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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第二十八話 しかして護られる

 二日は学級写真の撮影以外は通常の授業が行われる為、玲太郎は八教科の教科書と帳面が詰まった背嚢を背負い、体操着と運動靴を入れた手提げ袋を持って寮長室を出た。ヌトが珍しく髪に掴まらずに先に飛んで行き、玲太郎がそれを追う形になっていた。裏口から校舎に入った所で、ヌトが右へ曲がる。

「ヌト、そっちは違うのよ。こっち」

 一学年の方へ行こうとしたヌトを止め、先に階段へ向かう。

「む? 其方そちらであったか? はて、おかしいな……?」

 そう呟きながら玲太郎に追い付き、背嚢のかぶせに掴まった。玲太郎は階段を上り始める。

「あ、言ってなかったけど、今日は星の曜日だから、一時限目からあーちゃんの所へ行くから眠られるよ。それも四時限目まで通しだからね」

まことか? それならば重畳」

 何度も頷いた。

「ちょうじょうって何?」

「とても喜ばしいという意味よ」

「分かった。ありがとう」

「何階まで行くのよ?」

「三階。卒業するまで三階へ行くのよ」

「ふむ。大変よな」

「階段の上り下りで運動しなくても良さそうな気がするね」

「教室の移動もあるから、確かに運動はいらぬな」

 玲太郎は返事をしないで階段を上り切り、自分の組へと向かう。まだ誰もいないようで人の気配が丸でなかった。

「誰もおらぬな。一番乗りではないか」

 玲太郎が教室の扉の取っ手に手を掛ける前に言うと、玲太郎が顔を少し横に向けた。

じっ分前には来ないとね」

 顔を正面に向き直して開扉した。教室内にある掛け時計を見上げて苦笑した。

「十二分も早く来ちゃった」

 ヌトは大きな欠伸をしていた。

「そう言えば朝から四時限も空きがあるとは、寝放題ではないか」

「それはヌトだけでしょ。僕は治癒術と薬草術を習うんだけどね。六学年で習わずに、あーちゃんに習って、程良く復習と予習をして行こうと思ってるのよ」

 そう言いながら背嚢を机に下ろした。ヌトは空いている所へ下りる。

「成程」

 寝転がらずに胡坐あぐらを掻いた。玲太郎は机の脇に付いている鉤に、手提げ袋の持ち手を引っ掛けて着席した。

「社会も六学年で授業を受けずに、あーちゃんに習うからね。空き時間は全て医務室なのよ」

「ふむ。わしの為に済まぬな」

「ヌトの為じゃないのよ。去年、色々な組に行ったから、今年はもう行きたくないなって思って、極力減らすのよ」

「そうであるか。ま、好きに致せ。わしは付いて行くだけよ」

「でも、あーちゃんの所だから一杯眠られるね」

 無邪気な笑顔で言うと、ヌトが大きく頷いて徐に上体を後ろへ倒した。

「やっぱり寝転がるの?」

「うむ。気配が此方こちらに来ておるようであるぞ」

 そう言ってヌトは目を閉じた。

「眠らないようにしてね」

「解っておるわ」

 ヌトの言った気配の持ち主は月組の教室を通り過ぎ、それから静寂の中、玲太郎は体を窓側へ向けて窓の外へ視線を遣っていた。今日も晴れていて青い空が見え、所々に白い雲が浮かんでいる。一階とは違った景色で、青い空が窓の半分を占めていて、一階の時とは違ってクミシリガ湖が見えた。

 開扉する音が聞こえたが、玲太郎が振り返る事はなかった。

「おはよう。早いな」

 玲太郎は声のする右側を見た。

「おはよう。ルセナ君も早いね」

 荷物を机に置き、椅子を引いて座ったルセナが玲太郎に顔を向けた。

「昨夜、担任の先生全員が寮の五学年の所に来てたんだけど、うちの組から五人が退学だぞ。ゆっくりしていられるかっての」

 笑顔で声を弾ませた。

「星と海からはさん人ずつみたいだけどな。それだけで済む訳がないだろうから、もう楽しくて仕方がないんだよな」

 その言が本心だという事は、弾んだ声で理解が出来た。

「良かったね」

「まあ、全員が退学とはならないだろうけどな。停学でもいいから処分があったら本当に嬉しい」

「全員退学が望みなんじゃなかったの?」

「全員退学になったら最高だけど、嫌々従わされて、それでやってたヤツもいるだろうからな、そいつらまでとなると少し可哀想に思う。そうなると停学が妥当だろ」

「それでもやられた子にしたら、退学になって欲しいと思うんじゃないの? 僕だったら思っちゃうね。それに身分を持ち出した子はすべからく退学にするべきじゃないの? 校則でそうなってるんだからね」

 意外にも玲太郎が厳しい事を言い、ルセナは驚いたが、思わず笑みが零れた。

「ああ、そうだな。うん、そうだな、校則かあ……。それを持ち出されたら、停学が妥当なんて言ってられないな」

 玲太郎から視線を外し、独り言のように呟きながら言うと、玲太郎を見た。

「ウィシュヘンドは真面目だな」

「そう? 普通じゃないの?」

「オレ、お前が好きだわ。いいぞ、その強気な性格」

 玲太郎は面食らって苦笑した。

「あ、ありがとう」

 ルセナは頬杖を突いて、笑顔で玲太郎を見ていた。


 翌日、朝礼が始まって出席を取った後、颯が帳面を閉じると演台に置いた。

「もう知っている者も多いと思うが、月組からは五人の退学者が出た。貴族である事を盾に平民を虐めていた者だ。しかし、残念ながら全員が白状している訳ではないようだ。周りからの密告で露見する前に、速やかに名乗り出て欲しい。平民でも平民を虐げていたという話もあるようだから、それも速やかに名乗り出て欲しい。男子に限らず、女子にも言える事だから、他人ひと事と思わず、自身の行動を顧みるように。言っておくが、内申書にその事を細かく書くから、隠せば隠す程に転入、若しくは編入先が中々決まらなくなる事もあるだろう。潔く名乗り出た方がいいぞ。まあ、俺としては密告も大歓迎だから、それも宜しく頼む。そういう訳で、まだ退学者が出ると思われる為、五学年の学級写真撮影はなくなった。正確には延期で、これらの件が片付かない限りは撮影しない。それでは連絡帳を後ろから集めて、此処へ持って来て貰えるか?」

 それを聞いて、玲太郎は慌てて背嚢から連絡帳を出した。連絡帳が続々と集まり、数に誤りがない事を確認した颯は頷いて正面を向いた。

「連絡帳は掃除が始まる前までに演台か其処そこの机の上に置いておくから、各自で持って帰るように。五時限目の魔術は屋内訓練所に集合だからな。魔法棒が必要な者は忘れず持参するようにな。それでは朝礼を終わる。教室を移動してもいいぞ」

 そう言うと、生徒が一人、また一人と立ち上がり、退室して行く。玲太郎も背嚢を背負い、手提げ袋を持った。

「ウィシュヘンド君」

 颯に呼ばれてそちらを見ると、手招きをされて演台の前まで行く。

「なんですか?」

「一時限目から兄貴の所だろう?」

「うん、そう」

「それじゃあ途中まで一緒に行こうか」

「え、うん、分かった」

 玲太郎は思わず笑顔になると、颯が帳面を両手で持った。

「悪いけど、扉の開閉を頼むな」

「うん、任せて」

 二人は並んで医務室の前まで歩いた。特に話はしていなかったが、玲太郎は嬉しかった。

「それじゃあ兄貴に宜しくな」

「ふふ。扉を開けるから、自分で言えば?」

 颯は片手を自由にすると、玲太郎の頭を乱雑に撫でて去って行った。

(ああ、魔術……。それだったら扉も魔術で開閉すれば良かったのに。……まあよいね!)

 颯の後ろ姿を見て微笑んでいると、ヌトが目の前に来た。

「早く入らぬか」

 気怠そうに言い、そのまま扉をとおり抜けて先に中へ入って行った。玲太郎は慌てて開扉する。

「アメイルグ先生、お願いします」

 明良は執務机に書類を並べている最中だった。玲太郎の方に顔を向けると笑顔になる。

「いらっしゃい。来るのが少し早くない?」

「朝礼が短いからね。はーちゃん、全く余計な事を言わないんだよね。前からだけど」

 そう言いながら後ろ手で閉扉して、机に向かって歩いた。ヌトは既に机で寝転んでいる。

「ふふ。それは楽でよいね」

「それはそうなんだけど、次の教室に早く着いちゃって困る事もあるのよ」

「担当を持っている教師だと、朝礼中に着いてしまって待たされると?」

「そう! 廊下で待つのはなんだか恥ずかしいのよ」

 頷いて手提げ袋を先に机に置き、背嚢も下ろした。机の端に置かれている箱の方に行き、中を覗き込んだ。

「これは薬草術と治癒術に使う物なの?」

「薬草術だけだね。治癒術は此方こちら側の下に置いてあるよ」

「そうなんだ。上期の間に六学年の分を習い終えられるとよいなぁ」

 玲太郎は机を回り込んで椅子に腰掛けた。背嚢から治癒術と薬草術の教科書と帳面を出し、次に鉛筆入れを出すと、背嚢を机の一番下の抽斗ひきだしへ入れた。

「もう始める?」

「鐘が鳴ってからでよいのよ」

「解った」

 準備万端で待ち構えている玲太郎を見て、愛おしさが押し寄せて来てしまい、明良はしばし動けなかった。玲太郎は先に教科書を開き、目次を見ていた。


 新学年が始まったばかりで、荷物を全部持って来てしまっていた玲太郎は医務室に置かせて貰い、間食を摂りに食堂へ向かった。いつも通りに遅目に行った事もあって、人はまばらでどこにでも座り放題だった。教師専用の席にはルニリナと颯の姿があり、ハソとノユが玲太郎を見て何やら話していた。ヌトがそれに気付いて二体の方へ行き、玲太郎も仕方なくそちらへ向かった。

「こんにちは」

 玲太郎に声を掛けられた二人は、玲太郎の方を見た。玲太郎は颯の後ろにいた。

「ウィシュヘンド君、こんにちは」

 玲太郎はルニリナを見ると笑顔になる。それから颯の盆に載っている物を見た。

「珍しい、まだ食べ始めた所なんだね」

 麺ぽうに野菜と玉子を挟んでいる物が二つと、野菜と豚のももの塩漬けを挟んだ物が二つだった。

「先生は四個なの? 僕だと二個なのに」

「それは体が大きいから当然だな」

「うちの組に体の大きい子がいるけど、あの子はどうなんだろう?」

「大人用の金額を払えばこれと同じになるけどな。最近知ったんだけど、生徒は一食に就き百こんの追加料金を払えば五割増しにして貰えるそうだぞ」

「えっ、そうなの? でも僕は今の量でも少し多いくらいだから必要なさそうだけど、それなら体が大きくなっても平気だね」

「五学年だと最年長が十四歳だった筈だからな。学院最年少の六歳の子と同じと言う訳にはいかないよな」

「それもそうだね」

「それよりも、此処に来て一緒に食べるか?」

「え、よいの?」

「人も殆どいないからいいよ。教師専用の席は沢山空いているからな」

 颯が初めて誘った事で玲太郎は嬉しそうに頷いた。

「それじゃあすぐに持って来るね」

 急いで仕切り台の方へ一人で向かい、ヌトは慌ててそれを追った。微笑ましく見ていたルニリナの表情が引き締まる。

「どうかしましたか?」

「気になる事があって、出来れば一緒にいて見せ付けておく方がいいと思ってな」

「そうですか。何やらきな臭いですね」

「そうだな。俺が駆け付けられる時ならいいんだけど、そういう時ばかりじゃないし、兄貴は気配感知が苦手だから頼めないしな。仮に玲太郎に危害が及ぶ事があっても無意識で障壁を展開するだろうから、その辺は心配していないんだけど、精神的な負担はあるだろうから、極力回避したいんだよな」

