39.花が結んだ縁
「コスモス、コスモス、一面のコスモス……」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、次々とコスモスを生やしていく。花が咲くよりもう少し前、いい感じにつぼみがついたくらいの大きさのものを。
私がコスモスを植えまくっているここは、花森屋敷の裏手。というか表側の庭はもう街道のそばまで広がりきってしまったので、まとまった土地は裏側にしかないのだ。
とはいえ、表も裏もよく日が当たるし、近くに小川が通っているから水やりにも困らない。
すっかり夏の暑さも収まって、心地良い風が吹き抜けている。顔を上げると、よく晴れた青空。自然と微笑みながら、目を細める。
王太子がらみの騒動と、陽光草についての悩みが無事に片付いて。
私たちは、またこの花森屋敷に戻ってきていた。そうして今日も、庭仕事に精を出していた。
「おう、ご主人様。頼まれてたところは全部耕したぞお。それにしてもまたたくさん生やしたなあ。それも、おんなじやつばっかり。これ、なんていう草なんだ?」
汗を拭き拭きブルースが歩み寄ってくる。使い込んだクワを肩にかついで。
「コスモスよ。この辺りでは見ない草だけれど、気候としては合うはずだから。もう少ししたら、とっても素敵な風景が広がるわ」
広い草原一面のコスモス。前世からずっと憧れていた風景。一度実物を見にいきたいなと思いながら、結局その機会には恵まれなくて。
ないのなら、作ってしまえ。という訳で、こうして大量のコスモスを植えまくっていたのだった。
「お姉様、伯爵家のみなさまから伝言です。出荷畑のセージが弱っているので、後で見てやってください、とのことです」
「分かったわ。伝言ありがとう、ステイシー」
出荷畑。これも、最近変わったことの一つだ。
近頃、オリバー伯爵とミディス伯爵にせっつかれるようになっていたのだ。ハーブティーの茶葉をもっともっと作ってくれないか、と。
ハーブ畑を拡げること自体は問題ない。花森屋敷の周囲には、まだまだ空き地がある。記憶の図鑑のおかげで、新商品の開発もできるし。
ただ一つだけ、問題があった。人手不足だ。ハーブの世話をして、収穫する。どうやってもその作業だけは、誰か他の人に頼まないと無理だから。
そう答えたら、伯爵たちはこちらに使用人を派遣してくれることになった。彼らのために小さな離れまで建ててくれた。
なのでこちらも、出荷するために植えていたハーブ畑をさらに広げて、彼らにその世話を頼むことにした。そしてその大きな畑についた呼び名が、出荷畑。
彼らはハーブの世話、収穫、乾燥まで全部やってくれるので大いに助かっている。茶葉のブレンドレシピは一応秘密にしておきたいので、調合だけは私とステイシー、ブルース、それにポリーだけでやっているけれど。
そうして外部の人間と関わっているうちに、ステイシーの人見知りもよくなってきた気がする。以前はいつも私に張り付いていた彼女が、今では年の近い使用人たちと仲良くお喋りするようになった。いいことだ。
「あ、それとポリーさんからも伝言です。今日のおやつはちょっと気合いを入れましたから、楽しみにしていてくださいね、だそうです」
「それは楽しみだなあ。なんていうおやつなんだ?」
「わたしもポリーさんに聞いてみたんですけど、おやつの時間まで秘密ですよ、って言われちゃいました」
和やかに話すブルースとステイシーをほっこりしながら眺めていたら、遠くから馬車の音が聞こえてきた。三人同時に、そちらを振り向く。
花森屋敷の裏手につながる、街道とはまた別の細い道。そこを一台の馬車が走っていた。御者台に座っているのは、ダニエルだ。
「あら、予定の時間よりちょっと早いみたいね?」
「きっと、お姉様に一刻も早く会いたかったんですよ」
馬車が私たちの前に止まり、中からミラが飛び出してくる。そして、ヴィヴも。二人とも以前と変わらず元気そうだ。いや、ミラは前以上に生き生きとしている。
