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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第二十七話 しかして新期が始まる

 九月二十三日、玲太郎の入寮日が再来した。玲太郎は昨年同様、荷物を纏めて玄関広間に置いていて、今年は水伯と一緒に居室で時間が来るのを待っていると、イニーミーが紙袋を持って入室した。そして玲太郎の傍まで来ると、小さく辞儀をする。ちなみにイニーミーはディモーンの妻だ。

「失礼致します。レイタロウ様、ハヤテ様とご一緒にこちらをお召し上がり下さいませ」

 そう言って紙袋を差し出すと、玲太郎はイニーミーを見ながらそれを手にした。

「え、よいの?」

「ソキノ入りの焼き菓子ですから、暗所に置いておけば三日は持つと思いますが、出来ればお早めにお召し上がり下さいませ」

 玲太郎は満面の笑みを浮かべて頷いた。

「三日以内ね、分かった。はーちゃんと一緒に食べるね。ありがとう」

 イニーミーは口元を綻ばせて軽く辞儀をした。

「それではレイタロウ様、また来週末にお会い致しましょう。閣下もお気を付けて行ってらっしゃいませ」

「有難う」

 イニーミーが退室すると、玲太郎が嬉しそうに水伯を見る。

「僕のソキノ好きが知れ渡ってるのよ」

「そうだね。何時いつの間にか皆に知れ渡っているね」

「ディモーン先生にすら言ってないはずなのに、イニーミーさんはどうして知ってるんだろう?」

「ふふ、何故だろうね?」

 玲太郎は思案顔になり、紙袋を見詰めた。

「カイサさんにも言ってないはずなのよ……」

「先に言っておくけれど、私も言っていないからね」

「あ、父上が言うって事を考えてなかった」

 そう言って笑顔になると、水伯はいつもの笑顔を見せた。

「父上じゃないなら、残るはあーちゃんかはーちゃんか、……もしかしてばあちゃん?」

 水伯の方を見ながら首を傾げた。水伯は「ふふ」と笑った。

「明良だよ。ソキノを使ったお菓子を作って欲しいと明良に言われた、とイニーミーが言っていたよ」

「そうなの。あーちゃんだったんだね」

 そう言うとおかしそうに笑った。

「こういうのを過保護って言うんだよね?」

「これは溺愛の片鱗を見せているだけだね。過保護とは違うね」

 玲太郎は少し目を丸くして水伯を見た。

「違うの? ……ふうん。過保護なのかと思っちゃった」

「明良は溺愛しているけれど、過保護ではないような気がするね」

「そう?」

「うん、そうだね。傍にいたいという欲求が強いのだけれど、甘やかし過ぎたり、過度に危険から遠ざけたりはしていないように見受けるからね。遣る事は遣れているだろう?」

 玲太郎は首を傾げた。

「うーん、まあ、うん、やれてる」

 そう言って水伯を見た。

「それならば違うね」

 柔和な微笑みで玲太郎を見ると、玲太郎も釣られて笑顔になった。

「過保護とは違うっていう事が分かったのよ。ありがとう」

「どう致しまして。それにつけても、過保護という言葉は何を見て知ったの?」

「あのね、ディモーン先生が貸してくれた本にあったのよ。小説ね」

「どのような内容だったの?」

「内容はね、過保護な姉と、気弱な妹のお話でね、引っ越し先で二人が成長して行く物語なのよ」

「私はそういった書物を持っていないものね」

「そうなのよ。そういう本と言ったら絵本しかないのよ。でも僕は辞典とか図鑑とかが大好きでしょ。絵付きがよいね。着色してるのはもっとよいね。専門の入門書も好き」

 満面の笑顔で言うと、水伯も笑顔で軽く二度頷いた。

「呪いの入門書は、ルニリナ先生が卒業してからって言うから我慢してるのよ。早く読みたい」

「卒業したら、明良と一緒にニーティから呪いに就いて本格的に習うのではなかったのかい?」

「そうなんだけど、本も読みたいなって思ってるのよ」

「そうだね。書いてある事が全てではないし、誤っている場合もあるから、比較するのも面白いかも知れないね」

「うん。呪いを知っていたら、解呪もやり易くなるからね」

「薬草師になるのではなかったのかい?」

「なるよ。でも解呪もやりたいのよ」

「それでは治癒師と医師にもなれば、大抵の病や怪我が治せるよ?」

 玲太郎は思わず眉をしかめて、首を横に振った。

「治癒師と医師は嫌……。医師は体を切り開いて治す事もあるでしょ? それは怖いのよ……」

「治癒師は?」

「治癒師も同じ。切り開かないだけで、血を見るのが嫌……」

「成程。そうは言うけれど、呪いも恐ろしい物はあるのだよ? 見るに堪えない物がね」

 素の表情に戻り掛けていた玲太郎の顔がまた歪む。

「そうなの?」

「そうだよ。それに毒に侵されても見るに堪えない症状が出て来る場合もあるからね」

 玲太郎は横目で水伯を見た。

「父上が何を言いたのかが分かったのよ。薬草師になるのも、解呪師になるのも止めろって事?」

「違うよ。どうせ見るに堪えない物を見る事になるのだから、治癒師と医師も目指そうよという事」

 いつもの微笑みを浮かべている水伯を見て、玲太郎は苦笑した。

「うーん……、考えるだけ考えてみるね」

「病にかかったり、傷を負ったりしたら治療してね」

「またそういう事を言う。そういう事を言うのはダメだってば」

 顔を顰めて不満そうに言うと、水伯が笑った。

「ふふ。ご免ね」

 玲太郎は仏頂面で水伯を見ていたが、水伯は柔和な笑顔で愛おしそうに玲太郎を見詰めるだけだった。

「さて、それでは学院へ行こうか」

「はーい」

 玲太郎は膝に乗せていたヌトを持つと立ち上がった。

「起こさないのかい?」

「まだ起こさない。散歩する時と食堂に行く時だけ起こすのよ」

「そう。それでは落とさないようにね」

「うん、それは大丈夫」

 玲太郎が微笑むと、水伯は軽く二度頷いた。二人は居室を退室し、玄関広間にある荷物を水伯が持つと玄関扉を玲太郎が開けた。

「有難う」

「どういたしまして」

 水伯が出た後に玲太郎が出ると、扉が勝手に閉まって行く。二人は階段を下り、その先にある箱舟の後部座席に荷物を置くと水伯が操縦席へ、玲太郎は助手席に乗り込む。

「もう出発しても大丈夫なのよ」

「それでは行くね」

 水伯が頷きながら言うと箱舟が徐に上昇し出した。玲太郎は昨年と違い、一抹の不安を胸に抱いていたが、空はそれを払拭させるかのような、雲一つない青空だった。


 カンタロッダ下学院の駐舟場に到着すると、颯が待ち受けていた。

「父上、はーちゃんがいるね」

「ふふ、そうだね」

 玲太郎の嬉しそうな顔を見た水伯が笑う。箱舟が着地すると、後部座席の荷物を颯が持った。

「いらっしゃい」

「今日は。それでは私は此処で失礼するよ」

 操縦席に乗ったままの水伯が言うと、颯が操縦席の扉を開けた。

「まあそう言わずに、茶でも飲んで行こうよ」

「私は肉を買って帰ろうかと……」

「まだ大丈夫だよ。ヤニルゴルの店の閉店時間は早いけど、それでも二十一時までは遣っているからな」

 回り込んで来た玲太郎も水伯の手を取って引っ張った。

「そうしようよ。ね? 父上」

 玲太郎にお願いをされてしまうと、水伯は苦笑した。

「それではご馳走になろう」

 そう言って箱舟から降りると玲太郎と手を繋いだまま歩き出した。颯は閉扉して後ろを歩く。水伯は昨年もこうして玲太郎と歩いた事を思い出したが、それが夢なのか、それとも今が夢なのか、夢と現実の区別が付かなくなってしまった。水伯は昏倒してから、時折こうなってしまっていた。

「水伯、浮いてるぞ」

 不意に後ろから声を掛けられ、足下を見ると本当に浮いていた。

「あ、僕も浮いてる。なんかふわふわしてると思ったら……」

 玲太郎が言うと、水伯は玲太郎の足下も見た。二人は着地し、颯は立ち止り、顔を見合わせて声を出して笑った。

「ご免ね。夢心地だった物だから、浮いてしまったのだろうね」

「逆じゃないのか? 浮いたから夢心地なんじゃないのか?」

「そうかも知れないね」

 柔和な微笑みを浮かべて颯を見ると、再度歩き出した。

「一体型に戻って、まだ大して時間が経っていないから馴染むまで時間が掛かるんだろうな。気を付けてくれよ?」

 水伯は軽く二度頷いて、顔を少し横に向けた。

「気を付けますとも。これからは夢心地になったら、浮いていないかを確認するからね」

 いつもの笑顔でそう言うと正面を向いた。玲太郎は心配そうに水伯を見上げた。


 寮長室へ到着すると水伯は荷物を置いて、玲太郎と颯は靴を履き替えると隣室へ向かい、水伯もそれに付いて行った。しかし、玲太郎が慌てて戻って来ると、颯の寝台にヌトを寝かせて隣室へ戻って行った。

「玲太郎、紙袋の中を見たら、四個入っていたんだけど、今二個食べるか?」

「大きいの?」

「玲太郎の拳より少し大きいくらいだな」

「それじゃあ二個食べる」

「解った」

 調理台に行くと茶器の用意が既に出来ていた。颯は菓子用の皿を出そうと水屋へ向かった。

「あ、僕がお茶を淹れるからね」

「うん、それはもう聞いた。菓子の皿を取りに行くだけだよ」

「そうなの。ありがとう」

「どう致しまして」

 皿を三枚並べ、紙袋から焼き菓子を取り出して置いて行く。

「この焼き菓子って、器に入れて焼いてるんだね」

「みたいだな。ソキノのいい香りがして美味しそう」

 颯が笑顔で言いながら最後の一個を皿に置き、菓子用の突き匙を出すと皿の上に置いた。焜炉こんろの下にある棚から大き目の盆を出し、皿をそれに移す。

「それじゃあ僕が持って行くね」

「うん、頼むよ。有難う」

「はーい」

 水伯は盆を持って微笑んでいる玲太郎を見ていた。食卓に来ると盆を置き、先ずは水伯の前に、次に玲太郎の席の前に、最後に玲太郎の対面に置いた。玲太郎は水伯に顔を向けると笑顔になった。

「お茶はもう少し待ってね」

「待ちますとも」

 玲太郎は笑顔で振り返り、台所の方へ行った。二人が仲良く遣っている光景を見て微笑んでいた。水伯は颯を見て、その成長振りを改めて感心して見ていた。玲太郎が産まれるまでは、年に度会いに行く程度だったが、その成長は目を見張る物があった。玲太郎以上だったような印象が残っている。玲太郎も颯も覚醒してから、成長が止まってしまった事を惜しんだ。

(颯は私に迫る程に背が伸びていたというのに……、本当に惜しい。玲太郎はと言うと、私の記憶が始まる頃の私と似たような身長なのだけれど、成長するには私以上の時間が掛かるのだろうね。私があのような場所へ連れて行ってしまったばかりに、本当に申し訳ない事をしてしまった……)

