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30.種は芽吹いて

「アリーシャ様、大変です!!」


 いつものように王宮の一室でくつろいでいた私たちのところに、血相を変えたエステルが駆け込んできた。


 彼女にしては珍しいその様子に、何かただならぬことが起こったのはすぐに理解できた。


「ヴィヴ様が、捕らわれました!!」


 しかし彼女が告げた言葉は、予想を遥かに上回るものだった。




 静まり返ってしまった部屋に、ミラの小さな声が弱々しく響く。


「……お兄ちゃん、が……?」


 真っ青になったミラを抱き寄せると、彼女は私の腰にぎゅっとすがりついてきた。


「その、何があったのか、説明してもらえるかしら……」


 呆然としながらそう尋ねると、エステルは静かに語り出した。気のせいか、彼女の声もかすかに震えているような気がする。


 なんと昨晩、王に毒が盛られたのだそうだ。ちょっと体調を崩す程度の弱い毒ではあったけれど、当然ながらそんなことをした人間を野放しにしておく訳にはいかない。


 そうしてオリヴィエが調査に乗り出した。彼は人の出入りや毒の種類を調べ、こう結論づけた。王に毒を盛ったのは、ヴィヴの手の者なのだと。


「どうしてそんな結論になるの!? ヴィヴは誰かを傷つけるような人じゃないわ!」


 思わず声を張り上げてしまった。しがみついたままのミラがびくりと体を震わせている。


「それについては、まだはっきりとは分かっておりません」


 そんな言葉と共に、ダニエルがエステルの後ろからすっと姿を現した。いつも落ち着いたその顔に、焦りの影がにじんでいる。


「私とエステルで、調査を進めてまいります。アリーシャ様、ミラ様、そしてみなさま。どうぞこの一角から出ることなく、お待ちください」


「ダニエル、私たちにできることはないの?」


「アリーシャ様、ヴィヴ様はあなた方の無事を何よりも望んでおられるはずです」


 私の問いに答えたのは、エステルだった。無事ってどういうことなの、と尋ねようとしたけれど、言葉が出なかった。まっすぐにこちらを見つめる彼女の、その目の強い光に気おされて。


「……今回の件、何者かがヴィヴ様を陥れた可能性を否定できません。もしかするとその者たちは、次にあなた方を狙うかもしれません」


「本当は、怖がらせるようなことを申し上げたくはなかったのですが……」


 そして彼女の言葉を、ダニエルが引き取った。


「用心しておくに越したことはありません。この一角であれば、近づく者も限られています。……ブルースさん、みなさまをよろしくお願いいたします」


「おう、任されたぞお」


 背後から、ブルースの声がする。この緊迫した空気の中、彼の朗らかな声はひどく場違いであり、けれどそれがありがたくもあった。




 そうして、ダニエルとエステルはまた出ていってしまった。残された私たちはめいめい腰を下ろし、二人の帰りを待つ。


 自然と、口数が少なくなっていた。ただ待っているだけというのももどかしいけれど、下手に動いてはいけないことも分かる。


 どうしてヴィヴにそんな疑いがかかってしまったのだろう。そんなことを、黙ったまま考え込む。


 ヴィヴが誰かに陥れられた可能性もあると、ダニエルとエステルはそう言っていた。


 それは誰なのだろう。ヴィヴが邪魔になった誰か? オリヴィエに王太子になってもらいたい誰か?


 でも、ヴィヴは王太子になどなりたくないと、そう公言しているのに。彼はただミラを健康にして、そして兄妹仲良く暮らしていきたいと、そう望んでいるだけなのに。


 考えても考えても、何一つ答えが出ない。


 ひたすらに気の滅入る時間は、とてもゆっくりと過ぎているように思えた。そのまま何の進展もなく数日が過ぎて。


 そんなある日、エステルが私たちのいる部屋を訪ねてきた。その手には、一枚の布ナプキン。


「こちら、見ていただけないでしょうか。囚われのヴィヴ様が食事の際に使われたものなのです。この辺りが汚れているのですが……何か、意図的なものを感じるのです。まるで文字のような……」


