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悠長に行こう  作者: 丹午心月


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第十話 しかして打ち明ける

 明良と颯の受験合格通知が届いた七月の上旬、水伯邸のある辺りでは過ごし易い陽気となっていたが、玲太郎は相変わらず少ししか浮き上がれず、魔術の練習を遣らない日が増えていた。

 前庭の一角にある玲太郎の花壇には色取り取りの花が植えられていている。最近では、魔術の練習を遣らない日はここで土を弄って過ごしている。そして今はホンボードに用意して貰っている花を花壇に植え替える為、屈んで小型の円匙えんしを片手に持ち、一所懸命に穴を掘っていた。

「君、そこで何をしているの? そこで遊んではいけないんだよ?」

 そう声を掛けたのは大きな茶封筒を持ったヴォーレフだった。それを全く気にしていない玲太郎は無言で穴を掘っている。無視をされたヴォーレフは怒りを覚え、玲太郎に近付いて行く。

「君はこの辺の子ではないね? そこで遊んではいけないと言っているのが聞こえないのか?」

 語気を強めて言うと玲太郎は手の動きを止めた。しかし、屈んだままで体を動かして、違う所に穴を掘り出した。

「そこにいるのは誰だい?」

 ヴォーレフは声がする方を向くと、花の苗が幾つも入った箱を抱えているホンボードがいた。ホンボードは殆どが白髪の中に茶髪が少し入り交じっている。そして、しわは多いが穏やかな表情をしていて、痩身だった。ヴォーレフは知った顔が来て驚いた。

「おはようございます」

「おや、カウトレンドの坊ちゃんかい。おはようございます。今花の植え替えをしている所なのですが、何かご用でも?」

「この子はどこの子なのですか? 声をかけてもムシをされて話にならないんです」

「このお方は閣下のご子息です。カウトレンドの坊ちゃんでも、このお方の許可を得なければ口は利けません」

 それを聞いたヴォーレフは血の気が一気に引いた。ホンボードは玲太郎の近くに箱を置くとヴォーレフの方を笑顔で向いた。

「さあさ、お父上に会いに来られたのでしたら、そちらにお行き下さい」

 ヴォーレフは頭を深々と下げると無言で去って行った。遠退くヴォーレフの姿を確認すると、ホンボードは玲太郎の近くにひざまずいた。

「レイタロー様、あれでよろしいのです。気軽に口を利いてはなりませんよ」

「ふうん? ねえ、ホンボードおじさん、あなはこれくらいでいいの?」

 玲太郎はヴォーレフには全く興味がなく、穴の事で頭が一杯だった。

「ここにも一つ穴が欲しいですね」

「わかった」

 頷くと、指で差された位置に穴を掘る。

「今年は花が本当に生き生きとしています。綺麗な状態が長く楽しめて嬉しい限りです」

「おはなきれいなのよー」

 玲太郎は温室で良くホンボードと会い、明良や颯が良く話す物だから、同じように話をするようになっていた。

「さあ、それでは花を植え替えて行きましょう。私が先にやりますので見ていて下さいね」

「わかった」

 説明をしながら遣ってみせ、次に玲太郎が教わりながら遣り、そして二人で手分けをして遣った。最後は水遣りをして終わりなのだが、玲太郎には水の入った如雨露じょうろを余裕綽々で持っていたが、ホンボードが後ろから手を回して、水が半分に減るまで支えていた。水を撒き終えると玲太郎は如雨露を地面に置く。

「出来上がりました。これでこの花壇は完成です」

「やったー!」

 玲太郎が手を叩いて喜ぶと、ホンボードは笑顔になった。

「これ、まだおはながすくないのよ」

「そうです。ですが蕾が沢山あるでしょう? それがこれから沢山咲くんです」

「ふうん。これからさくの。たのしみね」

「はい、楽しみです」

 一頻ひとしきり花壇を眺めたホンボードは片付けを始め、使っていた道具を箱の中に入れるとその上に如雨露を置いた。まだ花壇を眺めている玲太郎に顔を向けると口を開く。

「レイタロー様、手が汚れていますから洗いに参りましょう。付いて来て下さい」

「はーい」

 箱を持ち上げて歩き出した。玲太郎はその後ろを歩いて行く。そしてヌトは玲太郎の後ろを浮いて付いて行く。一部始終を二階の執務室から見ていた水伯は腕を組んで物思いにふけった。

(本当に魔術の練習を遣る日が減ったけれど、どのようにすれば練習を増やしてくれるのか……。浮けても五ジル(約三寸三分)から一向に伸びないし、明良や颯と一緒に連れ回すようになってしまって、自力で飛ぼうという意思が失せている事も問題なのだよね。どうした物か……。やはり遣る気を出させる為にも本人が望んでいる魔術を見付けるしかないのかしら。今なら種から花を咲かすとか、流星群さながらに光を降らすとか、将又はたまた雪を降らす……、とか……)

 段々と険しい表情になって来た事に気付き、眉間の皺を人差し指で押さえて上に伸ばした。そこへ扉を叩く音が聞こえてきた。

「ユージュニーです」

「どうぞ」

 開扉すると、ユージュニーが入って来て静かに閉扉する。水伯の方を向くと深く辞儀をした。水伯は窓の外を見ているままだった。

「ヴォーレフからレイタロウ様に失礼な口を利いたと報告を受けました。申し訳ございません」

「それを許すかどうかは玲太郎次第だから、その程度の事は私に報告しなくてもよいよ。玲太郎は人見知りだからと、ヴォーレフに気にしないように伝えておいて」

「ありがとうございます。それでは失礼致します」

 それに返事をせず、ユージュニーが出て行くのを待った。閉扉する音が聞こえると後ろ手に手を組んだ。

(ヴォーレフか……。玲太郎には歳の近い友達が必要かしら。家族以外で良く話すと言えば、年寄りばかりだものね。年齢的に近い子が多いから、集合して貰って気の合いそうな子を見つくろうとしよう。玲太郎は少々よい子が過ぎる嫌いがあるものね。最近は魔術の練習を遣っては貰えないけれど……、友達が出来て一緒に練習を遣り始めるようになってくれればね。それが理想だけれど、上手く事が運ぶがどうか……。しかし、それでも玲太郎の魔術が顕現しなければ、益々遣る気を削がれてしまうがい然性が高いのだよね)

 水伯は大きく溜息を吐くと執務机に回り込んで椅子に座り、積まれている書類に目を通して分類し始める。瞬く間に書類の一山が分類されて消えてしまった。

 明良は今日、数日前に明良が爵位の継承を受諾され、陛下の拝謁を賜る事が叶って王宮へ出掛けていた。颯は十二歳でありながら明良の護衛として付き添っている。

 そんな訳で玲太郎はホンボードと一緒にいるのだが、それもディモーンが温室の脇にある小屋まで迎えに来た事で楽しい時間も終わりを告げた。

「レイタロウ様、お勉強のお時間になりました。お部屋へ参りましょう」

「ええ? もうなの?」

「はい、残念ながらお時間ですので参りましょう」

「わかった。ホンボードおじさん、ありがとう」

「レイタロー様、またお出で下さいませ」

「またくるねー」

 手を振るとディモーンよりも先に歩き出した。ディモーンはホンボードに会釈をするとホンボードもまた会釈をした。

「ボクのいるとこ、よくわかったね。ディモーンせんせい、すごいのよ」

「有難う御座います。ですが少々お探ししました。レイタロウ様の花壇を拝見致しましたが、とても綺麗に出来上がっていますね」

「きょううえたのはね、またいっぱいおはながさくんだって。たのしみなのよ」

「お花のお名前は聞かれましたか?」

「えっとね、タンダーニュっていってた」

 玲太郎は上機嫌で話をしてくれた。そのまま外を歩いて正面玄関から入り、二階の勉強部屋へ向かう。中に入ると八千代が颯の席に座っていた。

「先生、今日も一日よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

 二人が笑顔で言い合うと、玲太郎が八千代の近くで立ち止まった。

「ばあちゃんもべんきょうするの?」

「うん。今からね、共通語と歴史を習うんだよ。玲太郎と一緒じゃない?」

「いっしょいっしょ。がんばろうね」

「頑張ろうね」

 八千代は笑顔で返した。玲太郎は真ん中にある自分の勉強机に行くと着席して、勉強机の右側にある抽斗ひきだしから帳面と鉛筆入れを出す。玲太郎の共通語の勉強は書き取りが主だった。

「今日からはこの本で勉強を進めましょう」

 ディモーンが勉強机の上にあらかじめ用意していた絵本を開いた。玲太郎は新しい絵本に興味津々で見ている。

「では私が一通り読みましょう」

 そう言うと音読を始め、読んでいる所を指で差し示した。玲太郎はそれを目で追う。ナダール王国の前身であるチルナイチオ王国を建国した経緯が描かれている絵本だった。玲太郎は話の内容に聞き覚えのある部分があって、余計に興味を持った。ディモーンは音読が終わると微笑んだ。

「この絵本は愛国者を育てる為の創作であって、事実ではありません」

 そう言うと、玲太郎は理解出来なかったが、八千代は噴き出し、直後に咳払いをした。ディモーンは微笑んで玲太郎を見る。

「レイタロウ様、この絵本は幼い頃より国を好ましく思う心を育てる為の絵本なのです」

「ふうん? このましくおもうって、すきってこと?」

「そうです。これはナダール王国がチルナイチオ王国だった頃の絵本なのです。とても古くて、歴史的価値のある本なのですよ。少し難しいでしょうか」

「ふるいのはわかるのよ」

「そうです。とてもとても古いのです。今日からはこの絵本の文字の書き取りを致しましょう」

「はーい」

「ディモーン先生」

 八千代が声を掛ける。ディモーンは八千代の方に顔を向けた。

「なんでしょう?」

「その絵本って、古いと言いましたが、どのくらい古いのでしょうか?」

「そうですね、初版は三千さん百年前ではないかと言われています。これは写本なのですが、原本は美術館に一冊あります。一度見に行きましたが、色もせて、文字も読めず、酷く傷んでいました」

「へえ! そんなに古いのに言葉は変わっていないんですね。意味が通じますもんね」

「この絵本は長い間、本当に長い間、国民に愛され続けているのでそのお陰かも知れませんね。この絵本で使われている言葉は変化をしていないと言われています。それだけこの絵本は国民に取って特別なのでしょう」

「ははあ、国民的絵本と言う訳ですか」

「そうですね。自分で初めて読んだ絵本がこれでした。創作だと知って衝撃を受けた事は今でも鮮明に記憶していますが、事実だと思い込んでいる人は一定数いるようです」

「へえ、そうなんですか。私は最初から創作だと思って聴いていました。不純ですみません」

 そう言って苦笑すると、ディモーンが微笑んだ。

「では勉強を続けます。ありがとうございました」

 八千代は小さく辞儀をすると顔を本に向けた。ディモーンは玲太郎の方に顔を向けると、玲太郎は一所懸命に書き取りをしていて、二人の会話は丸で耳に届いていないようだった。窓際にいるヌトはそんな玲太郎から窓の外へ視線を移した。

 六十分が経って休憩を挟むと科目を変えて歴史を勉強し、食事の時間になるとディモーンが勉強部屋から出て行った。八千代は先に食堂へ、玲太郎は水伯を執務室へ迎えに行った。

「ちちうえー、じゅうじのごはんなのよ」

 勢い良く開扉しながら言うと、直ぐそこに水伯が立っていた。

「はい、行こうか」

 左手を玲太郎の目の前に差し出すと、玲太郎はそれを握った。そして部屋を出ると扉を開放したままにして、玲太郎に合わせて歩いて行く。

「玲太郎」

 呼ばれて水伯を見上げる。

「なに?」

「友達が欲しいと思わない?」

「ともだち? なに?」

「友達はね、親しい人の事だよ。例えばホンボードとかディモーンとか?」

「ディモーンせんせいは、せんせいなのよ」

「ああ、そうだったね。ホンボードしかいないのかい?」

「あーちゃんとはーちゃんがいる。それとばあちゃん」

「あの二人は玲太郎の兄弟だから友達ではないのだよ。八千代さんも家族だから友達ではないね」

「えっ、ともだちちがうの?」

「そうなのだよ、友達ではないのだよ」

「ともだちは、ホンボードおじさんでよいのよ」

「今日声を掛けてきた男の子の事を憶えているかい?」

 玲太郎は俯いてしばらく黙考する、また顔を上げて水伯を見る。

「おぼえてない。きょうはね、おはなをうえたのよ。それからきょうつうごと、れきしをならって…」

(ヴォーレフは眼中にない、と……。颯はよい子だと言っていたと思ったのだけれど、これは…)

