頷く。

「如何にも。玲太郎らしいと言えば、らしいな」

「ニーティが付き合ってくれて本当に良かったわ。有難うな。こういう護衛は影に徹しないといけないから、本当に退屈なんだよなあ……」

「私が玲太郎君の護衛をした時は、退屈ではありませんでしたよ?」

 颯は思わず鼻で笑ってしまった。

「王宮で王太后陛下と会っていたんだろう? 退屈する筈もないだろうに。でも今度は動物の観覧で、友達付きだからな。何時もは傍にいるから、こうして離れて見るのも新鮮と言えば新鮮だな。離れるという事も大切なんだな」

「ふふ、玲太郎君はそうは思っていませんよ。ああして何度も見るという事は、傍にいて欲しいのでしょうね」

「いると解っているから、姿を確認してしまうんじゃないのか?」

 苦笑しながら言うと、辺りの風景を見渡した。

「それにしても、やはり田舎の景色はいいな。青い空に枯れた草やまだ青い草、育ち掛けの青い作物、所々が紅い山。秋だなあ」

「空を飛んでいると眼下に広がっているではないですか。…あ、瞬間移動……」

 言っている途中で気付いたルニリナは苦笑して颯を見た。颯が笑っている。

「そうなんだよ。それで景色を見る機会が減っているんだよな」

「何にでも良し悪しはありますね」

「そうだな。見付からないように路地裏に飛んだり、物陰に飛んだり、多少面倒な事もあるな」

「一瞬で行きたい所へ行けるのであるから、それでよいではないか」

 ハソが会話に入って来ると、ノユは何度も頷いた。

「然り。わしもあれは便利であると思うがな」

「お前等は普通の人には見えないから好きな所へ行き放題じゃないか。人と重なってもどうって事はないだろう? 俺は重なれないから、行き先に人や物があると飛べなくなるんだよな」

「そうなのであるか? それは知らなんだ」

 颯はそう言ったハソを横目で見る。ハソは身構えた。

「自分で瞬間移動を会得する為に練習を遣ればいいじゃないか」

「遣らぬ。わしは出来ずとも不便ではないからな。瞬間移動は便利であるとは思うが、それだけよ」

「わしは会得出来るのであれば会得したいのであるが、出来ぬのよな。颯と何が違うのであろうか?」

 ノユが颯の前に来て、背を前にして進んでいる。

「何が違うんだろうな? 若しかしたらノユには必要のない物なのかも知れないな?」

「そうなると颯もではないか。条件はほぼ同じぞ?」

「今し方言ったけど、俺は建物を透り抜けられないし、人も透り抜けられないぞ?」

「それが大きな差ですよね」

 全員がルニリナに視線を遣った。

「閣下は物の瞬間移動を自由自在にしますが、颯とアメイルグ公爵は自身ですのでね。私も練習をすれば出来るようになるでしょうか?」

「出来るかも知れないな? 兄貴が突然出来るようになったのを見て、俺も必ず出来ると思って練習を遣ったから、ニーティもそうすればいいんじゃないか? 行き先を鮮明に憶えておく必要があるけどな」

「慣れ親しんだ場所になら行けるかも知れませんね。瞬間移動がどのような物かは体験はしていますので、あの感覚を思い出してしてみましょうか」

「ニーティが遣るのであれば、わしも遣ろう。何方どちらが先に出来るか、競争ぞ」

 ノユはそう言いながら頷くルニリナの隣に戻り、肩に手を置いた。

「構いませんが、先に出来るようになるとご褒美でもあるのですか?」

「俺がノユの代わりにご飯を奢るよ」

「それでしたら、颯の手作りご飯をお願いしますね。出来れば豚の生姜焼きをお願いします」

「解った。いい肉を買って作るよ」

 ルニリナが笑顔で頷き、それを見たノユは不機嫌になる。

「わしとて何かニーティの為に遣るのであるが?」

「颯と張り合うのは止めておけよ。わし等に出来る事なぞないのであるからな」

「む……」

 ノユは更に不機嫌になった。

「魔術を見せて貰うとか、その辺の草花を贈るとか、そういう事は出来るだろう? 出来る事が些細でも、誰かの為に何かを遣りたいという気持ちが大切なんだよ。ハソにだって、そういう気持ちはあるだろう?」

