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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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23/43

閑話 しかしてナルアーは檻の中

 時は玲太郎が遠足へ行った日の二日後まで遡り、五月三日。

 ナルアー家は王宮の直ぐ近くにある貴族街でも、王都にある有名な貴族街でもなく、王都の外れのルオッシ町の、これまた外れにある、多くの新興貴族が住む閑静な貴族街の一角にあった。本邸は然程大きくはなかったが、敷地はその貴族街の中で五指に入る程に広大だ。

 そこでは、デモイス・メルテ・ナルアーを勘当してから、父であるエルービー・イコル・ナルアー公爵の機嫌が良くなる事はなく、特に最近は見るからに苛立たせていた。デモイスの弟であるケイティスが、エルービーと顔を合わせる事はなくなっていて、今日の食事もいつも通り、エルービーと時間をずらして摂り、避けられているエルービーは食後に居室にいたが寛げず、苛立ちながら過ごしていた。

「旦那様」

 そんなエルービーに声を掛けたのは長らくナルアー家に仕えている執事長のウミズハンだった。エルービーよりも年上ではあったが、年齢以上に老けて見えた。

「このような時に申し訳ありませんが、報告をせねばなりません」

「なんだ?」

「スオークが戻って参りません」

 エルービーはウミズハンを見ると視線を伏せた。

「デモイスの従者か。……今頃になってデモイスを捜しにでも行ったか」

「お忘れですか。スオークは預かり物です。戻って来ないなど、絶対に有り得ません」

「そうだったか、預かり物だったか……」

 椅子に座っていても離さなかった杖の握りで机を二度叩いた。

「直ちにお持ちいたします」

 ウミズハンは深く辞儀をすると退室した。上着の腰に付いている衣嚢から容器を取り出し、蓋を開けて音石を操作する。

「私だ。今すぐ居室へ来い」

 それだけを言うと音石を操作して容器の蓋を閉めた。

 呼び出してから五分を少し過ぎた頃、ケイティスが入室する。

「お呼びですか」

「何故もっと早く来ないのだ」

「所用がありまして遅れました」

 エルービーは立ち上がるとケイティスの下へ行き、杖を振り上げて殴ろうとしたが、ケイティスはその杖を握り締めて動きを止めた。

「貴様、私に歯向かう気か!」

 二人は杖を握り、エルービーは身動き出来ずにいたが、ケイモスが涼し気な表情で杖を取り上げた。

「私はもう殴られたくありません」

 怒りで打ち震えているエルービーを尻目に、長椅子に腰を掛けた。

「お話は?」

「デモイスを見付けて連れ戻せ」

「私には仕事があります」

 エルービーは先程まで座っていた場所に戻った。

「お前も閑職に回され、仕事と言う程の仕事をしていない事は知っている。職を辞してデモイスを捜して来い」

「お断りします。仕事を辞めるにしても、その後の事は自分で決めます。第一、兄上を勘当なさったのはご自身ではないですか」

「貴様……、私の言う事を聞かないとどうなるか分かっているんだろうな?」

「謹慎になって早五ヶ月、父上の奪爵も近いと聞き及んでおります。父上が大事になさっていた地位はもうなくなるのですよ。跡を継ぐ必要もなく、父上の顔色を窺う必要もなく、言う事を聞く必要もない。兄上は先に自由の身になり、好きな事をなさってお出ででしょう。私も早い事、そうなりたいものです」

 エルービーの顔が紅潮したその時、扉を叩く音がしてウミズハンが茶を持って入室した。

「ケイティス様もお出ででしたか。今すぐお茶をお持ちいたします」

「いらない」

 透かさず拒否したケイティスは立ち上がると、顔を紅潮させて切歯しているエルービーを見下ろした。

「明日からも中央へ通います。兄上の捜索は、その道に精通している人物にでも依頼なされば宜しいかと。私に行けと言うのは筋近いです。では、失礼します」

 冷たく言い放って足早に退室した。ウミズハンは茶器を机に置き、深く辞儀をすると退室した。エルービーは一人になると、長椅子に立て掛けられている杖を見た。

 ケイティスは自室に戻ると椅子に座り、ズボンの衣嚢から容器を取り出した。蓋を開けて、音石の一つを操作する。

「兄上、ケイティスです。出てくれませんか」

 幾度となく繰り返したが、デモイスが出る事はなかった。アメイルグ騎士団に捕えられているのだから出られる筈もなかった。それを知らないケイティスは、デモイスが勘当されてからも毎日連絡を取り続けていた事もあり、心配で堪らなかった。


 しばらくすると屋敷内が騒がしくなった。複数の足音が聞こえ、ケイティスの部屋も例外なく無作法に扉が開けられた。帯剣し、黒い騎士服に身を包んだ男が三人、扉を開放したままで入室して来た。ケイティスは驚愕し、振り返るなり口を開く。

