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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第二十六話 しかして夏休みも終わる

 夏休みの間、下級ではあるが箱舟の操縦免許を取得した玲太郎に、九月に入って直ぐにカンタロッダ学院から封書が届く。「五学年に進級」という内容だった。免許取得に続いてまた祝う事になり、急きょガーナスを招待した。ちなみに入寮の案内もあり、今年も九月二十日から二十三日の間となっていた。

 玲太郎は水伯、ルニリナ、八千代の四人でお祝いの料理のに使用する食材を買い出しをしに向かった。行き先は和伍国で、時間が時間だけに閉店間際の店が多く、生鮮食品はよい物がなく、所謂いわゆる売れ残りばかりだった。ルニリナはここぞとばかりに和伍語を駆使して店員と楽しそうに話していた。

 それぞれが何かしらを買い、ナダール王国へ戻った。それから生鮮食品を買いに水伯の持つ南の領地へ向かい、帰りにはツェーニブゼル領ヤニルゴル地区に寄り道した。

 屋敷に戻った玲太郎は魔石作りの練習を開始した。ルニリナが小型の水晶を作り、それに魔力を籠めて行く練習は休憩を挟んで三時間続けた。その後は昼食、座学三教科の復習に魔術の練習と盛り沢山だった。


 十九時半を過ぎて魔術の練習を終えると居室へ向かった。既に明良とガーナスが来訪していて、二人は長椅子に座り、玲太郎の方を振り返って見ていた。

「こんにちは」

「五学年へ飛び級、おめでとう」

「ありがとう、お祖父じい様」

「玲太郎、良かったね。おめでとう」

「ありがとう」

 玲太郎は満面の笑みを湛えた。ガーナスは正面に向いたが、明良は近付く玲太郎を見ていた。

「ルニリナ先生は?」

「時間になったら食堂へ直接行くって言って部屋に戻って行ったけど、用事でもあった?」

「姿が見えないから気になってね。有難う」

「うん」

 玲太郎は水伯の隣の一人掛けの椅子に座る。

「玲太郎は念願の飛び級なのだけれど、魔術系の実技は大丈夫かい?」

 水伯の方を見ると笑顔になる。

「大丈夫だと思うのよ。今ルニリナ先生が土から何かを作る魔術を教えてくれてるし、小型の魔石作りも頑張って練習してて、玉の大きさも結構小さく出せるようになって来るだろうから、焦らずにやるのよ。それにしても箱舟の免許を取れたのが大きくて、あれのお陰で時間を別の授業に割けるようになったからね」

「玲太郎には申し訳ないのだけれど、こんなに早く箱舟の免許を取るとは思っていなかったよ」

「でしょ。僕もなのよ。本当にびっくり」

「玲太郎が頑張ったから取れたのだから、其処そこは誇らないとね」

 玲太郎は苦笑して明良を見る。

「謙虚でいる事を心がけろよってはーちゃんに言われてるのよ」

 明良が些か不満そうな表情になると、水伯とガーナスが笑った。

「うん? 僕、おかしい事を言った?」

 ガーナスが笑顔で明良を横目に見る。

「おかしかったのは明良だ。玲太郎ではない」

「そうだね」

 水伯も笑いを堪えながら頷いた。

「ふうん? まあいいや。今日はばあちゃんのバラ寿司が食べられるから嬉しいのよ」

 明良を見ながら嬉しそうに言うと、水伯も明良を見ながら口を開く。

「そう言えば颯もバラ寿司が大好きだよね。間に合えば来るとは言っていたけれど、間に合うとよいね」

「そうだね」

 玲太郎と水伯が笑顔で頷き合うと、ガーナスも微笑んで見ていた。夕食まで明良以外は和やかに過ごしていた。


 食堂には颯と八千代以外が着席していた。上座から水伯、玲太郎、ルニリナ、下座からガーナス、明良、空席、そして末席も空席となっていた。玲太郎が颯がいない事で気落ちしていたが、台車が近付く音がすると表情を明るくした。八千代に続いて颯が入室した。玲太郎の表情が益々明るくなった。

「この前、バラ寿司を作ったばっかりなのにまたこれで、代わり映えしなくてごめんね」

 台車を止めて、八千代が皆の方に向いて言った。

「もっと頻繁に作ってくれてもいいわ」

 颯が笑顔で言うと、八千代も笑顔になる。二人が給仕をしている間、玲太郎は落ち着かなかった。

「ニーティもバラ寿司が好きだよな?」

「はい、大好きです。とても美味しいですのでね」

「あら、そう? ありがとうね。お代わりは沢山あるから、遠慮なく食べてね」

「はい」

 颯と八千代はルニリナの笑顔を見てから、給仕を再開する。先に八千代が着席すると、颯も少し遅れて着席する。手にはバラ寿司が山盛りになった皿を持っていた。

「今日はガーナス様がお出でですから、料理の説明をしますね。先ずはバラ寿司、お吸い物はスズキのつみれ汁、小鉢は薄切りの豚と薄切りの茄子を巻き、その揚げ焼きの甘酢餡掛け、晩茄ととうもろこしとキュウリの酢醤油和え、それとイワシの天麩羅には軽く塩を振っていて、最後はスイカの皮の糠漬けです。どれもお代わりがありますから、遠慮なくお代わりして下さいね」

「それでは頂きます」

 水伯が透かさず挨拶をすると、他も挨拶をして箸を手にした。

「私が買わされてしまったイワシは天麩羅にして下さったのですね。ありがとうございます」

 ルニリナが八千代に笑顔で言うと、颯がルニリナを見た。

「ニーティが鰯を買ったのか?」

 困ったように微笑むと首を横に振った。

「買ったのではなく、買わされたのですよ。和伍語を使う機会が巡って来たのでお店の方と話していたら、売れ残りだから安くしておくと言うので……」

「へえ、和伍まで行っていたんだな」

「そうなのですよ。月志摩つきしまへ行ってきました」

「月志摩! って事は……」

 颯は水伯に視線を遣ると、水伯が口の中にある物を飲み込んで笑顔になる。

「今日は芋大福だよ」

「それは嬉しいな。有難う」

 颯が満面の笑みを浮かべると、ふと玲太郎の視線が気になった。目を合わせると、玲太郎が咀嚼しながら笑顔になった。

「飛び級したんだってな? おめでとう」

 玲太郎は手で口を覆う。

「ありがとう」

 玲太郎が笑顔になるのは嬉しいのだが、それを他に向けると苛立ちを覚える明良が颯を睨んだ。

「颯は唾液を飛ばしていないで、食べなさいよ」

「ああ、悪い」

 八千代が口に手を添えて笑いを堪えた。颯がバラ寿司の入った皿を手にする。

「今日のバラ寿司はいつもと違って魚が入っているよな? これは鯛?」

「うん、そうだよ。軽く炙ったんだよ。大きめのタイが欲しかったんだけど、売れ残りだから安くするって小振りの物を売り付けられたのよ。まあ、安かったから買って来たんよね」