「ちちうえ、きいてる?」

「聞いているよ。歴史を習ったのだよね」

「そう。れきしをならったのよ。きょうつうごもれきしのえほんで、ずっとれきしをならってた」

「そうなのだね。所で玲太郎はそろそろ魔術の練習を遣りたいと思わないかい?」

「うぅ~ん、まじゅつはね、とべないのよ。だからやらないでよいよ」

「続けて練習していないと、ずっと飛べないままだよ?」

 玲太郎は眉をしかめて正面を見た。

「たまはできない、とべない、ないないないだからやりたくない」

「雨を降らせたり、雪を降らせたり、光を降らせたりは出来るでだろう?」

「できてるの?」

「出来ていたよ」

「ふうん……」

「また毎日少しずつ練習を遣ろう、ね?」

「んん……」

 明確な返事をしないで無言になってしまった。水伯は玲太郎を抱き上げると階段を軽快に下りて行った。そして食堂へ入り、玲太郎を椅子に座らせ、水伯は自分の席へ行って腰を下ろした。


 夕食前、水伯邸に明良と颯がウィシュヘンド地方の民族衣装に身を纏って遣って来ると、直ぐに二階の執務室へ向かった。この地方の民族衣装は性別に関係なく同じ型の衣装になっていて、中衣は生成りの薄手の生地で作られ、丸首の真ん中に切れ目があり、長袖の袖口にも切れ目があってこちらには縁取りの刺繍があった。上着は亜麻色のしっかりした生地で、立襟には隙間のある切れ目が入り、袖は七分袖で着丈が膝上まであり、左右の脇に切れ目が股関節の辺りまで入っていて、これにも各所に縁取りの刺繡があった。ズボンも生成りの生地で、太身の輪郭に裾を絞ってあるだけの簡素な物だった。靴は布靴でこれにも刺繍されている。明良は青味掛かった紫を基調とした刺繍が施されていて、性別の判別が不可能という程度で済む筈だったのに、薄く化粧をし、髪を結い、髪飾りを着け、耳飾りに首飾りもし、事も有ろうに胸まで作って女装をしていた。これを見て目を輝かせて拍手をして大いにはしゃいだのは玲太郎だった。

「きゃー! あーちゃんきれい! きれいきれい! にあうー! すごーい!」

 そう言われたいが為に着たまま来たような物だった。明良はそんな玲太郎を見て微笑んでいた。向かい側に座っている水伯は、いつもの柔和な微笑みを浮かべて見ているだけで何も言わなかった。

「オレは正直言って恥ずかしい……」

 そう言った颯は整髪剤を付けて前髪を横に流しているのだが、とても十二歳には見えなかった。颯は剣が邪魔で座れなかった為、革帯から剣を外して床に突いて持っていた。明良はそんな颯を横目で見る。

「颯はおっさんにしか見えないから誇ってよいよ」

「うっさいわ。オレは兄貴がいつ女になったのかとずっと悩んでたんだぞ」

「玲太郎が喜んでくれるのならば、女装でもするよ」

 そう言って何故か得意そうになっていた。呆れ気味に見ていた水伯が口を開く。

「それにしても何故女装をして行ったの?」

「にあうから」

 そう言った玲太郎を微笑ましく感じている明良はいつもの無表情になって水伯を見た。

「玲太郎が服と装身具を選んでくれたからね」

 玲太郎が選んだ装身具は青緑色をした石の物で統一されていた。水伯はそれ等を見て頷いた。

「ああ、そうだったね。楽しそうに色々選んでいたよね。あれを買っていたのかい?」

「うん、それで似合う格好をしようとしたらこうなってしまっただけ。今日は装身具を緑にしたのだけど、まだ藍色とくすんだ赤と黄色があるね」

「そうなのだね。八千代さんに付き合っていたから、其処そこまでは見ていなかったよ」

「お父様が兄貴を見て目を潤ませてた事より、国王陛下の兄貴を見る目が違ってた方が怖かったわ。あれ絶対惚れてるぞ。本当に目の色が違ってたからな」

 颯が不快そうに話に割って入って言いたい事を言うと、水伯は声を出して笑った。

「明良はガーナスの母親に良く似ているからね。陛下は唯々見惚れていただけだと思うのだけれどね。お若くていらっしゃるから経験が少ない分、そうなるのは仕方がない事かも知れないね」

「あーちゃん、ほんとうにきれいなのよ」

 玲太郎は明良の膝に座り、ご満悦だった。颯が何度も頷いた。

「確かに兄貴は美人だよ」

「有難う。玲太郎に言われると嬉しいのだけれど、颯に言われると何故か怒りが込み上げてくるのが不思議だよね」

 颯は脱力した。そして横目で明良を見る。

「まあ、そろそろイノウエ邸に帰って早いとこ着替えようよ。はっきり言って暑い」

「そうだね。そうしよう」

 そう言って玲太郎を横に座らせると水伯を見た。

「言い忘れていたけど、しょう爵が決まったからね。来年の建国記念日にある式典での褒章になるからまだ先だけれど、一応言っておくね」

 明良と視線を合わせると柔和に微笑んで二度頷いた。

「それはおめでとう」

「有難う。それではイノウエ邸に行ってくるね」

「予定通り、晩飯は向こうで食ってくる。また後でな」

 二人はそう言って足早に退室した。玲太郎は扉を無言で見ている。

「どうかした?」

 水伯の方に顔を向けると寂しそうに笑った。

「ん? んー、あーちゃんとはーちゃんがいなくなったから……」

「十月に入ったら二人は学校に行くようになるから、寂しくても慣れなければならないね。でも私がいるのだから、寂しいのであれば何時いつでも私の所へお出で」

「ちちうえは、まじゅつのれんしゅうをやらせようとするのよー。それがいや」

 そう言って顔を顰めると、水伯は苦笑した。

「玲太郎のように、魔術に向いている人はいないからね。玲太郎は魔術を使う為に生まれて来たような物なのだよ。使わなくても構わないけれど、基礎は出来るようになっておくに越した事はないからね」

「きそ? なに?」

「一番大切な事だね。土台が確りしていれば揺らぐ事はないだろう? その土台が基礎に当たるのだよ」

「ふうん……」

「風を操り、水を操り、火を操り、土を操り、植物を操り、光を操り、治癒術は怪我や軽い病を治す魔術、付与術は物に魔術を籠めて強める魔術、薬草術は薬草に魔術を馴染ませて薬の効果を上げる魔術、呪術はお呪いや呪いを掛ける魔術、錬金術は貴金属や宝石を作る魔術…はいらないか。私が今言った中で興味のある物はあったかい?」

「んーとね、しょくぶつ? なに?」

「植物を操るという魔術はね、種から育てて行って花を咲かせたり、種がるまで育てて種を取ったり、二種類以上の植物を合わせて別物の植物を作ったり、だね」

「ふうん。……しょくぶつの、おはなさかせたい」

「それ以外は?」

「ない」

 そう断言してしまった玲太郎の真顔を見て水伯は思わず苦笑する。

「そうなのだね。風と水と光は出来ていたから、それ以外を試してみるのもよいだろうね」

「たまはつくれない、とべないから、ないない」

「少しでも浮けているのだから出来ている方に入るのだけれどね」

「あんなのだめー。ひゅんひゅんとべないとだめ」

「それならば飛べるように練習しないとね」

「あーちゃんとはーちゃんは、すぐひゅんひゅんとんでた」

「あれはどうしてだろうね? 私も驚いているのだよ」

「ちちうえ、わからない?」

「解らない。本当に理解が出来ない。瞬く間に特級免許を取得してしまったものね。それも明良よりも颯の方が早く取得した事は心底驚いたね」

「ふうん。ボクもできる?」

「先ずは一人でも空を飛べるようにならなければね。それが出来たらまた次の課題に挑戦をして……、という手順だね?」

 玲太郎は俯いて黙ってしまった。水伯は心配な面持ちで玲太郎を見る。

「どうかした?」

 玲太郎は暫く黙っていた。そして意を決して水伯を見る。

「ひとりでとぶの、こわいのよ。ちちうえにてをもってもらうか、ヌトにあしをもってもらわないとこわいのよ」

「成程、怖かったのだね。それではその恐怖心、怖いと思う気持ちに勝たなければ前には進めないね」

「かてたらとべる?」

「多分だけれど飛べるね」

 柔和な笑顔で言うと、玲太郎は水伯を真っ直ぐ見詰めた。

「怖い気持ちが少しずつでよいから減るように、焦らずにやって行こうね」

「ん…、んー……」

 玲太郎は歯切れが悪かった。ヌトはそれを苦笑いをしながら見ていた。

「それでは先にお花を咲かせてみようね。明日の朝はホンボードに種を分けて貰おうね」

「おはなをいっぱいさかすの、たのしそう」

 玲太郎は想像をしたのか、満面の笑みを浮かべて言った。水伯も満足そうに微笑んでいる。


 夜になると、玲太郎が入浴する前に二人が帰って来た。いつものように颯が玲太郎の入浴に付き合い、明良が寝間着を着せ、髪を乾かしてから歯磨きの面倒を見た。脱衣所を後にして部屋へ戻った。玲太郎を寝台に寝かせている最中に明良が何気なく言い出した。

「玲太郎、知っている?」

「なに?」

「魔術で歯磨きが出来てしまうのだよ」

「えっ、はけでみがかなくてよいの?」

「そうなのだよね、しなくても良くなるのだよね」

「ほんとう? ボクもまじゅつではみがきする」

「水を使って汚れを落とすのだって。遣ってみたい?」

「みず~? ボク、みずはつかえないのよ……」

「水で歯磨きをするって変な感覚だけど、これが出来るようになると魔力操作が上手に出来るようになるのだそうだよ」

 玲太郎はそう言われながら掛け布団を掛けて貰うと、鼻から大きく息を吐いた。

「……やっぱりやらない。まじゅつはあした、おはなをさかせるのよ」

「そうなのだね。それでは仕方がないね。歯磨きの魔術はまた次だね」

 優しく微笑むと、玲太郎は明良を見て小さく頷いた。

「絵本を持って来るから少し待っていてね」

 玲太郎の額の辺りを撫でると部屋を出て行って、直ぐに戻って来た。玲太郎の寝台に座ると、右足の靴を脱ぎ、玲太郎の方に体を向けながら右足を寝台に上げた。

「そう言えば、今日は何を遣っていたの?」

「きょう? きょうはね、おはなをうえてたの。それとべんきょうもやってた。それからちちうえとさんぽして、へやではなししてた」

「お花ね。そう言えば玲太郎用の花壇があったね」

「そうなのよ。ホンボードおじさんとおはなをうえたのよ。でももううえないの。あとはさくのをみるだけ」

「完成したのだね。それでは明日の朝にでも見てみるよ。あーちゃんは朝に魔術の練習を遣っているのだけど、玲太郎も一緒に遣ってみない?」

「ない」

 即答する玲太郎を見て、明良の表情が微笑みから落胆へと変わって行く。

「あーちゃんは寂しい。玲太郎と一緒に魔術の練習をした事がないのだよ?」

 玲太郎は眉を顰めて明良を見ている。

「んー、でもあしたは、ちちうえとれんしゅうをやるのよ」

「そうだったね。それでは明後日からあーちゃんと一緒に練習してみない?」

「ない」

 また即答した玲太郎は目を閉じた。明良はそれ以上、言えなくなってしまった。

「あーちゃん、えほんはよんでくれないの?」

 薄く目を開けて言うと、明良は玲太郎の顔を見た。

「ああ、うん、読むね。今日は和伍語の絵本で<ぎいち、はしる>にするね」

「はーい」

 絵本を開いて音読を始めると、玲太郎は目を閉じて聴いている。ヌトは最近、窓際にいるのがお気に入りなのか、今日もそこにいて、閉めてある窓掛けに頭を突っ込んで外を眺めながら明良の声に耳を傾けていた。玲太郎はこの絵本を音読すると驚く程に寝付きが良かった。明良は玲太郎の頬をつついてから自分の魔力を通して集合灯を薄暗くさせると退室したが、ヌトはそのまま窓際に浮いていた。二つの欠けた月の光で玲太郎の花壇が薄らと照らされている。


 颯は疲弊し切っていて寝室へ直行すると、ヌトが颯の寝台に腰を掛けて玲太郎を眺めていた。ヌトとは反対側に腰を下ろして靴を脱ぎ、寝台に上がって柔軟体操を始めた。ヌトは颯の方に体を向ける。

