3.長年の夢が、今ここに
そうして、次の朝。私は一人、庭に立っていた。
もっとも庭といっても、かなり昔に植えられたらしい古木がぽつぽつ生えているだけの殺風景な場所だ。
手が空いた時にブルースが面倒を見てくれてはいるものの、彼は本職の庭師ではないので、掃除や草取り、枝打ちなどの最低限の作業しかできないらしい。
昨日、この屋敷を見て。周囲の草原と、この何もない庭を見て。どうしてもやってみたいことがあったのだ。
「ふふ、いじりがいのある庭よね……外の草原も、いざとなったら使えそうだし」
そんなことをつぶやいて、大きな鉢に近づく。子供くらいならすっぽり入れそうなその鉢には土がたっぷりと入れられているけれど、何も植えられていない。
少し乾いた土に手を当てて、意識を集中する。頭の中でイメージを固めて、それを手元に投影していく。
手の下で、何かがもぞりと動いた。手をどかすと、細い葉の小さな草が生えていた。手をかざし、さらに意識を集中し続ける。
草はどんどん育っていき、細く固い茎を伸ばしていく。やがて茎の先に、小さな紫の粒がびっしりと生えてくる。つぼみだ。
つぼみはほころんで、落ち着いた紫色の花を咲かせた。ラベンダーの花だ。
「よし、大成功ね……ふふ、いい香り」
花に顔を寄せると、すっと落ち着くような優しい香りが押し寄せてきた。
何もないところに、突然生えたラベンダー。これが、アリーシャとして生まれ変わった私が持っている特殊な力なのだ。
この世界の人間は、みんな一つだけ不思議な力を秘めて生まれる。『ギフト』と呼ばれるその力は、いつ目覚めるのかは分からない。そしてどんな力なのかということも、使ってみるまで分からない。
私のギフトは『思うままに植物を生やせる力』だった。意識を集中して、生やしたい植物をイメージする。するとこのように、植物が生えてくる。
どのくらい育てるのかについても、好きに決められる。小さい芽のまま止めておいて、あとは自然に育つのを待ってもいいし、一気に花が咲くまで育ててしまってもいい。
もっとも、制約も多い。イメージがうまくいかないと妙な物体が生えてきて、だいたいはすぐにそのまま枯れる。また、土以外の場所に生やしたり、季節外れのものを生やしたりしても、やっぱりじきに枯れる。
さらに花が咲いてしまったら、もうそれ以上私のギフトでは育てられない。そんな制約もあるのだ。
子供の頃にこのギフトに目覚めてから、私はこのことをずっとひた隠しにしていた。
母を亡くしてからは、もう誰も信用できなかったから。このギフトの存在を知られて、利用されたら大変だ、ずっとそう警戒していたのだ。
けれどもう、私は自由だ。なので、昔からの……前世からの夢をかなえることにする。
前世の私は、仕事人間だった。好きでそうなった訳ではない。頑張って頑張って頑張っていたら、自然とそうなってしまっていたのだ。
でも本当は、ガーデニングに興味があった。いつか庭のある家に引っ越して、四季折々の花で庭を埋め尽くしてみたかった。ガーデニングの雑誌を読みながら、未来の我が家を夢想していた。
でも、マンション暮らしの私には遠い夢だった。せめてこれくらいはと、ベランダに時折鉢植えを置いてみた。
でも忙し過ぎて、全部枯らしてしまった。環境が合わなかったのかもしれない。やがて、前世の私は花を育てることをあきらめた。
しかし今私の前には、手つかずの庭が広がっている。植物を生やせるギフトもある。ポリーたちは今のところ、信用してもいいと思う。
ああ、なんて素晴らしい状況なのだろう。神様、感謝します。風にそよぐラベンダーを見ていたら、ちょっと涙が出てきた。嬉しすぎて泣けてきたのだ。
ぐいと目元をぬぐって、今度はすぐ隣の花壇に植物を生やしていくことにする。ガーデニング雑誌で読んだ、数々の素敵な庭を思い出しながら。
「まず、背の低い木を一番奥に……そうね、オリーブなんてどうかしら……」
オリーブの木を数本、間を空けて生やす。複数本まとめて植えると、実のつきがよくなるって聞いた。……庭で採れたオリーブをピクルスにしてサラダに入れたら、素敵だろうな。
それからその手前に、ローズマリーの茂みを。手で触れるだけでふわんといい香りがするし、小さな青い花がとっても可愛い。鶏肉料理との相性も抜群だ。
