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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第十三話 しかして世間を知る

 玲太郎が入寮する九月二十三日になり、持って行く荷物は革製で大き目の旅行鞄一個と背嚢一個で、それ等は玄関広間に置かれていた。そして、その荷物の持ち主はと言うと、水伯と共に図書室にいる。

「どうせ来週末には帰って来るのだから、そんなに持って行こうとしなくてもよいのではないのかい?」

「うーん…、そうだね。勉強もしなきゃいけないし、二冊にしておくね」

 手に持っていた内の一冊を本棚に戻した。そして横にいる水伯を見上げた。それに気付いた水伯は三冊の本を玲太郎に渡す。

「ありがとう」

「どう致しまして」

「それじゃあ、そろそろ行く?」

「そうだね。十七時を過ぎているから行こうか」

 水伯は先に歩き出して開扉すると玲太郎に顔を向けた。取っ手に手を置いたまま、玲太郎に部屋から出て貰うと後ろ手で閉扉する。二人は廊下を歩き、階段を下りると荷物のもとへ行く。玲太郎は背嚢のかぶせを開けると本を入れた。

「週末に帰って来るとは言えども、皆に挨拶はしたのかい?」

「うん、した。……父上ぇ、もうこれで五度も同じ事を言ってるからね? 五度だよ? 五度」

 手を開いて上へ突き出し、水伯に見せる。

「そう?」

「そうなのよ。後はね、教科書は五学年までのを注文してあって、寮の部屋の机に置かれているからっていう話と、荷物は背嚢が僕で大きいのを父上が持つっていう話と、土の曜日の朝七時に迎えに来るっていう話を、ずっと言ってるのよ」

 そう言いながら背嚢を背負って、じれた肩紐を真っ直ぐにした。

「そう? 言っている本人は何度も同じ事を言っている積りはないのだけれど……」

 水伯も鞄を持つと玄関扉へ向かう。開扉すると先に玲太郎を出してから自分も出た。玲太郎が階段を下りて行くと、その下に箱舟が出現する。操縦席の隣に乗り、水伯の方に顔を向けた。水伯は荷物を後ろの座席に置いてから操縦席に乗り込む。

「それでは行こうか」

「はーい」

 箱舟が徐に上昇し始める。玲太郎は心中が希望と不安がい交ぜになって落ち着かず、首を右に振り、左に振り、視線をあちらこちらに飛ばしていた。

「玲太郎、そのように見た所で、此処ここの景色は変わりないよ」

 玲太郎は水伯を見ると苦笑した。

「なんかこう、落ち着かなくて……」

 水伯は手を伸ばし、玲太郎の頭を撫でる。

「昨夜は殆ど眠られていないのだろう?」

「そうなのよ。今日からの事を考えてたら緊張しちゃって眠られなかったのよ」

「そういう日もあるよね。入学式は十月二日だから、今日、明日、明後日の三日間はゆっくり出来るよ」

 玲太郎の肩を優しく叩いた。

「今日はもう残り十三時間もないから、ほぼ二日半になるよ。あああ、入学式であいさつをするのがもう明々後日しあさってになるんだね。早いねぇ」

「ふふ、私は玲太郎の挨拶を楽しみにしているよ」

「どんな内容なのか、気にならない?」

「それは当日の楽しみにしておくよ。それよりも玲太郎が登壇して、緊張の余りに失敗しないかどうかが心配だよ」

 玲太郎はおかしくて声を出して笑った。

「あはは。僕もそう思う。でもあーちゃんが、全員カボチャだと思えば平気になるからって言ってた。はーちゃんはジャガイモって言ってた」

「二人共が野菜なのだね。それでは玲太郎は別の野菜を思い浮かべなければね」

「野菜じゃないとダメなの?」

「緊張が和らぐのであれば、野菜に拘る必要はないと思うのだけれどね」

 柔和に微笑むと正面を向いて計器を見た。

「今日は近いから高度は低目で、前進しながら徐々に高度を上げて行くよ。だから前方に雲が見えたら吹き飛ばすね」

「はーい」

 水伯は方向転換をすると直進しながら上昇をし始めた。


 今日は大きな雲が影を落としていたり、晴れ間を見せていたりと中途半端な天気だった。しかしそれも敷地外に行くと次第に雲が晴れて行き、目的地付近に来た頃には雲のない快晴となっていた。

 目的地の上空に来ると水伯は迷う事なく、駐舟場へ一直線に向かった。そして水伯は箱舟を降りると鞄を持った。空いている左手を玲太郎に差し出すと、玲太郎はその手を取った。小高い丘の南東側に駐舟場があり、その隣に会館が建っている。並木道になっている遊歩道を歩き、会館の正面に遣って来ると、南西に運動場、会館と運動場の間に屋内訓練場、北西の方に校舎となっている城が見え、その近くにも大きな建物が二棟見えた。

「冊子で見て知っているとは思うのだけれど、尖っている屋根の方が城で校舎ね。その右手側にある建物が寮で、手前が女子寮、奥が男子寮になるからね。今向かっているのは男子寮だよ」

 玲太郎は水伯が指を差す方向を見ながら頭を動かしていた。

「ちょっと木が邪魔で見辛いけど、大体分かった。それにしても実物は広いし大きいんだね」

「それはそうだよ。約五百五十人が生活をするのだからね。もっと建物もあったのだけれど、運動場を広げる為に潰してしまってね。……そうだった、小さいけれど庭園もあったのだよ」

「男子寮と女子寮の間に庭園があるんじゃなかった?」

「城の南側にあったのだよ。今は教師専用の駐舟場になっているのだけれどね。二つの寮の間にあるのは後から造った中庭になるね」

「ふうん、そうなの」

 玲太郎は辺りを見回しながら歩いている。緑が多くて好印象だった。

「前に、父上が見学に行こうって言ってくれた時に来ていれば良かったね」

「受かるかどうか判らないから止めておくと断って、受かってからも乗り気にならなくて、結局来なかったものね」

「冊子で見てから、なんだか行かなくてもよいだろうって思ってしまったのよ。ごめんなさい」

 少し気落ちした玲太郎の声色は、表情を見なくても理解出来た。水伯は柔和に微笑む。

「ふふ、謝らなくともよいのだけれどね。けれど、紙面で見る物と、実際に見る元とでは全然違うからね」

「大きいって言うのはなんとなく分かってたんだけど、やっぱり想像に限界があったみたい」

「昔は此処で国王となる人が療養する為に住んでいたからね。更に大昔には、此処にあった国の君主が別荘としていたのだよ」

「へぇえ! それじゃあここのお城はとっても古いんだね」

 笑顔で水伯を一瞥した。

「そうだよ。とても古いのだよ」

「古いんだったら大切に使わないといけないね」

「そういう心掛けはとてもよい事だと思うよ。城は重要文化財になってもおかしくない代物なのだけれど、私の自由に出来なくなるから、そうならないようにしているのだよね」

「重要文化財になったら、今のように校舎として使えなくなるの?」

「そうなるがい然性は高いね。学校としての歴史も古いのだけれど、移転すれば済む話だからね」

「それはなんだか寂しい話だね」

「そうだね。場所が変われば校風も変わってしまうような気がするね。そうなると益々寂しくなるね」

 女子寮の生垣に突き当たると、生垣に沿って東西へと延びている道があり、水伯は迷わず西に向かう。

「生垣は結構高いんだね」

「寮の生垣だからね。……とは言えども、魔術で飛ばれてしまうと意味がないのだけれどね」

 そう言うと「ふふ」と笑った。生垣の角まで来ると、校舎に面している南北に延びる道と交わり、今度は北へ向かう。

「それにしても人気がないね」

「私達が最後の方だろうから、来ている子達は皆、部屋にいるのだろうね」

「見学なんてしてないの?」

「寮の中を見学しているのかも知れないね。生徒の部屋は二階からだから、一階に何があるのかは判っていても、玲太郎も実際に見ておいた方がよいかもね」

 男子寮と女子寮の間にある中庭まで来ると玲太郎の足が遅くなった。水伯もそれに合わせて徐に歩く。花はなく、高木と低木と縁台が幾つか置かれている程度だった。

「庭園って書いてあったからもう少し華やかなのかと思ってたけど、……木だけだね」

 残念そうに言うと正面を向いた。

「木が花を咲かせれば、それなりに華やかになるのではないの? もう花期は終わったのだろうね」

「なるほど。それにしてもここまで誰ともすれ違ってないよ。凄くない?」

「そうだね。新入生も在校生も何をしているのだろうね。女子寮の門扉は開いていたから出入りは出来る筈なのだけれどね」

 水伯はそう言うと玲太郎を見た。真っ直ぐ前を向いて歩いている玲太郎は時折城に顔を向けていた。

「城の中を見たいかい?」

「うん、見てみたい。でも見学させてもらえるの?」

「言えば見学させて貰えるだろうね」

 玲太郎は笑顔になって水伯を見上げた。

「それじゃあ見学したい」

 水伯も玲太郎に顔を向けると柔和な微笑みを浮かべた。

「後で訊いてみようね」

 玲太郎は笑顔で頷いて前を向くと男子寮に差し掛かっていた。


 男子寮も生垣で囲まれていて、水伯の身長でも一階が見えないでいた。門扉の所まで来ると門が開放されている。水伯は迷わず入って行き、玲太郎もそれに付いて行った。すると横から人影が前に飛び出して来た。

「わっ!」

 玲太郎は驚いて思わず声を上げて後退りし、水伯の手を握る手に力が入った。

「玲太郎!」

 そう名を呼ぶと、柔和な表情の水伯は玲太郎の手を離した。その人物が玲太郎の脇に手を入れて上がる所まで上げた。

「は、はーちゃん! びっくりしたよ、もー!」

 颯はそのまま回転して玲太郎の足が浮いた。

「やめ、……やめっ」

 そう言われて颯は止まると、振り回された玲太郎は目を閉じていた。そのまま玲太郎を抱いて、玲太郎の頭を撫でた。少し離れた所で見ていたヌトが近寄って来て、颯の右側の肩に座った。

「遅かったな。もう少し早く来るかと思っていたのに」

「目が少し回ってる……。でもまだ十八時になってないでしょ?」

「十九時までに来て貰えればいいから、まあ、いいと言えばいいんだけどな」

 颯は水伯に顔を向ける。

「いらっしゃい。寮の中、見学して行く?」

「今日は。そうだね、寮も見てみたいのだけれど、それよりも校舎の方を見てみたいのだけれど、構わないだろうか?」

「いいよ。それじゃあ俺が案内するよ。先ずは玲太郎の部屋に行って荷物を置こうな」

 玲太郎の方を向いて言うと、玲太郎は頷いた。それを見た颯は笑顔になる。そして玲太郎を抱いたままで歩き出した。

「はーちゃん、就職したってここだったの?」

「そうだよ。玲太郎が学校に行くとか言い出したから、慌てて教員免状を取得する為に勉強を頑張って、卒業前後に教育実習も遣ったよ。それで、水伯に推薦状を書いて貰って此処に無事就職出来たという訳」

 玲太郎は水伯の方に顔を向けた。

「父上も知ってたの?」

「当然知っていたよ。玲太郎の魔力量を考えれば明良か颯が傍にいないとね。魔力が暴走する可能性があると想定して準備をしておかなければならないからね。玲太郎は自分の力を過小評価している嫌いがあるのだけれど、玲太郎は世界一の魔力量を持っているのだから、それを理解した上で行動を取って貰いたいと私は思っているよ」

 そう言われても、丸で他人ひと事のような感じだった。

「でも僕は暴走させる事なんてないと思うのよ」

「結果的になかったとしても、転ばぬ先の杖、だからね。万が一の事を考えて備えておくに越した事はないのだよ」

 柔和に微笑んで玲太郎の肩を優しく二度叩いた。玲太郎は納得出来ないのか少し俯いた。

「それじゃあ部屋に行こうか」

 そう言って寮に向かって通路を歩き出した。


 寮は四階建てで一対の玄関扉も開放されていて、出入りは自由のようだった。玄関広間に入ると正面脇に階段があった。その階段に辿り着く前に左側に曲がる廊下があり、颯はそちらへ曲がった。そして一枚目の扉の前で立ち止まり、取っ手を握った。開錠する音が聞こえると開扉して中へ入って行く。玲太郎は部屋を見回している。

「此処は寮長の部屋なんだけど、玲太郎も此処で生活するから」

「えっ、生徒と同部屋じゃないの?」

 目を丸くして颯に顔を向けた。

「うん。俺と一緒。しっかりと夜中に起こすから我慢して」

 玲太郎は突然の事に戸惑ってしまった。

(はっきり言って嬉しいんだけど、なんだか…、とっても悔しい……)

 颯に言いたい事が沢山出来てしまったが、何も言えずに口角を下げていた。そんな玲太郎を見た颯は微笑んだ。

「この通り縦長の部屋だけど十八平方モル(約二十畳)はあるから、二人分の寝台に勉強机は余裕で置けているし、服はこっちの折り戸の中な。それと見ての通り、机の上に教科書が五学年分を置いてあるから、後で目を通しておけよ? それからこの部屋の隣とそのまた隣の部屋は開かずの間と言われていて、開けられないと聞いているから、扉に面している廊下に人通りはないから静かだと思うよ」

 扉の南側には衣こうが置いてあり、北側に収納場所があって、水伯はその前に荷物を置いた。颯は玲太郎を下ろすと、玲太郎は南の窓の方へ向かって歩き出した。窓側に置かれている机に教科書が積まれている。

「その窓は窓掛けを開けていても外から中が見えなくなっているんだよ。凄いだろう」

「へぇえ! そうなの? それじゃあ窓掛けを開けっ放しにしてても平気だね」

 水伯はそんな二人を後ろ柔和な表情で眺めていたが、何も置かれていない壁に手を当てると扉を顕現させた。収納場所と颯の机の丁度真ん中辺りだった。

「颯、玲太郎、隣の開かずの間へ行けるように扉を作っておくからね。隣には私が昔に生活をしていた部屋があって、小さな台所や寝台、小さな小さな庭や、地下へ続く階段もあるよ」