「ふうん。それじゃあ二人共、魚屋で話し込んでたんだな」

「そうなのよ。水伯さん達が和菓子を買いに行っている間に店を見て回ってたんだけど、話し込んじゃって他の物をあまり見てないのよね」

「私の外見が見るからに余所者ですのでね、珍しかったようですよ」

「ふっ、楽しかったようで何より」

 そう言うとようやく一口目を口に運んだ。咀嚼を終えて飲み込むと嬉しそうに八千代を見る。

「うん、この味だよな。美味しいわ」

「ありがと」

 手で口を覆った八千代が微笑んだ。


 まだ食事をしている明良と颯は食堂に残り、ルニリナと八千代も残って芋餅を食べていた。他の三人は居室で茶を飲みながら芋大福を食べて寛いでいた。

「ガーナスは護衛が来ていないようだけれど、帰りはまた明良と一緒かい?」

「いいえ、帰りは颯と一緒です」

「そうなのだね。それにしても颯は忙しいようだね」

「はい」

 ガーナスは玲太郎の方に視線を遣る。

「玲太郎、五学年への飛び級おめでとう。私からはこれを渡しておきたい。些少だが受け取って欲しい」

 机に和紙に包まれた何かを置いた。それは小さくて平らな物だった。玲太郎は手にするとガーナスを見る。

「ありがとう。開けて見てもよい?」

「どうぞ」

 折り畳まれた和紙を広げて行くと硬貨が入っていた。玲太郎は水伯を見ると目が合った。

「こんなの初めて見るのよ。父上、これは何?」

「それは大白金貨だね。金額は一千万こんになるね」

 玲太郎は思わずガーナスを見た。

「えっ、こんなにもらえるの!? お菓子とか果物とかでよいのに……」

「ガーナスはお金持ちだからどうという程の事ではないからね。有難く受け取って、お礼を言いなさい」

 柔和に微笑みながら言うと、玲太郎が申し訳なさそうにする。

「お祖父様、ありがとう。大切に使うね」

「どう致しまして。白状すると何を買えばよいのか判らなくてな。現金で済まない」

「ううん、僕の好きな物が一杯買えるのよ。ありがとう」

 ガーナスに向かって笑顔で言うと、視線を手元に遣って、白金貨を和紙で包み直した。二人は微笑ましく玲太郎を見詰めていた。

「明良は教えてくれなかったが、颯は何もしないと言うのでな。私と颯からだと思ってくれ」

「分かった。ありがとう。今一杯もらったから、卒業する時はいらないからね」

「それはそれ、これはこれだ。私が生きていたら卒業祝いも渡すよ」

「縁起の悪い事を言わないでよ」

 困惑して言うと、ガーナスは笑顔だった。

「私も七十八、平均寿命より長く生きていて、何時いつ逝くとも知れない身だからな」

「そう、ガーナスもそのような年になったのだね」

 噛み締めるように水伯が言うと、ガーナスはそれを重く受け止めるかのように徐に頷いた。

「はい」

 玲太郎は白金貨を机に置くと、湯飲みを持って、温くなった緑茶を飲んだ。

「所で玲太郎は、それで好きな物を買うと言っていたが、何を買う積りだ?」

 玲太郎はガーナスの目を凝視した。

「うーんとね、空色の宝石にしようと思う」

「空色……」

 そう呟くと「ふっ」と笑った。

「緑ではないのか?」

「緑はね、もう持ってるのよ」

「そうなのだな」

 ガーナスが小さく何度も頷いた。

「宝石を買って余ったら大切に取っておくつもりなのよ」

「果たして余るのかどうか……」

 そう言ったのは水伯だった。玲太郎は水伯を目を丸くして見ていると、水伯はいつもの柔和な微笑みを湛えた。

 そこへ明良が遣って来てガーナスの隣に座ると、その前に芋大福と茶が現れた。

「有難う。芋大福は久し振りだね」

「玲太郎が選んだのだよ」

「そうなの。味わって食べるね」

 玲太郎に笑顔を向けると、玲太郎も笑顔になる。

「多々羅のお菓子、美味しいよね。僕、どれも大好きなのよ」

此処ここのお菓子はどれも本当に美味しいよね。頂きます」

 皿の上に載っていた菓子楊枝で芋大福を切った。

「はーちゃんは?」

 明良は手を止めて玲太郎を見る。

「ばあちゃんと話しながらまだ食べているよ。つみれ汁を全部飲み切る程にお代わりしていたよ」

「つみれ汁は美味しかったね。あらで出汁を取ったのだろうけれど、すずきのつみれも美味しかった」

 水伯はそう言いながら頷いていた。

「うん、あれは美味しかったのよ。いつもだったらバラ寿司の時はとろろ汁なのに、違う汁物は珍しいよね」

「そうだね」

 明良は頷くと切り分けた芋大福を頬張った。

「私は八千代さんの作るとろろ汁も、今日のつみれ汁も好きだな」

 手で口を覆った明良がガーナスに顔を向けた。

「お父様は味噌汁の方が好きだよね?」

「単純に味噌が好きなのだよ」

「ああ、そういう事ね」

「ミソは美味しいよね。僕も好き。ああ、田楽が食べたくなって来た」

 咀嚼を再開していた明良は、玲太郎を見て微笑んだ。ガーナスはその横顔を見て、在りし日の母がいるような気がした。


 颯が片付けを終えて居室に来ると、芋大福を食べてからガーナスを連れて帰って行った。

「それにしても颯はせわしないのだね」

「その方が性に合っているのだと思うよ」

「そう? のんびりしてる方が好きだと思うけどね」

 二人はそう言った玲太郎を見た。

「うん? 何か変な事を言っちゃった?」

「そうではなく、会話に入って来るとは思わなかったからね。玲太郎は颯の話をする時は、聞き役に徹している事が常だから……」

 水伯が言い終わると、玲太郎は首を傾げた。

「そう? そんな事はないと思うんだけど」

「それよりも颯にお祝いはいらないって言ったのだよね? 何故なの?」

 玲太郎は明良を見ると微笑んだ。

「だって飛び級って言ったってただの進級だもん。卒業の時にくれればよいのよ。あーちゃんもくれなくてよいよ?」

「水伯からは何を貰ったの?」

「父上からは芋大福と羊かんね。羊かんは明日の夕食後に食べるのよ」

「ルニリナ先生は?」

「いらないって言っておいたんだけど、ソキノが入った焼き菓子をもらって、もう食べちゃったのよ」

「お父様は?」

「お祖父様は大白金貨一枚」

「そう、奮発したのだね」

「お祖父様とはーちゃんからって言われたのよ」

「颯からはなし?」

「あるよ」

 それを聞いた明良は驚いた。

何時いつの間に貰ったの?」

「音石で連絡があって、生菓子を買って冷蔵庫に入れておくから、明日みんなで食べてって言ってたけど、夜は羊かんがあるから、いつ食べよう?」

「それで直接厨房に行っていたのだね。生菓子は十七時頃に食べようね」

 透かさず水伯が言うと、玲太郎は満面の笑みを浮かべた。

「そうする!」

 それを見た水伯は軽く二度頷くと、明良に視線を移した。

「それで明良は何を上げる積りなの?」

「私はソキノの焼き菓子だね。冷蔵庫に入れてあるよ」

「え、本当? 嬉しい! 良く味わって食べるね。ありがとう」

「玲太郎は食べ物が一番よいのだよね?」

 些か心配そうな明良が訊くと、玲太郎は頷いた。

「うん、食べ物がよいね。……僕は長生きするんだよね? だったら物より食べ物が残らなくてよいと思って。後に残らなくても、その時満足出来たらそれでよいかなって」

「経験者に語らせて貰うと、それはそれで寂しい物だよ? 記憶が薄れる毎に食べた事も忘れて行くのだからね。物は物で、ずっと使う物でなければ、貰った物かどうかの区別が付かなくなって来るのだから、何方どちらにしろ似たような物だけれどね」

 自分の言う事に感じ入りながら頷いた。

「物を見ながら思い出に浸らないと忘れて行くという事だね。成程。……それならば帳面に記録をして行けばよいね」

「そうすると宝物庫を拵えて、其処へ放り込んで行くだけになり、増える一方になるだけだと思うのだけれど……」

「あはは、そうだよね。そうなると捨てられないよね」

 玲太郎が笑うと、水伯は渋い表情をしていた。

「書物は別にして、捨てられない物が増えてしまって、本当に困るのだよね……」

うちにも宝物庫があるけれど、二千数百年続いている割には少ない方だと思うよ。とは言えども、処分もしたのだけれどね。ね、お父様」

 明良はガーナスの方に顔を向ける。

「そうだな。だが閣下がお持ちの物品は家とは比較にならない程の数だろう」

「ふふ、比較にならない程かは分からないけれど、処分が出来るならよいね。価値を調べないといけないから、それが面倒でね……。売らないのであれば灰にしたり、土にしたり、加工したりしてもよいのだろうけれど、加工はまた面倒ではあるね」

 玲太郎がしばらく黙っていたが、何かを思い付いたのか、笑顔で水伯の方を見た。

「僕にも父上の宝物庫の中を見せて欲しいのよ」

 水伯が玲太郎を見る。

「この屋敷内の物は見ているよね? それ以外が見たいの?」

「うん、とっても見たい」

 玲太郎が目を輝かせているのを見て、水伯はふと思い付いた。

「それでは王宮の敷地内にある私の宝物庫へ行ってみるかい? 数年住んでいた間に私財で買った物があるのだけれど、それを長い間そのままにしているのだよね。其処は誰にも入れなくしてあるのだけれど、行く度に誰かが鍵をじ開けようとした跡があるから、そろそろ引き上げて来るのもよいかも知れない」

 玲太郎は不満そうに水伯を見ていた。

「王宮にあるんだよね? それは行きたくないのよ……」

「私は宝物庫の持ち主で出入り自由だから、王族や騎士に会う事もないよ。万が一にも騎士に止められたら身分を明かせばよいだけだからね。見付かると国王に報告は行くだろうけれど、何かを言って来る事も、会いに来る事もないと思うよ」

「ふうん……。それなら……」

「私も行きたい」

「明良は仕事があるよね?」

 柔和な微笑みを浮かべて明良を見ると、明良は些か眉を寄せた。

「土か日の曜日に行ってくれれば付いて行けるのに……」

 水伯は玲太郎に顔を向ける。

「玲太郎は待てるかい?」

「あーちゃんには悪いけど、僕は明日行けるなら明日行きたい」

「解った」

 水伯は頷くと、明良の方を向いて苦笑した。

「そういう訳で、明日行って全て引き上げて来るから、家で見るという事でよいかい?」

「……それではそうするよ」

 不満そうに言うと、玲太郎が明良に笑顔を見せる。

「僕が代わりに見て来るからね」

「あ、それでは念写でどのような宝物庫なのかを写し出してね。外観も確りと見て来てね?」

「ええ? 僕の技術じゃ、念写はまだきちんとした物は出来ないのよ? ぼやけたり、線が二重になったりするのよね……」

 玲太郎は戸惑っていたが、明良は気にも留めずに笑顔で玲太郎を見ている。

「隅々まで写し出そうとしなくてもよいからね。でも王宮にあるという事は、外観の装飾はそれなりにあるだろうから、その細部はきちんと念写して欲しいね」

「ええ? それは難しいのよ……」

「練習だと思って頑張ろうね」

「父上、僕だと出来ないと思うから、父上がやってくれる?」

 水伯に助けを求めると、柔和な笑顔になる。

「構わないけれど、それを見ながら練習を遣るという手もあるよ?」

「それじゃあそうする」

 水伯と笑顔で見合っている様子を見た明良は、恨めしそうにしていた。


 颯が二十四時頃にまた遣って来て、玲太郎と連れ立って浴室へ向かった。忙しくなってしまった颯と話せる貴重な時間となっていて、玲太郎はそれをとても大切にしていた。浴室には約六畳ある浴槽があって、二人で湯船に浸かっていて、そこにはルツが泳ぎ回っている。

「…という訳で明日は王宮へ行くのよ」

「ふうん。水伯が王宮に荷物を置いていたなんて驚きだなあ。それにしても、何をそんなに溜め込んでいるんだろうな? 俺も見てみたいわ」

「はーちゃんは父上の持ってる芸術品を見た事ないの?」

「あるよ。ろっ階が宝物庫になっているあろう? 其処も見せて貰った事があるし、屋敷の外にある宝物庫も見せて貰った。玲太郎も一緒に見たんだけどなあ。玲太郎が四歳くらいの頃だけど憶えていないんだな?」

「え? 一緒に見たの?」

「そうだよ。兄貴もいて、玲太郎を抱っこして連れ回していたよ」

「父上が出入りは自由だからって、ディモーン先生に付き添ってもらって何度も見たけど、はーちゃんやあーちゃんと一緒に見たのは覚えてないね」

「そうなんだな。でもディモーン先生がいても、高い所にある物は見えなかったんじゃないのか?」

「それは僕の背が低いから仕方がないね。ディモーン先生にも抱っこで見える所までの高さで我慢って言われたしね。でもね、棚の下の方に置かれている物は良く見えたのよ。絵とかツボとか小さな彫刻とか、ああいう芸術品を見るのは楽しいから好き。後はね、机の足もとの彫刻とか、椅子の彫刻とか、そういう装飾の細かい所を見るのも楽しいのよ?」

