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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第十二話 しかして不安を胸に抱く

 水伯邸の敷地内の畑の一角で蕎麦の花が咲き始めた七月五日、水伯のもとに大きな茶封筒が届いた。それは玲太郎宛てで、差出人を見ると席を立って執務室を退室すると勉強部屋へ直行し、扉を軽く叩いて何も言わずに開扉した。

 玲太郎と八千代は本に向かっていたが、ディモーンが水伯の方を見て辞儀をする。水伯はそれをいつものように柔和に微笑んで歩を進める。扉を開けたままで入室して「失礼するよ」と声を掛け、玲太郎の下へ真っ直ぐ向かった。八千代が顔を上げてその様子を見ている。玲太郎も傍に来た水伯を見上げた。

「どうしたの?」

「玲太郎にお届け物だよ」

 そう言うと茶封筒を差し出した。玲太郎はそれに目を遣って受け取る。

「開封はしているけれど、中はまだ見ていないからね」

 封筒の口が開いているのを見て、そこから手を入れて中身を取り出す。数枚の紙と冊子と小さな手帳が出て来た。先に紙を手に取って目を通す。玲太郎は笑顔になった。

「合格したよ。入学式で新入生の代表としてあいさつを頼みたいから原こうを書いて来て下さいって」

 水伯に顔を向けて言うと、それを聞いて水伯も笑顔になる。

「おめでとう」

「玲太郎、おめでとう。良かったね」

「おめでとうございます」

 八千代もディモーンもお祝いを言った。

「ありがとう。ふふ、嬉しい。……所で、こっちは「保護者の方へ」って書いてあるから父上宛てだね」

 一番上以外の紙を水伯に渡す。そして、冊子と小さな手帳を手に取ると流し読みをする。

「後は、校舎と寮と授業に関する本と、……これは生徒手帳だって。……校則とかが書かれてる」

 八千代が玲太郎の机まで来る。

「校舎の方を見せてもらえる?」

 玲太郎は冊子の方を渡すと、八千代は丁寧に紙を捲った。玲太郎は生徒手帳を読んでいる。

「うわあ、「身分を誇示して虐めを行った場合、退学処分とする」って書いてあるのよ。学校なのに退学になる事もあるんだね」

「退学になっても修業試験、学校では卒業試験に値しますが、それに合格すればじょう学校に進学出来ますからね。それでは少し早いですが休憩に致しましょう。お茶をお持ち致します」

 ディモーンは退出すると扉を閉めた。

「「一学年生の入寮は保護者、若しくはそれに準ずる者を同伴の上、九月二十日はつかから二十三日までにお願いします」、だそうだよ。玲太郎は何時いつにする? ニ十三日でよいよね?」

「うーん、どうしよう。慣れる為にももう少し早く行こうと思うんだけど……」

「それでは二十三日でよいね」

「……父上、僕が言った事、きちんと聞いてくれてた?」

 玲太郎が不満そうに水伯を見上げて言うと、水伯は柔和に微笑んだ。

「寂しいから二十三日でお願いね」

「分かった。それじゃあそうする」

 玲太郎は苦笑をしながら席を立つと、生徒手帳に目を通しながら奥の方の机へ向かって行った。水伯と八千代も付いて行き、水伯が先に上座に座ると、玲太郎がその隣に座った。八千代は玲太郎の対面に座る。

「この学校、敷地が広いんだね。寮も併設されているから当然と言えば当然だけど」

ひと組三十人が三組あって一学年、それが六学年だから人数も割と多いし、先生も多いんだろうね。…先生も寮なの?」

「教師は学校の近くの村に賃貸の部屋があるから、それを借りて通うのだと思うよ。寮にも先生はいるのだろうけれどね。それ以外の使用人の寮があった筈だよ」

「食堂も広いねえ。校舎じゃなくて寮にあるみたいだから男女に分かれてるけど三百六じっ席だって。単純に考えると、十人掛けの食卓が三十六卓はあるという事になるね。多いねえ。……午前と午後のお茶の時間にはお菓子も出してくれるみたい。調理師が何人いるか知らないけどこれは大変だね。一日三食に間食二食だもんね」

「うん? 校舎にも食堂があるのでは? 六百席はあった筈だけれどね。この学校は城を改築して使っていて広さは十分にあるからね」

「水伯さんはこの学校に行った事があるの?」

「この学校がある場所は私の領地だし、私の所有している城を貸しているのだよ」

「なるほど、それじゃあ知ってるわよねえ。校舎に食堂……、どこだろう? ……あ、あった。南棟の一階突き当りみたいね。うん、これは広いわ。明良や颯が通っていた学校とは大違いだねえ。まあ、家は辺ぴな所にあったから仕方がないんだけど……」

其処そこへき地なのだけれどね。近くに世界最大のクミシリガ湖があって、学校のある場所は丘になっているから湖が見える筈だよ」

 玲太郎が水伯に顔を向けた。

「へぇ、世界最大のクミシリガ湖ね。生で見てみたいなぁ」

「南に行く時は何時いつも真上を飛んでいるのだけれどね。兎にも角にも、嫌でも毎日見えるようになるよ」

「学校の近くの村って大きい?」

「最寄りは漁村だね。其処は然程大きくなかったと思うから、次に近い村はその漁村と方角がほぼ反対になるけれどあって、そうだね、……人口は約三千人だっただろうか、畜産業が盛んで食肉と皮革製品が豊富な村だよ。私が買う肉は此処ここの物だよ。牛、鳥、豚と色々いるね。日常品を買うなら此処でも十分揃うと思うけれど、選り好みをしなければの話ね」

「え、そこまで買いに行けるの?」

「学院のある丘の麓にはおか船の折り返し地点になる停舎があるよ。休日に村や町に行けるようにしてある程度だから、週末にさん本だけどね。もう少し大きな村や町にも行けるよ」

「陸船! 乗った事がないから乗ってみたい」

「それでは今度、屋敷の最寄りの停舎から乗るかい?」

「えっ、よいの? いつ?」

「明良と颯に教えないで乗ったら怒られそうだから、二人と相談してから決めようね」

 そう言って柔和に微笑むと、玲太郎も笑顔で頷いた。

「そうするけど、そうなったら二人も付いて来るんだよね?」

 八千代が「ふふ」と笑った。玲太郎は八千代を見る。八千代は温かな視線を玲太郎に向けている。

「あの二人は玲太郎の初めての経験をする時には一緒にいたいんだよ。玲太郎を初めて外に連れて行ったと明良が言ってたんだけど、実は水伯さんがとっくに外に連れ出してたって分かった時、本当に落ち込んでたからね。颯はそういう事は言わないけど、明良と同じ事を思ってるだろうね。なんと言っても颯が弟か妹を一番切望していたからねえ。いざ生まれたら明良が執着しちゃって驚いたもんだよ」

「そうなんだ。その話は初耳だね。今は二人共、ほとんど離れてるけどね」

「そりゃあね、学校に通ってるからだね。時間があれば傍にいたいと思ってるはずだよ。でも明良はイノウエ家の当主になっちゃったから、どうするんだろうねえ……」

 首を傾げている八千代を見ていた水伯は、玲太郎に顔を向けた。

「玲太郎も寮生活が始まって今までのようには行かないだろうから、明良と颯は本当にどうするのだろうね。週末に玲太郎が帰って来た時だけ会う積りなのかも知れないけれど、それだけで足りるのだろうか。玲太郎の八歳は一度しかないからね……」

 八千代と水伯は深く感じ入ってしまった。玲太郎は何も言えずに生徒手帳に視線を移した。


 それからしばらくして、ディモーンが台車を押して入室し、玲太郎達の傍まで来ると給仕を始める。

「本日のお茶請けは閣下がお作りになったお萩で御座います」

「やった! これ大好き。きな粉最高!」

 生徒手帳を机に置いて合掌をする。

「いただきます」

 菓子用の小型の突き匙を手にして小さく切った。

「週末に帰って来る度にお萩を作ろうね」

 玲太郎は口に頬張り掛けていたが、そこで動きが止まった。

「いつもじゃなくてもよいのよ」

 苦笑して言うと頬張った。水伯は美味しそうに咀嚼をしている玲太郎を見て柔和な表情になった。ディモーンが最後の湯飲みを八千代の前に置くと、八千代が小さく辞儀をする。

「ありがとう」

 玲太郎が言うとディモーンは微笑み掛けてから退室した。

「キコ鳥を食べに行った帰りに小豆を沢山買って来たから、餡子のお菓子を沢山作れるよ」

「あの時、帰りは別行動だからどうしたのかと思ったら、小豆を買いに行ってたの?」

「そうなのだよ。折角和伍まで行ったのだから買わないとね。小豆は餡子がナダールに根付いているから領地でも作っているのだけれど、つい買ってしまいたくなるのだよね」

「あら、ここの小豆でも十分美味しいのに」

 八千代が少し目を丸くして言った。水伯は苦笑する。

「私もそう思うのだけれどね。それにつけても、キコ鳥も鳥舎を作ろうかと思っている所なのだけれどね」

「えっ」

「父上、本気なの?」

 八千代は思わず声を漏らし、玲太郎も水伯の方に顔を向けて訊いた。

「此処でもよいのだけれど、南の領地の何処どこかで…と思っているのだよ」

 笑顔で言うとようやく一口目を頬張った。

「この前食べたキコ鳥は美味しかったもんね」

 玲太郎は頷きながら言うと、水伯も頷いて手で口を覆う。

「玉子も美味しいからね」

「粗悪な餌でも濃厚な味がするからねえ」

 八千代が頷きながら言い、更に続ける。

「でも餌が粗悪だと肉が美味しくないんだよ。卵に栄養を持って行かれちゃうんだろうねえ。うちでは肉以外の残飯を餌にしてたから肉にしても美味しかったけどね」

「残飯を食べるの? 鳥なのに?」

「そうだよ。雑食だからね、何でも食べるんだよ。味が付いてる物は水で洗ってからやってたね」

「どうして肉以外なの?」

「肉食の糞は堆肥にならないってくらいしか、ばあちゃんも知らないんだよ」

「使えるけれど、堆肥として使えるようになるまでに時間が掛かるのだよね。それもあるし、臭いの問題もあるから草食の方が重宝されるのだろうね」

 水伯は言い終えると玲太郎に微笑み掛けた。

「ふうん、そうなんだ」

「私も良く理解をしていないから、興味があるのならば玲太郎が調べて、教えて貰えるかい?」

「分かった。調べてみるね」

 水伯に微笑み返すと、またお萩を頬張った。


 十八時前に明良が勉強部屋に遣って来たが颯はいなかった。

「今日は」

 静かに閉扉しながら明良が言う。玲太郎は振り返って明良を見た。

「いらっしゃい」

 玲太郎が座っている長椅子に明良も座った。

「はーちゃん、また学校なの?」

「うん、そうだよ。卒業は出来たのにおかしな話だよね。夕食までには来ると思うよ」

「ふうん。それじゃあはーちゃんがいないけど、あーちゃんに言っておくね。合格したのよ。九月二十三日から寮生活だからね」

「それはおめでとう。希望の学校に入れて良かったね。今日は七月五日だから約二ヶ月と二週間後には此処を出て行ってしまうのだね。本当に寂しいよ」

 そう言いながら玲太郎の頭を優しく撫でた。

「それで入学式であいさつをしないといけなくて、文章を考えたら見てくれる?」

「よいよ。でも入学より早目に入寮するのならば、先生に見て貰えると思うのだけれどね?」

「そうなの? でも一応見て欲しいのよ」

「解った。見るよ。それにしても挨拶をするという事は入試で首席だったのだろうね。玲太郎は凄いね」

 そう言われて玲太郎ははにかんだ。

「でも問題が簡単だったからね。ディモーン先生は、僕の学力はムラがあるけど下学校の四学年生くらいって言ってたから、それを考えれば当然なのかも」

 明良は玲太郎を抱き寄せると左腕を撫でる。

「やはり我が弟。性格も良ければ頭も良く、見目もよいとは、兄として鼻が高いよ」

「なんかどさくさに紛れて変な事を言われたような気がする……。あーちゃんと比べたら見た目なんて雲泥の差だと思うけどね」

「えっ、玲太郎は可愛いよ? 本当に可愛いよ? 可愛くないなんて言う奴がいたら取って締めて遣る。それにつけても、玲太郎がこんなに早く巣立つとは思いも寄らなかったから、心配の余り、寝付けそうにないよ。昼寝だって出来なくなるのだよ? 夜もきちんと起きて厠に行けるの?」