「えっ!?」

「どういう事なの!?」

 颯が先に驚き、玲太郎も振り返って訊いた。

「どういう事も何も言葉通りだよ。私は一時期、此処で生活をしていたのだよ。地下には厠と浴室があるからね。綺麗に保てるように魔術を掛けてあるから、掃除はしなくてもよいよ。冷蔵庫とか焜炉こんろとかの魔道具は新品にしてあるからね」

「開かずの間じゃあ……?」

 颯は扉を手前に開けると、隣の部屋へ入って行った。

「それは私が鍵を持っているのだから、誰にも開けられる訳がないよね。でも玲太郎や颯や明良なら開けられていたのだろうけれどね」

「そうなんだな。ふうん……、この廊下は真ん中の扉と通じてるんだな。ああ、奥の扉は作り物で見せ掛けかあ」

 颯の声が聞こえて来た。玲太郎も急いで隣の部屋へ向かった。廊下が南北に延びていて、腰壁から上は玻璃はりで仕切られていた。南側にある窓は上から下までの全てが玻璃になっていて、日光が差し込んでいてとても明るかった。そして部屋の中に小さな庭があり、草木が生えていて、そこには寝台もあった。

「父上、窓かけがないけど、夏は明るくて眠られないんじゃないの?」

「夏の間はウィシュヘンドより夜が長いのだよ。世界的に見れば短い方ではあるのだけれど、それでも気にはならない筈だよ。それでも玲太郎が眠るには、少し明るい時間になってしまうかも知れないね」

「そうなの。所で、木や草に水を上げるのって、月に一度で足りるの?」

「足りるよ。湿度が少し高くなるようにしてあるから、空気中からも水分を補給出来る種類を植えてあるのだよ」

「へぇ、そんな植物があるんだね」

 玲太郎は感心して聞いていた。水伯は柔和な表情で話す。

「そうだよ。浴槽には三十度に保つ水草が生えているよ」

「あ! 名前は覚えてないけど絶滅した植物の本で見た事がある! どうしてあるの?」

「ある時期、その水草が生えている浴槽に浸かると枯れるという現象が起こったのだけれど、私は既にウィシュヘンドに帰っていて、維持をしていただけだったから枯れずに助かったのだよ。だからと言って増やす気にはなれず、世間では絶滅した事になっていて面白いだろう? 若しかしたら、此処以外にも何処どこかに生き延びているのにも拘らず、見付かっていないその水草があるかも知れないね」

「ふうん……。あったら面白いね」

 玲太郎が笑顔でそう言うと、水伯は柔和な微笑みを浮かべて頷いた。そして玲太郎は寝室ではなく、台所の方に行く。

「扉も玻璃なんだね」

 楽しそうに言うと開扉して居間の方へと向かう。南側に五人掛けの長椅子が置かれ、その前には長机が置かれている。部屋の真ん中に脚の長い食卓があり、それを挟んで椅子が西側と東側に二脚ずつ置かれている。奥には台所があって、小さな台や流し、その隣にある細長い棚、焜炉、小型の簡易天火、炊飯器、水屋に冷蔵庫、調理台などが置かれていた。先に来ていた颯は何も入っていない冷蔵庫を回避して中を見ると直ぐに閉めた。

「水伯、ごみ箱が見当たらないんだけど、何処にあるんだ?」

「私には必要のない物だから置いていなかったよ。ご免ね」

 そう言うと冷蔵庫の隣に高さ一尺程度ある、円筒型の小さな塵箱が二個出現した。

「二つあれば十分だよね」

「うん、有難う。早速材料を調達して作るよ。最近ばあちゃんのご飯を食べていないから、和食が食べたくて仕方がなかったんだよな。本当に助かる」

 そう言いながら下の棚の戸を開けた。そして振り返る。

「茶でも飲む?」

「ふふ、買って来なければ茶葉はないよ。そういった物も揃えなければね」

「それは残念。それじゃあ食堂に行って飲む? 紅茶しかないけど何時いつ行っても飲ませて貰えるんだよ。ああ、語弊があるな。夜遅くは無理だからな」

 戸を閉めて立ち上がると水伯の方に向かって歩いた。玲太郎も台所へ行き、何があるのかを確認し始める。

「僕もお茶が欲しいから行くけど、少し待ってね。何があるか、きちんと見ておきたい」

「解った。ごゆっくりどうぞ」

「私も頂こう。食器類は全て綺麗にしてあるから、態々洗わなくてもよいからね」

 水伯が颯を見ながら言うと、颯が笑顔になる。

「有難う。水伯は遣る事が早いなあ。俺も見習わないといけないな」

「それにつけても、学院はどう? 慣れたかい?」

「うーん、貴族様と平民とが混じっている割には雰囲気がいいように感じるね。まあ、上辺だけの可能性もあるし、実際の所は中に入ってみないと判らないだろうけどな。ご飯もまあ美味しいけど、和食がないから本当に寂しいよ」

「和食は仕方がないね。それにつけても、颯も貴族に近しい位置にいて、平民とは言い難いものね」

「俺はほら、卑しい出自だからな。貴族様とは相容れぬ物があるんだよ」

「そこまで卑下をしなくてもよいのではないかい?」

「ナダールの学校で本物の貴族様と話す機会が度々あったけど、俺には無理だなと心底思ったよ」

 思い出したのか、不快そうに言った。

「その貴族は平民を見下していたのかい?」

「平民は駒だと思っている奴だったよ。別の侯爵令息は、平民を同じ人間だとは思っていない感じで、自分よりも成績のいい平民が許せなかったのか、問題を起こして退学させられていたよ」

「ふふふ、私はそういう陳腐な寸劇、大好きだよ」

 颯は嫌そうな表情をすると腕を組んだ。

「巻き込まれる方は堪ったもんじゃないけどな」

「巻き込まれたのかい?」

 意外そうにすると、颯は首を横に振った。

「いや、それはなかった。傍観していただけだった」

「そうなのだね。颯は正義感が強いから、そういう出来事が身近に起これば、進んで止めに入りそうな物なのにね」

「校内では魔力の事で目立っていたから、それ以外では極力目立たないようにしていたよ」

「お待たせ」

 二人は玲太郎の方に顔を向けた。

「もうよいのかい?」

「うん、手の届く所は大体見たよ。調理器具も色々揃ってるんだね」

「玲太郎って調理していたか?」

「しないけど、材料を切るくらいは手伝い始めてたのよ」

「朝は私と一緒に起きて手伝って貰っていたのだよ。それも此処一ヶ月程の話だけれどね」

 颯は水伯を見る。

「そうなんだ。それじゃあ作る時は玲太郎も一緒に作るか?」

 笑顔で玲太郎を見ると、玲太郎も笑顔になった。

「うん、作る!」

「よし、それじゃあ食堂に行こう。ついでに菓子も食べるか? 今日は何を出して貰えるか、聞かないと判らないけど」

 そう言いながら廊下に向かった。

「私は頂くとしよう」

「じゃあ僕も食べる」

 水伯は颯の直ぐ後ろに付いて行き、玲太郎は最後尾を歩いた。颯は一旦寮長の部屋に戻ってから食堂に向かう。


 階段の少し奥に行くと南北に延びた廊下があり、それを南に向かって行った。突き当りに一対の扉があり、それを開けると十八人掛けの食卓が一列に十台ある二列に分かれ、食卓の間には約一間半も空いていてゆったりとした空間が広がっていた。奥に厨房があって、それと食堂の間には細長い仕切り台がある。その上には色々と物が置かれていた。

「片側九人で食卓も大き目だし、割とゆったりとしているのだね」

「すこしばかり多いけどな。職員が俺を含めて七人で、その分を除いても八十強の席が余るんだから、このまま置いておくのも勿体ないと思うんだけどな。それを言ったら、ろく学年生が贅沢に席を使っているからこのままでいいって言われたよ」

「そういう風習なのだね」

 颯は頷くと水伯を見た。

「それじゃあ好きな所に座っていて貰える? 茶と菓子を貰って来るよ」

「解った」

 颯は頷くと仕切り台の方へ行き、水伯は玲太郎を見た。

「何処に座ろうか?」

「んー、どこでもよいのよ」

「そう。それでは真ん中辺りに行こうか」

「はーい」

 玲太郎は水伯の後ろを付いて行く。真ん中まで来ると左側の椅子を引いて玲太郎を見ると、玲太郎がその椅子に座った。水伯はその隣に座ると颯の後ろ姿を見た。

「誰もいないね」

「そうだね。夕食から此処で食べる事になるだろうけれど大丈夫かい?」

 辺りを見回していた玲太郎が、慌てて水伯に顔を向けた。

「うん? 夕食ははーちゃんとあの部屋で食べたらダメなの?」

「それだと食材を買いに行かないといけなくなるね」

「そう言えば、はーちゃんは出かけられるの?」

「先程の口振りだと出掛ける気は満々だろうから、大丈夫なのだろうね」

「それじゃあ買いに行けるね。はーちゃんの作るご飯、好きなのよ」

 笑顔で言うと、水伯は柔和に微笑んだ。

「颯は大雑把な所もあるけれど何でも器用に遣るし、料理の味も八千代さんに似ていて美味しいものね。けれど、和食で使う調味料を近くのお店で売っているのかが問題になるね」

「あ、そうだね。材料だけを買えばよい訳じゃないんだね」

「和食に使う調味料と食材と、後は茶葉が必要になるね。それから玲太郎は食べ物以外で何か必要な物はあるのかい?」

「僕は忘れ物がないか、何度も何度も確認したから大丈夫」

 そう言うと笑顔になった。

「そうだね、何度も確認していたものね」

 玲太郎は水伯を笑顔で見上げていたが、にわかに表情が一変した。

「父上と一週間くらい会えなくなるのはやっぱり寂しいね……」

 心底から寂しそうに言っている事が解った水伯は、玲太郎の肩に手を置いた。

「その内に慣れるよ。週末になればまた会えるからね」

「うん」

「颯もいるのだから、寂しさも紛れるのではないのかい?」

 肩を優しく二度叩くと手を戻した。

「そうだね、はーちゃんがいるもんね」

 二人は颯に視線を移すと、颯はまだ仕切り台の前で突っ立っていた。すると丁度調理師と思しき人が何かを載せた盆を台に置いた。少ししてから颯が両手で盆を持って遣って来ると、玲太郎達の前に片方の盆を置いた。

「薄い焼き菓子だね。ちょっと嬉しい」

 颯は先ず水伯に焼き菓子と茶を出し、それから玲太郎の前に置き、最後に自分の方に置いた。

「正統派の焼き菓子だね。玲太郎、食べるかい?」

「十枚あるから平気」

「いらないのなら俺が貰うけど」

 玲太郎の正面に座った颯が満面の笑みを浮かべる。水伯は鼻で笑った。

「それでは有難く頂くよ。頂きます」

 合掌をすると、二人も合掌をして挨拶をした。

「上に乗ってるのって果物の砂糖煮だよね。なんの果物だろう?」

「赤いのは苺だよね。橙色は……? 柑橘類には違いないだろうけれど……」

 水伯はそう言いながら橙色の方をかじった。

「んん、これはソキノだね。違う?」

 玲太郎が目を丸くして水伯の方に顔を向けた。水伯は手で口を覆って玲太郎を見る。

「そうだね。これはソキノだね。良く判ったね」

「ソキノのお菓子を食べた事があるから、それからソキノだって分かるようになったのよ」

「そうなのだね」

 そんな二人を見ていた颯は既に二個目を飲み込んでいた。

「玲太郎、今日の夕食は此処で食べないといけないからな」

 玲太郎は焼き菓子を運び掛けていた手を止めて颯を見た。

「えっ、買い物をしに行くんじゃなかったの?」

「行くけど、今日は食べられないぞ。ああ、夜食なら作ってもいいけど、遅くまで起きていられないだろう? それに明日も三食と間食二食分はもう申し込んであるからな」

「ええっ、もう決まってるの?」

「前日の十八時までに申し込まないといけないから、二人が来る前に俺の序に申し込んでおいた。今なら変更出来るから変更するか?」

 玲太郎の表情が明るくなる。

「はーちゃんのご飯が食べたいから、一食だけでもなくしてもらってもよい?」

「解った。それじゃあ夜にしようか。後、午後の間食もなしにして貰おう」

「どうして? お菓子は食べたい」

「買って来ればいいだろう?」

「やっぱり今日買い物に行くの?」

「明日行ってもいいんだけど、水伯がいるから今日行こう。二十時十分になったら門を閉めるから、その後になるけどな」

「二十時十分は早いのではないのかい?」

「門に扉が付いていて、其処から入れるようにはなっているんだよ。夕食開始の二十二時にそれの鍵と玄関の鍵を掛けるようになっていて手間が掛かるんだよな」

「ふうん、面倒なんだね」

 小さく頷きながら玲太郎が言うと、颯も頷いた。

「だろう。俺もそう思う」

 颯は苺の方の焼き菓子を丸ごと頬張った。

「これ程度のお菓子だと、颯のお腹が持たないのではないのかい?」

「んー、足りない事はもう慣れたよ。こういう焼き菓子は食べ応えのある和菓子がいいね」

 手で口を覆いながら言うと、水伯は軽く二度頷いた。

「餅を使っている物や餡子ならもう少しお腹に溜まるものね」

 口の中の物を飲み込み、茶を二口飲んだ颯が頷く。

「それに午前の間食も、元々は食事だっただろう? その所為で慣れるまでは午前の間食も量が少なくて少なくて……」

「あっ、お腹が空いても食べられないんだ……」

 俄に玲太郎が苦痛な表情を浮かべた。水伯も颯もそれを見て笑う。

「そうだよ、時間が来るまで食べられないんだよ」

「それは辛い……」

「食後に茶の入った水筒を持たせて貰えるから、それで凌ぐしかないな」

 玲太郎が気落ちをしつつも焼き菓子を頬張ると、颯もまた一個頬張った。


 寮と校舎の見学は颯が案内をした。玲太郎は寮の案内では大して興味がなさそうだったが、校舎になると打って変わって興味津々になり、颯に彼是あれこれと質問をしていた。玲太郎はまだどの組になるかが判っていない為、どの教室を使うようになるのかも判らなかったが、念入りに見ていた。どの組も変わりがなかったのだが、それでも玲太郎は楽しそうに見ていた。