「へえ、俺の知らない所で何度も見ていたんだな」

「そうなのよ。屋敷の中は大体探検してるからね」

「大体って事は、していない所もあるんだな?」

「厨房はしてないのよ。刃物があるからダメだって言われたからね。後はねぇ、使用人部屋もダメって言われたね」

「ふうん。でも朝は水伯の調理の手伝いをしているんだろう?」

「してるけど、どこに何があるのかは、まだ全ては知らないのよ」

「全てじゃないだけで、ある程度は知っているんだろう? それでいいじゃないか。高い所に片付けられている物も沢山あるけどな」

「それなのよ。踏み台の高さじゃ届かないのよ」

 颯は鼻で笑って、玲太郎の頭を濡れた手で乱雑に撫でた。

「どうして撫でるの?」

「可愛いなあと思ってな」

「ふうん……」

 嬉しいのだが、それを表に出さないように難しい顔をして我慢をしていると、颯は玲太郎の頭から手を離し、表情から笑顔が消えた。

「俺も明日は忙しいからなあ……。そうじゃなかったら付いて行くんだけど…」

「はーちゃんは明日じゃなくても忙しいじゃない」

「それもそうだな。土か日の曜日のどっちかだったらなあ……」

「そう言えば今日、はーちゃんは忙しいのが性に合ってるっていう話が出てたんだけど、はーちゃんはのんびりしてる方が好きだよね?」

 颯は視線を上に遣り、「うーん」と唸って腕を組んだ。暫くして玲太郎に視線を戻す。

「どっちでもいいな。忙しないとのんびりしたいなあと思うし、のんびりし過ぎると忙しないのが恋しいなあと思うんだよな。まあ、程々が一番って事だな」

「ふうん……」

 颯は玲太郎の表情を見て苦笑する。

「どうしてそんな顔をするんだよ。何が不満なんだ?」

「絶対のんびりする方が好きだと思ってたのに、違ったからね」

 苦笑したままの颯は思わず鼻で笑う。

「別にどっちでもいいじゃないか。どっちも正解で、どっちも間違いだから、半分正解でいいだろう?」

「えー、半分は嫌なのよ」

「俺も俺の事が今一解らないのに、解った気になられても困るなあ」

 そう言いながら、玲太郎の頭を乱雑に撫で回した。

「それじゃあそろそろ洗うね」

「はいはい」

 玲太郎を浮かせていた颯はそのまま湯船の上に浮かせ、かん水浴装置の前にある風呂椅子に座らせた。

「ありがとう」

「解っているとは思うけど、丁寧に洗えよ?」

「うん、きちんと洗うよぉ」

 颯の方に向いて苦笑すると、正面に向き直して水温の設定を確認し、灌水浴装置の開閉器を押した。湯が上から滴り落ちて来て、玲太郎は俯くと洗髪を始めた。灌水浴装置と風呂椅子は各三つあるが、颯は湯船に浸かったまま、玲太郎を見守っていた。


 翌日、朝食後に玲太郎は水伯と王宮へ向かった。水伯はルニリナも誘ったが「和伍語の勉強をしますのでお二人でどうぞ」との事で、二人となった。水伯は外出の為、三色の縦縞のしん衣から黒の襯衣に着替えて、珍しく杖を持って出掛けた。杖の持ち手は灰金製で、鳥をかたどった握りに宝石がちりばめられ、水伯にしては珍しく華美な物だった。

 箱舟は当然ながら水伯が操縦をし、五分余りで王宮に到着すると、北門に程近い宝物庫の傍に下りた。建物を見上げ水伯が首を傾げる。

「此処まで大きかったとは……、記憶が如何いかに当てにならない物であるのかという事なのだろうね」

「もっと小さいと思ってたの?」

「そうなのだよ。此処まで高いとは思っていなかったよ。二階建てだと思っていたのだけれど、これだと最低でも三階はあるね」

 そう言いながら箱舟から降りると、玲太郎も次いで降り、改めて建物を見上げた。建物の広さは判然としなかったが、高さがある事だけは良く理解出来た。外観は明良が期待していた程に華美な物でもなかったが、質素と言うには及ばない程度の装飾が施されていた。白い石に青い石で装飾がされていて、屋根も青かった。青い石は濃淡があり、とても洗練されているように見えた。

「これは高いよね。五階はあるんじゃないの? 本当に三階なの?」

 玲太郎は怪訝そうに言うと、水伯が微笑んだ。

「ふふ。兎にも角にも、中へ入ってみようね」

「うん! 早く中が見たい!」

 玲太郎は宝物庫を前に張り切っていた。水伯は柔和な微笑みを浮かべて、玲太郎の直ぐ後ろを歩く。すると箱舟に乗った騎士が遣って来る。四人乗っていて、全員が降りて来た。

「失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 高圧的な態度でそう言った一人の騎士を見た水伯は鼻で笑った。

「許可なく上空から遣って来た癖に、鼻で笑うとは何事か」

 別の騎士が強めの語気で言うと、玲太郎は水伯の後ろに隠れた。

「箱舟の底に描かれている紋章を確認していないとは、仕事の出来ない愚者なのか? それとも紋章も知らない愚者なのか?」

 そう言われてしまって顔をしかめた騎士の前に、三人目の騎士が立つと頭を下げた。最後方にいる一人も同様にした。

「大変申し訳ございません。私が在任してから約二十年が経ちますが、一度もお目に掛かった事がございませんし、先達からお出でになった事を聞き及んだ事も、この百年の来客記録にも記載がございませんでしたので、カワツグミの羽ばたいている姿が幻かと思い、こうして参じた次第でございます。申し遅れましたが私は、王国騎士団衛兵部、王宮付き守衛第二部隊所属、第一班班長のカイソワと申します。本日はどのようなご用でお越しになられたのでしょうか?」

「来客記録は百年前の物までおいてあるのだね」

「は、北門につきましては閣下の為と思われます」

「そうなのだね。それならば滅多に此処ここへ来ない事を考慮して、五百年程度にしておかないと意味がないね」

「は。以後、そう致します」

 頭を下げたままのカイソワを見て微笑む。

「本気に取らなくてよいよ。意地悪は此処までにして、今日は宝物庫にある物を引き上げに来たのだよ。全て引き上げ、且つ更地にする積りなのだからね。そういう訳で此処へ来る事がなくなるから、来客記録を百年も保存しなくても良くなるね」

 カイソワは思わず顔を上げ、水伯を見てしまった。水伯は目が合うと柔和に微笑んだ。その笑顔に怯んだが、そうはしていられない。意を決して口を開く。

「…お、恐れながら、そうなりますとただちに王宮執務室へ確認しなくてはなりませんので、お待ちいただけますでしょうか?」

「しなくてよいよ。建物も荷物も私の物であって、他の王族の物ではないのだからね。土地は王家の物ではあるのだけれどね」

「しかし……」

「王家は私の物が少しでも減る方が喜ばれるのではないだろうか。……兎にも角にも、お前は後ろの二人の今後でも心配して遣りなさい。私をサドラミュオ大公と認識出来ない以前に、このような態度を取るのであるならば抗議を入れる以外の選択肢はないのだからね」

 顔を不快そうに歪め、睨み付けていた二人はサドラミュオ大公の名が出た途端に目を伏せて俯いた。水伯はその二人に視線を向け、更に続ける。

「王族の末席に連なる者としての面子があるから、見下して来た相手が貴族であるならば尚更許容出来ないのだよね。平民であるならば打ち首、なのだけれど……」

 カイソワが険しい表情で水伯を見詰めていると、水伯は先程とは違い、冷ややかな目でカイソワを見た。その目を見たカイソワは再度頭を下げた。

「愚者を連れて持ち場に戻るなり、上司に報告するなりしなさい」

「畏まりました」

 更に深く頭を下げると姿勢を戻し、振り返って三人を箱舟に乗るように促した。水伯も振り返ると玲太郎と目を合わせる。

「それでは中へ入ろうね」

「うん……」

 玲太郎は宝物庫に入る前にけちを付けられたようで気落ちした。水伯は鼻で笑い、玲太郎の肩を軽く二度叩いた。

 宝物庫の扉は観音開きになっていて、高さだけでも一間半以上あり、とても大きい。右側の扉の取っ手の下には金属の板が付いていて、水伯はそれを下へずらすと穴が出現した。

「この穴は何?」

 水伯は杖を水平に持った。

「鍵穴だよ。この穴に、この杖の持ち手をこうして挿し込む」

 そう言いながら遣ってみせたが、奥まで入らずに抜いた。

「そして魔力を流すと開錠する、という仕組みなのだけれど、鍵穴の中に、誰かが無理に開けようとして色々と遣った痕跡があるのだよね」

 中から色々な物が出て来て地面に落下した。玲太郎は眉を寄せてそれを見た。

「もしかして父上以外の魔力では開かないの?」

「そうだね」

 頷きながら、再度鍵穴に杖の持ち手を挿し込んだ。

「もしかして、父上なら、これが誰の仕業か調べられる?」

「出来なくはないのだけれど……」

「けれど?」

「死人を探し当てても仕方がないよね」

 莞爾として玲太郎を見詰めながら杖を抜いた。

「開いたよ。どうぞ入って」

 水伯が右側だけ開扉すると、玲太郎を先に中へ入れた。中は窓からの明り以外に、天井の集合灯も明るくなっていた。中は天井と壁が白く、床ははしばみ色の板間で、玲太郎には見覚えのある色だった。周りを見回したりした後、水伯の方を一瞥する。

「一階でこの天井の高さなんだね。見た感じよりかなり広いかも」

 そう言いながら広目に取られている通路の先を見て、目を丸くしていた。

「本当に物が一杯あるね。こんなに集めてどうするつもりだったの?」

「どうする積りもなかったのだけれど、数年の間にこれだけ集まってしまったのだよね。……押し売りと言っても過言ではないね」

 苦笑しながら右手の棚から奥へと移動して行く。玲太郎はそれに付いて行きながら、置かれている物を一見する。

「何時、誰から買ったのか等をきちんと記しておけば良かったね……。作者の署名もなければ、極め書きもないのだよね」

「きわめがきって何?」

「鑑定書の事だよ。何時頃に誰それが作りました、本物ですといった感じの事が書かれている物だね」

「ふうん、それがないとダメなの?」

「駄目と言う訳ではないのだけれど、売る時に困るね。売らなければよい話なのだけれど……。そうなると燃やす方が後腐れがなくてよいかも知れないね」

 玲太郎は思わず目が丸くなった。

「え、勿体ない! 全部見てから決めようよ」

「勿体ないと言っても千しちはっ百年前の物だからね。大して価値はないと思うよ。有名な作家がいれば話は別なのだけれど、この中にそのような作品があるとは思えないのだよね」