 柔和な微笑みが、いつの間にか些か渋い表情になっていたが、一つの気配がこちらへ近付いて来ていた。天井へ顔を向けていると、足が出て来たと思えば、ハソが下りて来た。

「久しいな。灰色の子は元気であったか?」

「元気ですよ」

「敬語でのうてよいぞ。慣れるまで時間が掛かるやも知れぬが気安くな」

「はい」

「対精霊擬きが戻ってどうなのであるか? 調子が悪いとか、違和感があるとか、そういった事はないのであろうか?」

「違和感はあるにはあるのだけれど、大した事ではないから…」

「あるのか。些細な事でも誰かと共有しておいた方が良かろうて。わしは颯を推奨するが、明良もよいであろうな」

 話の途中で被せられた水伯は呆気に取られ、ハソを見ていた。その表情を見たハソが目を剥いた。

「どうかしたのか? わしが変な事でも言うたのであろうか?」

「いや、心配してくれていると思ってね」

「そうであるか。わしは灰色の子とは玲太郎が産まれてからの付き合いで短いとは言えども、わし等と同等の魔力を持つようになったのであるから兄弟も同然。であるならば、心配をする事は当然ではなかろうか」

 水伯は柔和な微笑みを浮かべた。

「有難う」

「どう致しまして」

 そこへ茶器を盆に載せて玲太郎が遣って来た。

「お待たせ」

 盆を机に置いてから、先ずは水伯、次に颯、最後に自分の所へ茶器を置き、空いた盆は後ろにいた颯が取り、空いている机に置いて着席した。

「で、ハソは水伯と何を話していたんだ?」

 ハソの方を見ると、ハソが颯を見る。

「いや、何、呼び名が灰色の子ではそろそろ具合が悪かろうと思うてな」

「呼び名かあ」

如何いかにも」

「まあ、もう灰色とは違うもんな」

 そう言いながら視線を水伯に移すと、ハソも水伯に顔を向けた。

「如何にも。何故なにゆえこのような色になったのであろうか……」

「今まで通り、灰色の子で構わないのだけれど……」

 苦笑するとハソを見た。

「私も私の本当の名を知らないから、呼称の一つが何時の間にやら名前になってしまったのだけれど、水伯は仰々しい名前だし、ハソ達にはそう呼んで貰うのは気が引けるしで…」

「別に水伯でいいんじゃないのか? 仰々しい名前の人間なんて掃いて捨てる程にいるんだからな」

「わし等も神やら大精霊やら精霊やら、色々と都合のよいように呼ばれておるからな、気持ちは解らぬでもない。わしの事は気にせず、茶が冷めぬ内に飲まぬか」

「変な気遣いをするなよ。淹れて直ぐだから熱いくらいだよ」

 ハソを見ながら颯が言うと、玲太郎が今だとばかりに口を開く。

「それではいただきます」

 合掌していた右手で突き匙を持つと、左手で焼き菓子の器を手で持って固定した。颯がそれを見て合掌する。

「それじゃあ俺も食べるわ。頂きます」

 玲太郎が先に大き目の一口を頬張ると笑顔で咀嚼をした。

「美味しいかい?」

 水伯が訊くと、玲太郎は大きく頷いた。

「うん、こえあおいひい」

 颯が手で口を覆って言うと、玲太郎が咀嚼しながら頷いた。

「颯は飲み込んでから言いなさい」

 そう言われると、莞爾として水伯を見詰めてから咀嚼を再開した。

「それでは私も頂きます」

「ソキノの風味も美味しいんだけど、牛酪ぎゅうらくの風味も強目で、俺は好きだな」

 颯はそう言うと水伯と目が合い、また微笑んだ。

「もう飲み込んだからな」

 水伯は鼻で笑うと一口目を頬張った。

「イニーミーさんの作るお菓子は、牛酪の風味が強いのよね」

 颯は既に二口目を頬張っていて、「んん」と鼻で返事をするにとどまった。

「僕も牛酪の風味は好き」

 そう言うと二口目を頬張り、美味しそうに咀嚼をした。

 三人は美味しく焼き菓子を頂き、その後も雑談をしていたが、三十分も経過してしまうと水伯が帰ってしまった。二人は駐舟場まで送って見送り、寮長室へ戻ると、玲太郎は机に置かれている教科書の確認をする為に紐を解き、一番上にある教科書を手にした。

「今度はどの教科をどの学年で受けるかが判っているから、教科書は必要な分だけ揃っているからな」

「そうなの? ありがとう」

「昨年は確認する為に、全学年の全教科を買ったからなあ……」

「そう言えば、使ってない教科書は使えないの?」

「使える物もあるけど使えない物もあるから、まあ、新しい教科書を買って使う方がいいだろう。使わなくて勿体ない気がするなら、屋敷でそれを使って勉強をすればいいよ。内容は大差ないからな」

「それじゃあそうしよう。週末ごとにわざわざ教科書を持って帰らなくて済むね」

「復習するだけならいいけど、予習は止めておけよ? 収録されている順番が違っていたり、改訂されていたりする場合もあるからな」

「そうなの? それじゃあやっぱり教科書は持って帰る事にするね」

「それが無難だな」

 玲太郎は夕食の準備をする直前まで、教科書の確認をし、颯は読書をして過ごした。


 翌日、散歩をする為に眠りこけているヌトに白い石を当てて起こした。

「ぎゃわっ」

「起きた?」

 飛び起きて、そのまま浮いているヌトは目を擦っていた。

「……今何時なんどきよ?」

「あのね、夏休みが終わって寮に戻って来ててね、九月二十四日の日の曜日で、そろそろ十時になる頃だよ」

「そうであるか……。日付の事は良く解らぬが、十時なのであるな」

「そうなのよ」

「うん? 朝はどうしたのであるか? 食べておらぬのか?」

「はーちゃんと一緒に作って食べた」

「成程? ……ああ、食堂へ行かなんだのか」

「そうなのよ。今日はまだ夏休み中で授業がないからね、朝と夜ははーちゃんと作って食べるのよ。昼と間食は食堂で食べるけどね」

 起きてはいるが、瞼の重いヌトが呆けているように見えた玲太郎はヌトをつつく。

さぬか。……間食は何時なんどきであった?」

「えーっと……、食堂が開いてるのは十時八じっ分から十一時三十分までだね。二十分もあれば食べられるから、最低でも十一時十分には行きたいね」

「む? そろそろ十時であったな? それならばまだ一時間もあるではないか」

「今から散歩に行くのよ。だから一緒に行ってね」

「散歩か。解った」

 浮かび上がって玲太郎の後ろ側に回り込み、髪をひと房掴む。

「よいぞ」

「それじゃあ行くね」

 ヌトは大きな欠伸をしながら頷いた。玲太郎は出掛ける前に白い石を机に置いてから退室し、そして屋外へ行き、強い日差しに目を細め、西に向かって外周の遊歩道を目指した。夏の盛りを過ぎ、木々の深い緑に視界が和らぐ。玲太郎は無意識に微笑んでいた。

「あー、これでは眠れぬな……」

 湿気を含んだ空気が肌に纏わり付く。

「眠ったらダメなのよ。何かがあったら困るから、きちんと起きていてね」

「解っておるわ。この辺りはこのように暑かったであろうか?」

「湖が近いから湿度が高くて暑く感じるって、父上が言ってた。……あーちゃんかも知れないけど」

「そうなのであるか。それでは早い事、部屋に戻らねばなるまい」

「建物の中は魔術で温度調整をしてるから涼しいもんね。はーちゃんは暑い時は汗がかけるようにしておかないといけないから、外気に慣れておけよって言ってたのよ。まあ、ウィシュヘンドの夏はここほど暑くなかったから、散歩をしても汗をかかなかったんだけどね。ヌトは室内でずーっと眠ってたから、ウィシュヘンドでも暑いって言ってそうだけど」

「それはどうであろうな。……それにつけても、この日差しなのであるから帽子を被らぬか」

「あ、帽子……。いつもあーちゃんが用意してくれるから忘れてた。何かが足りないと思ってたら、帽子だったんだね」

 玲太郎は慌ててきびすを返した。ヌトは大きな欠伸をしながら青空を見ていた。帽子を被って散歩を仕切り直した玲太郎は三十分余り歩いて帰った。ヌトはその間、帽子の庇の上で意味のない日光浴を楽しんでいた。


 今にも眠りそうなヌトを眠らせないように話し掛け続け、ようやく食堂へ向かう事にした。玲太郎は五学年が座る席に着いて、食卓に寝転んでいるヌトを見ながら食べていた所、誰かが隣に座った。思わずそちらへ視線を移すと颯だった。

「どうかしたの?」

「これじゃあ足りないだろう? 後で食べる物を買いに行かないか?」

 玲太郎は皿に載っている焼き菓子を見て苦笑して、また颯に顔を向けた。

「よいの? 学院の方の用事は済んだの?」

「済んだよ。食べる物を買っておかないと、今日は日の曜日だから食べ応えのない物だし、買い置きもないしで夕食を早くするしかなさそうだからな」

「夏休みの間は早寝早起きしてて食事の時間が早かったから、僕もお腹が耐えられそうにないのよね」

「それじゃあニーティにも声を掛けて来るわ」

 玲太郎が頷くとヌトが上体を起こして颯を見上げていた。

「わしも行くぞ」

「わしも当然ながら行くぞ。玲太郎がおるのであれば共に行けるからな」

 颯の後ろにいたハソも嬉しそうに言った。

「好きにすればいいわ。……取り敢えずニーティに訊いて来る。玲太郎はゆっくり食べろよ?」

「うん、そうする」

「それじゃあ後でな」

 颯は立ち上がり、椅子を机に入れると玲太郎の肩を優しく叩いてから去った。

「出掛けるのは久し振りであるな」

 思わず口を開けて返事をしそうになった玲太郎は、慌てて焼き菓子を口に放り込んだ。

「和伍へ行くのであろうか? それとも別の所であろうか? 兎にも角にもこの学院から出られるのであるから楽しみよな」

 上機嫌のヌトは、この後も延々と一人で話し続け、それは寮長室へ戻っても続いた。


 ノユとズヤも一緒に行くと言った為、二人と四体が玲太郎に触れ、和伍へと瞬間移動した。到着した先は月志摩島にある多々羅と言う甘味処の近くだった。夕方だと言うのに、蒸し暑い空気が肌に纏わり付く。

『あ! 多々羅だ』

『おお、ここがこの前頂いた和菓子のお店ですか! 美味しかったですので嬉しいです。……という事は、近くに商店街がありますね』

 玲太郎に続いて、ルニリナが声を張り上げた。

『先に此処で買ってから商店街へ行こうか』

『解りました』

 玲太郎は颯の手を握ったままでいると、颯が玲太郎を見る。玲太郎が笑顔になると、颯も笑顔になったかと思えば手を離した。玲太郎が寂しそうな表情になった途端、颯が抱き上げた。