 二十時十分になると颯が門扉を閉め、その後に瞬間移動で街へ出掛けた。颯は買えない物がないように王都の街へ移動した。それも人通りのない裏道に移動した瞬間、玲太郎は呆気に取られて辺りを見回していたが、颯の説明で細い路地裏にいる理由を把握すると、玲太郎を抱いている水伯が先に歩き出した。大き目の通りに出て現在地を把握したが、どこにどのような店があるのかは把握出来ておらず、颯がまた案内をする事となった。

 必要な物を買い揃え、颯の両手が一杯になった頃にまた人通りのない路地裏へ行き、瞬間移動で寮長室の隣室へ戻って来た。颯は買って来た物を早速片付け始めた。

「米が食べたかったから買えて良かった。本当に良かった」

 颯は心底喜んでいるみたいで満面の笑みを浮かべていた。

「そのように情感を籠めなくても……」

 水伯は荷物の片付けを手伝いながらそう言った。玲太郎は颯の顔を見上げていた。

「ここのご飯って、白米は出ないの?」

「出ない。麺類か麺ぽうだよ。麺類と言ってもうどんや蕎麦は出ないぞ」

「そうなんだ……。だからばあちゃんも、今の内に食べておきなさいって白米ばっかり出してたのだろうか?」

「そうだろうな。俺が良く白飯はくはんが出ないって嘆いてたからなあ」

「父上とばあちゃんは白米を良く出してくれてたから、それが普通かと思ってたけど違うんだね」

「この国は米は余り食べないね。寿司を食べる時くらいじゃないの?」

「米は食べるよ。地域差はあるけれど食べる所は食べているし、ナダールの南の地域には米を使った郷土料理もあるのだよ。颯が知らないだけだね」

「えー、そんな郷土料理があるんだ。それは是非とも食べてみたいなあ」

「炊き込みご飯だよ。香辛料を沢山入れて、羊の肉と季節の野菜を一緒に炊くんだよ。けれど、米は和伍で親しまれている短りゅう種ではなく、長粒種なのだよ。それはそれで美味しいのだけれどね」

「そうなんだ。来週末辺りに食べに行こうよ。時差は大してなさそうだから昼がいいな」

「それならば私が材料を揃えておくから、うちで食べる事にしよう」

「いいのか? それじゃあ頼んじゃおう。お願いします」

「僕も楽しみにしとく!」

 二人は口を動かしながらも手際良く片付けてしまうと、茶葉が手に入った事もあって茶を飲む事にした。颯が鉄瓶で湯を沸かしている間に、水伯が買って来た菓子を皿に盛った。

「何か物足りないと思っていたら、お盆がなかったのだね」

 そう言って四種類の大きさの盆を出すと、一番小さな盆に皿を載せて食卓へ運んだ。颯はそれを見て、残りの盆を置く場所を探した。調理器具が入っている棚の戸を開け、そこへ立て掛けて突っ込んだが倒れそうになり、倒れないように台を作って収納した。満足気に戸を閉めて立ち上がると、その様子を見て微笑んでいる玲太郎と目が合った。

「此処で玲太郎も作業をする事を思えば、踏み台が必要になって来るよな」

「この台の脚を短くすればよいと思うよ」

 そう言って悪戯っぽく笑うと、颯は鼻で笑った。水伯もそれを見て微笑んだ。

「もう出したよ。足下を見てご覧?」

 玲太郎は俯くと本当に踏み台があった。それに上って具合を確かめると、調理台が丁度よい具合の高さになった。

「父上、ありがとう。これなら僕でもお茶を淹れられるよ」

「淹れてもいいけど、俺がいる時だけだぞ? 一人の時は食堂に行って飲むようにするんだぞ?」

「えっ、一人の時はダメなの?」

「十歳になったらいいよ」

「えーっ、後二年もあるのよ……」

「水伯やばあちゃんも一人で淹れていいって言っていたか?」

「そもそも淹れた事がないのよ」

「それじゃあ俺の下で二年修行だな」

「……分かった」

 渋々返事をすると、湯が沸いたのか湯気が注ぎ口から噴き出ていた。颯は焜炉の火を止めて、つるを布巾で巻いて持つと玲太郎の前に置いた。

「練習な。まあ、玲太郎の事だから大丈夫だとは思うけど、鉄瓶の弦を持つ時は、あっつあつだから必ず乾いた布巾か手拭いを使って持つようにな。湯を注ぐ時はゆっくりするんだぞ?」

 そう言いながら茶葉の入った茶器を鉄瓶の隣に置いた。

「分かった。ゆっくりね」

 弦の上にある布巾でそのまま握り、鉄瓶を持ち上げて茶器に湯を注いだ。湯気を避けて斜め上から湯の量を見ていた颯が玲太郎の手を止めた。

「このくらいでいいよ」

「これくらいね。覚えとく」

「三人前がな。二人前はこれより少な目だぞ?」

 颯は言いながら茶器の蓋をした。

「あ、そうだね。これからは二人なんだった」

「茶葉が開いて味が出るまで三分蒸らすからな」

 そう言って砂時計を引っ繰り返した。

「砂時計を引っくり返すの、遅かったんじゃないの?」

「こういうのは大体でいいんだよ。きっちり遣った所で大差ないよ」

 苦笑する颯を見上げた玲太郎は笑顔になった。

「分かった。でも茶葉を入れる所からやりたかったのよ」

「それはまた今度な」

「うん」

 二人は砂時計の砂が落ち切るのを待って、玲太郎が茶漉しを通して紅茶を注ぐと、颯が持って来ていた盆に載せて食卓に運んだ。

「有難う」

 先に椅子に座っていた水伯が言う。

「どう致しまして」

 颯が返事をしている間に、玲太郎は水伯の隣に座った。颯も椅子に座ると、空いている場所に盆を置いた。

「それじゃあ、頂きます。鯛焼きが食べられるなんて思ってもいなかったよ」

 颯は尻尾から齧ると、それを見ていた玲太郎は頭から齧った。水伯は尻尾の方から千切って頬張った。

「ん、餡子が端まで入っていて美味しい」

「頭もあんこで一杯なのよ」

 二人は手で口を覆って言うと、顔を見合わせて笑顔になった。颯が最初に二個目を食べ出し、玲太郎は一個しかなくて食べ終えた形になった。すると水伯が自分の二個目を半分にして、尻尾の方を玲太郎の皿に置いた。

「ありがとう!」

 水伯の方を向いて元気良く礼を言うと、水伯も柔和な微笑みを見せる。

「どう致しまして」

「だから、今日は一個でいいのかって訊いたのに、一個でいいって言うから」

「だって明日も食べるから一個でよいと思ったのよ」

 そう言いつつも笑顔を絶やさず、貰ったたい焼きを齧った。

「兄貴もだけど、水伯も玲太郎に甘いよなあ」

 千切った鯛焼きを口に運び掛けていたが、その手を止めて颯を見た。

「そういう颯も甘いと思うけれどね」

「いやいや、水伯や兄貴程じゃないよ。俺は玲太郎が甘えに来た時に限って甘やかすだけだから」

「ふっ、十分甘いじゃない」

 柔和な表情になると、颯は苦笑するしかなかった。

「僕、そんなに甘えてる?」

「俺に対してはそんなに甘えて来ない、とは思うけど、どうだろうか? 兄貴は問答無用で甘やかしていると思う。水伯は優しいからなあ……」

 玲太郎は即座に頷いた。

「父上とあーちゃんは本当に優しいと思う。はーちゃんは時々意地悪なのよ」

「俺のどういう所が意地悪なんだ?」

「高い場所に行かそうとする所」

「玲太郎、それは意地悪なのではなくて、必要だからだよ。高い場所に慣れないと飛べないだろう?」

 水伯にそう言われ、玲太郎は無言で鯛焼きを齧った。

「俺の身長より少し上までは浮けるようになったのに、地蔵になるのがなあ」

 手で口を覆う。水伯が首を少し傾げた。

「地蔵?」

「和伍の道端に置かれているだろう? あの地蔵は動かないからな」

「ああ、そういう事ね」

 水伯が納得をしている横で、玲太郎が不機嫌気味に咀嚼を再開した。

「甘えておる。玲太郎は大いに甘えておる」

 ずっと颯の肩に座っていたヌトが言うと、玲太郎は視線を伏せて鯛焼きを皿に置いた。そして茶器の持ち手を持つと、紅茶を少しだけ口に含んだ。そして鋭い目付きになって颯を見る。

「僕、今日から自分できちんと夜中に起きて、厠に一人で行くからね」

 二人は玲太郎を見ると目を丸くしていた。

「急にどうした?」

「甘えないようにするのよ。僕、頑張るからね」

 颯に微笑んで見せると、颯も微笑んだ。

「それじゃあ俺は起きないから、頑張って起きるんだぞ?」

「任せておいて」

 水伯はその様子を微笑ましく見ていたが、それとは裏腹に一抹の不安がよぎった。

「それだったら、厠に近いこっちを使えばいいんじゃないのか?」

 玲太郎の表情が明るくなる。

「ああ、そうだね。父上、あの寝台で眠ってもよい?」

「構わないよ。大き目の寝台だから、颯も一緒に使えばよいと思うのだけれど」

 そう言って視線を颯に移すと柔和な微笑みを浮かべた。颯は首を横に振る。

「ニ十九時に見回りがあるんだよ。正直、こっちで寝て貰える方が起こす心配がなくて、俺としては有難いな」

「そんな半端な時間に見回りがあるのだね」

 水伯が些か驚いているような様子で言うと、颯が笑顔になった。

「そうなんだよ。ニ十七時が消灯だから二時間後に一度見回りをして、三時にも見回りがあるんだけど、それは各階にいる班長が遣る事になっているんだよ。班長は教師だったり、班長の為に雇った職員だったりだな」

「それじゃあ三階だから三人の班長がいるの?」

 玲太郎に視線を向けた颯は小さく首を横に振った。

「いや、一学年に就き一人だから六人いて、一階に就き二学年がいるから各階に二人いる事になるな」

「そうなのだね。それでは三時の見回りは二人が交代で遣るのかい?」

「そう。俺だけ一人でニ十九時に全部見回り。週二で休ませて貰えるようだけど、まあ俺は休まないだろうな」

「それは大変だね」

「慣れているからいいけどな。でも長期休暇が待ち遠しいよ」

 そう言うと水伯が「ふふ」と笑った。玲太郎は鯛焼きが後一口程度となっていた。咀嚼をしながら、颯の皿にある三個目のたい焼きを見ている。しかし、颯がそれを玲太郎に譲る事はなかった。


 そうこうしている内に到頭水伯が帰る時が来てしまった。もう門は閉まっていたが三人で瞬間移動して、水伯を駐舟場まで見送った。水伯は箱舟を消すと玲太郎の前で膝を折った。

「玲太郎」

 そう言うと両腕を広げた。玲太郎は水伯の腕の中に行く。

「父上、よい子でいるからね」

「何かあったら、直ぐに知らせるのだよ?」

「分かってる」

 玲太郎の背中を優しく二度叩くと離れた。

「それでは入学式に八千代さんと来るけれど、話せる機会があるかどうか判らないから、念の為に言っておくよ。来週末は颯に送って貰ってね」

「えっ、父上が迎えに来てくれるんじゃないの?」

「颯がいるのだから、颯に送って貰った方が合理的だろう?」

「瞬間移動で一瞬だからな、そういう話になっていたんだよ」

 玲太郎は水伯から颯に視線を移し、眉をしかめた。

「あー、僕だけ仲間外れだったの? もしかしてあーちゃんも知ってた?」

「そうなのだよ、明良も知っていたのだよ。驚かそうと思って秘密にしていたのは謝るね。ご免ね」

「今夜もあーちゃんは夜になったら家に来るの?」

「来るよ。八千代さんがいるからね」

「それじゃあ、あーちゃんに秘密にしてた事、怒ってるからって言っておいてね」

「解った。伝える事はそれだけでよいの?」

「うん、それでお願いね」

「それでは伝えておくよ」

 水伯が立ち上がると玲太郎は颯の所まで下がった。颯は水伯に軽く挙手をして挨拶とすると、水伯もそれに応えて挙手をした。そして徐に浮き上がり、上昇して行く。それを玲太郎と颯は手を振って見送っている。水伯が上空で停止すると流れ星の如く、空を駆けて行った。

「あー、行っちゃった……」

 玲太郎が寂しそうに零すと、颯は玲太郎を抱き上げて寮長室へ瞬間移動した。


 寮長室に到着すると、玲太郎は何かを思い出した。

「はーちゃん! そう、僕ははーちゃんに言わないといけない事があるのよ」

「何? それよりも耳に近いから、もう少し声量を抑えて貰えないか? 耳が痛いよ」

 平然とした顔で言うものだから、玲太郎は些か向きになって口を耳に近付けた。

「それは悪うございましたっ」

「止めろって。それよりも、言いたい事って何?」

「僕は自立をしようとしてたのに、どうしてはーちゃんが先生になってるのよ?」

 玲太郎は起こっている事を伝える為に、意図的に怖い顔をしていた。

「玲太郎を知らない奴等の中に放り込める訳がないだろうに。考えてもみろよ。あの兄貴が許すと思うか?」

「あーちゃんが言ったから先生になったの?」

「それはない。俺の意思だよ」

「ふうん、そうなの。でもどうして秘密にしてたのよ? 教えてくれても良かったんじゃないの?」

「驚かそうと思って。驚いただろう?」

 颯の笑顔を見ると、玲太郎は怖い顔をしている事が馬鹿らしく思えて来た。

「それは驚いたけど、教えてくれても良かったんじゃないの?」

「そうしたら玲太郎が驚かないじゃないか」

「それはそうだけど、驚かす必要はなかったんじゃないの?」

「ま、よいではないか。颯は玲太郎を驚かせたかったのよ」

 俄にヌトが会話に入って来ると、玲太郎が口を尖らせた。

「ヌトは黙ってて」

「それよりも玲太郎、毎日きちんと瞑想を遣っておるのか? 怠るなよ?」

「めい想って言われても、目を閉じて暗い中でさんじっ分くらい無になるだけなのに、どの辺が大切なの?」

「まだ暗いのか?」

 そう訊いたのは颯だった。玲太郎は頷いた。

「真っ暗よ。はーちゃんやヌトが言うみたいに透明の虫なんて見えないのよ」

「そうなんだな。でもその内に見えるようになるだろうと俺は思っているんだけどなあ」

 颯は冴えない表情で少し首を傾げた。

「ふうん……。それよりも、どうして僕がはーちゃんと同じ部屋になれたの? 先生と生徒が一緒の部屋じゃダメなんじゃないの?」

「言いたい事はそれか? 玲太郎の魔力の測定値からして、責任が持てそうな俺に押し付けておけば楽だろう? お陰で雇って貰えたし玲太郎様様だよ。いや、玲太郎が来ると言わなければ来ていないから、玲太郎様様ではないな。水伯に推薦状を書いて貰ったから水伯様様か?」