「颯」

 足を真っ直ぐ伸ばして坐位体前屈をしていた颯は上体を起こして股を広げた。

「うん?」

 そのまままた前屈する。

「玲太郎は魔術を習得する気にならないのであるが。このままではわしが颯に付いて行けぬぞ?」

「でも約束は約束だから、玲太郎が独り立ちするまでは仕方がないよな」

「灰色の子もおるし、日中は颯に付いて行きたいのよ」

「だーかーらー、約束だから仕方がないよなって言ってるだろ」

「やはり駄目か」

「駄目だな」

 左手で右足指に触れて左脇を伸ばした。

「ハソもニムも千里眼で玲太郎を見ておろうから、何かあれば直ぐにでも飛んでようて」

「最近しつこいな? そんなに一緒に学校に行きたいのか?」

「行きたい」

 颯は沈黙して、上体を起こした。

「オレに付いて来たって、面白い事はないと思うけどなあ」

 今度は左右を逆にして右脇を伸ばす。

「わし等からすれば颯も十分脅威であるからな。監視しておかねばなるまいて」

「その取って付けたような理由はやめろよ。どうあってもオレに付いて来たいってのは、よーっく分かってるから」

 ヌトは顔だけ玲太郎の方に向けた。暫くしてまた颯に顔を向ける。

「ハソもニムも見ておるであろうから、何かあっても大丈夫である、と思うぞ」

 颯は上体を起こして左手を後ろの方に突いて、ヌトの方に顔を向けた。

「それはさっきも聞いた。約束を破る気なら、オレもヌトとの付き合い方を考え直さなきゃいけなくなるなって、前にも言ったよな?」

「聞いたような気がしないでもないが、わしは耄碌もうろくしておるからな、直ぐ忘れるのよ」

「都合の悪い事だけ忘れる振りをするのはやめろよな」

「わし等はこの星よりは短いが、子の歴史よりは長く生きておるから物忘れは酷い物ぞ?」

「や・く・そ・く」

「玲太郎は誰かに攻撃をされても、それを無意識で跳ね返せるだけの魔力を持っておるから平気ぞ」

「どうしてそれが分かるんだよ?」

「わしが玲太郎に浮き方を教えておった時に、玲太郎がそうしておったからよ。わしが玲太郎を中心とした半径|百ジナ(六尺六寸)の球体の中で風を吹かせておったのであるが、障壁を張って浮いておったわ。それがなければもう少し浮けるようになっておった筈なのであるがな」

「それは初耳。風を吹かせて浮かせておったから、少々ではあるが浮くコツを掴んだのではなかろうかとしか聞いてなかったのに」

「言うてなかったか? それは済まぬ」

「そういう重要な事はすぐに言えよ……」

 顔を顰めた颯は上体を後ろに倒して寝転んだ。

「正直、ハソとニムには任せたくないんだけどなあ」

何故なにゆえ?」

「玲太郎にもしもの事があっても観察しかしないだろうから、助けてはくれないだろうなって思う訳よ」

「成程。それは有りるな」

 ヌトは少し黙ると、寝転んだまま脚を垂直に上へ伸ばしている颯を見る。

「しかしそれは、颯が転ぶ玲太郎を見ておった時と変わりないと思うがな」

 徐に足を下ろして、深呼吸を一度すると顔をヌトの方に向けた。

「あのな、玲太郎を守る事と、転んだ所を見ている事を一緒にするなよ?」

「それは解っておる。転んだ後に助けるように、遣られたら颯が助ければよいだけではないか」

「それで致命傷を負ったらどうするつもりだよ?」

「だから障壁を張っておるから致命傷にはなるまいて。わし等はな、わし等の攻撃では傷を負わぬのよ。病や菌にむしばまれる事もない。それは魔力に関わりがあると推測しておるのであるが、玲太郎に適合するであろうて。無論、颯や明良にもな」

「今日はいやに話すなあ。どうしたんだ?」

「わしは、どうあっても颯の学校に付いて行く」

 ヌトが力強く言うと、颯は気の抜けた表情になった。

「だーかーらー、約束したろ?」

 颯は体を横に向けて左手で頭を支えた。そして右の人差し指ででヌトの肩を軽く突く。

「オレの瞑想に付き合ってもいいけど、その交換条件として玲太郎を守るって約束したろ?」

「わしは颯に触れられても不快に感じぬぞ」

「話を変えるなよ」

 颯が間髪を容れずに言うと、ヌトは申し訳なさそうに小さく頭を下げた。

「済まぬ」

「それじゃあもう瞑想に付き合わないし、玲太郎の事は守らないって言うんだな? それだとハソやニムと同じ道を辿る事になるんだけど、それでいいのか?」

「そうであるな。そうなってしまうな。であるが、わしは玲太郎ではなく颯の傍におりたいのよ。解っては呉れぬか」

「分からんなあ」

「玲太郎は守らずとも自衛するから、颯を守ろうと思うておる」

「真顔で言っても駄目な物は駄目だし、十月までにはオレも自衛が出来るように頑張るわ。玲太郎を守る必要がないなら、ヌトともおさらばだな。元気でな」

何故なにゆえそう連れないのよ? わしと一緒におって呉れても良かろうに」

 ヌトは突っ伏した。颯は白けて視線を上に向けた。

「はい、嘘泣きは通用しませーん。今日は精神的に疲れてて、こういう子供だましの相手はしたくないんだけどなあ」

「嘘泣きではない。本当にこういう気持ちで涙が出ぬだけなのよ」

 突っ伏したまま言うと、颯は閉じ掛けている瞼を必死に開いていた。

「今日は瞑想しないで寝よう。もう駄目っぽい……」

 ヌトが手を突いて上体を起こすと颯を見た。

「瞑想はしておけよ。二十分経ったら呼ぶわな」

「うん、分かった。お願い」

 颯は言う事を聞いて胡坐あぐらを掻くと、背筋を伸ばして目を閉じた。ヌトは掛け時計に目を遣って時間を確認する。そして二十分経過するまで颯を見ていた。時間が来ると颯に告げ、颯は無言で掛布団を掛けると直ぐに就寝した。ヌトは気落ちしていたが、颯の寝台で横になって玲太郎を眺めた。


 朝食後から約二十分が経った頃、水伯は玲太郎を連れ立って温室の脇にある小屋へ向かった。作業机の上に茶色の小さな紙袋が三袋、どれも膨らんでいる物が置かれていた。水伯はそれを全て持って小屋を出ると、玲太郎の手を握って北の畑へと向かう。

「ちちうえ、いっぱいおはながさく?」

「どうだろうね? 玲太郎は一杯咲いた方がよいの?」

「いーっぱいさくとこ、みてみたいのよ」

「そう。それでは私が一杯咲かせようね。その後は玲太郎が一杯咲かせるのだよ?」

「わかった。がんばる」

 珍しく遣る気を出している玲太郎は笑顔だった。水伯はそれを見て柔和に微笑んだ。

(この気力が魔力と繋がって成功する事を祈るしかないね。これで失敗したら、また遣る気が削がれて練習から遠ざかってしまうのだろうね……)

 不安を抱えて北の畑に着いた。この一帯は玲太郎の練習用にと作付けをしていなかった。

「玲太郎が何時でも練習出来るように、土のままにしてあるのだよ。失敗しても大丈夫だからね」

「じゃあ、おはなをさかせてみて」

 目を輝かせて水伯を見上げる。水伯は二度頷くと茶色の袋を口を開けた。すると、小さな種が飛んで行く。もう一袋開けて種を蒔き、最後の袋も開けて種を蒔いた。

「私は種を蒔いてお花を咲かせてみるね。見ていてね」

「うんっ」

 元気良く返事をすると、水伯と玲太郎の周りに一瞬で成長した。草丈は一尺程、直径三寸足らずの金茶色をした花が所狭しと咲き乱れている。玲太郎は口を開けて唖然としていたが暫くして我に返った。

「きゃー!! すごーい! きれいきれい!」

 拍手をしながら感嘆の声を上げた。水伯も柔和な微笑みを浮かべて玲太郎を見ている。

「種からだと咲かせ易いのだけれど、玲太郎は種から遣る? それともなしで遣る?」

「ん、もうちょっとみててもいい? すごくきれいなのよ」

「どうぞ。気の済むまで見ていてね」

 玲太郎は大きく頷くと、屈み込んで花を見た。中央にある雌蕊が突出していて、その周りに穂状の雄蕊が付いていた。花弁の数は様々だったが十枚前後のようだった。

「ちちうえ、このおはなはなんていうの?」

 水伯は入っていた紙袋を全部見ると「ポノーラ」と書かれていた。

「ポノーラという名前のようだね。温室にあったと思うのだけれどね?」

「おんしつにあった? うーん?」

「うーん、どうだろうか? 見た記憶はあるのだけれどね」

 そう言うと近くにあった一本を手折った。そしてそれを玲太郎に差し出す。

「あ、ありがと~!」

 嬉しそうに受け取ると、臭いを嗅いだ。そして眉を顰める。

「よいにおいでないのよ。よいにおいだともっとよかったのに……」

 残念そうに言うと、水伯は柔和に微笑んだ。

「よい香りの物が良かったのかい?」

 そう言うと全てが一瞬で消失してしまった。玲太郎は何もない畑を見て残念そうにする。

「なくなっちゃった。ああー……」

 その代わり、種が入っていた紙袋が蒔く前の倍以上に膨れ上がっていた。

「玲太郎、少し上を見ていてね」

「え? なに?」

 屈んだままで水伯を見上げたら、上空から一寸足らずの藤黄とうおう色の花冠が雨のように降って来た。そして風に乗って、穏やかながらも情緒的な芳香が鼻先をくすぐった。

「わ、わ、すごーい! よいにおいがするのよ。なに? これはなに?」

 目を丸くして上空を仰いでいる玲太郎は膝を土に着けていた。

「このお花はね、レンツェという木のお花だよ。香りが良くてナダールでは人気の木だよ。うちにはないけれどね」

「ふうん。ちいさいおはながいっぱいおちてくるの、すごいのよ」

 掌を上に向けて両手をくっ付けていると小さな花が溜まって来た。土の上にも見る見る内に積もっている。玲太郎は喜びで顔を紅潮させていた。すると先程咲いていたポノーラの花弁も落ちて来た。

「わあ、はなびらもふってきたよ!」

 益々興奮したようで掌に溜めていた花冠を上に飛ばして両手を広げた。次第に降って来る花冠や花弁が減って行き、遂には止んでしまった。玲太郎は心底残念そうにしていたが、積もっている花冠を摘んで拾い始めた。掌に三つ目が置かれた時、全てが霧散した。畑にも掌にももう残っていない。玲太郎は突然の事に言葉を失い、動きも止まってしまった。

「私の魔術を見せるのはこれで終わり。次は玲太郎が遣る番だよ」

 そう言って跪くと玲太郎の掌に種を一粒置いた。

「これは先程畑に生やしたポノーラの種だよ。植物の状態を思い出して、これを使ってお花を咲かせてみようね」

 玲太郎は眉を顰めて種を見る。

「ボクにできるの?」

「出来るようになる為に練習を遣るのだよ。先程、お花が沢山咲いているのを見ただろう? あれを頭の中に描いて、それが現実の物となるように、玲太郎の思いを籠める」

「その、おもいをこめるっていうのが、わからないのよ……」

「小さな光を降らせた時はどういう風に思っていたの?」

「ん? あのときはね、ふれーっておもった。そしたらふったのよ」

「それではその時と同じように、咲け、と強く願って貰えるかい?」

 玲太郎は暫く黙って言われた通りに遣っていたが、力を籠めているのか、顔が真っ赤になって行った。水伯は苦笑してそれを見ている。玲太郎は力んだ表情をしていたが、にわかに力が抜けた。

「ちちうえ~、さっきのとき、みどりがあったけど、あのみどりのとこはどうなるの?」

「ああ、葉っぱや茎や根っこは思い浮かべなくても構わないよ。お花の所だけが出てくるように思い浮かべていれば、それ以外は消えてなくなるからね」

「わかった」

「それと力まなくてもよいからね。力を抜いて、頭の中に先程のお花を思い描いて、咲け、と願うのだよ」

「うん、わかった」

 それから玲太郎は種を見詰めたり、目を閉じたり、種を握ったり、摘んで目の前に持って来てみたりと色々していたが、花冠が現れる事はなかった。三十分もすると飽きて来たのか、遠くを眺めるようになってしまった。遠くの畑には蕎麦が植えてあり、青々とした中で上部が白く染まっている。