『えっ』

 咄嗟の事に顔を紅潮させ、颯はそれを見て心配そうに玲太郎の頬に触れた。

『急に暑い所に来たから火照ったか? 夕方を過ぎているとは言っても蒸し暑いからな』

 涼しい室内から暑い外に来たのだから、そうなってもおかしくはなかった。

『どうだろう? 分からない』

『体が辛くなったら言えよ? 先に部屋に送るから。それじゃあ店へ入るか』

 颯は念の為、玲太郎に障壁を纏わせ、体温を下げようとやや低い温度にした。玲太郎は颯の体温が伝わらなくなった代わりに心地好い空気に覆われ、火照っていた顔が落ち着いて行く気がした。ハソはそれを見て、込み上げて来る笑いを堪えていた。

「此処はシピの家の木の近くであるな?」

「和伍であるから、そうであろうて」

「ズヤはどうする? シピの所へ行くのか?」

「わしはこのまま三人が出て来るまで待とうと思うのであるが、ノユはシピの所へ行く気なのか?」

「はて、どうするか……。ハソはどうする? シピの所へ行くのか?」

 笑いを堪えて小刻みに震えているハソに視線を遣ると、眉を寄せた。ハソは震えながらノユに顔を向け、深呼吸をした後に咳払いをした。

「わしか。わしはそうであるな……、颯の傍におる方が面白い物が見られそうであるから、店の中に入るぞ」

「颯が面白いのか?」

 不可解と言いたそうな表情でズヤが訊くと、ハソが首を横に振った。

「そうではないのであるが、颯を見ておると、古い記憶が呼び覚まされて笑いたくなるのよ」

 ノユが脱力する。

「余り玲太郎をからかうでないぞ」

「それはヌトの役目よ。……さて、わしも皆と一緒に店へ入るぞ」

「わしも行く。ズヤはどうする?」

「わしは此処で待つ」

「そうであるか。では行って来るぞ」

 ズヤはその場に残り、ハソとノユは三人と一体を追って店内へ入って行った。陳列棚の横に仕切り台があり、そこに金銭出納の為の魔道具があった。颯がその前にいて、会計をしている最中だった。

「ちょうど頂きます。ありがとうございました」

 店員が笑顔で辞儀をし、魔道具の受け皿に載った硬貨を手に取り始めた。颯は置かれている紙袋を手にすると、玲太郎に渡した。

「もう何を買うのか決めたのであるか? 早いな」

 ハソが感心していると、玲太郎がハソを一瞥をくれる。

『私はどれを食べようかと、決めかねているのですが……』

『ゆっくり決めればいいよ。俺と玲太郎は何があるか、知っていたからなあ』

 ハソに説明するかのように言うと、ルニリナが「ふふ」と笑った。

『この前食べた物も美味しかったのですが、今度はあれとは違う物を食べたいですよね』

『それなら饅頭か、最中か、きんつばだなあ。回転焼きはニーティの分も買ったから、明日にでも一緒に食べよう』

『え! 私の分も買ってくれたのですか? それは…』

『この前奢って貰ったから、これくらいは遣らせて貰える?』

『そうですか? それではお言葉に甘えてご馳走になります。ありがとうございます』

『どう致しまして』

 玲太郎は二人が笑顔で話しているのを見ながら徐々に表情が暗くなっていた。それを見たハソがまた笑いを堪えて震えていた。ノユがそれに気付いて肘でハソを突いたが、ハソはやはり震えている。ヌトはそんな二体を尻目に、大きな欠伸をしていた。

 買い物から戻ったヌトは直ぐに颯の寝台で就寝した。いつもながらの寝付きの良さで、一分も経たない内に熟睡しているようだった。ルニリナは自室へ戻り、玲太郎は颯と一緒に隣室へ行っていた。

「これで三日分はあるな」

「回転焼きを天火で温めると美味しさが増してよいよね」

 久し振りに颯と出掛けられた事もあって、玲太郎は上機嫌だった。そんな玲太郎を見て颯も笑顔になる。

「もう火照りもないようだな。良かった。具合が悪いって事はないよな?」

「体はどこもおかしくないのよ。ありがとう」

「それならいいんだけどな」

 玲太郎の頭を乱雑に撫で回し、玲太郎がそれを止めようと颯の手を強く握った。

「それで、玲太郎はこれからどうするんだ?」

「教科書の確認をするのよ。まだ目を通し切れてないからね」

「ふうん。それじゃあ俺も昼食まで読書でもするか」

 そう言うと玲太郎を抱き上げて寮長室へ戻った。


 昼食後、二人がまた本に向かっていた所へ明良が現れた。颯が真っ先に気付き、衣こうの前にいる明良を見る。

「あれ? 遅かったじゃないか。いつもなら午前中に来ているだろうに」

「来たら誰もいなかったのだよね」

 不機嫌な声色だった。

「それは悪かったな。ニーティと三人で和伍へ行っていたよ」

「いらっしゃい」

 玲太郎は近付いてくる明良を見ながら笑顔で言った。

「向こうの調理台に兄貴達の分のお菓子を買って来て置いてあるから、帰る時は忘れないでくれよ?」

「それは有難う。でも帰る時にもう一度言って」

 玲太郎は見詰めてくる明良を見詰め返していた。

「何? もしかして、三人で和伍へ行ってた事を怒ってるの?」

 作り笑顔をしている明良は大きく頷いた。

「私も連れて行って欲しかった」

「あーちゃんの嫌いな悪霊が揃ってたんだけどね」

「それでも行きたかった」

「それはごめんなさい」

 いつになく明良の圧力が強く、玲太郎が怯んでいた。

「兄貴、玲太郎を追い詰めるなよ。俺が誘ったんだから、怒るのなら俺に怒れば?」

 見兼ねた颯が言うと、明良は颯を見る。

「そのように見えた?」

「表情は見えなかったからなんだけど、圧は物凄く感じるよ。玲太郎が怯えているくらいだぞ」

 直ぐ玲太郎の方に向き直した。

「怖かった? そうする積りはなかったのだけれど、ご免ね」

 申し訳なさそうに言うが既に手遅れで、玲太郎は眉を顰めていた。

「うん……」

 目を泳がせながら立ち上ると、明良の隣を擦り抜けて颯に抱き着いて行った。

「わ、どうしたんだ?」

「あーちゃんが怖いから、今日は一緒にいたくない」

 明良は雷に打たれたような衝撃を受け、目を丸くした。颯は苦笑すると明良を見る。

「……だってさ。今日はもう帰れよ。…あ、調理台に置いてある紙袋を持って行ってくれよ? ……いや、持って来るわ。ちょっと待ってて」

 立ち上がるのと同時に玲太郎を抱き上げると、話を聞いていないであろう明良を置いて隣室へ行った。紙袋を持って戻って来ると、呆然とした明良がうっすらと涙を溜めている。颯は玲太郎に紙袋を預けると、明良の肩を優しく叩いた。

「今日は諦めろよ? また明日な」

「ごめんね、あーちゃん……」

 小声で言うと紙袋を差し出した。明良は大きく溜息を吐くとそれを受け取り、何も言わずに去った。玲太郎はそれを見るなり、颯に抱き着いた。

「ああ、怖かったな」

「うん……。あんなあーちゃん、初めて見たのよ」

 颯が玲太郎の背中をさする。萎縮していた玲太郎は徐々に落ち着きを取り戻して行った。颯の寝台で寝転んでいたハソが一部始終を見ていたが、名状し難い表情をしていた。


 翌日、玲太郎が朝食を終えた頃に花束を持って明良が現れた。それも両手で抱えても余る程の大きさで、玲太郎は唖然としていた。丸で自分自身の為に用意したのではないかと思う程に、その花束が満面の笑みを湛えている明良に似合っていた。

「お早う。昨日はご免ね。私が悪かったと心底から反省してね、これはそのお詫びだよ」

「あ、うん、おはよう。それはどうもありがとう……。でも飾っておく所がないのよ」

「隣室の長机に置けばよいよ。花瓶も出すからね。受け取って貰える?」

「うん」

 笑顔で両手を広げると、明良は花束を渡した。玲太郎は思い切り臭いを嗅いだ。

「よい匂いがするね。あーちゃんが咲かせたの?」

「庭師に種を貰って咲かせたよ」

「本当に。嬉しい」

 玲太郎がまた笑顔になると、明良も笑顔で頷いた。

「それにしても、あーちゃんが本気で怒るととっても怖いね」

「え? あれは本気で怒ってはいなかったよ。唯々悔しくて悔しくて……」

「そうなの? でもあれはもう嫌なのよ」

「うん、解っているよ。今後は遣らないように気を付けるからね。ご免ね。それでは隣室へ行こうか」

「うん」

 明良が先導して開扉し、玲太郎が後ろを付いて行くが、花束で足下が全く見えなかった。

「今日は始業式だね。昨年は入学式だったのに、もう五学年に上がるとは驚愕だよね」

「そうだね。あれから一年なのにね」

 二人は調理台で花瓶に花を一本ずつ活けながら話していた。

「魔術系の実技がまだまだだから、来年は六学年に進級出来るように頑張らないとね。留年しないようにしなくちゃ」

「鼻息を荒くするのは結構だけれど、焦らないようにね」

「うん。父上にいつも焦らず、ゆっくりって言ってるから、その辺は大丈夫」

 玲太郎は上機嫌で一本一本、丁寧に活けて行く。いつもは食べ物を要求する玲太郎が、珍しくその事には触れなかった。

(これで昨日の出来事を少しでも払拭出来ればよいのだけれど……ね)

 明良の昨日の態度は反省する所しかなかった。玲太郎の前では感情の制御が難しく、ああして負の感情が、それも玲太郎を恐怖させる感情が漏れてしまった事は猛省した。無論、玲太郎に嫌われたくない一心からだった。明良は玲太郎の嬉しそうな笑顔を見て、釣られて笑顔にはなっていたが、心中では不安が拭えなかった。

「僕、花束を貰ったのは生まれて初めてなのよ。あーちゃん、本当にありがとう」

「どう致しまして。それでは恒例のぎゅーをしてもよい?」

「うん、よいよ」

 玲太郎は踏み台から下りると明良の方を向いて両手を広げた。玲太郎の前で跪いて抱き締めると、明良は漸く一安心した。


 登校する時間になり、ヌトが夢の中から現実へ戻され、玲太郎に引っ張られて組分けの張り紙を一緒に確認すると、三階にある五学年の教室へ向かった。

「五学年は月組か。それも出席番号が一番ではないか。一番であるぞ、一番。……む? 月組で一番? このような事が以前にもあったような気がするのであるが、わしは夢を見ておるのであろうか? はっ、若しや予知夢でも見たか?」

 玲太郎に答える気になれなかった。

「はっ、若しやまだ夢の中なのやも知れぬな。大いに有りる、…有り得るぞ」

 明良が来ていた間に少し眠っていた所為か、夢うつつのようだった。早目に出て来たとは言え、人がまばらではあるがいるにはいて、ヌトに何も言えない事が歯痒く思えた。階段を上り終えると、教室のある北棟へ向かう。当然ながらまた月組という事もあって、手前の教室へ入る。昨年同様、颯の字で席次が書かれていた。