 玲太郎を抱き締める手に力が入る。

「昼寝はいち学年はあるんだよね。だから昼寝の心配はしなくてもよいのよ。夜は父上が目覚まし時計を作ってくれてるから起きられるよ。でも、同室の人には迷惑がかかるね」

「寝具を濡らしてしまう事を思えばどうという事はないね。それにしても一二学年に昼寝の時間があるとは知らなかったよ」

 玲太郎は明良の手が緩んだ隙に明良から離れた。

「前に資料を見た時に載ってなかった?」

「なかったね」

 即答するとまた玲太郎を抱き寄せた。

「入学するとこういう事をする機会も減るから、当分は許してね」

 玲太郎は仕方なしに頷くと、明良は喜んで玲太郎の頭を撫でた。

「でも、週末はここに帰って来るから、出来なくもないと思うんだけど……」

「時間は短くても毎日出来ていた事が出来なくなるのだから仕方がないよね。今の内に、存分に玲太郎の温もりを感じておかなければ」

 明良が学校を卒業してからと言うもの、毎日十八時頃に遣って来ては密着していて、玲太郎自身はそれについてはもう諦めていた。颯に助けを求める視線を送っても、苦笑するだけで何もしてくれなかった事が諦める切っ掛けとなっていた。玲太郎は明良の手に力が入っている内はされるがままに身を任せた。

(あーちゃんは甘えん坊なんだなぁ……)

 膝に置いていた本が落ちそうになって自身の左側に置くと、明良が目ざとくそれに気付いた。

「その本は何?」

 明良が手を緩めると、玲太郎は本を取って渡した。

「<作物を育てよう>? 魔術で育てる為の参考にしているの?」

「ううん、たい肥について調べてるの。載ってると思って読んでるんだけど、まだ出て来ないんだよね」

「堆肥ね。それにしても何故?」

 そう訊きながら、本の表紙を捲った。

「肉食動物のフンはたい肥にならないのはどうしてっていう話をしてたからなのよ」

「ああ、それね。私も本で読んだ事があるよ。答えはね、堆肥にする価値がないからだよ。掃除苔の餌にしてしまった方が有益だから、と言った方がよいだろうか」

「掃除苔の餌にするの?」

「そうだよ。人間の糞尿の処理に掃除苔を使っている所は多いからね。その掃除苔を研究している機関があってね、研究で肉食の糞を与えると元気になる事が判明して、よい掃除苔を維持する為に人間だけではなく、肉食動物の糞を適度に与える事を推奨されたの。そうしたら其処等中にあった犬や猫の糞が消えたそうだよ。これは約千年前の和伍の話ね」

 玲太郎は目を丸くした。

「千年! それは大昔だね。でも父上は知らなかったよ?」

「水伯が生まれた頃は今と違って魔力の豊富な人も多かったようだから、魔術で土を肥やしていた人が多かったのではないのだろうか。魔力が豊富と言っても、魔力量の平均が魔力測定器で言う所の三十前後と推測されているね。水伯は、農業に携わるようになったけれど、既存の堆肥を疑問も持たずに当たり前のように使っていたか……、知ってはいたけど忘れてしまったとか?」

「あーちゃんってば物知りだね。そういう知識はどこで得たの?」

 玲太郎が感心して言うと、明良は微笑んだ。

「下学校の図書室だよ。和伍で住んでいた頃、家があった地域は農業が盛んで、その影響なのか、図書室には農業に関する本が多くてね。お陰で知りたくもなかった堆肥に就いては知られたし、農業には関係ないけれど掃除苔に就いても少しばかり詳しくなったね」

「ふうん。学校の図書室って案外読む本があるんだね」

「此処の蔵書と比較すればささやかな物だろうけどね」

「父上の本は逆に多過ぎて、どんな本があるのかすら見る気がしないのよ」

 明良は本から玲太郎に視線を移した。

「それはとても贅沢な事だよ。私が小さい頃はばあちゃんに本を買って貰っていたのだけれど、月に二冊だけだったのだよね。だから週一で学校に通い出して図書室を見付けた時は歓喜したよ。毎月新刊が入荷するし、寄贈される本もあるしで選り好みしなければ読み放題だからね」

「僕も入学したら図書室を利用してみるよ」

「思い掛けない本と巡り合えるかも知れないね」

 そう言うと本に視線を戻して一枚めくった。

「うん、この本に堆肥の事は、土に追加するという程度しか書かれていないね」

「そうなんだ」

「でも最後まで一応読んでね」

「分かった。そうする」

 明良は笑顔で本を玲太郎に渡した。

「そうだ、今日届いた生徒手帳と、校舎や寮の事が書かれてる本があるんだけど見てみる?」

「見る。何処にあるの?」

「僕の机」

「取って来るよ」

 そう言いながら立ち上がった明良は玲太郎の勉強机へ向かい、そこに置かれていた物を手にする。そして一枚の紙を手にすると読んだ。読み終えるとそれを戻して玲太郎の下へ向かう。玲太郎は本を読んでいて、明良はその隣に腰を下ろした。

 半時間も経たない内に二冊とも読破してしまって手持ち無沙汰になった明良は、向かい側の長椅子に移動して玲太郎が読書をしているのを唯々見ていた。

(このままの大きさで何年過ごす事になるのだろうか。水伯も身長は約百年も掛かって誤差と変わりない程度で伸びて行ったと言っていたから、倍以上は優に掛かるだろうね)

 そう思うと、明良は自然と微笑んでいた。


 夕食の時間が迫り、玲太郎は明良に抱き上げられて食堂へ向かっていた。食堂に入ると颯が既に着席していて、振り返って二人を見た。

「よう」

「いらっしゃい。遅かったね」

「ばあちゃんに聞いたよ。おめでとう」

 玲太郎はそれを聞いて表情を曇らせたが、直ぐに笑顔になった。

「ありがとう」

 明良は玲太郎を下ろすと椅子を引いた。玲太郎は着席して、明良が椅子ごと軽々と持ち上げて食卓に近付けた。

「ありがとう」

 明良に向かって礼を言う。

「どう致しまして」

 明良は微笑むと向かい側にある自分の席へ向かった。颯の左肩に座っているヌトが、明良を目で追う玲太郎を見ていた。

「玲太郎、おめでとう。魔術の練習は遣ったのか?」

「ありがとう。きちんと魔術の練習はやったのよ。大丈夫、怠けてないからね」

「それならばよい」

「それよりも寮生活になるけど風呂とかどうするんだ? 一人で入れるのか?」

 颯が訊くと、玲太郎は頷いた。

「入れるよ。六歳から学校に入れるんだから六歳の子もいるんだよ? だったら僕だって大丈夫なはず」

 玲太郎は未だに颯と一緒に入浴をしていた。

「送迎するから毎晩此処に入りに帰って来るか?」

「瞬間移動でならよいかも」

 玲太郎がそう言うと悪戯っぽく笑った。

「瞬間移動なあ……。ヌトが煩いからしたくないんだよな。留守番して貰うか」

「わしが煩いのは仕方のない事よ。颯の瞬間移動はわしを置て行くのであるからな」

「だから、瞬間移動は一緒に移動が出来ないんだから仕方がないじゃないか。諦めろよ」

「わしが置いて行かれるという事は、玲太郎も置いて行かれるのではなかろうか」

「それは有り得るなあ。まあ、試していないんだけどな。兄貴は試したか?」

「私も試していないのだよね」

 上学校に通い出してからと言うもの、明良が玲太郎に会いたいばかりに瞬間移動が出来るようになり、次いで颯も出来るようになったのだが、颯はヌトと一緒に瞬間移動が出来ず、置き去りにした事が度々あった。その事でヌトがごてて煩わしく、颯はヌトがいる時は瞬間移動を封印していた。明良は瞬間移動を多用している。

「水伯は物の瞬間移動が出来るけど、自身は出来ない。兄貴と俺は物のみの瞬間移動は出来ず、物と一緒に瞬間移動が出来て、ヌトは駄目。…という事は、玲太郎も駄目かも知れないんだよなあ」

「悪霊と玲太郎は違うから、成功するかも知れないよ?」

 明良は颯の肩にいるヌトを冷めた目で見詰めていた。

「じゃあ、なんで今の今まで試してないんだ?」

 その冷めた目のままで颯を見る。

「大抵誰かが一緒で必要がなかったからに決まっている。颯こそ、何故試していないの?」

「ヌトが駄目だったから、試さずに駄目という事実だけを受け入れていたよ」

「僕は正直な所、瞬間移動をするのが怖い……」

 二人は玲太郎の方を見ると、颯が難しい顔をした。それも束の間、何かを閃いた様子で表情が明るくなった。

「そう言えば、合格祝いをしないといけないな。何か欲しい物はあるか?」

「はーちゃん、自分で稼いでるの?」

「うん、稼いでいるぞ。未解決事件を解決した事で懸賞金を貰っているからな」

「あ、そうなんだ。それは凄いね」

「俺の金で買うから安心していいぞ。それで、欲しい物は?」

「うーん、欲しい物がないのよね。ばあちゃんがカバンとか背のうとか袋を作ってくれてるし、父上も文房具は揃えてくれてるし、下着も部屋着も寝間着も用意してくれるって言うし…」

「まあ、ばあちゃんが作る鞄類は丈夫だし、水伯が揃えてくれる物は最高級品だからなあ。悲しい事に俺が買える物となると品質が数段落ちるからな」

「それじゃあ手巾を買ってもらおうっと。洗濯は毎日出来るみたいだけど、自分でやらないといけないから、さん日に一度にしようと思ってるのよ」

「えっ、寝間着と部屋着と下着と靴下、それに浴巾で結構溜まるぞ? まあ、寝間着を毎日着替えないのなら減らせるけど」

「えっ、寝間着は毎日着替えないの?」

「寝具に使ってる敷布や掛け布団の覆いはどうする積りだよ? 毎日綺麗な物と交換するのか? それよりも手巾なんて一杯持っているだろうに、それでも欲しいのか?」

「うーん……、そう言われると必要ないなって思えてくるね」

 二人は暫く顔を見合わせていた。その二人を見て明良が苛立った。そこへ水伯と八千代がそれぞれ台車を押して入室した。バラ寿司は既に来ていて汁椀と鯛の塩焼きと取り皿が運び込まれた。