 すると水伯が立ち止まり、難しい顔をして俯いた。玲太郎は突然の事に驚いた。

「いや? 千六百年前後だっただろうか……。記憶が曖昧で判らない……」

「何かと思ったら、そんな事なの? 帰って調べられないの?」

 苦笑して見上げている玲太郎に視線を遣ると、柔和な笑みを浮かべる。

「そうだね。調べるよ。それにしても多いね」

 背中合わせになっている棚の奥の方にも物が置かれているのを見て、渋い表情をしていた。

「もう一層の事、全てをウィシュヘンドに移動させて、向こうで確認しようか」

「え? 宝物庫なんて、いつ建てたの?」

「建ててはいないよ。屋敷を十階建てに増築するのだよ」

「うん? 一階分増やしたとして、ここにある物が全部入り切るの?」

「それは当然入るね。延べ面積は屋敷一階分の方が上だからね」

「ふうん……。それなら父上の好きなようにすればよいと思う」

「そう?」

「うん」

 二人で笑顔になって見詰め合っていると、ふと水伯の表情が真顔になった。

「何かを忘れているような気がするのだけれど、何を忘れているのだろうか……」

「あ、空き地にこの建物ごと移動しちゃえばよいと思うんだけど、どう?」

 そう言う玲太郎の表情が明るかった。水伯は頷く。

「出来なくもないのだけれど、何処どこへ置こうか? それに迷うね……。収穫が終わるまで何処かに置いておいて、畑が空いたら移動、でもよいね」

「それだったら北の畑が空いてるし、そこへ一旦移動っていうのはどう?」

「其処ならば広さも申し分はないね。そうなると玲太郎の練習場所がなくなるのだけれど、構わないのかい?」

「あ……、そうだね。休日に練習が出来なくなるね。でももうすぐ収獲でしょ? それならすぐに空くだろうから大丈夫なのよ」

 玲太郎が笑顔で言った。水伯は聞きながら頷いていたが、今一つ乗り気になれなかった。

「一層の事、玲太郎の練習場を別に用意するという事も念頭に入れて、今日はウィシュヘンドの何処かへ移動させるにとどめようか……」

 そう呟いて沈黙してしまった水伯を見上げていた玲太郎は、首が疲れて顔を正面に向けた。壁際にある棚の方に顔を向けると、下段、中段、上段とめ回すように見た。それに気付いた水伯は微笑む。

「一先ず一通り見てから、どうするかを考えようか」

「うん! ここにある物は千年以上前なのは確実なんだよね?」

「千四百年は確実に経過しているね」

「なんであれ、物凄ぉ~く古いね」

「そうだね」

 時折水伯に笑顔を向けながら棚に置かれている物を見ていたが、玲太郎の身長では上段は殆どが見えなかった。

「上段を見るなら浮いてから見るとよいのではないのかい?」

「あ、そうだね」

 玲太郎はそう言われて漸く浮いて見るようになった。絵画や彫刻や壷の以外に食器類や調度品等もあり、玲太郎は見応えがあって満足していたが、天井の高さに見合う作品がなく、それが残念に思えた。

 二階も回り尽くして鑑賞が終わると一旦外へ出た。

「うん、もうこのまま持って帰ろう」

 水伯はそう決断して宝物庫は建物ごとウィシュヘンド州の水伯邸へ移動した。場所は水伯が倒れていた、あの空き地だった。水伯が鍵を変え、玲太郎でも開錠出来るようになった。

 十時の食事の後、今度はルニリナと一緒に訪れ、二人して時間を忘れて鑑賞した。玲太郎は二度目でも、念写の練習がてらに一つずつ精緻な細工や文様の細部を凝視していた事もあって、瞬く間に時間が流れた。

 夕食前に来た明良にその話をすると、「外装の念写を頼んでいたのに、実物が来るとは思ってもいなかったよ」と言われ、水伯はそれを忘れていた事に気付けた。

 その後は明良が玲太郎を連れて宝物庫へ向かった。明良は玲太郎を抱いて、屋根や高い位置の装飾を鑑賞し始め、徐々に下りながら地面に着地してから中に入った。

 明良が美術品に関する本を数冊を持って来ていて、装飾や文様の形状から時代を特定しようとしていた。しかし、それらは時代に関係なく、地域特有の伝統的な物である事が判明し、時代の特定には及ばなかった。日常から外れた出来事だったが、些かの謎を残しつつも日常の中に融けて行った。

 玲太郎は王宮にあった宝物庫が移動して来た事で、屋敷の中にある宝物室にもまた興味を持ち、時間が少しでも出来るとルニリナと一緒に鑑賞していた。


 数日後、玲太郎は魔術の土から物を作り出す練習を遣っていた。物と言っても限定的ではあるが、鉄、鋼、藍鉄、銅と作れるようになり、今はりょく銅の練習をしている最中だった。土は畑に沢山ある為、天気が悪くても北の畑へ行き、土に座り込んで練習に励んでいた。

 今日は雨模様だったがルニリナと北の畑へ行き、到着するなり、ルニリナが土を乾かして二人して座り込んだ。ルニリナは近辺が再度濡れないように障壁を大き目に張っていた。

「緑銅はもうよいと思いますので、そろそろ違う物を作りますか」

「え、よいのですか?」

「はい。一段階進めて、今日から水晶を作ってみましょうか。私が実際に作ってみますね」

 ルニリナは土を一掴み手にして、拳を返して広げて見せると、そこに水晶があった。

「わあ、もう出来てる!」

「それではこれを差し上げますので、またどのような物が含まれているかを感知して、同じ物が作れるように頑張りましょうね」

「はい」

 ルニリナが差し出すと、玲太郎はそれを受け取った。毎日手にしている水晶を改めて観察する。

「これは宝石なのですが、天然の物は小さいので、大きな物は大抵が魔術で作られた物になります。小さいと言っても特大の魔石よりは大きいです」

「そうなのですか」

「以前にもお話ししましたが、作者が亡くなると同時に魔術で作った物は消失してしまうので、売る場合はその旨と作者の生年月日を必ず表記しなくてはなりません。それはさて置き、これから様々な色着きの水晶を作って行きましょうね。色が着くと水晶とは違った宝石として分類されますのでね」

「分かりました。頑張ります!」

 意気込んだ玲太郎を見たルニリナは微笑んだ。玲太郎はそれに気付かず、水晶を握り締めると目を閉じた。水晶に魔力を流して、構成している成分を感覚的に認知して行く。空いている左手で土を掬うと、得た情報を基に土に魔力を流し、形状を変えていく。上手く行かない場合は、また土に戻して遣り直す。これを成功するまで繰り返すという地味な練習だ。休憩を挟みながら二時間続けた。

「そろそろ昼食の時間なので今日はここまでにして、食堂へ行きましょうか」

 そう言いながら懐中時計を上着の衣嚢に入れた。玲太郎はルニリナを見ると土を落として手を叩いて、手に付いている土も払った。

「分かりました」

 返事をすると立ち上がり、ルニリナが全身を洗浄魔術で綺麗にしてしまう。それに気付いた玲太郎が笑顔でルニリナを見た。

「ありがとうございます」

「どう致しまして。それでは飛んで帰りましょうか」

「はい」

 玲太郎は少しだけ浮かび上がると、屋敷に向かって飛んで行き、ルニリナは玲太郎から離れ過ぎないように追従する。


 夕食時、玲太郎が食堂へ行くと珍しく颯が先に来ていた。

「あれ? 今日は早いんだね」

「今日は学院の方の手伝いをしていたからな」

 そう言いながら立ち上がると、玲太郎の椅子を引いた。

「ああ、そうなの。学院と言うと、今日入れて後十日で入寮なのよ」

 玲太郎は椅子に座ると、颯が机に入れた。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 颯も着席すると、玲太郎の方に顔を向けた。

