9.そうして、最初の成果
「やっぱり、王子様だわ……」
次の日の早朝、案の定私は庭でそんなことをつぶやくはめになっていた。
目の前には、優しい手つきで白く小さな花を摘んでいるヴィヴ。澄んだ朝日が、彼の金髪をいつも以上にきらきらと輝かせている。
今ここにいるのは私とヴィヴの二人きり。ポリーたちは朝食の準備やら何やらで忙しくしているし、ミラはまだぐっすりと眠っている。
そんな訳で、私は思う存分見とれることができてしまった。と、ヴィヴが小首をかしげてこちらを見る。
「どうかしましたか、アリーシャ?」
「いえ、その……花を摘むのがうまいなと、そう思っていただけですの」
とっさにそうごまかしたら、ヴィヴは無邪気に微笑んだ。
「庭仕事の大先輩であるあなたに、そう言ってもらえると嬉しいです」
その笑顔に、ちょっと胸が痛む。
こうして多少親しくなった今でも、私は彼にギフトのことを明かしていない。ポリーたちとは違って、彼はいつかここを出ていく客人だから、秘密を軽々しく明かす訳にはいかない。そう判断して。
彼は私のことを庭仕事の大先輩と言っているけれど、実のところ経験の量自体は大して違わない。
私はギフトによって、生き生きとした健康そのものの植物の株を手に入れられる。違いはそれだけ。むしろ、手先が器用で真面目に頑張るヴィヴのほうが上達が早いかもしれない。
申し訳なさと、心苦しさ。そんな思いをごまかすように、とっさに話をそらす。
「そういえば、あなたは何か植物を探しているとのことでしたわね。それって、何ていう植物なのでしょう?」
自分はちっとも腹を割っていないくせに、立ち入ったことを聞いてしまったかと、言ってから後悔する。
「……とある花なんです。とても珍しい花で、どうしても必要でして」
そのためにヴィヴとミラは、わざわざ旅をしているのだった。ここはとびきり植物が多いから、ここならその花があるかもしれないと考えて。
そうして、彼はその花について教えてくれた。
陽光草と呼ばれるその草は、年に一度、夏至の日にだけ花を咲かせる。日の出と共に花が開き、日の入りと共に花が枯れ、実を残す。その名の通り、陽光の化身のような姿をしているのだとか。
「見たことも聞いたこともないですわね……力になれなくてごめんなさい。後で、ポリーたちにも聞いてみますわ」
私のそんな返答に、ヴィヴがちょっぴりがっかりしたような顔をする。
あれ、もしかして思っていたよりもずっと期待されていた? まさかと思うけれど、私のギフトに気づいている、とか。彼が来てから一度もギフトは使っていないのだけれど、感づかれたのかもしれない。
悩んでしまって、つい黙り込む。と、ヴィヴが柔らかく苦笑した。
「でも、夏至の日になれば庭のどこかで生えるかもしれませんね。さあアリーシャ、作業に戻りましょう」
いつもと変わらずに穏やかに微笑んでいる、そんな彼の目がほんの少し切なげに見えたのは気のせいだろうか。気にはなったけれど、それを正面切って尋ねることはさすがにできなかった。
それからジャスミンの花でいっぱいの、甘い香りのするかごを抱えて台所に向かう。いよいよ、ジャスミンの花と茶葉をブレンドするのだ。
茶葉のほうはポリーとステイシーが既に加工してくれていた。生葉を蒸して、もんで、乾かすらしい。ちなみに紅茶だと、生葉がしんなりするまで放っておいてから、もんで放置して乾かす、という工程になるのだそうだ。
まずは、茶葉とジャスミンの花を交互に重ねて。しばらくするとしっとりと温まってくるから、全体をよくかき混ぜる。花がしぼんだらふるいでより分けて、また新しい花を加えて。だいたいこんな感じだ。
前世でチャイナカフェに行った時、お店の中に作り方が書いてあった。めんどくさいんだなと思いながら薫り高いジャスミンティーを飲んだのを、まだはっきりと覚えている。