「玲太郎」

 そう呼ばれて水伯の方を見る。玲太郎は悲しそうな表情をしていた。

「そんなにお花を咲かせるのは好きではなかったのかい?」

「んー、さいかせたい。でもさかないのよ」

「それではお花を降らせてみてはどうだろう? 綺麗だっただろう?」

「おはなをふらすの?」

「そうだよ。玲太郎はそう言うのが大好きだろう?」

「よい! そういうのがよい!」

 俄に表情を明るくすると頬を紅潮させた。

「好きなお花を沢山降らせて、私を驚かしてみてね」

「ちちうえをおどろかすの?」

「そう、あっと驚かせて欲しいね」

「うーん……」

 水伯は柔和な笑顔で玲太郎を見守っている。玲太郎は俯いて少し悩んでいたが、表情が晴れやかになった。すると上空から紅緋べにひ色の大き目の花冠が降って来た、と言うよりも、落ちて来た、に近い。直径七寸はあろう花冠は八重咲で豪華だった。水伯はそれを見ると目を丸くした。世界で一番美しい花と言われているメニミュードの原種だったからだ。落ちた花は順次に地面へ吸い込まれるように消えて行く。

「玲太郎、凄いよ。どうしてこのお花を知っているの?」

 そう言いながら空を見上げると相当高い位置から降って来ているのか、沢山のメニミュードが見えた。

「あかいおはながいっぱいなのよ。すごい、すごい!」

 玲太郎は自身の魔術でこうなっている事を理解し、拍手をしながら喜んでいる。

「このおはなはね、まえにえでみたおはななのよ。あのおはな、すごくきれいだった」

 そう言われて水伯は王都の別邸で、玲太郎達に待機して貰っていた時の部屋に飾ってあった絵画の事を思い出した。

「そう、あの絵画のお花がこれだったね。良く憶えていたね」

「うん、あのおはな、ほんとうにきれいだったのよ」

 玲太郎は空を仰ぐと眉を顰めた。

「ちらちらふるのはいいけど、これはおちるよ。それがかなしい……」

「風を吹き上げて、お花を少し持ち上げてみたらどうだろう? そうすればゆっくり落ちてくると思うよ」

 玲太郎はそう言う水伯を見て、頷いた。

「ゆっくりおちる、ゆっくりおちる」

(それが出来るのであれば、風の操作も出来ているという証明になるね)

 水伯は空を仰いで見守った。玲太郎も空を仰いで花々を眺めていると徐々に速度が落ち、滞空時間が想定外に延びた。ほぼ止まっている状態になり、水伯は失笑してしまう。

「ん? おかしいこと、あった?」

 手で口を覆うと玲太郎を見て微笑んだ。

「ごめんね。思い出し笑いをしてしまったよ」

「ふうん……。ゆっくりだと、すごいーっておもえないのよ」

「それではもう少し速くしてもよいのではないだろうか?」

「んん、ちょっとむずかしい」

 そう言うと、最初と同じように落ち始めた。花冠が体のあちらこちらに当たると消えて行く。

「玲太郎、そろそろ終わろうか」

「はーい」

 宙にあった花冠が全て消え、玲太郎はとても満足気にしていた。ずっと跪いたままだった水伯は立ち上がると、薄い雲が浮かんだ空を見上げた。そして玲太郎を見下ろす。

「では次は手に持っている種を咲かそうね」

 玲太郎は嫌そうに水伯を見ると首を横に振った。

「これはできない。おはながさかないのよ」

 水伯は玲太郎の前で屈むと、玲太郎の握られていた手を開いて種を摘んだ。

「あれだけ沢山のお花を空から降らせる事が出来るのだから、これを咲かせる事も出来るのだよ? これから毎日一時間練習を遣ってみないかい?」

 そう言うと種が一瞬で育ち、花が咲いた。茎の部分を持っている水伯はそれを玲太郎に差し出した。

「うーん……」

 玲太郎は水伯の持っている花を受け取ると、それを見詰めた。水伯は持っていた種の入った三袋を消し、玲太郎の左手を取って歩き始めた。

「今日はこれで終わりにしよう。それとも宙に浮く練習でも遣るかい?」

「んー、……ううん、やらない。おはなをさかすれんしゅうは、あしたからやる」

「そう、遣ってくれるのだね。それはとても嬉しいよ」

 玲太郎の手を握る手に少し力が入った。

「お花を咲かす練習は蕾から遣ろうね。蕾を咲かせられたら、茎から蕾を付けてお花を咲かせ、それが出来たら茎を短くして行って、最終的には種から咲かせられるようになろうね」

「たねからやらないの?」

「種は今日だけ。明日からは蕾から遣るね」

「つぼみならできる?」

「それはどうだろうね? 明日から練習を遣ってみて、蕾からお花を咲かせられるようになろうね」

「きょうもそうだったらよかったのに……」

 俯き加減になって言うと水伯は苦笑した。

「そうだね。種から出来るかも知れないと思った私がいけなかったね。ご免ね」

「うん……」

「今日はお花が空から降って来て、楽しかったね」

「ちちうえの、ちいさいおはながよかった。おおきいおはなは、おおってなるけど、おちるのがはやかった」

「そうだね。メニミュードは花弁が、ひらひらと舞い落ちる様ならば良かったかも知れないね」

「はなびらがまいおちるの?」

「そうだよ。ちらちらと降る雪みたいに優しく落ちてくるよ。私がポノーラの花弁で遣ったみたいにね」

「あれ! うん、あれもきれいだったのよ」

 玲太郎は笑顔になると水伯を見上げた。水伯はいつもの柔和な微笑みを浮かべて玲太郎に顔を向けていて、それを見て喜びが増した。


 明良と颯が魔術の練習から戻って来ると、ユージュニーが玄関先で待ち構えていた。

「アキラ様、お客様がお越しです」

「客って誰?」

 颯が思わず訊き返したがユージュニーは答えなかった。

「誰かも聞かずに通したの? 水伯はそれを許したの?」

 明良が訊くと、ユージュニーは明良を見る。

「お客様はパキル・サドリューズ様です。閣下にご報告した所、通すようにとの事でした。ご同席なさるとも仰いまして、お部屋にいらっしゃいます」

「水伯も一緒? 解った。行こう」

「ハヤテ様は、勉強部屋でレイタロウ様がお待ちですので、そちらへ向かって頂けますでしょうか」

「分かった。それじゃあ兄貴、お先」

 そう言って開扉して中へ入ると、階段を軽快に駆け上がって行った。ユージュニーは先に明良を中へ入れてから閉扉した。待っている明良の前を歩き出すと、それに明良が追随する。ユージュニーは廊下を東側へ曲がって直ぐの扉の前で足を止め、扉を二度叩いた。

「アキラ様がお越しです」

 そう言って開扉し、明良が中に入ると、ユージュニーは静かに閉扉した。

 手前の二人掛けの長椅子には、褐色の髪を高い位置で纏め、長い裳を穿いた痩身の女性と思しき人が座っていた。水伯が向かいの一人掛けの椅子にやや不機嫌な表情をし、腕と足をそれぞれ組んで座っていた。明良は水伯の隣の一人掛けの椅子に腰を掛けると、女性の顔を見て第一声を発した。

何方どちら様?」

 明良よりも年上なのは一瞬で理解が出来た。そして、どことなく見覚えのある顔で、着ている服は粗悪な物だった。その女性は鋭い目付きをして明良を値踏みするように見る。

「あんたの叔母。ヴィスト兄さんの妹のパキル・サドリューズよ。憶えておきなさい」

「ああ、元農奴と結婚して除籍された赤の他人か。一応此処へ来た理由を聞こうか」

 パキルは顔を紅潮させると眉を吊り上げた。

「目上に向かってその口の利き方は何かしら? 礼儀のなっていない子ね。やはりヴィスト兄さんの子供といった所かしら」

「私は侯爵だけど、お前はその私に対して偉そうな口を利ける身分なのか? ヴィストさんと一緒に育っただけあって浅慮だね」

「私はあんたの叔母よ! 侯爵令嬢なのよ!」

「元令嬢だろう? 侯爵家から除籍されているのだから、もう侯爵家の人間ですらない。それにお父様はもう引退なさっているから、娘であっても令嬢は有り得ない。自分の立場を態々わざわざ確認する為に来たのか?」

 パキルは顔を顰めていたが、深呼吸をして表情を取り繕った。

「話は他でもない、あんたの爵位を取り戻しに来たのよ」

 明良は無表情でパキルを見ていた。水伯も無表情だったが、内心では笑いそうになる自分を必死で抑えていた。

「ヤズノギ兄さんが亡くなって、ヴィスト兄さんは継ぐ気がなかったようだけれど、私は継ぐ気があるのよ。爵位を返しなさい」

 明良を真っ直ぐに見据える碧眼は至って真剣だった。真面まともに相手にするには精神が削られる事が想像に難くなく、出来る事ならこれ以上は話をしたくなかった明良は椅子に深く居直って、背もたれに体を預けた。

「お父様から除籍処分を下された身で何をほざいているのか……。とても理解に苦しむのだけれど、頭は大丈夫ではなさそうだね。変な薬でも遣っているの?」

「なっ、失礼な! これでも侯爵令嬢なのよ。そんな物に手を出す訳がないじゃない!」

 パキルは声を荒らげたが、明良は平然としていた。

「侯爵令嬢ではなく、元侯爵令嬢だろうと先程言いましたよね。元とは言え農奴と結婚する程だから、物事の分別が付かないの?」

 切歯して怒りで打ち震えながら明良を睨んだ。

「真実の愛に目覚めただけよ」

「それは凄い。侯爵家の面汚しだね」

 明良は抑揚を一切付けずに言うと、冷めた目でパキラを見た。

「イノウエ家も頭の出来が宜しくない方々が揃っていらっしゃるとなると、これはもう喜劇だね」

「あんた如きが私達の何を知っていると言うのよ! 馬鹿にしないで頂戴」

 明良は益々脱力した。

「人の言う事を聞かないで事故死に見せ掛けられて殺された馬鹿に、貴族の重責に耐え切れずに自ら除籍を願った馬鹿に、元農奴と結婚をして除籍された馬鹿、見事なまでの馬鹿揃いがどうしたと?」

「あんただってその血を引いているじゃないのよ」

「だからお前同様の馬鹿だと?」

「そうよ、あんたも立派な馬鹿よ」

「そうなのですか。それは知りませんでした。それで、私が此処にいる事を誰から聞いた?」

「教える必要ないでしょ。そんな事より、私に爵位を返しなさいよ」

 気怠そうな目でパキルを見ると、パキルが怯んだ。

「私が此処にいる事を誰から聞いたのか答えろ」

「言う訳ないでしょう」

 パキルは顔を背けた。

「デヒムか?」

 明良はパキルの表情を見ていたが微動だにしなかった。

「それにしてもお前と血縁だと思うと寒気がするね。兄妹揃って閣下を煩わせるとは本当に馬鹿だよ。二度とこういう事をしないように仕置きをしなくてはならない。先ずお前は農奴になって貰う。元農奴の旦那も連れて行きたければ農奴にしてあげよう。それからお前に私が此処にいる事を教えた奴も当然農奴になって貰って、今後イノウエ家に一切関知出来ないようにする」

 パキルは明良を見ると本気だと悟って戦慄した。水伯がそこで失笑すると、そのままこう笑した。部屋に水伯の笑い声が響き、明良は拍子抜けして水伯を横目で見ている。パキルは俯いて切歯した。水伯は笑い終えると組んでいた手を膝の上に置いてパキルを見る。

「私の問いに答えなさい」

 パキルは震え出した。

「……はい」

「誰に唆されて元農奴などと結婚したのだろうか?」

「誰にも唆されてなんかいないわ。私が好きになってしまったのよ」

 俯いたまま言うと両手を強く握った。

「誰に紹介されて元農奴と出会ったのか、白状しなさい」

「……サザミー・カシクエニ・セミトリー」

「セミトリーと言うと、デヒムの家族だね」

「デヒムの奥さんよ」

「明良が此処ここにいる事を教えたのはサザミーかい?」

「………」

「答えなさい」

「そうよ」

「サザミーに爵位を返して貰えるように掛け合って来いとでも言われたのかい?」

「……お父様が退しりぞいてヴィスト兄さんの子供に爵位を継承させたと聞かされて、居場所を教えてもらっただけ。サザミーはそれ以上の事は何も言わなかったわ」

「そうなのだね。解ったよ」

 水伯は満足そうに二度頷いた。そして明良を一瞥すると明良はパキルを見ていた。

「何か勘違いをしているようだから言っておくけれど、一度貴族籍から除籍されると二度と貴族籍に戻れないのだよ。他の貴族の養子にもなれないし、当然嫁ぐ事も出来ない。そういう訳で、お前が爵位を継承するなど、除籍された時点で出来る筈もないのだよ」

