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28.意味ありげな視線

「すみません、断り切れませんでした……」


 しょんぼりとした顔でヴィヴが戻ってきたのは、その日の夕暮れ時のことだった。


 私たちは、王宮の奥まった一角でヴィヴを待っていた。ここは元々ヴィヴとミラ、それに二人の母である第三夫人が暮らしていた区画だ。


 王宮の華やかな玄関口とは打って変わって、この辺りはどちらかというと質素だった。家具なんかの古さといい、ちょっと花森屋敷と似ているかもしれない。


 人通りもほとんどない静かなここで、私たちはのびのびとくつろいでいたのだ。ヴィヴの帰りが遅いなあなどとお喋りしながら。


 そうしていたらヴィヴが、大いに疲れた様子で戻ってきたのだった。


「ねえヴィヴ、『断り切れませんでした』って、もしかして……」


「はい……僕はこれから、オリヴィエと王太子の座をかけて争うことになってしまいました」


 その言葉に、みんなが身じろぎした。戸惑っているというよりは、ヴィヴに同情しているような雰囲気だ。


「僕は王太子の座に興味はないのだと、必死に訴えたんですが……」


「こうなったらちゃんと勝負して、ちゃんと負けたらいいとおもう!」


 ミラがあっけらかんとそんなことを言っている。前から思っていたけれどこの子、兄であるヴィヴよりも肝がすわったところがある。


「元より、僕がオリヴィエに勝てるとは思っていませんよ。僕は彼のような厳しさを、王たる者に必要な素質を欠いているんです」


 いつになく弱気そのもののヴィヴの発言に、少し考え込む。


 ヴィヴは確かに、ひたすらに優しい人物だ。非情な判断を下せる人ではない。でも、それを言うならオリヴィエは厳しさ一点張りって感じだし。


 どっちもどっち……というか、人柄でいえばヴィヴのほうがふさわしいのではないか、そんな気がする。仁愛で民を治める、いい王様になってくれそうだし。


 そこまで考えて、はたと気がついた。もしかして私、ヴィヴに王太子、というか王様になって欲しいと思っているの? そんなことになったら、もう彼は花森屋敷では暮らせないのに。


 ヴィヴも私も、そしてついてきてくれたみんなも、ヴィヴが王太子にならないことを望んでいる。


 でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、気になるのだ。彼が治める国の姿を見てみたいと、そんなことを思ってしまったのだ。


「ヴィヴ様なら、素敵な王様になってくれそうだって、そうも思えてしまいますけどねえ」


 そんな私の内心を代弁するかのように、ポリーがゆったりとつぶやく。その隣では、ブルースがうんうんとうなずいていた。


「ああ、そうだなあ。きらきらの、優しい王様だあ」


「あの、ブルースさん、ポリーさん……ヴィヴ様は、というかアリーシャお姉様は、ヴィヴ様に勝って欲しくないと思っておられるんですよね」


 そんな二人を交互に見て、ステイシーがおろおろとしている。


「だからわたしたちは、負けるように応援を……あれ? 負ける応援って、どうやったらいいんだろう……?」


 そんな彼女の姿が微笑ましかったのか、ようやくヴィヴが肩の力を抜く。


「ありがとうございます、ポリーさん、ブルースさん、ステイシーさん。ひとまずこうなったからには、悔いのないようにやろうと思います」


 それからヴィヴがそっと背後を振り返る。


「ダニエル、エステル。もちろんあなたたちのことも大いに頼りにしています」


「はい、もちろんです」


「私たちの力は、ヴィヴ様のためにあるのですから」


 そう答える二人の表情がちょっと固い。元々落ち着き払っていて表情をあまり変えない二人としては、かなり珍しい。


 私は、オリヴィエがどんな人なのか分からない。というか、どんどん分からなくなっていく。だから、彼とヴィヴが王太子の座をかけて争うこれからの日々がどんなものになるのかも分からない。


 けれどヴィヴたちは、そのことを重くとらえている。それだけは、私にも分かった。




 さらにあれこれと話し合ってから、ミラに声をかける。今日のうちに、やっておかなければならないことがあるのだ。


「ねえ、ミラちゃん。明日、新月よね? いつものお薬、作りましょうか」


「はーい!」


 何回もやってくる新月、そのたびに彼女をむしばむ闇熱と戦っているうちに、症状を軽くする薬はいい感じに仕上がっていた。


 まずは解熱鎮痛のハーブを中心に、そのつど彼女の体調に合わせて色々と微調整する。


 そのハーブティーを前日から少しずつ飲ませておくことで、格段に症状を和らげられることを発見したのだ。そうして実際に熱が出始めたら、今度はもっと濃く煮出したものを飲ませる。