「如何にも」

「だったら、遣らせればいいじゃないか。贈り物が昆虫とか砂とかだと俺でも困るけどな」

「うむ……」

 今度はハソが落胆した。

「言っといてなんだけど、玲太郎の友人と初めてのお出掛けなんだから、辛気臭いのは止めにしよう、な?」

「そうであるな。済まぬ」

 ハソが素直に謝罪すると、颯は話題を切り替えた。

「今日は帰り際にニーティ用の豚肉を買っておくか」

「それは気が早過ぎますよ」

 そんな二人と二体を、玲太郎がまた振り返って見ていた。

「玲太郎は振り返り過ぎぞ。友と話さぬか。ニーティも颯も必ずおるから、友に気を向けぬか」

 ズヤにそう言われてからは振り返る度数が激減した。しかし、激減しただけで、振り返る事は忘れなかった。


 玲太郎は後ろが気になりながらもルセナと一時間半掛けて歩き、無事ヤニルゴル地区に到着した。到着したと言っても外れの方で、これから中心地にある店へ行く。その店で観覧の申請をすれば、ヤニルゴル地区にある牧場を観覧出来るようになる。

「結構歩いたけど、まだ着かないんだね」

「そうだな。でも寮に引きこもるよりいいだろ?」

「うん。今日は天気が良くないからどうなるかと思ったけど、ひんやりした空気が気持ちよいね」

「ウィシュヘンドは少し薄着かと思ったけど、歩いているとそれくらいで良かったな」

 ルセナは上着と外套を着ていて、道中で上着を脱いで腰に巻いていた。

「イノウエ先生に着過ぎって言われたから脱いだのが正解だっただけなんだけどね」

「なんだ、そうなのか」

 二人は楽しそうに笑っていた。ズヤは和やかな空気に頷いて、玲太郎が振り返らない代わりに振り返った。二人と二体はきちんと付いて来ている。見なくても気配でいると解っていても、つい見てしまうのだった。

「この辺にも牛がいるけど、それを見てたらダメなの?」

「許可なく立ち止まって見てると注意されるんだよ。後、一応触らせてくれる牧場もあるけど、それは別に金を払わないとダメなんだよな」

「え! そうなの?」

 驚いた所為か、意外と大きな声が出た。

「ここは食用で育てていて、可愛いからって飼っている訳じゃないからな」

「少しくらい見てもよいと思うんだけどね」

「オレも最初はそう思ってたけど、それもまた商売なんだよ。まあ、下手に手を出して噛まれでもしたら大変だしな」

「それは確かにあるね」

「餌やりをさせてくれる牧場もあるぞ。当然金を取られるけどな」

「なるほど。お客さんは楽しい体験が出来て、牧場側は餌代が稼げてよいね」

「そうだな」

「美味しい肉がどうやって育ってるのか、それが見えるのは本当に楽しみだね!」

 玲太郎が張り切っている横で、ルセナは微笑んでいた。


 二人は中心地に来ると、ルセナは玲太郎がいつも来る店の隣の小屋に向かって行った。玲太郎は黙ってそれに付いて行く。小屋には机と、その前に椅子が二脚、その後ろの方の壁際に長椅子が置かれていた。机の奥には老爺が一人いて、容姿は白髪で背中が曲がっていた。