「夏休みもあっと言う間だったな」

 玲太郎も颯に顔を向ける。

「うん。夏休みの間に、三学年と四学年で習う魔術を出来るようになりたかったんだけど、土ありで水晶を作る練習をやるようになった所なのよ。間に合わなかったのが残念」

「其処まで進めたんだから早い方だろう。放課後に達成出来なかった課題の練習を遣る生徒も多いんだから、それに交じって遣れば?」

「放課後は出来れば小型の魔石作りの方をやりたいんだけどなぁ……」

「一日置きにすればいいじゃないか」

「先に魔石作りを達成したいのよ」

「そういう事か。それなら俺も協力するよ。夕食後にも遣ろう」

「え! そんなにやったら嫌になりそう……」

 嫌そうな表情をした玲太郎を見て、颯が笑った。

「そんな顔をするなよ。でもその方が早く達成出来るだろう? その分、早く次へ進む事が出来るぞ」

「えー……、夕食後は予習したり、復習する時間に使いたい……」

「ふうん。まあ、玲太郎の好きにすればいいよ。手伝える事は手伝うから、遠慮なく言えよ?」

「うん、ありがとう」

 玲太郎は満面の笑みを浮かべた。そこへ明良が入室した。

「今晩は」

「いらっしゃい」

 玲太郎が反応したが、颯は明良を一瞥しただけだった。

「颯が此処にいるという事は、ルニリナ先生がばあちゃんの手伝いをしているの?」

「うん、そうだな」

「成程」

「ばあちゃんに、図体の大きい人間が二人もいると動き辛いって言われたから、ニーティに譲って来たよ」

 些か不機嫌そうに言うと、正面に着席した明良を見た。

「夕食に来なかったり、間際や遅れて来ていたりしたから知らなかったのだね」

「ニーティが手伝っているなんて、今し方知ったわ」

「残念だったね」

「はーちゃんは、ばあちゃんが好きなんだね」

「私達はばあちゃんっ子だからね」

 明良が玲太郎の方に笑顔を向けて言うと、玲太郎は明良を見た。

「そうなの。僕は父上っ子だね」

「そうなるね」

 二人が笑顔でいると、水伯が入室した。

「颯が既にいるとは、珍しいよね。驚きだよ」

「お疲れ」

 真っ先に水伯を見た颯が言った。

「今晩は」

「明良もいらっしゃい。今日は遅かったようだね」

 そう言いながら席へ行き、着席すると颯を見る。

「颯、今日は学院の入寮調整だったのだよね?」

「うん、そう。おか船の予約とか、届いた教科書を寮の机に置いたりとかしていたな」

「それは有難う」

 いつもの柔和な微笑みで颯を見た。颯が頷いた途端に玲太郎が颯の方に身を乗り出した。

「もしかして、僕の組はもう分かるの?」

「魔力の質で決まっているから、玲太郎は漏れなく月組だよ」

「ああ、そうだったね……」

 落胆した玲太郎は少し俯いて小声で言った。

「まあ、どの組か判った所で知った顔のない組なんだからな」

 玲太郎は顔を上げると颯を見た。

「……そう言うって事は、ディッチはいないの?」

「王弟殿下は四学年に進級だよ。座学は五学年で受けるようだけど、魔術系の実技が追い付いていないから四学年なんだってさ」

「ふうん、そうなの」

 玲太郎の表情が見るからに明るくなった。三人はそれを見て苦笑した。


 夕食後、玲太郎は明良と共に宝物庫へ向かった。明良は五冊の本を抱えていた。

「きっとこの中には、呪いに通ずる文様があるに違いないからね」

「僕はそれよりも、小物の方が問題だと思う。良く分からない板に彫られていたり、描かれていたりする図柄の方が気になるのよ」

「ああ、あれね……。ルニリナ先生はそれに就いて何か言っていたの?」

「ルニリナ先生は別に何も言ってなかったと思うよ?」

「そう。それでは小物よりも大物の模様を見ない?」

「あーちゃん一人で見てよ。僕は小物の方を見て来る」

 玲太郎が明良を見上げると、手を離そうとした。

「そう? それでは私も一緒に…」

 明良は玲太郎の手を握って、それを阻止すると微笑んだ。

「せっかく本を持って来たんだから、きちんと確認しないと、ね? 僕は一人で大丈夫だから」

「ううん、それならば確認は別の日にして、玲太郎と一緒に小物を見るよ」

「ふうん……。本当によいの? 僕は一人でも本当に大丈夫だよ?」

「私は玲太郎の傍にいるからね。一緒に小物の図柄を確認しようね。今持っている本では難しいかも知れないけれど、念写して後から調べればよいだけだからね」

 そう言うと小物の方へ歩き出し、玲太郎を軽く引っ張った。その玲太郎は少し困った顔をしていた。

「後で文句を言うのはなしだからね?」

「大丈夫、言わないよ」

 そう言って「ふふ」と明良が笑った。玲太郎は苦笑する。

 小物の棚に着く。棚の高さは一間程で、六段に区切られている。一輪挿しや小振りの彫刻、もく彫を始め、色々と置かれていたが、中には用途が不明な物もあった。玲太郎の手に届かない所に置かれている物は、明良が取った。

「この辺は人形が置かれてるから、この不思議な形の物も人形なんだよね?」

 陶器で出来ていて、球体と楕円体は直径が同じでくっ付いていた。そして球体には楕円体がくっ付いている反対側に五本の突起物が出ている。突起物は円を描くように付いていた。

「それは私には判らないけれど、形状からすると生物ではあるのだろうね。若しくは、架空の生物になるのだろうか」

「うーん、絶滅しちゃったけど、昔はいたのかも知れないね?」

「後で動物図鑑で調べようね」

「これに手足のような物があれば人間に見えるんだけどなぁ」

「どの辺が?」

「この五本のつのが髪の毛として、上にするでしょ。丸いのが顔で、楕円が体なのよ」

 明良に突起物を上にして見せると、軽く何度か頷いた。

「成程、そうだね。そう言われると、そう見えなくもないね」

「でも手足がないから違うよね」

「ふふ。それが人間だと、頭が大き過ぎるよね」

「でもほら、二等身の人形とかあるじゃない」

「それはそうだね。そうなると、多分手足を意図的に作らず、頭を大きくしたのだろうね」

 玲太郎の表情が些か穏やかになった。明良はそれを見逃さず、見た瞬間に思わず微笑んでしまった明良は、差し出された謎の物体を棚の最上段に戻し、その隣にある物を玲太郎に渡した。

「これは何?」

「私にも判らないね。この辺りは、水伯も判別が出来ない物を集めているのではないのか、…と思うのだけれどどうだろう?」

「きっとそうだよね。さっきから何がなんだか、全く分からないのよ」

 今度は小さな木板に浮き彫りを施しているのだが、図柄が幾何学模様だった。

「これは若しかしたらお守りなのかも知れないね。違うなら、只の縁起物だろうか?」

「それじゃあこれの念写をお願いしてもよい?」

 そう言うと図柄のある面を明良に向けた。

「解った」

 明良の左手に紙が顕現すると、にわかに模様が浮かび上がった。それを玲太郎に差し出す。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 嬉しそうに受け取り、持っていた木版を明良に渡した。

「どう致しまして」

 玲太郎は紙を見て益々笑顔になった。明良は木板を元に戻し、一段下の物を手にすると暫く見てから玲太郎に渡す。

「先程の物と酷似している図柄だね」

「本当だね。なんだろう? これも念写をお願いしてもよい?」

「構わないよ」

 先程と同様の事をして、明良は念写した紙を玲太郎に渡した。

「ありがとう」

 玲太郎は両手に持った紙を見比べた。

「どう致しまして。その二枚を重ねてご覧」

 明良に言われた通りにすると、紙の背面に小さな光の玉が顕現した。 

「ああ、なるほど」

 光で後ろの図柄が透けて見え、二枚の違いを確認し始めた。前後を逆にしてまた確認する。違いは少しばかりあった。

「違いが少しあって別物だから、それぞれに意味があるんだろうね」

「似たような図柄の物を用意したのは何故なのだろうね? それも気になるのだけれど、水伯に訊いたとしても、きっと憶えていないのだろうから、意味が判明する事はないよね」

「この建物が何年前に建てた物かも覚えてないのよ」

 思い出し笑いをしながら念写された物を眺めていた。

「それは仕方がないね。二千五百年も生きているのだから、憶えていられないのだろうね。二十一の私ですら全ては憶えていられないもの。玲太郎はそうなりたくなければ、毎日の記録を残さないとね」

 玲太郎は明良を見上げた。

「日記を書くのはよいけど、それを誰にも読まれないように管理するのが難しそう」

「それは言えているね。きっと私が第一読者になるよ」

「それじゃあ絶対に書かない」

 断言すると、微笑んでいた明良が残念そうな表情になる。

「それは寂しいね」

「日記は僕の記録なんだから、あーちゃんが読んだらダメじゃない」

 苦笑しながら言った。そして手を差し出す

「それじゃあ続きを見て行きたいから、取ってもらえる?」

「解った」

 頷くと手にしていた木板を戻し、その一段下にある物を手にすると玲太郎に渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

「どう致しまして」

 二人はこの後も数枚を念写して、歩いて屋敷へ戻った。玲太郎は図柄を直ぐに調べたかったが、颯が待ち構えていて浴室へ向かった。

 玲太郎の入浴後、明良が二階を通り過ぎて、三階へと向かってくれた。三階以降はは全ての部屋が図書室となっている。二人は三階の東棟の端の一室に入室し、図形や模様の意味が載っていそうな本を、二人で手分けをして背表紙と格闘し始めたが、それも三室で玲太郎が音を上げてしまった。


 翌日、小型の魔石作りの練習に精を出していたが、それも三十分も経過すると気もそぞろになり始めた。ルニリナは玲太郎の正面にいて水晶作りを続けていたのだが、それを止めて玲太郎の様子を窺っていた。水晶がなくなると玲太郎の手が止まり、窓の外に視線を遣って物思いに耽り始めた。見兼ねたルニリナが玲太郎の傍に行き、肩に手を置いた。

「玲太郎君、どうかしましたか?」

 玲太郎はルニリナを見上げると姿勢を正した。

「ごめんなさい、ぼんやりしてました」

「何を考えていたのでしょうか?」

「父上の宝物庫にあった物の図柄の事です。父上に図柄の本の場所を聞いたら、図柄や文様に関する本は纏めて置いてあるはずって言うんですけど、まだ見付けられなくて……」

「それ程に気になりますか?」

「はい」

「その図柄を見せてもらえますか?」

「はい」

 玲太郎は二段目の抽斗ひきだしから写真を取り出して机に置いた。ルニリナはそれを手にして一枚一枚丁寧に見て行った。

「それでは本を探しに行きましょうか。頼りない私の記憶では、七階か八階にあったと思います」

「え! いいんですか?」

「こうも気になっているようでは、勉強も身に入らないでしょうからね」

 ルニリナが穏やかに微笑むと、玲太郎は苦笑した。

「ありがとうございます」

「では行きましょうか」

「はい」

 ルニリナが先に行くと、玲太郎は慌てて立ち上がった。

「八階から行きましょうか。七階にしますか?」

「八階からお願いします」

「解りました。それでは東棟の端の図書室からにしましょうね」

「はい」

 二人は八階から見て行き、南館の北側の図書室でそれ等を見付けた。

「玲太郎君、ありましたよ。この辺がそうでしょうね」

「あの図柄がナダールの物とは限らないので、これも全部見ないといけませんね」

「それはそうですね。仕方がありません。頑張りましょう」

「はい」

 ルニリナが何もない空間を見ると、そこに小さな机と椅子が二脚顕現する。

「こちらに座って下さいね。机には写真を確認し易いように広げて置いてもらえますか?」

「ありがとうございます」

 玲太郎は机に写真を広げて置き、本を一冊手にすると椅子に座って確認し始めた。ルニリナは三冊も手にして椅子に座り、二冊を膝に置いて確認し始める。二人は時間を忘れて熱中していた。

「ルニリナ先生! ありました!」

 俄に玲太郎が声を張り上げた。ルニリナはその声に驚き、玲太郎の方に顔を向ける。それも次第におかしくなって来て、自然と笑顔になっていた。

「それは良かったですね。どこの図柄でしたか?」

「これは……、ナダールのソギッド州です。これは幾つもの図柄を組み合わせて作るみたいで、この本にある見本と一枚が同じなんです」

 本を開いたままルニリナに渡すと、ルニリナがそれを見ながら机にある写真を見比べた。

「ああ、これですね。長寿と、良縁と、金運上昇と、それと負け知らずの護符ですね」

「負け知らずって、どういう時に使うんですか?」

 ルニリナは玲太郎に顔を向けると、些か難しい顔をした。

「うーん、不幸な境遇とか、病とかに打ち勝つ為の物が一般的でしょうか。ですが、負け知らず一つがあればよいように思えますよね」

 そう言って「ふふ」と笑った。玲太郎も釣られて笑顔になる。ルニリナは本に視線を移し、目を通し始めた。

「ああ、ここに書いてありますね。「負け知らずを必ず最後に入れるのが習わし」だそうですよ」

「そうなんですか。それじゃあ、負け知らずが一番重要って事でしょうか?」

「うーん、そうではなく、願掛けをしたい事柄を、負け知らずでより強力にするようですね。私は願掛けをしたい事柄以外を補助する意味合いかと思いましたが、違っていましたね」

