26.いざ行かん、未知の地へ
赤い小鳥がやってきた数日後。私たちは、隣国デンタリオンとの国境目指して移動していた。全員で。
ヴィヴに同行すると決めてから、ポリーとブルースにも話をした。ヴィヴの許しももらったので、彼の事情も全部話して。
そうしたら、みんな迷うことなく同行を決めてくれた。
ちなみにステイシーは、先日私がヴィヴについていくと決めたその直後、やはり迷うことなく「わたしも一緒に行きます!」と宣言していた。
「オリバー伯爵が、腕利きの庭師を派遣してくれて助かりました。僕のせいであの庭が荒れてしまったら、さすがに申し訳ないですから」
馬車に揺られながら、ヴィヴがほっとした顔をしている。赤い小鳥の話を聞いた直後の暗い表情は、もうすっかり鳴りをひそめていた。そのことに、こちらも安堵する。
これから彼は、実の兄と話をつけにいかなければならない。どろどろの権力闘争に巻き込まれるかもしれない。どっちにしろ、彼が苦労することだけは間違いない。
だったら今くらいは、ゆっくりのんびりして欲しかった。余計なことにわずらわされることなく。
……ただ、それはそれとして、なぜかヴィヴと二人きりになっているのは少し落ち着かない。
私たちは二台の馬車に分かれて、一緒にデンタリオンを目指している。
花森屋敷に元々あった馬車は、ブルースが手綱を取っている。そうしてもう一台、ヴィヴたちが乗ってきたほうの馬車はダニエルが操っているのだ。
そこまでは特に問題ない。ただ、ブルースの馬車にポリーとステイシー、それにエステルとミラまでが乗り込んだので、ダニエルの馬車は私とヴィヴの二人だけになってしまったのだ。
てっきり、ミラはこちらに来ると思っていたのに。こっちにこないの、とそう尋ねてみたら「ミラはおばあちゃんにお歌習うの。お兄ちゃんのお話し相手はお姉ちゃんにお願いするね」と返された。
どことなくいたずらっぽい目をしていたから、たぶんあれはヴィヴと私を二人きりにさせようと考えていたのだと思う。
最近ミラは、よくこういう行動を取る。どうも私たちを二人きりにさせて、もっと仲良くさせようと思っているようだ。
子供らしくって微笑ましいとは思うけれど、あいにくと私たちはそういう関係ではない。
……それはまあ、ヴィヴは優しくていい人で、しかも美形だ。
ハロルドとノエルの魔の手から花森屋敷を守ってくれたし、私の力になりたいと言ってくれたし。それに、デンタリオンに一緒に来て欲しいとお願いされてしまったし。あなたが必要です、って。
あれ、もしかしなくても、もしかするかも。いやいや、そんなまさか。
一瞬浮かび上がった考えをぱぱっと追い払って、涼しい顔で相づちを打つ。
「もし庭が駄目になっても、また私が一から造るわ。十分な貯えもあるし、またハーブと茶の木を育て直すくらいの時間はあるから」
そう答えて、空いた座席に置いたトランクを開ける。そこには、小袋に分けられたハーブがずらりと並んでいた。花森屋敷で収穫したものの、ほんの一部だ。
「こうやって、ハーブも持てるだけ持ってきたし。だからちゃんと、ミラちゃんの薬も作れるわ。それに、ハーブティーだっていれられる」
「楽しみにしています。あなたがいれてくれるハーブティーは、とびきりおいしいですから」
それはもう嬉しそうに、ヴィヴが微笑む。さっき知らんぷりした感情がまた頭をもたげてきて、ちょっとどきりとした。
「あと、それと……」
どぎまぎしたのを隠すように、もう一度トランクに向き直る。その隅から、小さな袋を取り出した。
リボンとレースで控えめに飾りつけた、手のひらにすっぽり収まるような可愛い袋。手製のポプリを詰めた匂い袋だ。
「ヴィヴのお兄様にどうかしらって、そう思ったのだけれど……その、ごあいさつくらいしておいたほうがいいかな、って……」
貴族の令嬢は、比較的気軽にこういったものを贈る。