 パキルは机に視線を置いたまま、息を浅く吸った。

「サザミー! あいつが! 元農奴と結婚してもお父様なら受け入れて下さると言うから! 除籍された時だって! また貴族籍に戻れるって言うから! 信じてたのにぃぃいいい!」

 そう喚くと突っ伏して号泣した。明良は水伯の方に顔を近付けた。

「サザミーって、チーニュ男爵家の出身だよね? ……という事は、サザミーはイノウエ家の傍系?」

「はて、どうだったか? 傍系が在り過ぎて記憶にないね。血が薄くなってほぼ他人という家も多いからね。兎にも角にも明良が継承して計画が頓挫してしまったようだけれど、この一件も謀略の一端なのだろうね。デヒム一家は農奴落ちで済めば御の字だね」

 水伯は他人ひと事のように言った。明良は些か眉を顰めた。

「ウィシュヘンドは一体どうなっているの? いや、ウィシュヘンドだけではなかったね。……水伯の周りは酷い有様だよ」

「私を追い落としたい輩は沢山いるからね。背後を探る為に泳がせておく事も必要なのだよ?」

「それにしても時間の掛け過ぎじゃないの。何に対しても潮時があると思うのだけど……」

「私の周辺に手を出した者は問答無用で全員処すから、泳がせる事に限界が来た時が私に取っての潮時なのだよ。しんばそれが悪手であっても、ね。急いては事を仕損じる、だからね。明良もその内に解るよ」

 明良はそう言われて何も言い返せなかった。水伯はいつもの柔和な表情になっていた。

「それにつけても、本当にパキルを農奴に落とすのかい?」

「当然。除籍されているから容赦はしないし、二度と関わりたくないし、何より見せしめになって貰わないとね。デヒムの所は一家でイノウエ家に奉公しているから、お父様が意気消沈するのだろうと思うと哀れでならない」

「赤の他人に任せ過ぎた付けが回って来ただけなのだけれどね」

 冷たく突き放すように言った水伯は相変わらず柔和な表情をしている。明良は未来の自分を見ているようで気分が些か沈んだ。

 パキルが泣き止むと、明良は外で待っていたパキルの夫と共に乗って来ていた箱舟に乗り、イノウエ邸へ向かった。明良が操縦をしていたが、同乗している二人は肩を落として無言で後部座席に座っている。


 明良が外出した後、水伯邸の勉強部屋ではまだ授業が始まっておらず、朝の赤い花の雨の話題で盛り上がっていた。北の畑から屋敷まで約十五町あるが、玲太郎はその広範囲以上に降らせていたようだった。そして、その事に一番興奮していたのはディモーンだった。

「昔は原種を多く栽培していたようですが、現在では全てのメニミュードが品種改良された物に置き換えられてしまっていて、原種を見る事は本当に難しいのです。原種が生えている場所はそれは険しい山を登り、約一ヶ月歩き通してやっと見られるそうです。手っ取り早く見ようとすると、美術館へ行って絵画を見るしかありません。それがああして見られたのですから今日はよい事がありそうです。ですが、残念ながら触れると消えてしまって、隅々まで見る事が出来ませんでした」

「兄貴とオレは屋内訓練所に行ってて見てないんだよな。勿体ない事をした」

「はーちゃん、みてないの? あかいおはながいっぱいだったのよ」

「どんな花なんだろうな。ちょっと興味があるな」

「まえにいったおうちにあったおはなのえ。あのえのおはなをだしたのよ」

「うん? ……前に行ったお家にあったお花の絵、な……。ああ、分かった! 水伯の王都の屋敷で見たな。どこかの家で見た絵なんて、あれしかないもんな」

「あのおはな、すごくきれいだった」

「白と黄色は出さなかったのか?」

「うん、あかだけ。ちちうえはだいだいいろのおはなをだしてくれたのよ。よいにおいだった」

「へえ、どんな花だろ? いい匂いか」

「ちちうえがふらせたおはなはきえないのに、ボクのはきえるのよ。どうしてなの?」

「オレは分からない。水伯には聞いた?」

「ちちうえにはきいてないのよ。ディモーンせんせいはわかる?」

「閣下のお出しになった花は消えないのに対し、レイタロウ様のお出しになった花は消える、というのは、閣下の花は実物としてあったのに対し、レイタロウ様の花は幻想だったのではないでしょうか。目には見えるけれども本当はない物だから触れると消えた。これは目にした者全員が白昼夢でも見ていたのかも知れません」

「むずかしい。はくちゅうむってなに?」

「起きている時に見る夢です」

「おきてるのに、ゆめをみるの?」

「そうです。夢を見ているように空想や想像が目の前に現れるのですが、夢なので現実ではないのです。魔術は現実の物にしますから、閣下の花のように目の前に現れれば触れられるのでしょう」

 そうディモーンが言うと、思案中の玲太郎を見て微笑んだ。

「ですが、レイタロウ様の花もまた魔術としては成功していると思います。触れられなくても、目には見えていますからね」

「まじゅつはしっぱいじゃなかった?」

「失敗ではありませんのでご安心下さい」

 ディモーンがレイタロウに微笑み掛けると、玲太郎も微笑んだ。

「夢かあ……。オレは夢の中で良く空を飛んでたんだけど、それがあったから飛ぶのが得意なんだろか?」

 頬杖を突いた颯が呟くと、ディモーンが頷いた。

「それはあると思います。魔術は呪文があっても想像力が物を言うと言われていますから、常日頃からそういった夢をご覧になられていたのでしたら、有利に働いたのだと思います」

「ボクはゆめをみないのよ。ねむっておきるとはーちゃんがいて、またねむっておきるとあーちゃんがいて、あさになってる」

 そういう玲太郎に視線を向けた颯は苦笑する。

「玲太郎は夢を見てるけど、覚えてないだけだと思うよ」

「ふうん? でもみないのよ?」

「はい、そうですね。見てないです。すみません」

 颯が軽い乗りで謝罪をすると、玲太郎は頷いてそれを受け入れた。

「はーちゃんはゆめをみるの? どんなゆめをみるの?」

「夢は空を飛んだり、玲太郎と遊びに行ったり、海に潜ったり、釣りをしたりと色々見るよ」

「うみにもぐるの?」

「そうだよ。海に入って、下に向かって泳いで行って、魚を見たり、珊瑚を見たりするんだよ」

「ふうん。たのしい?」

「夢の中だけど楽しく感じるよ。まあ、実際には中々行けないけどな」

「そういった夢をご覧になるハヤテ様が、錬金術以外を学ぶ学科を専攻なさるとは意外な事でななかったのですね」

「そうですか?」

「はい。私は魔術騎士を目指すのかと思っておりました」

「オレもそのつもりでいたんですけど、剣術は騎士団に交じればいいし、治癒術か薬草術か呪術か付与術かってなると選べなくて。錬金術にも興味があるんで、余裕があれば単位を取るかも知れません」

「れんきんじゅつ? ってなに?」

 説明が出来ない颯はディモーンの方を見ると、ディモーンが微笑んで頷く。

「錬金術は、簡単に言うと石ころを金や銀に変える魔術です。石ころを金や銀に変える時、魔力以外に必要になって来る材料を用意しなくてはなりません」

「いしころがきんになるの? すごーい!」

「石ころを金にするには薬が必要になってくるのですが、その薬を作るのに手間暇が掛かって、金の価値の倍はお金が掛かると言われていますから、石ころから金を作ろうとする人はそういった理由からおりません。錬金術よりも、魔術で金を作った方が宜しいかと思われます」

「まじゅつできんをつくるのがいいの?」

「魔術で金を作ると、作った人の魔力を少しですが入り込みます。偽物だと直ぐに気付かれてしまいますから使い物になりませんが、地震で使う分にはよいですね」

「ふうん。きんはつくれないの」

「白金、金、銀、鉄はお金として使われていますから、錬金術や魔術で作ると、場合によってはと罪になります。お気を付け下さい」

「つみ?」

「遣ってはいけない事です。簡単に言うと、悪い事ですね」

「わるいこと?」

「玲太郎は悪い事をほぼしないから、悪い事が何かを教えてないんだよなあ……」

「我儘を仰ったりなさらないのですか?」

「わがまま? なに?」

「自分の思うように振る舞う事です。あれが食べたいから買ってくれ、とか、あれで遊びたいから寄越せ、とかそういった感じでしょうか」

 颯は何かを思い付いたのか頬杖を外した。

「あっ、たまにごてるけど、本当にたまにだから放置してたかも」

「ごてる?」

「うん、ごてる。宇野田さんのお菓子が食べたいってたまに言い続けるだろ? あれだよ」

「うのだちゃんのおかし、たべたいのよ。たべにいく?」

「行かない。宇野田さんに会いたいのか?」

「ううん、おかしがほしいのよ」

 颯はどう切り返そうか考え始めた途端に閃いた。

「あ! 玲太郎が魔術で出せばいいんじゃないのか? それが一番簡単に食べられる方法だと思うぞ」

 玲太郎はそう言われて黙った。

「オレも物を出す練習をやってるけど、いつかは水伯みたいに自由自在に出せるようになったとしても、宇野田さんの菓子は食べた事がないから出せないもんな。味を知ってる玲太郎が出すのが一番いいと思うぞ」

 玲太郎は気を落として俯いてしまった。ディモーンはそれを見て微笑んだ。

「物が出せるように、また魔術の練習に励めば宜しいのです。失敗しても弛まぬ努力を続けましょう」

 玲太郎は顔を上げてディモーンを見る。

「たゆまぬどりょく?」

「いつかはきっと出来ると信じて頑張り続ける事です」

「ボクにできるの?」

「出来ますとも。現に花を降らせたではありませんか」

「そうなの?」

「そうです。ブーミルケ語の文字も練習してお手本を見なくても書けるようになりましたし、今では単語を書けるようになっているではありませんか。魔術も同じように練習を重ねて…続けて行けば、いつかは出来るようになるでしょう。それがいつとは判りませんが、少しずつ積み重ねて行く事です」

「ふうーん」

 玲太郎はそう言われて納得出来たのか、表情は穏やかだった。

「玲太郎は一人でいる時に魔術の練習をやろうとは思わないのか?」

「ちちうえに、だめっていわれた」

「そうなんだ。それならやらない方がいいな」

「うん」

 ディモーンは掛け時計を見ると、次は扉の方を見た。

「ヤチヨ様が遅いですね」

「朝食の時は元気そうだったんだけどな? オレが見てくる」

 そう言って席を立った颯は足早に部屋を出て行った。暫くすると二人で部屋に入って来た。

「すみません。少しのつもりで手仕事をやり始めたら、意外と集中してしまって時間に気付きませんでした」

 入るなり頭を下げた。ディモーンは微笑んで八千代を見る。

「構いません。たまにはこういう日があってもよいでしょう。それで、一体何を遣っていらっしゃったのですか?」

「ああ、裁縫です。この前、町へ連れて行ってもらった時に布や裁縫道具一式を買いまして、小物なんかを作ってるんです」

「そうでしたか。それでは時間が幾らあっても足りませんね」

「でも勉強はきちんとしますから」

「解りました。どうぞ椅子にお座り下さい。授業を始めましょう。ヤチヨ様は今日から新しい教材で勉強を致しましょう。本と辞書は机に置いてありますから、解らない事は今まで通りお気軽におたずね下さい」

「分かりました。頑張ります」

 八千代は長椅子に座り、持ってきた帳面と鉛筆入れを机に置き、置かれていた本を手にした。そして奥にある明良の席が空いている事に気付いた。

「颯、明良はどうしたの?」

「水伯が言うには、お父様の所へ行ったんだって。いつ帰るか分からないって言ってた」

「そうなんだね、ありがとう」

 二人が話している間に玲太郎は勉強内容を聞いて、書き取りを始めた。ディモーンは最後に颯の所に行くと勉強机に置いてあった本を開いた。

「ハヤテ様はサーディア語ですね。前の続きから書き取りをしましょうか。それとももう一度読みましょうか?」

「それは大丈夫です」

「そうですか。付与術は和伍語で遣るのが一番効き目があると聞きます。何度も申し上げるようですが、サーディア語を態々学ばなくてもよいと思います」

「学校ではサーディア語を習うそうなので今から習っておきます。呪術はサーディア語が効果を一番発揮するって聞いたし、これが最善ではないかと思います」

「私の長男が国立ロデルカ上学院に入学したのですが、習える言語は共通語とガラージャ語と古代トイガ語、選択で三ヶ国語から選ぶ、という事ではありませんでしたか?」

「古代トイガ語とかいうのはなかったです。資料を見た時は共通語とガラージャ語とサーディア語で、選択は和伍語とごう語とネスギッカ語のどれかでした。魔術と治癒術と薬草術で使う呪文は共通語だし、呪術はサーディア語というのは分かったんですけど、ガラージャ語はなんで習うんですか?」