「この字は颯の字ではないのか? ……うむ? 以前にもこのような事があったな……。わしはやはり夢を見ておるな?」

 ヌトが真剣な表情で話している途中から、昨年と同じ窓際の最前列へ向かった。教室にはまだ誰も来ていなかった。

「目覚めてないなら、また白い石を体に当ててもよいのよ? やろうか?」

「何っ、これが夢ではないと言うのか? 解せぬ……、解せぬぞ」

「現実なのよ。ヌトはこんなにはっきりとした夢を見るの?」

「わしは基本的に、見た夢は記憶しておるぞ。近頃見た夢で印象的であったのは、灰色の子もわしが見えるようになった夢よ」

「それは現実だからね。わしが見えるのか?ってヌトが聞いたら、父上が、はい、見えますって言ってたのよ」

「何っ、あれは夢ではなかったと言うのか!?」

 玲太郎は苦笑しながら椅子を引いて着席した。

「もう机に下りても大丈夫だからね」

「そのような事よりも、灰色の子がわしが見えるようになったとはまことの事なのか?」

「うん、そうだよ。その後から眠り始めて、寮に戻って来るまで眠り通しだったんだから、二ヶ月半は眠ってたね」

 ヌトは机に下りると直ぐに寝転んだ。

「夢の可能性がある……。これは眠らねばならぬな」

 玲太郎は上着の衣嚢から白い石を取り出し、目を閉じているヌトの体に当てた。

「ぎゃわっ」

 飛び起きたヌトが両手で腹を擦る。

「止さぬか。……そうであるか、わしは起きておるのだな。成程……。誰かが近付いて来ておるぞ」

 また机に下り、寝転んだ。

「分かった。ヌトは目を閉じたらダメよ? 眠っちゃうんだからね」

「眠らぬわ」

 透かさず言うと目を閉じた。玲太郎は眉を寄せて見ていたが、近付いて来ていた生徒は月組の教室に入って来て、玲太郎を一瞥してから黒板に目を遣った。そして玲太郎の方に向かって歩いて来た。玲太郎の傍で立ち止まる。

「おはよう。俺はタハーズ・ルセナだ。お前がウィシュヘンドなんだな。これからよろしく頼むよ」

 玲太郎は顔を上げてルセナを見る。金髪碧眼で肌が白く、眼光が鋭くて思わず気圧された。

「そうです、ウィシュヘンドです。こちらこそよろしくお願いします」

「敬語はやめろよ。俺は平民だし、同じ学年なんだからな。魔力の質ではオレがずっと一番だったんだけどなあ。ウィシュヘンドは幾つなんだ?」

 言いながら玲太郎の後ろの席に着いた。玲太郎は少し後ろを向いた。

「僕は百なのよ」

 鋭い眼光が明るく輝いた。

「へえ! それは凄いな! ここへは転入して来たのか?」

「ううん、一学年から飛び級して来たのよ」

「それも凄いな! ウィシュヘンドは頭がいいんだな」

 玲太郎の襟締めに留めている輪の色を見る。灰金の輪が鈍く光っていた。

「ああ、俺に灰金の輪が来なかったのは、お前が首席だからか……」

 ルセナの襟元には金色の輪が光っている。次席の証だ。

「うん? なんて言ったの? 聞き取り辛かったからもう一度言ってもらえる?」

「いや、なんでもない。独り言だ。でも食堂で見かけた気がしないんだけど、どこにいたんだ?」

「食堂へは遅めに行ってて…」

「寮にいたか?」

「寮にいるけど、寮長室にいて……」

「ああ、特別扱いが二人いるって聞いた事があるな。お前がその内の一人か。でも質が百もあるんじゃ、そうなるよな。魔力量は幾つなんだ?」

「それも百なのよ」

 ルセナの目がまた輝いた。

「へえ! 本当に凄いんだな! ……それじゃ特別扱いされても仕方がないな。魔力が強いと長生きするって聞いたけど、お前はどうなんだ? どこか違う所があるのか?」

「覚醒してから背が伸びてないね。父上が、成長が遅くなるって言ってたのよ」

「へえ、それはそれで大変だな。年を取っても背が伸びないんじゃ、つらいよな……。悪い。嫌な事を聞いてごめんな」

 申し訳なさそうに言うと、玲太郎は微笑んだ。

「ううん、チビって言われ慣れてるから平気なのよ」

 それを聞いた途端にルセナの表情が険しくなった。

「そんな事を言う奴がいるのか? お前は俺と一緒に行動しとけよ。俺がそういう事を言う奴、片っぱしからケンカを買ってやる」

 玲太郎は驚いて、慌てて首を横に振った。

「大丈夫なのよ。一学年の小さい子は大抵言われてたみたいだから……。それに僕、授業は高学年の授業を受けるから、それで背の低さが目立って言われてたんだと思う」

「……あ! そういや、授業で見かけてたけど、あれがウィシュヘンドか。去年、四学年の授業に、いた時があったよな?」

「うん、四学年の授業はサーディア語と理科を受けてたね」

「それで見た事があるような気がしてたんだな。実際に見てるし。あははははは」

 そう言って大口を開けて豪快に笑った。

「でも全部の教科を受けていた訳じゃないよな? どうなってるんだ?」

「もう六学年分を修了してる教科と、六学年で受ける教科もあるね。五学年では魔術系の実技とサーディア語と理科を習うのよ」

「へえ、お前って本当に凄いなあ!」

「習い始めるのが早かったからね。入学する前から習ってたのよ」

「それはそれで凄いな。やっぱり貴族なだけあるなあ。ウィシュヘンドって、北にあるあのウィシュヘンド州のウィシュヘンドだよな?」

「うん、そう」

「ウィシュヘンド州は確か、ウィシュヘンド公爵とアメイルグ公爵の領地なんだよな?」

「そうだね」

「やっぱりそうだよな! この組にいるエセ貴族どもを泣かせられるな。これは楽しくなって来た」

 そう言うと含み笑いをした。

「えせ貴族?」

「文官貴族と奉仕貴族だな。奉仕貴族は分かるか?」

「高位貴族に仕える貴族だよね。屋敷にいるのよ」

「奉仕貴族はそうでもない子も多いけど、中には横柄な奴もいるからな。文官貴族は言わずもがなってヤツだよ。この学院では一応平等って触れ込みだろ? でも先生のいない所ではそうじゃないんだよ。食堂では机の下で足をけられる事もあるからな。まあ、俺は的になる平民だけどやられたらやり返すから、手も足も出して来るヤツはいない。でも俺以外の平民は弱気でやられっ放しのヤツもいるんだよなあ」

 そう言うと微笑んで玲太郎の肩に手を置いた。

「しかしお前がいる。ウィシュヘンド公爵なんて、二千年以上続く名家中の名家という、ナダールの中でも突き出た存在の令息が来たんだ。勢力図が一気に変わるぞ」

 玲太郎は目を丸くして、楽しそうなルセナを見ていた。過度な期待を寄せられ困惑していると、ルセナは玲太郎の肩を二度叩いて手を戻した。

「俺も手伝うから、頑張ろうな」

「うん? 何を頑張るの? それよりも、ウィシュヘンド公爵に詳しいけど、平民なんだよね? どうして詳しいの?」

「え? 授業で習ったんだけど、……ああ、飛び級したから習ってないのか。三学年から特別活動っていう授業が増えて、それで教わったんだよ。その授業の中で慈善活動をするんだけど、ウィシュヘンド公爵の成り立ちから、やってる慈善事業を習ったんだ」

「え、そんな事を習うの?」

「孤児院に寄付は大昔からあるけど、孤児院の経営はウィシュヘンド公爵が初めてだって話だな。それまでは国と宗教団体が主体でやってたって習ったなあ」

「ふうん、そうなの……」

「ウィシュヘンド公爵やアメイルグ公爵は歴史も古いだろ? それで歴史でも習ったよ」

「え、歴史でも習うの? 僕は習ってないんだけど……」

「二学年か三学年で習ったよ。王家の歴史には遠く及ばないけど、それでも二千年以上続くって。そこまで続いてる貴族はないってな。アメイルグ公爵はここの校医になってて、爵位が上がったって知ったんだけどな。アメイルグ公爵と言えば、あの顔だろ? あれでおかしくなったヤツらが医務室に押しかけて、出禁くらってたな。近くで見たいがために、仮病を使って押しかけるなんてよくやるよな。……そういや、噂では退学になったヤツもいたって聞いたっけな」

 玲太郎は自分が原因である事が言えず、苦笑するだけだった。

「ウィシュヘンド公爵とアメイルグ公爵は領地が隣同士だから、仲がいいんじゃないのか?」

「そうだね、よいね。アメイルグ先生とはとっても仲良しなのよ」

「へえ。それじゃ弟のイノウエ先生とも?」

「うん。寮長室で一緒に生活してるくらいだからね」

「ああ、イノウエ先生って寮長だったんだな。……ああ、あの先生か。夜中に騒いでるヤツらを注意してた先生だな。聞いた事があるわ、分かった」

「きっとこの組の担任なのよ」

「そうなのか? へえ、それは楽しみだな」

 ルセナが笑顔でいると、教室にまた一人入って来た。黒板を見て玲太郎を一瞥すると黒板に視線を戻し、また玲太郎を一瞥した少年は、亜麻色の髪に碧眼で白い肌をしていた。

「なんだよ?」

 喧嘩腰にルセナが言うと、少年は首を横に振った。

「なんでもない。いちいち絡んで来るな」

 視線を逸らして足早に自分の席へ向かった。ルセナはそれを目で追いながら不愉快そうにする。

「だったらこっちを見るなよ」

 玲太郎は正面を向くといつの間にやら眠っているヌトを見た。上着の衣嚢から白い石を取り出して足の裏に当てた。

「ひゃわっ」

 飛び起きて足の裏を擦りながら顔を顰めて玲太郎を見る。

「足の裏は止めぬか、足の裏は」

 不快そうに言うヌトを見て口角だけを上げた。

「わしは年寄りなのであるから、労わって貰いたい物よな」

 そう言うと机に下り立ち、胡坐あぐらを掻いた。玲太郎は思わず微笑んでしまったが、直ぐに無表情に戻した。その後は生徒が続々と教室へ来て、その度に注視された。


 颯がいつも通り、五分前に教室に遣って来ると話していた生徒は口を噤んだ。席はほぼ半数が埋まっていて、残りの生徒は教師用の席にいる颯を見るなり、表情を引き締めて着席した。ハソが颯の後ろに張り付いていて、玲太郎は些か面白くなかった。

 朝礼の鐘が鳴っても二席が空席だったが、颯は気にせず教壇の演台の前に立った。

「お早う。今日から五学年月組の担任になるハヤテ・ボダニム・イノウエだ。知らない者も多いと思うが校医のアメイルグ先生とは兄弟で、俺が弟になる。兄共々宜しく頼む。今日は入学式が十時、それを終えてから始業式がある。九時八十五分までは此処で待機、九十五分までに会場に入るように。解ったか?」