「お前達はなんだ!?」

「ケイティス・アダマル・ナルアーだな?」

 三人はケイティスを囲むように立ち止まった。ケイティスは険しい表情になる。

「そうだが、お前達は誰だ? どこの所属だ?」

「答える義務はない。付いて来てもらおうか。無理やり連れて行ってもいいが、どうする?」

「……従おう」

 そう言うと大人しく立ち上り、先導する男に追従した。後の二人はその後ろを歩く。エルービーのみならず、使用人全員が連れ出される事となった。

 エルービーが謹慎になってから、使用人の数が半減していた事もあり、窓のない陸船が一台停まっていて、席は半数以上が騎士で埋められていた。窓がない為、景色を見るには正面の窓しかないのだが、通路側には騎士が座っていて見ようにも見られなかった。

 出発する前に目隠しをされるとおか船が動き出した。


 それからどれ程の時間が経ったのだろうか、陸船が停止しても目隠しは外されず、隣に座っていた騎士に誘導されながら陸船から降り、腕を持たれて歩かされる。建物の中に入り、一人ずつ牢に入れられた所でようやく目隠しを外された。

「ここはどこだ?」

 ケイティスは若い騎士に問い掛けたが、騎士が答える事はなかった。

「もう遅いから早く寝ろよ。当分はここにいてもらうから」

「それなら弁護士を呼んでくれ」

「それは出来ない相談だ」

「明日は仕事があるんだ。休むと連絡させてくれ」

「それも無理だ」

 騎士は鉄格子の扉を閉めると鍵を掛けて去って行った。ケイティスは約四畳しかない牢の中を改めて見回した。幅の狭い寝台、草臥くたびれた寝具、衝立が置かれている奥の角には掃除苔の入った桶があり、尻拭き用の葉が用意されている。ケイティスは大きな溜息を吐くと、寝台に腰を下ろした。


 翌日、朝食が済んで小腹が空き始めた頃、騎士が二人遣って来た。昨日と違う制服を着ていて、違う部署であろう事が推察出来る。鉄格子の扉が開くと両手に拘束具を着けられ、指示されるがままに歩いて行く。

 個室に入れられると既に三人が座っていて、机の奥の椅子に座らされた。この部屋には窓があり、日差しで部屋が明るい。ケイティスはそれだけで少し安心し、机に落ちる自分の影を見ると心が和らいだ。

 座っている三人はケイティスの前に二人、入り口付近に一人が座っていた。

「それではまずは名前から聞こうか」

 前に座っている内の一人が言うと、ケイティスは頷く。

「ケイティス・アダマル・ナルアー」

「性別」

「男」

「住所」

「ロデルカ市ルオッシ町コマミ南区ライゴノ通り五の二」

「生年月日」

「星暦二千百九十三年八月二十三日」

「年齢」

「二十三歳」

「職業」

「公務員」

「職場」

「環境省公園管理課」

「父親の名前」

「エルービー・イコル・ナルアー」

「母親の名前」

「シジル・サウワー・カナテモ」

「兄の名前」

「デモイス・メルテ・ナルアー」

「姉の名前」

「いない」

「弟の名前」

「いない」

「妹の名前」

「いない」

「母親は別居か?」

「離婚したから当然別居」

「デモイスの居場所」

「知らない」

「コンラサルビ・ダンジャー・スオークの居場所」

「知らない」

 質問している男が書き取りをしている男の手元を一瞥すると、ケイティスに視線を戻した。

「何故捕まったのか分かるか?」

「分からない」

「即答しなくてもいいんだぞ」

「ゆっくり考えても思い浮かばないと思う」

「そうか。私の事はクキャと呼んでくれ」

「『名なしクキャ』ね、分かった。所で今は何時なんだ?」

 クキャは腕時計を見る。

「十時八十三分だ」

「ありがとう」

「何故ここに連れて来たかと言うと、デモイス・メルテ・ナルアーとスオークが、何者かに連れ去られた。ちなみにこの監禁は保護の意味もある」

「何者とは?」

「思い当たる節はないのか?」

「兄や父だけなら分かるけど、スオークが入ると分からくなる」

「兄や父なら何が思い浮かぶんだ?」

「チルチオ教」

「それ以外は?」

「ない」

「君はチルチオ教なのか?」

「私は違う。兄が私の入信はしなくても済むようにしてくれていたから」

 クキャは眉をしかめる。

「何故?」

「……両親の離婚の原因がそれだからだろうと思う。貴族は基本的に長子が継ぐものだろう? それもあったのではないかとも思う。とにかくチルチオ教に近付かないようにしてくれていたんだよ」

「デモイスは勘当されて、君が継ぐ事になったのに?」

「父には、チルチオ教に入信しないと継げないのなら継ぐ気はないと言ったよ」

「それで継げるのなら継ぐと?」

「入信しなくてもいいのであれば継ぐだろうけど、本当に継ぐ事になれば、爵位を返上して平民に降るつもりだけどね」

「そうなのか。貴族令息だから当然貴族でいたいのかと思ったが、そうではないんだな」

「貴族と言っても文官貴族で領地もないからね。父は兄に対して熱心に教育を施していたけど、私にはそれ程はしてくれなかったから、公務員になれても上を目指す気にはなれなくて……」