次の日も同じようにジャスミンの花を摘んで、また同じ作業を繰り返す。そうして、ついに。
「できあがったわ……思っていたより、ずっとおいしい……」
私たち八人は、みんなでお茶にしていた。完成したばかりのジャスミンティーの試飲会だ。
「ポリー、ステイシー、茶葉の加工をありがとう。それに、花の混ぜ込みの管理も」
「アリーシャ様のお役に立てて嬉しいです! ……今まで毛虫取りを頑張ってきてよかった……」
「ええ。この年寄りの記憶でよければ、いくらでも役立ててくださいねえ」
「不思議な味だなあ! 口の中に花が咲いたみたいだ」
「そうだね、ブルースちゃん。おいしいね」
いつも以上に朗らかに笑うブルースと、同じく満面の笑みのミラ。彼女は最近、ステイシーとブルースのことをちゃん付けで呼んでいる。それが意外と似合うのだから面白い。
一方のダニエルとエステルは、お茶を飲みつつ落ち着かない顔をしていた。
「かぐわしいお茶ですね。ですが、やはりこのような席に着くことは慣れません」
「本当に、私たちもご相伴に預かってよかったのでしょうか。このような珍しいものをいただくなんて」
「もちろんですよ、ダニエル、エステル。あなたたちも茶摘みに協力してくれたのですから。それにアリーシャは、立場や身分を根拠として誰かを仲間外れにするような方ではありません。でしょう?」
恐縮している二人に、ヴィヴが穏やかに話しかけていた。
この二人、一緒に食事にしようといった時も結構ごねていた。結局、ヴィヴとミラの毒見と護衛ということにしたらどうかしらと提案して、それでようやく納得してくれたのだった。
そんな風にそれぞれお茶を楽しんでいるみんなを見渡して、いい香りの湯気を胸いっぱいに吸い込む。朝露に濡れた庭園でヴィヴと花を摘んだ、あの記憶がありありとよみがえる。
これならきっと、貴族の人たちも気に入ってくれる。少なくとも十八年貴族として生きてきた私が言うのだから、間違いない。
ジャスミンティーにはリラックスの効果があるらしい。だったら、『心を安らかにする花のお茶』というふれこみでどうだろう。
どれくらいの値段にしようかな。お茶の木やジャスミンの株を植えるところまでは楽勝だけれど、そこからの手入れと収穫、加工については結構人手がかかっている。それなりの値段にしないといけないかな。
まあいいや、そういうことはみんなで考えよう。私は一人ではないのだし。頼れる仲間と、素敵な客人たちがいてくれる。
にっこり笑って、お茶をもう一口飲む。前世で飲んだのと同じ味の液体が、まろやかに喉を下っていった。
「思わず笑顔になってしまう、そんなお茶ですね。アリーシャ、あなたの努力が無事に実って嬉しいです」
そう言ってこちらに微笑みかけるヴィヴは、思わずどきりとするほど甘い笑みを浮かべていた。
「アリーシャ様、お手紙が届いています」
ジャスミンティーが完成してから数日後、ステイシーが数通の手紙を手に私の部屋にやってきた。
「ああ、みんなの返事が来たのね」
お茶の収穫に先立って、私はかつての友人たちに手紙を書いていた。まだピアソン家にいた頃の友人や、結婚してギャレット夫人になってから社交界で出会った友人など。
そういった人たちに、珍しい茶葉を買い取ってくれる人を探していると打ち明けたのだ。
一人くらい、興味を示してくれる人がいるといいな。そんな期待を胸に、手紙を開封していく。
「……えっ……?」
「どうしたんですか、アリーシャ様?」
立ち尽くす私のところに、ステイシーが駆け寄ってくる。私を支えようとしているかのように、しっかりと私の腕に手をかけてきた。
彼女にこんな風に心配されてしまうくらいに、私の顔色は悪いのだろう。自分でも、血の気が引いているのが分かるから。
「……断られちゃったわ……全部……」
私にできたのは、力なくそうつぶやくことだけだった。