「今日はバラ寿司ととろろ汁と、茶碗蒸しと鯛の塩焼きだよ。水伯さんに無理を言って買って来てもらったんだよ。それと小鉢と香の物があるからね」

「和伍の鯛が用意出来なかったのだけれど、それは勘弁してね。食後もお楽しみに」

 水伯がそう言うと台車の上に載っていた物を瞬間移動で給仕を終え、自分の席へ向かった。八千代はバラ寿司を皿に盛り始める。

「嬉しい。父上、ばあちゃん、ありがとう」

 玲太郎が笑顔で言うと、二人も笑顔になった。

「どう致しまして」

「お祝いと言えばいつもバラ寿司でごめんよ」

「ううん、バラ寿司が大好きだから嬉しいのよ」

「逆にお祝いの気分が出ていいよ」

 颯が嬉しそうに言った。明良が鼻で笑う。

「颯もバラ寿司が食べられて嬉しいだけじゃないの」

 珍しく颯に対しても表情が緩い明良を見た颯が目を丸くした。

「兄貴はどうしたんだ? なんか嬉しい事でもあったのか?」

「嬉しい事は全くないね。玲太郎が寮生活をする事が決まったのだよ? それの何処に嬉しがれる要素があると言うの?」

 いつもの無表情な明良に戻った。

「長期休暇以外は帰って来なくなるんだから、そりゃあ嬉しくないよな。俺も時間が持てるようになる筈だったのに、玲太郎に時間がないんじゃあな……」

「僕は週末ごとに帰って来るからね? 父上が送り迎えしてくれるから週末は会えるのよ」

 颯は玲太郎の方に顔を向けると、玲太郎が笑顔で颯を見ていた。

「行きっ放しじゃないんだ。なんだったら俺が送迎するけど。瞬間移動で一緒に移動出来るかどうか、後で試しに遣ってみないか?」

「それなら私が遣るよ」

 颯は透かさずそう言った明良を見た。

「いや、俺が遣ってみるよ」

「颯は駄目かも知れないから私が先に試すよ」

「いやいや、俺が先に試してみるよ。先に言ったのは俺だからな」

「まあまあ、後で決めればいいじゃないの。さあ、ご飯にしましょう。バラ寿司は沢山あるから、お代わりは自分でね」

 給仕が終わって座った八千代が言うと、全員が合掌をして挨拶をした。

「鯛は大き目の二匹分を七輪で焼いて五等分にしたからね。先に尾頭付きで出した方が良かった?」

「鯛である事に変わりないし、食べ易いからこれでいいよ。解してくれて有難う」

「僕もすぐに食べられるし、これで良かった」

 水伯と明良は既にバラ寿司を頬張っていた。

「そう、それなら良かった」

 八千代は微笑んでバラ寿司を頬張った。

「やっぱり箸が一番いいな」

 颯がそう言いながら鯛を口に運んだ。それを見ていた玲太郎も鯛を真っ先に食べた。


 まだ空が明るい中、水伯邸の玄関前の階段の下で明良と颯が見合っていた。玲太郎は傍で二人を見上げていた。その隣にヌトが浮いている。

「最初はグーだからな」

 颯が静かに言うと、明良は大きく頷いた。

「解っているよ」

 すると、明良が握り拳を前に出す。颯も握り拳を前に出し、そして口を開く。

「最初はグー! じゃんけんほい!」

 一瞬静寂に包まれた直後、颯が叫んだ。

「やった! 俺が先な」

 パーを出していた明良は、その手首を握って悔しさに震えた。颯は玲太郎の前に行くと右手を差し出した。

「それじゃあ試そうか」

「うん……」

 気乗りのしない玲太郎はその手を握ると固く目を閉じた。

「行くぞ。三…、二…、一…」

 言い終えるとにわかに二人の姿が消えた。明良は仏頂面で先程まで玲太郎がいた空間を見詰めていた。暫くしてから二人が少しずれた所に戻って来ると、明良がそこへ近寄って行った。

「なんでだろう? 玲太郎だと一緒に移動が出来たぞ」

「目を開けたら全然違う景色になってたのよ。やっぱり怖いかも……」

 颯の手を強く握っている玲太郎が言った。

「慣れればどうって事はないよ」

「玲太郎、私も試してみたい」

 二人の目の前に立った明良がそう言って玲太郎に手を差し出すと、玲太郎は空いている手で明良の手を握った。

「はーちゃんも一緒に移動出来るか、このままで試してみてもよい?」

「構わないよ。それでは行くよ。三…、二…、一…」

 すると、全員が消えた。ヌトは目を剥いた。暫くすると仏頂面の明良と、片目を薄らと開けている玲太郎と、無表情の颯が戻って来た。

「俺がいても出来るなあ。玲太郎に触れていれば誰でも一緒に移動が出来るのか、もう少し試してみたい所だけど……」

 そう言う颯の前にヌトが飛んで来た。

「わしが加わろう」

「ヌトかあ……。ヌトや水伯は多分大丈夫のような気がするから、出来ればばあちゃんがいいんだけどな。まあ一応遣っておくか。それじゃあ玲太郎に触れて貰えるか?」

 ヌトの表情が明るくなった。

「解った」

 玲太郎の傍に飛んで行き、肩に手を置くと颯を見た。

「よし、遣ってみて呉れ」

「兄貴が先に遣ってみるか?」

「いや、私は後で遣る」

「解った。それじゃあ行くぞ。三…、二…、一…」

 そして全員が消えた。

「ここはどこ?」

 景色が一瞬で変わり、片目を薄ら開けている玲太郎が訊いていた。

「此処は和伍の阿女倉あめくら島の上空だよ。蜜芋の皮包みの所な」

「ああ、そこかぁ」

 納得して言ったが、内心怖くて思わず両手に力が入り、薄ら開けていた片目も閉じた。明良は下を見ている。

「何故上空なの。陸地にして貰えない?」

「ご免。試したかったからつい遣ってしまった。それじゃあ次は兄貴な」

 喜びに打ち震えているヌトは玲太郎の服を握った。

「わしも付いて来られたのであるが! 玲太郎は凄いぞ!」

 そう歓喜していたが、皆お構いなしだった。

「それでは次に行くね。三…、二…、一…」

 そして次に到着した場所はウィシュヘンドにあるイノウエ邸の屋敷の中、それも明良の部屋だった。直ぐ集合灯が明るくなる。

 室内は白い壁に囲まれ、約二十畳の広さで絨毯は紫水晶の色、大き目の寝台が置かれていて、小さな机が寝台脇にあって、上には置時計が時を刻んでいた。その近くの壁には玲太郎の特大の写真が飾られている。寝台の近くには、二人掛けの長椅子が一脚と向かい側に一人掛けの椅子が一脚、脚の短い長方形の机がそれらの間に置かれている。窓掛けと枕と寝具の覆い、そして椅子は烏羽からすば色をしていて、玲太郎の写真の額縁も烏羽色をしていた。逆の壁側は一面折り戸になっている。

「あれ? 見た事がある部屋だな」

 颯が思い出そうとしていると、明良が颯に顔を向けた。

「私の部屋だよ。玲太郎、来たついでにお父様に挨拶をして行く?」

 玲太郎は目を開けて部屋を見回し、自分の写真を見付けて赤面した。

「あれは何ー!?」

 明良は玲太郎を見て、顔を向けている方を見ると玲太郎の写真が目に映った。

「ああ、あれ? 玲太郎と離れていると寂しいから、それを紛らわす為に自分で念写をしたのだけれど、駄目だった? ……玲太郎が駄目だと言っても飾っておくけどね」

 平然と言うと、玲太郎は直ぐに諦めた。

「うん、別に構わないよ……」

 気の抜けた声で言った。それから何かに気が付いた。

「それにしても本棚がないんだね。あーちゃんと言えば本って印象なんだけど」

「就寝するだけだから必要ないよね」

「うん、兄貴は直ぐ寝るし、一度寝たら朝の六時前まで熟睡だからなあ」

「所で玲太郎はお父様に挨拶をして行く? ……玲太郎? お父様に挨拶をする?」

 玲太郎は見覚えのある色の窓掛けを見て放心していたが我に返った。

「あ、うん。お祖父様ね。あいさつして行こうか?」

「自室にいるみたいだから止めておいたら」

 そう言った颯を見上げた玲太郎はまた明良を見る。

「そうなの。それじゃああーちゃん、あいさつはまた今度にするね」

「そう、解った。玲太郎を媒介にすれば悪霊も瞬間移動が出来るという事が判ったから帰ろうか」

「そうだな。出来ればばあちゃんとかお父様とかで遣ってみたかったけど、また次にするか」

「ばあちゃんが付き合ってくれるとは思えないけれど……。兎にも角にも水伯の屋敷に戻ろう」

「兄貴、宜しく」

「うん」

 明良は頷いた。そして玲太郎が目を閉じる。

「行くよ。三…、二…、一…」

 瞬時に出発地点に戻って来た。玲太郎は恐る恐る目を開ける。

「戻って来たぁ」

 安心し切ったのか、両手の力が抜けた。颯はそのまま手を離し、ヌトが颯の肩に戻って行った。

「玲太郎がおればわしも瞬間移動に付いて行けるから、何処に行くにしても玲太郎に来て貰わねばなるまいな」

「何を言ってるんだよ。そもそも飛行速度がこの上なく早いんだから、飛んで来ればいいだけだろう。それをしつこくごてやがって。少しくらい離れた所でどうって事はないだろうに。居場所が判らなくても俺の部屋で待ってればいいんだからな。そもそも俺の傍にいないで家へ帰るなり、兄弟の所へ行くなりしろよ」

「飛行速度は颯と同じであろうが。少しばかりざれ言を言うただけで向きになるでないわ。颯とおると退屈せぬからもう暫く一緒におりたいのよ。であるから、そう連れない事を言うて呉れるなよ」

「ヌトは僕と一緒にいてもよいのよ?」

「何っ、玲太郎はわしが傍におってもよいと言うのか?」

「うん。寂しくなくなるからおいでよ」

「颯に追い出された時は頼む」

 明良は玲太郎の手を強く握り、仏頂面でヌトを睨んでいた。

「さて、玲太郎はそろそろ風呂の時間だと思うんだけど、入りに行こうか」

「え? もうそんな時間?」

 明良がズボンの衣嚢から懐中時計を取り出して時間を確認をした。

「少し早い程度だね」

「そうなの、ありがとう。はーちゃん、僕ね、一人でお風呂に入る練習をしようと思ってるのよ」

「そうだなあ。そうした方がいい時期だよな。解った」

 玲太郎が申し訳なさそうな表情をする。

「ごめんね。今までありがとう」

「うん? 一緒に入るぞ。玲太郎が一人で髪を洗って、体を洗って、湯船に浸かればいい話だよな?」

「まあ、そうなるね」

「今まで通り、一緒に入るわ。玲太郎が入寮するまでな」

 そう言って満面の笑みを浮かべると、玲太郎は苦い表情になった。

「ええ?」

「まあ、何もしないでいるから一緒に入ろうな? 元々手を貸していなかったけど」

「ふふ、そうだね。それじゃあ一緒でよいよ」

 素直に受け入れた玲太郎は頷くと明良の手を離し、颯に向かって両腕を上げた。颯は玲太郎を抱き上げ、左肩にいたヌトが避けて右肩へ移った。颯が階段を上がって行くと、不機嫌そうな明良がその後ろに付いて行き、屋敷の中へ入って行く。