「言いたい事はそれではないのよ。ちょっと疑問を持ってたから聞いただけ」

「あ、そう。まあ、部屋は玲太郎を体良く退かせられて、学院側としても喜ばしかったんじゃないのか」

「うん? どういう事?」

「一学年に一室、一人部屋があってな、本来成績が首席の子に与えられるんだけど、その玲太郎が俺と一緒になっただろう? それでその部屋に大物を突っ込めて、学院側もひと安心って事だよ」

「大物?」

 怪訝な顔になると、颯はまた笑顔になった。

「そう、大物。今夜にでも食堂で会えるよ」

「はーちゃんは勿体ぶるねぇ」

「女子を一人押し退けて入って来たからな。今年の一学年は男子が半端な四十六人になったよ」

 力なく言うと、ふと何かを思い付いた顔をする。

「あ、そうだった。食堂と言えば、開始時間に行くより遅く行かないか?」

「人が多いの?」

「六学年の半分くらいが一斉に行くからなあ。食べ終わった後も部屋に戻らず、居座る子もいるからな」

「そうなると、結構遅くに行かないといけなくなるね」

「まあ、食事時間は八じっ分、夕食に至っては一時間もあるから十分くらいに行くか」

「うん、そうしよう。それにしても一学年の男子が四十六人だと、女子は一人少ない四十四人なの?」

「そうだよ。合格者を決めた後に大物の入学の打診が来たから、女子の方が脱落者が多い事もあって、女子を削ったんだって」

「そうなんだね。なんだか可哀想」

「魔力欠乏に陥ると女子の方が死に易いみたいだからな」

「ええ、それは怖い……」

「玲太郎には無縁の話だけど、魔力が枯渇して死に至っても訴えません、って内容の誓約書は書かされている筈だけどな」

「そうなの? 僕だって魔力がなくなって倒れる事があるかも知れないよ?」

「あははは! ないわ、それは本当にないわ」

 俄にヌトが会話に入って来た。

「わしですら枯渇する程に魔力を使つこうた事なぞ、片手で数える程度ぞ。悠次に入り込んだ塵を除去する為に相当の魔力をぎ込んだ時は、魔力をほぼ使い果たしたが、脱力した程度で倒れはせなんだしな」

「そう言えば、悠ちゃんのあれって、どれくらいの魔力を使ったんだ?」

「どれくらい……? これ程度を三百は優に超えておったのではなかろうか」

 そう言って炎を出して見せた。目に見えない程の炎だったが陽炎が立った。眉を顰めた颯はそれを横目で見ている。

「これくらいと言われても使用量が判らないなあ……。取り敢えず火力が凄いのは判ったから消して貰っていい?」

 即座に消え、残った熱気を颯が魔術で冷ました。

「ふむ。今の玉よりも小さくして熱を感じぬように気をつこうたから、更に量も多かろうて。わしも良く判らぬ。ま、終えた後、脱力して四つん這いになった事は憶えておるぞ」

「あれは数が多かったもんな。あの時に感じた物は本当に恐ろしかった」

 あの時の恐怖を思い出した颯の表情が険しくなった。

「なんの話をしてるの?」

 いつもの素に戻った颯は玲太郎を見る。

「亡くなった兄ちゃんの話だよ。菌にむしばまれて、その菌をヌトが除去して貰った事があったんだよ」

「ゆうちゃんね。覚えてないけど土は持ってるから知ってるのよ」

「そう、悠ちゃん。玲太郎が赤ん坊の頃、水伯と兄貴と俺以外には泣いてしまって抱けなかったんだよ。だから悠ちゃんは玲太郎を抱っこする為に毎日玲太郎の何処かに触れて、慣れさせようとしていたんだけどな、結局最期まで抱っこが出来なかったんだよな……」

「そうなの。僕、悪い事をしちゃったね……」

「まあ、玲太郎も小さかったからなあ。それにもう終わった事だから気に病むなよ?」

「うん」

 小さく頷いた玲太郎は眉を顰めた。

「あっ、言いたい事、覚えてたのに忘れちゃった」

 颯はそれを聞いて鼻で笑った。

「思い出したら、その時に言って貰えればいいよ」

「言おうと思って、ずっと言う機会をうかがってたのにぃ……」

 落胆して颯の肩に顔をうずめた。颯は玲太郎の背中を優しく二度叩いた。そして玲太郎を下ろすと、玲太郎は机に置かれている教科書の紐を解いて、一学年の教科書の内容を確認し始めた。

 颯は遣る事がなかった為、隣室の地下にある浴室と厠を見に行った。ヌトは当然のように颯に付いて行った。


 夕食は二十二時からだが、玲太郎と颯は半時間経ってから食堂へ向かった。食堂は二十三時に閉まる事もあり、残って茶を飲んでいる生徒が結構いて席が思いの外埋まっていた。二人は南側から仕切り台まで行くと、先に颯が右手の奥に置かれている盆を取り、その左に置かれている玻璃の水飲みを手にすると、水差しから水を注いで玲太郎の盆に置いた。そして自分の分も入れると匙と突き匙も同じように置いて更に左に進む。

「今晩は。お願いします」

 颯がそう言うと、待ち構えていた調理人が笑顔で「こんばんは」と頷きながら挨拶を返し、食べ物を装った皿を一皿ずつ盆に置いて行った。玲太郎もそれを真似て盆に皿が載って行く。

「一学年の席はこの手前辺りがそうだからな。それと食べ終わって食器を返す時に学年と名前を言うんだぞ。それじゃあ俺は職員専用の席に行くから後でな」

「分かった。また後でね」

 颯は笑顔で頷くと離れて行ったが、ヌトは残っていた。玲太郎は空いている所で座り易そうな所を探した。丁度三席空いている所を見つけ、その真ん中に盆を置いて座った。するとヌトが机の方へ行き、その傍に座った。それを見てから合掌し、心中で挨拶をすると匙を手にして汁を飲んだ。慣れている味とは違っていたが、これはこれで美味しく感じて頬が緩んだ。

(このお汁、凄く優しい味がする。……そう言えば一人でご飯を食べるのって初めてなのよ)

 それに気付いた玲太郎は些か緊張した。

(一人だから、粗相のないように気を付けないと……。汁と麺ぽうはお代わり出来るって言ってたけど、このおかずの量だといらないね)

 肉と野菜の炒め物に、揚げ芋、生野菜が一皿に載っている。玲太郎は先に麺麭を手に取って千切ると口に運んだ。在校生の話し声で賑やかだったが、玲太郎は気にならず、炒め物から醤油の味がして驚きながらも黙々と食べ進めた。近くに座っていた二人組が食べ終えたようで話をし始めた。玲太郎は聞き耳を立てるまでもなく話し声が聞こえた。

「名前が分からないけど、あの調子だと、あの子は退学になるだろうね」

「そんなにひどいの?」

「ひどいよ。ゾーヴィこうしゃく家だからオレに逆らうなって言ってたもん」

「生徒手帳を読んでないの?」

「さあ? とにかくぼく達は部屋がとなりで近いだろ? 絡まれないように気を付けないとな」

「そうだね。平民だから下手するとイジメの対象にされちゃうね」

「貴族ってどうしてあんなにえらそうなんだろうね。ホント参るよ」

「食事の時間はずらせるだけずらした方がいいね」

「作法の事で、きっと何か言われるだろうな……」

「同じ組じゃない事を祈るよ」

「ぼくも……」

(僕も……。そんな子が一緒だと、一年が暗い物になるだろうなぁ……)

「玲太郎、今の話を聞いておったか? 虐めが云々言うておったぞ。颯も文官貴族の連中から遣られておったが、そういう事をするくずは何処にでもおるのであるな。ま、虐めて来た連中の家はことごとく当主が謝罪して来たと明良が言うておったがな」

 玲太郎は返事も出来ずに困ってしまって苦笑したが、直ぐに無表情に戻った。

「ああ、そうであったな。玲太郎は念話が出来ぬのであるな。済まぬ。何時いつもわし等兄弟の念話を盗み聞ぎしておるものであるから、出来る物と錯覚しておったわ」

 玲太郎は些か目を暗くしたが、何も言えない事もあって気にしないで咀嚼を続けた。玲太郎は食べ終えると水を飲み干すまで居座り、そして使った食器を返す返却口に行くと、そこにいた調理人に名前を訊かれて答えた。その職員は壁に取り付けられた鉤から吊り下げられた紙に印を入れた。

「ごちそうさまでした」

 玲太郎が笑顔でと言うと、調理人は「はーい」と返事をして満面の笑みを浮かべた。

「玲太郎、早く部屋へ戻ろうぞ。颯はもう此処にはおらぬわ」

 玲太郎はヌトを見ると、ヌトは頷いて先に飛んで行った。玲太郎はそれを追うように足早で食堂を後にした。部屋の前まで来るとヌトが振り返る。

「魔力を注いで鍵を開けるのであるぞ。注ぎ過ぎて壊すなよ?」

「大丈夫だって。魔力を少しだけっていうのも練習をやってて出来るようになってるんだから」

 そう言って取っ手に手を掛けると音がして開扉する事が出来た。中に入ると颯の姿がなかった。扉を閉めて魔力を流し、先程とは逆に施錠をする。

「はーちゃんはいないよ?」

「隣から気配がするから、其方そちらにおるのであろうて」

「そうなの、分かった。ありがとう」

 玲太郎は隣と繋がっている扉を開けてそちらへ行くと、台所にいる颯を見付けた。

「いたよ」

 ヌトにそう言うと台所へ向かった。玲太郎が近付いて来ると颯が振り返った。

「お帰り」

「ただいま。何やってるの?」

「麺麭なんて幾ら食べても腹の足しにならないから米を炊こうと思って。お握りでも作っておけば、夜中の巡回後にも食べられていいと思ってな」

「ふうん。いつも食べてる量の半分以下だったもんね」

「そうなんだよ。お陰で此処に来てから毎日瞬間移動で買い出ししてたんだぞ。食堂の食事は子供で一食二百こん、大人で四百金だからな。金額を思えば量は妥当だけど、俺には足りなくて困っていたんだよ」

「だから沢山買ってたんだ……」

「うん。俺の稼ぎは食費で消えるな」

 笑顔を見せると米研ぎを再開した。玲太郎はその後姿を見詰めた。

「はーちゃん」

「うん?」

「さっきね、近くに座ってた子が話してたんだけど、侯爵家の子が凄く偉そうにしてるんだって」

「ああ、誰か判るな。母親が酷かったからな」

「そうなんだ」

「ハヤテ・ボダニム・イノウエですって言ったら、んまぁ! あのイノウエ家の…って言われたぞ」

「それでなんて言い返したの?」

「言い返していないよ。玲太郎は知らないだろうけど、兄貴と俺が覚醒式に参加した翌日に新聞に載ったんだよ。だから俺達は有名人なんだよ」

「それは本当? 初耳だよ。なんて載ったの?」

「見出しは「大精霊の寵児現る」、だったか。あれから四年は経っているけど憶えている人も割といるんだよ。その母親は俺に何かを言った訳じゃなくて、一緒に来ていた親戚や従僕に対する態度が最悪だった。それと、この近辺には平民が泊まる宿泊施設しかないから困る、とかなんとか言ってたな。でも生徒がそういう話をしていたのなら、侯爵令息は早々に退学という事も有り得るなあ。耳聡い教師がいたら、の話だけど」

「もう僕がどの組か分かってるんでしょ? その子と一緒って事はない?」

「ある」

 玲太郎は衝撃の余り固まった。颯は釜の外側を乾いた布巾で拭き、炊飯器に入れて蓋をした。

「まあ、仕方がないよ。後、大物も同じ組だからな」

 そう言いながら玲太郎の傍に行くと、玲太郎を抱き上げた。気落ちした玲太郎は脱力していた。

「大物って公爵の子?」

「んん、まあ、そんなとこ。それより玲太郎も白飯を食べたいだろう?」

 徐に歩きながら長椅子の方へ向かう。

「僕はお腹一杯だよ」

「えっ、消灯は二十七時だぞ? まだ四時間もあるのに耐えられるのか?」

「そんな時間まで起きてない、というか起きてられない。ニ十四時には眠るのよ。その前に教科書を見ておかなきゃ。まだ全部見てないのよ」

 颯はそれを聞いて玲太郎を下ろした。

「そんなに慌てなくてもいいんじゃないの? あ、茶は? いらない?」

「水を全部飲んじゃったからもう入らない……」

「そうなんだな。それじゃあ欲しくなったら教えて。俺はこっちでお数を作るから、ヌトは玲太郎と一緒にいてくれよな」

「解った」

「それじゃあはーちゃん、後でね。お風呂は別々に入るんだからね?」

「ちょっと待て。大浴場には行かないのか?」

「ここのお風呂に入る」

「此処は水伯用だから、浴槽は跨いで入るんだぞ。一人はちょっと厳しいな」

「えっ、そうなの? 階段は作ってくれないの?」

「作ると狭くなるな。水伯の屋敷の浴室程、広くないんだぞ」

「あ、もう見たの?」

「当然」

「じゃあ僕も見てくる」

 そう言って台所の方に行き、左に曲がると突き当りにある階段を下りて行った。颯は掛け時計に目を遣って時間を確認した。五分もすると玲太郎が戻り、長椅子に座っている颯の隣に座る。