「わしに言えば、直ぐに玲太郎のもとへ行くぞ」

 ハソがそう言うと、颯は鼻で笑い、ノユも鼻で笑った。

「ヌトがおるのであるから、ハソが行っても意味がなかろうて」

「呪術の教師は私一人ですので、授業が詰まっていて手助けする事が出来ずに心苦しい所ですね」

「お気遣い有難う。まあ、それも一週間以内には片が付くだろうから、あいつ等の悪足掻あがきもそれまでだな。いや、一週間も掛からないか。四日前後だな」

 ルニリナは渋い表情になった。

「……潔く自首をすればよいのに、しないのですね。どうして逃げ切れると思えるのでしょうか。不思議でなりません」

「死に掛けたのは平民だから、本来なら大した罪に問われないって思っているんだろうな。まあ、俺のより親の方が上だから逃がさないし、何があっても必ず処罰する」

 真剣な面持ちで決意を語ると麺麭を持って、具がずれないように気を付けながらかじった。

「それでも無理をし過ぎないようにして下さいね」

「うん、あいあおう」

 手で口を覆った颯にルニリナは微笑んで頷き、手にしていた麺麭を齧ると咀嚼した。


 五時限目は魔術の授業で、玲太郎は屋内訓練場へ向かっていた。その直ぐ後ろに颯がいる。玲太郎は時折振り返っては颯を見た。

「そんなに何度も見なくてもいるよ」

「違うのよ。どうして隣を歩かないのかと思って」

 玲太郎の髪をひと房掴んでいるヌトが大きな欠伸をした。

「それにつけても、颯もハソもおるから、わしは眠られるのではなかろうか?」

「寝るなら家に帰れよ?」

「ぐ……」

 透かさず颯に言われてしまい、ヌトは反論も出来なかった。

「それよりも、屋内訓練場って中はどうなってるの?」

 そう言って歩く速度を落として颯の真横に行った。

「そう言えば中は見学していなかったな。的がじっ基あるんだけど、的までの距離は二十五モル(約二十七間半)だな。的が十基だから、二十一人は後ろで玉を作る練習か、見学だな」

「僕はどうすればよいの? 練習出来るの?」

「玉はどれくらいの大きさになったんだ?」

「十五ジル(一尺)を少し切ってるくらいだと思う。父上がそれくらいって言ってたのよ」

「そうなんだな。それじゃあ練習は出来るな。それとも魔石作りの練習でも遣るか?」

「え! そっちをやっちゃうの?」

「玉を作る練習でも魔石作りでも、結局は一緒だからどっちでもいいぞ」

「そんな事をやったら特別扱いになるから、えこひいきって言われちゃうなぁ……」

 そう呟くと、颯が鼻で笑った。

「依怙贔屓ひいきか。まあいいんじゃないのか」

 玲太郎は目を丸くして、微笑んでいる颯を見た。

「あれ? 聞こえてたの?」

「玲太郎の好きな方を選べばいいよ。でも玉の方が目に見えて実感し易いから、玉を作る練習の方がいいかも知れないな? 水晶は本当に判り辛いんだよなあ……」

「少々大きゅうても圧縮してしまえばよいではないか。そうすれば縮むぞ」

 玲太郎は眉を顰めた。

「ヌトは出来るから言えるんだろうけど、僕はそんな事、出来ないんだからね?」

「それ程度、わしが教えるわ」

「止めておけよ。玲太郎はそういう小型化を遣りたい訳ではないのであるからな」

 颯ではなく、ハソが制止すると、玲太郎は首を傾げた。

「うーん、やってみたい気持ちは少しあるけど、怖そうだからやりたくないかも?」

「はっきり言って騒動が起こる気しかしないから、俺としては止めておいてくれると助かるんだけどなあ」

 ヌト以外が颯を見た。玲太郎は苦笑する。

「呪文を唱える訳じゃないんだから、大丈夫じゃないの?」

「大丈夫かどうかは遣ってみないと判らないんだけどな……。兎に角だ、遣る場合は水伯か兄貴に言って、北の畑な?」

「分かった。ここではやらないでおくね」

「わしが教える事になれば、起きておけるのであるが……」

 颯が脱力してヌトの方に視線を遣った。

「それじゃあ家に帰れよ。そうすれば幾らでも寝られるぞ」

「ぐっ……」

「ヌトも懲りぬな」

 そう言ってハソが笑った。玲太郎は思わず颯を見ると目が合い、二人で苦笑した。


 屋内訓練場は射場しゃじょうの外から的の周辺まで屋根がない。玲太郎は訓練場全体が屋根に覆われていると思っていた為、衝撃を受けていた。

「ニーティに貰った指輪を着けておけよ?」

「あ、うん。もう着けてる」

 人差し指を立てて嵌めている指輪を見せる。

「それならいいんだけど、呪文は絶対に唱えるなよ?」

「大丈夫。唱えない」

 口を少し尖らせて颯を上目遣いで見た。玲太郎は前科があった為、これに関しては颯の信を得られていなかった。颯は鼻で笑うと、玲太郎の頭を乱雑に撫でた。

「それにしても十分前に来たからか、生徒が玲太郎しかいないな。試しに玉を的にててみるか?」

「え!? やるの? やっちゃうの?」

 乱れた髪を手櫛で整えながら言うと、ヌトが頷いた。

「遣ってみるが良かろうて。わしも見ておるわ」

 そう言って颯の肩に乗りに行こうとすると、何故かハソが邪魔をした。

何故なにゆえそのような事を遣るのよ?」

「ヌトは玲太郎の傍におれよ」

「お主には関係あるまいて」

「ある。ありまくりぞ」

 玲太郎が二体の小競り合いを見ていると、颯が傍に来て屈んだ。

「土、火、風、水のどれが得意なんだ?」

 玲太郎は颯を見る。

「うん?」

「玉を作るんだろう?」

「ああ、えっとね、土なのよ。父上に良く削れないって文句を言われてたけど、もう消せるようになったからね」

「それじゃあ土の玉を作ってみて。なるべく小さくな」

 玲太郎が人差し指を立てようとした瞬間、颯が中腰になって玲太郎の肩を掴み、的の方に体を向けた。

「悪い、あっちを向こうな」

「あ、そうだね」

 気を取り直して人差し指を立てると、人差し指の真上に土の塊が顕現した。少し歪んでいて楕円体に近かったが、直径一尺を超えている感じではあった。

「まあ、思ったより小さかったな。それじゃあ、この正面にある的に中ててみて」

「え? 正面って右から二番目?」

「そう、二番目だな。ゆっくり動かしていいぞ」

「あんなに小さい所を目指して動かすの? もっと大きい玉にしたら良かったなぁ……」

「他の生徒はもっと小さい玉で遣っているんだぞ?」

「あ、そうだね。はーちゃんは出来るの?」

「当然出来るよ。正面を見ていろよ」

 そう言うと、玲太郎の目線に小さな火の玉が顕現し、それが勢い良く的に向かって飛んで行った。

「あ、飛んで行った」

 小さい衝突音が聞こえた。玲太郎は振り返って颯を見上げる。

「音が聞こえた。当たったの?」

「うん、中った。見えなかったか?」

「見えなかった」

 颯が玲太郎の隣に立つと的が外れて颯の手元に飛んで来て、それを手にして玲太郎に見せた。

「中っているだろう?」

「少し焦げてる所があるね。ここに当たったって事?」

「そうだな。的は俺が作るから壊してもいいぞ。的を嵌め込む台も修理するから壊してもいいぞ」

「分かった」

 玲太郎は正面を見ると、いつの間にか、代わりの的が嵌っていて赤い丸が見えた。

「それじゃあやるよ?」

「中らなくてもいいからな」

「当てるのよ」

 そう断言すると、玉が皆の予想に反して勢い良く飛んで行った。

「おお」

 思わず声を漏らしたのはヌトだった。颯とハソは静かに見守っている。どう見ても軌道がおかしいのだが、颯は何も言わなかった。玲太郎は真剣な眼差しでそれを見ている。

「あれ? ずれてるような気がして来た……」

 そう言った途端、衝突音が聞こえ、玉が残っている。

「玉は残ったままだな。的が壊れているから、もう玉は消していいぞ」

「あの玉を使い回さないの?」

「普通は的に中てたら玉が壊れるから一度切りだよ」

「そうなの? それじゃあ消すね」

 玉が消えると同時に壊れた的の破片が飛んで来て、玲太郎の足下に落ちた。

「見事にバラバラだなあ。この的は割と強度がある方なんだけど、やはり玲太郎の方が強いな」

「え……。それじゃあ僕はやらない方がよいの?」

「いや、俺がしっかりと交換をして行くから、それは気にしなくていいぞ。まあ、どんな感じかは掴めたわ」

 そう言っている間に破片が綺麗に消えた。

「玲太郎、的を見てみて」

「うん?」

「何かに気付かないか?」

 玲太郎は黙考した。しばらくして気付くと、頭に手を当てた。

「あ! 隣の所の的を壊してる! やっぱりずれてたんだ……」

「そうだな。中る直前に気付いていたようだけどずれていたよ。当分の間は自分の的に中てられるように練習を遣って行こうな」

「うん……」

「でも初めてであれだけ出来れば上出来だぞ」

「そう?」

「俺は初めての時、後ろの壁に中てて壁を破壊したからな」

「それじゃあ僕の方がマシだね」

 玲太郎は颯を見上げると微笑んだ。颯は遠くを見ているようで、玲太郎もそちらに視線を遣った。するとルセナがいて、玲太郎が見た事に気付いて軽く挙手した。玲太郎も同様にすると颯を見上げる。