 数日後、漸く学校から解放された颯が明良より早く玲太郎の下へ遣って来た。玲太郎は勉強部屋にはおらず、前庭の自分の花壇で土を弄っていた。颯は後ろから声を掛ける。

「玲太郎、今日は」

 左側から振り返っても颯の足下が見えず、右側の方から振り返った。すると右側にいた颯が玲太郎の帽子を少し上げて顔を覗き込むと微笑み、帽子を戻して屈み込んだ。

「はーちゃん、ヌト、いらっしゃい。今日はどうしたの? 凄く早いね」

「此処の所、玲太郎と余り話せなかったからな。何を植えているんだ?」

「ポノーラって言う植物だよ。温室で咲かせたからこっちに移してる所」

「ホンボードおじさんはいないのか?」

「はーちゃん、今日の曜日は土だよ? お休みに決まってるじゃない」

「あ、そうなんだな。最近は休みなしだったから曜日感覚が麻痺していたわ。……うん? 週末は休みなしで勉強しいてたのに、今日はどうして土弄りをしているんだ?」

「あれ? 知らなかった? 学校に合格したから週末は休む事にして、学校の時間割に慣れるように平日にやる事になったのよ」

「そうなんだ。ディモーン先生も大変だな」

「そうなの?」

「以前、休日は週末より平日が嬉しいって言ってたよ。でも、週末の方が孫と遊びに行けていいかもな」

 笑顔でそう言うと、玲太郎は微笑んだ。

「一緒に住んでるのは僕くらいの子って言ってたよね」

「そうそう、女の子が二人。此処の敷地内に住んでいるけど、全く会わないもんなあ」

「うん。ディモーン先生のおうちに行かないからね」

 玲太郎は正面に向くと円匙えんしで土を掘り出した。颯は隣で俯き加減の玲太郎の顔を見ている。

「玲太郎」

「何?」

「本当の本当に学校に通うんだな?」

「うん、通うよ。急にどうしたの?」

「玲太郎は今より小さい頃に、大人になりたくないって言っていたのを憶えているか?」

 俄に颯の方に顔を向けた。

「えっ、僕ってそんな事を言ってたの?」

「そうだよ。小さいままがいいって言っていたから、成長しないって言ったんだよ。そしたら大喜びしてたなあ。まあ、精神的には成長するから糠喜びだったんだけど」

「ははは……」

 気の抜けた笑い方をするとまた穴を掘り出した。颯は真面目な表情になる。

「兎に角だ、玲太郎は特別で成長が物凄く遅くなっているんだけど、学校に通っているとその事で虐められる可能性があるから、若しもそうなって辛くなったら学校を辞めてもいいんだからな」

「父上にも言われた。優秀だとおとしいれようとしたり、難癖を付けて来たりする人間が少なからずいるから、そういう場合は逃げてもよいからねって」

「そうなんだな。まあ、何かあったら俺が守るから」

 玲太郎は手を止めると颯の方を見た。

「父上とあーちゃんにも言われたよ。きちんと守るから何かあったら言いなさいって。はーちゃんもありがとうね」

 そう笑顔で言うとまた穴を掘り出した。

「僕が飛ぶ魔術を使えないのって、やっぱり甘えてるからだと思うのよね」

「急にどうした?」

「学校に通う理由を言おうと思って……」

「末っ子だから、甘えん坊なのは仕方がないと思うんだけどなあ。とは言え、大して甘えているようにも思えないけど」

「そう? でもやっぱり甘えてると思うのよ。だから、だからなのよ。なんて言うの? ……んー、甘えるのを止めようと思ってるのよね」

 颯は顔を思い切り顰めた。

「えええ!? ……それは駄目だな」

「ダメなの? でも僕、一人でいる時間って本当に少ないんだよね」

「そうなのか?」

「うん。はーちゃん、ちょっと場所を代わって。そっちに穴を掘りたいから」

「はいはい」

 颯が立ち上がって後ろに下がると、颯のいた場所に玲太郎が移った。そして颯は玲太郎の左側に屈み込んだ。

「夜は途中から父上かはーちゃんと一緒の寝台で眠ってるでしょ。朝は勉強が始まる前に少し一人になって、厠の時に一人になって、夕方に少しだけ一人になるくらいなのよ」

「うん? 学校だと寮生活だろう? 相部屋だろうからほぼ一人にならないし、今と変わりないんじゃないのか?」

「他人と家族は全く違うでしょ」

「成程。でもディモーン先生も赤の他人じゃないか」

「ディモーン先生は家族みたいなものなのよ。僕、叱られた事がないのよね」

「叱られるような事をしないからだろう?」

「それはそうかも知れないけど、ディモーン先生が、家庭教師はきびしい人で、答えを間違えるとムチで叩かれてたって言ってたのよ」

「ディモーン先生も苦労をしたんだなあ。……話を戻すけど、玲太郎が空を飛べないのは甘えん坊は関係なく、高所恐怖症だからだと思うぞ」

「えっ!?」

 眉を顰めて颯の方に振り返った。颯が帽子の庇を摘んで少し上に挙げて玲太郎の表情を見ると、帽子を戻した。

「玲太郎は高い所が苦手だろう?」

 視線を横に移して暫く黙考した。

「苦手……、だね、うん」

「苦手だな。高過ぎると下を見ずに横を見ていれば空だから感覚が麻痺するんだろうけど、地上が良く見える高さだと体が強張って力が入るんだよな。未だに五ジル(約三ずん三分)くらいしか飛べないのか?」

 玲太郎は颯に視線を戻すと頷いた。

「父上とたまーにやってるけど、それくらい」

「原因はやはり俺かあ。怖がっているのを知っていて、怖がる高さで飛んでいたもんなあ」

「それこそ関係ないと思うがな。やはり甘えておるのよ」

 俄にヌトが会話に入って来た。

「高所恐怖症でも玲太郎は泣き喚く事はないのであるから、いちモル(約六尺六寸)程は飛べてもよい所ぞ。いつも誰かに抱えられて飛んでおるから、それが当たり前になっておるのよ」

「そうなのか? それじゃあこれからは手を繋いだ状態で飛ぼう。それを植え終えたら試しに飛んでみるか?」

「えっ」

 顔を顰めて颯を見ると、また帽子を上げた颯は笑顔になった。

「先ずはニ十五ジル(約一尺六寸)くらいで試そうか」

 颯が帽子を戻すと、玲太郎は無言でまた穴を掘り出した。

「うん……、それくらいなら……」

「やっぱり怖いんだな。水伯や俺が傍にいても怖いか?」

 円匙を突き立てて土を解している玲太郎は、その動作を止めた。

「抱っこしてもらってても、お腹の辺りが気持ちが悪いのよ」

 そう言うと颯の方に顔を向けた。

「これって怖いって事なの?」

「そうなんだろうな。俺には解らない感覚だからそうとしか言いようがなくて悪いんだけど、克服出来るかどうかも判らないなあ。玲太郎は一人で空を飛んで彼方此方あちこちに行ってみたくないのか?」

「一人で行きたいとは思わない。みんなが連れてってくれるからそれで十分なのよ」

 何度も突き立てた円匙で解れた土を掬って、直ぐ横へ落とした。

「残念であるが、そう思うておる内は飛べぬであろうな。颯は何故なにゆえ飛べるようになったのよ? やはり飛びたいとねごうておったからか?」

「うーん、確かに飛びたいと思っていたけど、それよりも自由に動き回りたいと強く思っていたな。地上だと限界があるけど、空中なら高く飛べば、下にそれだけ空間が広がるからな」

「颯は出うた時から、前、後ろ、横の宙返りを良く遣っておったものな」

「悠ちゃんが遣っていたからな。それで真似をして遣るようになったんだよ。悠ちゃんは兄貴が遣っていたからって言っていたけどな。まあ、あの頃から物足りなさはあったな」

「僕は地面に着地してるのが一番よいのよ」

「玲太郎は飛ぶ気がないのであるな」

 ヌトがそう言うと、少し間が空いた。

「んー、飛びたいのか、飛びたくないのかと問われると、飛びたいんだけどね」

 そう言ってまた右に寄って、新しい穴を掘り出した。

「玲太郎は一人になる時間が欲しいと思うのか?」

「それは思わないね。でもはーちゃんやあーちゃんや父上といると、甘え過ぎてると思うようになって、これではいけないと考えるようになったのよ」

「考えなくていいのに。玲太郎が甘えてくれないなんて、俺は物凄く寂しいぞ」

「あーちゃんの場合は、僕が甘えるんじゃなくて、あーちゃんが甘えてるよ?」

「兄貴は玲太郎が大好き過ぎてくっ付いていたいんだろうな。玲太郎が赤ん坊の頃から、兄貴は玲太郎一筋だからな。それにしてもこの数年、その気持ちを抑えて良く学校に通えたなあって思うよ。その所為か、嫉妬心まであらわにするようになったのがな。いや、その前からか。まあ、面白いからいいけど、俺としては鉄仮面は貫いて欲しいなあ」

「前にも言ってたけど鉄仮面ってどういう意味?」

「無表情の事だよ。学校では氷の彫刻って渾名が付けられているけどな。まあ、氷の彫刻は、兄貴がいる事で身動き出来なくなる奴が多くて、兄貴がいなくなると動き出す事から氷の彫刻師って渾名だったんだけど、師をなくして違う風に、それも鉄仮面の意味合いで解釈している奴が多いんだよな」

「そうなの? 鉄仮面に氷の彫刻ねぇ。……笑顔とか不機嫌な顔とか泣き顔とか、色々な顔が見られるのよ?」

「玲太郎がいる時だけな。最近は水伯とか家族といる時は、表情が少し柔らかくなる事もあるみたいだけど、それも玲太郎がいたらの話」

「ふうん、そうなんだ。知らなかったのよ」

「よし、話は終わり。手伝うから早く終わらせて飛ぶ練習を遣ろうか。穴に、あの箱の中の苗を入れて行けばいいんだろう?」

 そう言って箱の方を指で差した。玲太郎はそれを見て頷く。

「うん、そう。じゃあ、はーちゃんが穴に入れて行ったら、僕が土をかけて行くね」

「おう」

 颯は立ち上がると、箱に入っている苗を左手に載るだけ載せると右手にも持って穴に入れて行った。玲太郎は左側から苗が真っ直ぐ立つように持って土を掛けて行く。


 明良が十八時を回る少し前に水伯邸へ遣って来ると、玲太郎は颯と八千代の三人で出掛けた後だった。仕方なく玲太郎が戻るまで二階にある執務室で水伯といる事にした。じっ分もすれば戻るだろうと思っていた明良は、半時間も待たされる事になる。

 帰宅した三人は荷物を持って厨房へと向かった。その後、八千代は厨房に残り、玲太郎と颯は二階の勉強部屋へ行くと、明良が長椅子に座って待ち受けていた。

「お帰り」

 振り返って二人を見ている。

「ただいま」

「何を持っているの?」

 玲太郎の持っている荷物を見て、思わず訊いた。

「これ? これはね、はーちゃんが買ってくれたの。合格祝いなのよ。お肉を買いに行ってたんだけど、そこの村に革の品物が一杯あってね、帯革たいかくと靴を買ってもらったのよ」

 玲太郎は奥の長椅子に座った。颯もその隣に座る。

「そうなんだね。良かったね」

「兄貴もお揃いの物が欲しかったか?」

「いや、別に」

「そうなのか。折角玲太郎と揃いの帯革を買って来たのに」

 颯はそう言って紙袋を差し出すと、明良が無言で受け取って中に入っている物を出した。

「有難う。黒なのね」

 品定めをするように手に取って細かい所まで見ている。

「玲太郎が黒がいいって言うから黒になった」

「学校の制服が濃い灰色なのよ。だから黒がよいなって」

「ああ、制服があるとか言っていたね。何処で作るの?」

 明良は帯革から玲太郎に視線を移した。

「ランダン服飾店、だったと思う」

 颯が玲太郎の方に顔を向けた。

「制服は既製服があったんじゃなかったか?」

「あるよ。学校の近くの町で売ってるって言ってたけど、僕の体は大きくなるのに時間がかかるからね。通う間は同じ制服を着続ける事になるから、よい物を作っておこうって父上が言うから、作りに行ったのよ」

