25.兄妹の驚くべき真実
とても厳かに、ヴィヴが告げた言葉。彼らは、隣国デンタリオンに戻ってしまう。
「え……っと、だったら次は、いつこちらに来てくれるの?」
ちょっと動揺しながら、そう尋ねる。
「分かりません……数か月、いえ、数年後……あるいは、戻ってこられないかも……」
ヴィヴは視線をそらして、苦しげにそうつぶやいた。ミラがその腕につかまって、しょんぼりとうつむいている。
彼らがここを出ていく。いつかそんな日が来るとは思っていた。でもこんなにすぐにやってくるとは思わなかった。だって私、まだ陽光草を生やすことができていないのに。
ヴィヴたちがいなくなるのは嫌だ。なのに、うまく言葉が出てこない。
「……アリーシャ……」
切なげな声に、ふと我に返る。ヴィヴがまた、私をまっすぐに見ていた。
彼は春空色の優しい目を悲しげに細めて、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。そうして、私の手をそろそろと取る。
「あなたは、僕たちがいなくなったら寂しいと、そう思ってくれるのですか……?」
「もちろんよ! ……できることなら、このままずっとみんなで、ここで暮らしていたいって……ずっと思ってた。でもきっと、何か理由があるのよね?」
柔らかな声の問いかけに、本心がするりと口をついて出る。と、ヴィヴがふわりと笑った。
「ええ、僕も、そう思っていました……でも、僕がここに留まり続ければ、あなたたちに迷惑がかかってしまう。ですから」
彼は私の手を両手で包み込むようにして、そっとささやいた。彼の肩越しに、ミラがはらはらしているのが見えた。
「……僕たちは、どうしてもここを去らなくてはならないんです」
「どうして、そんな……」
混乱してしまって、ヴィヴの目をまともに見られない。
「……やはり、戸惑ってしまいますよね。順に、説明します」
ミラもステイシーも、何も言わなかった。まるでこの部屋に私とヴィヴの二人しかいないような、そんな錯覚をしてしまうくらいに静かだった。
「……その、驚かないで聞いてもらえるとありがたいのですが……僕は、隣国デンタリオンの王子なのです。母がルーフェ伯爵家の出だったので、そちらの名を名乗っていました」
驚いた。大いに驚いた。驚き過ぎて声が出ない。でも同時に、大いに納得していた。
最初に彼を見た時、王子様だと思った。穏やかな物腰にあふれる気品、そして甘い美貌。そんな彼は外見だけでなく内面も素敵で、彼と一緒にいると穏やかな気分になれた。
「ただ、僕とミラは第三夫人の子供でした。そんなこともあって、王族でありながら比較的自由に動くことができたんです」
第三夫人って。上位の貴族や王族には妻を複数持つ者もいるらしいと聞いてはいたけれど、こうして実例に行き当たってしまうと、すっごく複雑な気分。
「ミラの闇熱を治すためにあれこれと調べ続けた僕は……旅に出ることを決めました。ちょうど、ここへ来る半年ほど前のことでしょうか」
懐かしんでいるような、寂しそうな目でヴィヴは語る。
「そうして、僕たちはここにたどり着いて……ミラの病が治っても、このままずっとここにいたい。そんなことを考えていました」
そうしてヴィヴは、くすりと笑う。
「それくらいにここは、幸せな場所なんです。きっと、あなたの優しい心が反映されているのでしょうね」
甘くささやくようなその言葉に、ぼっと頬が熱くなった。彼はさらに楽しそうに笑っていたけれど、ふと遠い目をする。
「……ですが、それでも僕は、デンタリオンに帰らなくてはならないんです」
そうして彼は、背後のミラのほうにちらりと視線を向ける。彼女の小さな手には、さっきの赤い小鳥がすっぽりと収まっていた。
「あの小鳥は、実は生き物ではありません。遠くに声を運ぶ能力を持っている、デンタリオンの国宝なのです。そんなものを使ってまで、僕たちに連絡を取らなければならない事態になってしまったのです」
その言葉に、思わず赤い小鳥をまじまじと見る。澄ました顔をしているそれは、どこからどう見ても生き物にしか見えなかった。
思わず目を見張る私がおかしかったのか、ヴィヴが微笑んだ。けれどその顔は、またすぐに曇ってしまう。