「もう練習が出来ないね」

「そうだな。それじゃあルセナ君の所へ行ってもいいぞ」

 颯は玲太郎を見下ろすと微笑んだ。玲太郎は首を横に振る。

「ここにいる」

「解った」

 射場の壁沿いには四人掛けの縁台が八台置かれていて、ルセナはその端に座って颯と玲太郎を眺め始めた。ヌトとハソは的の傍にいて、二体で何やら談義をしているようだった。


 二時限続けてあった魔術の授業が終わり、玲太郎が先頭になって移動をしていた。荷物を医務室に置いている事もあって先を急いでいた。

「ウィシュヘンド、待てよ」

 後ろからルセナが声を掛けて来た。駆け足で隣に来て、息を弾ませていた。

「どうかしたの?」

「いや、一緒に行こうと思ってな」

「でも僕、医務室に荷物を置いてあるから取りに行かないといけなくて…」

「付いて行くよ。それにしてもウィシュヘンドが作る玉は大きくて頑丈だよな」

「そうだね。あれより小さくならなくて……」

「魔力量が多いのも考えものだよな。そこまで苦労するなんてな」

「そうだね」

「……と言っても、そういう事で悩むのはウィシュヘンドくらいだろうけどな。あはははは」

 豪快に笑った。玲太郎は苦笑していた。

「それにしても、みんなが呪文を唱えているのに、ウィシュヘンドは唱えないんだな?」

「うん、そうだね。唱えたら魔力量が制御出来なくなるから禁止されてるのよ」

「え、そうなのか。それは特殊だな。魔力量が多いと苦労も多いのか。それはそれで大変なんだな」

「意外とね。だからはっきり言って、魔力を使うのは好きじゃないのよ」

「えっ、魔力を使うのが楽しくないのか? 本当に?」

「楽しくないね。四歳の頃から飛ぶ練習を遣ってたんだけど、去年まで少し浮ける程度だったからね」

「それでも箱舟の免許は取ったんだろ?」

「うん、取った。夏休み中に頑張って取ったのよ」

「だったらもう過去の事じゃないか。他にも何か達成出来てるんだろ?」

「それはまあ、うん、達成出来てる事はあるね」

「それならいいじゃないか。達成出来れば楽しいだろ?」

「それはそうなんだけど、達成出来るまでが苦しいのよ」

「あはは、それは仕方がないな。苦しくても達成するためだと思って、それも楽しめよ」

 会話している途中で医務室に到着した。

「それじゃあここで待ってるから、荷物を取って来いよ」

「うん、行って来るね」

 玲太郎は開扉すると開放したままにして中へ入り、暫くして荷物を持って戻って来ると閉扉した。

「お待たせ」

「それじゃあ二階に行こうか。次はサーディア語だな」

「うん。サーディア語は少し苦手なのよね。単語の綴りが難しくない?」

「無意味な文字を入れる事が多いもんな。あの法則がつかめなくて難しいよなあ。先生も覚えるしかないって言ってたし……」

 二人は並んで歩き出した。


 バハールの隣にいる時より自然に笑顔になる事が多かった玲太郎は、ルセナの事が気に入っていた。口は悪いがそれは颯で慣れているし、人柄の好さが滲み出ていて好感が持てた。兄貴肌という所もあったが、身近にいる誰か似た何かを感じ取った事が大きかったのかも知れない。

 それからという物、ルセナが玲太郎の傍にいるようになった。寮での食事時間はそうでもなかったが、校舎の時は必ず玲太郎を待ち、共に食堂へ行っていた。ルセナは真っ先に食堂へ向かっていた事を知っている玲太郎は、何らかの意図がある事に気付いた。

「もしかして、誰かに僕の傍にいるように頼まれたの?」

 三日の午後の間食時に訊くと、ルセナが玲太郎に顔を向けて苦笑した。

「分かったか? イノウエ先生に頼まれたんだよ。四日くらいまで、なるべく一緒にいてやってほしいって。オレは独りでいる事を選んでたんだけど、先生に頼まれたんじゃあな」

「そうだったの……。ごめんね」

 ルセナの意思ではなかった事に衝撃を受けた玲太郎は落胆した。

「いや、いいよ。オレも久し振りに誰かと一緒にいられて楽しかったしな。後三日は一緒にいるぞ。でも腹が減って飯が待ち遠しいから、食堂へは一番に突っ込んで行きたいわ」

 そう言って豪快に笑った。玲太郎も釣られて笑った。


 三日の夕食後、女子寮の五学年次席から五席までの部屋に、スダージュ達集まっていた。しかし、一人減っていた。いなくなっていたのはサバッカンで、スダージュの与り知らぬ所で休学していたのだ。放課後にサバッカンが帰宅したとの報を受け、部屋に荷物が一つもなくなっていた事を確認した。

「サバッカン様が休学なさるとは思いませんでしたわ」

 サバッカンと同じ組のドケンモスが言うと、更に続ける。

「体調が悪いと医務室へ行ってから戻って来ませんでしたから、余程酷いのかと思いましたら……」

「午後の間食時間になっても戻られませんでしたから、わたくしも心配していましたのに、休学だなんて拍子抜けしましたわ」

「休学する程に体調が悪いのかも知れませんわ。わたくしにはそうなる気持ちも分かりますわ……」

 カラネイが心配そうに言うと、「確かに」と三人が頷いていた。サバッカンが休学して一番深刻なのはスダージュだった。

(この状況は良くないわ。ええ、本当に良くないわ。政治上、王家派のサバッカン家と貴族派の我が家とでは接点がない。学閥も接点がない。そうなるとこのまま逃げられた上、あの事が露見すればわたくしの身が危うい……。不味い。……非常に不味いわ)

 カラネイに一瞥をくれると、また一人沈思する。

(あの時は彼女もいたから、彼女に罪を被せるしかないわ。大丈夫。わたくし方が家格は上ですもの。カラネイ家も貴族派。どうにでもなりますわ)

 思わず口元が綻ぶも、次の瞬間には心配そうな表情を作った。

「本当に心配ですわ。サバッカン様が健やかになってこちらへ戻られる前に、この事態を収めなければなりませんわね。わたくし達でサバッカン様へお見舞いのお手紙を書いて、お花も添えて、お送りいたしましょう」

 カラネイが笑顔になってスダージュを見る。

「それは良案ですわね」

 そう言うと真顔になった。

「所で、いつになりましたらイノウエ先生達はいなくなるのでしょうか?」

「あの後、直ぐにお父様にお願いをいたしましたから、近日中とだけ……」

 スダージュはカラネイの真顔を初めて見て、一瞬怯んだが、それは顔に出さなかった。カラネイはスダージュの言に頷くと笑顔になった。

「待ち遠しいですわね」

「それにしても、スダージュ様は次席で、この部屋の位置は羨ましい限りですわ。わたくしは後ろから数えた方が早くて……」

 ロンゴンナが何気に話題を変えると、ドケンモスが苦笑した。

「わたくしもですわ」

 四人は成績について談笑していたが、エレータは笑顔で相槌を打つだけだった。


 やはり今日も「入室禁止」と書かれた張り紙があり、三人が廊下で待たされていた。

「学閥が同じ主人に仕えると大変ね」

 赤銅色しゃくどうの髪に碧眼、白い肌の少女が言うと、金髪碧眼で白い肌の少女が戸惑う。

「しーっ、中に聞こえたら大変だから言わないで」

 黒髪に茶色の目、褐色の肌をした少女が鼻で笑った。少女と言うには身長が五尺七寸もあり、見た目は立派な大人だった。

「あたしは平民で良かったわ。その上、三席だからね。えり締めの留め具を交換されずに済んだもんね」

「タオッカさんも首席だったら、ああなってたかも知れないんだよ? 怖くないの?」

 金髪の少女が小声で訊くと、タオッカがまた鼻で笑った。

「あたしは言われた通り、一教科につき十問の答えを書かなかったからね。答えがあやふやな問題と、答えが分からない問題も含めて、だけど」

「私も前にそれをしたら、先生に怒られたのよね。もっと出来てもおかしくないだろう? って……」

 金髪の少女が俯いて言うと、タオッカが冷めた目で金髪の少女に一瞥をくれると鼻で笑った。赤銅色の髪の少女が「へぇ……」と気の抜けた相槌を打って続ける。

「私は首席を狙うつもりで頑張ったんだけど四席だったのよね」

 そう苦笑しながら言った。

「男子が交ざると何席になるのかが知りたいわ」

 タオッカが言うと、金髪の少女が赤銅色の髪の少女を見て口を開く。

「シカモランさんの家は伯爵位でしょ? 爵位的に敵わないはずだけど、もし首席だったらどうしてたの?」

「うちは王家派だし、学閥も陛下と一緒だし、爵位は向こうが上でも、文官としての立場はうちが上だから、もしかしたら手出しして来ないんじゃないかと思ったのよ。でも学力が純粋に足りなかったのよね。だから確かめられなかったわ。残念に思っていたらルジーナがああなってしまって……」

「私は試験当日にお腹の調子が悪くなった事があるのよね。ルセナ君の話を聞いてから、女子もそういう事をすると分かって、それから口にする物に気を付けていたんだけどね」

 金髪の少女が険しい表情で言うと、タオッカが鼻で笑った。

「あたしもルセナから忠告されてたよ。貴族は何をするか分からないから気を付けろってね。だから大人しく彼女に従ってるのよ。それなのにケワビムは自分を貫いてあのザマだからね。そこまでして首席を守りたい気持ちが、あたしには分からないよ」

「まさかああなるとは思ってなかったんでしょ。……それにしても高位貴族がいると大変だよね……」

 シカラモンが溜息交じりに言うと、二人は大きく頷いた。金髪の少女が黒髪の少女を見る。

「タオッカさんは最初の頃、首席だったもんね?」

「よく覚えてるね。そのせいで一学年の頃から一教科につき十問間違えろって言われてるからね」

 そう言って鼻で笑って続けた。

「あたしはルセナみたいに力で黙らせる事は出来ないから、言う事を聞く方を選んだんだよね」

「ルセナ君も、絶対に屈しないって言ってたから、ケワビムさんはそれに同調しちゃったのかもね」

 金髪の少女が呟くように言った。

「ケワビムがあんな事になっても、あいつらが犯人なら捕まらずに終わるよね。……それにしても、一教科十問答えてないあたしより成績が下なんだから、笑うしかないね。それでやる事が、えり締めの留め具を交換、だからね。まあ、見た目ではその他大勢から次席になれててそれで満足なのかも知れないけど、あたし達には通用しないのにね」

 タオッカが鼻で笑うと、金髪の少女は苦笑した。

「先生も気付いてない人しかいないよね。えり元なんて見ている先生がいないって事なんだろうけど、正直ガッカリだわ」

 シカラモンが言っている間も、金髪の少女は苦笑し続けていた。

 四人が退室して、三人が漸く入室出来たかと思うと、今度はスダージュの音石に父親から呼び掛けがあり、三人はまたもや追い出され掛けたが、今度は単に出て行くのではなく、入浴の準備をして出て行った。


 翌日、午前の間食時間に食堂でスダージュ達は人数分の席を取り、全員が集まるのを待っていたが、カラネイが来なかった。スダージュは父親から言われていた事もあり、焦燥感に襲われた。