「成程。ランダンはウィシュヘンドで服を作るなら一番の店だよ。一緒に行った事があるよね?」

「行った事なんてあったっけ? 僕の服は父上が作ってくれるから、そういう所は行かないのよ」

「あれ? 記憶にないの? 私の民族衣装ゼイガンを作った所だよ。一緒に行って色を決めてくれたよね? 刺繍の柄も選んでくれた事も憶えていないの?」

「うん?」

 玲太郎は渋い表情をして首を傾げ、必死で記憶を辿ったが思い出せなかった。

「耳飾りと首飾りを選んでくれて、それを私が買った事は憶えていない?」

「服を作った後、色んな店を回ったんだけど、憶えていないのか?」

 二人に訊かれると、玲太郎はまた首を傾げた。

「あ、あーちゃんが良くしてた耳飾りは覚えてるのよ。それを見て、僕も真似して耳飾りの絵を描いてたのも覚えてる」

「今も描き続けているよね。だからこうして形になっている訳なのだけれど」

 玲太郎に優しく微笑み掛けて、耳に着けられた耳飾りを触った。

「あーちゃんは耳飾りが良く似合うのよ。首飾りはしないの?」

「首飾りは玲太郎が描いてくれないからね」

 そう言いながら帯革を紙袋に戻した。

「それより、玲太郎の帯革と靴を見せて貰える?」

「うん、どうぞ」

 玲太郎は紙袋を机に置くと、颯がそれを明良の近くに置いた。明良はそれを手にして中から帯革と箱を出す。帯革の留め具を見て頷くと、革の感触を確かめる。

「私の帯革とこれは同じ一頭の革だね。颯はこういう事に無関心だと思っていたけれど、良く判ったね」

「俺は触れていないんだよ。店の人に親子で揃いにしたがる人がいるから、態々わざわざ同じ牛から作って置いていると聞いたよ」

「そうなのだね」

「玲太郎が一番に欲しがった帯革が偶々たまたまその揃いの中の一本だったから、兄貴にも贈ろうと思って。店の人は、お子様の物だけでも大丈夫ですよって言ってくれたけどな」

「そうなのだね。有難う。嬉しいよ」

「手入れをきちんとしたら長く使えるからって、お店の人が言ってたのよ」

 明良は玲太郎の方を見ると微笑んだ。

「それでは手入れをしっかりしないとね」

 そう言うと今度は紙袋から箱を取り出して膝の上に置き、箱の蓋を取った。柿茶色をしていて甲革の部分に飾りもない簡素な靴が入っていた。それに触れてみる。

「これは柔らかいね」

「それはねぇ、大角おおつの牛の子の革なんだって。履いて気に入ってからその事を聞いたもんだから、止めようかと思ったんだけど、やっぱり欲しかったから買ってもらっちゃった。父上が作ってくれる靴とはまた違った良さがあるのよ」

 玲太郎が気に入っているのであれば、言う事は何もなかった。箱に蓋をすると玲太郎に向かって微笑んだ。

「そうなのだね。買って貰えて良かったね」

 明良がそう言うと、玲太郎は微笑んでから颯の方に顔を向ける。

「はーちゃんがお金を沢山持ってたから買って貰えたけど、なんでそんな大金を持ってたの?」

「玲太郎の合格祝いを買う積りだったからだよ」

「一体幾らだったの?」

「帯革が両方で三十五万こん、靴が十五万金。小白金貨ひゃくまんを一枚持っていたから買えた」

「意外とするのだね。驚いたよ」

「帯革に使われている金属が灰金はいきんだから余計に高かったよ」

「私の物と同じなのだなと思っていただけだったのだけれど、これが灰金なの? 実物は初見だよ。艶消しなのかと思っていたら違うのだね」

 感心して革帯を手に取って、留め具を見ている。

「そんな渋い物にして本当にいいのか、何度も聞いたんだけどな」

「これが良かったのよ。一目ぼれってやつね」

「それならいいんだけどな」

「大切に使うよ。はーちゃん、ありがとう」

 嬉しそうに言うと、颯は頷いた。

「どう致しまして」

「颯は自分には何も買わなかったの?」

「俺には肉。鴨とか兎とか馬も売ってたから買って来たよ。大角牛もあるからな。これから当分は毎晩肉が出るぞ」

 満面の笑みを浮かべて言うと、明良は些か頬を緩めた。

「颯らしいと言えばらしい」

「ばあちゃんにも皮革製品を、と思ったんだけど、欲しがらなかったからばあちゃんも肉なんだよ。ばあちゃんは羊が食べたいって言うから羊と、ノーモンって言う鳥。買った肉の調理法を聞いて来たから期待出来るぞ」

「楽しみだね!」

 玲太郎も嬉しそうに言うと、二人は顔を合わせて笑顔になった。そんな二人を見て明良は露骨に不快感で眉を顰めた。


 颯が暇を持て余し始めてからと言うもの、玲太郎の浮く高さを更に上げようと毎日練習を遣っていた。と言うのも、一度目の練習で三寸三分から一尺六分まで上昇したからだった。玲太郎が俄然遣る気になって颯に付き合って貰っている、と言った方が正しいのかも知れない。練習は玲太郎の勉強が終わる十八時から八十分程度遣っていた。

 明良はその所為で玲太郎といられる時間が削られる事となり、練習中に姿を現しては颯を睨む事が増えていた。その後は食事時間が来るまで反省会をしていたが、これも明良が不機嫌になる為、早々に切り上げるのが常となっていた。

 朝は朝で水伯と共に北の畑に向かって玉を出す練習を遣っていた。玉は出せるようになっていたのだが、如何いかんせん大き過ぎた。それも自力で消せず、壊せず、毎度水伯が苦労していた。それも全てを消去する事が不可能だった為、残った分は少しずつ削るしかなかった。そんな訳で、朝の練習で玉を出す時は水伯が苦労をしていた。

「玲太郎、土や岩の玉は止めないかい? 水とか氷とか風とか光とかにしてみないかい?」

「直径五十モル(約一町)くらいあるって言ったのは父上なのよ? 光にしたら、とてもじゃないけど、目を開けていられないよぉ」

 二人共、困り果てていた。

「それでは水か氷か風にしないかい?」

「水か氷か風にしたらここまで小さく出来ないと思うよ?」

 玲太郎は五本目の魔術棒を振りながら言った。水伯は玲太郎の出した玉を少しずつ削りながら玲太郎を見る。

「それでは試しに火で遣ってみるかい?」

「火はやらない。熱いと思うからやりたくないのよ。……そもそもやった事がないから出来るか分からないのよね」

 首を横に大きく振りながら言った。水伯はそれを聞いて、まだ直径ニ十二丈は優に残っている玉を削る事に気を向けた。

(これは颯も梃子てこ摺るだろうね。水は吸い込まない、火も効かない。かと言って硬い物をぶつけてみても此方こちら側が砕ける程に唯々硬いだけ。土であっても硬い事は変わりない。風で少しずつ削るしか出来ないとは恐れ入る。しかしこれが土や岩以外であるならばどうなるのか、試したくはあるのだけれど、玲太郎が出してくれなければね……。それにつけても、入学するまでには火も出せるようになっておいた方がよいとは思うのだけれど、どう遣って遣る気を出させるか……)

 玲太郎は水伯が玉を消している時間は決まって花を咲かせていた。種がなくても草花を咲かせられるようになっていた事もあって、今日はメニミュードを咲かせて楽しんでいた。原種は本来、落ちた種すらも持ち帰る事が出来ない為、それを咲かせる時は水伯と二人だけの時のみという条件を付けられている。花冠に顔を近付けて香りを嗅ぐ。

「臭いは余りしないのが寂しいのよ。こんなに綺麗なんだから、よい匂いがするとよいのにねぇ……」

 独り言を言っていると、それを聞いていた水伯が少し笑った。

「私もそう思って、改良した時はよい香りがするように心掛けたのだよ。それで出来上がったのがサドラミュオミュードなのだけれどね」

「サドラミュオミュードは本当によい香りがするよね。僕は大好きなのよ。でも花に近付いて香りを嗅ぐと濃過ぎて鼻が痛い……」

 悲しそうに言うと、水伯が玲太郎に顔を向けて笑顔になった。

「ふふふ、そうだね。芳香も度を超すと悪臭だよね。だから離れて鑑賞出来るようになっているとは考えられないかい?」

「うん、確かに離れて見てるかも。あれだけ豪華な花だと、離れて見てても豪華には変わりないないもんね」

「そう言えば、メニミュードの改良種の図鑑に載ってたんだけど、サドラミュオミュードは作り手の心が清らかじゃないと、違う色が咲くって本当?」

「そのような記述があったのかい?」

「うん、なんかね、色付きだったんだけど、淡くてくすんだ色だったような」

「それは初耳だよ。一時期とは言えども流通はしていたのだけれど、王都の別邸に咲かせていたら泥棒に入られてね、どういう訳か、それから私以外では花を咲かせられなくなったのだよ。だから流通をしていた間に、そういう事になってしまったのかも知れないね。私は心が清くないけれど、くすんだ色にならないから誤りだと思うよ。土や水に問題があった可能性も否めないけれど、私はそれを確認する気になれないね」

「父上も知らなかったの。それじゃあ本当の所は分からずじまいかぁ……」

「玲太郎が何時いつか時間を持て余すようになったら、土や水や環境を変えて花を咲かせてみて、色が変わる原因を追究してみる事も、よいかも知れないね」

 そう言って柔和に微笑むと、玲太郎は明るい笑顔を見せた。

「僕も長生きするみたいだからそれは出来そう! やってみる!」

 そして水伯の表情が曇る。

「私としては、今、この硬い岩を、玲太郎が消去するなり、破壊するなり、して欲しいのだけれどね」

「け……消し方が分からない……」

 困惑した玲太郎を見て、水伯は苦笑する。

「それでは破壊するのは?」

「壊すと一杯飛び散って危ない気がするのよ」

「成程……。私が消去出来るのは精々三分の一程度。残りは地道に風で削って、削れたら物を消去出来るようになるからそうしているのだけれど、それだと時間が掛かるから、玲太郎に少しでも手伝って貰えると助かるのだよね」

 そう言って懇願するように見る。玲太郎は眉を顰めるだけだった。

「父上みたいに器用に操れないのよ……」

 苦笑すると、すぐに何時もの柔和な微笑みを浮かべた。

「そうなのだね、解った。それでは昨日と同様に、花を風で揺らす練習を遣っていてね」

「風を吹かせるのは得意なのよ」

「強風ではなく、そよ風だからね」

「はーい」

 玲太郎は消極的で苦手な事に対して遣る気を起こさせる事には一苦労だ。

 初めて玉を出せた時、雪の玉を出す積りで出した玉が氷で、しかもそれが果てしなく大きかった。余りにも大き過ぎて辺り一帯が玉の陰で暗くなり、水伯は即座に玲太郎を抱き上げてそれを上空へと運び、約三時間という時間を掛けて消去する事に成功した。

(あれから比べたら今は本当に増しになったけれど、それでもまだ大きいのだよね……。これは保有する魔力量が多い弊害とも言えるから、調整が出来るようになるまで根気良く遣って行くしかないね)

