5.平和な日々と青い蝶
それから私は毎日、庭の手入れにいそしんでいた。
植物を増やすのはギフトのおかげで苦労しないけれど、そうやって生やした植物はきちんと世話してやらなくてはならない。
ガーデニングって、結構重労働だった。毎日花壇と畑を見て回って、水が足りないところには水をまいて、伸びすぎた枝は刈り込んで、枯れた株は取り除いて。
それだけではない。ツルの植物なんかは、フェンスを立ててやる必要もあった。ツルを傷つけないように優しく引っ張って、フェンスに麻紐でくくりつけてやるのだ。
うまくツルを誘引できれば、花のアーチなんかも作れる。余裕が出てきたら、ツルバラのアーチも作りたいな。
あ、それならついでに憧れのローズガーデンを造ってみよう。あずまやの周りに作ったら素敵だろうなあ。甘く魅惑的なバラの香りに包まれて、優雅に午後のお茶を……ああもう、最高だわ。
といった感じで、おおざっぱな知識とてんこもりの夢だけを頼りに、手探りで日々を過ごしていた。
「とはいえ、何もかもが順調とはいかないわよね……」
そんなある日、ハーブ畑の片隅で腕組みしてぼやく。目の前には、数株の枯れたハーブ。
生やした直後から、この一角だけ何となく元気がないようだった。
首をかしげながらせっせと水をやっていたのだけれど、日に日にしなしなと柔らかくなっていって、しまいには枯れてしまった。
「そもそも何が悪かったのかすら分からないのよね……経験不足が痛いわ」
私の手入れが駄目だったのか、それとも単に環境に合わなかったのか、はたまた虫か病気か。そこのところの見分けもつかない。そこをはっきりさせずに同じハーブを植えても、また枯れてしまうかも。
ひっそりと焦っていたら、なんとポリーが助け舟を出してくれた。
私は庭師ではありませんし、全て聞き覚えですけどねえ。彼女はそう言いながら、植物の手入れについてのアドバイスをくれたのだ。
「たぶん、水が多すぎたんでしょうねえ。ほらここだけ、ちょっと粘土が多いんですよ。粘土質の土は、水はけが悪くなるらしいですから」
そうしてそこに乾いた土をすきこんで、この問題は無事に解決した。
助けてもらったといえば、ステイシーにも意外な形で助けられていた。
上品で引っ込み思案な彼女には、意外にも野生児の一面があった。カブトムシ以外にも、様々な虫を素手で捕まえていたのだ。ついでに、害虫も退治してくれる。
私が虫に出くわして悲鳴を上げるたびに、彼女がすっ飛んでくるようになってしまっていた。クモに毛虫にゲジゲジにムカデ、どれだけ彼女のお世話になったことか。
ハーブの世話をする私の隣で害虫をせっせと駆除しながら、ふとステイシーが首をかしげる。
「……あの……アリーシャ様は、蝶には悲鳴を上げないんですね」
「蝶は綺麗ですもの。ひらひらと飛びながら花に集まっているところなんて、特に素敵」
「……その子供が、これですが」
「イモムシはちょっと無理! 元のところに戻してきて!」
そんなやり取りをするようになって、ステイシーのぎこちなさも薄れてきた。ようやっと打ち解けてきたなあという感じだ。
最後にブルース、言うまでもなく彼はものすごく役に立ってくれていた。大きな切り株も、かちかちの地面も、彼の手にかかればよく耕された見事な畑に化ける。
「たくさん体を動かすと飯がうまいからなあ。ご主人様が仕事をくれて嬉しいぞ」
彼は朗らかにそんなことを言いながら、私が頼む力仕事を軽々とこなしてくれる。かと思えば、雑草抜きなんかの地道な作業も手伝ってくれる。
本当に、私一人では立ち行かなかっただろう。三人には、どれだけ感謝してもし切れなかった。
そうして今日も、私は庭仕事に精を出していた。髪をさっとまとめて、服も動きやすいズボンとシャツに着替えて。
この服は、ポリーとステイシーにも手伝ってもらって新調したものだ。貴族の女性の服装って、庭仕事には向かないし。
そうして、記憶にある植物を次々と植えていく。
前世ではずっとガーデニングの本を読み漁っていた。それにアリーシャとして生まれ変わってからも、厳しい父の目を盗んでこっそりと図鑑を読んでいた。だから知識だけなら、そこそこある。
前世にあった植物と、こっちの世界にある植物は大体同じだ。ただたまに、ファンタジーだなあとしか言いようのないものもある。ぼんやりと光る草とか、風に吹かれると歌う花とか。
……父は、今頃どうしているだろうか。投獄されたと聞いたけれど。思えば、あいつのせいでずっと苦労するはめになって……
父のことを思い出した拍子にいら立ちが込み上げてきて、雑草の大きな株を力任せに引っこ抜く。その勢いで、尻もちをついてしまった。
「わわ、っと! ふふ、でも中々の大物が抜けたわね。……あら……」
雑草を両手でつかんで笑っていたら、目の前をひらりと何かが横切った。
それは、晴れた日の空のような色をした蝶だった。うっすら透き通っていて、まるでガラス細工のようだ。
「まあ、綺麗な蝶……」
思わず手を伸ばしたら、蝶が指先に止まった。感嘆のため息をこらえて、じっと蝶を見つめる。
どれくらいそうしていたのか、不意に蝶がひらりと飛び立つ。
「あ、待って」
つい、蝶を呼び止めてしまった。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。
けれどその蝶はまるで私の言葉を理解したかのように、またこちらに近づいてきた。それから、花畑の向こうに飛び去ってしまう。
そうして私は、蝶の姿が見えなくなるまでじっとそちらを見つめていた。
「今日、不思議な蝶を見たの。透き通った水色の、とっても綺麗な蝶だったわ」
夕食の席で、昼間のことを口にする。と、三人とも興味深そうに身を乗り出してきた。
「それは不思議な蝶ですねえ。この年まで、見たことも聞いたこともありませんよ」
「……あ、わたし、洗濯物を取り込む時に見たかもしれません……」
「そうなのか? いいなあ、俺も見てみたいなあ」
そんな風に蝶についてひとしきり語り合って、それからいつものように他愛ないお喋りをする。それは、いつも通りの夕食の光景だった。
ただ、この日を境にちょっとだけ変わったことがあった。
あの水色の蝶が、屋敷の周りでしょっちゅう姿を見せるようになったのだ。
外で作業する私たちの近くを飛んでいたり、料理しているポリーをのぞいているかのように窓に止まっていたり。しかも、呼びかけると近寄ってくるし。
本当に不思議な蝶だなと、みんなで首をかしげた。
でもじきに、蝶どころではない騒動が起こってしまったのだった。
それは、蝶が現れるようになってから少し経ったある日。
「こんにちは、少しお願いしたいことがあるのですが」
そんな柔らかな声と共に、見知らぬ青年が私たちの屋敷を訪ねてきたのだった。