「カラネイ様も体調を崩されたのかしら?」

「わたくしが登校する際、カラネイ様はまだ寮にいらっしゃったように思いますわ」

「ドケンモス様も、ロンゴンナ様も知らないのでしたら、わたくしに分かるはずもありませんわ。月組の方にお聞きしましょうか?」

 エレータが言うと、スダージュが頷いた。

「そうね。カラネイ様がどちらにいらっしゃるのか、尋ねてみるのもよろしいですわね」

「あら、わたくしと同室のバトパパ様がいらっしゃいますわ。聞いてまいります」

 ロンゴンナがそう言って立ち上がると、食卓を回り込んで金髪碧眼で小麦肌をした少女の下へ行き、二言三言を交わすと、ロンゴンナが戻って来た。

「良く分からないそうですわ。魔術の授業中に、イノウエ先生に付き添われてどこかへ行って、そのまま戻って来ていないそうですの」

「イノウエ先生はすぐにお戻りになったのかしら?」

 スダージュが訊くと、ロンゴンナは首を横に振って苦笑する。

「申し訳ございません。それは聞いておりませんわ」

「もしかしたら魔力を使い過ぎたのかも知れませんわね」

 エレータが険しい表情で言った。ドケンモスが首を傾げる。

「それは有り得ませんわね。玉の作り方は難しいですが、そこまで魔力を使用しませんもの。わたくしも過剰に使ってしまう事が多々ありますけれど、平気ですもの。二時限も続けて魔術の授業がありますけれど、わたくしは体調を崩した事など、ございませんわよ」

 ロンゴンナが首を横に振る。

「彼女は向上心のかたまりのようなものですもの、それは分かりませんわ。特に魔術に関しては、お母様のご意向もあって、努力を相当なさっておいでのようでしたから、もしかしたら……」

「お話はこれくらいにして、食事を頂きましょう。創造主様に感謝をささげます」

 スダージュが食べ始めると、三人も同様にして食べ始めた。スダージュは朝食時のカラネイの言を思い出していた。

「イノウエ先生とウィシュヘンドと言う子がとても仲がよいそうで、食堂で食事をご一緒している所を、見た子がいますのよ。えこひいきですわよね」

 スダージュはそう耳打ちされた事を思い出し、視野が開けた気がした。

(お父様があの田舎公爵兄弟をクビに出来なかった、諦めろとおっしゃっていたけれど、そういう訳にはいきませんわ。ウィシュヘンドと言えば、田舎公爵の代表格。その息子程度、こうなったらわたくしの味方に付けてみせますわ)

 次に遣る事が見えたスダージュは目を輝かせていた。


 間食を終えたスダージュは理由を付けて一人になり、玲太郎を待ち受ける為に食堂の前にある昇降口にいた。しかし、背の低い黒髪という特徴だけでは、どの子が玲太郎なのかが分からなかった。困惑していると、そこへ颯が遣って来て足を止め、スダージュを見据えた。

「こんな所で何を遣っているんだ?」

「人を探していますの」

「誰だ?」

「先生には関係のない事ですわ」

「ふうん……。カラネイさんならまだ寮にいるぞ。用があるなら会って来たらどうだ?」

「どういう意味ですの?」

「殺人未遂事件のあった学院は怖いからと、カラネイも休学して家に帰るそうだ」

 スダージュは目を丸くした。

「え!?」

 その声に驚き、思わず口を両手で覆った。

「今、家から迎えが来るのを待つ為に寮の部屋にいる筈だぞ。今会っておかないと当分会えなくなるけど、行かなくていいのか?」

 スダージュは両手を下ろし、険しい表情をすると颯から視線を外した。少しして颯に視線を戻す。

「カラネイ様はもう帰る事が決まっていますのでしょうか?」

「そうだな。ここから去る事が決まっているな」

「それならば、わたくしが行っても仕方がございませんわ。話す事がございませんもの」

「ふうん。それじゃあスダージュさんは誰を待っているんだ?」

「ですから、先生には関係のない事ですわ」

「それじゃあ俺と一緒に職員室に来て貰えるか?」

 唐突に提案された事を、受け入れるられる訳がなかった。

「いいえ、まいりません」

「何故?」

「行く必要がございませんもの」

 颯は莞爾としてスダージュを見詰めていると、スダージュは徐々に表情を崩して行った。

「ま、まさか……?」

「そのまさかかどうかは知らないけど、カラネイさんから話は聞いているから、スダージュさんからも話を聞かなくてはならなくなってね」

 顔が青ざめるスダージュは震えながら階段の手摺りにもたれ掛かった。

「いやあ、思いの外早く片付きそうで良かったよ。職員室で洗い浚い話して貰おうか」

 もたれ掛かったまま、颯を睨み付けた。

「だっ……、誰に向かって口を利いていますの? わたくしはこれでも公爵令嬢ですのよ」

「俺も似たような物で公爵の弟だよ。兄貴が結婚して子供がいる訳じゃないから、俺も公爵位継承順位は第一位なんだよな。……で、公爵令嬢がなんだって?」

「お、……お父様に言い付けてやるんだから」

「スダージュ公爵は近い内に降爵が決まったよ」

 眉を顰めて颯を睨み付ける。

「……え?」

「だから、スダージュ公爵は近い内に降爵が決まったんだよ。それもこれも全てお前の所為。まあ、大した地位に就いていなかったようだから、決まるのも早かったよ」

 脱力して立っていられなくなったのか、階段に座り込んだ。

「ウソよ! ウソに決まっているわ。絶対にウソよ!!」

 颯は腕を組んで大きく溜息を吐いた。

「取り乱してもいいけど、先に職員室へ行こうか」

 そう言った途端にスダージュが浮いた。颯はその前を歩き、浮いたスダージュが後ろに付いて行く。

「このウソつき! 下ろしなさい! 下ろせと言っているでしょう!!」

 擦れ違う生徒に奇異な目で見られている事に気付く事もなく、颯に向かって喚き散らしていたが、それは職員室でも続いていた。


 颯は五時限目には海組の授業があったのだが、手の空いている教師に代理を頼んで自習にして貰い、スダージュが落ち着くのを待った。喚き散らした後は号泣していて、話も出来なかったのだ。漸く泣き止み、静かになった頃には五時限目が始まって三十分が経過していた。

「私の部屋へ移動しましょうか」

 ケフッカが言うと、パーサ、ミロシュー、ダーリーも学院長室へ当然のように付いて来た。

 学院長室には執務机の前に、一脚の三人掛けの長椅子、五脚の一人掛けの椅子が、脚の短い長机の周りを囲むように置かれていた。上座の一脚にケフッカが、一人掛けの椅子を三脚並べている所に上座からパーサ、一席開けてミロシュー、長椅子の上座にダーリー、間を開けて颯、下座の一人掛けの一脚にスダージュが座った。スダージュは大人五人の視線を一身に受け、俯いてしおらしくしていた。

「ケワビムに毒を盛ったのはスダージュだな?」

 颯が訊くと、スダージュが顔を上げた。そして毒気の抜けた表情を見せ、頷いた。

「腹痛を起こして寝込めばよいと思い、盛りました」

「腹痛じゃなくて、死に掛けていたんだけどな」

 真面目な表情に変わると、颯を見据えた。

「わたくしが飲ませたのは、腹痛が起こる物です。ああなってしまった事に、わたくしは関係ありません」

「スダージュが飲ませた物は、ワービュと言う薬草で間違いないな?」

「間違いありません。ですがその薬草でなぜ死にかけるのですか?」

 パーサーとミロシューが顔を見合わせた。

「知らないのか? ケワビムは持病があって、その為に飲んでいる薬がある。そのワービュは極小のやく匙一杯程度だと薬になるが、二杯以上は毒になる。その上、サダレルと言う薬草があって、それは咳止めや鎮静薬として広く使われているんだけど、そのサダレルと混ざると死に至る毒になってしまうから、ワービュは管理されているんだ。それも徹底的にな。スダージュはそのワービュを何処どこで手に入れたんだ?」

「……え? ワービュが、そのような物だとは……」

 険しい表情になると、また俯いた。

「何処で手に入れたんだ?」

「……サバッカン様のお屋敷にある温室ですわ」

 にわかに顔を上げると、切実な表情をしていた。

「ですが、わたくしは腹痛を起こす程度の物だと…」

「まあ落ち着け。その話はまた後でゆっくり聴こう。兎に角、それをサバッカンさんの屋敷で手に入れて、乾燥させて粉末にし、ケワビムに飲ませたんだな?」

 小さく頷いて、上目遣いで颯を見た。

「そうです。エレータ様に持たせてそれをお茶に仕込んで頂き、ケワビムを毛嫌いしている子にお茶を運ばせました。運んだ子の名前は存じ上げませんので、エレータ様にお聞き下さい」

 ケフッカが眉を顰めた。ダーリーが身を乗り出す。

「カラネイさんにやらせたのではないのですか?」

 スダージュはダーリーに視線を向けた。

「わたくしが持って行くと飲んでもらえないと、カラネイ様には断られましたわ。それから、エレータ様がケワビムを毛嫌いしている子と仲がよいから、その筋で頼めばよいのではと提案されましたの。それで、そうする事にいたしました」

 颯以外の大人全員が険しい顔を見合わせた。

「この期に及んで嘘を吐くのは感心しないな」

 そう颯が言うと、颯を睨み付けた。

「わたくしはウソはついておりません。創造主様に誓ってウソはついておりません」

「解った。疑って悪かったな。でもケワビムに茶を飲ませたのはカラネイじゃないのか?」

 穏やかに訊かれると、スダージュも視線を和らげた。

「わたくしが頼んだ時は断られましたもの。エレータ様が、運んで頂けたとおっしゃっていたので、誰に、とは聞かず、そのまま受け入れておりました。ですから、わたくしは誰が運んだかは存じ上げませんので、エレータ様にお聞き下さいと申し上げております」

「それはさて置き、どれくらいの量のワービュをエレータに渡したんだ?」

「カラネイ様が一番小さな薬さじ二杯でお腹が緩くなるとおっしゃっていたので、二杯にしました」

「間違いないな?」

「間違いありません。二杯です」

「極小だな?」

「一番小さな薬さじです」

「カラネイから情報を得て、自分では調べなかったんだな?」

「それは……そうです。カラネイ様の言葉を信じまして、自分では調べておりませんでした」

「そうなんだな。解った」

 颯が頷いている後ろで、大人達はそれぞれ険しい顔を見合わせていた。

「エレータさんを呼んで来て、誰にケワビムさんへお茶を運ばせたのかを尋ねなくてはなりませんね」

 ミロシューがダーリーに言うと、スダージュが膝の上で両手を強く握り、前のめりになった。

「あの! ……申し訳ございませんが、一番小さな薬さじ二杯で死に至るのか、お教え下さいませんか?」

「本当に二杯ならサダレルと混ざっても死にはしない。五杯以上になるとほぼ死ぬな」

 颯が答えると、スダージュが首を横に振った。

「わたくし、創造主様に誓って二杯しか紙に包んでおりません」

 大真面目に言うと、颯が鼻で笑った。

「二杯でも五杯でも、管理されているワービュを少しでも盗んだ時点で、スダージュの人生は半分終わったような物だよ。治癒師、薬草師、医師の国家免状は取得不可になって、公務員にもなれなくなった。爵位を盾に動いていた事も把握しているから、スダージュ家は降爵決定だ。父親の役職を考慮して男爵まで降爵だそうだ。一応貴族でいられるが、スダージュが男爵令嬢でいられるかどうかは不明だな。サバッカンの父親も薬草の研究職で国の機関に勤務していたんだけど、ワービュを盗まれた事で薬草師の免状は剥奪、職場からも追放、奪爵という処分だからな。お前は自分のみならず、他人の人生も終わらせたんだよ」