 意外にも全員が元気良く返事をした。そこへ静かに後ろの扉から金髪が見えると、覗き込むように顔だけを出した生徒がいた。颯はそれを見て少しばかり眉が寄った。

「後ろの扉から静かに入って来ても、俺には丸見えだから意味がないぞ」

 にわかに扉が開き切り、入ろうとしていた生徒が動きを止めた。生徒全員の視線がそちらへ向けられる。

「名前は?」

「タイシナス・ジャンジョ・ゾンブです」

 ゾンブは開き直ったのか、碧眼が颯を真っ直ぐに見据えていた。

「何故遅刻した?」

「寝坊しました」

「朝食は?」

「食べました」

「朝食を摂る余裕があるのに遅刻をしたんだな?」

「そうです」

「次からは朝食を抜くように。それが嫌なら三十分早く起きるように。今日の遅刻の罰は後で言い渡す。それでは扉を閉めて着席して。ゾンブの席は廊下側から三行目の空いている所だ」

 罰という言葉を聞いて眉を寄せたゾンブは颯から目を逸らした。

「……はい」

 静かに閉扉し、血の気が引いた顔を伏せ気味にして席へ向かった。着席しようとした時、教室の前の扉が開いた。茶髪の中年の女が前屈みになり、口に手を添える。

「失礼します。イノウエ先生、少し宜しいですか」

「はい」

 颯がそちらへ向かうと、女は姿勢を戻して扉から離れて廊下の中央へ寄り、颯も廊下に出ると閉扉した。暫くして女が入室し、そのまま教壇へ上った。演台の前に来ると碧眼を輝かせて笑顔になる。

「私の名はダーリーで、五学年の学年主任をしています。イノウエ先生が戻られるまで私が代わりをしますね。それでは出席を取ります」

 演台に置かれていた帳面を開き、出席を取り出した。玲太郎は一番に呼ばれて返事をすると、その後は難しい顔をしているヌトと見詰め合っていた。上着の胸の衣嚢から帳面と繰り出し式鉛筆を取り出し、「はーちゃんはどこへ行ったの?」と書くと、ヌトがそれを見る。

「ふむ、颯な……。移動中であるな。外におるわ。ハソも傍におるな」

 ヌトから帳面に視線を移し、「何をしに行ってるのかを聞いてもらえる?」と書いた。ヌトは露骨に嫌そうな表情になる。

「無視をされても知らぬぞ」

 そう言って目を逸らす事なく沈黙した。玲太郎もヌトを見詰めていると、小さく三度頷いている。

「子が一人倒れて明良が駆け付けたようであるが、殺人の可能性があるから颯が呼び出されたと言うておる。倒れた子はこの組の子であるそうな」

 玲太郎は帳面に視線を移し、「分かったのよ。ありがとう」と書いた。ヌトは頷く。

「どう致しまして。それにつけても、殺人とは恐ろしい事よな。まだ幼子おさなごと言うに、そのような恐ろしい事を仕出かすとはな……。余程の事なのであろうか」

 顔を顰め掛けて我慢し、平静を装いながら「去年は去年で嫌な事があったけど、それを上回る出来事だね。来年はどうなるんだろうね」と書いている途中からヌトが首を傾げていた。

「……うぅむ、何かあったか? 本に申し訳ないが憶えておらぬわ……。ま、今度より酷い事はなかろうて。殺人ぞ、殺人」

 玲太郎は脱力して「そうだね、これ以上の事は起こらないよね」と書いた。ヌトがそれを見て軽く頷き、寝転がった姿を見て帳面を閉じ、それと繰り越し式鉛筆を衣嚢に入れた。


 颯は九時を少し過ぎた頃に戻って来た。ダーリーと話すと、颯が深く辞儀をしてダーリーが退室した。黒板には係と掃除の班分けが決まっていて、それを出した紙に念写して黒板の向かって左側へ二枚共貼り付けた。

「自分がどの係か、きちんと確認をして憶えておけよ」

 教壇の演台へ戻りながら言った。そして、ここでも意外にも生徒全員が元気良く返事をした。その事に颯は些か違和感を覚えた。

「さて、どうして俺が席を外したかと言うと、女子の首席でこの組のルジーナ・ケワビムが登校直前に倒れた。今度の事件は警察沙汰となる。残念ながら殺人未遂事件だ。犯人は当然退学になる。身に覚えのある者は早目に白状するように」

 颯が言い終えると教室内は静寂に包まれた。颯は一点を見詰めていたが、その先にいる相手は平然と颯を見詰め返していた。いや、睨み付けていた、が正しいのかも知れない。

「言い忘れたが、貴族が平民を殺しても殺人罪が適用されるからな。平民落ち、おめでとう、とでも言っておこうか」

 皮肉を籠めて言った颯が視線を切ると、その相手は全く意に介さずに平然としていた。玲太郎は颯を見ていたが、ハソが近付いて来て微笑んだ。

「こういう事件ははたで見ておると楽しいな」

 そう小声で言うと、玲太郎は思わず苦笑した。大きな欠伸をしているヌトはまた寝転んで目を閉じた。

「ヌトは眠らず、起きておれよ?」

「解っておるわ」

 颯が教師用の机に置いてあった帳面の山から一冊を取り出し、また教壇へ戻る。

「連絡帳という物を作ったが、退学者が出そうだから全員に渡すのは止めておく。タイシナス・ジャンジョ・ゾンブには今渡すから前に来い」

 ゾンブは渋々立ち上がると気怠そうに徐に縁台へ向かった。

「ゆっくり歩くな」

 颯が語気を強めて言うと、姿勢を正して演台の前に行った。

「私は寝坊をしたにも拘らず、朝食を優先して遅刻をしました、と今日中に百度書いて明日の朝礼後に提出な」

 莞爾として帳面を差し出した。ゾンブは帳面に書かれた「連絡帳」と言う文字を見て、露骨に不機嫌そうにした。

「私は寝坊をしたにも拘らず、朝食を優先して遅刻をしました。これを百度だからな」

 無表情になった颯が言うと、ゾンブが顔を上げ、不敵に笑った。

「書かなかったらどうなるんですか?」

「そうだなあ。停学にしておこうか。俺も温厚な振りをするのは疲れるからな。期間はそうだな、次はないって事を知らしめる為に三ヶ月だな。ゾンブ家程度がイノウエ家を舐めるなよ?」

 今度は颯が不敵に笑った。ゾンブは今度は露骨に怒りをあらわにした。

「そんな事が出来る訳がないくせに!」

「口の利き方に気を付けろよ。俺はそういう権限を持っているが、知りもしないで楯突く愚行は阿呆のする事だぞ。ああ、成績は後ろから数えた方が早いもんな。解る訳がないか」

 ゾンブは顔を紅潮させ、帳面を引っ手繰たくるように手にすると席に戻った。

「いい機会だから言っておく。この学年はどうやら親が文官貴族如きで偉ぶっている者が多いようだ。俺が現場を目にしたらそれが最後になるから、偉ぶる時は心して遣れよ。今まで勘違いで偉ぶっていた事を存分に後悔させて遣ろう。因みに俺は国と戦争をしてもいいと、国王陛下の前で宣言しているから怖い物などないぞ。……ああ、この事は文官貴族でもそれなりの家格があるなら、知っている事だったか。何せ不敬が過ぎて話が広まっていないからな。おっと、この組にいる文官貴族の令息令嬢は当然ながら知っている事だったな。これは失礼」

 安い挑発だったが一部の生徒には効果覿てき面だったようで、青ざめたり、颯を睨み付けたり、切歯したりしていた。ルセナの口元が綻び、玲太郎は見るに堪えずに両手で顔を覆い、ヌトは開いた口が塞がらないようで阿呆面をし、ハソはそんなヌトを見て笑いを堪え切れずにこう笑していた。颯はそれ等を気にも留めず、黒板に書かれている物を魔術で全て消した。

「それじゃあ解っているだろうが、会場の座席を図解する。今まではどうだったかは知らないが、座る順番はこれで行くからきちんと憶えるように。書いてある数字は出席番号になるからな」

 そう言いながら会場内の図解が一瞬で現れ、出席番号を書き込こまれていた。玲太郎は自分の出席番号が振られている位置を確認すると、まだ開口したままのヌトを見て含み笑いをした。


 入学式の後、始業式が執行され、それも順調に終わるとダーリーが五学年のみを会場に残し、最前列の席へ移動させた。星組担任のシシン、海組担任のルマービも当然いて、それ以外には理事長のサンジオを始め、学院長のケフッカ、副学院長のパーサとミロシュー、五学年補佐のルニリナ、そして明良も同席していた。

 サンジオが、台の上に置かれている集音音石に口を近付ける。

「五学年の生徒諸君に残って貰ったのは、残念なお報せがあるからです。月組の女子生徒が一人、瀕死の重体となっております。幸いにも一命を取り留めましたが、悪意を持って殺害しようとしていた事が判明しております。これから警察の事情聴取が行われると思いますが、関わっている生徒は速やかに名乗り出るようにお願い致します。この件はイノウエ先生に一任し、イノウエ先生の言う事を良く聴いて、従うようにして下さい。今回は殺人未遂事件ですから、警察やイノウエ先生の手を煩わせるような事があれば、捜査を妨害したとし、長期停学を予定しておりますので肝に銘じておいて下さい。それでは皆さん、呉々も宜しくお願い致します。私からは以上です」

 生徒に向かって軽く辞儀をし、集音音石の前から離れるとそのまま退場した。次にダーリーが集音音石の前に立つ。

「サンジオ理事長からお話がありました通りです。本校は本件の責任者にイノウエ先生を任命しました。本来ならば女子寮の出来事ですから、女性教師にお願いしたいと希望しましたが叶いませんでした。これから犯人が逮捕されるまで、イノウエ先生が女子寮に出入りする事になります。由々しき事態ですから、その辺はご承知下さい。それではイノウエ先生からもお話がありましたらどうぞ」

 離れるダーリーと入れ違いに颯が集音音石の前に立ち、軽く辞儀をする。

「月組担任のイノウエです。初日から月組の生徒に軽んじられましたので、この場で私の立場を明示しておきます。私はツェーニブゼル侯爵より直々に権限を与えられています。ある意味理事長より立場が上ですから、それを重々理解した上で言動するようにお願いします。私は今度の事件において、徹底的に加害者を追い込む積りでいますので宜しくお願いします。それから、五学年においては貴族だからと尊大にしている者がいるようで、少しばかり私の耳にも届いています。殺人事件と同時にこれも解決する積りでいますので、尊大にしている生徒の名前も教えて貰えると助かります。何方どちらも加害者の自白は大歓迎です。同時に加害者に繋がる情報も受け付けますので、情報を紙に書いて魔術の授業の時に渡して貰えると助かります。但し、虚偽の情報…、単にかく乱する為や、私に対する嫌がらせ等の情報であった場合は即時停学、若しくは退学処分としますので、十分に気を付けて下さい。我関せずで知らぬ存ぜぬを貫いてもいいですが、多くの情報を寄せて貰えると非常に助かります」

 玲太郎が真剣に聴いていると、隣のルセナが右手を勢い良く挙手をして驚いた。

「月組のルセナです。発言を許していただけますか」

「どうぞ」

「ありがとうございます!」

 元気良く礼を言うと立ち上がった。

「尊大にしている生徒は、月組の男子だとタイシナス・ジャンジョ・ゾンブ、テティツ・イマギ・セイゼサンがそうです。星組のオガイラ・センネス・キョクツが侯爵子息なんですが、貴族子息をまとめ、ほとんどの貴族子息が平民である僕達に圧力をかけて来ます。一学年の時に首席だったカガールクの成績が悪くなったのは、キョクツが首席を取るためでした」

