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32.怒れる青い蝶

「えっ、ヴィヴ!? どうしてこんなところに」


 鉄格子にしがみついたまま、その向こうに立つヴィヴをじっと見つめる。


「あの、あなたこそどうしてここへ……」


 呆然としながらそう答えたヴィヴの視線が、下に向けられる。


 両手を前に伸ばして見えない壁を維持しているステイシー、そのすぐ後ろで抱き合っているポリーとミラ、そんな三人を遠巻きに囲んでいる兵士たち。


「まさか、兵士たちに追われているのですか……?」


「ええ。私が陛下に毒を盛ったって、そんな疑いがかけられているみたいで……ごめんなさい、あなたの忠告を無駄にしてしまって」


 そう答えると、ヴィヴがさっと顔を引き締めた。その視線が、下にいる兵士たちに注がれる。


「あれは、オリヴィエの私兵……おかしいですね」


「そうなの?」


「ええ。王の身に危害を加えた犯人を捕らえるのであれば、私兵ではなく王宮の兵が差し向けられます」


 そうつぶやいているヴィヴの横顔は、今までに見たことがないくらいに険しいものになっていた。


 普段は柔和な彼がそんな表情をすると、はっと息を呑むほど美しかった。……って、こんな時に何を考えているのか、私。


「王宮の兵を出せない、つまりあなたが犯人だという決定的な証拠がない。けれどあなたを疑っているオリヴィエは、とうとう強硬手段に出た。そういうことでしょう」


 ヴィヴがゆっくりと息を吸い、恐ろしいほど静かな声でつぶやく。


「許せません」


 次の瞬間、彼の体から青い蝶がふわりと湧き出てきた。それも、同時に何匹も。ううん、まだまだ湧いてくる。すごい、蝶の群れだ。


 青い蝶たちは鉄格子をくぐり抜けて、外へと飛び立っていく。紫の藤の花をかすめるようにして、ひらりひらりと優雅に舞い降りていった。


 誰も、身動きできなかった。何も言えなかった。それほどに、幽玄な光景だった。かすかな風に揺れる藤の花、その中を舞う青い蝶。


 みんなが見つめる中、蝶たちは兵士たちの上にふわりと着地した。


 とたん、兵士たちが地面にぺたんと座り込んでしまう。彼らは一様に、ぼうっとした目で宙を見つめていた。まるで、魂を抜かれたかのように。


 さっきまで騒然としていた下は、もうすっかり静かになっていた。


 疲れ果てたのかぺたんと座り込むステイシーを、ポリーとミラが支えている。向こうのほうから、ブルースとエステルが駆け寄ってくるのが見えた。ああ、もう大丈夫だ。ヴィヴのおかげだ。


「ヴィヴの蝶に、あんな力があったなんて……」


 ほっと息を吐きながらしながらヴィヴのほうを見ると、彼は苦しげに胸を押さえて膝をついていた。


「どうしたの、ヴィヴ!」


「……すみません。少し、疲れただけです。本気を出せば、あの青い蝶に触れた者を惑わせることができる、それは知っていたのですが……さすがにこれだけの数を一度に操ったのは、初めてなので……」


 彼の顔色は青白く、呼吸は荒い。疲れただけにはとても見えない。


「ま、待っていて、今そちらに行くから!!」


 あわててそう言って、辺りを見渡す。すぐ近くに渡り廊下があるから、あそこに移ればヴィヴの部屋の前に行けそうだ。


 足元の石から、もう一度藤のツルを生やす。ちゃんとした地面じゃないからすぐに枯れてしまうけれど、私が移動する間だけもってくれればそれでいい。


 無我夢中で渡り廊下に飛び移り、そのまま走る。ヴィヴの部屋の前には見張りの兵士がいたけれど、石の床から藤のツルを何本も生やしてぐるぐる巻きにしてやった。


 案の定ツルはすぐに枯れてしまったけれど、それでもちょっとしたロープよりはしっかりしている。これをほどいて自由になるのは難しいだろう。


「ぐむ、うむむむむ!」


 口までツルにふさがれた兵士が何かもごもご言っている。たぶん抗議しているのだろう。けれど、ひとまず無視する。鼻はふさいでないから呼吸はできるし、今はとにかくヴィヴの無事を確かめなくては。


 兵士の体を探り、部屋の鍵をぶんどる。震える手で、扉を開けた。


「ヴィヴ!」


「ああ……アリーシャ」


 こぢんまりとした、でも豪華な部屋。そこのソファにヴィヴが腰かけていた。さっきよりも少し顔色は良くなっているけれど、額にうっすらと汗が浮いていた。


 彼のそばにひざまずき、近くで顔を見上げる。すると彼は嬉しそうに微笑み、そのまま私をぎゅっと抱きしめてしまった。えっ、わっ、何。


「あなたが無事でよかった……オリヴィエがあなたを狙っているのだと気づいてから、ずっと気が気ではなくて……彼は目的のためなら手段を選びませんから」


 ものすごく近くで、ヴィヴの声がする。こんなところでのんびりしている暇はない、彼を連れてさっさと逃げるべきだって分かっているのに、体が動かない。うう、どきどきする。


