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40.デンタリオンもにぎやかに

「とっても素敵ですね……」


 デンタリオンの王宮の裏庭、その一角。普段はめったに人の来ないそこで、一組の男女が親しく語り合っていた。


「こちらの愛らしい花も、あちらのいい香りの花も……初めて見るものです」


 そこにいたのはデンタリオンの第二王子オリヴィエと、王宮勤めのメイドであるアイリス。アイリスは目の前に広がる美しい光景に、可憐な顔をほころばせていた。


「……ああ、そうだな。私もだ」


 普段は険しい表情を浮かべているオリヴィエだったが、今の彼は、戸惑いと照れが混じった笑みを浮かべていた。




 それは一週間ほど前、夏至の日が過ぎて少ししたある日のことだった。アリーシャが、一人でオリヴィエのもとを訪ねていた。


「そろそろ私たちは、花森屋敷に戻ります。ヴィヴの婚約者としてまたここに来ることもあると思いますが、それでも私たちの家はあの花森屋敷ですので」


「……王太子の婚約者が隣国で暮らす、か。前代未聞だな」


 不機嫌そうにオリヴィエが返すと、アリーシャは苦笑したような気まずいような顔をした。


「そのことなんですけれど……ヴィヴは本気で、花森屋敷とその周囲の土地を手に入れるつもりみたいです」


 とんでもない内容を、彼女はさらりと語っている。オリヴィエがすっと目を細めた。その表情はあきらめているようでもあり、あきれているようでもある。


「しかも、行き来がしやすいように道を整えるって言い出して……彼なら、本当にやりとげそうな気がするんですけれど……」


「……まあ、やりとげるだろうな。開き直ったあいつの思い切りの良さは、身をもって学んだ。あれにあんな一面があったとは、知らなかった」


 以前、オリヴィエは王に毒を盛った人間を探そうとして暴走し、ヴィヴを勝手に捕らえた。


 それでもおとなしく耐えていたヴィヴだったが、アリーシャたちまで追い回されたことを知って、ついに彼の堪忍袋の緒が切れた。


 ヴィヴはアリーシャたちと共に、力ずくでオリヴィエのところに突進し、自分たちの疑いを解きにかかったのだった。彼はいつもと同じように微笑んでいたけれど、その目は少しも笑っていなかった。


 こっそりとそのことを思い出して身震いするオリヴィエに、アリーシャはのんびりと話し続けている。


「だからまあ、私が花森屋敷にいても、そこまで問題にはならないかなって……って、今は他に話したいことがあったんでした」


 と、彼女が不意に言葉を途切れさせた。その視線が、ふっとそらされる。


「えっと、その、ですね」


「何だ、歯切れが悪いな」


「……それでは、思い切って言ってしまいますけど……アイリスさんとは、その後どうですか?」


 オリヴィエは忙しかった。ヴィヴが王太子となったことで、王宮の組織やら何やらが大きく変わってしまったのだ。だから彼は、アリーシャとのんびりお喋りをするつもりはなかった。


 そうしてアリーシャをせっついたはいいが、思いもかけない問いが飛んできた。


 そもそもどうして今、そんな話を持ち出すのか。オリヴィエはそう思わずにはいられなかったが、アリーシャの様子からすると、どうも彼女には何か考えがあるらしい。


 オリヴィエは一瞬ためらって、それから弱々しくつぶやく。


「……何も」


「ああ、やっぱり」


「やっぱりとは何だ、失礼な」


 この上なく納得したような顔でうなずくアリーシャに、オリヴィエはかっとなって言い返す。


 しかしアリーシャはけろりとした顔で、さらに追い打ちをかけてきた。


「でも、ヴィヴもミラも、私と同意見でしたよ? 『オリヴィエはたぶん、まだアイリスに求婚できていないんだろう』って」


 そこまで言ったところで、アリーシャがふと目を伏せた。


「……あなたとは色々ありました。正直、思うところがないと言ったら嘘になります」


 オリヴィエは答えない。どう答えていいのか、分からなかったのだ。


「でも同時に、あなたの恋を応援してやりたいなとも思うんです。……その、あなたはいずれ、私の義理の兄になるんですし」


 その言葉に、オリヴィエがはっとした顔になる。しかし彼が何か言うよりも先に、アリーシャが一気に言った。


「前に私が陽光草を生やす練習をしていた裏庭のあの場所、覚えてますか? 一週間ほどしたら、あそこにアイリスを連れていってください。私からの、ささやかなプレゼントがありますから」