 そう言いながら栞を出すと開いている箇所に置き、玲太郎に本を渡した。

「へぇ、強調するんですか。ふうん……」

 手にした本に目を通し始めた。ルニリナは別の図柄を探し始める。二人はこの後も幾つかの図柄の意味を突き止めたが、十時に近付いてしまって一旦終了となった。


 夕食後、玲太郎は嬉々として明良に報告を始めた。居室には水伯もいて聞いていた。明良は露骨に意気消沈してしまった。玲太郎は顔を横に向け、相槌を打たなくなった明良を見る。

「あれ? どうしたの?」

「私が玲太郎と一緒に探したかったのに……」

 目も合わさずにそう言うと、玲太郎は申し訳なさそうにした。

「ごめんね。どうしても気になっちゃって、ルニリナ先生が手伝ってくれたのよ」

「それにしても、私の所蔵している物で間に合っているのだね」

 玲太郎は首を横に振ってから、水伯に顔を向けた。

「それはまだ分からないのよ。六つは見付けたけど、後三つ残ってるからね。あーちゃん、残りの二つはお風呂から上がって来たら一緒に探そうよ、ね?」

 明良の方に向き直して言うと、明良は小さく頷いた。

「解った……」

「国内の物ばかりかい?」

 玲太郎はまた水伯の方に向いて、首を横に振った。

「キッスイ国の物があってね、それはお祝いに良く使われる図柄なのよ。だから何かのお祝いでもらった物ではないかってルニリナ先生が言ってたのよ」

「隣国から……、そうなのだね。そのような所からもお祝いを貰っていたのだね」

「覚えてないの?」

 そう訊かれた水伯は、いつもの柔和な微笑みを浮かべた。

「毛程も憶えていないね」

「そう……」

 玲太郎は苦笑するしかなかった。

「それ以外の国はあったのかい?」

「僕が探そうとしている図柄の中ではキッスイ国だけだった」

「そうなのだね」

 水伯は二度軽く頷いた。

「それにつけても、あれ等は全て貰い物ではないからね。購入した筈なのだけれどね」

「それなら記録が残っている物ではないの?」

 落胆していた明良が復活したのか、俄に会話に入って来た。

「私は持っていないのだけれど、王宮の何処かにあるかも知れないね」

「王宮の何処か、ね……」

「それじゃあ探しに行けないね。行ったらまた面倒が起こりそう」

「またとは?」

 明良が玲太郎に顔を向けて訊くと、玲太郎は宝物庫を移動させた日の出来事を話した。

「それでは、国王から何か言われたのではないの?」

 些か眉を顰めた明良を見て、水伯が頷いた。

「借地代として年間十五億こんを払っていたのだけれど、それがなくなると契約終了の書類を作成しないといけなくてね、それで署名が欲しいと言われた程度だよ」

 玲太郎は目を丸くしていたが、明良はいつもの無表情になっていた。

「年間で十五億金は高過ぎるのではないの? 一ヶ月で一億金はやはり高いと思うのだけれど……」

「王宮敷地内という特異な土地の借地料、それと警備代だから、そう高くはない筈だよ」

「そう言われるとそのような気もしてくるけれど、庶民の感覚からすると高いからね」

 水伯はそれを聞いて鼻で笑った。

「公爵になったのに、何を言っているの?」

「社交をしない所為か、大金を使う事が本当にないのだよね。義理で服をあつらえる程度だからね」

「それでは機会があれば、国王主催の舞踏会にでも行くかい?」

「遠慮しておくよ」

 玲太郎が満面の笑顔を明良に向けた。

「行って来ればよいのに。お土産話を楽しみにしてるね」

「だから行かないと言っているだろう?」

 眉を顰めて言っても、玲太郎は笑顔のままだった。

「あーちゃんが着飾ってると、物凄ぉく似合うから、見てると楽しいのよ」

 更に不快そうな表情になったのも一瞬で、直ぐ笑顔になった。

「玲太郎が一緒に行くのならば、私も喜んで行くよ。玲太郎を着飾る役目は私の物だね」

 逆に顔を顰めた玲太郎を見た水伯が笑いを堪え、平静を装って柔和に微笑んだ。

「自分が嫌な事を、人にさせようとするのはいけないよ?」

「……ごめんなさい」

 上目遣いで明良を見ると、明良は満面の笑みを湛えた。

「玲太郎と一緒ならば、私は舞踏会でも晩さん会でも行くからね」

「あーちゃんは行かなくてよいのよ」

 慌てて言うと立ち上がって水伯の方へ行き、抱き着いた。

「お願いだから、父上もあーちゃんを誘わないでね」

「ふふ、解ったよ。明良は誘わない」

 水伯は楽しそうに玲太郎の頭を撫で、明良がそれを恨めしそうに見詰めていた。こんな感じになってしまった為、明良は話も程々にして玲太郎を連れて八階へ向かった。二人は入浴時間が来るまで残りの図柄を探したが、先に本がなくなってしまって探し切れなかった。


 図柄を探し切れなかった事が余程残念だったのか、玲太郎は落胆して眠ってしまった。そして不思議な夢を見た。探していた図柄が、風に吹かれて回転する風車のように回転し、現れたのは颯だった。

「玲太郎、そろそろ行こう」

 颯が誘っているのに、自分の思うように動けず、何故か水伯に甘えていた。

「甘えるのは後にして早く行こう」

 声を発しようにも発する事が出来ず、苛立つ颯を尻目に水伯に甘え続けている。玲太郎は颯の方に行きたいのに体が動かない。動けても顔だけで、それも颯を視界に入れるだけしか出来ない。そのまま十分、二十分、三十分と時が過ぎ、颯は何も言わずにその場を去ってしまった。去り際の怒りに満ちた表情が玲太郎の胸を引き裂いた。

「ぁあっ、はーちゃん!」

 玲太郎は飛び起きて叫んだ。読書をしていた水伯が驚いて玲太郎を見る。

「どうかしたのかい? 悪い夢でも見たのかい?」

 玲太郎は涙を流しながら水伯を見る。

「はーちゃんが……、はーちゃんが……」

 水伯は本を閉じて横に置き、玲太郎の方へ寄った。

「颯がどうかしたの?」

「ううぅ……、うわーぁああ、あーあぁぁ」

 項垂れて号泣するだけだった。水伯は手拭いを顕現させて、玲太郎の涙を拭こうとしたが、玲太郎が目を両手で擦っていて、上手い具合に拭けない。

(これは余程の悪夢を見たようだね……)

 水伯は玲太郎を抱き寄せて、背中をさすっていた。

「はーちゃんが………、ううぅ……、はーちゃんが……」

 うわ言のように繰り返し始め、それが五分も続けば心配になってしまい、擦る手を止めてズボンの衣嚢から容器を取り出して蓋を開け、音石を片手で操作した。

「水伯だよ。このような時間に悪いのだけれど、出て貰える?」

 少しすると颯の声が聞こえて来た。

「どうかしたのか?」

「今、大丈夫?」

「うん、大丈夫」

「玲太郎が悪夢を見たようで颯を呼んでいるから来て貰えるかい?」

「何処? 水伯の寝室?」

「颯たちの寝室ね。お願い出来るかい?」

 颯は返事もせずに瞬間移動で水伯の傍に現れた。

「泣いているのか」

 水伯は振り返ると、音石を操作してから容器の蓋を閉めた。

「来てくれたのだね。有難う」

 颯は容器をズボンの衣嚢に入れると水伯の隣に座った。

「玲太郎、来たぞ。どうかしたのか?」

 その声に顔を上げた玲太郎は、真っ赤になった目から大粒の涙を零した。

「はーちゃん! ごめんなさい、ごめんなさい!」

 喚きながら這って颯の下へ行くと、抱き着いた。

「うんうん、大丈夫。怒っていないからな」

 玲太郎を優しく抱き締めると、玲太郎は颯の肩に顔をうずめて一頻ひとしきり泣くと、そのまま眠ってしまった。

「寝てしまったよ。どうしようか?」

 颯が苦笑していると、水伯が玲太郎の腕を颯から離そうとしたが、離れたくないのか、颯に余計しがみ付くだけだった。

「これは無理だね。玲太郎が脱力するまで、そのままでいて貰えるかい?」

「解った。それにしてもこんな事は初めてなんだけど、何かあったのか?」

 水伯は思わず首を傾げた。

「……これと言って何もないのだけれど、どうしたのだろうね?」

「ふうん、何もないのか……」

「颯と一緒に眠らなくなったから、寂しくなったのかも知れないね?」

 颯は些か渋い表情をした。

「それだけの理由ならいいんだけどな。記憶を消したり、幼児退行したりしているから、それ等が原因の可能性もあるから心配なんだよな……」

「私が眠っている間にあった出来事なのだよね?」

「そうなんだよ。記憶を消した翌日なら解るんだけど、一日置いて幼児退行したからなあ……」

「成程ね。それも一日だけだったのだよね?」

「うん、そう。あれから二ヶ月以上経っているとは言え、何時何があるかが判らないからな」

 そう言って玲太郎の背を擦り始めた。水伯はその手を見て頭を軽く下げる。

「私が不甲斐ないばかりに申し訳ない」

 颯はそんな水伯を見て苦笑する。

「それはなしだって話しただろう? 水伯だって良かれと思って遣った事の結果なんだから仕方ないよ。それに、過去の記憶で確認してみたら、水伯でも気配感知が出来ていないようだったから、そうなると俺にも感知は出来ないだろうしな。それにしても魔力を遮断する呪符を使われて、屋敷の警備に穴を作っていたと聞いた時は驚いたよ。そんな使い方も出来るんだな」