「彼は偶然あなたのギフトを目にして、それからずっとあなたを警戒していたようなのです。そんな時にあの事件が起こって、彼はあなたが犯人だろうと判断した」


 その言葉に、ちょっとだけ冷静さが戻ってくる。


 裏庭で陽光草の練習をしてたの、やっぱりオリヴィエに見られてたのか。で、私が毒草を生やせる可能性に思い至ってしまった、と。


 でもそれで犯人扱いって、ひどくない? 隣国の元貴族なんて、うさんくさいのは認めるけれど。王子に取り入ったとか、思われても仕方ないけど。


「そこにもってきて、僕が父の暗殺をあなたに命じたという、そんな根も葉もない噂がオリヴィエの耳に入ってしまって……」


 根も葉もない噂でヴィヴを監禁するなんて、めちゃくちゃだ。もしかすると、オリヴィエは父親に毒が盛られたことで取り乱していたのだろうか。だとすると、人は見かけによらない。


「こんなことになったのも、全て僕のせいですね。王太子の座は譲るとオリヴィエにはっきり言って、すぐにこの王宮を去っていればよかったんです」


 ヴィヴの腕に力がこもる。温かい。あと、なんかいい匂いがする。あ、またどきどきしてきた。


「……僕は、デンタリオンの王族としての地位を捨てようと思います。こんな目にあうのなら、大切な人たちを苦しめてしまうのなら、もうそんなものはいりません」


 なんだかとんでもないことを言っているような気がするけれど、頭がふわふわしていてそれどころではない。


「アリーシャ、折り入ってあなたにお願いがあります」


 優しく甘く、彼の声が耳をくすぐる。


「どうか僕を、あなたのもとに置いてくれませんか。あなたが許してくれるのなら、僕はいつまでもあなたのそばにいたい」


「はっ、はいいっ!!」


 これではまるでプロポーズだ。うっかりそんなことを考えてしまって、盛大に声が裏返る。ああもう、我ながら恥ずかしい。


 けれどヴィヴは全く気にしていないようで、ゆっくりと立ち上がると私に手を差し伸べた。


「それでは、行きましょうか。無理やりにでもオリヴィエに会って、そしてこの茶番を終わりにしましょう」


「あの、でも、陛下に毒がどうとか、そういったことは……」


「僕たちには関係ありません。そうでしょう?」


 あ、開き直ってる。というか、ちょっと怒ってる? そういえばさっき蝶を出した時も怒っていたような。普段は穏やかな人ほど怒らせると怖いって、本当なのかも。


 晴れやかに笑うヴィヴに手を引かれて、部屋の出口に向かう。と、廊下が騒がしくなった。がちゃがちゃという音が聞こえるから、あれって兵士……よね。


「いたぞ、逃がすな!」


 と叫んだ先頭の兵士が、ヴィヴの放った蝶に当たってへたり込む。


「ヴィヴ、ギフトを使っても大丈夫なのですか?」


「さすがに、先ほどのように蝶をたくさん出すことはできませんが、一匹ずつなら問題ありませんよ」


 穏やかな微笑が逆に怖い。ううん、それよりも、彼にこれ以上無理をさせたくない。


 一歩進み出て、ギフトを使って、と。


「ぐわああああ!!」


「な、何だこれは!!」


 狭い廊下に、兵士たちの叫び声がこだまする。私が生やした藤のツルでぐるぐる巻きになった彼らの顔には、恐怖がありありと浮かんでいた。


 そうしてヴィヴと二人で、次々と兵士を行動不能に追い込んでいく。


「見事なものですね。こんな使い方もあったのですか」


「石の床に生やすと、すぐに枯れてしまうの。でも木質のツルはそのまま残るから、兵士を縛り上げるにはちょうどいいのよ」


 和やかにそんなことを話しながら、少しずつ廊下を進んでいく。兵士たちを踏んづけないように気をつけつつ。


 やがて、廊下の向こうから誰か走ってきた。ポリーを背負ったブルースと、ミラの手を引いたステイシー。


「よかった……無事に、合流できた……」


 ほっとしたら、ふらりとよろめいてしまった。そんな私を、ヴィヴがしっかりと抱き留めてくれる。


 ミラとステイシーが、歓声を上げながら抱き着いてくる。そうしてそのまま、互いの無事を喜び合った。胸の中には、ただ喜びだけが満ちていた。


 廊下には相変わらず兵士たちのうめき声が満ちていたけれど、ちっとも気にならなかった。

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『捨てられ令嬢は田舎で新たな家族と夢をかなえることにします!』
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