37.兄弟たちの雪解け
「隠し書庫……ですか?」
「ええ。専用の司書以外は、王と王太子しか立ち入れない場所です」
ヴィヴが王太子になってしばらく経って、ようやく王宮も落ち着いてきた。
ハロルドとノエルは遠くの牢獄に移されて、ユーリアンは王子から公爵に降格。オリヴィエは一応王子としての身分を残しつつ、今後は王の補佐として働くことになった。
オリヴィエはその厳格な性格から、ヴィヴとはちょっとそりが合わない。ただとにかく優秀なので、彼の力を借りられるのはありがたい。ヴィヴはそう開き直ったようだった。
ちなみにこの騒動において最初から最後まで蚊帳の外にいた第一王子は、特に国政に関与することもなくのんびり暮らしたいのだと宣言していた。今は近くの離宮で、悠々若隠居を決め込んでいる。
そうして一息ついた時、私たちは気がついた。もうすぐ夏至の日なんだなあ、と。
私はヴィヴに事情を打ち明けられてからずっと、陽光草を生やせないか毎日練習している。けれどやはり、情報が少なすぎて成功していなかった。
そもそも、陽光草とは夏至の日の日中にしか咲かない草なのだ。違う季節に生やそうとすること自体、難易度が上がる。
こうなったら夏至の日に、しっかりと準備をして挑戦したい。そのためにも、もうちょっと資料が欲しい。そう言ったら、ヴィヴが隠し書庫のことを教えてくれた。
「そこにならば、もしかすると陽光草の絵などもあるかもしれません」
それを聞いて、ふと気になった。その書庫って、王は自由に入れる。だったら娘であるミラのために、もっと色々調べてみようとは思わなかったのだろうか。
そんなことをほんのりぼやかしつつ尋ねてみたら、ヴィヴは切なげに微笑んだ。
「父も、ミラのことは気にかけてくれていました。ただ、彼女のために表立って動くと、今度は第一夫人や第二夫人が黙っていないので……」
前にエステルがこっそり教えてくれたけれど、今の王みたいに複数の夫人がいる場合、うちの一人が王妃に選ばれることもある。
ただ、選ばれないことのほうが多いらしい。うかつに誰かを選んだ結果、それこそ実力行使……暗殺合戦なんかになってしまうこともあるとかで。
だったら妻を一人だけにしておけばいいじゃないかと思うのだけれど、そこはまあ、政治的駆け引きとか、血筋を残すためとか、色々面倒極まりない事情があるらしい。
本当は今の王も、ヴィヴたちの母である第三夫人を王妃にしたかったのだそうだ。第一夫人と第二夫人が恐ろしすぎて中々言い出せずにいるうちに、第三夫人は病死してしまった訳だけれど。
ただそんな事情もあって、第一夫人と第二夫人はヴィヴとミラにきつく当たっていたのだそうだ。だからヴィヴたちは、ミラの薬を探すためという理由でさっさと王宮を飛び出したのだった。
「あ、けれど僕はあなた以外の方を妻にするつもりはこれっぽっちもありませんから! 僕の王妃は、あなただけです!!」
私の視線から考えていることを読み取ってしまったのだろう、ヴィヴがいつになく熱い口調と表情で弁解している。
しかし一呼吸おいて、ついむきになってしまったことに気づいたようだった。
「あっ、ええと、その」
彼はちょっと恥ずかしそうな顔で視線をそらすと、話を元に戻した。
「それはそうと、父が資料を探さなかったのにはもう一つ理由があって……その隠し書庫は、とにかく大きくて、とにかく本が多くて、そしてとにかく混沌としているのです」
「混沌?」
たかが書庫に、大げさじゃないかしら。そう思ったけれど、ヴィヴは真剣そのものの顔をしていた。
「はい。王宮の奥まったところにある隠し通路から入れるあの書庫は、まるで地中に根を伸ばす植物のように部屋同士の隙間に広がっているのです」
とすると、あれか。隣り合っている部屋と部屋の間にこっそり通路が作られていて、そこに本がしまわれている、と。普通の書庫とは、たぶんかなり違ったつくりなのだろうな。
「そして本棚だけでなく、いたるところに本が積み上げられていて……人一人が通るのもやっとのところがあちこちにあるのですよ」
「それは……部屋の形状を把握するだけでも大変でしょうね……」