「この国を統一したロデルカ兄弟の出身地がガラージャと言う国でした。今のガラージャ州、ソギッド州、シャジャニル州に跨ってあった国ですね。建国した当時はガラージャ語を第二公用語としていたのですが、それがいつしか貴族だけのたしなみになり、貴族のみが許される中間名をガラージャ語から付けるようになったのです。王都ではロデルカ兄弟を教祖のように崇めている人が未だに多く、ロデルカ兄弟の残した日記や古文書を原文で読めるように習うのです。ついでに言いますと、古代トイガ語は大昔に多くの地域で使われていた言語で、名称として今も使われていますし、古文書も沢山残っています。例えばナダール王国にある大きな湖のクミシリガ湖や、その西側にあるパッティ山、ケノッパミ山、チュビミ山などを含めたソズバシッス山脈の名称も古代トイガ語です。その一帯の地名でも残っています」

「なるほど。それではガラージャ語は成績が悪くても大丈夫そうですね」

「ハヤテ様、国立ロデルカ上学院は名門校です。その絶大な魔力で入れた訳ではなく、成績も考慮されて入学が許可されたのです。アメイルグ侯爵様の弟君なのですから、そういう事は言わずに精進なさって下さい」

 真剣な表情でディモーンに言われると、颯は苦笑した。

「まあ、オレはオレなりに頑張ってみます。兄貴は飛び級してさっさと卒業して行きそうだから、俺はのんびりやるよ」

「アキラ様は医学部魔術科でしたね。魔術学部総合科のハヤテ様は治癒術と薬草術は必修の筈ですから、アキラ様と机を並べる事もありましょう」

 笑顔のディモーンにそう言われ、颯は眉を顰めた。

「兄貴の優秀さを目の当たりにして気落ちする未来が見えた……」

「ハヤテ様はハヤテ様の得意な物を見付けて、それを伸ばして行けばよいのです。それで選択はどの言語になさるお積りなのですか?」

 颯は悪戯っぽく笑っている。

「意外と錬金術が得意かも知れませんね。言語はずるいと言われるかも知れませんが和伍語です」

 満面の笑みを浮かべて言うと、ディモーンも釣られて笑顔になった。

「和伍語も難しいですからね。理解している積りでも、理解が出来ていない事もあると思いますから、甘く見ないで頑張って下さい」

「はい。では書き取りを始めます」

 ディモーンは笑顔で頷くと、颯は俯いて帳面をめくった。玲太郎は小声で何かを言いながら書き取りをしている。


 翌朝、玲太郎は水伯に連れられてまた北の畑へ向かい、魔術の練習を始めた。今回は水伯が蕾まで育て、そこから花を咲かせる練習だった。隣には水伯が見本として花を咲かせていた。水伯は準備を終えると、玲太郎の前に跪いた。

「玲太郎、これを玲太郎に渡そうね」

 そう言いながら右手に棒が出現した。その棒は色がはしばみ色で先端が細く、持ち手が太目に出来ていて滑り止めに角麻かくあさ模様の浮彫がされ、天には烏羽からすば色の丸い石がめ込まれている。

「これで魔力の通りが良くなって遣り易くなる筈なのだけれど、試して貰える?」

「くれるの?」

「そうだよ。玲太郎専用の魔術棒になるね」

「ありがと~!」

 玲太郎は笑顔になって両手でそれを受け取ると角度を変えて棒を見ている。

「このまるいの、ひかる?」

「只の飾りだから光らないね。ご免ね」

「ううん、ひからなくてもよいのよ。きいただけ」

 右手に持って満足そうに眺めている。

「練習の時以外は私が持っているね」

「わかった」

「それでは練習を始めようね」

「はーい」

 水伯は立ち上がると、花の前に立った玲太郎の後ろに行く。すると、玲太郎が振り返った。

「ちちうえ、そこじゃなくて、よこにいてもらっていい? ヌトはボクのまえなのよ」

「解った。横にいるね」

 そう言って玲太郎の左手側に行くと、ヌトは無言で玲太郎と花を挟んで対面した。魔術棒の先端を蕾に向け、咲いている花と見比べながら咲くように念じた。

(魔術棒は本来、魔力量の少ない術者の体から離れた位置へ魔術を通し易くする為の補助道具。それを玲太郎用に改造を施して、使用する魔力を絞り込むようになっているから、これで少しは魔力の使い方が良くなってくれれば、と思うのだけれど……)

 小一時間遣ったが水伯の願いは叶わなかった。一番落胆をしているのは玲太郎で、水伯はそれを慰めた。

「初日だから、出来なくても仕方がないからね。また明日も頑張ろうね」

「うん……」

「それとも、お花は咲かせたくなかったのかい?」

「ううん、さかせたかったのよ。でもさかなかった」

 二人は花をそのままにして畑を後にした。


 水伯が相手だと甘えが出るからと、明良と颯は水伯の持つ親衛隊の中で一番の使い手を師に変え、魔術を教授していたのだが、今日は直接教授して貰える貴重な日だった。

「アキラもハヤテも、俺の教えはもういらねえんじゃねえの?」

 サドラミュオ親衛隊魔術騎士隊隊長のオジウスは気怠そうに言った。言葉遣いに反した優男で、茶髪で緑色の眼に肌は白く、背は明良より少し高い程度だ。

「えっ、オジウス隊長に教えてもらえないと困る」

 颯が焦って言うと、明良も頷いた。

「応用も一応教わっておきたいんです」

「魔術騎士隊隊長、だ。……だってお前ら、基礎ですらバカでかいの撃つだろ? 壊した的も再生出来るし、応用なんて必要ないって。基礎でも魔力量でゴリ押しが出来るだろ。後は学校で教われよ」

「好きで大きいのを撃ってる訳じゃないんだけどなあ。加減が難しくて小さい玉が出せないだけなんだよ」

「じゃあ、小さいのが出るまでひたすら練習しろよ」

「オジウス魔術騎士隊隊長に言われて歯磨きの練習を遣っているのですが、上手く行かなくて困っているのです。骨を教えて頂けませんか」

「アキラも図々しくなったな。コツは自分で掴めよ。教えてもウチで働かないんだろ? 教え損はご免被るね」

「だーかーらー、授業料は払ってるじゃないですか。その分は教えてくださいよ」

 眉を寄せ、そう言った颯を見る。

「空は飛べるどころか特級免許取っちゃってるだろ。火、土、風、水、氷、雷、光の玉もでかいが作れるだろ。指差しなしで操作も出来るようになった。雨は降らせ、雪も降らせ、雷雲も呼べて、温風も冷風も吹かせ、詰まる所、天候が操れる。防御も完璧。で、それ以外に何がしたいんだ?」

 そう問われると颯は少し悩んだ。明良は颯を見ているだけで無言だった。

「うーん、ぱっと思い浮かぶのは呪術とか付与術とか……」

「お前はそれを習いに学校に行くんだろ? 今習ってどうするよ」

「それはそうなんだけど、ちょっと教えて欲しいです」

「私も呪術には興味があります」

「呪術なあ……。呪いは自分に跳ね返って来て危険もあるが、まじないは子供のお遊びみたいなもんだ。アキラが着けてる耳飾りと首飾りはまじないが掛かってるぞ」

「ああ、これは幸運のお呪い付きって書いてありました」

「だろ。でもそれは大した事ないぞ」

「安物だったので、効果はそれほど期待していません」

「幾らだったんだよ?」

「両方で一万こんです。色違いで四色買ったので全部で四万金ですね」

「たけえよ! 十分たけえ! それは石も鎖も魔術で出したもんだから、作者が死ねば消えるんだぞ? 土から作られてたら土が残るだけ。まじないも大した事ねえし、アキラが作った方がよっぽどいいもんが出来るぞ」

「石や鎖はどう顕現させるんですか? やはり錬金術ですか?」

「土属性だな。その装身具も土属性だぞ。錬金術でも出来るが錬金術の方がしっかりしてるってだけで、土属性でも十分いいもんが出来るからな。宝石となると土魔術で作ったら粗悪品になりやすいんだけど、錬金術だと材料を探り当てないと駄目だ。硬貨に使われてる貴金属は作っても売るなよ? 自分で使用する場合に限り許されてるし、上げるのもまあ許されてるが、売るのは違法になるからな」

「解りました。それでは作り方を教えて下さい」

 間髪を容れずに明良が言うと、オジウスは苦笑した。

「まあ、土を手に持ってひたすら練習しろ。それで石が作れるようになったら、土なしで作れるようになるまで練習あるのみ。それが出来たら鉄が手頃だろな。その次はその鎖に使われてる鋼辺りになる」

 明良と颯は真剣に聴いて頷いている。

「いつも言ってるが出来るか出来ないかは、結局の所は本人次第だからな。それともう一つ言っておくが、質量が減るから多めに土を持って練習しろよ。モノによっては両手で山盛り持ってても作れない事があるぞ」

「了解しました」

「分かりました。それで呪術と付与術は?」

 オジウスは颯を見るとまた苦笑する。

「呪術は種類ごとに呪文があって覚えてねえから学校で習え。呪文はそれに近ければ有効だったと思うから本を読めば割といけるらしいぞ。付与術は初級なら教えられるわ」

「やった! それじゃあお願いします」

「じゃあよく聞けよ? 付与術は呪術と物に魔力を籠めるという点では良く似てる。違うのは呪術は魔力を籠める時に何度でも仕切り直しが出来るが、付与術は一度限りだ。籠めるのを止めたら、そこまでだ。そして力を与えたからと言って絶対ではないから注意しろ」

 訓練所の端にある箱の中に置かれている木剣が一本飛んできた。オジウスはそれを手にする。

「例えばそうだな、……壊れるなと念じて耐久力を上げてみよう」

 木剣を左手に持ち、右手をかざした。

「強くなれ、でも構わない。とくかくこの木剣の隅々にまで魔力が行き渡るまで、耐久力を上げる事を念じる。この木剣の限界を超えて魔力を流すと壊れるからな。それは気を付けろよ。それじゃあやるぞ。壊れるな、壊れるな、壊れるな、壊れるな、壊れるな、壊れるな。……よし、強化はこれで完成だな」

 そして木剣を右手に持ち替えると颯を見る。

「よし、ハヤテは防御をしろよ。この木剣とお前の防御、どちらが強いか、勝負するぞ」

「えっ、オレが的かよ!?」

 颯は驚いて目を丸くした。

「痛いのは嫌だよ」

「大丈夫。お前の方が強いから。でも気は抜くな」

「はい……」

 渋々返事をすると障壁を纏った。

「どうぞ」

 オジウスは両手で木剣を握ると棒立ちになっている颯を思い切り殴打した。木剣は壊れる事はなかった。

「そのままいろよ」

 するともう木剣がまた一本飛んで来て、持っていた木剣を革帯に挿し、飛んできた方を手にした。そして先程と同じように颯を殴打する。すると真っ二つに折れてしまった。

「折れた」

 颯が思わず声に出した。オジウスは鼻で笑う。

「な、出来てたろ? 他には属性を付与して魔導剣にするという事も出来るが、徐々に効力を失っていくから注意しろ」

「これは呪術に似ている気がするんですけど、その辺はどうなんですか?」

 明良が訊くと、オジウスが頷いて明良を見る。

「まあ、似ていなくもないな。たが、呪術は時間、付与は回数で区切られるという違いがある」

「と言うと?」

 颯が透かさず訊く。オジウスは明良の胸元に視線を遣った。

「例えばアキラが着けてる装身具のまじないはささやかな幸運が何回訪れても効果は決められた日まで続く。そうだな、これは大体一年といった所か。付与はいつ効果が切れるか分からんが、一回は必ず効果を発揮する。この木剣で颯を殴ったが、颯の防御が強過ぎて効果がもう切れてるはずだ」