 水伯は風に髪をなびかせていた。

「玲太郎、風が強いね。もう少し抑えてね」

「ううん、違う。これは自然に吹いてる風なのよ」

「そうだったの? それはご免ね。では風を少し止ませて微風にしてみてね」

「分かった。やってみる」

 玲太郎は至って真剣な表情で魔術棒を立てた。すると風が完全に止んでしまうと、魔術棒の先端を徐に回し始める。すると、優しい風が吹き始め、花々が微かに揺れ、玲太郎は笑顔になった。様子を見ていた水伯は柔和な表情をしていた。

(その調子で、この堅固な岩を消去して貰えると本当に有難いのだけれどね)

 そう思うと苦笑してしまい、まだまだ大きな岩に視線を移して辟易した。

 玲太郎は些か疲労気味の水伯の事などに全く気にせず、上機嫌で風を操っていた。北風が吹いたかと思えば南風が吹き、少し止んだかと思えば優しく髪を撫で、温風が吹いたかと思えば涼風が吹いた。

(この風、一体どの程度の範囲で吹いているのやら……。直径三ヤチモル(約一里半)は確実に吹いてるだろうね。細やかな温度調節が出来ているから、若しかしたら直径四ヤチモル(約二里)は行っている可能性もあるね。この細やかな魔力操作が、小さな対象であっても出来るとよいのだけれど、高望みはしないでおかなければね。遣る気がある事に感謝をして練習を続けて貰わねば……)

 柔和な表情で魔術棒の先端を回し続けている玲太郎を見詰めていた。

(おっと、いけない。気を抜くと削れる量が減るのだった……。時間が掛かってもよいから上空に持って行って、離れた所から削ってもよいのだけれど、そうすると日が落ちても終わるかどうかなのだよね)

 結局、退屈で思案を始めてしまう水伯なのだった。


 夕方の魔術の練習が終わり、玲太郎と颯は勉強部屋で寛いでいた。玲太郎は長椅子に横に座り、背もたれの代わりに読書をしている颯にもたれ掛かって読書をしていた。その向かい側で明良も読書をしていたが、二人の様子が気になって幾度となく視線を向けていた。

「ニムが来ると言うておる」

 ヌトの発言で静寂が破られた。

「ハソは?」

「来ぬ。…と思うのであるが」

「ふうん。解った」

 颯が頷くと、ヌトは玲太郎の耳元に行った。

「玲太郎、わし等の話を聞いておったのであろう?」

 玲太郎はヌトに顔を向けた。

「聞こえてたけど、本を読んでたから聞いてなかった」

「そうであったか。それならば言うておくが、ニムは玲太郎に玉を出して貰いたいのであると。どうやら一度己の手で消してみたいようでな」

「ふうん。でももうすぐご飯の時間なのよ?」

「何、ろくしち分もすれば来るであろうて。作った後はニムがどうにかするであろうから、ご飯を食べに戻って呉れて構わないぞ」

「玉を出せばよいのだよね?」

「出来れば土以外がよいそうな」

「ふうん。それじゃあどれにしよう?」

「風はどうだ? 出来るか?」

「風ね、分かった。でも風だと色を付けるか、中に物を入れないとどこにあるのか分からないのよ?」

「ほれ、前に花弁を入れて玉の中で回転させていたであろう? あれを遣っては呉れぬか」

「ああ、あれね。あれでよいならやるよ。でも、そんなに小さく出来ないけどよいの?」

「それは百も承知よ。大きさは気にせずともよいぞ」

「分かった。でも出来るだけ小さいのにするね。練習にもなるから」

 そう言って上体を起こすと栞を本に挟んでから明良の方を見た。

「あーちゃん、悪いんだけど付き合ってもらってもよい?」

 眉を寄せて遣り取りを見ていた明良の表情が俄に明るくなった。

「無論行きますとも」

 それを聞いて笑顔で頷き、本を机に置いた。

「ヌトも付き合えよ。俺は行かないけどな」

 颯が本に視線を残したままで言った。

「解っておる。ことづけがあるのならば聞いておくが」

「別にないなあ……。まあ、ある訳がないよなあ……」

「聞いたわしが悪かった」

「父上に魔術棒を預けてるから、取りに行ってくるね」

「私も行こう」

 玲太郎が既に扉の方へ小走りで向かっていて、明良は慌てて追い掛けた。二人が部屋を出て行くのを見届けたヌトは颯を見る。

何故なにゆえ玲太郎は明良を選んだのよ?」

「北の畑へ行くのに飛んで行くだろう? そうなると俺と飛ぶより、兄貴と飛ぶ方がいいって事だよ」

「ああ、それでなのか。成程。手を繋いだ状態では心もとないのであるな」

「そういう事」

「玲太郎は甘えないようにする為に学校へ通うと言うておったが、無意識にあれを遣っておるのであれば、此処を離れた後、困るのではなかろうか」

「今はあれでいいんだよ。入寮して兄貴と離れたら、離れたなりに生活して行くだろうからな。とは言え、言う程に離れる訳ではないからなあ」

「そうであったな。それではわしも北の畑に向かうとするか」

 そう言うと体の大きさを三じゃく程に伸ばした。

「その大きさは久し振りだな」

 颯にそう言われ、ヌトは鼻で笑うと軽く挙手した。

「それでは行って来るわな」

 そう言うと窓側へ向かい、そのままとおり抜けて行った。颯はそれを見送ってから、視線を本に戻した。


 北の畑に一番に到着したのはハソだった。次いでヌトが到着する。

「元気にしておったか? 最近、颯が連れないから寂しいぞ」

 ハソが残念そうに言うと、ヌトは少しばかり眉を寄せた。

「最近もうたではないか。颯が連れないのは玲太郎がおらんでも覗き見をするからであるぞ。何故なにゆえ颯を覗くのよ? その内に印を消されるぞ」

「消される事はは困るが気になるではないか。それにしても玲太郎が颯と魔術の練習を遣っておるのは、どういう風の吹き回しぞ?」

「只の成り行きよ」

「そうなのであるか。何かしらの意図があるのかと思うたわ」

 そこへ玲太郎が明良に抱えられて飛んで来た。

「こんにちは」

「今日は。玲太郎、済まぬな。わしも玲太郎の出す玉を消してみとうなってな」

 玲太郎は明良に抱えられたまま、体の大きいハソを見上げた。

「ふうん。ニムはいないの?」

「ニムはもう少し掛かるようであるな。明良も久し振りであるが元気にしておったか?」

「見れば判るだろうに、悪霊は相変わらずの鬱陶しさだね」

「明良は相変わらずの喧嘩腰よな。そろそろ仲良くしようではないか」

「悪霊と仲良くしようなどと血迷う事は未来永劫来ないね」

 いつもと似たような遣り取りに玲太郎は苦笑した。そしてヌトを見ると、懐かしさが込み上げてくる。

「ヌトを見てると、なんだかとっても懐かしいね」

 ヌトは玲太郎の方を見ると、そのまま玲太郎の目線まで上昇して玲太郎の傍に行く。

「そうなのか? ま、この大きさで玲太郎の世話をしておったから、その所為やも知れぬな。颯とおるようになって小さくなっておるから、其方そちらの方に慣れておるのではなかろうか」

「んー、小さいのは確かに見慣れてるけど、その大きさがなんか胸に来る物があるのよ」

 そう言って玲太郎が微笑むと、ヌトも微笑んだ。明良はヌトを生気のない目で見ていた。そんな明良を見たハソが必死で笑いを堪えていた。それをしなくても済むようになった頃にニムが遣って来た。

「わしが最後か。待たせて済まぬ」

 ニムも大きいままだった。視線を玲太郎に移す。

「それでは玲太郎、なるべく小さな玉で頼むぞ。初めて玉を出した時のような大きさでは、わしでも手を焼く事が目に見えておるのでな」

「見てたの?」

「無論な。玲太郎に何かあっては困るから出来るだけ見ておるのよ。許せよ」

 玲太郎は溜息を吐くと脱力した。

「玉は一個でよいの?」

「二個がよいな。出来れば一個は火で頼む」

 玲太郎は目を丸くしてハソを見た。

「火は出せないのよ。やった事がないからね」

「出来ぬと思うておるだけで、実際は出来る筈ぞ」

 ニムが言うと、玲太郎はニムを睨んだ。

他人ひと事だと思って……」

 不快そうに言った玲太郎は視線を逸らした。

「玲太郎は出来る事を、出来ぬと思い込んで出来ずにおるだけよ」

 今度はヌトが言った。玲太郎はヌトを見ると口角を下げる。

「そうへそを曲げるな。先ずは試しに遣ってみようではないか。この付近ではなく、上空に頼むぞ」

 そう言われた玲太郎は何か物を言いたそうな表情でヌトを見ると目を閉じた。深く息を吐き、目を開けると上空を見上げた。そして魔術棒を上に向ける。すると、俄に上空に光る物が出現した。

「あれ? 出せた? もしかして物凄く小さいんじゃないの?」

 玲太郎は嬉しそうに言ったが、玲太郎以外は困惑していた。一番に飛び上がったのはヌトだった。明良もそれに次いで上昇した。ハソとニムは顔を見合わせてから追った。玲太郎が出した火の玉は確かにあったが、赤い玉は直径で半里程あった。

「近くで見ると大きいのよ……」

 玲太郎が落胆して言ったが、明良は愕然としていた。

「近くと言ってもまだ五百モル(約九町)程の距離があるよ」

 そう言った明良を玲太郎は見た。ハソも近くで見上げていた。

「これは……、予想外の大きさなのであるが、ニムが遣ってみるか? わしが遣るか?」

「灰色の子はどの大きさでも三分の一程度を消し去っておったから、わし等もそれ程度は出来る筈。その後、どう遣って消すかが問題なのであるが……」

「ふむ。灰色の子は凄いのであるな。わしはこれを消せる気がせぬがな」

「おいおいおい、火はヌトの得意属性ではないか」

 ニムが言うと、ヌトは首を横に振って玲太郎を見る。

「玲太郎、これは玲太郎が消さねばなるまい。試しに消してみぬか?」

 突如責任を負わされる事になった玲太郎は目玉が零れ落ちそうな程に目を丸くした。

「ぼ、ぼ、僕が消すの? そうだと分かってたら出さなかったのに……」

 泣きそうな表情で言うと、ハソが苦笑する。

「わしが言うて遣ってもろうたのであるから、わしがどうにかして消すぞ」

「玲太郎は出来る事を出来ぬと思い込んでおるだけよ。出せたのであるから、消す事も出来るぞ」

「で、でも……」

 ヌトを見ながらまだ泣きそうな表情をしていた。

「遣る前から心を折るな。出来たのであるから必ず消せるぞ。己を信じず、何を信じるのよ」

 玲太郎はヌトに厳しい口調でそう言われ、口角を下げた。

「明良は何も言うなよ。明良は玲太郎を甘やかす事しか考えておらぬからな」

 ヌトは口を開き掛けた明良を制した。

「何もない空を心の中に思い描け。それが現実の物となるように念じるのよ。大丈夫、玲太郎ならば出来る。さあ、己を信じて遣ってみせて呉れ」

 玲太郎は言われるがままに目を閉じた。暫くそのまま動かなかったが、顔を上に向けたかと思えば目を開いて火の玉を見詰め、その瞬間に消え去った。それを見た玲太郎が喜色満面になってヌトを見た。