 これにより、ミラの熱は一、二時間程度で下がるようになっていた。以前は半日以上寝込んでいたことを思えば、格段に軽く済んでいる。


 今、そして今後闇熱に苦しむ人たちにとって、この情報はきっと役に立つだろう。


 ……たくさんハーブを用意しないといけないからあんまり現実的ではないし、そもそも特効薬である陽光草をまだ生やせていないから、安心するにはまだまだ早いけれど。


 ミラと手をつないで、気合いを入れつつ彼女の私室に向かう。


 頭の中には、色んな思いが渦巻いていた。今回も、できるだけ彼女を苦しめずに乗り切るんだという意気込みと、やっぱり根本的治療が必要なのよねという焦り。


 そして、一筋の不安。ヴィヴとオリヴィエとの王太子レース。正直、もう何がどうなるかなんて予測がつかない。


 私にできることは少ない。それが悔しい。この王宮では私は部外者だし、ブルースみたいに強い訳でもない。


 でも、頑張ろう。大切なものを守るために。


 ちっちゃなミラの手の温もりに励まされながら、せっせと足を動かした。




 そして、次の日の夕方。いつものように、ミラが熱を出して寝込んだ。


 しかしここは王宮なので、すぐに医者たちが駆けつけてくる。


 ただこの医者、あんまり役に立たなかった。化学物質的な薬品とか、便利な医療器具とかがないのはいいのだけれど、それでももうちょっと頑張って欲しいなあと思いたくなるレベルだった。


 彼らはハッカ油を少し垂らした水桶に布を浸し、絞って額に乗せるよう言った。あと、冷たい井戸水を薄い革袋に詰めたものを、胸やわきの下にあてがうようにとも。


 この世界、医療技術が遅れていると気づいてはいた。お母様を亡くした時にひしひしと感じた。でも、王宮ですらこれなのか。前世の一般家庭の看病の足元にも及ばない。


 そんな医者たちをちらりと見てから、横たわるミラに声をかけた。


「ミラちゃん、ちょっと準備してくるから待っていてね」


「うん」


 熱でぼんやりとした目で、それでも明るくミラが笑う。彼女にうなずきかけて、部屋を飛び出した。


 前の日に調合しておいたハーブの袋を抱えて、ポリーを連れて厨房へ向かう。ここにブレンドしてあるハーブの中には香りが飛びやすいものもあるので、症状が出始めてから煮出すことにしているのだ。


 そして毎回私が責任をもって自分で煮出していた。そして、絶妙な火加減のできるポリーに手伝ってもらいながら。


 そうして大急ぎでいつもの濃い煮出し汁を作り、またミラのところに取って返した。


「ただいま、ミラちゃん。できたわよ。いつもよりちょっと苦いけれど……」


「だいじょうぶ。ミラ、がんばる」


 そう言って彼女は煮出し汁の入ったカップを受け取ると、顔をしかめながら飲み切った。


「よく頑張りましたね、ミラ。それでは、眠りましょうか。僕がついていますから」


 彼女の隣についているヴィヴが、ほっとため息をつきながら水差しの水を飲ませていた。そうしてミラを、優しく寝かしつけている。


 うん、今回もちゃんと効いてくれそう。ミラの表情が、少し柔らかくなったから。


 ポリーたちとそっと目を見交わして、無言で喜び合う。その時、少し離れたところでぽかんとしている医者たちの姿が目についた。あ、まだいたんだ。


「……お客人、一つうかがってもよろしいか。今、ミラ様に何を?」


 医者の一人が進み出て、低い声でそう言った。わ、思いっきり不審な目で見られてる。


「私が丹精込めて育てましたハーブです。ヴィヴ様とミラ様が私の屋敷に滞在されていた頃、このハーブでミラ様の苦しみを和らげていました」


 さすがに王宮の医者相手に、王族を呼び捨てにするのはまずいだろう。そう考えてとっさに丁寧な言葉で返したものの、どうにも落ち着かない。


 私の話を聞きながら、医者はどんどん険しい顔をする。たぶん、そんな得体の知れないものを飲ませるなとか、そんなことが言いたいのだと思う。


 と、彼が突然目を見開いた。その視線の先には、静かな寝息を立てているミラの姿。よかった、もうハーブの煮出し汁が効いてきたんだ。


 と、医者たちが無言で会釈して部屋を出ていった。何事かささやき合いながら。


 去り際に「オリヴィエ様に……報告……」とか何とか、そんな感じの言葉が聞こえたような気がした。

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