 革帯から木剣を抜いて指で弾いてみせた。すると細かく砕け落ちて行った。

「ぼろぼろだな……。見ての通り、これは一回限りだ。ガンガオネ隊長と打ち合ってもじっ分は持つのに、やっぱ強いな。全力で守ったか?」

「いえ。でもオジウス隊長が相手だったんで、いつもよりは堅く守りました」

「魔術騎士隊隊長って言えよ。隊長はガンガオネ隊長一人だからな」

「はい、オジウス魔術騎士隊隊長」

「それでいい。しかし魔力の質が高いと、こうも強くなるのかね。俺で五十一だぞ。ほぼ倍でこれかよ」

 地面に落ちている破片に目を遣った。

「でも全力じゃないって事は、全力だとどうなるんだ?」

 颯を見ながら言うと、颯は苦笑した。

「まさかとは思いますけど、もう一度やるつもりですかね」

「勿論」

 オジウスが笑顔で言うと木剣がまた飛んで来て手にする。

「実はさっき、身体強化して本気で殴ったんだぞ。それでもびくともしなかったもんな。凄いわ。魔力の質が百ってのをもっと体感させてくれよ。次は全力で頼むぞ」

 颯の事は気にしないで、木剣に手を翳して付与術を施している。

「俺の魔力の質は五十一はあると測定されてる。けど、箱の中が満杯の状態を百とすると、残りの四十九は隙間があるような状態になる。その隙間を埋めるべく、更に魔力を籠める。木剣内の魔力の質を疑似だが百にする事が出来る。但し、一回で籠めなければならない。途中で止めるとそこまでしか付与出来ないからな。よし、これが俺の全力だ。どこまで通用するか見せてもらうぞ」

 先程よりも念入りに時間を掛けたオジリスは微笑んで颯を見る。颯は言われた通り、全力を出して待ち構えている。

「どうぞ」

 それを聞いて振り被ると目にも止まらぬ速さで振り抜いた。木剣は颯に当たって揺り返し、その瞬間に木端微塵となってしまった。遠巻きに見ている騎士達からどよめきが起こった。

「やっぱ木剣が耐えられなかったか……。手も痺れて痛いわ。それにしても耐えた直後に木剣がぶっ壊れるなんて凄いよな」

 感心しながら両手を振って言った。明良は木剣の破片を見る。

「オジウス魔術騎士隊隊長が指で弾いた時同様、揺り返し時の空気の抵抗力が衝撃となって木剣が壊れたのかも知れませんね」

「それもあるかも知れんが、俺は単に木剣が耐えられなかっただけだと思うぞ。粉々になったしな。まあ木剣じゃ限界がすぐに来るって事だな。とにかくだ、俺が言った通り一回は耐えた所が見られただろ?」

「そうですね。付与術が凄いって事がよく分かりました」

 目を輝かせている颯を見たオジウスは鼻で笑った。

「何事も一長一短だよ。ちょっといい面を見たからってそれが全てではないからな。閣下と魔力量が変わらないって事は長生きするんだろうから、すぐに答えを求めずに自分で答えを探すようにしろよ? じゃないと毎日が退屈になるぞ」

 そう言って颯の肩を叩いた。颯は真顔になって頷いた。

「そう言えばオジウス魔術騎士隊隊長はいっつもオレを的にしますけどどうしてなんですか?」

「これの答えは俺じゃなきゃ分からんから答えとくわ。アキラは見た目が中性的と言うより女性寄り、ハヤテは十二歳と言えど、そうは見えない容姿をしてるだろ? アキラだとイジメに見えるけど、お前ならそうは見えない、だからだよ。納得したか?」

 颯は腕を組んで顔を顰めて唸った。

「うーん……、まあ、分からなくもないけど、一応十二歳ですよ?」

「こんなにでかい十二歳がざらにいるかよ。俺だって歳を聞いて心底驚いたのに」

 眉を顰めて言った。そして表情を一変させて笑顔になる。

「それじゃあまた二日後な。属性はどれでもいいが、玉の大きさはもっと小さくなるように練習な。大きさは直径二ジル五ケユル(約一寸六分)以下な。余裕があったら付与術も試していいが、その場合は小型の水晶を用意して、それに魔力を付与して魔石にする練習をするのがいいぞ。安いが売れるしな。それじゃあアキラは木剣を直しておけよ。お疲れ」

 颯の二の腕を軽く二度叩いて去って行った。二人はオジウスの後ろ姿に深々と辞儀をした。

「ありがとうございました」

「お疲れ様です。有難う御座いました」

 頭を上げた時、まだオジウスの姿があって、建物の中に入るまでそれを見ていた。そして姿が消えると颯は明良の方を向いた。

「ディモーン先生の授業が始まる直前までやってく?」

「いや、木剣を元通りにしたら戻るよ。呪術の本があるかも知れないから水伯に訊いてみようと思って。颯はどうぞご自由に」

「分かった。それじゃあオレはディモーン先生の授業の直前まで、玉の大きさを小さくする練習でもやっとくわ」

「うん、頑張って」

「ありがと」

 明良は頷くと木剣だった木片を全て浮かせ、それと一緒に端にある木剣置き場の方へ向かった。颯は玉を出すと直径が約六寸六分あったのを見て即座に消した。

(最初は物凄く小さい玉のつもりで出しても一モル五十ジル(約十尺)くらいあったから、それを思えばかなり小さくなった。オレでこの有様だから、玲太郎が出そうとして出なかったのって、やっぱり魔力量の調整が出来てなかったか、どでかい玉が出そうで本能が止めていたか……。今日は蕾から花を咲かす練習をやるって言ってたけど、魔力量の調整なんて出来るんだろか……。大量に流し込んで花を腐らせてそう……、いや、枯れるのかも? 朽ちてあの木剣みたいにばらばらになるのかも?)

 颯は気もそぞろで玉を出したり消したりと単調な作業を繰り返していたが、大きさを確認していなかった。


 十時の食後、颯は水伯に食堂に残って貰った。

「今日、オジウス魔術騎士隊隊長に付与術の事を少し習ったんだけど、水晶に魔力を籠めて魔石にする練習をやるといいって聞いたんだよ。それで小型の水晶を買いたいんだけど、どこで買えばいいんだろう?」

「小型の水晶ね。多分だけれど、破裂するよ?」

「えっ」

 颯は目を丸くした。水伯は柔和な表情で続ける。

「其処まで微調整が出来る程に魔力操作に慣れたのならば話は別だけれど、今はどのような魔術でどういった練習を遣っているの?」

「うーん、調整は出来ているとは言えないなあ。今、水の玉を小さくする練習をやってるんだけど、どうしても直径が十ジル(約六寸六分)くらいになってしまうんだよ。それより小さく作る事が難しくて……」

「それだと無理だね。水晶が破裂して危ないから防御をしながらになるのだけれど、それでも遣ってみるかい? 小型の水晶と言うと、長さニジル(約一寸三分)、直径一ジル(約六分)になると思うのだけれど、それに魔力を注ぐとなると本の少しだからね。颯の感覚で言うと砂粒以下の魔力量を注ぐような物なのだけれど、難しくても頑張ると言うのであれば止めはしないよ」

 颯は眉を顰め、頭を掻いて俯いた。

「す、砂粒以下……。それは思っていた以上に大変そうだなあ。それだと水晶が結構無駄になりそう……」

「それならば魔術で水晶を作る練習を遣ればよいのではないだろうか? 魔力量が豊富だから高品質の水晶が作り出せるよ。そうすれば段階を踏んで魔力量の調整が出来て練習にもなるね」

「水晶を作るのかあ。そうしよっか。ありがと。そうするよ」

 満面の笑みを浮かべて礼を言うと、直ぐに真顔になった。

「所で玲太郎が花を咲かせられないのは魔力が多過ぎるからじゃないかと思うんだけど、どう思う?」

「それは関係ないね。付与術ならば器が破損するけれど、植物を成長させたり、お花を咲かせたりは魔力量が過剰でも出来るからね。それよりも玲太郎自身の近くになるとどうも駄目のようなのだよね。宙に浮くにしても魔力が体に密着しているだろう? 玉も掌の少し上に出るようにしていたし、今度のお花を咲かせる魔術だって体の近くなのだよ。その理由を見付けたいのだけれど、何も思い付かないのだよね」

「そうなんだ。体付近かあ。どうしてなんだろな……」

「漏れていた魔力も覚醒してから漏れていないのだよね。若しかしたらそれが関係しているのかも知れないけれど、どう関係しているのか……」

「魔力の漏れかあ。覚醒していない時から魔力が漏れてたから、魔力を体付近に放出する事に対して心が嫌がってるとか?」

「成程。……それは有り得なくもないね。それが正解ならば、植物と距離を取れば咲かせられる事になるから、試してみる価値はあるね。明日遣ってみるよ。有難う」

「ただの思い付きだけど、どういたしまして。オレの話は終わり。聞いてくれてありがとう」

「どう致しまして」

 二人は笑顔で目を合わすと、どちらともなく席を立った。

「颯」

 開扉して先に食堂を出ようとした颯を引き留める。

「うん?」

 振り返ると、水伯が差し出した掌に四種類の水晶があった。

「これを上げるから、参考にしながら作るとよいよ。品質は最高だからね。所謂いわゆる高品質だよ」

「えっ、いいの? 嬉しいよ、ありがと!」

 笑顔になって水伯を見ると、それを手にした。

「さあ、行こうか」

「うん」

 颯は水晶を握り締めて食堂を出た。水伯が閉扉すると、二人は並んで二階へ向かった。颯は勉強部屋へ入って行ったが、水伯は執務室へ向かった。

 勉強部屋には玲太郎と明良がいて、明良は長椅子に座って読書をしていて、玲太郎は飽きもせずに積み木で遊んでいた。颯はズボンの衣嚢に水晶を入れながら玲太郎の方に向かい、靴を脱いで絨毯に上がると玲太郎の直ぐ後ろに座ると、玲太郎が振り返って颯の顔を見てまた積み木に向かった。

「玲太郎」

「なにー? はーちゃんもつみきであそぶ?」

「積み木はしない。ありがとな」

「ふうん」

「玲太郎は魔術が嫌いか?」

「きらいじゃない。きれいなのはすき。でも、できないときらい」

 そう言うと体を颯の方に向けた。

「なんでそういうことをきくの?」

「玲太郎が魔術を使いこなせてないのが、そういう好きか、嫌いかっていう気持ちにあるのかも知れないと思ったから聞いたんだけど、関係なさそうだな」

「うん? かんけいないの?」

「うーん、はっきり言って分からない」

「ボクがまじゅつでできないの、まじゅつがきらいだからなの?」

「魔術が嫌いなのは、出来ないからなんだろ?」

「そう」

「それじゃあ嫌いだからじゃないと思うけどな」

「じゃあなに?」

「さあ? 俺にも分からない」

 玲太郎は立ち上がると颯の後ろに回って飛び付いた。

「わっ」

 颯は思わず前のめりになった。

「はーちゃん、おんぶ」

 そう言いながら颯の首に両腕を回すと、颯が玲太郎の尻を支えた。

「玲太郎は魔術を楽しいと思う?」

「たのしいはない。だって、おはながさかないのよ」

「咲くまで練習をやったらいいじゃないか」

「できないのよ」

「玲太郎はいつも、どんな感じで魔術をかけようとしてるんだ?」

「まじゅつをかける?」

「花を咲かす時、どんな事を思ってるんだ?」

 玲太郎は親指と人差し指で颯の耳を摘んで引っ張ったり、髪を引っ張ったりして答えなかった。

「玲太郎」

「なに?」

「もう空は飛びたくない?」

「とびたい。でもとべない」

 仏頂面で言ったが、颯は表情まで見えなかった。

「一人で飛ぶと楽しいぞ?」

「ひとりはこわいのよ……」

「そうだったんだ。ふうん」

 颯は少し間を置いてから左に顔を向けた。玲太郎の額が見える。

「じゃあ、今度オレと一緒に飛ぶか?」

「とぶ! とぶ!」

 玲太郎は嬉しさの余り、首に回している右手に力が入った。颯はその腕を握って首から離そうと力を入れる。

「ちょっと、苦しいからそれは止めて」

「あ、ごめん」

 玲太郎は腕の力を抜いた。そして笑顔になって颯の顔を覗き込む。

「きゃー! またとんでくれるの、うれしい!」

「それじゃあ昼食後に飛ぼうな」

 それを遠目に見ていた明良は非常に詰まらなく、苛立ちを覚えた。


 三人はそのまま授業が始まるのを待った。ディモーンが来るとそれぞれの席に着き、それぞれの授業が始まる。二十分の休憩を取る度に茶が運び込まれるのだが、玲太郎はこれが楽しみだった。玲太郎には濃くした紅茶に多目の牛乳が入っていて、それに砂糖も多目に入れられた物が出さる。

 三科目の授業を終え、昼食を摂り、颯は約束通りに玲太郎を抱いて空を縦横無尽に飛んだ。但し、玲太郎が景色を楽しめるように速度は大して出さなかった。しかし、その気遣いが逆に玲太郎を怯えさせた。颯に強く掴まって顔も埋めてしまい、景色を眺めようとはしなかった。