「成程ね。貴族でいる事に執着していないと……」

「そうだね」

 クキャが書き取り具合を確認する為に見ると、ケイティスは書き取っている鉛筆の動きを見ていた。

「さっき、スオークが入ると分からなくなると言っていたが、スオークがさらわれる理由は全く思い当たらないか?」

「スオークは兄の従者で、私とは親しくなかったから、どういう人物なのかも知らない」

「いつからデモイスの従者をやっている?」

 ケイティスは首を傾げた。少し黙考してクキャを見る。

「いつだったか、明確には思い出せない。いつの頃からか兄の従者になっていた、という程度しか思い出せないね」

「スオーク姓はあっても、貴族でスオーク姓はないんだよ」

「え? そうなんだ……。幼い頃からいたから、貴族だと思い込んでいたよ」

「何故貴族だと思い込むんだ?」

「一応高位貴族だから、うちで働いている人は平民が一人もいないと……、そう執事から聞いていたんだけど、違ったんだね」

「執事とは?」

「ウミズハンとか、ケセニンとか、もう辞めたけどデダーマとか」

「デダーマ?」

「名前までは覚えていないけど、私が幼い頃にデダーマと言う執事がいたんだよ」

「それ以外にいた執事で覚えているのは?」

「そうだね……、ウミズハンの父親だね」

「それ以外には?」

「ジサンカンだったか、ニサンカンだったか、そんな名前の人もいたと思う」

「もう辞めた使用人で覚えている者はいるか?」

「いない。執事以外とは滅多に会わないから名前も知らない」

「全然?」

「後はスオークくらいだね」

「そうか。君に従者はいなかったのか?」

 ケイティスは鼻で笑った。

「兄には護衛も付いていたよ。名前は知らないけどね。私には従者も護衛もいなかった。私に対する父の評価がそれで分かるだろう?」

 クキャは書き取りしている男の手元をずっと見ているケイティスを暫く無言で見詰めていた。ケイティスはそれから雑談には応じたが、質問には答えなくなった。


 それから何日が経っただろうか。ケイティスは毎日同じ事を訊かれ、日にちが判らない程に記憶が曖昧になって来ていた。クキャに訊けば答えてくれるだろうが、訊く事はなかった。

 今日も今日とて雑談にのみ応じ、それ以外は貝になっていたが、クキャが突然奇妙な提案をして来た。

「デモイスの行き先を教える代わりに、こっちの質問に答えないか?」

「兄の行き先を知っているのか……」

 そう言いながらも、クキャの言を聞いた途端に気持ちが萎えてしまっていた。それが表情に出ていたようで、クキャが苦笑した。

「いや、なんでもない。聞かなかった事にしてくれ」

 ケイティスは露骨に不機嫌な表情になる。

「もう話す事は話した。それ以上は何も答えられない」

 これ以降は雑談にも応じなくなった。

 毎日三食、日に一度だけ取調室と牢の往復をし、それ以外は草臥くたびれた寝具の上で過ごした。取調室では話す事もなく、クキャが話している事も聞き流し、気が滅入り始めて陰鬱とした日々を過ごしていた。


 ある日の夜中、話し声が聞こえて来てケイティスは目を覚ました。

「お前がエルービー・イコル・ナルアーか?」

「見ての通り違う」

「うーん、ナルアーを連れて来れば一発だったのになあ……」

 大きな独り言が聞こえて来て、耳を疑った。

(ナルアー? 今、ナルアーと言ったか?)