 絶望に満ちた表情をしたスダージュは颯を見詰めていた。

「わたくしが……、だ……、だ、男爵令嬢……。公爵位を継ぐはずのわたくしが……、だ…、男爵……」

 口を衝いて出た言葉がそれだった。

「まあ、犯罪者だから平民に落ちるんだけどな。だから男爵すら継げないな」

「お父様はそのような事はおっしゃっておりませんでしたわ!!」

 絶叫すると突っ伏して号泣した。それを気にしていないミロシューがダーリーを見る。

「それではエレータさんを呼びましょう」

「そうですね。イノウエ先生に行って頂きたい所ですが、私が行きます」

「ダーリー先生、宜しくお願いします」

 ケフッカが小さく辞儀をした。ダーリーは立ち上がりながら「はい」と返事をする。そして四人は、扉の方に向かって歩くダーリーの後ろ姿を見送った。


 カラネイは寮の自室で荷物を纏め終え、迎えが来るのを待っていた。そして扉を叩く音が聞こえ、立ち上がって荷物を持ち、扉の方へ行って開扉すると、そこにはダーリーが立っていた。

「あら、荷物は置いて来てもらえる?」

 怪訝そうにダーリーを見る。

「え? 家から迎えが来たのではないのですか?」

 ダーリーは無表情で首を横に振った。

「残念ながら違います。とにかく荷物は置いて私と一緒に来てもらえる?」

「はい」

 持っていた荷物を壁沿いに置くと退室した。ダーリーが閉扉して先に歩き出す。後ろから些か険しい表情になったカラネイが付いて行く。

 学院長室に到着すると、ダーリーが開扉してカラネイに視線を向けた。

「二人の左側に立って下さいね」

 カラネイは軽く辞儀をして中に入る。見覚えのある二人の後ろ姿が並んでいて、言われた通りに左端に立った。三人が並ぶと、エレータの身長が一番高かった。そのエレータが真ん中になり、カラネイに一瞥をくれた。カラネイは視線を正面に向けていたが、窓の景色を見ていた。

 ダーリーが閉扉して、先程までいた席に着くとケフッカがカラネイに視線を送った。

「さて、揃いましたね。それではカラネイさん、ケワビムさんが倒れた日、エレータさんから受け取ったお茶に何をしたのか、話してもらいましょうか」

 穏やかな口調でケフッカが言うと、カラネイは視線をそのままに口を開いた。

「何もしていません。エレータさんに、ケワビムさんに持って行って差し上げてと頼まれましたので、そうしただけです」

「そうですか。では何故スダージュさんに頼まれた時に断ったのですか?」

「頼まれていません」

 その言を聞いて、スダージュが眉を吊り上げた。

「それではエレータさん、スダージュさんにお茶をどうして欲しいと頼まれましたか?」

「ケワビムさんを嫌っている人と仲がよいのでしょう? その方にこれを運んでいただけるように頼んで下さらない? というような感じで頼まれましたのですが、事前にカラネイさんから、わたくしがいたしますからと言われていましたので、カラネイさんに渡しました」

「事前にカラネイさんがそう言っていたのですか?」

「そうです」

 エレータが頷くとケフッカはカラネイに視線を移した。

「何故カラネイさんはエレータさんにそう頼んでいたのですか?」

「頼んではいません。これは二人がわたくしを陥れる為のウソに違いありません」

 エレータは鼻で笑ったが、スダージュは我慢がならなかったようで口を開く。

「わたくしはこちらへ来てからウソは申しておりませんわ。あなたがそのようなウソつきであった事が、残念でなりませんわ」

 険しい表情で語気を強めて言った。

「まあまあ、まずはカラネイさんの話を全部聞いてからにしましょう」

 パーサが言うと、スダージュは口を噤んだ。ケフッカがパーサからカラネイに視線を移す。

「カラネイさんはエレータさんにお茶を渡されてから、ケワビムさんに持って行くまでの間に、お茶に何かを入れましたか?」

「ああ、忘れていました。はい、ケワビムさんは角砂糖を二個入れる人なので、角砂糖を入れました」

「それ以外には?」

「入れていません」

「そうですか。それではワービュの存在をどちらで知りましたか?」

「そのような物は知りません」

「分かりました。夏休み中、サバッカンさんのお宅へ遊びに行った事がありますね? その時、温室へ入りましたか?」

「いいえ。立ち入り禁止だと言われましたし、ずっと四阿あずまやにいました」

「何故仲のよい友達を誘わなかったのですか?」

「スダージュ様に突然誘われたからです」

 スダージュは眉を顰めた。

「そうですか。エレータさん、そうでしたか?」

「サバッカン様のお屋敷へ行こうと、誰からも誘われておりません」

「ロンゴンナさんとドケンモスさんにも確かめましたが、誘われていないそうです」

 ダーリーがケフッカを見て透かさず言うと、ケフッカが頷いた。

「スダージュさんは誰かを誘いましたか?」

「いいえ。わたくしは前もって、八月上旬頃にカラネイ様からお誘いを受けておりまして、他の方をお誘いするからと言われましたので、わたくしの方で中型の箱舟と、護衛が乗れる大型の箱舟を用意いたしました。ですが、当日になって他の方は来られないと、カラネイ様からお聞きいたしました」

 ケフッカを見ながら毅然とした態度で言うと目を伏せた。

「分かりました」

 颯は目を閉じて静かに聴いていたが、ケフッカの視線に気付いて目を開け、そちらへ顔を向けた。

「イノウエ先生、宜しくお願いします」

「解りました」

 大きく頷くと、窓に視線を投げているカラネイに顔を向け、平然としている様子を目にすると眉を顰めた。


 時は遡って九月三日、スダージュは中型の箱舟にカラネイを同乗させて、サバッカン邸を目指していた。箱舟の後部座席は向かい合わせの長椅子となっていて、スダージュは進行方向を向いて、カラネイはその対面に座っている。お互いの護衛は後ろに付いて来ている箱舟に乗っていて二人切りだった。

「ロンゴンナ様とドケンモス様とエレータ様がご一緒出来ないのは、本当に残念ですわ」

「お二人ともご用があるのでスダージュ様によろしくお伝え下さいとおっしゃっておりましたわ」

 カラネイが莞爾としてスダージュを見詰めた。

「そうですの……」

 スダージュは心底から残念そうに窓の外に視線を遣る。しかし気持ちを切り替える。

「サバッカン様のお屋敷へ招かれるとは思ってもみませんでしたので、とても嬉しいですわ」

 笑顔で移り行く景色を眺めた。

「サバッカン様のお父様は研究職だそうで、色々な薬草を栽培なさっているそうなのです」

 スダージュはそう言ったカラネイに顔を向けた。

「まぁ、それは素晴らしいわね」

「中には毒もあるそうですわ」

「毒? それは恐ろしいわね。そのような物まで栽培なさっているの?」

 スダージュは些か険しい表情になる。カラネイは微笑んだ。

「毒でも、量によっては薬になるのですよ」

「ああ、確かにそういった薬草もあると聞き及んでおりますわ」

「月組の子がそれを飲まされてお腹が緩くなって大変だったと申しておりましたわ」

「まぁ……」

「嫌いな子に少しばかり嫌がらせをするのに最適ですわよ」

「ふふ。お腹が緩くなる程度でしたらそうですわね」

「それがございましたら、スダージュ様にお教えいたしますわ。葉を乾燥させて粉末にして、一番小さな薬さじ二杯程度でお腹が緩くなるのですって」

「まぁ、そのような少量で?」

「そうですの。ね、少しばかりの嫌がらせに最適でしょう?」

「本当ですわね」

「きっとまたケワビムが首席なのでしょうね。スダージュ様への思慮が足りないせいで、お腹が緩くなる羽目におちいるのだわ」

「ちょっとした罰を受けるのは自業自得よね。ふふ」

 たわいない会話を続け、サバッカン邸に到着すると、四阿に茶の用意をしてくれていた。護衛を後ろに立たせ、三人で談笑していると、カラネイが大きな温室に視線を遣る。

「あちらは温室ですわね? 何をお育てになっていらっしゃるの?」

「お父様が研究で使われている薬草などがございますの。立ち入り禁止ですので、中をお見せする事は出来ませんの。申し訳ございません」

 申し訳なさそうにサバッカンが言うと、スダージュが残念そうにした。

「そうですの。それでは諦めるしかございませんわね」

 スダージュはそう言って笑顔になった。カラネイも残念そうにしていた。だが、その時は突如遣って来た。

「申し訳ございませんが、お花を摘みに行ってまいります」

 そう言ったのはサバッカンだった。

「分かりましたわ。それでしたら、申し訳ございませんが、お茶のお代わりも欲しいので、そちらもお願いしてもよろしいでしょうか?」

「分かりましたわ。持ってまいります。ではしばらく失礼いたします」

 カラネイの言に笑顔で応えると、立ち上がって軽く辞儀をして去って行った。カラネイが莞爾としてスダージュに顔を向ける。

「さ、温室へまいりましょう」

 そう言って立ち上がると、護衛を見る。

「ここで待っていてちょうだいね。すぐに戻るわ」

「え? え?」

 戸惑っているスダージュの手を引っ張り、温室へと急ぎ足で向かった。扉は施錠されていたが、カラネイが開錠した。

「あら、わたくしの方が質が高かったようですわ」

 そう言って開扉すると、スダージュの手を引っ張ったまま中へ入った。ワービュは葉の形状が楕円で有り触れた物だが、色が赤紫という特徴があり、素人目にも容易に見分けが付く。カラネイがその独特の色を目指し、奥へ進んで行く。

「ございましたわ! あの赤紫の葉がワービュですの」

「まぁ、色は可愛らしいのね」

 スダージュは傍まで来ると、屈んで無造作に葉を一枚採った。

「一番小さい薬さじ二杯ならこれで足りるわね。カラネイ様、ありがとうございます」

 衣嚢から手巾を取り出し、葉をそれで挟むと衣嚢に入れた。

「立ち入り禁止ですから、早くここから出なくては。まいりましょう」

 そう言うと一人で先を急いだ。カラネイはスダージュが背を向けて小走りで遠ざかるのを見て、ワービュの葉を二枚採り、スダージュ同様、手巾に挟んで衣嚢に入れた。

 四阿に戻って来たスダージュが着席すると、カラネイが少し遅れて戻り、それから五分程してサバッカンが、茶器を載せた盆を持った侍女を伴って戻った。


 少し時が進んで十月一日、人で溢れ返っている食堂の仕切り台で、スダージュが茶器に紅茶を注ぎ、そこへ薬包を開き、粉末を入れていた。それを盆に載せて五学年の席へ行き、エレータに声を掛ける。