そこまで植えたところで、ふと思いつく。ここ、キッチンガーデンにしてみようかな。食べられるものばかりをまとめて植えた、見た目と実用性を兼ね備えた花壇。
もさもさとしたパセリ、細いネギそっくりで、でもずっと香りがマイルドなチャイブ。ゴマみたいな癖のある香りがして、ハムやチーズにもよく合うルッコラ。
なんだか全体に緑色になってしまったので、彩りを添えるためにナスタチウムを追加。丸くて可愛い葉っぱも、黄色や赤の大きな花も、そのままサラダに入れて食べられる。
うん、キッチンガーデン、いい感じに完成。
「初めて……にしては、いい感じかも!」
わざと隙間を開けて植えたので、今はまだすかすかしている。でもそれぞれの植物が育っていけば、いずれいい感じにまとまってくれるだろう。
「おお、見事だなあ」
そんな声に振り向くと、少し離れたところに大きなほうきを持ったブルースがいた。どうやら、掃除に来たらしい。彼はキッチンガーデンに近づいて、かがみ込んでまじまじと見ている。
「この花、もしかしてご主人様のギフトで植えたのかあ?」
「ええ、そうよ。でもできれば、ギフトのことを公にしたくはないの。内緒にしておいてくれる?」
そっと頼み込むと、ブルースはきょとんと目を見張った。
「どうしてこんなに素敵なギフトを、隠してしまうんだあ?」
「そうね、今まで色々あったし……この力を悪用されたくはないから」
「ああ、そうかもなあ。よくは知らねえけど、ご主人様も今まで大変だったんだろう? 大丈夫だ、俺たちはご主人様の嫌がることはしないぞお」
「そう、ありがとう。そうしてもらえると助かるわ」
何だろう、たったこれだけの言葉が胸に染みる。つくづく、人の温かさに飢えていたのかもしれない。
ちょっぴり涙ぐんでしまったのをごまかすように、ブルースに聞いてみた。あなたは、どんな庭を見てみたい? と。
そうしたら彼は「食べられる実がたくさんある庭がいいな。食ってもいいし、鳥もたくさんくるから」と言い出した。確かに、それもいいかも。
さっそく、別の花壇……というより、四角く囲った土の地面に向き直る。
ぐるりと辺りを見渡して、しっかりと日の当たりそうな場所であることを確認する。果物は、とにかく日に当てないと甘くならないし。
背の高いリンゴの木、小ぶりなグミの茂み、控えめな雰囲気のラズベリー、そして地面に這うようにして育つイチゴの苗。その周囲に、レモンやオレンジといった柑橘系も植えてみた。
花が咲き誇り、さわやかな香りが辺りを満たす。たまたまみんな白い花ばかりだったということもあって、優しい雰囲気でまとまっていた。
「フルーツガーデン第一号、完成ね」
満足な気分でつぶやいて、庭を見る。空きスペースは、これでもかというくらいにたくさん残っている。なんなら、屋敷のさらに外に向かって庭を拡張してもいいのだし。
これなら思いつくまま、色んな花壇を作れそうだ。きっちりと整備された花壇もいいし、逆に野の花を集めたような庭もいい。
あとは、いっそ和風もいいかも。庭の端のほうに小川があるから、あそこに手を入れれば……。
ああ、どんどんイメージが膨らんでいく。
「うわあ! ……すごい……」
うっとりと夢想にふけっていたら、今度はステイシーの声がした。彼女は建物から庭に出る扉のところに立って、目をきらきらと輝かせていた。
「今朝まで、何もなかったのに……」
そのまま、彼女がこちらに駆け寄ってくる。昨日の引っ込み思案なところは、すっかり鳴りをひそめていた。そんな彼女に、ブルースが朗らかに声をかけた。
「ご主人様のギフトなんだ。でもそのことは内緒だからなあ」
「お願いね。どうして秘密なのかは、あとでちゃんと話すわ。あなたたち三人がそろった時にでも」
そう言ったら、ステイシーがはっとした顔になった。
「……あ、いけない。ポリーさんが呼んでいるんでした。お昼ご飯ができたって」
「おお、もうそんな時間かあ」
ブルースがお腹をさすって、うんと伸びをする。言われてみれば、結構お腹が空いた。それに、妙に疲れている。ギフトを使ったせいかな。
「それじゃあ、行きましょうか。片付けは後でもいいから」
そう言って、屋敷の中に向かって歩き出す。とてとてと一生懸命についてくる足音と、ゆったりとしてどっしりとした足音を後ろに聞きながら。