「そうなんです。先日一度だけ、司書と共に足を踏み入れてみましたが……一人で入り込んだら、迷子になってしまうかもしれません」
混沌。そんな言葉が飛び出してきたことにようやく納得がいった。どうやらそこは、思っていた以上に恐ろしい場所らしい。
「しかも闇熱はとてもまれな病ということもあって、陽光草が特効薬であるということすらほとんど知られていないのです。僕たちは王宮を出て旅を続け、あちこちを回っているうちに、たまたま立ち寄った先でそのことを知りました」
そう説明して、ヴィヴがちょっと寂しげに、けれどどこかいたわりのようなものを感じさせる笑みを浮かべた。
「ずっと王宮にいる父には、あの書庫のどこで何を探せばいいのか、見当もつかなかったでしょうね」
そしてまたすっと顔を引き締め、言葉を続ける。
「今、司書にはそれらしい本を探してもらっているところです。大量に本が積み上がった書庫ですが、ある程度種類別にまとまってはいるようでして……植物、それも珍しい植物の絵が載った本に絞っています」
「……間に合いそうですか?」
ヴィヴは無言で首を横に振る。だったらもう一年、ミラは闇熱と闘わなくてはならないのだろうか。
悔しくて視線をそらした私に、ヴィヴはさらに声をかけてきた。
「このままでは間に合いません。だから、間に合わせようと思います」
二人並んで歩くのもやっとというくらいに狭い通路。窓はなく、床も壁も天井もごつごつとした石だ。長い年月の間にあちこちすり減り、くすんでいる。
そしてたくさんの本棚が、壁にはめ込むようにして作りつけられている。そこには、これでもかというくらいにぎっしりと本が詰め込まれていた。
「どうして、ぼくがこんなことを……」
すぐ隣の本棚の前で、ユーリアンがぶつぶつ言いながら本を確認している。
「協力ありがとうございます、ユーリアン様」
自分も古びた本を手にしたまま、彼に話しかける。彼はちょっと不服そうな顔で、こちらに向き直った
「確かにぼくは、父上に毒を盛った。あのハロルドという男のギフトのせいだということにはなっている。だがぼくがもっと心を強く持っていたら、王太子選びについて不満を抱えていなかったら、あんなものに引っかかりはしなかった」
気弱そうな声で、しかしためらいなく言い切っている。
「どんな理由があれど、ぼくが罪を犯したことに変わりはない。だからもう、王宮から出ていこう。そう決めた矢先に、まさか隠し書庫に連れ込まれるなんて……」
私たちは今、王宮の隠し書庫にいる。そこの角を曲がったところに、ヴィヴとオリヴィエ、それに司書と王もいる。
ミラのために、陽光草の手がかりを探したい。けれどヴィヴと司書だけではとても手が足りない。毒からは回復したものの相変わらずやる気の起きないぐだぐだ王を含めても三人だけ。
だったら、もっと多くの人間をここに入れてしまえばいい。それがヴィヴの出した単純明快な解決策だった。
前に青い蝶の群れで兵士たちをまとめて無力化してしまった時も思ったのだけれど、ヴィヴはおっとりしているようで、いざという時の思い切りはすごい。……結構、いい王様になるんじゃないかなって気がする。
とはいえ、この書庫はとにかく狭い。あんまり多くの人間を入れたら、逆に作業がはかどらなくなりかねない。
そんな訳で、この六人となった。元々ここに入る権限を有しているヴィヴと王、そして司書。加えて、私とオリヴィエとユーリアン。みんな書類仕事は得意だし、この面々なら今までのしきたりを大幅に変えなくても済む。
この話をした時、オリヴィエは思いっきりしかめ面になった。ユーリアンはあきれ返ったような顔をしていた。ミラのためだから、と必死に説得し倒して、ようやく承諾をもらったのだった。
隠し書庫については一番なじみのある司書の指示に従って、私たちは手分けして本棚をあさっていた。目標は、陽光草についてのより詳しい説明、あるいはスケッチなどの、見た目についての情報。
せっせと作業を続けていたら、ユーリアンがこちらを見ないまま、手を止めることなく言った。