「エレータ様」

「わたくしに持って来て下さいましたの?」

「違いますわ。エレータ様はケワビムを毛嫌いしている方と仲がよいとか。その方に渡して、これをケワビムに飲ませて頂きたいのですわ」

 エレータは小さく頷くと、盆を持った。

「分かりましたわ」

 立ち上がると、スダージュに笑顔を見せた。

「よろしくお願いいたしますわね」

 スダージュが軽く辞儀をして、自分が取っていた席に着き、食事を開始した。エレータはそんなスダージュを一瞥して、離れた所にいたカラネイに渡す。

「これでよろしいの?」

「ありがとうございます。ケワビムは砂糖を二個入れるので、入れてきますわ。もうお戻りになって、食事の続きをなさって下さいね。ありがとうございます」

「分かりましたわ」

 エレータは笑顔で応えると席へ戻って行った。カラネイは仕切り台へ行き、紅茶に角砂糖を二個入れ、衣嚢から紙包みを取り出し、開いて何かの粉を入れた。それから匙で念入りに掻き混ぜ、ケワビムと一緒に食事をしていたタオッカが先に席を立った場面を見て、それをケワビムの所へ持って行った。

「タオッカが持って行ってと言うから持って来たわ」

 そう言って盆をケワビムに差し出した。ケワビムが目を丸くしてカラネイを見た。

「砂糖は二個入れてあるから、だそうよ」

「そうなの。ありがとう」

 笑顔で受け取ると、朝食の載った盆の隣に置いた。

「きちんと渡したからね」

 そう言ってカラネイは一旦仕切り台の方へ行き、大回りしてスダージュ達の所へ戻って行った。


 更に時が進んで十月三日、十時限目が始まる少し頃、サバッカンは医務室で患者用の丸椅子に座り、明良と対面していた。

「学年、組、名前をどうぞ」

「五学年星組、シカラミ・タバリダ・サバッカンと申します」

 切羽詰まった様子で捲し立てた。

「調子の悪い部位、症状、気になる事などをどうぞ」

 胸の前で両手を握り締めて、意を決したサバッカンは口を開く。

「あの、アメイルグ先生がケワビムさんの処置をなさったと伺いましたが、彼女のご様子はどうなのでしょうか? まだ命は危ないのでしょうか?」

「死に掛けていたけれど、もう大丈夫だね。念の為に日は安静にして貰おうと、入院設備のある病院へ行って貰っているよ。それがどうかしたの?」

 安堵したのか、両手を膝に置いて表情を和らげた。

「そうですか、安心いたしました。……わたくし、警察の事情聴取でも話せなかったのですが、当家にある温室で育てている薬草を盗まれまして、その犯人がもしかしたら、わたくしの友人ではないかと思うのです……」

「それで?」

「父が、ワービュを盗まれたと申しておりました。その薬草と今度の事件と関係がございますか?」

「それは君の知らなくてもよい事だね」

 サバッカンはまた俯くと、暫くそのまま動かなかった。漸く顔を上げたかと思うとうっすらと涙を溜めていた。

「温室に泥棒が入ったと分かる数日前、わたくしの友人が突然当家に押しかけて来たのです。指紋が温室の扉と、薬草にしか残っていなかったと父から聞き、もしかして、と思って……、それ以来眠りが浅くなってしまったのです」

「顔色はそう悪くはなさそうだけれど、今も眠れていないの?」

「父が睡眠薬を調合して持たせてくれています……」

「サバッカン子爵は薬草師だものね。ワービュが盗難に遭っている件は私も聞き及んでいるし、それは直に解決するからね」

 それを聞いて、サバッカンから気力が抜けて行く。

「それにつけても、友人が突然屋敷に押し掛けて来たとは、それが誰だったのかを教えて貰える?」

「あ、はい……。五学年海組のスダージュ様と、五学年月組のカラネイ様です」

「仲がよいのはその二人だけ?」

「いいえ、後三人いますが、その三人はご用があるとかでおいでになりませんでした」

「来た者はその二人だけなのだね?」

「そうです」

「どうして来る事になったの?」

「カラネイ様がおっしゃるには、スダージュ様がどうしても伺いたいとおっしゃっているから今日行っても大丈夫かと……。カラネイ様には突然の訪問は困ると以前申し上げていたのですが、スダージュ様がどうしても来られるとおっしゃられているとの事で、お断り出来ず……」

「成程。何時いつカラネイさんに、突然の訪問は困ると言ったの?」

「四学年になって二三ヶ月経った頃ですので、去年の十二月か十三月頃です」

「どういう風に話したの?」

 暫く沈思したサバッカンは少し首を傾けた。

「カラネイ様が当家へ遊びに行ってみたいと申されまして、前もっておっしゃって頂ければ用意が出来ますので構いませんと申しました。カラネイ様は、いつ行けるか分からないから、何日前までに申せばよいのかと尋ねられて、最低でも五日前ですと答えました。それで、突然の申し出には警備が雇えないので、それはご遠慮下さいと申しました」

「それなのに突然来たと?」

「そうです。スダージュ様は、公爵令嬢ですので無下に出来ず……」

「それで受け入れてしまったと?」

「……そうです」

 徐々に俯いて行くサバッカンは上着から手巾を取り出し、涙を拭った。

「警察と父の会話を聞いてしまいまして、……ワービュの事を知りました。盗まれた葉の枚数が三枚で、量としては致死量になると。ですが盗まれてから周りに死者が出ていないので、一代で今の地位に上り詰めた父を、おとすために盗まれたのではないか、……というお話でした。それなのにケワビムさんが死にかけたと聞き……、とても嫌な予感がしたのです……」

 何度も涙を拭い、声を震わせながら話した。

「父君をとしたい人物の仕業ではなかったと?」

「ケワビムさんが食後に飲んでいる薬がございまして、月組の、名前は存じ上げませんが、その方からケワビムさんの薬の事を、カラネイ様が聞いている所を見た事がございます。それも四学年になってからの、それも下期の事ですので、良く覚えております。喘息ならモセヌノよりサダレルの方が良く効くから、お勧め下さいとおっしゃっておりました」

「カラネイさんが話していた月組の生徒の名前か、特徴は憶えているの?」

 顔を上げて明良を見ると頷いた。

「はい、特徴でしたら良く覚えています。黒髪で、背も高かったです。ケワビムさんではない肌の黄色い方でした」

「それで、その生徒はどう答えていたの?」

「薬の事に詳しいのね、必ず勧めておくわ、と。カラネイ様はサダレルだからね、と念を押すようにおっしゃって、少し会話をしてからその場を去られました」

「何故その事を其処まで明確に憶えているの?」

「モセヌノもサダレルも授業で習いましたが、そのように差が出る物なのかと思いまして、父に聞きましたので覚えておりました」

「父君はどうお答えになられたの?」

「確かにサダレルは喘息に良く効くけれど、モセヌノの方が効果は低くても効き易くてね、モセヌノを服用しているのなら、そう酷い喘息ではないのだろうとおっしゃっておりました。それに……」

 また俯いて言い淀む。

「それに?」

 明良に促されて、明良を上目遣いで見た。

「別の薬と併用すると、悪い物を発生させてしまう場合があるから、モセヌノの使用が多いともおっしゃって、その事が妙に引っかかっていたのです……」

 顔を上げて明良を真っ直ぐに見詰めた。

「ケワビムさんが倒れたと聞き、カラネイ様がスダージュ様を連れて当家に来訪した事と、ワービュが盗まれた事が繋がっているのではないかと思い、昨夜、消灯前に父に音石で連絡を取りました……」

「それでサダレルとワービュの関係性を知ったのだね?」

 サバッカンは大粒の涙を流しながら頷いた。

「そうです……。わたくしが、あの時、断らなかったばっかりに、このような事になってしまって……。うぅぅ……」

 明良はサバッカンが泣き止むまで待たない。

「泣いている所を申し訳ないのだけれど、結局の所、私に何が言いたいの?」

「ケワッ、……ケワビムさんに謝罪を、わたくしの代わりに、謝罪をしておいて頂きたいのです……」

 涙を必死で堪えながら言った。

「自分で直接謝罪をすればよいのでは?」

「今日、休学届を出して、屋敷に帰ります……。アメイルグ先生なら、シシン先生より先にケワビムさんにお会いするでしょうし、イノウエ先生にお願いするには、あの、……怖くて……」

「そう。では手紙を書いて貰える? ケワビムさんが学院に戻ったら渡そう」

 紙を抽斗から、万年筆を顕現させると執務机の奥に置いた。サバッカンは涙を拭いながらそれを見ると、小さく辞儀をする。

「ありがとうございます」

 立ち上がって椅子を持ち上げると、執務机に近付けて座り、万年筆を手にした。


 そして現在。これ等の映像を見終えると部屋は明るくなり、スダージュの険しい表情が目を惹いた。それを見たケフッカは小さく溜息を吐いた。カラネイは依然として平然とした態度で、視線はやはり窓に遣ったままだった。

「カラネイ、何か申し開きはあるか?」

 颯が訊くと、カラネイは鼻で笑った。

「このような作り物を見せられて、誰が信じるというのですか」

 颯も鼻で笑う。

「カラネイ以外の全員が信じるだろうな」

「これが本物である事を、わたくしが証言いたします」

「朝食を頂きながらカラネイ様の動きを見ておりましたが、この通りでございます」

 スダージュに続き、エレータも肯定をした。

「カラネイは往生際が悪いな。今見た映像で、食堂の方はこの出来事があった当日に記録された物、サバッカンの屋敷での出来事はどう記録したかは明かせないが、後日に記録したとは言え、本物である事は自分が一番良く解っているだろう? カラネイの自宅にあるお前の部屋も警察が捜索して、薬包用の紙と同じ物を押さえてある」

 颯がそう言うと、ズボンの衣嚢から紙包みを取り出した。

「これ、タオッカの手荷物に紛れ込ませていただろう? 関係者ではお前の指紋しか出なかったぞ。タオッカに罪をなすり付ける積りだったんだな」

 カラネイは視線を動かす事もなく、無言だった。

「まあ、カラネイが白状しなくても殺人、殺人教唆、窃盗、窃盗教唆の罪で逮捕なんだけど、何か言っておく事はあるか?」

「ございません」

 そう言うと、入室して初めて颯と視線を合わせた。憎悪に満ちたその視線を見て、颯は鼻で笑った。

「逃げ切れなくて残念だったな。めでたく平民になれたし、カラネイの大好きなケワビムに賠償金の支払い義務が生じるから、完納するまで繋がっていられるな。まあ、賠償金の金額は裁判で決まるんだけど、前科持ちの平民だと賃金が知れているから、払い切れるか心配になるなあ」