 ケイティスは思わず起き上がり、急いで靴を履いて鉄格子に寄った。

「私はケイティス・アダマル・ナルアーと言う。デモイス・メルテ・ナルアーの弟だ。頼む、私を兄の所へ連れて行ってくれないか」

 何度となく言い続けた。漸く来た颯はケイティスの前まで来ると、小さな光の玉でケイティスの顔を照らして凝視した。

「お前、煩いな。……顔はナルアーと似ていると言えば似ているような気がするけど、似ていないと言えば全く似ていないな?」

 明りでケイティスの翠眼が潤んで見えた。

「兄は父方の祖父似で、私は母似なんだ。だから兄は金髪碧眼だけど、私は茶髪に緑の目なんだよ」

「ふうん……。まあ、だからと言ってお前がナルアーの弟だとは信じられないけどな」

「もし連れて行って違っていたら殺してくれて構わない。だから頼む。一緒に連れて行ってくれないか」

「それじゃあ訊くけど、エルービー・イコル・ナルアーの信仰している宗教は?」

「チルチオ教」

「教派と派閥は?」

「聞いた事がない」

 颯は鼻から軽く息を吐いた。

「それだと話にならないなあ……」

「それでは兄の事を聞いてくれないか。それだとまだ答えられると思う」

「訊いても同じだろう。答えられないと思うけどな」

「兄には、左の肩甲骨の辺りにホクロがある」

 必死に食い下がるケイティスの表情を見て、颯は困惑した。

「いやいや、そんな事は知らないから、言われても判らない」

「父を連れて行きたいのなら、私が父だと証言出来る」

「いや、だからそれ以前にお前が弟かどうかが判らないからな? エルービー・イコル・ナルアーの顔写真は一応あるんだよ。ナルアーに念写をさせたからな」

 そう言ってそれを見せると、ケイティスは失笑した。

「あはは、それは父ではないよ。執事のウミズハンだね」

 颯は驚いて目を丸くした。

「えっ、これは執事なのか? でもこの顔の奴も此処ここにいるよな?」

「どうだろう? 連れて来られた時は同じ陸船に乗っていたけど、この建物に一緒に入ったかどうかは、目隠しをされていたから分からないよ」

「ふうん……。えー、何故執事の顔を念写したんだ? 父親を念写しろと言ったのに……」

「そういう場合は、エルービー・イコル・ナルアーを念写しろと言わないとね」

「ああ、成程、そういう事か」

 即座に理解した颯は顔が念写されている方を自分に向け、暫くそれを見詰めていた。

「いいだろう。お前も連れて行こう。弟でなければ死んで貰うけど、本当にそれでいいな?」

「弟だから死なずに済むよ」

 自信満々で言うと、鼻で笑った颯が横に向いて奥へ向かい、その瞬間に格子の扉が開いた。ケイティスは廊下へ出て、颯に付いて行く。

「ここへどうやって入ったんだ?」

「どうって、警備員を眠らせて正面から」

 そう言って鉄格子の前で止まる。

「これが父親か?」

 眠っている男の状態が起き上がり、その直ぐ傍に光の玉が顕現した。寝顔だったが明瞭に見える。

「違う。見た事もないね」

「此処が最奥だから、続きは戻らないといけないな」

 眠っている男を横たわらせて光の玉を消すと歩き出した。

「この建物は何階建て?」

「三階だったな」

「ここは一階だよね?」

「うん、一階。二階の前に一階も全部見て貰おうか。お前とさっきの男を合わせて八人いたからな」

「分かった、見よう。それにしても私の事を拘束しないでいいの?」

「別に構わない。俺は強いからな」

「そう……。それにしても隣り合わせで人を入れていないんだね」

「そうだな、牢に余裕があるんだろうな。……こいつはどうだ?」

 また眠っている男の上体が起きて、顕現した光の玉で顔が照らされる。口が塞がれていたが、ケイティスには見覚えのある顔だった。

「これがウミズハンだよ」

「えっ、そうなんだ。この念写と違うぞ……」

「口が塞がれていて見えないからだろうね。それと髪型が若い頃のだよ」

「若い頃、な……。取り敢えずこいつも連れて行くか」

 扉が開いて、眠っているウミズハンが浮いて出て来た。

「触ったらお前を拘束するからな」

 そう言うと歩き出した。

「分かった。触らないでおくよ」

 ケイティスは大人しく後ろを付いて行く。更にその後ろをウミズハンが浮いて付いて来ていた。大人しくしているケイティスは、この状況に心を躍らせていた。

「ちょっと聞いていい?」

「何?」

「今日は何月何日のどの曜日?」

「今日は六月十七、はもう終わったか。十八日になった所で、日の曜日だよ」

「ありがとう」

日日ひにちも曜日も判らなくなっていたのか?」

「そうなんだよ。捕まって一ヶ月半も経つんだね……」

「そんな事より、これを見て」

 牢の中の起きている男を見ると、ケイティスは首を横に振る。

「違う。こんなに若くない」

 颯は即座に次へ向かう。ケイティスは離れないように付いて行く。


 結局三階まで行き、そこでエルービーを見付けると、何事もなかったかのように正面玄関から建物を出た。

「面倒だけど仕方がないか……」

 颯がそう呟くと少し大き目の箱舟が顕現した。

「後ろに乗って」

「分かった」

 ケイティスは操縦席の後ろに、颯は操縦席に乗り込む。眠っている二人は最後部の座席に並んで座った。頭を前に倒している。箱舟が上昇し出すと、ケイティスは何も嵌め込まれていない窓から顔を出し、下を覗き込んで景色を見た。月明りで先程まで居た建物が森の中にある事が判り、静かだった事に納得をした。

 そこから先は瞬く間で、箱舟がどこかの建物の前に着くと颯が先に降りる。

「付いて来て」

 慌ててケイティスも降り、颯の傍まで早足で歩いた。建物に入った所で制服を着た男が二人、颯に向かって辞儀をする。更に奥へ行くと、もう二人の男がやはり颯に向かって辞儀をした。空いている牢に二人を次々に入れ、二階に行くと空いている牢の前で足を止めた。