 彼女が指さしたところには、ワインのものらしき赤い染み。よくよく見ると、その中にうっすらと白い線のようなものが浮かび上がっていた。


「これ、たぶん文字だわ……」


 それは、間違いなくカタカナだった。『アリーシャ』と読める。


 かつて記憶の図鑑を見たヴィヴは、日本語を覚えてみたいと言い出した。そして私は、彼に日本語の読み書きを教えていた。


 だからこの文字を読めるのは、おそらくこの世界では私とヴィヴの二人だけ。


 彼はきっと、蝋燭のかけらをそっとくすねてナプキンに文字を書き、その上にワインをこぼしたのだろう。


 ダニエルとエステルが必死に情報を集めていることを確信して。どうにかして、私にこの言葉が届くように願って。


 けれど私の名前を書いて、何を伝えようとしたのだろう。


 ナプキンに顔を寄せてじっと見つめ続けていたその時、あることに気がついた。ワインの染みの端のほうに、まだ線が見える。


 部屋の片隅のテーブルから、ワインの瓶を取ってくる。そしてその中身を、そっとナプキンに注いでみた。


 赤いワインがナプキンに吸い込まれ、さらにたくさんの文字が浮かび上がってきた。みんなの視線を受けながら、そろそろと読み上げていく。


『オリヴィエノ ネライ アリーシャデス ニゲテ』


「……私……?」


 ヴィヴからの伝言は受け取った。でもその結果、さらに訳が分からなくなってしまった。


 ぽかんとしたまま、ナプキンを見つめる。ほぼ全面に染みの広がったそこには、それ以上文字は浮かび上がってこなかった。


 オリヴィエが私を狙っているから逃げろ。ヴィヴはそう言いたいらしい。でもどうして。私はただのヴィヴの客人でしかないのに。


 そこまで考えたところで、ふと思い出した。そういえば先日、城の裏庭でオリヴィエに出くわした。でもたったそれだけのことで、こんなことになるだろうか。


「あの、ヴィヴ様はアリーシャお姉様に逃げるようおっしゃってるんですよね……」


 考え込む私に、そろそろとステイシーが声をかけてくる。


「だったら、いったん逃げたほうがいいと思います……その、ヴィヴ様のことは気になりますけど……」


「でも、彼を置いていくなんて……それに、ミラちゃんはどうするの?」


 とっさにそう答えたら、ミラが私のそばにやってきて手をつかんだ。


「ミラはお姉ちゃんについていく。お兄ちゃんは王子だから、つかまっていてもひどい目にはあわないの。でもお姉ちゃんは、隣の国の、元貴族の人だから……だから、にげよう。お兄ちゃんの言う通りに」


 彼女は普段と同じ幼い口調で話していたけれど、その表情は真剣そのものだった。


 いつも無邪気で愛らしい彼女は、それでもやはり王族なのだ。そのことを思い知らせてくるような、そんな表情だった。


 そして彼女は今、ここを離れろと言っている。ヴィヴと同じように。


 何がどうなっているのか、何一つとして分からない。ただ一つだけはっきりしているのは、今ここに留まらないほうがいいだろうということ。


 状況について考えるなら、ヴィヴを待つだけなら、他の場所でもできる。


 そう自分に言い聞かせて、無理やり決断する。


「……分かったわ。ひとまず、ここを離れましょう。エステル、どこに逃れればいいのかあてはあるのかしら?」


 私の答えに、エステルが明らかにほっとした顔になった。口を挟みこそしなかったけれど、彼女も私に逃げて欲しかったのだろう。


「はい。ダニエルが手はずを整えております。ひとまず、身一つでお逃げください。荷物については折を見て、私たちが回収いたしますので」


 そう言うと彼女は、すっと入り口の扉に向き直る。と、彼女の顔がこわばった。扉の向こうを見透かすような目をして立ちすくんでいる。


「どうしたの、エステル……?」


 返事はなかった。けれど理由は、すぐに分かった。


 荒々しく扉が開き、そこから兵士たちがなだれ込んできたのだ。

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『捨てられ令嬢は田舎で新たな家族と夢をかなえることにします!』
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