 言い終えると満面の笑みを浮かべ、何かを思い出したかのような表情になった。

「あ、元貴族だと雇って貰えない場合が多いと聞くから、職探しは困難を極めそうだな。見付からなかったら俺に言えよ? アメイルグの農奴になら何時いつでもして遣れるぞ」

 そして素の顔に戻る。

「大切な事を言い忘れていたが、カラネイには自白薬の使用の許可を得ているから、洗い浚い話して貰うからな」

 カラネイは瞬時に顔を強張らせ、颯を睨み付けた。

「自白薬は違法ではないの!? わたくしは未成年なのだから使用は禁じられているでしょう!!」

 回りを気にせずに喚いた。颯は気怠そうに腕を組んだ。

「カラネイは彼是あれこれ工作している様子だったから、素直に白状する気がないだろうと思って、主席宰相から使用許可を得たよ。両親からも許可を得ないといけないんだけど、カラネイの両親はなあ……、平民になる前にお前を除籍しているんだよな。だから王太后陛下からも許可を頂いているよ。若しかして国王陛下が良かったか? 今から許可を頂きに行こうか? ワービュが絡んでいるし、お前はもう平民だから簡単に許可が頂けるぞ」

「カラネイさん、ワービュはそれだけ危険な薬草なのですよ。それを使って殺人を企てたのですから諦めなさい」

 静かにケフッカが言うと、カラネイはその場に座り込み、人目をはばからずに号泣し始めた。自白薬の副作用の事を知っているのだろう。エレータは辟易している様子で、スダージュは無表情だった。ダーリーは掛け時計を見てから立ち上がると、ケフッカに向かって辞儀をし、カラネイの横を通って退室した。

「エレータさんは退室して結構です。スダージュさんは退学手続きをしにお母様がいらっしゃいますので、職員室の一角にある応接間にいて下さい」

 カラネイの声に負けないよう、ケフッカが声を張り上げて言ったが、二人は動こうとはしなかった。

「それでは私がスダージュさんに付き添います」

 見兼ねたミロシューが立ち上り、スダージュの傍に行く。スダージュはケフッカの声を聞き取れておらず、ミロシューと少し会話をしてから退室した。ミロシューは更にエレータに声を掛け、退室を促した。エレータはカラネイに一瞥をくれてから、ミロシューも直ぐに退室した。

 颯はこの後の授業に出る事はなく、忙しく動き回っていた。


 玲太郎が予習をしている頃、颯が寮長室へ戻って来た。

「只今」

 靴を履き替えながら言ったが、玲太郎の耳には届いておらず、返事がなかった。颯は鼻で笑うと、そのまま隣室へ向かった。時間はもう二十一時を過ぎていて、米を研ぐには少しばかり遅かった。ハソは颯に付いて行かず、玲太郎の下へ向かった。

「たーだーいーまー」

 そう大きな声ではなかったが耳元で言うと、玲太郎が耳を押さえてハソに顔を向けた。

「びっ……くりするじゃない」

「驚かせたのであるが、成功したようで良かったわ」

 ハソが笑顔になった。眉を顰めていた玲太郎は直ぐに表情を戻した。

「はーちゃんも帰って来てるの?」

「うむ。夕食の準備をしに行っておると思うが」

「それじゃあ手伝わなきゃ」

 立ち上がると、ハソを避けて隣室へ向かった。ハソは颯の寝台で眠っているヌトの傍へ行き、熟睡している様子を見て苦笑してから隣室へ向かった。

「はーちゃん、おかえり」

 米を研いでいる後ろ姿に声を掛ける。

「只今。夕食作りはもう少ししてからだぞ?」

 颯は手を止める事も、振り返る事もなく言うと、玲太郎は颯の左横に立った。颯は玲太郎を見もせず、研ぎ汁を捨てる。

「そうなの? それじゃあここで待ってる」

「食卓の方で座るか、花の前で座っていればいいんじゃないのか」

「花……。あ、そうだった。押し花を作る手伝いをしてくれるんじゃなかった?」

「ああ、そうだなあ。それもあったな。……それじゃあ夕食後に押し花を作るか」

 そう言いながら、帰って来て初めて玲太郎に顔を向けた。玲太郎が笑顔になる。

「うん!」

 元気良く返事をして後ろに下がった。颯は頷いて、また正面を向いた。水を入れ、手早く米を掻き混ぜて研ぎ汁を捨てると、釜の周りを乾かして炊飯器に入れた。水の玉を顕現させて釜に適量を入れ、残りは消して炊飯器の蓋をした。

「よし、後は暫く浸けておく、と」

 玲太郎の方に体を向け、玲太郎を見た。

「少し時間があるから今の内に押し花を作るか? それとも夕食後にするか?」

「え? そんなに簡単に出来るの?」

「出来る。乾燥させて圧力を掛けて平らにするだけだからな」

「魔術でやっちゃうの?」

「有難味が薄れるから途中までな。平らにするのは本に、出来れば辞書とかの厚い本に挟んで、本の力で遣って貰おう」

 玲太郎の傍に行き、肩の後ろに手を添えて長机の方へ誘導しようとした。玲太郎はその手を握ると、並んで歩き出した。颯は思わず鼻で笑ってしまった。

「うん? どうかしたの?」

「いや、なんでもない。先ずは保護魔術を掛けて色落ち、色せしないようにして、それから水分を少し抜いてから紙に挟んで、更に分厚い本に挟む」

「なるほど」

「押し花にしてどうするんだ?」

「あのね、額に入れて、ここと寮長室と、屋敷の勉強部屋に飾るのよ」

「それじゃあ各種一本ずつ遣るって事だな?」

「ううん、最終的には全部やる。今日は寮長室の勉強机に飾る分だけやりたい」

「え、最終的には全部? ……そんなに分厚い本が沢山あったか?」

「ない」

「それじゃあ屋敷に行って取って来るしかないな。水伯邸の方がいいか」

「それなら父上に会えるね!」

「そうだな。それじゃあ会ってから帰るか。それで今日は何本遣るんだ?」

「一番大きな八重咲の花と、黄色の花を三本ずつと、残りの三種類は一本ずつがよいね」

「それじゃあ九本だな。半端だから残りの三種の内一種を二本にして十本にすれば?」

「そうだね。それじゃあ……、この穂になって咲いてる桜色の花を二本にするね」

 咲き誇っている花を前にしても、玲太郎は颯の手を握ったままだった。玲太郎が手を離すまで、颯は微笑んでその手を握り返していた。

 結局、玲太郎が手を離さずにその状態で居続けた為、先に水伯邸へ飛び、水伯に挨拶をした後、分厚い本を十冊持って帰寮した。


 六日になっても玲太郎の傍にルセナの姿があった。玲太郎は颯から「玲太郎に何かがある事は今の所はないだろうなあ」と言われていた事もあって、ルセナが傍にいる事に違和感があった。昼食時に隣にいるルセナを見る。

「あの、もう四日は過ぎてるのよ」

「ああ、そうだな。……そう言えば四日までって言われてたっけ。でも校舎にいる間はなるべくそばにいるよ。オレがいた方が、ウィシュヘンドにとっても、オレにとってもいいと思うんだ」

「そうなの?」

 玲太郎は些か疑問は持ったが頷いた。

「分かった。それじゃあ一緒にご飯を食べようね」

 笑顔で言うと、ルセナも笑顔で頷き、二人は食事を開始した。玲太郎はルセナと一緒にいる事が増えていた事で、大分気を許していた。

「この豚肉と茄子と晩茄の乾酪かんらく焼き、美味しいね。これが結構好きなのよ」

「ああ、うまいな。でも俺はこの揚げ芋の方が好き。もっと盛って欲しいな。それに毎日出して欲しい。じゃが芋って油と塩が合い過ぎるんだよな」

「ふふ、それも美味しいよね」

 二人は笑顔で話しながら食べ進めた。颯が傍を通り掛かって、それを微笑ましく見た。茶を持って席に戻った颯は、片方の茶器をルニリナの盆の傍に置いた。

「ありがとうございます」

「玲太郎がいつもの笑顔でいるよ。どうやらルセナ君とは相性がいいみたいだな」

「そうですか。友人が出来て、学校生活がより楽しくなるとよいですね」

「殿下とは壁があるように感じたけど、今度はそうでもないみたいだから、楽しくなってくれるといいな」

「殿下とは壁があったのですか?」

「うん。殿下の前で笑っていても、何処かしら気に掛かるような物があったんだけどな」

「やはり気を遣っていたのでしょうか」

「それはあるかも」

 小声で会話をしていた。二人は顔を見合わせて微笑むと、ルニリナは食事を再開し、颯は紅茶を飲んだ。

 殺人未遂事件の犯人は逮捕され、解決したのだが、五学年生の間で蔓延していた貴族による制圧についてはまだ解決していなかった。貴族が気に入らないという理由だけで架空の密告をする生徒もいて、短期ではあるが停学処分に科せられた。貴族令息の殆どが、相手が侯爵令息だからと服従していただけのようで、自主的に制圧に参加していた生徒と、服従していた生徒との分別に手間取っていた。

「はあ……、それにしても、嘘を見分けられる魔術があればなあ……」

 茶器を受け皿に置きながら呟いた。ルニリナは颯の方に顔を向けて笑う。

「ふふ、そのような物があれば、自白薬の必要もなくなりますね」

「ニーティ、創って貰えない?」

 颯もルニリナに顔を向けた。ルニリナは露骨に眉を顰めた。

「私がですか? ……うーん、難しいですね」

「嘘を吐いていると判断出来るのは本人だけだからなあ……。それをどう遣って可視化させるか……」

「嘘を吐けなくなる呪いを創って、それを掛けてしまえばよいのではないでしょうか」

「そんな魔術が創れるのか?」

「試してみない事には判りませんが、閣下の使う反転の魔術のように、嘘を吐いたら身に何かが起きるようにするとよいのではないでしょうか」

「毛が抜けるとか?」

 ルニリナは思わず顔を顰めると颯を見た。

「それは恐ろしいですね」

「俺に掛けられたら困るから、それは止めておこう」

「嘘を吐かねばよいではないか。毛が抜けるとは髪の毛だけであろう? 円型の禿げが出来るように術を拵えれば、面白い事になりそうであるな」

 ハソが楽しそうに言うと、二人は横目でハソを見た。それに気付いたハソは二人を交互に見て些か怯んだ。

「な、何よ?」

「別に……」

 颯はそう言いつつも横目で見たままだった。ルニリナは無言で正面を向き、茶器の持ち手に指を掛けた。

「一生抜けたままではなかろう? それならばよいではないか」

 颯だけ口を挟んで来たノユを横目で見た。

「わしは嘘を吐かぬから、そういった被害に遭わぬわ」

 そう言って笑顔になった。

「まあ、忘れた、が通じるからいいよな」

「それは仕方がなかろうて。実際に忘れてしまうのであるからな」

「ノユ達はそうでしょうが、私達はそうではありませんので、隠し事がままならなくなるのは困りますね」

「兎に角、円型でも四角でも、毛が抜けるのは止めようか」

「そうですね」

 二人は顔を見合わせて頷くと茶を飲んだ。その後、珍しく茶のお代わりをして雑談に興じ、食堂に居座った。


 三学年以上は週に二日、魔術の授業が二度ある。五学年月組は風の曜日がそうで、一度目は午前中に、二度目は十さん時限目になっていた。午前中から雨が降り出していて、屋内訓練場へ行く道中は障壁を張っていた。玲太郎は医務室から一人向かっていたが、訓練場には一番乗りだった。

