31.訳も分からず逃げていく
私たちが集まっていた部屋に、いきなりなだれ込んできた兵士たち。彼らと私たちとの間に、ブルースとエステルが立ちはだかった。
「おい、お前たち! 邪魔をするな!」
しかし兵士たちの視線は二人をすり抜けて、ただ私だけに注がれている。えっ、何、どういうこと。
「隣国の元貴族、アリーシャ。様々な毒草を使いこなすという女」
隊長らしき兵士が、突然声を張り上げた。訳の分からない内容に、理解が一瞬遅れる。その隙をつくようにして、彼はさらに語った。
「ヴィヴ様に取り入り、この王宮までやってきた」
えっと、私が毒草使いで……って、ちょっと待って!?
「そうしてお前は、我がデンタリオンの国王陛下に害をなそうとした。それに相違ないな」
「えっ!?」
どんどんとんでもないことになってしまう主張にびっくりして、間の抜けた声が出てしまう。隊長がしかめ面をして、こちらをにらみつけた。
たじろぎそうになるのをぐっとこらえて、必死に言い返した。たぶん、今言っておかないと反論し損ねる気がする。
「私は確かにハーブには詳しいけれど……毒草を使いこなせはしないし、こちらの陛下に毒を盛ったりもしていないわ」
本当のところ、毒草についての知識はちょっぴり持っている。スズランとかスイセンとか、他にも色々。
けれどそれを言ってしまったらさらに話がややこしくなるので、黙っておくことにした。
「それに、ヴィヴに取り入ってもいないわ。彼は私の大切な……友人だから」
友人、と言おうとした時にちょっと引っかかるものを感じたけれど、今はそれどころではないのでいったん横に置いておく。
「口だけなら何とでも言えるだろう。我らはお前を捕縛するよう命を受けている。みな、かかれ!」
隊長は聞く耳持たないといった顔で、そんな号令をかけている。兵士たちがこちらに殺到してきて……あれ?
「お逃げください、アリーシャ様!」
突進してきた兵士たちに、エステルが華麗な回し蹴りを叩き込む。兵士たちが、まとめて吹っ飛んだ。
そういえば彼女とダニエルは、二人とも護身術を身につけているのだと聞いた覚えが。でも、思ってたのより数倍は強いんですが。
「ここは私が食い止めます、早くダニエルと合流を! ミラ様、みなさまをあの場所に案内してください!」
「んー、ご主人様を逃がすんだったら、俺も手伝うぞお」
ブルースが丸太のような腕を見せつけるようにして、兵士たちのほうに進み出る。どうやら二人は、私が逃げるための時間を作ろうとしてくれているらしい。
でも、二人を置いて逃げるなんて。立ち尽くしていたら、ポリーのおっとりとした声が聞こえてきた。
「アリーシャさん、あなたがお優しいのは、私たちはみいんな知っていますよ。だからこそ、あなたを守るために体を張っているんです。ここであなたが捕まったら、あの二人は戦い損ですよ」
振り返ると、ステイシーが逃げる準備を整えてくれていた。窓の下に机を置いて、ミラでも楽に窓から出られるようにしてくれている。
「お姉様! こっちです!」
「道はミラがあんないできるの」
ポリー、ステイシー、そしてミラが窓辺に集まり、私を呼んでいる。振り返ると、兵士たちと激しくやり合っているエステルとブルースの姿が見えた。
「俺たちも後から追いかけるから、先に行ってくれよお」
「私もブルースさんも、この程度の兵士に後れを取りはしません」
そんな言葉に背中を押されるようにして、窓に駆け寄った。記憶の図鑑が入った小さなリュックだけを手にして。
また、後でね。エステルとブルースにそう呼びかけて、窓枠を乗り越えた。
そうして窓から外に出た私たちは、王宮の中を右へ左へ駆けまわっていた。私がミラを、ステイシーがポリーを背負って、ミラの指示に従って。
ミラによれば、私たちが王宮から脱出しなくてはならないような事態が発生した時に備えて、脱出の手順を考えていたのだそうだ。
今ダニエルが、王宮の裏手にある小さな門に馬車を回してくれている。私たちは、そこに合流すればいいらしい。
一生懸命に走りながら、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。
「ミラちゃん、エステルなのだけれど……とても強いわね」
「うん。エステルとダニエルは、『王家をかげながらささえるいちぞく』なんだって。だから二人とも、ふつうの兵士さんよりずっと強いよ」
「……ああ、そういうことだったのね……」
あの二人はヴィヴとミラの従者兼護衛、あとたぶん隠密だ。今までの二人の動きを思い出してみたら、何となくそんな気がした。
でもそれなら、エステルとブルースはちゃんと兵士を片付けて、追いかけてきてくれるかもしれない。
ちょっとだけ軽くなった足取りで、さらに走り続ける。と、前のほうからがちゃんがちゃんという音が近づいてきた。しまった、兵士が近づいている。
「いたぞ!」
「こっちだ!」
私とステイシーは背負っていたミラとポリーを地面に下ろし、壁を背にした。ミラとポリーを、背中でかばうようにして。
そうこうしていたら、後ろから追いかけてきていた足音がすぐそばまでやってきた。まずい、囲まれる。
「……彼らの狙いは、たぶん私だけだと思うの。どうしようもなくなったら、あちらに投降するわ」
「だめなの!」
「駄目です、お姉様!」
「早まらないでくださいね。じきに、ブルースたちが来てくれますから」