ヴィヴの兄がどんな人かは分からない、というかたぶんちょっと怖そうな人だろうなという気がするけれど、それでもきちんとあいさつしておいたほうがいいと思う。
「これの中身、私が最初に植えたラベンダーの花を使っているんです。一番思い入れの強い花で」
賊たちが庭に火を放ったあの夜、私はこのラベンダーを守ろうとして庭に飛び出し、結果としてポリーに助けられた。
あの時、考えるより先に体が動いていた。すっかりギフトを使いこなせるようになった今の私なら、たとえあの株が燃えてしまっても、そっくり同じものを生やすことができる。それが分かっていたというのに。
そんな風に目をかけていたからなのか、あるいは偶然か、あのラベンダーは他のものよりもずっと香り高い、立派な花をつけていた。
この花なら、王子への贈答品としてもおかしくはない。前世の感覚で言ったらありふれたこの匂い袋は、この世界ではそこそこ貴重なものなのだし。
「……そうですね。受け取ってもらえるか……五分五分でしょうか」
しかしヴィヴの表情は優れなかった。デンタリオンの事情はまた違うのかなと思いつつ、そろそろと尋ねてみる。
「……喜んではもらえなさそう、なの?」
「何とも言えません。兄の考えていることはよく分からなくて……」
そうして、彼は兄のことについて教えてくれた。それと、デンタリオンの状況についても。
デンタリオンの王には妻が三人。ヴィヴとミラの母である第三夫人はもう亡くなっているので、今は二人。
そして王子は全部で四人。第一夫人から生まれた第一王子と第二王子、第三夫人から生まれた第三王子であるヴィヴ、それに第二夫人から生まれた第四王子。ああややこしい。
ともあれ既に第一王子と第四王子は、王太子レースからは脱落しているらしい。最後に残った第二王子オリヴィエこそが、今回ヴィヴを呼びつけた張本人だった。
「オリヴィエは、弟の僕から見てもとにかく優秀で、冷静で……そして、まったく内心の読めない人なんです。打ち解けて話をしたことなんて、ありませんし……」
使用人であるポリーたちに対しては気軽に親しげにふるまっているヴィヴが、どうやら実の兄に対してはどう接していいか分からないようだった。
「……ですから、実はオリヴィエについて話せることはほとんどないんです。ただ彼は、目的のためなら何をするか分からない、そんな人です」
それを聞いて、つい難しい顔をしてしまった。腹違いの兄弟、冷え切った関係、そして王太子の座というとんでもないものを賭けた争い。
普通に考えると、かなり面倒なことになりそうな気がする。最悪、血で血を洗う争いが……。
だからこそ、ヴィヴは私についてきて欲しいと言い出したのだろう。彼らにとってデンタリオンの王宮は、きっと敵地に近い場所なのだ。
「ヴィヴ、これから大変なことがたくさんあるのだと思うけれど……私、あなたの力になるから。その、できることはあまりないかもしれないけど……でも頑張るから、どうか頼って欲しいの」
一気にそう言い切ると、ヴィヴは驚いたように目を丸くした。
それからふわりと、泣き笑いのように微笑む。思わず見とれずにはいられない、ちょっと儚げでとっても綺麗な笑顔だった。
「ありがとうございます。あなたのその言葉が聞けただけで、とても心強いです。……今度は、あなたに力をもらってしまいましたね」
「ふふ、互いに助け合えるなんて素敵よね」
「はい。……こうやって、支え合える人と出会えるなんて、僕は果報者です」
母親を亡くしてから、彼はおそらくずっと苦労してきたのだろう。ろくに頼れる者もいない王宮で、必死にミラを育てていたのだから。
そんな彼を支えられる存在に、私はなることができたらしい。そのことが嬉しい。
「あなたと出会えた幸運に感謝、ですね」
そうして二人で見つめ合う。この先に立ちはだかっているだろう面倒事も、頭から抜け落ちていた。
それは平和で幸せな、あとちょっとどきどきする時間だった。