 水伯も苦笑して颯を見詰めていた。

「私は魔石を使っているから道理だなと思ったのだけれどね。……それ以上に親衛隊が警備を疎かにしていた事に驚いたよ」

「ああ……」

 険しい表情で軽く頷いた。

「あれはなあ……、ご愁傷様としか言いようがないな。そう言えば、そいつ等はどうしたんだ?」

「彼等は農奴になったよ」

「まあ、玲太郎がいなければ死んでいた事を考慮すれば、農奴でもぬるいくらいだよ」

「明良にも、あれだけ穴が空いていたら切開して縫わない限り、どうにも出来なかったと言われたよ。玲太郎様様だね」

「まあ、本人は一切記憶にないんだけどな」

 そう言って苦笑すると、水伯は悲しそうな表情になった。

「私の為に、本当に申し訳ない」

「水伯の為じゃなくて、玲太郎の為だからな。水伯が気に病む事はないんだよ。感情を制御出来なかった結果、行った事もない場所へ瞬間移動出来るようになって、記憶を読み取る事が出来るようになって、知らない言語も会得していたからなあ。死体を見ていた筈なのに平然としているし、精神的におかしくなっていたに違いないから、後々の事を考慮すると記憶を消してしまった方が都合が良かっただけだからな。俺も感情の制御が出来ない時はあるから玲太郎の事は言えないんだけど、あの時は感情のままに行動したいと言わんばかりだったからなあ……。まあ、俺もそれをどうにも出来なくて許してしまったから、精神的な負担になるような出来事を、記憶から消してしまいたかったって言うのが本音だな」

「私もそれを実際に見てみたかったよ」

 颯は苦笑した。

「水伯が見られる状況だったら、玲太郎も其処まで怒っていなかったと思うぞ」

「それはそうなのだけれど……」

 少し俯いて伏し目になった水伯を見て、颯は悪戯っぽく笑った。水伯はそんな颯を見ると、颯と目が合った。

「悪い、言いたい事は解っているよ。千里眼で見ていたとしても、玲太郎に話し掛ける事も出来ないし、意図も読めないし、焦れったくなるだけだと思うよ」

「そうだろうか?」

「俺も最初、玲太郎が倒れている男の頭に手を当てていて、何を遣っているのかが判らなかったんだよ。後で記憶を探っていた事が判ったんだけど、見ただけではそんな事を遣っているなんて思いも寄らなかったわ」

「確かに、そのような事は思い浮かばないよね」

「読み取った記憶で見えた人物を辿って行くなんて、俺には到底出来ないぞ」

「ふふ、私にも出来ないよ。玲太郎は不治の病をも完治させてしまうかも知れないね」

 颯は俄に真顔になって頷いた。

「それはあるかもな。悠ちゃんが硬化症だって診断されて余命宣告されたけど、三年くらい生きたのは誰もが驚いた筈だからな。玲太郎が産まれてから不思議な事が増えていたし、あれも玲太郎の影響なんだと思うよ」