みんなが一斉にそう言って、私の腕に触れてくる。その温もりに励まされながら、さらに逃げていく。
けれどついに、私たちは囲まれてしまった。足元には砂利道、背後には建物の壁。
「ポリー、あなたのギフトでどうにかならない?」
「それが、ここには燃えるものがありませんからねえ。火種は持っているんですけれど、ここではその火を広げようがなくて。まさか、兵士さんを燃やす訳にもいきませんしね」
ちらりと物騒なことをつぶやいたポリーからそっと視線をそらして、考える。
となると、私のギフトは……ずらりと木を生やす? そんなことをしている間に捕まってしまう。
ブルースとエステルが追いついてきてくれれば、あるいは。……いいえ、あの二人だけでこの人数をどうにかできるとも思わない。兵士が多すぎる。
どうしよう。詰んだかも。
「……お、お姉様に手を出さないでください!!」
あきらめかけたその時、ステイシーの裏返った声が響き渡った。彼女は私と兵士たちの間に割って入って、両手を大きく広げている。私を守ろうとするかのように。
「ステイシー、下がって!」
「下がりません! この人たちの目的は、お姉様なんですから!」
そう叫んだステイシーが、ぶるりと身を震わせる。突然のことにきょとんとしている兵士たちに向かって、彼女はさらに声を張り上げた。
「……お姉様をいじめる人たちなんて、あっちにいってください!!」
次の瞬間、私は自分の目を疑うことになった。
まるでステイシーの叫び声に押し出されたかのように、兵士たちがばたばたと後ろに倒れたのだ。密集していたせいかまともに受け身も取れずに、彼らは将棋倒しになっている。
「……あれ、これって……わたし、が?」
「おやまあステイシー、これはあなたのギフト? 目覚めたばかりなのねえ」
後ろから、ポリーののんびりした声がする。確かにギフトなら、こういう妙なことが起こってもおかしくはないけれど。
それでもまだ混乱していると、一人また一人と兵士が立ち上がり、こちらに向かってくる。けれど彼らの足は、まるで見えない壁でもあるかのようにぴたりと止まってしまった。
そこに次の兵士が突進してくるものだから、もうぎゅうぎゅうだ。満員電車の壁がシースルーになったら、こんな光景が見られるのかな。
「くそっ、ギフト持ちか!」
「なあに、そう長くはもたないだろう。こうなったら持久戦だな」
兵士たちはなおも見えない壁にはばまれつつも、どこか余裕だった。それもそうだろう。ステイシーはいつまでもこの壁を出しておける訳ではないのだから。
ギフトは無尽蔵に使えるものではない。使うと、多少なりとも疲労するから。特に、ギフトを使いこなせていないうちはなおさら。
「大丈夫、ステイシー!?」
「はい……大丈夫、です……」
少しも大丈夫ではなさそうな顔で、ステイシーが答える。ギフトに目覚めたばかりの彼女は、あの見えない壁を保つために必死に集中しなければならないようだった。
彼女が疲れ切ってしまう前に、どうにかしなくては。どうにかして、兵士を動かさなくては。
兵士たちの狙いは私だ。だったら私がおとりになって、ここを離れれば。一人でうまく逃げ続ければ。
そうしていれば兵士たちを分散させられるかもしれないし、そのうちブルースたちが助けに来てくれるかもしれない。よし、その可能性にかけてみよう。
となると、逃げ場を探す必要があるのだけれど……周りはぐるりと兵士に囲まれてしまっているから、ちょっとそっちは難しい。だったら、上……かな。
背後の建物を見上げる。三階建てのその建物は、屋根が平らになっていた。その平らな屋根は隣の渡り廊下の屋根、さらに隣の建物の屋根へ、滑らかにつながっている。
どうにかして、あそこまで登れないだろうか。建物の外壁にはあちこちでっぱりがあるから、屋根まで登れる……かもしれない。
でも想像しただけで怖い。失敗したら死ぬかもしれないし。そもそもロッククライミングの経験なんてないし。
あ、待って。三階まで、全部自力で登らなくても済むかもしれない。
ちょっとだけためらって、兵士たちに背を向ける。建物のすぐそばで、こっそりとギフトを使った。
地面からするりと生える、数本の太いツル。互いによりあわさるようにして伸びていくそのツルに、しっかりとつかまった。
ふわりと足が浮き上がる。兵士たちがざわめいている。けれどそんなことを気にしている余裕すらない。全力でツルにしがみつき、ギフトを使い続ける。
私のギフトは、植物を生やし、育てることができる。ただし、花が咲くところまで。
「お願い、まだ咲かないで……」
そう祈りながら、どんどん伸びていくツルの先を見つめる。ツルは次第に太くなり、豊かに葉を茂らせて、あ、つぼみができた。
目の前が、優しい色に包まれる。淡い紫と濃い紫の雲。藤の花だ。
「さすがに、屋根まではたどり着けなかったわね……」
私は、二階の高さにいた。すぐそばには小さなバルコニー、しかしなぜか美しい装飾が施された鉄格子で囲まれている。まるで鳥かごだと、そんなことを思った。
バルコニーの外側に、腰くらいは下ろせそうな広さのでっぱりがある。そろそろとそこに足を乗せ、鉄格子につかまる。ちょっとだけここで休んで、それから壁を登ろう。
「……アリーシャ?」
その時、バルコニーの扉が開いた。そうして現れた人影、春空の色の目を見張って私を見つめたその人は、ヴィヴだった。