「あの水草、凄いねぇ。浴槽にびっしり生えてたのよ。見た目は掃除苔と似てるんだね。それにしても、あれって踏んでも大丈夫なの?」

「大丈夫だろう。玲太郎用に梯子を作ってもいいけど、そうなると内側に下りる時はどうするかだよ。それも梯子がいいか?」

「ううん、はーちゃんと一緒に入るのよ。その方があの草を傷付けなくて済むよね?」

「それはまあ、そうではあるけど、玲太郎はそれでいいのか?」

「うん。その代わり、入る時間は僕に合わせてもらえる?」

「いいよ。それじゃあ入る気になったら声を掛けて」

「分かった。それじゃあ隣で教科書に目を通してくるね」

 玲太郎はそう言うと立ち、颯に手を振って部屋を出て行った。


 寮生活も今日で三日目だと言うのに、玲太郎は皆と部屋が離れている、食事時間は遅目、浴室は別という訳で、同学年生と触れ合う機会が全くと言ってよい程になかった。部屋に籠って何をしているのかと言うと、魔石作りの練習か、教科書に目を通しているか、颯やヌトと話をしているか、だった。そして、一日に一度、散歩をしに外出する。外出すると言っても敷地内なのだが、遊歩道を三周するだけでも意外と距離が稼げた。

 今日も昼食時間になるとヌトと共に外に出て散歩をし、それから戻ると一旦部屋に戻って颯を呼び、一緒に食堂へ向かった。食べ物を盛った皿を貰うと颯が玲太郎を見る。

「それじゃあ後でな」

「うん、後でね」

 玲太郎は座れる場所を探すと、四席が並んで空いていて、尚且つ向かい側も同様に空いていた所を見付けてそこへ座った。ヌトも付いて来て、盆の傍に座った。合掌して心中で挨拶をすると食べ始める。

「玲太郎、話し掛けられておるぞ」

 俄にヌトが言うと、玲太郎は顔を上げた。そうするとはす向かいに金髪碧眼の容姿端麗な子が座っていた。

「うん? 何か?」

 手で口を覆って訊くと、その子が微笑んだ。

「初めて見る顔だなと思って声を掛けたんだけど、食べている所をごめんね。君の名前を聞いてもよい?」

「僕はレイタロウ・ポダギルグ・ウィシュヘンドです。よろしく」

 その子の表情が明るくなる。

「そう、君が大公の子息か。僕はバハール・ディッチ・ロデルカだ。宜しく」

「どうも」

 玲太郎は上目遣いで小さく辞儀をすると戸惑った。

(ロデルカという事は王族? ど、どうすればよいの? ……ああ、はーちゃんが言ってた大物ってこの子なのね……)

「君の部屋を取ってしまってごめんね。そんなつもりはなかったんだけど、そういう事になってしまったから……」

「その結果が僕にとっては良かったので、気にしないで下さい」

 玲太郎はそう言って微笑んだ。バハールは申し訳なさそうに笑顔を作った。

「そう言ってもらえると助かるよ。同級生だから敬語は止めてくれて構わないし、気安くバハールと呼んでもらえると嬉しい」

「申し訳ありませんが、殿下をそうお呼びするのは恐れ多いので遠慮しておきます。それから僕の事はポダギルグと呼んで下さい」

「……中間名を呼べと?」

 表情が些か強張ったバハールを見て玲太郎は苦笑した。

「意味がほとんど同じだから発音し易い方をと、誰であれそう言うように父上に言い付けられてるので、申し訳ありません」

「大公がそう言うのであれば仕方がない。親戚なんだから仲良くしたかったんだけどね」

 玲太郎は反応に困って愛想笑いをし、視線を下げて突き匙で生野菜を刺すと口に運んだ。バハールはそれを見て自分も食事を開始した。玲太郎は自然と咀嚼する速度が上がっていた。

「玲太郎、ゆっくり噛め。そのようにいても仕方あるまいて」

 渋々咀嚼速度を落とすとヌトを睨んだ。ヌトは軽く頷いている。するとバハールの笑い声が聞こえた。玲太郎は思わず見ると、それに気付いたバハールが口を覆った。

「失礼。僕の側近になりたがる同世代の子達には、中間名を呼ぶ事すら許さなかったんだけど、自分がそういう立場にたって、なぜかおかしくなってしまって……」

「殿下の周りには、側近になりたい子しかいなかったんですか?」

 バハールは少し間を置いてから口を開いた。

「僕の側近になりたいというのは本人の意思ではなく、親の意向が強かったように思う。だから僕のように残念に思った子もいなかっただろう。……そう思うとおかしくなって笑ってしまったよ」

 寂しそうに笑うと、玲太郎は掛ける言葉が思い付かずに挽肉と野菜の玉子包みを頬張った。バハールは麺麭を千切って口に運んでいる。玲太郎はバハールの美しい所作を見て感心した。

(僕もあれくらい出来るとよいのだけど、出来ないのよね……)

 そんな事を思いながらバハールを一瞥すると咀嚼を終えて飲み込んだ。塩だけで味付けをされた天火焼きの野菜を突き匙で刺して頬張った。

(それにしても王族だと側近が必要になってくるんだね。それが普通なのだろうか? ……そう言えば、父上が友達を作らせようとした事が何度かあったけど、それと似たような物なんだろうか? 側近だから違うのだろうか?)

「玲太郎、物思いにふけるのは結構であるが、今は食事中ぞ」

「あっ、うん」

 思わず返事をしてしまうと、暫く動けずにいた。ヌトが辺りを見回す。

「大丈夫ぞ。誰も気にしてはおらぬ」

 それを聞いて肩の力が抜けると、玉子包みを頬張った。

「向かい側に座っておる子の事が気に掛かるのか? ま、玲太郎が気にする程の事もなかろうて。中々に綺麗ではあるが、明良の方が綺麗であるからな」

(確かに……)

 玲太郎は心中で納得し、思わず頷いた。

「また咀嚼が疎かになっておるぞ。思案しながら食べるでない」

 そう言われて確りと咀嚼をし始めた玲太郎は、またヌトを睨んだ。

「颯は食事が好きだから、食べている間は集中しておったものであるがな。それもあって、わしが食事中に話し掛けると無視をするのよ。家族で食べておる時は話す癖に酷いと思わぬか?」

 玲太郎はヌトの話に耳を傾けると答えたくなる事もあって、人差し指を立てて口の前に持って行った。ヌトはそれを見て溜息を吐く。

「そうであったな。玲太郎は念話が出来ぬものな。解った。黙っておるわ」

 これで一安心した玲太郎は麺麭を持って千切った。


 食べ終えて席を立つと、バハールが玲太郎を見た。

「申し訳ないのだけど、一緒にお茶でも飲みながら、話に付き合ってもらえないだろうか」

 突然の申し出に驚いた玲太郎は目を丸くした。

「少しなら付きうてやれば良かろう」

 ヌトがそう言うと玲太郎は頷いた。

「分かりました。それじゃあこれを片付けてお茶を持って来ます。砂糖と牛乳はいりますか?」

「砂糖は一個、牛乳はいらない。宜しく頼む」

「はい」

 ヌトはその場で待つ事にして、席を離れた玲太郎を見送った。暫くすると盆に茶器を二個載せて戻って来た。食卓に手を突いて、受け皿に角砂糖が一個載っている方の茶器をバハールの方へ置いた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「ポダギルグはなぜこの学院を選んだの?」

「寮がある学校の中で家から一番近いからです。週末は家に帰るつもりなのでそれでですね。殿下はどうしてですか?」

「敬語は本当に止めて欲しい。それと僕の事はバハールが駄目なら、ディッチで頼む」

「……分かり、分かった。それじゃあ……、ディッチはどうしてこの学院を選んだの?」

「兄上の後見人がツェーニブゼル侯爵だからツェーニブゼル領に来てみたくてね。それと君がここに入学するという情報を得たからだよ」

「えっ、僕?」

 バハールは笑顔になると、驚いている玲太郎を見る。

「大公に息子が出来て、その子が僕と同い年と聞いていたから興味があってね。出来れば仲良くなりたいと思っていたのだけどね」

 言い終えると、匙に載った角砂糖を茶の中に入れ、匙を徐に掻き混ぜた。

「そうなんだ……。僕はつまらない人間だよ?」

「面白いとかつまらないとか、そういう事はどうでもよいのだよ。話が出来て、あわよくば仲良くなりたいと思ったのだけどね」

「ふうん。お互いの事を知らないのに、仲良く出来るものなの?」

「ポダギルグは友達はいるの?」

「いるよ。友達というか、幼馴染なんだけどね。それも一人だけなんだけどね。仲のよい庭師の孫なのよ。ディッチはいるの?」

「僕はいない。幼い頃から同年代の子と会っているけど、心を許せる気がしないのだよ」

「そうなの?」

「うん。後ろにいる大人の事が気になって、仲良くなりたいと思えなかったのだよね。だから僕の周りは大人ばかりになってしまった」

 バハールは匙を受け皿に置いて、茶器の持ち手を持った。

「僕も幼馴染以外は大人ばっかり。敷地内に使用人が住んでいるんだけど、僕と年の近い子もいても幼馴染以外は会った事がないのよ」

 バハールはそう言う玲太郎を見ながら茶を二口飲んだ。

「幼馴染とはどうやって出会ったの?」

「植物が好きで温室に良く行ってたら会ったのよ。お互い植物が好きだったから話が弾んで、気が付いたら仲良くなってた感じだね」

「植物が好きなのだね。それでは将来は薬草師になるつもり?」

「うーん、それはまだ分からないね。ここでは薬草術は習うけど、それを職業にしようなんて、今の所は考えてないのよ」

「でも大公は長生きだから、爵位は継がないんだよね?」

「ウィシュヘンドはあげるって言われた事ならあるけど、僕は爵位に興味がないんだよね。だから学びながらやりたい事を見付けようと思ってる。ディッチはどうするつもりなの?」

「僕は兄上の手助けをしていけたらと思っているから、宰相を目指すつもりでいるよ」

「もう決めてるんだ。凄いねぇ。僕なんか今を生きる事で一杯一杯だよ」

「聞いているよ。魔力量が凄く多いんだよね?」

「あ、うん、そうなのよ。長生きするから焦らなくてよいよって父上に言われてるから、まだ将来の事は真剣に考えなくてもよいかって……」

「僕も魔力量が多めで質も高めなんだよ。ポダギルグには遠く及ばないけどね。だから僕も普通より長生きするって言われてる。二百歳前後って言われたよ」

「そうなの! 凄いねぇ」

「ポダギルグはもっと長生きするのだよ? 僕なんか目じゃない程に」

「うん……。正直に言うと、そう言われても、こう……しっくり来ないと言うか、実感が湧かないと言うか、良く分からないんだよね」

 苦笑しながら言った。そして茶器の持ち手を持つと一気に半分飲んだ。

「わしも気付いたら今も生きておるという状態であるから、玲太郎もそうなろうて」

「そうなんだね。僕も気付いたら生きてる状態が続いてて、父上みたいに長生きしてて、植物を育てて楽しんでるんだろうか」

「玲太郎、わしの言う事に反応をしてどうする」

 そう言われて目を丸くした。そして恐る恐るバハールを見る。バハールは茶を飲んでいた。

「庭師が不要になりそうだね」

 茶器を受け皿に置きながらバハールが言うと、玲太郎は苦笑しながら頷いた。

「うん、そうだね。そうなったら幼馴染の仕事を奪ってしまうからダメなんだけどね」

「ああ、そうだ、大公も長生きだから家を出て行く必要もないんだね」

「父上は優しいから出て行けなんて言わないのよ。そうなると僕は居着いちゃうだろうね」

「ポダギルグの母親はいるの?」

「生みの母親はいるよ。父上の奥さんはいないけど育ての母親がいるのよ」

「ごめん。悪い事を聞いてしまっただろうか」

「気にしないで。育ての母親が一杯いるから平気なのよ」

「うちは知っているだろうけど、父上が亡くなって、母上と兄上の三人家族なんだ。だから母親が沢山いるというのは羨ましいよ」

「ふふ。父上、あーちゃん、はーちゃん、ばあちゃんが母親代わりだからね」

「おい、わしは?」

「あ、そうだった。ヌトもだから一、二、三、…五人母親がいるようなもんだね」

「アーチャン、ハーチャンにヌトって?」

「えっと、あーちゃんとはーちゃんは兄でね、幼い時に面倒を見てくれてたんだって。……それと、ヌトは家族じゃないんだけど、その人も面倒を良く見てくれてたんだって。僕は小さ過ぎて覚えてないんだけどね」

「そうなんだ。色々と複雑そうだね」

 申し訳なさそうに言うと、玲太郎は至って平然としていた。

「そう? まあ血が繋がってたり、繋がってなかったりだけど、家族は家族だから」

「そう。わしも家族であるな。玲太郎が赤子の頃は絵本も読んだし、おしめも替えたものな」

 ヌトが会話に入って来て感じ入っていると、バハールは紅茶を飲み干して静かに受け皿に置いた。そして穏やかな表情で玲太郎を見る。

「色々と話してくれてありがとう。良ければまたこういう時間を過ごさせて欲しい」

「こちらこそありがとう。また一緒に過ごすのは構わないけど、僕が食堂に来る時間は遅めとしか決めてないから、会えなかったらごめんね」

「寮長のイノウエ先生と同室なんだよね?」

「うん、そうだね」

「それでは迎えに行くよ」

「えっ」

「駄目だろうか?」

 断られるとは一切思っていないような、自信に満ちた笑みを浮かべている。玲太郎は無下に出来ずに困ってしまった。

「んっ……と、構わないけど、昼は散歩をしてから来てるのよ。だから部屋にいないよ?」

「あはは、明日は入学式だよ。でも昼はこっちで食べるのだろうか」

「あ、そうだった。明日は入学式だった。すっかり忘れてたのよ。はーちゃ、じゃない、…イノウエ先生が入学式の日は午前中で終わって、午前の間食とか昼食とかも寮で食べるって言ってたから部屋で待ってるね」