「怖いのか?」

「ひゅんひゅんとぶのがいいのよ。ゆっくりはこわい。おちたらどうするの」

 それを聞いたヌトは苦笑したが、颯は戸惑った。一直線で水伯邸の真上まで行くと、そこから邪魔な雲を霧散させながら高度を上げた。

「ほら、玲太郎、下を見てみたら?」

 玲太郎は言われた通り、怯えながら身を捩って下を見た。左手はしっかりと颯の右肩を、右手は颯の左腕を掴んでいる。

「下に何があるか分かるか?」

「わからない。ここどこ?」

「空だよ」

 夏の強い陽光を浴びた二人は顔を見合わせた。

「そら? そらにいるの?」

「そうだよ。住んでる屋敷の真上だよ。でも、いる位置が高過ぎて下が見えないんだよ」

「ふうん」

 玲太郎はまた身を捩って下を覗き込む。

「大丈夫。落ちてもヌトがいるから平気だぞ」

「ヌトがたすけてくれるの?」

 そう言うとヌトのいる方を見る。ヌトが微笑むと、玲太郎も釣られて微笑んだ。

「うん、そうだよ。オレも助けるけどな」

 今度は颯を見る。

「はーちゃんもたすけてくれるの?」

「当たり前だろ。下には落ちないから手を離してみる?」

 玲太郎は颯から視線を外し、また下を見た。体勢を戻して颯を見ると頷いた。

「はなしてみる」

 そう言うと両手を離す。

「な、落ちないだろ?」

「うん……」

 表情は冴えないが、落ちないと言う颯の事は信用していて体の力も抜けた。

「それじゃあここからゆっくりと下りて行くからな」

「いっしゅんでいかないの?」

「一瞬で行ったら景色が楽しめないだろ?」

「けしき?」

「そう。遠くにある山とか緑に染まった畑とか、所々にある建物とかを見て、のどかな景色を見て楽しむんだよ」

「それはたのしいの?」

「遠くの方まで見渡せて楽しいよ」

「ふうん……」

「それじゃあ、抱っこしとくから下は見ないで横の景色を見ててよ。今は青いけど、これから白い雲が見えたり、山が見えたり、畑が見えたりするだろうから」

「わかった。したはみない」

 真顔で言うと颯の両肩を強く掴んだ。颯は微笑むと、徐に下降をし始めた。玲太郎は真横を見ていたが、首が疲れたのか左へ顔を向けた。玲太郎の表情を見ながら下りている颯は、時折ヌトに目を遣った。ヌトも同様に徐に下りているが、玲太郎の方を見ずに真下を見ていた。

「ヌトは何をやってるんだ?」

 ヌトは顔を上げて颯を見る。

「いや、何、徐々に近付く陸地という物を見ておこうと思うてな。意識して見た事がなかったのよ」

「そうなんだ。じゃあじっくり見てて」

「それではそうさせて貰おう」

 嬉しそうに言う体を水平にして正面で地上を捉えた。玲太郎はそれを見て顔を顰めた。その表情を颯が見ていて失笑すると、玲太郎がその表情のまま颯に顔を向けた。

「怖いのか?」

「ヌトがこわいのよ……。あれおちるよ? いたくない?」

「落ちるんじゃなくて、下りてるだけだから痛くないよ。ゆっくり下りてるのは分かる?」

 玲太郎は首を横に振った。

「わからない。ずっとあおよ」

「その内雲が見えてくるよ。そうしたら下りてるのが分かると思うから、それまで待って」

「わかった」

 徐々に下りて行く中で、雲が見えるようになると、視界の端に緑色が入って来るようになった。玲太郎は上を向いて陸が視界に入らないようにした。

「玲太郎、上じゃなくて横を見ててよ」

「い、いやなのよ。なんかみどりがみえて、したがこわい」

 すると颯は止まって、玲太郎は颯を見た。

「もしかして、うごいてない? おりてないの?」

「良く分かったな。今は止まってるんだよ」

「えっ、おりないの?」

「玲太郎がこの高さに慣れたら下りようと思う」

 玲太郎の表情は悲愴でしかなかった。颯は無表情でそれを見ていた。

「怖くないから、横を見てよ?」

「いやっ。ぜったいいやっ」

「それじゃあ一瞬で下りる?」

「それがいい。そうしようよ」

 颯は苦笑すると頷いた。

「分かった。それじゃあ一瞬で下りるぞ」

「うん」

「ヌトはそのままゆっくり下りて来ていいから。下で待ってるよ」

「屋敷の中に入っていてもよいぞ」

「そう? それじゃあ中にいるわ」

「後でな」

「うん、後で」

 颯が言い終えた途端に景色が上に流れるように移り、屋敷の玄関前に着地した。

「もういいよ」

 颯に顔を埋めていた玲太郎は顔を上げ、周りを見回した。そして安堵する。

「はぁー、もうおわり? ボクまだいけるのに」

「強がり言うなよ。さっきは凄い顔をしてたぞ」

「いつ? してないよ?」

「これからは毎日あの高さまで飛んで、少しずつ慣れような」

「なれる? あれこわいのよ。ボクもはーちゃんくらいおおきかったら、こわくないとおもう」

「それは無理だな。何百年かかるのか、全く分からないからな。……あ」

 颯も玲太郎も素っ頓狂な顔で見合わせた。

「なんびゃくねんってなに?」

 先に口を開いたのは玲太郎だった。颯は無表情になる。

「うん、まあ時間がかかるって意味だな」

 訝しそうに颯を横目で見る。

「ふうん……。おおきくなるのって、そんなにじかんがかかるの?」

「かかるかかる、すっごくかかるよ」

「はーちゃん、なんさい?」

「十二だな」

「ボクもじゅうにでそのおおきさになる」

「ああ、それはないかもな。オレは特別でかいんだよ。普通の十二歳はもっと小さいからな。兄貴が十二の時はもっと小さかったぞ」

「そうなの? ふうん……。それじゃあボクはちいさいままでよいよ。うん、ちいさいままがよいね。はーちゃん、おろして」

 颯は玲太郎を降ろすと、玲太郎は玄関前の階段を上った。颯も付いて行く。

「小さいままでいいってなんでよ?」

「ボクね、おとなになりたくないのよ」

「えっ、なんで?」

「ちいさいままがよいから」

 扉の前で足を止めて振り返ると、満面の笑みを浮かべていた。

「そうなんだ。大丈夫、体は当分今のままだからな。その当分って言うのか何百年くらいなんだけど、小さいままがいいなら安心だな。いやあ、良かったわ」

 颯も満面の笑みを浮かべた。


 夕食中にこの話をしたら、聞いていた玲太郎以外の全員が固まってしまった。

「何故ちまけてしまったんだよ? 阿呆かよ」

 先程の八つ当たりも兼ねているのか、腹立ち紛れなのか、明良が珍しく口汚かった。八千代は残念そうな表情で颯を見ていて、水伯は苦笑している。

「もう言ってしまったのならば仕方がないのだけれど、言う機会はもう少し様子を見てからにして欲しかったよ」

「このまま、この話を二度としなければ、忘れるという事はないだろうか?」

 明良が水伯に耳打ちすると、水伯は首を傾げて明良の方に体を傾けた。

「宇野田さんのお菓子の事を未だに言うから、若しかしたら憶えているかも知れないね」

「成程……」

 明良は体を戻して、嬉しそうに肉を頬張っている玲太郎を見た。

「やっぱりまずかったか? でも小さいのがいいって言うから……、つい言ってしまった」

 水伯は夢中で肉を咀嚼している玲太郎から颯に視線を移す。

「忘れるかも知れないから、この話は最低でも二年はしないように」

「分かった。ごめん」

 颯が玲太郎を見ると、やはり一所懸命に咀嚼をしている最中だった。話を聞いていなかったようで安心したが、少し寂しくもあった。

 その後は何気ない会話が続いて食事を終えた。


 颯は八千代と一緒に後片付けに行き、水伯は二階の執務室へ、玲太郎と明良は勉強部屋へと向かった。

「あーちゃんもつみきする?」

「今日は止めておくよ。ヌトと一緒に積み木をしたらどう?」

「ヌトはしないのよ」

「そうなの? それでは玲太郎一人で積み木をしていてね」

「わかった」

 玲太郎は靴を脱いで絨毯に上がると積み木の入った箱に一直線に向かった。膝で立って一個ずつ積み木を出している。

「今日、颯と一緒に空を飛んだのだよね? どうだった? 楽しかった?」

 勉強机に置きっ放しだった本を取りに向かいながら訊いた。

「うーん、そらからおりるときにね、はーちゃんがとまったの。こわかったのよ」

「怖かったの? それは大変だったね。大丈夫だった?」

 本を手にすると玲太郎の方を向いて訊いた。

「こわいっていったら、ひゅんっておりてくれた」

「ひゅん?」

「んーとね、すぐってこと」

「そうなのだね。それは良かったね」

「たかいのはこわいのよ。おちたらいたいね、ぜったい」

「落ちた事があるの?」

「ころんだらいたいから、おちたらいたいにきまってる」

「それはそうだね。落ちたら痛いね。でも颯は落とさないと思うよ?」

「わかってるけど、こわいのよ」

「それならば一人で飛べるようになればよいのではないの?」

「ん? ひとりだとおちないの?」

 玲太郎は手を止めて明良の方を向いた。すると明良が玲太郎の方に向かって歩き出す。

「落ちないように自分で飛ぶのだよ。そうすれば安心だと思わない?」

 暫く明良を見ていたが、また積み木の方に顔を向けて一個ずつ取り出した。

「たかいのがこわいのよ」

「私に抱っこされている時も怖いの?」

 靴を脱いで絨毯に上がり、玲太郎の近くで座った。

「だっこはこわくない」

「そう。それではその高さまで一人で飛んでみない?」

「そのまま、うえにいきそうでこわいのよ」

「そうなのだね。それでは仕方がないね」

 そう言うと栞を挟んでいる所で本を開くと読書を始めた。玲太郎はまだ積み木を出し続けている。

「ちちうえにうかせてもらって、ヌトがあしにつかまってるのがよいのよ。でもいまは、おはなをみるほうがたのしい」

 明良はそう言う玲太郎の後ろ姿を見て微笑んだ。

「解った。それでは魔術でお花を沢山咲かせようね」

「でも、できないのよ」

「まだ遣り始めたばかりなのだから、そう言わないで頑張ろうよ」

「うーん……」

 玲太郎は積み木を取る手を止めると、明良の方に向いた。

「ボクはね、ちちうえみたいにすこしができない。だからできないのよ」

 明良は本を閉じて玲太郎を真っ直ぐ見た。

「父上みたいに少しが出来ないとは、どういう意味?」

「わからない? すこしはすこしね。 おはなにすこしだけやるのよ。ボクにはできない」

「魔力を少しだけ流している、という事でよいの?」

「まりょく? わからない。ボクがやろうとすると、すこしじゃないからできないのよ。わかる?」

「沢山でもよいと思うだけど?」

「そうなの? でも、おみずをいっぱいおはなにあげたらだめだって、ホンボードおじさんにいわれたのよ」

 不満そうに言うと積み木の方に向いて、また一個取り出した。

「玲太郎、魔力は沢山でもよい時があるのだよ。試しにお花に遣ってみたらどう?」

「かれたらどうするの」

「枯れたら水伯がまた新しい物を育ててくれるよ。だから失敗しても大丈夫なのだよ?」

「ほんとう?」

「本当。一度で成功しようと思わないでね。沢山失敗して悲しくなったら、あーちゃんが慰めるから沢山失敗してね」

 玲太郎は明良を一瞥すると、積み木をまた一個取り出した。

「かれるのはみたくないのよ……」

「遣ってみなければ、枯れるかどうかは判らないからね?」

 玲太郎は暫く無言で積み木を積んだ。

「わかった。じゃあやってみる。かれたら、ちちうえにあたらしいおはなをそだててもらうのよ」

 最後の一個を取り出して、明良の方を向きながら言った。

「いっぱいしっぱいしたら、あーちゃんになぐさめてもらうー」

 明良が破顔一笑すると玲太郎も釣られて笑顔になった。

「あーちゃん、かみながいの、にあうのよ」

 そう言った玲太郎の表情を見て明良は嬉しくなった。

「そう? それではもう少し伸ばすとしようね」

「うん、ながいのがよいよ」

 そう笑顔で言うと、顔の向きを戻して積み木を選び始めた。明良はその後ろ姿を愛おしく見詰めた。

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