「出来た! ヌト、出来たよ!」

「言うたであろう? 出来るとな」

「うん、出来た!」

 明良は喜びに満ち溢れた玲太郎を見るのは嬉しかったが、とても複雑な心境だった。ハソとニムは無表情でその様子を見ていた。

「喜んでおる所を申し訳ないのであるが、わし等の為に玉を二個、作って欲しいのであるが……」

 そう言ったハソを見た玲太郎が頷く。

「うん、作るよ。一個は火がいいんだよね。もう一個は風にしておくね」

 笑顔でそう言うと魔術棒を縦に二度振った。

「ちゃんと消しておいてね。それじゃあ用は済んだだろうから、僕達は帰るね。じゃあねー!」

 そう言って手を振ると、明良は屋敷の方へ下降して行き、ヌトもそれに付いて行った。残された二体は玲太郎が残して行った玉を見詰めたまま、呆気に取られていた。


 玲太郎が自分の出した玉を消せるようになって数日が経過し、水伯は何もしなくて良くなった事を純粋に喜んだが、手持ち無沙汰になって物足りなさも感じていた。そしてどういう訳か、短期間で魔術棒が二本も壊れてしまい、今は七本目を使用している。

(棒が破壊されてしまうという事は、単純に玲太郎の使用度数が増えた所為なのだろうね。この数日で二本も破壊されたのだから、学校用に相当の予備を持たせておかなければならないね)

 そんな事を思いながら、玲太郎が玉の顕現と消去を繰り返しているのを眺めなていた。

「父上、どう? 少しは小さくなってる?」

「うーん、どうだろうか? 変わっていないように思えるのだけれど……」

「そうなの? 度数をこなせばよいという訳ではないのね」

 そう言うと肩を落として手を止めた。

「そうだね。玉を作る時に使用する魔力量を減らすように、心掛けなければならないと思うよ」

「僕にとっては、針の先程の量なんだけどね……」

「出来ると信じて頑張るのではなかったのかい? それならば肩を落とさないで、針の先よりも少ない量を目指して遣らなければね」

 玲太郎は背筋を伸ばすと頷いた。

「そうなのよ、頑張るのよ」

 大きさはどうあれ、玉の消去が出来るようになった事が自信に繋がったようで、直ぐに遣る気を取り戻して魔術棒を小さく縦に振った。水伯はこうして励む玲太郎の姿を見て、柔和に微笑んでいた。


 勉強時間が迫り、二人は屋敷へ向かった。その道中、手を引かれた玲太郎は魔術棒で軽く頭を叩いていた。

「どうして玉は小さくならないんだろう?」

「それは玲太郎の魔力の使用量が多いからだね」

 水伯はそう言うと左手の人差し指の先に半透明の小さな玉を出した。そしてそれを玲太郎が見える所へ持って行く。

「私が出しているこの玉の大きさが私の魔力量、玲太郎が今出している玉の大きさが玲太郎の魔力量だね。それだけ玲太郎の魔力量が多くて、調整が難しいという事なのだろうね」

「嘘だぁ」

 玲太郎は水伯の言っている事が信じられなかった。水伯は「ふふ」と笑うと玉を消した。

「大袈裟なようだけれど、これ程に玲太郎と私の魔力量に開きがあるのだと私は思っているよ。若しかしたらもっと大きな開きがあるかも知れないね」

「今の玉、一ジル(六分六厘)もなかったよ?」

「そうだよ。玲太郎はね、本当に魔力量が多いのだよ。この星の全生物の頂点に立っているのが玲太郎になるね。だから小さい物を作り出す事は、大変な労力が必要になってくるのかも知れないね」

「でも種は作れるよ?」

「種は、種から育てて、花を咲かせて、それから出来た種を採取しただけだから意味が違ってくるね。無から種を生み出している訳ではないのだからね」

「あ、そうだね。それじゃあ無から種を出してみる?」

「種は小さ過ぎるから難しいのではないの?」

「んー、確かに」

「以前、颯が小型の水晶を土から作って魔力を籠める、というような事を遣っていたけれど、小型は玲太郎にはまだまだ早いと思うのだよね。中型も大型の水晶も難しいだろうね……。そうなると、私が高品質の特大の水晶を用意して、玲太郎がそれに魔力を籠める練習を遣ってみるかい? 破裂しなければ私が買い取るから、お小遣い稼ぎになるよ」

「やってみる!」

「そう。それでは私と北の畑に来る事は今日で最後になるかもね」

「どうして?」

「部屋で練習が出来るようになるからだよ」

 そう言って柔和に微笑むと玲太郎を見た。

「それじゃあ散歩の時間を作らないといけなくなるね」

 玲太郎は水伯を見上げた。水伯は前を向いている。

「そうだね。それでは颯との練習の後に散歩をしたらどうだろう?」

「ううん、父上としたいのよ」

 水伯は玲太郎を見て柔和に微笑んだ。

「そうなのだね。それならば颯との練習が終わって、玲太郎が屋敷に帰って来てからにしようか」

「分かった」

 玲太郎は笑顔で頷いた。水伯は暫く目尻が下がりっ放しだった。


 屋敷に戻った二人は二階に上がると、先に玲太郎が勉強部屋に入って行った。すると颯が来ていて、長椅子で横になって読書をしていた。

「おはよう。どうしたの? 早過ぎない?」

 本から玲太郎の方に顔を向けた颯は笑顔になる。

「お早う。今日は一緒にディモーン先生の授業を受けようと思ってな」

「お早う、玲太郎。きちんと魔術の練習は遣っておるのか?」

 長椅子に腰を掛けているヌトが訊いた。

「うん、やってるよ。さっきまでやってた。でも玉が小さくならないのよ」

「玲太郎は魔力量が多いから、練習を積み重ねて行くしかないのやも知れぬな」

「明日から父上が特大の水晶を作ってくれるから、それに魔力を籠める練習をやるつもり」

「特大の水晶とは?」

 ヌトが聞くと、颯が苦笑しながら本を下ろした。

「水晶は魔力を籠めると魔石になるだろう? 俺が小さい水晶で練習していたのは憶えてるか?」

「憶えておるぞ」

「小型、中型、大型、特大型とあって、特大は冷蔵庫とか洗濯機とか乾燥機とか大型の冷暖房器具とかに使われている、と授業で習った筈だけど聞いていなかったのか?」

「聞いておらぬな。済まぬ」

 小さく溜息を吐くと本を閉じた。

「まあ、そんなもんだよな。規格があって大きさが決められているんだけど、特大は一番大きい物を言うってだけだからな」

「成程」

「でも特大にしても玲太郎には小さ過ぎるんじゃないのか」

 視線を玲太郎に移すと、玲太郎が微笑んだ。

「だから出来るように練習をやるのよ」

 そう言いながら向かいの長椅子に座った。颯が起き上がって、ヌトを避けてきちんと座る。

「とっても辛い練習になるだろうけど、頑張れるか?」

 颯の真剣な面持ちを見て、玲太郎も真剣になって頷く。

「ヌトが出来るって言うから出来ると思うのよ。僕、頑張るね」

「特大がどの程度の大きさか知らぬが出来ぬ事はなかろうて。きっと出来るぞ」

 ヌトが笑顔で言うと颯は呆れてしまった。

「魔石の規格の特大と言うのは、長さ十ジル(約六寸六分)、直径二ジル五ケユル(約一寸六分)程度だぞ」

 そう言いながら実物を出して机に置いた。それを見たヌトは頷く。

「この程度であれば、玲太郎に取って余裕ではないか。ちょちょいのちょいという奴よ」

「そう? 本当にちょちょいのちょいなの?」

 怪訝そうにヌトを見ながら玲太郎が訊いた。

「玲太郎の魔力をこれに注ぐのであろう? 容易に決まっておろうが」

「だって僕、玉を作っても凄く大きいのよ? まだ直径が五十モルくらいあるのよ?」

「ふむ、小さな玉が作れないから、小さな物に魔力を注ぐ事が出来ぬという事なのであるな?」

「そうだな」

「うん、そう」

 颯と玲太郎が同時に頷いた。

「試しに遣ってみるがよい」

 平然と言うヌトの言に飲み込まれたのか、玲太郎が立ち上がって右手で水晶を取った。そして上体を戻して直立すると水晶を両手に持った。颯が心配そうな顔をする。

「魔力の注ぎ方は解っているのか?」

「んー、本で読んだ程度だけど、やってみる」

「座ってから落ち着いて遣った方がいいぞ。魔力が一杯になった瞬間に極僅かだけど振動するから、そうなったら直ぐに止めろよ。直ぐにだぞ」

「分かった」

 颯は障壁を水晶の周りに張る。玲太郎は長椅子に腰を掛けると水晶を優しく握った。水晶が光りを放ち、水晶の色が変わって行く。そして透明性を失い始め、完全な不透明になった。それが瞬く間に起こった。

「はーちゃんが言った通り、ちょっとだけ振動したから止めたのよ。これでよいの?」

 立ち上がって颯の近くに紺色の水晶を置いた。

「どれ……」

 颯は手を伸ばして水晶を取ると、目の前に持って来て凝視した。

「初めてでこれは凄いな……。入れ過ぎて色が少し濃くなっているけど、これならまあ合格点だな」

 そう言って机に置くと、ヌトは首を傾げた。

「おかしいな? 出来る筈であったのであるが……」

 玲太郎は水晶とヌトを交互に見た。

「出来てるよ? 壊れてないもん」

「壊れているよ。見ていて」

 颯がそう言うと、水晶に亀裂が入った。玲太郎は目を丸くする。

「えっ、なんで?」

「破裂しても飛び散らないように、水晶の周りに隙間なく障壁を張っていたんだよ。今度は俺が遣るから見ていて」

 右手の上に水晶が顕現すると魔力を注ぎ始め、たちまちに不透明の瑠璃紺色になった。腕を伸ばして玲太郎の近くに置くと、玲太郎はそれを手に取った。

「高品質の水晶に、質が百の魔力を壊れる寸前まで注ぐとその色になる。玲太郎が魔力を注いだ水晶よりも少し明るい色だろう?」

 玲太郎は砕けた水晶の欠片も手に取って見比べた。

「確かにはーちゃんの方が少し薄い色になってるね」

 納得するように何度か頷いていた。それを見た颯は微笑む。

「水晶の限界以上の魔力を注ぐと色が濃くなって行って、最終的には黒くなるんだけど、黒まで行くと障壁を解いた後、粉々になるんだよ」

「へぇ、そうなの。でも障壁を水晶に張り巡らせておけば黒くなるまで注げるんだね。そんな事、本には書いてなかったのよ?」

「それは水晶が限界を超えると壊れるからな。ちょっとした好奇心で、魔力を注げるまで注ごうと思って遣ったんだけど、障壁を張ったままでは用を成さなかったんだよな。骨折り損の草臥くたびれ儲けだったぞ」

 期待して聞いていたが、結果を聞いて落胆した。

「なんだぁ、使えないならそこまでやる必要もないね」

「そういう事だな。兄貴に言ったら、壊れていないように見えていても、実際は壊れているのだから使える訳がないだろうって言われたよ」

「ああ、だからなんだ。障壁が邪魔をしてる訳じゃないんだね」

「そう思うだろう? 俺も兄貴に言われたから壊れていない水晶で試したんだけど、正常に動作したんだよ。兄貴の言った事が正しいと証明した結果に終わったんだよな」

 また期待して聞いたら、描いた結果と違って落胆した。

「なーんだ、障壁があったら正常に動かないのかと思ったのに。勿体ぶらないでよぉ」

 玲太郎は不満そうに言いながら居直した。颯は玲太郎の反応を見て笑った。

「でも初めてで色がこの程度の違いで済んでいるから、本当に上出来だぞ」

「そう?」

「俺は障壁を使っていた事もあって、最初はもっと濃い色だった。遣っている内に振動する事に気付いて、それから出来るようになるまでは早かったよ。玲太郎は一発で骨を掴んだだろうから、直ぐに出来るようになるぞ」