 バハールは怪訝そうな表情をしていたが、それも直ぐに明るくなった。

「成程、イノウエ先生が兄なんだね? 羨ましいよ」

 玲太郎は素直に嬉しくなると、笑顔になった。

「ありがとう。僕にとってはとてもよい兄なのよ」

「それではアメイルグ公爵も兄になるの?」

「あれ? あーちゃんの事も知ってるの? そうなの、アメイルグ公爵も兄なのよ」

「三兄弟で魔力の質も量も最高値なんて凄いね」

「父上は奇跡だって言ってたのよ」

「だろうね。奇跡以外の何者でもないよ。……それでは今夜も迎えに行くから一緒に食べよう」

「あっ、うん、分かった。それじゃあ待ってるね」

 バハールは立ち上がると玲太郎に微笑み掛けた。

「では夜にね。遅めに迎えに行くから」

「玲太郎、夜は颯と食べるのであろう?」

「あっ、そうだった、夜は部屋でイノウエ先生と食べるから注文をしてないのよ。だから朝と昼と間食二回の内にしてもらってもよい?」

 バハールが頷いて笑顔になる。

「では間食の時に迎えに来るよ。遅めにね」

 玲太郎は釣られて笑顔になって頷いた。バハールはそれを見てから椅子を食卓の下に入れると受け皿を持って皿の上に置き、盆を持って去って行った。

「わしも一緒に行くからな」

 玲太郎は残っている紅茶を飲み干すと小声で「分かった」と言って、茶器を受け皿に置いた。


 玲太郎は急いで部屋に戻ると、衣桁の足下にある室内履きに履き替え、机に向かって読書をしている颯に飛び付いて行った。

「わっ、玲太郎、何を遣っているんだよ。玲太郎が危ないだろう?」

「僕は平気。そんな事より、ヌトが会話に入って来たり、話しかけて来たりして、つい答えちゃうのよぉ……」

 読んでいた本を閉じて置き、玲太郎を横向きにして膝に乗せた。玲太郎の後ろにいたヌトが机の端に座る。

「別に構わぬではないか。わしに反応をせねばよいだけの話よ」

「それはいつもの事だからな。……うん? 会話に入って来たりって誰かと話してたのか?」

「王族の子が話しかけて来て、それで話したんだけど、これからずっとご飯は一緒かも知れないのよ」

「おお、大物がこの時間に来ていたのか」

「そうなのよ」

「大物とどんな話をしたんだ?」

「んっとね、友達がいるかと、母親はいるかを聞かれて、長生きの話をしたのよ」

「ふうん。大物は王族は王族でも、国王陛下の弟で、王弟殿下と言うんだよ。その王弟殿下も魔力の質と量が平均より随分と上だから、国王として担ぎ上げたい輩がいるみたい、と言う話を兄貴から聞いたなあ」

「そうなの。大変だねぇ。……あ、それと名前はポダギルグと呼んでって言ったら顔が引きつってた」

 颯は失笑した。玲太郎は眉を顰めた。

「あははははは。それはそうだろうな。仲良くなる気はありませんという意思表示だからな。まあ、玲太郎は発音し辛いからなあ」

「それも言ったし、父上の言い付けだからってきちんと言ったよ?」

「そうなんだな。……で、友達になれそうか?」

「最初はなんだか偉そうな口振りだったけど、話してる内に少し砕けて来たから、あれなら友達は無理でも、話し相手にはなれそう」

「それなら良かったじゃないか。でもヌトとは常に一緒にいろよ?」

「分かった。でも話しかけてくるのよ」

「ヌトだからそれは諦めろ。それはさて置き、茶でも飲むか?」

「さっき飲んじゃったけど欲しい。なんか、ちっとも味がしなかったのよ」

 颯は玲太郎を膝から下ろすと立ち上がった。

「そうなんだな。まあ、相手が王弟殿下だとそうなるか。王族だもんな。俺も国王陛下の御前では緊張したなあ」

 玲太郎が先に歩いて開扉した。

「はーちゃんでも緊張する事があるんだ」

「あるに決まっている」

 颯は扉を開放したままで台所へ向かう。台所に着くと鉄瓶に水を入れて焜炉に置いた。

「玲太郎、火を点けて」

「はーい」

 ここ数日、火を点ける係になっている玲太郎にはお手の物だった。颯が調理台に必要な物を揃えると、玲太郎は茶器に茶葉を入れた。

「今日は濃く出して牛乳を入れるか?」

「うん。それと蜂蜜も入れる」

「それじゃあ牛乳を買って来る。それ以外に要る物はあるか?」

「うーん、急に言われても……。あ、玉子が食べたい」

「さっき食べただろう? まだ食べたいのか?」

「茹でた玉子が食べたいのよ」

「解った。それじゃあヌト、見ていてくれよな?」

「解っておるわ。気を付けて行けよ」

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 颯は財布を取りに寮長室へ向かった。

「先程の子は玲太郎を気に入ったようであるが、玲太郎はどうなのよ?」

「んー、まだ良く分からない」

「颯は友達は不要であると言うて、学校では作りもせなんだが、玲太郎はそうではないのであるな」

「友達は、……そうだね、いてもよいし、いなくてもよいし、どっちでもよいね。でも僕は飛び級をするつもりだから長続きしないかも知れないね」

「友達とはそういう物なのか?」

「さあ? だって、友達なんて幼馴染しかいない僕には良く分からないのよ」

 玲太郎は首を傾げると、ヌトも首を傾げた。

「解せぬな……」

 そうこうしている内に湯が沸いて、茶葉の入った茶器に湯を注いだ。

「颯がお代わりするであろうが、湯の量はいつもより少な目でよいと思うぞ」

「あ、そうだね。牛乳を入れるんだった」

 鉄瓶を鍋敷きの上に置くと、茶器に蓋をして砂時計を引っ繰り返した。

「牛乳を入れるから、砂時計はもう一度引っ繰り返すんだよね?」

「そうであるな。少々濃くなっても乳を入れるから大丈夫であろうからな。ま、颯がいつ戻るかが問題であるがな」

 砂時計が二回目の終わりを告げようとしていた時、颯が荷物を抱えて戻って来た。

「只今」

「おかえり」

「意外と早かったな」

 ヌトはそう言いながら颯の肩に座る。

「牛乳と玉子と燻製肉を買って来ただけだからな。玲太郎は茹で玉子、俺は目玉焼きに燻製肉だ。それと持ち手が付いた大き目の湯呑みを見付けたから買って来た」

 そう言いながら紙袋から買って来た物を出した。

「えっ、ずるい。僕も欲しい」

「どれが欲しいんだよ?」

「目玉焼きにくん製肉と湯呑み」

「それじゃあ茹で玉子と目玉焼きの両方を作るよ。湯呑みは四個買って来たから玲太郎の分もあるぞ」

「本当? 嬉しい!」

「油紙に包まれているのが燻製肉だから、それと玉子を冷蔵庫に入れておいて貰える?」

「分かった」

 颯は焜炉下の棚から小さ目の鍋を出すと焜炉に置き、それに牛乳を入れて火を点けた。そしてまた調理台に行き、まだ出していない物を紙袋から出した。新聞紙に包まれた湯呑みを置くと、玲太郎が新聞紙を取り除き始めた。一個目は紫紺、二個目は若竹色、三個目は灰茶、四個目は黒という単色の物だった。

「濃い紫、緑、薄い茶色、黒かぁ。青はなかったの?」

「あったけど水色だったんだよ。それと薄い黄色があったけどその四色にした。駄目だったか?」

「濃い青が欲しかったのよ」

「解っているけど、水色すらなかったんだから仕方がないだろう?」

「うん……」

「使うのは一個に決めず、使う時に色を決めればいいよ」

「そうする。この茶色は渋くてよいね」

「ふっ、そうだろう」

 颯は茶器の蓋を取ると、火を止めて鍋を持って来た。牛乳は膜を張っていて、匙を一瞬で顕現させると膜を掬って食べて匙を咥えた。そして牛乳を茶器に注いでしまい、空になった鍋を瞬時に綺麗にして棚に戻した。

「僕もはーちゃんみたいに、いつかは洗浄魔術が使えるようになる?」

 茶器に蓋をして玲太郎を見る。

「なるよ。俺も水伯みたいに出来たらなあと思いながら大きくなったけど、魔術が使えるようになって、授業で習って、それで出来るようになったからな」

「授業で習うの? 教科書に載ってなかったよ?」

「どの色の湯呑みを使う?」

「緑!」

「緑な。……洗浄はじょう学校な。此処で習う魔術は自分が浮けて、そのまま自在に移動、物を浮かせる、それもそのまま自在に移動で最終的には箱舟の操縦の練習だろう。それから土から物を作る、土に戻す、土で作り出せる物を無から作る、消す、だからな。土以外は火と水と風と光も無から作るという魔術を習うだろう。玲太郎は浮けても移動出来ないんだから、移動出来るようになるまで練習なんだぞ? 箱舟の操縦が出来ないと卒業が出来ないから、免許を取るまで遣り続けるって教科書に載っていただろう?」

 緑と黒の湯呑みにたっぷりと注ぐと茶漉しを置き、玲太郎の前に緑の湯呑みを置いた。

「ありがとう。それは載ってたから読んだのよ」

 玲太郎は蜂蜜の入った瓶を持ち、蓋を開けると匙で三杯も蜂蜜を入れた。

「どう致しまして」

「……そうなの、浮けるけど移動が出来ないから、移動が出来るようにならないとダメなのよね。後、物を浮かせるのはやった事がないのよ。土から何かを作るのもやった事がないね。無から何かを作るのは玉でしょ? それは出来るのよ。植物を育てたりするのはどうしてないの?」

 蜂蜜が混ざるように丁寧に掻き混ぜている。

「植物の成長促進は中級、無から植物を出すのは上級に分類されているんだけど、中級からは上学校で習う。初級でも土から何かを作るというのは、只の石だったり、色付きの石だったり、鉱石だったりを作るんだけど、色々作れるようになると案外楽しいぞ」

 手を止めて颯を見る。

「それは教科書に載ってた。それ以外に、載ってないけど習うって事はないの?」

「……若しかして、少ししか載っていなかったから不満なのか?」

「うん。もう少しこう、なんて言うか、……そう、物足りないのよ」

「才能の有無が関係して来るけど、大抵は時間が掛かるもんだぞ? だから基礎を確り学ぶんだよ。まあ、玲太郎は魔力が多いから、起きている間にずっと練習を遣ったとしても魔力欠乏にならないだろうけど、時間は有限だからなあ。それに高所恐怖症が出たら浮けなくなるという弱点もあるからな」

「う……」

 痛い所を突かれた玲太郎は両手で湯飲みを持って移動した。颯も黒の湯飲みを持つと玲太郎の後ろを付いて行く。二人は食卓に湯飲みを置くと椅子に座った。

「魔術は毎日二時限、それに治癒術、薬草術、呪術、付与術のいずれかを合わせて、三時限から五時限も遣るんだからな。毎日一時間程度の魔術の練習を遣っていた玲太郎からすると、一時限が六十分だから最高三倍の時間を掛ける事になるんだぞ。毎日遣っても上達しない辛さは良く解っているだろう?」

「それは分かる。はっきり言ってはーちゃんとヌトがいなかったら浮けてなかったと思うもん」

「移動が出来るようになっても、今度は速度が問題になって来る。水伯や兄貴や俺が簡単に飛んでいるから、簡単に出来そうに思うだろうけど、思ったより出来ていないだろう?」

「思ったよりと言うか、全くだね……。いつも抱っこして飛んでもらってるけど、いつになったらああいう風に飛べるのか、想像が出来ないのよ」

「一学年の内は自分が浮く練習と物を浮かせる練習を一時限ずつ遣るんだけど、一学年の内に両方が出来ないままの子は約半数と言われていて、一方で一年も掛からず箱舟の操縦が出来るようになる子もいるからな」

「後者はあーちゃんとはーちゃんじゃない」

「そうだな。上学校でも初級魔術は習えるけど、箱舟の免許を取っていたお陰で、別の教科に回せたのは大きかったなあ」

「あああ! 僕の飛び級計画に暗雲が!」

 両手で頭を抱えて大袈裟に騒いだ。颯は紅茶を勢い良く飲み、湯呑みを食卓に置いた。

「玉も出せた所で動かせないんだろう? 知っているぞ」

「うっ……」

「今はどのくらいの大きさになっているんだ?」

 玲太郎は紅茶を三口飲んで微笑んだ。

「父上が言うには直径五十ジル弱(三尺)だって。特大の水晶に壊さず魔力を注ぐ事は出来るようになったのよ」

「そうなんだな。五十ジルを切っているのなら上達しているじゃないか。それじゃあ魔石作りは大型に挑戦しているのか?」

「してたけど、一個すら成功出来てない……」

「高品質の大型なら、玉の大きさが直径で三十ジル(二尺)くらいだったと思う」

「そんなに小さいの?」

「小さい水晶を壊さずに済むようになったらもっと小さい玉になるぞ? この前、ヌトに見せて貰った、あの目視出来ないくらいの大きさを目指すんだよ」

「えっ、あんなの出来る気がしない。全くしない」

「玲太郎は直ぐに否定をするが、それが良くないのよ」

 ヌトが会話に入って来た。

「ああ、それはあるかも。出来ないと思っちゃうのはもう癖だね」

「ま、玲太郎は長生きをするのであるから、気長に遣るがよいわ。な?」

「父上にも似たような事を言われるんだけど、飛び級で卒業するには出来るようにならないとダメなんだからね?」

「気だけ急いても仕方なかろうて」

「そういう事だな。まあ焦らずに遣れよ。放課後は魔術以外の教科を自習するんだろう?」

「そのつもりだけど、魔術に使った方がよいの?」

「それは一学年を修了したらの話だな。二学年以上は補習で魔術の練習が出来るようになるぞ。今いる在校生の最長は八年生だってよ。箱舟でつまずいているようだぞ。それ以外の教科は全部修了しているから魔術の授業全てに出て、尚且つ放課後も遣るんだと」

「うわぁ、他人ひと事じゃないなぁ……」

「まあ、玲太郎は移動する、玉を動かすという事が出来れば難はないと思うけどな。後は高さか。でもいちモル強(七尺)も浮けるんだから、後一モル弱(六尺)くらい浮ければ、速度を出す練習を遣って、中級の免許が取れればいいと思うな」

 そう言うと残りの茶を飲み干した。玲太郎は些か俯き加減で湯呑みを見詰めていた。

「茶器に残っている紅茶、貰ってもいいか?」

「うん、どうぞ」

「有難う」

 颯は湯飲みを持ったまま立ち上がると調理台の方に向かって歩いた。玲太郎は湯呑みを両手で持ち、少し冷めて温くなった紅茶を二口飲んで微笑んだ。


 そして十月二日になり、七時七十分を過ぎると、校舎の一階にある玄関広間には人垣が出来ていた。正面玄関と裏口が一直線で結ばれていて、正面玄関から裏口を見ると中庭が見える。玄関広間は天井が高く、中々の広さを誇っている。広間の両脇には階段があって昇降口も兼ねていた。その北側の階段横に一学年の組分けが張り出されていた。