「今日からこの牢に入って貰うから。起きたらデモイスに会えるようにしておくよ」

 そう言いながら鉄格子の扉を開ける。

「あ…、ありがとう。所で、私がさっきまでいた建物はどこの持ち物なんだ?」

「王宮騎士団だ。此処はアメイルグな。向こうの方が良かっただろうけど、お前が望んだ事だから諦めろよ?」

 ケイティスは中に入り、颯の方に体を向ける。

「……アメイルグと言うとウィシュヘンド州か。とにかく、犯罪者になってしまっていても、兄に会えれば私はそれで構わない……」

 込み上げてくる物を必死で堪えた。颯は何も言わず、扉を閉めると施錠をして去った。


 翌朝、目が覚めると両手首に違和感があり、見てみると布製の帯が着けられていた。それは肌に密着していて、取ろうにも取れる物ではなかった。

(取れない。まぁいいか、取れなくても。……それにしても王宮騎士団の牢と似たような牢だけど、寝具の肌触りが全然違う……。寝台も少し広くなった程度だけど気にならなかった。久し振りに良く眠ったなぁ……)

 溜まっていた疲れが取れていて、気分も上々だった。この牢には王宮騎士団の牢と違って洗面台があり、傍の鉄格子に手拭いが掛けられている。

(魔術を使えば済むだろうから必要ないだろうに……)

 顔を洗浄魔術で綺麗にしようとすると、魔術が使えなくなっていた。起き上がって再挑戦するも、やはり魔術が使えない。ケイティスは落胆すると脇に座り、足を下ろして靴を履いて洗面台へと向かった。

「起きたのか。それではお前の兄を連れて来てやるよ」

 顔を洗っているケイティスの姿を見た騎士がそう言うときびすを返した。顔を洗っている水音で、何を言っていたのかは聞き取れなかった。

(今のはなんだったんだろう? 朝食でも持って来てくれるのだろうか?)

 手拭いで顔を拭き、寝台に座って朝食を待つ事にした。足音が聞こえて来ると些か身構えた。鉄格子の向こうに現れたのは、デモイスだった。

「あ……兄上! 連絡が取れなくて心配していたんです」

 鉄格子に掴まり、デモイスの顔を見る。デモイスはケイティスを見て呆然としていたが直ぐ我に戻る。

「な、何故だ!? 何故ケイティスがここにいる!?」

 隣にいる騎士に顔を向けた。騎士はケイティスを見たままで口を開く。

「ハヤテ様が連れて来られたと聞いた。話したいようなら話させるようにとも言われているから、今なら話せるぞ」

「ありがとう」

 礼を言ったのはケイティスだった。デモイスは険しい表情でケイティスを見ていた。

「ケイティス、帰れるなら帰れ。お前はチルチオ教徒ではないから関係ないんだぞ?」

「父上と兄上がチルチオ教徒だから、そう言っても信じてもらえないんだよ」

「そう…なのか……。でも何故ここにいるんだ?」

「多分ハヤテ様と言う人が私の入っていた牢のある建物に来て、父上を連れて行こうとしていたから、私も連れて行ってくれと頼んだんだよ」

 デモイスが眉を顰める。

「馬鹿だな……」

「王宮騎士団で捕まっているか、アメイルグで捕まっているかの差しかないからね」

「ここは自白薬を使うんだぞ。私もいつ気が触れるか知れないからな。……それで、父上も来ているのか?」

「来ているよ。私が確認して一緒に来たから間違いないよ」

「そうか……。ケイティスは帰れるようなら帰れよ?」

「兄上は自分がどうなるのか、知っているの?」

「いや、知らない。でもじっ中八九は農奴になると思う」

「そう……。それでは帰れたら帰って、兄上の帰りを待つよ」

「ケイティスはケイティスの道を歩け。私の事に構うな。平民になっても挫けずに頑張れよ?」

 話を終わらせようとしているのが騎士に伝わったのか、騎士がデモイスに顔を向けた。

「まだ話しても構わないよ。朝食まで時間があるからな」

 それを聞いてケイティスが微笑んだ。

「ありがとう」

 デモイスは決まりが悪くなり、渋い表情をしていた。ケイティスは気にせず、口を開いた。

「五月の初め頃に王宮騎士団が来て、屋敷にいた全員が捕まったんだよ。それで一ヶ月半も牢にいたんだけど、昨夜ここに来て、兄上に会わせてくれる事になったんだ。半信半疑だったけど、会えて本当に良かったよ」