「そうだといいんだけどね」

「玲太郎ならば出来るぞ」

 ヌトもそう言うと、玲太郎は気恥ずかしそうに笑った。


 翌日の朝食後、玲太郎は水伯と共に二階の執務室にいた。水晶に魔力を付与する練習が始まっていて、水伯が水晶を出し、玲太郎が片っ端から魔力を注いで破壊するという流れ作業を行っていた。玲太郎は颯とヌトが言っていたようには行かずに苦心していた。昨日、颯に貰った見本の水晶を置き、それを参考に魔力を注いでいたが、それが逆効果になっているようだった。

 それから、水伯の障壁は颯のそれと違っていて直ぐに亀裂が入り、魔力を過剰に注いだと即座に理解が出来た事も影響しているのかも知れない。

「玲太郎、その水晶を置いておかない方がよいのではないのかい? それの所為で気が散っているように見えるよ」

 水伯が優しい口調で言うと、気落ちしている玲太郎は首を傾げた。

「昨日に一度だけやったんだけど、これに近い色だったのよ。だから色を確かめたくて置いてるんだけど……」

「近かったとは言えども破裂したのだろうから、それを引き摺るのは感心しないね。気持ちを切り替えて行かなければならないよ? 初心者が幸運にもよい成果を得られるという現象は良くある事だから、思い上がらないで遣らなければね」

「分かった。気を付けるね」

 颯から貰った水晶を少し遠い所に置くと、深呼吸を三度してから再挑戦をする。水伯は暫く様子を窺っていたが、漸く気合が入り出した玲太郎を見て安堵した。

 長さ約六寸六分、直径約一寸六分の水晶の山を四つも積んだ水伯は、颯が作った水晶を手にした。颯は小さな水晶を作りを開始と同時に魔石作りも開始したのだが、その頃の日々の成果を見ていた事もあって、その上達振りに瞠目した。

(この出来具合は完璧だね。小型の魔石もほぼ完璧という所までは見せてくれていたから、現在の完成品を是非とも拝みたい所だね)

 柔和な表情をしている水伯は静かに水晶を置いた。

 玲太郎は黙々と魔力を注いでいたが連続破壊記録を更新していた。机に置いて人差し指だけ触れてみたり、両手で握ってみたりと色々と試していたが、水伯は遊んでいるようにしか見えずに失笑してしまった。玲太郎はその笑い声で不機嫌になると水伯を見た。

「父上、笑うのは酷いんじゃないの?」

「ふふふ、ご免ね。おかしくて、つい笑ってしまったよ。形に拘っても同じだろうから自然体でね。慣れるまでは優しく、ね」

「優しく、ね。分かった」

 玲太郎は大きく頷くと、肩を上下に動かして力を抜くと次の水晶を手にした。玲太郎がまた水晶を一個破壊している間に、水伯は追加の水晶の山を四つ積み上げた。そして魔力を注ぐ事に熱中している玲太郎を横から眺めた。

(世俗に塗れてもこの純真さが失われる事のないように、毎日お天道様に願わなくてはならないね)

 そう思いながら左側に積まれている破壊された水晶を消去した。すると玲太郎が水伯を見上げた。

「父上、これが出来るようになったとして、いつまで続けるの?」

「そうだね、失敗せずに千本続けて出来たら、だね」

「千本!?」

 玲太郎は思わず声を上げた。

「少ないかい?」

 即座に首を横に振った。

「ううん、多い、多いのよ」

「颯も千個遣ったよ。小型の水晶だったけれどね」

「えっ、そうなの?」

「そうだよ。最初はこれよりも薄い色でね、いつの頃からかこれに近い色になって、それから千個の魔石を作り切ったのだよ」

「そうなんだ。それじゃあ最初からこの色を目指すより、少し薄い色でも壊さずにやる方がよいの?」

「玲太郎は魔力量が多いから、薄い色は出来ないのではないかい? 明良は玲太郎のように完成に近い色を目指して遣っていたからなのか、颯よりも時間が掛かっていたね」

 そこまで言うと、玲太郎から視線を逸らして眉を顰めた。

「……そう言えば、明良に渡した見本は私が魔石にした物だったけれど、颯に渡したのは只の水晶だったかも知れないね。だから完成を目指す方法が違っていた可能性があるね……。兎にも角にも、玲太郎は自分に合った方法を見付けて、焦らず、ゆっくり遣る事だね」

 いつもの柔和な微笑みを玲太郎に向けると、玲太郎は口角を少し上げて頷いた。

「焦らず、ゆっくり、ね」

 復唱すると、手に持っている水晶に視線を向けて魔力を注いだ。

 結局、この日の練習では悉く亀裂が入ってしまったが、玲太郎が腐る事はなかった。


 夕方に颯と飛ぶ練習をしている最中、玲太郎がこの話をしたらヌトは首を傾げた。

「おかしいな? 玲太郎は出来る筈なのにどういう事ぞ?」

「僕に聞かれても困るのよ。むしろ僕が知りたい」

 颯に約三尺三寸も浮かされながら言った。

「そんな事より、浮く事に集中しろよ。五十ジルの高さまで飛べるようになるんだろう?」

「うん。この高さまで自力で浮いて、動けるようになりたいのよ」

 そう言うと、自力で受ける一尺六寸まで徐に下りて行った。

「浮く感覚はいちジルも五十ジルも変わらないのに、どうしてこんな事になるんだ?」

「はーちゃん、意地悪しないでさっきの高さまで浮かせておいて欲しいのよ」

「意地悪じゃないぞ。ちょっとした確認だ。俺の補助を突然消しても、落ち方が物凄くゆっくりなんだよな。…という事はだ、玲太郎自ら下りているか、何らかの力が働いている可能性がある訳だ」

「わしではないぞ。何もしておらぬからな」

 少し離れた所で二人を見ていたヌトが慌てて言った。

「解ってるって。玲太郎が無意識で遣っている可能性の方が大きいな……」

 そう言いながら玲太郎を約三尺三寸まで浮かせた。

「何らかの力が働いてるって、どういう事?」

「玲太郎が怪我をしないように守ってくれている、という事だろうな」

「そんな事って有り得るの?」

「あるよ。俺もそれに助けられている時がある。一見して目に見える訳じゃないんだけどな、痛みを感じてもおかしくないのに、痛みを感じない時があるんだよ」

「ふうん、そんな不思議な事があるんだね」

「うん、ある。実力者に付与術で強化された木刀で殴られた事があったんだけど、上手く衝撃を逃がしてくれて痛くなかったんだよ。あの時はいつもより厚目に防御をしていた積りだったんだけど、身体強化と木刀の二重強化で殴られる直前の圧で、これは痛いと思ったら痛くなかったんだよな。だから拍子抜けした記憶があるよ」

「殴られる直前に防御をもっと厚く出来たんじゃないの?」

「出来る訳がないだろう。その時の俺は素人なんだぞ。その時は痛みを受ける覚悟をしただけだったわ」

「ふうん、それでも痛くなかったんだ……。凄いね。その目に見えない何かって、はーちゃんは正体を知ってるの?」

 俄に颯の顔が嫌らしい笑みを浮かべた。玲太郎は思わず、怪訝な表情になる。

「知っているよ」

「えっ、教えて。なんなの?」

 玲太郎が好奇心で目を輝かせた。

「玲太郎が俺の身長より上に浮けたら教えるよ」

 莞爾としてそう言うと、玲太郎は眉を顰めて口を歪ませた。

「えええ、それはないよぉ」

「ほら、この高さだよ」

 そう言って颯の身長よりやや上まで浮かせる。

「わわわっ」

 玲太郎は慌てて屈んだ。

「この高さまで自力で浮けたらな。この生物と仲良く出来れば楽しい事が沢山体験出来るぞ」

 玲太郎は目を丸くしたが、颯の顔を見ようにも見る事が出来なかった。

「生物? 生き物って言った? 目に見えない生き物がいるの?」

「目に見えない微生物は一杯いるぞ。それもその生物と仲良く出来れば見えるようになるからな」

 玲太郎は俄然遣る気が湧いて来て立ち上がった。

「やる! 僕は頑張る!」

 颯はそれを聞いて満面の笑みを浮かべると、玲太郎が徐々に下りて来た。

「あれ? 落ちてる?」

「補助をしていないからな。ほら、早く自力で浮かないと」

 玲太郎は悔しそうな顔をすると颯を見た。

「意地悪しないでよぉぉおおぉ」

 そう言った玲太郎を颯は笑いながら抱き寄せて頭を撫でた。玲太郎は脱力して颯の肩に頭を預ける。

「……本当に目に見えない生き物がいるの?」

「だから沢山いるって言ってるだろう? それを見せてくれる生物が飛び切り凄いんだぞ。玲太郎も見てみたいだろう?」

 玲太郎は姿勢を正して颯を見る。

「見たい!」

 颯は顔を顰めて右側に仰け反った。

「其処で大きな声は出さないでくれよ。耳が痛いぞ。……兎に角だ、玲太郎が俺の身長を超えた所まで浮けるようになってから教えるよ。解った?」

「任せておいて。すぐに浮けるようになってみせるから」

 そう言いながら颯の左肩を軽く叩いた。

「出来るようになるまでその遣る気が続く事を祈るよ」

 颯が微笑んで言うと、玲太郎は屈託のない笑顔を浮かべた。そんな玲太郎をまた浮かせ、颯の頭上までの高さで止める。玲太郎はまた慌てて屈んだ。

「この高さ、やっぱり怖い……」

 怯えながら言うと、颯は苦笑した。

「その高さに慣れる事から始めないといけないようだな?」

 補助を止めたのか、玲太郎がまた徐に下りて来た。

「うう……」

 玲太郎は勇気を振り絞って立ち上がると、俄に上り始めた。

「あっ、はーちゃん、それはダメ」

 そう言うとまた屈み、動きが止まった。

「さっき立ち上がった高さと同じだから大丈夫だよ」

「落ちてるから立ち上がったのよ。止まってるのとか、上ってるのとかは怖い」

「それじゃあもうちょっと下くらいから遣るか?」

 玲太郎が徐々に下りて行き、屈んだ状態で颯と同じ目線になると抱き着いて来た。颯は苦笑しながら玲太郎の背中をさする。

「焦らず、ゆっくりやる……」

 小声でそう言った玲太郎は颯の肩に顔をうずめた。ヌトが玲太郎の耳の近くに来る。

「今日はこれで終わりにしておけよ。それがよいわな」

 玲太郎が頷くと、颯が歩き出した。ヌトは颯の左肩を玲太郎に譲って右肩に座った。すると、上空に明良の姿が見えたかと思えば、颯の傍に下り立って隣を歩く。

「今日はもう終わり?」

「うん、終わり」

「それでは抱っこを代ろうか」

 そう言って両腕を伸ばしてきたが、玲太郎は動かなかった。

「いや、このままでいいわ。玲太郎もそれがいいみたい」

 明良は眉を本の少しだけ寄せた。

「何故そのようになっているの?」

「俺の背より高く浮いたのがちょっと怖かったみたい」

「そうなのだね。私が抱っこをするというのに……」

「まあ、このままが良さそうだからな」

 そう言って玲太郎の背中を擦った。明良はそれを横目で見ている。

「そろそろ代わるよ?」

 颯は鼻で笑うと明良の方に顔を向けた。

「そろそろと言われても、少しの時間しか抱っこしてないんだけど」

 それを聞いても明良は無言の圧力を掛けて来た。しかし颯は冷ややかに笑って前を向いた。玲太郎は二人の遣り取りを聞いていたが動く気にはなれず、唯々颯にしがみ付いているだけだったが、顔が綻んでいた事は誰も気付かなかった。

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