 玲太郎は当然ながら制服を着ていた。制服は藍墨茶あいすみちゃ色の上着と灰青はいあお色のズボン、中には白の襯衣しんいを着ている。襟の下に橙色の襟締めを通して、太い輪で襟元に留めていた。輪は校章が刻まれた灰金製で昨日配られた物なのだが、首席が灰金製だった。上着の左胸に衣嚢が付いていて、そこには白、橙、栗色の三色で校章が刺繍されている。その刺繍のお陰で颯に買って貰った柿茶色の靴が意外と合っていた。

 そんな玲太郎はバハールと一緒に少し遅目に来て、それを確認している。曜日から取られた月、星、海の三組に分かれていて、六学年の間はずっと同じ組になる。

「月組だよ」

 バハールが先に確認が取れたようでそう言った。

「僕も月組だった」

「わしは書かれておらぬな」

 透かさずヌトが言うと、玲太郎は噴き出しそうになったが何とか堪えた。バハールがそんな玲太郎を見て少し心配そうにした。

「顔が赤いけど緊張でもしているの?」

「してないけど、人にてられたのかも」

 遅目に行った事が逆効果だったようで、男子だけではなく、女子もいる事で結構な人垣が出来ていた。

「早い時間に食事に行くとこんなもんだよ。いや、それより少し多いくらいかも。それでは教室へ行こうか」

「うん、行こう」

 玲太郎は頷くとバハールの少し後ろを歩く。周りを良く見ると、バハールの容貌に見惚れている女子が割といた。

(はーちゃんが王弟殿下は女子に持てるはずって言ってたけど、こういう事を言うのだろうか)

 バハールは衆目を全く気にしていないようで、真っ直ぐ前を見据えて北棟にある教室へ向かった。広間の直ぐ北側に厠があり、その隣の教室が一学年月組になる。手前の出入り口から入ると既に着席している生徒の視線を一斉に浴びた。黒板を見ると見慣れた筆跡で座席表が書かれていた。

(あれ? あの字、はーちゃんのだよね?)

「む? あれは颯が書いたのか? 綺麗なように見えて崩れておる、正しく颯の手跡。担任は颯なのか?」

 黒板を見入っているヌトと同じ事を思っていて、話したい衝動に駆られたがなんとか堪えた。

「玲太郎とおるから颯の現状が判らぬわ。どうなっておるのよ?」

 ヌトはしつこく玲太郎に訊いた。するとバハールが振り返る。

「僕は窓側の前から二番目だった。ポダギルグは窓際の一番前だから僕の前だね。それでは行こうか」

 小声で言うと、玲太郎は頷いた。そしてまたバハールの少し後ろを歩いた。

「あんな子いたか? いなかったな、なぞと言うておるぞ。九分九厘は玲太郎の事であろうて。此方こちらを見ておるから間違いないな。しかし女子おなごの殆どは弟を見ておるようであるな」

 ヌトの要らぬ報告を受け、玲太郎は顔が益々紅潮した。

「ふむ。赤面症は治ったと思うておったのであるが、そうでもなかったな」

 玲太郎は着席すると黒板を真っ直ぐ見た。その上の教室の丁度真ん中に掛け時計があり、後分で八時になろうとしていた。

「あれが田舎公爵の息子かよ。黒髪じゃん。ヤボったいな」

 廊下側の後ろの方から声がして、教室が静まり返った。

奴は阿呆よな」

「だっ、だめだよ、そんな事を言ったら……」

 ヌトが言うのとほぼ同時に小声で聞こえて来たが、ヌトの声で何を言っていたのか、玲太郎には判らなかった。すると後ろで物音がして玲太郎が振り返ると、バハールが立ち上がっていた。

「今、黒髪が野暮ったいと言ったのは誰だ?」

 厳しい表情で問うたが名乗る者はいなかった。教室にいる殆どの視線を集めていたが、バハールが怯む事はなかった。

「大きな声で野暮ったいなと言ったのは誰だと聞いている」

 玲太郎は急いで立ち上がってバハールの前に行き、肩に手を置いた。

「よいのよ。気にしないで、お願い」

 玲太郎は懇願をすると、バハールは眉を顰めた。

「本当によいのか?」

「うん、構わない」

「そう。分かった」

 バハールは頷くと着席し、玲太郎は笑顔になって席へ戻った。気が付くとヌトがいなくなっていた。不思議に思っているとまだ来ていなかった生徒が一人、また一人と駆け込んでくる。そして授業開始を報せる鐘が鳴り、少し遅れて颯がヌトと共に入室して閉扉した。

 黒檀こくたんの色をした上下に、橙色の襯衣を着用している。襟締めは幅の広い布を巻いて前で結んで上側を広げ、深緑に輝く大きな宝石を金で縁取られた装身具で留めている。そして黒茶色の靴を履いていた。髪はいつも通りよんろくで分けているが、整髪剤を使って横に流している。

 ヌトは黒板の近くにいて、颯に一人の名前を指した。それを見た颯は教壇の真ん中にある演台の前に立つ。ヌトは玲太郎の下へ飛んで行った。

「お早う。この組の担任のハヤテ・ボダニム・イノウエだ。今日から一年、楽しく学んで行こう」

 颯の低く穏やかな声が教室に響く。玲太郎はその声を聞いて落ち着きを取り戻した。

「先ず、俺は聴力がとてもいい。それはそれは本当に凄いんだよ」

 そう言って笑顔になった。

「あれが田舎公爵の息子かよ。黒髪じゃん。野暮ったいなと言ったのは誰だ? ユギーネ・ソッグ・ユリネージ君、答えなさい」

 ユリネージは咄嗟に俯いた。そして目を丸くして口を開いた。

「あ……あの……」

 それ以上言葉にならなかったようで、颯は一瞥しただけで話を続けた。

「次に俺の苗字を聞いて、感ずる物があった子は素晴らしいと言っておこう。イノウエ、そう、イノウエだ。ウィシュヘンド州アメイルグ郡を治めているアメイルグ公爵の弟が俺だ。ウィシュヘンド郡を治めているウィシュヘンド公爵とは友達で、閣下の息子とはそれ以上の仲だ。だから言っておくが、贔屓ひいきはしない。贔屓はしないが、口の利き方には十分注意するように。ユギーネ・ソッグ・ユリネージ君、解ったか?」

 ユリネージは何も答えなかった。

「返事が聞こえないなあ」

 膝の上で握り拳を作って小声で何かを言ったが、なんと言っていたのか、聞こえた生徒はいなかった。

「俺に聞こえても、皆に聞こえていないんじゃないのか」

「すいっ……、すいませんっでした!」

 俯いたままで言うと、颯は生徒全員を見回した。

「これから、侯爵令息である事を周知する努力を怠らないユリネージ君の為に、生徒手帳を隅々まで勉強しようと思う。入学式は十時からだから、休憩を挟みながら九時八十分まで勉強するつもりだ。生徒手帳は持って来たか? 持って来ていない者はいないだろうな?」

 そう言いながらズボンの衣嚢から生徒手帳を取り出して掲げた。両手で顔を覆って耳まで真っ赤にさせていた玲太郎は上着の衣嚢から生徒手帳を取り出す。

「イノウエ、そう、イノウエだ」

 玲太郎の方を向いて机に立ち、何故か両手を腰に当て、胸を張り過ぎているヌトが楽しそうに颯の真似をしているのが邪魔だったが、なるべく視界に入れないように生徒手帳を開いた。

 生徒手帳の持参は事前に食堂に張り紙をされていたにも拘らず、持って来ていない生徒も少数だがいる事が判明した。持って来ていない生徒は借りる事を禁じ、廊下側の一番後ろのユリネージから自己紹介をした後、校則を一項目ずつ読み上げる事となった。ユリネージが立ち上がる。茶髪に碧眼で、白い肌をしていて、小太りだった。

「ユギーネ・ソッグ・ユリネージ、六歳です。魔力の質は三十、量はニ十六です。父は王都で文官をしているユリネージ侯爵です。よろしくお願いします。生徒手帳は持って来ていないので校則は読めません」

 悪びれもせずに言い放つと座った。颯は無表情でユリネージを見た。

「文官貴族かあ。ウィシュヘンド公爵とアメイルグ公爵に今度の件を話し、職場を通じてユリネージ侯爵に抗議する事とする。はい、次」

 教室は最早葬式会場だった。中でもユリネージの顔色が一番青かった。そのユリネージの前の席に座っていた男子生徒が立つ。金髪に灰色の目をしていて、褐色の肌の持ち主だった。

「ツミッツ・ウマサヤネ、十歳です。魔力量はニ十八、質は三十三です。この学院に運良く受かって嬉しいです。卒業までよろしくお願いします」

 あらかじめ広げていた生徒手帳を持ち上げ、校則を読み上げた。

「有難う。はい、次」

 ウマサヤネの前に座っている女子生徒が立つ。中黄ちゅうき色の髪に碧眼、白い肌の小柄な少女だった。

「クイカ・テッサ・ニベータ、六歳です。魔力量はニ十一、質は三十五です。父が伯爵ですが、奉仕貴族なので気軽に話しかけてください。よろしくお願いします」

 ウマサヤネ同様、手帳を顔の近くまで持って来ると、続きの校則を読み上げた。

「有難う。はい、次」

 この調子でニ十八人が済み、次はバハールの番となった。

「バハール・ディッチ・ロデルカ、苗字で分かると思いますが王族です。八歳です。魔力量は八十一、質は六十六、既にある程度の魔術を習っています。目標はイノウエ先生なので、先生から学べる事を楽しみにしています。王弟ではありますが気軽に話しかけてください。みんなで楽しく学んでいけたらと思います。宜しくお願いします」

 よどみなく校則を読むと着席した。

「有難う。はい、次」

「よし、玲太郎の番であるぞ。皆を黙らせてやれ」

 玲太郎は少々渋い表情で立ち上がった。

「レイタロウ・ポダギルグ・ウィシュヘンドです。イノウエ先生には幼い頃からお世話になっていて、兄弟のように育ってきました。ウィシュヘンドという田舎で育っているので、粗相があるかも知れません。そこはご愛きょうという事でお目こぼし下されば幸いです」

「魔力量と質を言うておらぬぞ」

「あ、魔力量は振り切りました。数字が分かりません。質は百です。僕も既に色々と習っている身なので飛び級をするつもりでいます。そういった訳で短い間になると思いますが、よろしくお願いします」

「よし、上出来ぞ」

 ヌトが満足そうに大きく頷いた。苦笑した玲太郎は生徒手帳を三度も目を通していたお陰で澱みなく読んだ。


 颯は座席表に生徒手帳を持って来ていない生徒に印を付けていた。

「まだ校則を全部読み終えていないから、生徒手帳を持って来ていないユギーネ・ソッグ・ユリネージ君、ケナドー・ヤージ・コゴモンゴ君、ホボーア・ネズル・ロジコ君、ミャーキ・ヤンカプジャ君、ナゴハル・ベルエ・アコスチャーさん、ラナイ・ルメグルさん以外で読み続けて貰おうと思う。大変だけど頑張って下さい。ではウマサヤネ君から座ったままでどうぞ」

 黒板を見ながら笑顔で言うと、ウマサヤネが読み上げ、読み上げる順番は前へ移って行き、最前列まで来ると隣の行の後ろへと移った。休憩時間になる前に終わってしまうと、颯は生徒手帳を閉じてズボンの衣嚢に入れた。

「寮で親の身分を持ち出し、自分の立場が上であると威張っている者がいる。この行為は退学処分になる行為に近い物がある。その行為を止めずに続けるようであれば、先ずは停学処分、それでも止めなければ退学処分、場合に依っては即退学処分となるから気を付けるように。ユギーネ・ソッグ・ユリネージ君は解ったか?」

「はい」

 小さな声で返事をすると、颯はユリネージの方を見た。

「声が小さいな」

「分かりました!」

「まだ次があると思って気を緩めるなよ。それから生徒手帳を忘れた者は、帳面に校則を全て書き写して四日の十八時までに俺に持ってくる事。持って来なかった場合、魔術の授業を一週間受けさせない。解ったか?」

「颯は存外厳しいな……」

 ヌトが呟くと、玲太郎は思わず頷いてしまった。所々から小声で返事が聞こえて来た程度だったが、それに関して颯は何も言わなかった。

「次の時限に係を決める。少し早いが休憩にするから、厠に行く者は行っていいぞ」

 颯はそう言うと、窓際にある教師用の机と椅子が置かれていて、そこへ行って着席した。そして窓の外に目を遣ると、箱舟が何台か停まっているのが見えた。生徒はそんな颯を見てから席を立ったり、近くの席の生徒と話したりと思い思いの行動を取った。玲太郎はヌトが机の上に立っている姿を眺めていたが、背中を突かれて左から後ろに向いた。バハールが前のめりになっている。

「イノウエ先生って厳しいんだね」

 小声でそう言うと、玲太郎は苦笑する。

「あんなイノウエ先生、初めて見たのよ。正直言って驚いた」

「もしかしたらポダギルグの事を悪く言われて、機嫌が悪くなったのかもね」

「そうだろうか?」

 玲太郎の隣の席に座っている黒茶色の髪に翠眼、白い肌をした男子生徒が玲太郎の方を何度も見ていた。玲太郎はそれに気付いたが行動を起こさなかった。すると、その後ろの金髪碧眼で白い肌の男子生徒が玲太郎を見る。

「ウィシュヘンド君ってすごいんだね。魔力量が振り切っている上に質が百なんて、イノウエ先生以外にいるとは思わなかったよ」

 そういった男子の名前も覚えていない玲太郎は苦笑するしかなかった。

「僕はゴンハベド・ビスミだよ。さっきも言ったけど九歳だから、君の一つ上になる。よろしくね」

「よろしく。ビスミ君はイノウエ先生の事を知っていたの?」

「もちろんだよ。イノウエ先生の事は兄弟そろって新聞にのってただろ? しばらくの間はみんながその話をしてたくらいだからね。うちは父さんも母さんもすごいねって一週間くらい言ってたよ」