「違います! そんな事はやっていません!」

 星組の金髪碧眼で色の白い生徒が立ち上って言った。颯はそちらへ顔を向ける。

「名前は?」

「キョクツです。誓ってそのような事はしていません」

 険しい表情で言うと、颯が微笑んだ。

「それが嘘であった場合は退学して貰うがいいな?」

「構いません」

「カガールク君に訊く。カガールク君は何故首席ではなくなったんだ?」

 ルセナの左隣の更に左隣に座っている茶髪で茶色い目をした男子生徒を見た。カガールクは俯き、最初は黙っていたが、涙を浮かべて話し始めた。

「入学し立ての頃、寮の首席室にいたら、キョクツ君が数人の貴族子息を引き連れて、……部屋に入って来ました。平民が貴族よりもいい点を取るのはおかしいから、これからは手を抜けと言われました……。食事の時、毎回近くに誰かが来て、僕の足を蹴るんです。……それで試験の時は、全教科を十問前後をわざと間違えて答えるようになりました。そうすると蹴られなくなるんです……」

「成程。蹴って来た生徒の名前は言えるか?」

「……星組と海組の子が多くて、名前が把握出来ていません」

「月組はいなかったと?」

「月組はゾンブ君と、セイゼサン君と、シュバン君です。セイゼサン君に蹴られた時は、ルセナ君が僕を庇ってくれたんですけど、殴り合いのケンカになって、ルセナ君だけが停学処分になったんです……」

 亜麻色の髪の生徒は自分の名前が出た途端に俯いた。颯は視界にそれが映っていたがルセナを見た。

「ルセナ君に訊く。停学になった時、誰が処分を下したんだ?」

「一学年の時の寮の班長が、一方的にお前が悪いと言って僕を責めてたから、その証言で学院長が下したんだと思います」

「寮の班長の名前は憶えているか?」

「はい、イグカ班長です」

「イグカ? ……聞き覚えがあるな。誰だったか……。ああ、あのイグカか」

 思い出した颯は渋い表情をして頷いた。イグカとは、以前に寮で規則を破った生徒を庇い、颯が解雇にした班長の名だ。表情は真顔に戻り、顔を上げる。

「カガールク君以外にもキョクツ君に何か言われたり、遣られたりした生徒は挙手して貰えるか?」

 ルセナ以外にも挙手をした生徒が七人いて、颯は震えているキョクツを見た。

「調べたら被害者が増えそうだな。どうする? 余罪も全て調べるか? それとも家に頼って俺を黙らせてみるか?」

 そう言ってから星組担任のシシンに顔を向けた。

「シシン先生、キョクツ君以外の貴族子息を調べて貰えますか?」

「分かりました。午前の間食後にでも調べますよ。キョクツ君は座りなさい」

 キョクツは青ざめて険しい表情になり、颯を睨み付けて着席した。ルセナは握り拳を作り、喜びを握り締めるかのように、強く握った。玲太郎はその様子を隣で見ていた。何故か颯ではなく、玲太郎の隣にいたハソも見ていた。

「女子もこれくらい簡単に行ってくれると有難いんだけどなあ……」

 聞こえよがしに言った颯は明良に一瞥をくれ、項垂れているケフッカに目を遣った。学院長としては、この事態はあってはならない事で、当分の間は頭痛の種となるだろう。颯は正面を向いた。

「今の所は此処までにしておきます。月組と海組の貴族令息に関しては担任が事情聴取するという事にして、貴族令嬢の情報も随時募集します。私に直接渡したい場合は魔術の授業中以外でも構いません。直接渡せない場合は、私の教室の机に箱を設置しておきますので、其処へ入れて下さい。それでは宜しくお願いします」

 軽く辞儀をするとダーリーを見た。ダーリーは首を横に振り、颯はまた正面を向いた。

「これ以上話はないようなので、十分以内に教室へ戻るように。それでは解散」

 疎らに生徒が立ち上がって退場した。玲太郎はヌトが浮かび上がって髪を一房掴み、「行くか」と言われると立ち上がった。それを見たルセナが慌てて付いて行った。学院長を始めとした教師も一緒に退場し、颯と明良とハソが最後まで残っていた。

「この学年は本当に終わってるわ」

「玲太郎が危うくなったら直ぐに報せて」

「報せる余裕があったらな。それじゃあ女子寮へ行こうか。警察がいるんだろう?」

「待って貰っているよ。少々遅くなっても大丈夫だからね。どうせ女子生徒の事情聴取もあるのだから」

 そう言って明良が先に歩き出した。颯は明良の隣を歩く。ヌトも離れないように付いて行く。

「それにしても五学年は奇妙な精霊が消えて退学になった子はいないそうだね」

「詰まり、金を掛ける程、子供に期待していなかったって事か?」

「若しくはチルチオ教徒から距離があったか、話を持ち掛けられても受け入れなかったか、だね」

「若しくはチルチオ教と反目している宗教の教徒、って事も有り得るな」

「そうだね。いずれにしてもいないと言う奇跡が起こっているからね。それにしても家名を聞いても、知っている家名がなかったから、今は大して重要な職に就いていないようだね」

「でも侯爵位の令息が三人いるぞ?」

「昔は要職に就いていただけという事だね」

「昔か……」

「中央の文官はね、出世すると爵位を貰える事は知っているよね? その爵位は、三代まで認められるのだよ」

「へえ、文官なのに三代まで続くんだな。そりゃ貴族が増えるわな」

「学んだ筈なのに、どうして憶えていないの?」

「余りにも一気に知識を詰め込み過ぎて、使わなくなったら消え去った感じだな」

「颯にも復習帳が必要なようだね……」

「兄貴だって不要だから、もう魔術の呪文を忘れているだろう?」

「……不要だからね」

 二人は雑談をしながら女子寮へ向かった。会館の外に出ると残暑とは言え、真夏と大差ない日差しが降り注いでいる。明良も颯も、眩しそうに目を細めていた。


 一方、玲太郎は何故かルセナと一緒に歩いていた。ルセナは余程嬉しかったのか、笑顔を絶やさなかった。

「こんな事になったのはウィシュヘンドが来たお陰か? 一学年の頃から本当に嫌な毎日だったのに、今日一日で一変したよ。ありがとう。あいつらから解放されて本当に助かるよ」

 そう言う声も弾んでいた。玲太郎は今期も初っ端から面倒事に巻き込まれたように感じて、気が重くなっていた。

「良かったね。でも僕のお陰ではないのよ。そういう機会が巡って来た時に、偶然僕がいただけだね」

「それじゃあイノウエ先生のお陰か?」

「うーん、それも偶然でしょ。それよりも殺人事件の方が気になるのよ。女の子が一人重体だって言ってたし、大丈夫なんだろうか?」

 ルセナは首を傾げて眉を顰めた。

「ケワビムが重体だって言ってたけど、命は助かってるんだろ? その内に登校してくるようになるよ」

 完全に他人ひと事のルセナは言い終えるとまた笑顔になった。

「そう言えば、ケワビムも首席だったって言ってたな。オレとどっちが上なんだろ。そっちの方が気になるな」

「どっちの点数が上かが重要なの?」

「ああ、本当の首席はウィシュヘンドだったな。重要ではないけど、まあ、気になるな。オレは寮の部屋だけが首席だな。まあ、それもカガールクが手を抜いているお陰だろな。あいつが本気になったら、首席部屋から追い出されるんだろうか……」

「首席部屋って追い出されるの?」

「そりゃ首席じゃなくなればな。ウィシュヘンドは寮長室だから関係なくて知らないんだろうけど、学年末の修了試験で上期の部屋が決まって、上期の期末試験で下期の部屋が決まるからな」

「へぇ、そうなんだね。知らなかったのよ。ありがとう」

「魔力の質で月、星、海組に分けられていて、月組が上、星が中、海が下になってるのは知ってるか?」

「それは知ってる」

「それじゃあ、五学年から玉を作る練習があって、それを使った競技があるのを知ってるか?」

「それは知らない。競技があるの?」

「知らないか。六学年はあるんだよ。一対一の競技で、風船を三個浮かせて、それを壊し合う競技なんだけどな、出せる玉の数は五個までで、それでやり合うんだよ。競技は下期の五月にあって、学年はこの見学が出来るんだけど、見てる分には楽しかったよ」

「へぇ……。楽しそうだけど、僕は出られないかも知れないね」

 苦笑している玲太郎を見たルセナは不思議そうな顔をした。

「え? なんでだ?」

「僕ね、玉を小さく作れないのよ。付与術でも魔石作りは特大から徐々に小さくして行くくらい、小さい物を作るのが苦手でね…」

「え! 一学年から五学年に飛び級して来たんだよな?」

 目を丸くしたルセナが首を傾げた。

「そう」

「なのに、もう玉が作れるんだ?」

「入学する前から練習をやってたからね」

「ああ、そうなんだな。……それじゃあ土を使って物を作り出すのとか、それを無から作り出すとかは出来るのか?」

「それは練習をやってる所なのよ。無からは出来ないけど、土から水晶を作る練習は夏休みの間にやってたね」

「水晶が作れるようになったら課題達成だな。そうなると今度は土なしで練習か」

「うん、そうなるね」

 ルセナが納得するように何度も小さく頷いた。

「普通はもっと時間がかかるもんなんだけどなあ……。ウィシュヘンドは魔力がケタ違いだけど、地力におごる事なく、それだけ努力してるって事か……」

「うん? 何? もっと大きな声で言ってもらえる?」

 聞こえていた声が徐々に聞こえなくなった玲太郎はルセナの方に顔を向けると、ルセナは立ち止っていて隣にはいなかった。

「あ、悪い。ちょっと考え事をしてたよ」

 小走りで玲太郎に追い付くと、ここぞとばかりに玲太郎の事を聞いていた。玲太郎は答えられる事は答えた。


 颯が警察の事情聴取を受けなくてはならず、その間はルニリナが代わりに教壇に立っていた。今日の午前の間食は寮の食堂で摂る事になっていて、頼まれた連絡事項を伝え、頼まれていた連絡帳の残りを配った。

「平民の男子生徒は、貴族籍の生徒に何かをやられた事があれば、それを連絡帳に書いて欲しいとイノウエ先生が仰っていました。やられていなくても、見た事があればそれを書いて下さいね」

 平民の男子生徒が皆返事をした。ルニリナは笑顔で頷く。

「貴族籍の男子生徒は、間食が終わったらこの教室へ戻って来て下さいね。私がイノウエ先生に代わって話を聞きますので必ず来て下さいね。来なかった場合は、イノウエ先生より退学処分を言い渡すように言われていますので、来ないのであれば今日中に荷物を纏めて学院から出て行って下さいね」

 穏やかな表情とは裏腹に厳しい口調だった。朝とは違って、誰一人として返事をしなかった。

「ウィシュヘンド君は今年からこの学年になったので来なくてもよいですよ。話は変わりますが、明日より授業が始まります。きちんと準備をして明日に備えて下さい。忘れ物がないように、確認もお願いします。しつこいようですが、ウィシュヘンド君以外の貴族籍の男子生徒は、五時限目までにはこちらへ戻って来て下さいね。宜しくお願いします。それでは今日はこれで解散とします。もう寮の食堂へ行っても構いませんよ」