 牢にいる事を丸で気にしていない様子で、デモイスは気が抜けた。

「五月の初め頃なら私と似たような物だな」

「そうなんだ。王宮騎士団は兄上の行方を知っていたような口振りだったよ」

「尾行されていたのか……。巻いていたつもりだったんだけどな……」

「所でハヤテ様と言う人は、アメイルグの騎士団でも偉い人なの?」

「アメイルグ公爵の弟だ」

 それを聞いてケイティスの顔色が曇った。

「えっ、そうなの? 馴れ馴れしい口調で話してしまったよ……」

「あいつはそういう事は全く気にしないよ」

「そうなの? なら、不敬で殺される事はないね」

 ケイティスは安心したのか、表情がまた柔らかくなった。

「まだ十ろくしちの筈」

「私より若いの? そうは見えなかったよ……」

「昔、大精霊の寵児と新聞で持てはやされていた本人だよ」

「覚えていないよ、そんな事」

「そうか。バハール殿下がどれだけ頑張っても到底敵わない程だよ」

「そんなに凄いんだ? 昨夜王宮騎士団の牢からここまで移動するのにそんなに時間が掛からなかったけど、それも凄さの一端だったんだろうか?」

「王宮騎士団の牢がどこにあるのかも知らないから、私にはなんとも言えないな」

「それもそうだね」

 そう言って「ふふ」と笑った。ケイティスは和やかな雰囲気を醸していたが、デモイスは終始険しい表情をしていた。

「ケイティス、先程も言ったが、帰れるなら帰って、お前だけでも幸せになってくれないか」

「ナルアー家に生まれた時点で、幸せとは程遠い所にいる人生が決定してしまっているから、もう諦めているよ」

 そう言いながら見せた笑顔が爽やかで、デモイスは眉間の皺を更に深くさせた。

「先に帰れたら、兄上の戻ってくる場所を作っておくよ。安心して帰って来てね」

 兄の切実な願いを聞き入れる事はなかった。

「お前という奴は……」

 軽く溜息を吐くと苦笑する。

「待てなくなっても私は構わないからな?」

「外見は軟弱だけど、意志は固いからね。きちんと兄上の帰りを待っているよ」

 デモイスは騎士の方に顔を向けると、騎士が二人を交互に見る。

「もういいのか? まだ大丈夫だぞ?」

「いや、もういい。牢に戻してくれ」

「分かった」

「兄上、またね。体に気を付けて。ずっと待っているからね」

「ケイティスも元気でな」

 ケイティスは名残惜しそうに、デモイスの後ろ姿が見えなくなっても、足音が聞こえなくなっても、何もない廊下を見ていた。


 それから数日に亘り、ケイティスは日に四度の食事を美味しく頂き、毎日違う騎士に二時間程度の尋問をされ、雨天でなければ外にある運動場へ出て、暇潰しに読書までさせて貰え、何事もなく快適に過ごしていた。

 夕食後に歯磨きの魔術を掛けて貰ってから、通路側にある照明の明かりを頼りに、鉄格子に寄り掛かって読書をしていると颯が遣って来た。

「元気か? 今日はお前の番だぞ」

 そう言うと開錠して開扉した。

「会えて良かった。連れて来てくれてありがとうとお礼を伝えたかったんだ」

「そう決め付けてしまう事は良くないな。良かったのかどうかはまだ判らないんだからな」

 颯が先に歩き出すと、ケイティスは後ろを付いて行く。一階に下り、颯がとある部屋の前で足を止めると開扉し、先にケイティスを入室させた。

「薬草棚? 自白薬なんて使わなくても嘘は言わないのに……」

 落胆して言うと、颯は鼻で笑った。

「お前がどう思っているかはどうでもいいんだよ。俺はお前を信用していないからな」

 そう言われ、益々落胆した。

「奥に座って」

「はい」

 大人しく従い、椅子に腰を下ろす颯を見た。

「今日が何日か聞いてもいい?」

 毎日朝食を届けに来る騎士に日にちを聞いていて知っていたが、ケイティスは何気に聞いてしまった。

「七月四日、星の曜日だよ」

「ありがとう」

 颯は机に置かれている書類を手にすると、それに目を通し始めた。それが終わるまでに明良が入室し、薬草棚へ直行する様子を見たケイティスは身構えた。明良は直ぐに着席し、水の玉を一個だけ浮かべていた。

「ケイティス・アダマル・ナルアーで合っているね?」

「合っています」

「非常に協力的で素直に答えていると聞いているのだけれど、既存の自白薬を使うね」

「はい……」

 デモイスから聞いていた事もあって、その時が来ると意外と素直に受け入れられた。顔が自分の意思を無視して上を向くと、水の玉が口の中に入って来た。それは意外にも温かく、些か甘味を感じた。喉を通って胃に落ちると解放され、顔を下ろす事が出来た。麗人に見える明良を見ると、颯の持つ書類に視線を遣っている。