「おい、それはどういう」


「いいですか、一週間後ですからね!」


 そう言い放って、彼女はあっという間に部屋を飛び出していた。ぽかんとした顔のオリヴィエを残して。




 どうしたものか。オリヴィエは悩んだ。あの口ぶりからすると、アリーシャはあの裏庭に何かを仕掛けていったのだろう。


 罠、ということはなさそうだ。アリーシャはさっぱりとした、陰湿なところのない人物だから。それはオリヴィエにもよく分かっていた。


 だから言葉通り、彼女はオリヴィエの手助けをしようとしているのだろう。だが、一体どういうものなのか。


 アイリスを連れていく前に、確認しておくべきか。いやそもそも、アイリスを連れていくべきか。だいたい、裏庭と恋の進展に、何の関係があるのか。


 そこまで考えて、オリヴィエは結論づける。さっきの話は忘れよう、と。


「……いや、だが、本当に助けになってくれるというのなら……」


 口の中でもごもごとそうつぶやいて、オリヴィエはちらりと視線を向けた。窓の向こう、裏庭がある方向に。


 美しい建物や茂った木々に阻まれて、裏庭の姿は少しも見えなかった。




 それなのに、オリヴィエは結局ここに来てしまった。それもアリーシャが指定した日に、アイリスを連れて。


 彼は今朝まで、裏庭には行かないと決めていた。しかし昼食後、廊下でばったりアイリスと会ってしまったのだ。


 せっかくだから、彼女と話したい。いつもと同じように、彼はそう思った。そしていつものように、彼女と話す口実を見つけられずに困っていた。


 普段はとても聡明で、頭も口もよく回る彼だったが、どういう訳かアイリスを前にした時だけは恐ろしいほどに口下手になっていたのだ。


 しかし今日の彼は、どうにかこうにか口実をひねり出すことに成功した。


『私はこれから、裏庭の視察に向かう。万が一に備えて従者が必要だ。だから、共に来てくれ』


 たいそう珍妙なそんな命令に、アイリスは微笑んでうなずいていた。


 そして裏庭にやってきた二人は、その美しい光景に息をのんでいた。


 背丈の低い草が、あちらに一群れ、こちらに一群れ。糸のように細く裂けた繊細な花びらは、ほんのりと優しい桃色に染まっている。控え目でありながら、見る者の心を和ませる、そんな姿だ。


 そして辺りには、見覚えのない木が何本も植わっていた。つやつやとした深緑の葉に隠れるようにして、小さな橙色の花が房のようになっている。そこから、何とも言えないかぐわしい香りがこぼれているのだ。


 足元に広がる桃色の花、辺りを満たす素晴らしい香り。いつもはごくありふれた地味な場所でしかないこの裏庭は、今では夢の中のような姿を見せていた。


 感心しながら辺りを見渡したその時、オリヴィエはあることに気がついた。


 草むらのそばに小さな木札が立てられていて、同じように木にも札がぶら下がっていたのだ。そしてそこにはおそらくアリーシャの字で『ナデシコ』『キンモクセイ』と書かれていた。


 しかもよくよく見れば、その木札には小さな小さな文字で『がんばれ!』とも書いてあった。明らかに子供の字だから、おそらくこれを書いたのはミラだ。


「知らない名の草花だな……彼女のギフトか。まったく、よってたかっておせっかいが過ぎるぞ……」


「何かおっしゃいましたか、オリヴィエ様?」


 オリヴィエの独り言に、うっとりとしていたアイリスが振り返る。


「い、いや、何でもない。ここに何か変事があると聞いて、こうして視察に来たのだが……害はなさそうだな」


 一瞬彼女に見とれたのをごまかすように、オリヴィエはもったいぶって言う。


「はい。私もそう思います。変事どころか、とっても素敵で……あ、いけない、出過ぎたことを言ってしまいました」


 心底幸せそうに微笑んでいたアイリスが、焦ったように視線をそらす。その愛らしい表情に、オリヴィエの心臓がばくばくと全力で走り出す。


「……アイリス」


 速くなる鼓動に突き動かされるように、オリヴィエが動いた。流れるような動きでアイリスに近づき、うやうやしくその手を取る。


 戸惑い目を丸くするアイリスに、オリヴィエはどうにかこうにか声を振り絞り、告げた。


「……私の、妻になって欲しい」




「さて、そろそろあの二人の仲、進展したかしら……」


 花森屋敷の庭で、アリーシャがふとつぶやいた。甘い香りのハーブティーを飲みながら。


「うまくいくといいなあ」


「そうですね。若い人の恋は、とっても可愛らしくて……こう、応援したくなるんですよねえ、うふふ」


 ブルースとポリーも、お茶とお菓子を口にしながらうなずいている。するとアリーシャが、うっとりと空を見上げた。


「あの桃色のナデシコね、『純粋な愛』って花言葉があるの。甘いキンモクセイの香りに包まれて、ナデシコに応援されながら歩み寄る二人……いい感じじゃない?」


「いい感じです! さすがお姉様!」


 すかさず、ステイシーが力いっぱいうなずいた。彼女は自分たちの周囲で揺れているナデシコを見て、にっこりと笑う。


「ナデシコに囲まれていると、優しい気分になれます。それに、キンモクセイの香りがうっとりするくらいに素敵で……お屋敷の中までいい匂いです。花、すぐに終わってしまうんですよね? 残念だなあ」


「大丈夫よ、ステイシー。アリーシャさんに教えてもらって、キンモクセイの花を白ワインに漬けたからねえ。春になったら、みんなで飲みましょう」


「この花の香りの酒かあ。へへ、待ちきれないなあ」


 にっこりと笑うポリーに、うきうきしているブルース。そんなみなを見渡して、アリーシャは心の中だけでつぶやく。


 オリヴィエ。自分が王太子になれないと言った時のやけに晴れ晴れしたあの顔、忘れていないんだからね。いい加減覚悟を決めて、前に進みなさいよ?


 さんさんと降り注ぐ心地の良い日差しに目を細め、アリーシャはまた一口お茶を飲んだ。

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