「こんにちは」

 ルセナが挨拶をすると玲太郎も慌てて挨拶をした。

「こんにちは。今日も観覧かい?」

「うん、そうです。今日は二人と、後二人、大人がいます」

「そうなんだ。それじゃあ、二人とも名前を書いてもらえる?」

「はい」

 ルセナが返事をすると、奥の椅子に座って出された名簿に名前と住所を書いていく。

「ボクも隣に座りな?」

「はい、ありがとうございます」

 玲太郎は手前に座り、ルセナを見ている老爺を見ていた。

「ウィシュヘンド、次書いて」

「あ、うん」

 ルセナを一瞥して名簿を見た。差し出されている万年筆を手にすると名前を書いた。老爺は玲太郎を見ている。

「今日の子は初めてだね? それじゃ、説明をしないといけないな」

 玲太郎は書き終えて、万年筆の蓋をすると名簿の上に置き、それを老爺の前に差し出した。老爺は名前を確認すると、目を丸くして玲太郎を見た。

「ウィシュヘンドって、あの、隣の領地のウィシュヘンドかい?」

「そうです」

「これは……、失礼しました」

 精一杯背筋を伸ばしたかと思うと、深々と頭を下げた。玲太郎は突然の事に困惑した。

「あの、普通の子供なので、かしこまらないで下さい」

「そうは仰いますが、ウィシュヘンド公爵の公子様でございますよね? 失礼があってはいけませんから……」

 そこへ颯とルニリナが入室した。扉の方を見た玲太郎の眼差しが助けを求めていて、颯は状況が読めずに顔を顰めた。

「どうかしたのか?」

「ウィシュヘンドだからかしこまられちゃって……」

「ああ、それは仕方がない。おじさん、堅苦しいのは止めて貰ってもいいか?」

 老爺は顔を上げるとルニリナを見た。ルニリナが微笑むと颯に視線を移した。

「俺も隣のイノウエ家の一員なんだけど、無礼を働いたからって首を飛ばす訳じゃないから、いつも通りで頼むよ」

 そう言った颯に視線を移した老爺はまた目を丸くした。

「い、い、イノウエ家のお方まで?」

「今はウィシュヘンドの坊ちゃんの護衛だから、本当に気にしないで」

 老爺が視線を伏せると、小さく頷いた。

「それでしたら、従うしかありません」

「イノウエ先生、これに名前を書いて」

 玲太郎が名簿を取り、上にある万年筆が落ちないように手を添えた。

「解った。それじゃあニーティから。はい、どうぞ」

 受け取ってルニリナに差し出し、「ありがとうございます」と受け取ったルニリナが書き出した。颯はそれを隣で見ている。書き終えたルニリナは颯に渡すと、颯を見詰めている玲太郎に目が行った。颯は名前を書き、名簿を老爺に渡すと万年筆を別に置いた。老爺は暫く名簿を凝視していた。

「おじさん、俺が四人分払うんだけど全部で幾らになるんだ?」

 我に返った老爺が颯を見上げた。颯はズボンの衣嚢から財布を取り出した。

「子供二人で三千金、大人二人で七千金で、一万金ですね」

「解った」

 小金貨を老爺に差し出すと、それを受け取り、魔道具の受け皿に置いた。

「一万金ちょうどいただきます。ありがとうございます」

 そう言うと机の抽斗ひきだしから長さ約三寸、幅約一寸の赤い帯を四本取り出した。

「今日一日自由に観覧が出来ますが、この帯を目立つ位置、とにかく見えやすい位置に付けておいて下さい。帰る時はここに返しに来て下さいね。二十時までとなってます。それでは、これから注意事項を言います」

 大声を出さないとか、無闇に触らないとか、走り回らないとか、色々と言われて三人は真面目に聞いていた。ルセナは何度も来ている事もあって、上の空で真剣な眼差しの玲太郎を漫然と見ていた。それに気付いたルニリナは微笑んだ。話が終わると「行ってらっしゃい」と送り出された。

 四人は同時に小屋を出たが、颯とルニリナは先に二人を行かせた。玲太郎は束の間だが、颯と話せた事でとても落ち着いてしまった。小屋に入るまで興奮していたのが嘘のように大人しくなっていた。

「どうした? もう楽しみじゃなくなったのか?」

 そんな玲太郎を心配したが、玲太郎はルセナに笑顔を向ける。

「楽しみは楽しみなのよ」

「それならいいんだけどな。それじゃあ大角牛のいる方へ行こうか」

「うん! その後で、鳥を見たいのよ」

「分かった。それじゃあ大角牛の前に、鳥を一種類だけ見に行くか。途中にあるんだよ」

「行く行く!」

 折角冷めていた興奮が、また盛り返してきた。ルセナは笑顔で頷いた。


 午前の間食と昼食はヤニルゴル地区にある店で済ませ、午後の間食は携帯食で済ませ、一日の殆どをヤニルゴル地区で過ごした。玲太郎は大満足で、念写の練習にと紙を三十枚も持って来ていたが、全て使い切ってしまった。学祭で造られていた像の実物が殆どがいて、それを見る事が出来たのだから、玲太郎の満足感は半端なかった。帰寮してから念写した写真を見せながら、颯に必死に話した。

 興奮冷め止まぬ玲太郎が話しながら夕食の準備を手伝っている所へ明良が遣って来て、明良にも写真を見せながら必死に話していた。明良は興奮している玲太郎が可愛くて仕方がなかったが、現場にいられなかった事が心底悔やまれた。颯が一人で夕食を作り終え、食事が始まっても帰らずに、茶を飲んで玲太郎の隣に座っていた。