「お前、チルチオ教徒じゃないんだな?」

 颯が訊くと、ケイティスは思わず頷き、颯に視線を遣った。

「そうだよ。父は兄がいればそれで良かったみたいで、私はまぬかれていたんだよ。兄のお陰でもあると思っているけどね」

「ふうん、そうなんだな」

 颯はまた書類に視線を移した。

「連れて来るんじゃなかったなあ……」

「それはよいのではないの。ナルアーも素直になったのだからね」

 颯は明良の方に顔を向けた。明良と目が合う。

「でも言う程の情報は持っていなかったんだろう?」

「それはそうなのだけれど、団員達が扱い易くなったから手間も省けて良かったと思うよ」

「そっちかよ」

 苦笑するとまた書類に視線を移した。暫く黙読していたが最後まで読む事はなく、書類を机に置いた。

「本当に情報と言う程の情報がなかったな。こいつはさっさと帰そう」

 明良の方を見て言うと、明良はケイティスを見て頷く。

「明日は泊まって貰って、明後日にはね」

「え? もう帰ってもいいの?」

「もうって……、十日くらいいただろう? 情報量にしてみたら居過ぎだよ。兎に角、これが終わって、二泊してからになるだろうけどな」

 ケイティスは戸惑った。

「王宮騎士団に目を付けられているだろうから、私をもう少し置いてもらえないだろうか?」

「お前が王宮騎士団に捕まろうが捕まるまいがどうでもいいんだけどな」

「今度捕まったら、いつ解放されるか分からないから頼むよ」

 素っ気ない颯を見ながら切実に言うと、丸で興味のなさそうな颯は首を横に振った。

「捕まった時は俺に連れ去られた事を正直に言えばいいよ。信じて貰えるかどうかは判らないけど、まあ、どうにかなるだろう」

うちがデモイスとスオークを捕えた事を知っていたようだし、連れ去ったのも家だと解っていると思うのだけれど、それは推測の域を出ないだろうから、此処で明示してもよいね」

「私はここにいたい。いさせて欲しい」

「駄目だ」

 颯が即答すると、ケイティスは真顔を崩して悲愴な表情になった。

「出来れば王宮騎士団が私を諦めるまでいさせて欲しい。なんでもするから頼む」

 そう言って頭を下げた。明良と颯は顔を見合わせると、二人してまたケイティスを見る。

「文官に出来る事と言えば書類仕事だよね。必要ないのだけれど…」

 明良はそこまで言って沈思し始めた。颯が明良を見ると、ケイティスも明良を見た。

「書類仕事ではなくても、肉体労働でもなんでもやるからお願いします」

 そう言ってまた頭を下げた。明良が顔を上げてケイティスを見る。

「お前はデモイスの居場所になりたいのだよね?」

 ケイティスは頭を上げると笑顔になっていた。

「そうです」

「成程。それならばいさせてもよいけれど、農奴のいる一村を任せるというのはどうだろう。其処そこへデモイスを送るから、一緒に暮らせばよいね」

「本気かよ?」

 颯が驚くと、ケイティスは呆然としていた。暫くして我に返る。

「え……、えっ!?」

「言っておくけれど、此処より更に北に位置するから、夏は白夜、冬は極夜になる。それに特殊な薬草の栽培になるから一生村から出られなくなる」

「兄はそんな重罪を犯したの?」

 ケイティスは表情を一変させ、険しい表情になっていた。颯が頷く。

「俺の体を乗っ取ろうとしていたからな。まあそれは未遂とは言え、遣る気でいたのは確かだし、何より王弟殿下を玉座に就かせる積りでいたから、それでもう外には出られないんだよ」

さん奪を狙っていたと? ……バハール殿下にそこまで入れ込んで……。ああ、本来なら死罪だね……。それなのに生かしておいてもいいの?」

「まあ、未遂で終わっているし、簒奪はどうでもいいし、農奴にして北の農園に閉じ込めれば死んだも同然だからなあ」

「お前はどうしたいの? 一生出られなくてもよい覚悟はあるの?」

「ある」

 即答したケイティスに冷ややかな視線を送る明良が些か眉を寄せた。

「お前はもう少し考えてから答えなさい」

「自分で提案しておきながらそれはないんじゃないのか」

 颯が苦笑しながら言うと、ケイティスが穏やかな表情で明良を見ていた。

「農奴を使う程だから相当きつい仕事なんだろうと想像に難くないけど、兄がいるならそれでもいいと思えるから構わないよ」

 明良はケイティスの清々しい表情を見て、何故か苛立ちを覚えた。颯が真顔になり、両肘を机に置いて、前のめりになる。

「お前、兄貴に相当依存しているな? 治そうか?」

 明良は颯に顔を向ける。

「これはこれでよいのだよ。治りたいとも思っていないだろうからね」

「そう? 俺は治した方がいいと思うんだけどなあ。治して自立するのが一番だぞ」

 颯はケイティスに笑顔を向けて言った。ケイティスは小さく首を横に振った。

「治す必要はないよ。私はこのままで十分だからね」

「ふうん……。それならいいんだけど」

「ね? 言っただろう?」

 明良はいつも通りの無表情なのに声色が弾ませていて、颯のしゃくに障った。姿勢を元に戻して横目で明良を見た。

「それはさて置き、本当に一村任せるのか?」

「後継者不足で困っていたから助かるのだけれどね。中央の文官をしていたのならば十分だろう。ナルアーもお勉強は出来るのだろうから、弟の補助を難なくこなせると思いたいね」