「……こんなことをする義理なんて、ぼくにはないんだけどな。ミラは一応腹違いの妹ではあるけれど、あの子のために手を貸したなんて知れたら、母上がきっとへそを曲げてしまう」
ああ、やっぱり夫人たちのいさかいが、この兄弟たちの関係に影を落としているんだな。そう思ったとたん、彼の声が低くなる。
「そして、ミラはともかく、ヴィヴは……嫌いだ。ぼくやオリヴィエが母親の思惑を背負って生きることを余儀なくされたのに、あいつは自分の思うまま、自由に生きていた。うらやましくて、腹立たしかった」
あ、違った。個人的な引っ掛かりもあったんだ。
「だからぼくは、あいつに罪をなすりつけて追い出してやろうと思ったんだよ。そもそもオリヴィエが、あいつを呼び戻さなければよかったのに」
確かに、意外と思い切りがよくて思いのほか行動力のあるヴィヴは、どちらかというとうじうじした感じのユーリアンからするとうらやましくもあり、うっとうしくもあるだろう。
でも、まだ和解できる望みは残っているんじゃないかなって思う。根拠なんてないけれど。そう、私と兄サイラスとが和解できたみたいに。
何かきっかけがあればいいんじゃないかな。そう思っていたら、曲がり角の向こうから堅苦しい声がした。
「そういう訳にもいかないだろう。この国の未来を思うなら、ヴィヴには戻ってきてもらわなければならなかった。それこそ、多少手荒な手を使ってでも」
「オリヴィエ……どうしてなんだよ」
「母親という後ろ盾を失いながらも……それでもヴィヴは、ミラを守って懸命に生きていた。その生きざまに感銘を受けている者はたくさんいた」
やはり本を抱えたままのオリヴィエが、冷静に、しかし感心したような声で言う。
「……実のところ私は、きっとヴィヴが王太子に選ばれるのだろうと、そう思っていた。私はとかく恐れられがちだし、兄上はもとよりやる気がないし、ユーリアン、お前は未熟だからだ」
父王に毒を盛ったのは、己の未熟のなせること。ユーリアンも、自覚はあるのだろう。眉間にしわを寄せたまま、手にした本に視線を落としている。
「だがそれは、私たちが劣っているということを意味するものでもない。単に、向き不向きの問題だ。向いているところで力を発揮すればいい。足りないのなら、鍛錬を積めばいい」
「……オリヴィエはいいよな。ぼくには何もないから」
「何もないのなら、私が鍛えてやる。余計なことなど考える暇などなくなるくらいに。そうしてヴィヴが治めるこの国を、陰から支えていけばいい」
「あいつを支えるのか……複雑な気分だ」
やっぱりちょっと後ろ向きのユーリアンと、合理的かつ前向きなオリヴィエ。この二人も腹違いの兄弟に当たる訳だけれど、案外気は合っているのかもしれない。
「そう言うな。あれであいつは、中々にいい王になるかもしれない」
オリヴィエがそう言った時、曲がり角の向こうから照れ臭そうな声がした。
「あの、そう褒められると、僕としてはどうにも気恥ずかしいんですが……」
オリヴィエの後ろからヴィヴがそろそろと顔を出し、こちらに近づいてきた。ユーリアンがあわてた様子でぷいと横を向く。
しかしヴィヴが、足元にあった本の山に蹴つまづいた。その拍子に、すぐ前にいるオリヴィエを巻き込んで倒れていく。
そして、とっさに手を出した私も、その私に手を貸そうとしたユーリアンも、そのまま一緒くたになって転んでしまった。
床にあった本の山がクッション代わりになってくれたからそこまで痛くはなかったけれど、こんなところの床に四人も転がっているなんて、ちょっと間抜けかも。
「す、すみません……」
ヴィヴが恐縮したその時、本棚の上のほうから何か落ちてきて、私たち四人のちょうど真ん中の床に着地した。今の振動が引き金になったのだろう。
それは、とびきり古い本だった。たまたまぱたんと開かれたページに、全員の目が吸い寄せられる。
「あら、これってもしかして……」
床の本を見つめたまま、じっと黙り込む。後ろのほうから、王と司書のものらしき足音が近づいてきていた。
『夏至の朝に芽生え、夕に枯れる花。陽光草と呼ばれることもある』
そんな説明文と共に描かれていた美しい花の絵から、それでも目を離せなかった。