 ルセナが一番に立ち上ると、ルニリナに辞儀をした。連絡帳を片手に退室し、他の生徒も疎らに退室する中、玲太郎は残っていた。そこへルニリナが近寄って来る。

「ウィシュヘンド君はこの学年の出来事には一切関わっていませんので、気にしなくてよいですのでね」

 穏やかに微笑んでそう言うと、玲太郎は少しばかり眉を顰めた。

「こんな感じで勉強が出来るのかが心配なんですけど……」

「授業は明日からやりますので、集中が出来れば大丈夫ですよ」

「でも警察が来てるんですよね?」

「あれは女子ですのでね。男子が事情聴取される事があっても、ウィシュヘンド君はされませんよ」

 それでも玲太郎は浮かない顔をしている。

「どうかしましたか?」

「殺人事件が起こるくらい物騒な学年なんだと思うと怖くて……」

 ルニリナはそれを聞いて、莞爾として玲太郎に顔を近付け、口元に手を添えた。

「ここだけの話ですが、直ぐに犯人は捕まりますので安心して下さいね。颯は、出来ればさん日の内にと言っていましたよ」

 玲太郎は思わず声が出そうになって、慌てて両手で口を押さえた。目を丸くする玲太郎を見たルニリナは微笑んで姿勢を戻した。

「秘密ですよ?」

「はい」

「被害者の生徒が早く復帰出来るように、祈りましょうね」

「はい」

 安心した玲太郎は笑顔で返事をすると、ルニリナは頷いた。教室には玲太郎以外の生徒はいなかった。

「ヌトが起きておるのは珍しいな」

 机に寝転がっているヌトを見ながらズヤが言った。ルニリナの後ろにいたノユが横に来てヌトを見る。

「目を閉じておるから眠っておるのではないのか」

「起きておるわ。しかしながら眠いのよ。直ぐ眠られるぞ」

「玲太郎を一人にして眠るなよ?」

「解っておるわ」

 上体を起こすと玲太郎を見上げた。

「玲太郎、そろそろ行かぬのか? まだ此処におるのか? 誰もおらぬから話してもよいぞ」

「早めに間食を終えても眠れないのよ?」

「何っ、颯は戻って来ぬのか?」

 玲太郎はルニリナを見上げた。

「ルニリナ先生、どうなんでしょうか?」

「颯は女子生徒の事情聴取もありますし、こちらにも来ると思いますし、結構遅くまで拘束される筈ですよ」

 それを聞いたヌトが引っ繰り返った。

「そうですか……」

「ヌトが眠りたいのであれば、ズヤかノユのどちらかが玲太郎君の傍にいてもらえませんか?」

 ノユとズヤを交互に見ながら言うと、ズヤが玲太郎を見た。

「わしでよいか?」

「僕はよいけど、ズヤはそれでよいの?」

「構わぬぞ。ヌトがこれでは仕方あるまいて」

「それじゃあお願いね。ありがとう」

「うむ、任せなさい」

 ノユがズヤを何も言わずに横目で見ていた。

「ズヤ、済まぬな……」

 ヌトはそう言うと直ぐに寝息を立て始めた。

「うん? もしかして、もう眠ってるの?」

 玲太郎がヌトをつついたが無反応だった。ズヤが苦笑する。

「そのようであるな。どれ、わしが運ぼう」

 眠っているヌトが宙に浮くと、ノユがルニリナを見上げた。

「ニーティ、わし等も食堂へ行こうではないか」

「そうですね。今日は早く済ませてこちらへ戻って来なくてはなりませんね。玲太郎君はどうしますか? 一緒に行きますか?」

「寮長室に戻って着替えたいので、途中まで一緒に行きます」

「解りました。それでは行きましょうか」

「はい」

 席を立つと椅子を机に入れた。ルニリナが先に歩き出し、玲太郎が少し後ろを行く。そしてノユとズヤと、眠っているヌトが続いた。


 玲太郎はズヤと食堂へ向かった。仕切り台へ行き、今日のお菓子を貰うと五学年の席へ行く。途中、バハールが一人で食べている姿が目に入ったが、直ぐに目を逸らした。五学年の席は沢山空いていて、玲太郎は南側の食卓へ行き、真ん中辺りに着席した。するとルセナが玲太郎を待ち伏せていて、茶器の載った盆を持って隣席に腰を下ろした。

「遅かったな。もっと早く来ると思ってたのに」

「いつもこのくらいなのよ。人が多いのが嫌だからね」

 苦笑しながら言うと合掌した。

「いただきます」

 菓子用の突き匙を手にして、焼き菓子を切り分け始めた。

「僕に何か用があるの?」

「あ、いや、あれこれ聞いて悪かったなと反省したから、謝ろうと思ってな」

 玲太郎は手を止めてルセナを見た。

「そうなの」

 ルセナも玲太郎を見ると真顔になった。

「色々聞かれて、突然話せる訳じゃないもんな。ごめん」

 頭を下げると、玲太郎は頷いた。

「分かってくれたならよいのよ。まあ、僕の事なら答えるよ。答えられる事ならね。だからと言って、イノウエ先生の事やアメイルグ先生の事を聞かれても、答える事はないからね」

 そう言うと視線を焼き菓子に戻した。ルセナは頭を上げて玲太郎を見る。

「アメイルグ先生?」

「イノウエ先生のお兄さんだから、アメイルグ先生の事も聞きたいんじゃないかと思って」

「アメイルグ先生には感謝してるけど、あまり興味がないな。去年はハライタで薬をもらいに行った事が二回あって、それだけだなあ」

「そうなの。根掘り葉掘り聞こうとする子がいたから、アメイルグ先生もかと思ってたのよ。それはごめんね」

「イノウエ先生の事は担任だから興味があるけどな。アメイルグ先生はそうだなあ、くれた薬が凄く効いて、すぐに痛みがなくなったんだよなあ。あの時は本当に助かったよ」

 玲太郎はルセナを見ると苦笑する。

「あの、……食べてもよい?」

「ああ、悪い。俺の事は気にせずに食べてくれよな」

「分かった」

 漸く一口目を頬張れた玲太郎は咀嚼する。

「試験の日に、仲のいい子が持って来てくれた茶を飲んだらハライタを起こしてな、それも二日続けてだったよ。三日目以降は飲まなかったら痛くならなかった。貴族子息の誰かがそうさせたんだろうなって思ったけど、そいつとはもう以前のように仲良く出来なくなったよ」

 口の中の物のみ込むと、話の内容に唖然としてしまった。

「五学年の子達は酷いね。僕がいた学年はそんな事はなかったのよ。まあ、いるにはいたんだけど、魔力がなくなって退学して行ったのよね」

 そう言って二口目を頬張った。

「うちの学年に限らず、そういう貴族は各学年にいると思うけどなあ。まあ、確かにうちの学年は酷いんだけどな。ただ、去年は魔力がなくなる子が多くて、そっちの方に目が行きがちなんだと思う。あの騒動があったお陰で、当時のろく学年は明るくなってたよ。食堂がにぎやかになってたもんな」

「ふうん」

「ただ、うちの学年だけはそれで退学して行くヤツがいなかったんだよな……」

 玲太郎は手で口を覆ってルセナに顔を向ける。

「あ、そうなの? 今の二学年は凄くいたよ。僕がいた組は十人? それくらいいたね」

 また正面を向いて咀嚼を再開して、焼き菓子を切り分け始めた。

「へえ、それは多いな。あの時に魔力がなくなるヤツがいれば、もっと早くに楽になってたと思うんだけど、世の中、そう上手く行かないもんだな」

 言い終えると茶器を持ち、茶を二口飲んだ。

「でもいなくなって欲しい子の魔力がなくなるとは限らないからね」

 そう玲太郎に言われ、ルセナは苦笑する。

「そう言われればそうだな。やっぱりその時は今だったんだな。でもその時が来てくれただけでも、ありがたいと思わないといけないな」

 感じ入った口調で言われた玲太郎は、ルセナがこの時を切望していた事が窺い知れた。

「さっき話してた仲の良かった子って誰なの?」

「ああ、カガールクだよ。この事も連絡帳に書かないとな」

「え、書くの?」

「当たり前だよ。加害者でもあるんだから、被害者面させてたまるかよ。まあ、俺の性格を知っているだろうから、覚悟は出来てるだろ」

「謝罪されたら許すの?」

 一瞬真顔になると、莞爾として玲太郎を見詰めた。

「許せないな。オレは器が小さいから無理だ」

 そう言うと茶器に視線を移した。

「考えてもみろよ。カガールクも俺を首席から引きずり下ろしたいって気持ちがあったから、そういう事が出来たんだよ。ウィシュヘンドはオレと同じ事をされても許せるのか?」

 そう訊かれ、咀嚼をしながら「んー」と鼻で返事をして考えた。口の中の物を飲み込み、ルセナを見ると目が合った。

「そうせざるを得ない程、気弱な子なんじゃないの? 僕は謝罪を受け入れて許せても、その後は以前のように付き合えないね……。他の子には何かやられた事はないの?」

「ない。一学年の時に殴り合いのケンカになった事があるんだけど、相手の顔の骨が折れたんだよな。それもあって手を出してくる子はいなくなった。…とは言え年上もいるから、そいつらにやられても平気なように、体もきたえてるからな。最高で四歳上だからなあ。体の大きさでは敵わないから、その場合はすぐに逃げられるようにと思って、浮遊術は頑張って練習し続けたよ。お陰で箱舟の免許も、夏休み中に上級が取れた」

「え、上級は凄いのよ。僕は下級を取った所なんだけど、箱舟の操縦は難しいよね」

「慣れればどうって事はないよ。高度と速度が下級より上に行くってだけだしな。ウィシュヘンドはオレよりも魔力が上なんだから、すぐ上級以上になるよ」

「そうなれるように頑張りたい所なんだけど、僕はそれよりも違う事に時間を使いたいのよ」

 そう笑顔で言い、焼き菓子を頬張った。この後、玲太郎は茶をお代わりしてルセナの話に付き合った。ズヤは玲太郎の後ろで浮いて、話を聴いていた。


 夜は二十時を過ぎても颯が帰って来ず、代わりにハソだけが帰って来た。玲太郎は隣室で冷たい回転焼きを食べ、空腹を凌いでいる所だった。

「はーちゃんは?」

「それよ。夕食に間に合うかどうかが判らぬから、玲太郎の夕食作りを手伝えと言われてな、わしだけ先に戻ったと言う訳よ」

 玲太郎は目を丸くした。

「僕一人でやるの?」

「作り方は憶えておろうが」

「僕に出来るの……?」

 自信なさそうに言うと、ハソが頷き、得意満面になる。

「わしも伊達に見ておった訳ではないのである。手順は憶えておるから、火に気を付けて遣れば良かろうて。わしも手伝うからな。先ずは米を研がねばなるまい」

「ああ、そうだね。でも夕食は二十二時くらいだから、もう少ししてからにするね」

 拍子抜けしたハソは俯いたが、直ぐに玲太郎に顔を向ける。

「それにつけても、ズヤがおったのではなかったのか?」

「んとね、午後の間食が終わった後に、もう外に出ないからルニリナ先生の所へ戻ってもらったのよ」

「成程、玲太郎が戻したのであるな。解った」

 玲太郎はまだ残っている回転焼きを頬張った。

「それにしてもこの国は面倒よな。身分制度が面倒臭いわ」

「んー、ほえはあうえ」

「玲太郎が赤子の頃は和伍におったのであるが、あの国はそのような物がなかったからな。……家のある場所が田舎であったから、人もおらなんだのであるが、それが良かったわ」