「お久しぶりです、アリーシャ。……もう何年も会っていないような、そんな心地でした」
「ヴィヴ、私も会いたかったわ。しばらく、こちらに滞在できるのよね?」
「はい。持ってきた執務をこなしながらになりますが……ふふ、またこうしてここであなたと暮らせるのが、とても嬉しいです」
今、ヴィヴとミラはデンタリオンの王宮で暮らしている。ヴィヴは王太子としての執務を覚えるために、ミラはその妹、未来の王妹として必要なことを学ぶために。
もっとも、母親という後ろ盾のないヴィヴが王太子になったことで、第一夫人と第二夫人はかなり荒れたらしい。王太子を選び直せとか何とか、そんな感じで。
少々もめましたが、今はもう平和ですよ。ヴィヴは手紙でそんなことを書いていた。
たぶんもめてから平和になるまでかなり色々なことがあったのだろうなという気がするけれど、知らないほうが幸せな気もする。
そうしてヴィヴは、王太子としての職務と同時進行でこの道を作り上げてしまった。デンタリオンの王宮から花森屋敷まで続く、まっすぐで平らな道を。
何でも、岩を砕く道具――これまた、デンタリオンの国宝だ――を引っ張り出してきた上、ギフト持ちの作業員を何人も派遣した、かなりとんでもない工事になったらしい。
しかも彼はこの工事よりも前に、宣言通りこの花森屋敷とその周囲の土地を、全てデンタリオン領にしていた。
ヴィヴは隣国、つまり元々花森屋敷があった国の王に物々……ならぬ土地土地交換を持ちかけたのだ。どんな交渉があったかはやはり知らないけれど、すんなりと花森屋敷はデンタリオンの領地になったのだった。
そんなこんなで、デンタリオンの王宮と花森屋敷との間は、馬を飛ばせばものの数時間で移動できるようになっていた。
王宮を守る岩山にトンネルを掘り、外敵の侵入を防いでいる峡谷に橋を架け、とかなりめちゃくちゃをやらかしたとはいえ、ここまでショートカットできるなんて思いもしなかった。
「お庭、またひろくなってるね! いつか、王宮までお庭がつながっちゃうかも?」
ミラはそんなことを言いながら、コスモスのつぼみを興味深そうに眺めている。
「ふふ、そうなったら楽しいでしょうね。アリーシャはやはり、こうやって庭の手入れをしている時が一番楽しそうですから。……花たちに、少し嫉妬してしまいますね」
「あの、ヴィヴ。さすがに花相手に嫉妬って……」
「おや、ご存じなかったんですか。僕、これでも結構嫉妬深いんですよ」
「お兄ちゃんね、花森屋敷のみんながうらやましいって、よくそう言ってたよ。ずっとお姉ちゃんと一緒にいられていいなって。まいにちまいにち」
「ミラ、それは内緒にしておいてくださいと頼んでおいたでしょう……」
「わーい、お兄ちゃんが照れてるー!!」
頬を赤く染めて恥じらうヴィヴ、その周りを跳ね回るミラ。馬車のところでは、ダニエルとエステルが笑顔でこちらを見ている。
やっと本当に、幸せな日常が戻ってきた。胸が熱くなるのを感じながら、そんなみんなを眺めていた。
それからはもう、みんなで大騒ぎだった。ポリーはヴィヴたちが戻ってくるのに合わせて、とびきりのおやつを用意していたのだ。
この屋敷の庭でとれた果物のジャムやコンポートをふんだんに使ったパイ、とれたての野菜とハーブをあえたサラダ。
お茶は庭で摘んだものだし、そこに入れる蜂蜜は、ブルースが庭で飼っている蜜蜂が集めてきたものだ。庭の恵みをふんだんに使ったおやつは、最高においしかった。
おやつを食べて、庭を散歩して、わいわいはしゃぎながら夕食にして。それからもずっとお喋りをして。
こんなに楽しいのは久しぶりだった。ヴィヴたちが来る前も結構充実していたけれど、やっぱりみんなそろってこその花森屋敷だ。そんなことを思いながら眠りにつく。
次の日も、やっぱり一日みんなで騒ぎまくって。ヴィヴと二人でゆっくり話す機会を持てたのは、さらに二日も後のことだった。
「……まるで、夢でも見ているみたいです……」