「硬化症は診断されてから半年も持てばよい方だものね」

「玲太郎は治癒師よりも薬草師になりたいみたいだから、試そうにも試せないからなあ……」

「玲太郎の事を思えば試す気にはならないのだけれどね」

 眉を顰めて渋い表情をしていると、それを見た颯が苦笑した。

「若しも本当に完治させる事が出来たら大変だもんな」

「そうだね」

 話をしている内に、徐々に玲太郎の腕の力が抜けて行った。颯は玲太郎を寝台に寝かせると、涙の跡も綺麗に消えている頬を撫でた。

「もう大丈夫だろうけど、また何かあったら直ぐに呼んでくれて構わないから」

 立ち上がって水伯を見ると、水伯が颯を見上げた。

「そうするよ。有難う」

 いつもの微笑みを浮かべる。

「それじゃあお休み」

「お休み」

 颯が去ってしまうと、暫く玲太郎の様子を見ていたが、熟睡しているようで安らかな寝顔だった。水伯は安心して読書を再開した。


 翌朝、玲太郎が落ち込んでいた。朝食作りの手伝いをしていたが、手が止まり勝ちだった。

「玲太郎、どうかしたのかい?」

 隣で材料を切っている水伯が訊くと、玲太郎は水伯を見上げた。

「僕ね、昨日はーちゃんを怒らせちゃったの。知ってるでしょ? それでね、後で謝ったんだけど、許してもらってないのよ……」

「颯は怒っていないと言っていただろう?」

「そう? 僕、その辺の事があいまいで良く覚えてないのよ」

 水伯はいつもの表情になる。

「そもそも、颯を怒らせた、という事実はないのだよ。玲太郎が見た夢だね」

「え!? そうなの? ……うん? はーちゃんに謝ったのも夢なの?」

「それは事実だね。私が颯を呼んで来て貰ったのだけれど、颯を見た途端、抱き着いて行って謝罪していたからね」

「え……、夢と現実をごちゃ混ぜにしてたの?」

「そうなるね。兎にも角にも颯は怒っていないし、怒らせるような事もしていないから、玲太郎が落ち込む必要はないという事だね」

「なんだぁ……。そうだったの……」

 納得をしたのか、水伯に笑顔を見せた。

「それじゃあ気にしなくても大丈夫だね」

「そうだね。それでは気を入れて手伝ってね。手を切らないようにね」

「はーい」

 玲太郎は茹でて絞った法蓮草を切っていた。大きな椀に調味料が既に混ざっていて、そこへ切ったを法蓮草入れると混ぜて調味料をえる。

「父上、出来た」

「それでは擂った胡麻があるから、それを入れて、また混ぜて貰えるかい?」

「はーい」

「胡麻が満遍なく行き渡るように混ぜてね」

「分かった」

 玲太郎は調理台の上を見回して、大きな椀が置かれていた近くにあった擂り胡麻を入れてまた混ぜた。水伯はと言うと汁物の材料を切って鍋に入れる動作を繰り返していた。

「玲太郎、玉子焼きは甘い物と出汁巻きと何方どちらがよい?」

「甘いの」

 笑顔で言うと、水伯がそれを一瞥した。

「解った。それではきのこは止めて人参を入れるね」

「うん」

 それでも水伯は出していた茸を切り、汁物の中に入れた。調理台の上になかった人参が突如出現すると、皮ごと切り始めた。

「父上、きちんと混ざったと思うから見てもらってもよい?」

 水伯は手を止めて包丁を置くと、玲太郎の方へ行った。

「どれどれ……。うん、これだけ綺麗に交ざっていれば大丈夫だね。それではこれは置いておいて、桃を切って、皿に盛り付けて貰えるかい?」

 そう言いながら皿を取りに行った。玲太郎は調理台に置かれている桃を見た。

「桃はこれね」

 皿ごと手にすると桃をまな板に二個共置いた。

「一人半分ずつね」

「そうだね」

 水伯が更を手にして戻って来ると、玲太郎の使っている俎板の傍に置いた。

「それでは切り方を説明するからね」

「お願いします」

 水伯は玲太郎の後ろに立ち、玲太郎の右手に包丁を持たせ、自分の左手に桃を優しく押さえると割れ目に沿って刃を入れた。

「割れ目に刃を入れて、種に当たるまで入れるのだよ。当たったらこれを一周回しながら切って……」

 桃を回しながら切って行く。

「一周したら包丁を置いて……。はい、桃の切れ目を真ん中にして、両手で左右を持ってご覧」

「うん」

「それを左右で違う方向へ捻ってご覧」

「左右で違う方向?」

「左手は手前に向けて、右手は奥に向けて捻るか、その逆だね」

「ああ、分かった!」

 玲太郎は桃が潰れないように気を付けながら捻った。

「あ、外れた」

「種が付いていない方を四等分に櫛切りにして、変色を防ぐために暫く塩水に浸けようね」

「はーい」

 それが終わると、水伯が用意した塩水に入れた。

「もう半分には種が付いているのだけれど、先ず切ってからそれを取ろうか」

 玲太郎は手間取りながらも切り、なんとか種が取れると喜びが湧いてきた。

「取れたぁ」

「八千代さんは皮なしだから、皮を剥いてね」

「うん」

 玲太郎が皮を剥いている手際を確認すると、水伯は軽く二度頷いた。

「それではもう一個は玲太郎一人で遣ってご覧」

「うん、分かった」

 水伯は刻み掛けている人参の続きを遣り始めた。刻みながら玲太郎を気にしたが、上手く出来ているようで水伯に声を掛ける事はなかった。


 朝食後、食堂で茶を飲んでいると珍しく颯が遣って来た。

「お早う」

 挨拶をしながら閉扉すると、直ぐ玲太郎に視線を移した。

「お早う」

 最初に挨拶をしたのは水伯だった。

「あれ? どうしたの?」

「お早うございます」

「おはよう」

 颯は玲太郎とルニリナの間の空いている席に着く。玲太郎の前髪を上げて、そのまま頭を乱雑に撫で回した。

「昨夜は夢見が悪かっただろう? どうなっているのかと心配で来てみたんだけど、大丈夫そうだな」

 玲太郎は颯の手を止めると、頭から退けようとしたら、逆に颯に手を握られた。

「そうなの。わざわざありがとう。父上から夢と現実を教えてもらったのよ」

 嬉しそうに言うと、颯も笑顔になった。

「夢を憶えているのか?」

「うん、覚えてる」

「珍しいな」

「言われればそうだね。どうしてだか不思議と覚えてるのよ」

「まあ、夢だと解っているんだったらそれでいいんだけどな。それじゃあ屋敷に戻るわ」

 そう言うと立ち上がった。ルニリナがそれを目で追った。

「今日も仕事ですか?」

「うん、まあ、一応」

 椅子を机に入れながら歯切れの悪い返事をすると、ルニリナを見て苦笑する。

「そうですか。夕食に来ますよね?」

「うん、来るよ。ニーティの手作りご飯、楽しみにしておくわ」

 笑顔で言うと、ルニリナも笑顔になった。

「八千代さんと一緒に腕をふるいますね」

 二人は八千代を見ると、八千代は笑顔で頷いた。

「それじゃあ邪魔したな」

 言い終えた途端に颯の姿が消えた。

「またあいさつ出来なかったのよ……」

 玲太郎が残念そうにした。

「颯も気になっていたのだね」

「悪い事しちゃった……」

「玲太郎はどんな夢を見たの?」

 八千代が訊くと、玲太郎は八千代を見た。

「あのね、はーちゃんとケンカをする夢を見たのよ。それで僕が悩んでたから父上が現実ではーちゃんを呼んでくれたんだけど、僕は夢が現実だと思ってたっていう話なのよ」

 水伯が「ふふ」と笑うと、玲太郎は横目で水伯を一瞥した。

「玲太郎が颯とケンカをするなんて事があるの?」

「夢ではあるのよ。初めてだけど……」

「そうなの。ふふ。何か心配事があって、そういう夢を見たのかも知れないね?」

「僕に心配事? あるの?」

 そう言って水伯を見ると、水伯が苦笑した。

「玲太郎ではない私には解らないよ」

「そうだね……」

「何か心配事があるのかい?」

 逆に訊かれた玲太郎は首を傾げて「うーん」と唸った。

「しいて言うなら、五学年に進級する事くらいだね。魔術がまだ五学年に達してないのと、付与術が大丈夫だろうかっていう心配くらい」

「玲太郎に取ったら小さいようでいて、大きな心配事だね」

「そうなのよ。付与術は小型の水晶が本当に難しくて困ってるんだけどね」

「あれは数をこなすしかないですね」

 ルニリナが穏やかな笑顔で言うと、水伯が頷いた。

「玲太郎は魔力量が膨大だからね。中型の品質を下げて行って慣れると言う手もあるのだけれど、行き成り中型の低品質か、小型の高品質で成功させたいのだよね?」

「そういう訳じゃないんだけど……、今まで高品質で成功したら一段階下げてってやって来たから、小型の水晶をやってるだけなのよ」

「それでは中型の品質を徐々に下げてみますか?」

 ルニリナが言うと、玲太郎は些か渋い表情になった。それを見て水伯が口を開く。

「此処から先は徐々に遣って行った方がよいかも知れないよ?」

「うーん、……それじゃあそうしてみる。でも出来ないような気がするのよ……」

 水伯が柔和な微笑みを浮かべると、玲太郎から渋い表情が消えた。

「後ろ向きは止めたのではなかったの?」

「あ、うん、……そうだね、そうだった」

 悪戯っぽく笑うと頭を掻いた。

「大丈夫だよ。少しずつ遣ればね。焦らず、ゆっくりだよ」

「うん、分かった」

 微笑んだ玲太郎が頷くと、それを見ていたルニリナと八千代も微笑んでいた。

 そういう訳で、早速今日から中型の品質を高品質から少し下げた物にして練習を始めた。これが意外にも三個に一個は成功して、玲太郎を大いに喜ばせた。俄然遣る気になった玲太郎は、いつもは三時間の所を五時間も頑張った。百個連続すれば次へ進んでいるのだが、今日はそこまでは出来なかった。それでも玲太郎の意欲は燃え続けていた。


 たちまちに十八日になり、朝食後、ルニリナが入寮する為にカンタロッダ下学院へ行ってしまった。座学はディモーンに引き継ぎ、明良が治癒術と薬草術の座学の時間を新たに取り、それ以外の魔術系の実技は水伯が引き継いだ。玲太郎が入寮するに前日の二十二日までの間となるが、入学以前に戻った感じで玲太郎は喜んでいた。

「玲太郎はご機嫌さんだね。どうかしたのかい?」

「そう? ご機嫌に見える? 久し振りに父上と長い時間一緒にいられると思ってね」

「ふふ、そうなのだね。しかし、残念ながら授業だからね」

「今日も頑張って魔石作りの練習をやるのよ」

「品質が低い物を作るとなると、何時も高品質の物しか作らない私の練習にもなるね」

 そう言いながら、中型の高品質の魔石と、玲太郎が魔石作りに成功した品質のやや低い中型を手にしていた。

「高品質より少し淡い色だね。ふーむ……」

 両方の魔石を机に置くと、中型の水晶を顕現させ始めた。二十個顕現した所でそれぞれを手にして凝視する。

「うん、品質は少し落ちているようだね。玲太郎もこれで練習を遣ろうね」

「はーい」

 水伯は柔和に微笑んで頷くと、玲太郎が魔石作りに励んでいる正面で水晶作りに励んだ。時折玲太郎に破壊された水晶を纏めて消去し、魔石になった物は木箱を用意して入れて行った。

 休憩を挟んで二時間経過する前に水伯が手を止めた。

「それでは此処までにしておこうか。残りを遣ってしまってね」

「んー」

 集中しているのか、生返事のようだった。水伯は水晶がなくなるまで微笑みながら見ていた。

「あ、終わった?」

 水晶がなくなったのを見て、水伯の方へ視線を移した。

「そうだね。もう二時間になるから魔石作りの練習はこれで終わりだね」

 失敗している水晶を消去してしまうと、玲太郎に笑顔を向けた。

「ありがとう」

「お疲れ様」

「その積んでる箱は何?」

「玲太郎が作った魔石が入っているのだよ。これは騎士団の寮で使うから私が買い取るね」

 思わず目を丸くした玲太郎が視線を木箱から水伯へ移す。

「え! 買ってくれるの? 質はそんなに良くないのに?」

「質は良くないと言っても、高品質にやや劣ると言うだけで大して悪くはないから十分だよ」

「そうだね。高品質寄りだもんね」

「そう。玲太郎のお小遣いに足しておくからね」

 玲太郎はそれを聞いた途端に表情が明るくなった。

「ありがとう! この前、空色の宝石を買って、貯めてたお小遣いも結構使っちゃったからありがたいのよ」

「あの日は天然石を探し求めて移動し通しだったね。思った以上に大きな石になってしまった所為で値が張ってしまったけれど、希望の色を探し当てられて良かったね」

「あれより濃い色か薄い色ばっかりだったもんね。父上が色々なお店に連れて行ってくれたお陰で見付かったからね、この前はありがとう」

「どう致しまして」

 そう言って立ち上がると、積まれていた木箱が瞬時に消えた。

「私はもう行くけれど、ディモーンが来るまで休憩していてね」

「うん、ありがとう。……ありがとうございました」

 笑顔で水伯を見送ると立ち上がって本棚の方へ行った。一冊手に取って、本を眺めている内にディモーンが入室して、玲太郎は慌てて席に着いた。


 夕食後に寛いでから部屋を移動し、明良の授業が始まった。新期が始まる前に復習を遣る為だった。治癒術と薬草術の座学、それに実技も遣る事になっている。玲太郎は実技を難なく遣り遂げたが、度が過ぎて薬草が成長して花を咲かせてしまった。

「こういう風になる事も、玲太郎の場合はあるのだろうね」

 明良が苦笑しながら言うと、玲太郎は申し訳なさそうにしていた。

「僕は植物と相性がよいのかも知れないって父上が言ってたから、それもあるのかもね?」

「それでは魔力を抑えなければならないね」

 隣に座っている明良を横目で一瞥した。

「はい……」

 俯いて小声で返事をすると、明良はそれを見て苦笑した。

「叱っている訳ではないから、気を落とさないでね」

「だって、魔力を馴染ませるだけなのに、魔力を抑えるって、どうやるのか分からないんだもん……」

「そうなのだね」

 明良は玲太郎の左手を取った。

「試しに私の魔力に玲太郎の魔力を馴染ませて貰える?」

「え、あーちゃんの魔力と?」

 玲太郎の手を握っている明良の手を見詰めた。

「出来ないかも知れないよ?」

「玲太郎が植物に遣っているように遣って貰える?」

「うん、出来なくても叱らないでよ?」

「勿論だよ」

 明良が微笑んでいたが、玲太郎はずっと手を見詰めていた。明良の右手に玲太郎の魔力が流れ込んで来た。

「ああ、成程。これは多いね」

 玲太郎が明良を見た。

「多い? 本当?」

 明良も玲太郎を見ると、視線が合った。

「本当だよ。もっと減らせない?」

「減らすってどうやるの?」

「どう遣る……、そうだね、玲太郎は無意識に遣っているようだから、手から流している魔力量を大型の魔石と中型の魔石の中間程度に抑えて貰える?」

「大型と中型の間ね」

 玲太郎は顔を下げて、また手を見詰めた。

(魔石作りは単純に魔力を注ぐだけなのだけれど、こうして馴染ませるとなると、水伯の魔力に馴染ませた事で感覚が狂ってしまっているのだろうか。人の魔力に自分の魔力を馴染ませる事は非常に難しいから、当然と言えば当然か……。それにあれだけの量を一気に馴染ませたのだから尚更だね。記憶を消去したとは言えども、このような形で残っていたようだから、その事に気付けて良かった)

 明良は安堵して笑顔が零れた。

「一気に減らそうとしなくてもよいよ。少しずつ遣ろうね」

「あれ? 分かっちゃった?」

「私の手の中に玲太郎の魔力が流れ込んでいるのだから、当然ながら解りますとも」

「ああ、そうだよね。ふふ」

 明良を見上げた玲太郎がいつになく優しく笑うと、明良はその笑顔を見て、玲太郎に胸を鷲掴みにされた思いがした。抱き締めたい衝動に駆られたが、それは堪えた。

「少しずつって言われても、難しいのよね……」

 また俯いて手を見ながら呟いた。

「今日も父上と魔石作りをやってたんだけど、中型の高品質より少し下の品質でやってたんだけど、五分の三くらい成功出来るようになったんだよね。あれも難しいのよ……」

「五分の三も成功したのならばよいのではないの?」

 首を横に振ると上目遣いで明良を見た。

「百個連続で成功し続けないと達成とは言えないのよ? それを考えたら五分の三なんてダメなのよ」

「自分に厳しいのだね」

「あーちゃんもはーちゃんもそうだったんだよね?」

 玲太郎はいつの間にか顔を上げて明良を見ていた。

「……ああ、そうだね。颯と私は千個だったのだけれどねね。水伯が全部買い取ってくれて、よいお小遣い稼ぎが出来たよ」

「お祖父じい様に売らなかったの?」

「私は水伯に売っていたよ。水伯も欲しかったみたいだからね」

「そうなんだね」

 雑談をしている内に玲太郎の手が疎かになり、明良が苦笑した。

「話は此処までにして、魔力量の調整を頑張ろうか」

「あ、うん、ごめんね」

 玲太郎は慌てて手を見た。俯いている玲太郎の真剣な表情が見られず、甚だ残念な明良は手に流れて来る玲太郎の魔力を感じて微笑んでいた。

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