「只の思い付きにしてはナルアー兄弟に都合が良過ぎるだろう?」

 今度は明良にしっかりと顔を向けて言うと、明良は颯からケイティスに視線を移した。

「それはどうだろうか。弟は何もしていないのに縛られるのだよ? それも残りの生涯という長さなのだからね」

「お前は本当にそれでいいのか?」

 眉を顰めた颯が訊くと、ケイティスは即座に頷いた。

「構わないよ」

「弟がお目付け役でいればあっ計を巡らす事もないと思うのだけれど、そう思うのはやはり甘いだろうか?」

「まあ、次に何かがあったら、その時に首をねれば済む話ではあるけど……、兄貴の好きにすればいいんじゃないのか?」

 ケイティスは、兄貴という言葉を聞いて驚愕した。しかし、二人は顔を見合わせていてそれに気付かなかった。

「俺は正直な所、重度の依存症だから二人を離した方がいいと思うんだけどなあ」

「兄は確信犯だけれど、弟は犯罪者ではないのにも拘らず、健康であれば約四十年は北の農園に監禁という事を踏まえれば、それ程度の褒美があってもよいと思うのだよね」

「褒美! 認めちゃったよ……」

 颯が顔を歪める。

「駄目だった?」

「兄貴がいいならそれでいいんだけど、……うん、まあ……、いいのではないでしょうか」

「そう。それではそうしよう」

 明良がケイティスに顔を向けると、笑顔で二人の遣り取りを見ていたケイティスの表情がにわかに引き締まった。

「詳しい話は明日以降にしよう。まだ自白薬の効果が表れないようだから、もう少し待とうか」

「そうだなあ、即効性の割には効きが遅いからな」

「あの、……既存の自白薬は精神が破壊されるのではなかったの?」

「破壊されない時もあるけど、高確率で破壊されるな。まあそうなったらなったで治すから大丈夫」

 ケイティスは神妙な面持ちで沈黙した。

「お前、自分の兄貴に会ったんだろう? 自白薬を何度も使ったけど以前と何処かが違っていたか?」

「……それは、同じ…だったけど……」

「まあ、もう投薬しているから、今更気に病んでも手遅れだぞ」

「暴れて拒否しておけば良かったよ……」

 颯は項垂れたケイティスを見ながら頬杖を突くと鼻で笑った。

「そんな事が出来る立場じゃないだろうに。まあ、何を遣っても無意味なんだけどな」

「治療も手馴れているから安心してよいよ」

「それだけ投薬して来たという事なんだね?」

 上目遣いで二人を見ているケイティスに笑顔を見せた颯が頷いた。

「そういう事。……お前がどう思おうが勝手だけど、見ての通り、清廉潔白ではないからな? 王宮騎士団の牢に侵入して罪人をさらって来るような人間なんだぞ?」

 ケイティスは改めて言われ、それも本人からだった事もあって余計に落胆した。


 朝からケイティスは記憶の抜け落ちた一昨日の事を、頭を抱えて思い出そうとしていた。何をどう思いを巡らせても、記憶は一つも蘇って来なかった。そこで昼食を持って来た騎士に一昨日の事をたずねた所、「自白薬を使われたんだろうな」と言われただけだったが、その言に衝撃を受けた。それでも昼食は残さずに確りと摂った。

 今日は薄曇りだったが雨天ではなかった為、十六時に運動場に出る事になった。ケイティスは歩きながら物思いにふける。

(昨夜はハヤテ様と話して、来週の北の農園へ行く陸船に乗せられて移住する事が決まった。農奴落ちした罪人が順次送られてくると言う話だったけど、私みたいな人間がやって行けるのだろうか……。それが心配だけど、兄上がいるから頑張れる、……と、思いたい……。それにしても、兄上が大それた事をやろうとしていたと聞かされた時は信じられなかったなぁ……。そのせいで一生外に出られない事には納得出来たけど……。兄上が外に出られないなら、私が兄上の傍へ行くしかないよね。今までの借りを返す為に、私が兄上を手助けしなくてはいけないんだから、しっかりしないと、だね)

 足取りが軽くなったが、ふとある疑問が湧いた。

(そう言えば自白薬って、精神が破壊されるんじゃなかった? 私は運良く助かったのだろうか? でも丸一日の記憶が飛んでいるから、それが副作用という事なんだろうか? 何をしていたか全然思い出せないし、日が一日飛んでいる事は確かなんだよね……。こんな事ってあるんだろうか……。実際こうなっているんだから、あるんだろうなぁ……。丸一日の記憶がない以外に何かを忘れていても、思い出せないから忘れている事が何かも分からないなぁ……。それも致し方なし、だね……)

 振っ切ろうとしたが次第に足取りが重くなり、雲の隙間から見える青空を仰ぎながら徐に歩いた。それでも近い内に来るであろう兄との穏やかな生活を想像すると、足取りとは裏腹に心は軽くなった。

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