すっかり咲きそろったコスモス畑を前にして、ヴィヴはただ立ち尽くしていた。うっとりと、感嘆のため息をついて。
白、薄桃、赤紫。様々な色の繊細な花が風に揺れて、目もくらむほどに美しい桃色のグラデーションを見せている。吸い込まれてしまいそうなくらいに幻想的な、花のさざなみだ。
前世では、よくテレビの中で見た光景だ。でも実際に目にすると、ここまで迫力があるなんて。
……生まれて初めて見たコスモスの海。隣にいるのがヴィヴでよかった。そんなことを思いながら、そろそろと口を開く。
「あなたがこちらに来ると連絡を受けてから、大急ぎで準備したの。この光景を、あなたと一緒に見たくて」
「ありがとうございます……僕は世界一の幸せ者ですね」
ほうとため息をついて、ヴィヴが私を抱き寄せる。そのまま私の髪に頬ずりしてきた。
彼の求婚を受けて、それからあっという間に正式に婚約して。そうして、新たに知ったことがあった。
ヴィヴには意外と子供っぽい、というか甘ったれのところがあるのだ。ミラとちょっと似ている。たぶん、普段はミラを守らなくてはと気を張っているのだろう。
「幸せ者っていうなら、私もよ」
とはいえ、そんなヴィヴも可愛いなと思えてしまう。たぶん私、完璧にヴィヴに首ったけなんだと思う。
ハロルドに嫁がされたせいで、もう結婚なんてこりごり! って思っていたのに、ヴィヴに求婚された時はものすごく嬉しかったから。
私を抱きしめるヴィヴの腕に手をかけて、ぎゅっと引き寄せる。ああもう、幸せ。
そうやってコスモスに囲まれて、二人で寄り添っていた。どちらも何も言わなかったけれど、最高にふわふわした気分だった。
「ねえ、アリーシャ」
不意に、ヴィヴがつぶやく。内緒話でもしているような、かすかな声で。
「僕が作ったあの道に、花を植えてくれませんか」
「花? ええ、構わないけれど……どうして?」
やはりささやき声でそう尋ねると、ヴィヴは遠くを見つめるような目をした。
コスモス畑の向こうには色とりどりの庭が見えていて、その向こうには私たちの花森屋敷がちょこんと建っている。
「この庭に咲き乱れるたくさんの花々が、僕をここに導いてくれました。僕とあなたをつないでくれたのは、この花たちなんです」
「ふふ、そうね。庭造りが楽しくて、どんどん花を植えていたら、陽光草を探しているあなたの目に留まったのだったわ」
「はい。だからあの道にも花があるといいなと、そう思ったんです。王宮からこの屋敷まで、花に導かれてあなたのもとに向かう……子供じみているとは思うのですが」
はにかみながら目を伏せるヴィヴ。その表情を見ていたら、愛おしいという思いが込み上げてきた。いても立ってもいられないような、うずうずする気持ちも。
「子供じみてなんかいないわ。とっても素敵な思いつきよ。……あ、そうだわ。あの道が花でいっぱいになったら、一度白馬に乗ってここまで来て欲しいなって、そう思うのだけれど……」
こちらこそ、子供じみた思いつきだった。でも、最初から思っていた。ヴィヴは白馬の王子様みたいだと。実のところ、比喩でもなんでもなく王子様だったし、じきに王様になってしまうのだけれど。
「白馬ですか? ええ、もちろんですよ。それがあなたの望みなら」
「ありがとう。きっと、ううん、間違いなく素敵だわ。白い馬に乗って、花の中を駆けてくるあなた……」
「そしてあなたは、そんな僕を最高の笑みで出迎えてくれるのでしょうね」
そんなことをささやき合いながら、新しい道のほうに向き直る。どこまでもまっすぐなその道のずっとずっと向こうに、デンタリオンの王宮が小さく見えたような気がした。
花を植えて、庭を造る。それは前世の私のささやかな夢で、そして生まれ変わってからは趣味兼仕事のようなものだった。
そしてその庭造りを通して、この世で一番大切な人にめぐり合えた。
これからも、私は花を育て続ける。大切な人と、仲間と一緒に。そうしてこれからも、幸せに暮らし続ける。
ぴったりと寄り添ったヴィヴの温もりを全身で感じながら、心からの笑みを浮かべた。