「玲太郎が一番乗りであるな」

 ハソが声を掛けて来たが、玲太郎は頷くだけだった。ヌトは玲太郎の一房の髪に掴まり、大きな欠伸をしている。玲太郎は颯の傍へ行く。

「十三時限目と十四時限目の間に間食があるからね。また校舎に戻らないといけないのが面倒臭いね」

 そう言いながら傍へ来た玲太郎を笑顔で見た。

「まあ、仕方がないな。それはさて置き、ルセナ君は置いて来たのか?」

「待つように言われてないから、置いて来たのとは違うね」

「そうなんだな。玲太郎はルセナ君といる時は気が楽か?」

「うん、とっても楽なのよ。エネンドといる時みたいな感じ」

「ああ、そう言えばエネンドとルセナ君の年は近いな」

「そうなの? ルセナ君の年は知らないのよ」

「今年十二だから、玲太郎の三歳上だよ」

「なんだぁ、エネンドと同い年じゃない」

「一緒だったのか」

「そう」

 颯は、見上げている玲太郎の頭を乱雑に撫でた。ヌトは颯の手が近付いて来るのを見て、頭を引っ込めていた。

「友達が出来て良かったな」

「うん、それはよいのだけど、髪を乱さないでね。恥ずかしいのよ」

 頬を赤く染め、そう言いながら俯いて乱れた髪を手櫛で整えた。ヌトは髪に掴まりながらも顔を隠して笑いを堪えている事を颯に悟られないようにしていた。

「夏休みの間、エネンドとは少ししか会えなかったんだよね。話もそんなに出来なかったのよ」

「玲太郎は遣らないといけない事が沢山あるから仕方がないな」

「エネンドは農業を学びにじょう学校へ行くって言ってた」

「玲太郎も上学校へ行くか?」

「行かない。はーちゃんもあーちゃんも、上学校で働くのは難しいんじゃないの?」

「うーん、そうだな。上学校用の教員免状を取らないといけなくなるからなあ……。まあ、出来なくはないけどいち年は欲しいという所だな。……とは言え、玲太郎の行きたい学校に就職出来るかどうかは、また別の話になるんだよ。だから難しいな」

「あーちゃんなら無理やり来そう。でもはーちゃんがいないなら止めておくね。あーちゃんと二人切りだと、またケンカになっちゃう」

 そう言って悪戯っぽく笑うと、颯は玲太郎の頭をまた乱雑に撫でた。

「解っているだろうけど、兄貴にきつく当たらないようにな。……そろそろ生徒が来るな」

「あ、そうなの」

 また俯いて、手櫛で髪を整える。玲太郎の髪を一房握ったまま、ぶら下がっている状態のヌトは大きな欠伸をした。

「眠るのであれば眠ってもよいぞ。わしがおるからな」

「なっ、何!?」

 ヌトが驚くと、颯を見た。颯はその視線に気付いていたが無視した。

「……ふむ。起きておくとするわ」

「わしがおるから構わぬと言うておろうが」

「お好きにどうぞ」

 颯が明後日の方向を見ながら言うと、ヌトは首を横に振った。

「解った。止めておく」

「うん、止めておいてね。次は午後の間食ですぐに起こさないといけなくなるからね」

 玲太郎はヌトを掴むと、頭の上に置いた。

「解っておるわ。眠らぬと言うたのであるから、眠らぬわ」

「そう言って眠るのがヌトなのよ……」

 玲太郎は気にせずにヌトと話していたが、生徒が既に三人来ていた。颯は苦笑して玲太郎を見る。

「もう生徒が来ているから、ヌトと話すのは止めておけよ?」

「えっ、そうなの?」

 玲太郎は顔を険しくして、ヌトを押さえていた手を下ろした。ヌトはそのまま頭上にいた。

「危ない危ない」

「ふ。まあ、遠目で見れば俺と話しているように見えるだろうから、大丈夫だと思うけどな」

「そう?」

 玲太郎が颯を見上げると、ヌトが落ち掛け、慌てて浮いていた。

「おっと、浮いておらぬから落ちそうになったわ」

 その言で玲太郎は思わず笑ってしまい、慌てて口を両手で押さえた。

「さて、ルセナ君も来たから、玲太郎はそっちに行くか?」

「ううん、始まるまでここにいる。って言うか、授業が始まったらここに集まるから、このままでよいのよ」

「それもそうだな」

 笑顔で応えると、玲太郎がそれを見て更に口元を綻ばせた。ヌトは玲太郎の髪を一房握り、大きな欠伸をしていた。それを情けなさそうにハソが見ていた。


 今日も豪快に的を破壊しまくった玲太郎は、十四時限目が終わり、掃除の担当場所である月組の教室へ向かった。男子生徒六人にカラネイが退学となった為、班の人数に偏りが出来た事で入れ替えがあったが、玲太郎とルセナには関係のない事だった。そのルセナは室内訓練所を担当している班にいて、一緒には戻れなかった。

「何やら今日は良う眠っておったような気がするな」

「今日はあーちゃんの所に六時限いたけど、これでも少ないほうなんだけどね」

「そうであるか?」

「うん。一番少ない曜日は五時限だったと思う」

 玲太郎は小声で話していたが、後ろの方には同じ班の生徒が、それも男女一人ずつが一組となり、二組付いて来ていた。

「ヅツァーク様はウィシュヘンド様にお願いなさらないの?」

 黒髪に茶色の目をした少女は、小麦色をした頬に後れ毛が張り付き、それを耳に掛けながら言った。その仕草を見ると、少女と言うよりも立派な大人に見える。少女より六寸も低いヅツァークが苦笑する。

「僕は脅されて平民をなじっただけで、大した罰は受けないだろう。だから必要ないよ」

「そうでしょうか? わたくしもカラネイ様に言われて平民を侮辱してましたでしょう。他の方と同じようにウィシュヘンド様に取り入って、イノウエ先生によいように計らって頂けるようにお願いしようかと思っておりますの」

「取り入って…とは言っても、ルセナがいるから出来てないじゃないか。それによしておいた方がいいと思うよ。……あ、僕はね」

「やはり男爵と言えども文官で爵位をいただいているだけあって、余裕がございますのね。わたくしは奉仕貴族ですから、子爵程度では、すぐにけ落とされてしまいます。そうならない為にも、どうにかしなければ……」

 真剣な表情で言うと、ヅツァークも真剣な表情になった。

「これだけは言っておくよ。ウィシュヘンド君に声をかけるのは止めておいた方がいい。ルセナが怖いというのも当然あるけど、ウィシュヘンド君はアメイルグ先生にも可愛がられているんだからね」

「アメイルグね……。大して人の居着いていない田舎でしたわよね。……あ、領主は公爵様だから、そのように言ってはだめね」

「ノイヨイさんは、カラネイさんに言われてなくても、率先して平民をなじったんじゃないのかと思えるよ。僕はルセナが怖いけど、身分関係なく嫌いではないんだよね」

 ノイヨイは顔を強張らせると沈黙した。ヅツァークは歩く速度を上げ、玲太郎に近付き過ぎない所で速度を緩めた。ノイヨイはヅツァークの後ろ姿を睨み付けていた。

「おやおや、お貴族様達が仲間割れをしてるぞ」

 それを見ていた芥子色の髪に灰色の目をした少年が、白い頬を赤く染めて嬉しそうに言った。隣を歩く茶髪、茶色の目をした少女が鼻で笑った。

「ヅツァークは男爵で、文官とは言え貴族の中では底辺だからねぇ。まぁ、奉仕貴族がまだ下にいるけど、大差ないよね」

「でもあいつ、ルセナにかばってもらった事があるから、ほぼ平民組だけどな」

 そう言って含み笑いをすると、少女は苦笑した。

「じゃぁお貴族様達じゃないじゃないの」

「うん、そうなるな。ヤマヤはノイヨイに何か言われた事があるんじゃないのか?」

「あるよ。月組でも上位の魔力の持ち主だからねぇ……。ロヒーンは言われた事はないの?」

「女子と男子は完全に分かれてるから、それはない。俺を虐めていたヤツは全員退学になったからな」

「そうなの? それじゃぁ良かったじゃない。女子なんてまだまだいるから、上位のお貴族様が消えても、次が待ち受けているんだよねぇ……」

「イノウエ先生がそうはさせないんじゃないのか? ルセナなんか、もうコロッとイノウエ先生にいかれちまってるぞ。ウィシュヘンド君の事も気に入ってるみたいだしな」

「ああ、カガールクの件ね。イノウエ先生の判断が早かったのはいいけど、いきなり退学だもんねぇ。ちょっと重過ぎない?」

「あいつ、自ら進んでルセナに毒を盛ったそうだぞ。毒と入っても軽い物だったみたいだけど、そんなヤツが薬草術は習えないだろう。しかも試験の日に二回もだぞ。イノウエ先生が寮の部屋で退学を言い渡してたみたいで、カガールクと同室のヤツが言い触らしてたよ」

 ヤマヤが驚いてロヒーンを一瞥した。

「あれ? 一学年の時、ルセナがあいつをかばって暴力事件を起こしたんじゃなかった? ……あれ? 私の思い違い?」

「そうだよ、合ってる。恩を仇で返して、あいつの信用も地に落ちた、……と言っても、もういないんだけどな。一学年の上期以外はルセナが首席だったからな、それでひがんでたんだろうな」

「ふっ、身分は関係なく、ゲスはゲスって事だねぇ……」

「そういう事になるな」

「反面教師が多くてタメになるわぁ。まだ残ってるけど、そいつらも掃除されればいいのに」

 淡々と言ったヤマヤは後ろ手に手を組んだ。そしてまた雨が降りそうな曇天を見上げた。

「一学年の時はまだマシだったけど、年々酷くなったもんな」

 ロヒーンはズボンの衣嚢に突っ込んでいた手を出した。

「このうっとうしい空を、誰か吹き飛ばしてくれればいいのになぁ……」

 ロヒーンはヤマヤを一瞥してから空を見上げた。

「ヤマヤくらいの魔力量があれば吹き飛ばせるんじゃないのか?」

「うーん、量が四十あっても、それが出来るようになるまで何年かかる事やら……。出来ても加減が分からなくて魔力欠乏になりそう」

 そう言って鼻で笑うと、遅くなっていた足を早めた。ロヒーンはそれに付いて行く事はせず、見慣れた景色を楽しんでいた。

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