「そうなんだね。うちは誰も何も言わなかったから、新聞に載ってたなんて知らなかったのよ……」

 玲太郎が驚いたように言うと、バハールが「ふふ」と笑った。

「僕も兄上が新聞を見せてくれたけど、当時は当然読めなかったよ。あちこちで話題になっていたそうだね」

「えっ、そうなんだ。そんなに凄かったんだね」

「ウィシュヘンド君もだけど、ロデルカ君も魔力量が多いし、質も高いからやれる事が多くて楽しそうだね」

 ビスミが屈託のない笑顔を浮かべて言うと、バハールは頷いた。

「そうだね、やりたい事が多過ぎて絞れないよ」

「ぜいたくな悩みでうらやましいね」

 そう言ったビスミの後ろの席にいる金髪碧眼で白い肌をしている女子生徒が、バハールに見惚れている様子が目に飛び込んで来た。玲太郎は辺りを見回すと、近くに座っている女子生徒のみならず、男子生徒までもが注視していた事を知った。苦笑しながら前を向くと、頬杖を突いて横目で見ている颯が視界に入った。颯は玲太郎と目が合うと、横を向いたままで微笑んだ。

「あれはわしを見て微笑んでおるな」

 ヌトが言うと、玲太郎は含み笑いをした。ヌトが振り返って玲太郎を見た。

「話は済んだのか? 友達になれそうか? 颯は友達は要らぬと言うて作らなんだからな。ああ、唯一の友達である灰色の子がおるからよいのかも知れぬな。ま、わしもおるから友達なぞ不要ではあるがな」

 最後の方は得意満面で言い、その後も独り言を延々と続けていた。玲太郎はそれを聞きながら窓の外に視線を送った。駐舟場の向こうに遊歩道があり、その奥が丘のふちになっていて低木が、その外側に高木が茂っている。


 休憩時間開始の鐘が鳴り、十分後には授業を開始する鐘もなった。颯が言ったように学級委員長と副委員長が決められ、教科ごとの係、図書委員も決められた。玲太郎は図書委員になりたかったが、首席だった事を理由に颯から学級委員長を押し付けられ、なる事が叶わなかった。

 教科の係はこれも半ば押し付けられる形で治癒術と薬草術が兼任という事でそれになった。次席のバハールは副委員長になり、玲太郎と同じ治癒術と薬草術の係になった。日直は出席番号順に二人ずつがなり、玲太郎はバハールと一緒となる事が決まった。

「ま、弟の相手は玲太郎以外に務まるまいて」

 玲太郎はそう言ったヌトを見て溜息を吐いた。色々と不満の残る結果となったがこれで一年過ごすしかなく、引き摺らないように気持ちを切り替えた。

 余った時間は教室を暗くして、入学式の入退場の仕方を颯の魔術で図解され、玲太郎はとても良く理解が出来たのだが、颯の魔術に見入って喜色満面に溢れた生徒が少なくなかった。


 九時七十分になると颯は生徒を厠に行かせ、九十分に生徒を引き連れて会館へと向かう。玲太郎は代表で挨拶をしなくてはならず、それを思うと緊張で手が冷たくなって来た。ヌトは玲太郎の後頭部の髪のひと房を掴んで付いて来ていた。

「玲太郎にもう少し肩幅があれば座れるのであるがな」

 バハールは玲太郎の後ろにいて、一束の髪が妙な揺れ方をしているのが気になった。

「わっ」

 ヌトが声を上げると玲太郎の前に飛んで来た。それと同時に誰かに頭を撫で付けられた。驚いて思わず振り返るとバハールがいて、玲太郎に微笑み掛けた。

「髪が変になってたから気になってしまってね」

「そうなの? ありがとう」

 微笑んで礼を言うと直ぐに前を向いた。

「済まぬ。わしの所為であるな」

 そう言うと紅潮している玲太郎に気付いた。

「緊張しておるのか? 顔が真っ赤であるが大丈夫なのか?」

 玲太郎はヌトに微笑むと、俄に涼しくなった。ふと顔を上げると颯が玲太郎を見ていて目が合った。颯は歩く速度を少し落として玲太郎の隣を歩いた。

「残暑とは言え、まだ夏だからその格好は暑いだろう」

「うーん、緊張で手が冷えてるんだけどね」

「本当に顔が真っ赤だぞ。暑いんじゃないのか?」

「暑いのかどうか、分からないのよ」

 颯は手を伸ばし、玲太郎の頬を触った。

「熱があるんじゃないのか。それくらい熱いぞ」

 そう言いながら額に手を当てた。

「はーちゃんの手の方が熱いのよ」

「俺もこの格好は暑いんだよ」

「玲太郎、イノウエ先生と呼ばずともよいのか?」

「あっ、イノウエ先生」

 ヌトに指摘をされて慌てて言い直して苦笑する。颯は微笑んだ。その様子を見ていたバハールも釣られて笑顔になっていた。颯はまた玲太郎の前を歩き、玲太郎は颯の背中を見詰めていた。

 会館に入ると靴箱から会場の出入口まで土足でも歩けるように敷布が敷かれていた。それは厠の前まで続いている。会場の出入り口前に二人の正装をした男性が立っていた。

 颯はそこまで行くと立ち止まり、生徒もその後ろに一列に連なったまま止まった。そしてその左隣に星組、その更に左隣に海組が遣って来た。月組以外の担任は二人共が颯よりも年上のようで貫禄があった。特に海組の担任は女性だったが、背が高く、細身で青藤色の一揃いの服を着こなし、玲太郎にはとても格好良く映った。

(でも今日のはーちゃんには敵わないのよ……。僕の選んだ服が似合ってて本当に格好良くて自慢の兄なのよね)

「玲太郎は何を喜んでおるのよ? それとも嬉しい事でもあったのか?」

 知らず知らずの内に頬が緩んでいたようで、玲太郎は両手で頬を覆うと俯いてしまった。

「ああ、直に灰色の子と八千代に会えるものな」

 そう言われて顔を上げるとヌトを見た。

「心配せずとも来ておるぞ」

 玲太郎はそれを聞いて目尻を下げたが、直ぐに無表情になった。


 前にいる大人達に少し動きがあると、颯が振り返った。それに気付いた生徒は口を閉じた。颯が前に向くと、二人の男性が直ぐに扉を開け、教師三人が揃って歩き出した。生徒はその後ろに付いて行く。

 入学式の後に始業式も始まる為、これで全校生徒が揃う事となる。席は組ごととなっていて、後ろから一学年の保護者、六学年から順に学年が若くなり、最前列が一学年となっている。

 それぞれ組の座席の右通路から前進し、前列に十五人が揃うと、後列に十五人が順に入って行き、颯が辞儀をすると生徒は着席した。

 来賓や教師は左側に並べられた椅子に着席している。玲太郎は保護者席にいる水伯と八千代の後頭部を見付けて気分が軽やかになっていた。

 副学院長の司会で式が進行し、理事長、学院長の式辞も済み、在校生代表の挨拶、玲太郎の挨拶も無事に済み、来賓の祝辞に主席宰相が出て来たり、保護者の挨拶に王太后が出て来たりして会場が湧き、教師の紹介が始まると玲太郎一人が呆然とする事もあったが、無事に入学式が終わって新入生は会館の外に出た。保護者もまた外に出て来て、我が子を見付けて傍に寄って行った。

「玲太郎、挨拶はとても良かったよ。緊張したかい?」

 柔和な表情で玲太郎に言うと、玲太郎は微笑んだ。いつも通りの黒尽くめの水伯の少し後ろにいる八千代に目を配る。八千代は絽の黒留袖を着ていた。

「もちろん緊張はしたよ。ばあちゃんもいらっしゃい。どうだった?」

「とてもいい式だったよ。王太后様までいらっしゃるなんて思ってなかったけどね。本当にびっくりしたよ。それにしても颯も明良も立派になって……」

 八千代は目を潤ませ、声も震わせた。その後ろから明良が遣って来た。白の襯衣以外は烏羽からすば色で統一されていて、靴は黒だった。

「玲太郎、とーっても良かったよ」

 満面の笑みを浮かべてそう言いながら抱き上げる。

「あっ、抱っこはダメなのよ」

「何故? 構わないよね?」

 平然と言うと、嫌がる玲太郎を物ともせずにそのまま抱いていた。そして玲太郎は諦めた。

「はぁ……。それにしてもあーちゃんが校医ってどういう事?」

「どういうも何も、そういう事だよ。驚いた?」

 玲太郎は顔を顰めた。

「驚いたに決まってるのよ。どうしてはーちゃんもあーちゃんも、僕には秘密にするの?」

「驚かそうと思ってね。驚いて貰えたようで嬉しいよ」

 そう言うと微笑む。玲太郎は複雑そうな表情をすると、颯まで遣って来た。

「全員が揃うのは久し振りだな。ばあちゃん、水伯、元気だった?」

「颯、その格好、物凄く似合ってるけど……、十六にはとても見えないね」

「そうだね、その色が落ち着き過ぎている感じはするね。襯衣の橙色が派手だけれど」

 水伯が柔和な表情で言うと、颯は首を傾げた。

「そう? でもこれは玲太郎が選んだからなあ……」

「僕、橙色が好きなのよ」

「それは中の服の色だろう? 私が言っているのは上着とズボンの色だよ」

 水伯が苦笑しながら言うと、明良が口を開く。

「そんな事よりも、玲太郎と颯の部屋に連れて行って貰えない? 私は玲太郎が生活する部屋を見ておきたいのだけれど……」

 痺れを切らして早口で言った。

「え? 部外者が入ってもよいの? あれ? 校医だから部外者じゃないって事?」

「構わないよ。私が許すからね」

 水伯が柔和な微笑みを浮かべると、颯が率先して前を歩いた。皆がそれに付いて行く。

「颯、生徒は放置しておいて構わないのかい?」

 颯はそう問う水伯の方に少しだけ顔を向けた。

「先に式が終わったら解散って言ってあるから、保護者が来ている子はそのまま話すだろうし、来ていない子は寮に戻ると思うよ」

「確かに戻ってる子も割といるもんね」

 八千代が頷いた。

「それで、明日から授業が始まるの?」

 颯は振り返って八千代を一瞥した。少し顔を横に向けて話す。

「始まらない。明日は写真撮影と、校内の見学をしている子が少ないから校内の案内をして、校舎の食堂で間食をしたらそれで終わり。授業は明後日からだよ」

「そうなんだね。ばあちゃんの時はすぐ授業が始まったと思ったんだけど、お国が違うからその差だろうかね?」

「どうだろうね? それよりばあちゃんのご飯が食べたくて仕方がないんだよなあ」

 八千代と颯の会話を聞いていない明良は、久し振りに玲太郎を抱いてご満悦だった。水伯はそれを見ていつものように微笑んでいたが、玲太郎がそれを見て眉を寄せた。暫くすると表情を明るくする。

「うん? 父上が抱っこしてくれるって? 本当! じゃあそっちに行くのよ」

 笑顔だった明良が無表情になると水伯を見る。

「私が抱っこをしているのに邪魔をする積り?」

 水伯は苦笑する。

「私は何も言ってはいないのだけれどね。玲太郎の一人芝居なのだよ?」

「そう。それはご免ね。玲太郎は大人しく抱っこされていようね」

 そう言って微笑み掛けると、玲太郎は脱力した。

「あーちゃんも僕に黙ってたんだから、罰がないといけないのよ、罰が。だから抱っこは止めようよ」

「罰? ご免ね。どうしても玲太郎を驚かせたかったのだよね。水伯と颯は知っていたけど、ばあちゃんは知らなかったからばあちゃんは許してね」

「また父上も共犯なのぉ? ダメじゃないの」

 脱力して、首を後ろに倒した。明良が焦って頭を支えようとした。

「私が推薦状を書いたのだから知っていて当然だから仕方がないよね。口止めをして来た二人が悪いのだよ?」

 玲太郎は頭を起こして水伯を見ると、颯に視線を移す。

「はーちゃんもはーちゃんだよ。そんな素振り、ちっとも見せなかったのに」

「そうだったか? まあ、今日判ったんだからいいんじゃないのか?」

「何がよいのよ。ちっとも良くないのよ」

 不満を露にして、口を尖らせていた。

「玲太郎は何がそんなに不満なんだ?」

「秘密にされてた事と、今抱っこされてる事」

「抱っこは諦めろ」

「ふふふ、明良も玲太郎離れが出来ないんだねえ」

 そう言って八千代が笑うと、颯も一緒に笑っていた。

「僕は恥ずかしいのよ……」

 小声で言うと、明良が玲太郎を見た。

「私は恥ずかしくないから大丈夫だよ」

「話が通じない……」

 両手で顔を覆って更に小声で言った。


 五人は寮長室から隣室へ行き、食卓に着いて茶を飲んだ。玲太郎用の椅子を用意していた事もあって数は足りていた。そして颯がついでのように、ユリネージが玲太郎に向けて言い放った事を話をすると、明良の顔色が変わった。

「それとその後にね、ディッチが、あっと、王弟殿下が誰が言ったんだみたいな事を二度言ったけど無視されたのよ。なんだか怖くなって王弟殿下を止めたんだけどね。それにしても、はーちゃんもちょっと怖かったのよ」

「そんな事を言えるなんて、王弟殿下は正義感の強い子だねえ」

 八千代が感心して言うと、明良が大きく頷いた。

「そうだね。玲太郎の友達候補として、認めなくもないね」

「ユリネージね、憶えておくよ。それにつけても、文官貴族を容易にしょう爵させる悪習を、どうにかしなければならないね」

 颯が水伯に顔を向けると、大きく頷く。

「そう、ユリネージ。自分は侯爵の息子だって威張ってたみたいだから、職場を通してユリネージ侯爵に抗議をして貰えると助かる」

「そんなに大事おおごとにしなくてもよいのよ。はーちゃんに言われて反省したと思う」

 玲太郎が焦って言うと、水伯と明良と颯が微笑んで玲太郎を見た。玲太郎は三人の顔を見て顔を顰めた。八千代は何も言わずに茶を一口飲み、案外と好い味だった事で微笑んだ。

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