 食後、明良は茶をお代わりし、お腹を満たして満足している玲太郎に切り出した。

「あの写真、記念に全て貰ってもよい?」

 まさかのお強請りで玲太郎は顔を顰めた。

「何を言っているんだ? 記念に持っておくのは玲太郎に決まっているだろうが」

 颯が脱力して気怠そうに言うと、明良は少し厳しい目を颯に向けた。

「私は行かなかったのだから、貰ってもよいと思うのだけれど」

「いやいや、それだったら写真を複製すればいいだろう?」

「僕が念写した物は僕が持ってたいんだけど、あーちゃんは複製したのを持っててくれない?」

 明良は衝撃を受け、玲太郎に顔を向けた。悲愴な表情を見せ付けられた玲太郎は戸惑った。

「それでは一枚だけ、玲太郎が念写した写真を貰ってもよい?」

 颯は思わず鼻で笑った。玲太郎は頷き掛けたが首を横に振った。

「絶対に、い・や。複製するのはよいよ」

 明良が悲愴な表情のままの状態で固まり、玲太郎は茶を飲んだ。暫くして復活した明良が申し訳なさそうに玲太郎を見る。

「それだったら、玲太郎が複製して貰ってもよい? それならよいよね?」

「それなら、まあ、うん、よいけど……、あーちゃんみたいに上手くは出来ないよ?」

「全く構わないよ。練習だと思って気楽に遣って貰えればよいからね」

 満面の笑みを浮かべると、右手に紙を顕現させた。

「私の魔力が入っている紙だから、着色し易い筈だよ」

 そう言って差し出すと、玲太郎は明良の顔を見ながら受け取った。それから紙に視線を移し、枚数を数えると四十枚あった。

「四十枚もあるよ? これ、全部やるの?」

「失敗してもよいようにしたのだけれど、もう少し出そうか?」

「それじゃあ十枚は父上にあげてもよい?」

 明良が露骨に嫌そうな顔になった。

「それならば、私が全部欲しい」

「父上にあげちゃダメ?」

「それじゃあ俺が三十枚出すから、水伯の分も念写すればいいよ」

 言った途端に颯の左手に紙が顕現した。それを差し出すと、玲太郎が嬉しそうに受け取る。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 明良が颯を睨み付けた。颯は視線を明良に向けると冷めた表情になる。

「独占するのは良くないぞ」

「颯は護衛として一緒に行っていたからそのような事が言えるのだよ」

「行ってなくても言えるわ。この前は一緒に馬を見たんだから、それでいいだろう?」

「良くない。今日だって一緒に行きたかったのに……」

「傍にいられなかったぞ? 俺も相当離れて見ていたくらいなのに」

「護衛が離れたら駄目だろう」

「俺がいたらルセナが気兼ねするだろう? だから離れてニーティと見守っていたよ。後ノユとハソもいたけどな」

「その子が萎縮しようがどうしようがどうでもよいよ」

「あっ、あーちゃん、それは酷いのよ」

 玲太郎が白い目で見ると、明良は口を衝いて出た言葉が失言であった事を直ぐに理解した。

「ご免ね、言い過ぎた」

「兄貴は本当に玲太郎しか目に入っていないなあ……。でもルセナ君が気兼ねすると玲太郎も楽しめないって事を解ってくれよ? そんな事だから水伯に護衛に就かせて貰えなかったんだよ……」

 頬杖を突いて愚兄を見ていた。明良は玲太郎の方に体を向けて頭を下げた。

「玲太郎、ご免なさい」

 真摯に謝罪をして、玲太郎は仕方なしに頷いた。

「うん、分かった。今度は許すけど、次にまた僕の友達を蔑ろにしたら許さないからね?」

「はい」

 神妙な面持ちで頷いた。玲太郎は明良の頭を撫でると颯に顔を向けた。

「はーちゃんは僕の念写はいらないの?」

「ふっ、受け取った紙、多いと思わなかったか?」

「うん?」

 玲太郎は枚数を数えたが、途中で判らなくなってまた数えた。

「一枚ずつの紙が厚いんじゃなくて、枚数があって厚かったんだね。でも八十枚もあるんだけど?」

「失敗してもいいように多目に出したんだよ」

 そう言って悪戯っぽく笑うと、玲太郎は苦笑した。そして反省をしている明良を一瞥する。

「あーちゃんもきちんと四十枚全部に念写するからね。もう自分だけって言うのはなしね?」

「解りました……」

 反省中の明良は声量を落として言った。玲太郎はその横で一所懸命念写した。百二十枚全部に念写した。玄人のように綺麗に出来ていなかったが、明良は玲太郎に何度も礼を言い、いつもの抱擁も忘れずしっかりと、それもいつもよりも長目に堪能し、とても嬉しそうに写真を抱えて帰った。

 この後、玲太郎は早目に入浴して、早目に就寝したのだった。覚醒してから疲れ難い肉体になっているとは言え、興奮した事で精神的に疲労していたのだろう。颯が「お休み」と言ても、返事もしないで眠りに就いてしまった。それからハソがその寝顔を凝視していたが、珍しく颯も一緒に眺めていた。

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