「ウィシュヘンドの屋敷よりも少ないの?」

「玲太郎と颯と明良、悠次に、玲太郎の父親と母親、そして八千代。水伯が頻繁に来ておった。後はニムとヌトとわし」

「ふうん、それは本当に少ないね。所で、僕の本当の父親と母親ってどんな人だったか、覚えてない?」

 ハソが徐々に渋い表情になって行ったが、最後はいつもの表情に戻った。

「うむ、憶えておらぬな。八千代は憶えておるぞ」

「ばあちゃんはウィシュヘンドの屋敷にいるじゃない……」

 苦笑しながら最後の一口を頬張った。

「和伍の頃の事は、どう言うておったか、……失念したわ。明良が玲太郎を連れて、何処かへ通うておったのは憶えておるぞ。迎えは颯であったな。あの頃はわし等は玲太郎に近寄れず、ヌトだけが傍におったわ。後は悠次が硬化症で死んだとか、……ああ、颯が玲太郎が赤子の頃に舐めておった事とか、ヌトが颯を気に入った事とかであるな」

 どれも聞き覚えのある内容ばかりだった玲太郎は無表情で頷いていた。


 玲太郎はハソに指示をされながら、二十二時を少し過ぎた頃に夕食を作り終えた。一汁一菜に漬物と言う侘しい物であったが、初めて一人で作り上げた物だった。

「お腹空いた……」

 明良の贈ってくれた花を眺めながら待っていた玲太郎は、颯がまだ帰って来ずに腹を擦っていた。

「颯が先に食べろと言うておるぞ。まだ少し掛かるようであるな」

「そうなの……。それじゃあ帰って来るまで待つ」

「む、終わったと言うておるわ。直に戻って来るであろうて」

 玲太郎はそれを聞いて、表情を明るくした。

「そう! それじゃあよそっておこうね。戻ったらすぐ食べられるね」

 立ち上がって台所へ急いで行った。

「ハソー、食器棚から食器出して。一番大きい平らなお皿を二枚ね」

「玲太郎もそれ程度の術は使えようて」

「お願い、取って」

 困っている玲太郎の顔を見てハソは溜息を吐き、皿を二枚、玲太郎の前に移動させた。

「ありがとう」

 笑顔で言うと、それを持って焜炉こんろの前に行く。

 玲太郎がご飯を装って食卓へ運んでいる所に颯が帰って来た。

「只今」

「おかえりなさい」

 玲太郎が満面の笑顔で迎えると、颯も微笑んだ。

「一人で作れたんだな。良かった」

「ハソがね、手伝ってくれたのよ」

「わしは口を出しただけであるがな」

「ハソも有難う」

「それじゃあ箸を持って来るわ。玲太郎は座って待ってて」

「あ! お箸を忘れてたのよ」

 颯は既に台所にある水屋へ向かっていた。玲太郎は盆を横の席に置いて着席した。颯が箸を二膳持って来て、一膳を玲太郎に渡した。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 颯も着席すると箸を持ったまま合掌する。玲太郎も合掌する。

「頂きます」

「いただきます」

「あー、腹減ったわ」

 そう言いながら、玲太郎の作った肉と野菜炒めを豪快に箸で掴んで頬張った。見詰めて来る玲太郎を見詰め返しながら咀嚼をして、手で口を覆った。

「んん、おいひい」

 凝視していた玲太郎が笑顔になる。

「そう、良かった。ハソが調味料を少しずつ入れて味を見ろって言うからそうしたのよ」

「颯がそう言うておったからな」

 颯は笑顔で咀嚼しながら頷いている。玲太郎も炒め物を頬張った。颯は口の中が空になると笑顔で玲太郎を見た。

「本当に美味しいわ。初めて一人で作ってこれだと、出来過ぎだな」

 玲太郎は褒められて顔を赤らめて微笑むと咀嚼を再開した。

「兄貴には秘密だからな。玲太郎が作った料理を食べたって知られたら絶対に拗ねるぞ」

 玲太郎は何度も頷いた。それを見て微笑んだ颯は白飯を口一杯に頬張った。


 食後に茶を飲んで寛いでいる間、玲太郎はルセナの話をしていた。颯は静かに相槌を打ちながら聞いていた。

「…あ、連絡帳に書くって言ってたのに、僕が言ったらダメだったね」

 颯は思わず鼻で笑った。

「うん、……まあ、もう聞いてしまったから手遅れだな。……それにしてもこれは想定以上に大事になるな。平民まで加担していたとは思いも寄らなかったわ。貴族籍の子で十人くらいが加担していた事を白状したそうだから、今日付けで退学、明日には退寮する事が決まったんだよ。月組はニーティが事情聴取を遣ってくれたんだけど五人もいたわ。でも平民もいるんじゃあ、それも遣らないといけなくなるな。貴族籍の子も全員が白状したとは思えないから、まだまだ時間が掛かるか……」

「はーちゃんはルニリナ先生が生徒と話してる間、何をやってたの?」

「俺は女子の方、警察の事情聴取の立ち合い」

「殺人未遂事件の方?」

「そう」

「ルニリナ先生が、すぐ犯人は捕まりますよって言ってたけど、本当なの?」

「まあ、直ぐと言えば直ぐだな」

「そうなの。それじゃあまだかかるの?」

「まだ掛かると言う程ではないけど、処罰を与えるには時間が掛かるから、その間は泳がせておこうと思ってな。貴族令嬢が平民を殺しても、場合に依っては大した処罰を与えられないから、きちんと与えられるように水伯と兄貴が動いてくれるんだよ。それで少し時間が掛かるんだけどな。まあ、それでも未成年だから大した罪にはならないんだろうなあ……」

「ふうん……。貴族と平民ってそんなに差があるの?」

「貴族間でも温度差があって、平民なんて更にその下になるんだぞ。酷いもんだよ。あー、頭が痛い」

「そうなの……。身分って面倒臭いね」

「ふ。玲太郎だって大公令息だから王族の次に偉いんだけどな」

「えっ、それは大げさじゃないの?」

「水伯は和伍で神様扱いをされていたけど庶民と同様の暮らしをしていたらしいし、兄貴も俺も和伍の庶民だったし、ばあちゃんも生粋の庶民だからなあ……。そんな中にいるから、玲太郎も周囲が貴族然としていないのもあって実感がないんだろうけど、偉さで言うとこの国の十指じっしに入る偉さだぞ。……いや、王位継承権で言うとそれには含まれないから、もう少し下になるのか」

 信じられない玲太郎は顔を顰めていたが、真剣な表情になって颯を見た。

「そんなに上なの? 嘘だぁ。……嘘だよね?」

 怪訝な表情で訊く。

「嘘じゃないぞ。水伯が王族の一員だから本当なんだぞ。水伯の周りで働いている人は貴族ばかりなんだぞ?」

「それは知ってるのよ」

「そうだったのか」

「確かに貴族っぽくはないよね。まあ、貴族でなくても僕にはとても親切なのよ」

「そうだろう。それに全く偉ぶってないもんなあ。でもユージュニーさんは違ったな。玲太郎は憶えていないかも知れないけど、水伯の家令だった人で、少し上から目線の人がいたんだよ」

「ふうん? そんな人、いた? 覚えてないね。家令はディモーン先生の長男がやってるのよ。フォンダーニさんって言う人ね」

「ああ、そうなんだな。ディモーン先生の息子さんが家令になったんだな。ふうん」

 颯が冷め切った茶を飲み干し、静かに湯呑みを置いた。

「会った事ないの?」

「ない。何時も瞬間移動で屋敷に入るし、それも夕食時とか、玲太郎と風呂に入る時とかだからなあ。早めに行って水伯の執務室にいても、顔を合わせた事がないな」

「会うには時間的に難しいんだね。凄く優しいのよ。僕、あの人大好き」

 玲太郎が漸く笑顔になった。颯も釣られて笑顔になる。

「そうなんだな。それは良かった」

 二人は微笑み合うと、更に雑談をしていた。


 一方、女子寮では次席から五席の部屋に六人が集まり、密談をしていた。二人が寝台に座り、後の四人は二人を囲むように椅子に座り、皆が一様に真剣な面持ちだった。

「あのイノウエは相当厄介だわ。どうにかしなければなりませんわね……」

 黒髪に茶色の目をした白い肌の少女が言うと、他の五人が頷いた。

「カラネイ様、どうにかなりませんの? このままではわたくし達、退学にされますわ」

 五人の内の金髪碧眼の一人がその少女に言うと、少女は暫く沈黙した。

「お父様は侯爵ですから、わたくしには厳しいわね……。スダージュ様なら出来るのではないかしら?」

 カラネイはそう言って、金髪碧眼でも六人の中では一番小柄な少女を見た。

「……そうね。お父様に言って、アメイルグとイノウエの兄弟をこの学院から追い出して頂きましょう。弟が消えても兄がいては、校医であってもきっと支障が出るわ」

 赤銅色の髪に碧眼で、やはり色白の少女が頷く。

「公爵様でしたら、それくらいやって頂けますわね」

 スダージュは大きく頷く。

「アメイルグも公爵になって日が浅いもの。どうにか出来るはずよ」

「今回の一件で男子は退学になる子が多そうだから、女子はお目こぼしして頂いて……」

 スダージュを真っ直ぐ見据えて言った碧眼の少女は、前に垂れた茶髪を手に掛けて肩の後ろへ流した。

「そうね、ロンゴンナ様の言う通りね。学院も大勢の生徒を退学にする訳にはいかないでしょうから、理事長には大目に見て頂きましょう」

 翠眼を動かし、スダージュから視線を外した金髪をお下げにした少女が笑顔になる。

「はぁ……、どうなる事かと思いましたが、無事乗り切れそうで安心しましたわ」

「まぁ、エレータ様ったら……。お気の早い事」

 赤銅色の髪を耳に掛けながら言うと苦笑した。

「ですがサバッカン様、スダージュ様のお父様が動いて下さるのですから、きっと大丈夫でしょう」

 エレータが笑顔で言うと、サバッカンの表情が暗くなり俯くと、耳に掛けられた赤銅色の髪が外れて頬を覆った。それを見たスダージュとカラネイが目を合わせ、直後に視線を戻す。

「サバッカン様、大丈夫ですわ。わたくしにお任せ下さいな」

 スダージュが満面の笑みを湛えて言うと、サバッカンは頷いた。

「そうね。よろしくお願いいたしますわ」

 この後は只の雑談が続き、この部屋の主の内の三人が「入室禁止」と書かれた張り紙の所為で、廊下で退屈を極めていた。

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