「僕たちの父であるデンタリオンの王は、ずっと体調が優れなかった。そして父は、ついに……退位を決めてしまったのだそうです」
私たちが暮らしているこの国と、隣国デンタリオンとの間にはほとんど国交がない。特に敵対している訳でもないけれど、積極的に関わり合っているということもない。
茶葉を売りさばいてくれているオリバー伯爵とその相棒のミディス伯爵みたいに、個人的に交流している人たちはいるようだけれど。
そんな感じなので、私はデンタリオンのことはほとんど知らない。……だからこそ、ヴィヴとミラの正体に気づかずにいたのだし。
今にして思えば、オリバー伯爵は彼の正体を知っていたのだと思う。ちょっと態度がぎこちなかったというか、明らかに目上の者に対する時の態度だった。
「そうして、僕たち王子の中から王太子が選ばれることになりました」
私が現実逃避てんこもりの考え事を続けている間にも、ヴィヴの説明は続いていく。
「王の子のうち、男子は僕を含めて四人。国に残った三人は既に競い合い、一人を残して王太子争いから降りたそうです」
つまり、王太子の座を競い合う争いはほぼ決着がついている、と。何だか話の流れが読めた気がする。『ほぼ』がポイントよね。
「……その最後の一人、僕たちの腹違いの兄が、僕を呼びつけました。国に戻って自分と勝負しろ、と」
ああ、やっぱり。あちらの決まりについては何も知らないけれど、ヴィヴもその争いに参加しなくてはならなくなったことだけは分かった。
彼に争いなんて似合わないのになと、そんなことを思う。
「その要請を無視すれば、兄がどんな手に出るか分かりません。……僕のことなんて放っておいて、勝手に王太子を決めてくれて構わないのに」
深々と息を吐いて、ヴィヴはまっすぐに私の目を見つめてくる。
「僕は、王太子になるつもりはありません。国に戻って、兄にそう言うつもりです。僕にはミラと、そしてあなたたちと共にあるここの暮らしがあればいい」
「だったら、またすぐにここに戻ってこられるんじゃ……」
すがるようにそう言うと、ヴィヴは悲しげに首を横に振った。ミラもうつむいている。
「いえ……王太子にならなかったとしても、僕とミラはしばらく兄の監視下に置かれるでしょう。兄が王位を継ぎ、国が安定するまでは。誰かが僕たちを利用し、政変を招くことのないように」
物騒で悲しい言葉をさらりと口にして、ヴィヴが微笑む。
「アリーシャ。……図々しい申し出だと、分かってはいるんです。でもどうか、わがままを言わせてください」
吐息のようなかすかな声で、彼は告げた。
「どうか、僕たちと一緒に来てくれませんか。僕にはあなたが必要なんです」
まるで愛の告白のようなその言葉に、たっぷり三秒は硬直したと思う。
ヴィヴが母国に帰らなくてはならない理由は分かった。でもどうして、私が誘われているんだろう。嬉しいけど。
そうしていたら、ヴィヴがさらに語り始めた。
「僕とミラは、あの王宮では孤立しています。元々母の立場が弱かったのもありますし、その母もミラを産んですぐに亡くなりました」
幼いミラは、とてもヴィヴになついている。仲のいい兄妹だなとは思ったけれど、どちらかというと父と娘のようでもあるなと思っていた。そんな事情があったのならうなずける。
「僕たちが頼れるのは、ダニエルとエステルだけなんです」
ヴィヴとミラ、それにダニエルとエステル。たった四人だけ。彼は王族なのに、たったそれだけ。
「情けない話ですが、味方が……寄り添ってくれる人が欲しいと、そう思ってしまったんです。これからの難事を乗り切るにあたって」
彼の気持ちが、痛いほどよく分かってしまった。私もこの屋敷に来た時、ポリーたちと仲良くなろうと頑張った。それまでずっと、独りぼっちだったから。
「この花森屋敷の世話については、オリバー伯爵に頼むことができるでしょう。ですから、どうか……」
哀願するような声で、ヴィヴが私を見つめている。ミラも涙目で、そんな私たちを見ていた。
彼らと離れたくない。ヴィヴの不安を和らげてあげたい。この屋敷を放っていくのは心配だけれど、オリバー伯爵になら託せるだろう。
私の答えは、とっくの昔に決まっていた。




