24.赤い小鳥は何をさえずる
ハロルドの、というか父の差し金である賊たちを追い払ってからは、奇妙なくらいに平穏な日々が戻ってきていた。
毎日庭仕事をして、時々オリバー伯爵に茶葉を納め、ミラに効く薬を探し、陽光草を生やせないか試行錯誤する。そんな、元通りの日々だ。
あ、でも、一つ面白いことがあった。記憶の図鑑に興味を持ったヴィヴが、日本語を教えて欲しいと頼んできたのだ。
なので時間を見つけて、彼に日本語の読み書きを教えてみた。他のみんなは遠慮したので、二人きりで。
彼は初めて見る文字に戸惑いながらも、とても楽しんで勉強しているようだった。そんな彼にさらにあれこれと教えながら、のんびりとお喋りして。この新たな日課は、とても幸せな、かけがえのない時間になっていた。
ヴィヴといえば、もう一つちょっとした変化もあった。
彼は最初からとても友好的で穏やかだったけれど、最近、こう……何というか、うーん……色っぽくなった? とでも言えばいいのかな。
いつもと同じようにお喋りしているだけなのに、彼は目が離せなくなるようなあでやかな笑みを浮かべるようになっていたのだ。
そうして彼を意識するほどにぎくしゃくしてしまい、そのせいで余計に意識してしまう。ああ、何て分かりやすいループ。
だってだって、こんな美形にこんな笑みを向けられて、動揺するなというほうが無理がある。そもそも私、あんまり男性は得意じゃなかったし。前世から、ずっと。
まるで思春期の男子のように挙動不審な私に、ヴィヴはとても嬉しそうな顔で接してくれていた。
……私、今が楽しい。できることならずっと、こうやって過ごしていたい。
でも、それはかなわぬ望みだ。だってヴィヴたちは、ミラの病の特効薬である陽光草を手にするためにここに滞在しているのだから。
いつか陽光草を手に入れたら、あるいはここでは手に入らないことがはっきりしたら、彼らはきっとここを出ていってしまうだろう。
そんな日が来なければいいのに。そんな自分勝手な願いを抱えたまま、一日一日を噛みしめるように過ごしていた。
そんなある日、見慣れないものがやってきた。
「アリーシャお姉様、見てください、これ!」
ぱたぱたと急ぎ足で、ステイシーがやってきた。その手には、真っ赤な小鳥がちょこんと留まっている。
ちょうどスズメくらいの大きさの、ほっそりしたシルエットの鳥だ。頭の上の飾り羽が可愛い。
小鳥は少しも動じることなく、彼女の手の上でくつろいでいる。とても人懐っこい。というか、手乗り文鳥みたい。誰かに飼われている鳥なのかも。
「綺麗な鳥ね。どういう種類の鳥なのかしら?」
ステイシーは田舎の出身だとかで、虫やら鳥やらにはとても詳しい。
とはいえ、私は虫を見ると未だに叫んでしまうので、虫について教わる機会はほとんどない。でも、可愛い鳥となれば話は別だった。
以前に彼女のリクエストで、鳥のための庭を作った。実のなる木をたくさん植えて、ブルースに餌場と水場を作ってもらったのだ。
するとあっという間に様々な鳥がやってきて、可愛いさえずりを聞かせてくれるようになった。そんな鳥たちについて、ステイシーはとても楽しそうに、丁寧に教えてくれたのだ。
おかげで私も、そこそこ鳥には詳しくなった。バードウォッチングって前世からずっと憧れてたし、嬉しい。
それはそうとして、今ステイシーの手に留まっている赤い小鳥は、初めて見る種類の鳥だった。色とりどりのこの庭だからいいようなものの、普通の森にいたらとっても目立ちそう。
そしてステイシーも、困った顔で小首をかしげていた。
「ええっと、その……分かりません。こんな鳥は見たことがなくて。あ、でも……子供の頃に図鑑で見た、南国の鳥にちょっとだけ似ているかも……」
思いがけない彼女の言葉に、つい身を乗り出す。
「あら、あなたの家には図鑑があったの?」
本がありふれていた前世の日本とは違い、こちらでは本は中々の高級品だ。貴族やかなり豊かな家ならともかく、普通の平民の家には本なんてない。というか、そもそも読み書きできない人も多いみたいだし。
そんな私の疑問に、ステイシーは困ったようにうつむいた。
「は、はい……わたし、故郷の村で一番大きな家の子だったんです。だから、礼儀作法も学べましたし、図鑑も家にありました」
そうなのね、と相づちを打とうとして、ふと言いよどむ。そんな家の子が、こんなさびれた……私が来る前は、ほとんど打ち捨てられていた屋敷でメイドをしていたのだろうか。
……うん、これ以上うかつに立ち入らないほうがいいんだろうな。そう考えたその時、ステイシーが声をひそめた。
「あの……聞いてもらってもいいですか。誰にも話したこと、ないんですけど……お姉様には知ってもらいたいなって」
「ええ、聞かせて」
彼女が何を話そうとしているのかは分からないけれど、この真剣な様子からして、断るのはかわいそうだ。そう思った。
かがみ込んだ私の耳元に、ステイシーはささやきかける。
「わたし、継母に家を追い出されたんです」
またしても思いもかけない言葉に目を真ん丸にしていると、彼女は少しずつ語っていった。
村長の娘として生まれ、幸せに育った彼女。けれど彼女の母が亡くなったことで、全てが変わってしまった。
新しくやってきた後妻がステイシーのことを目の敵にして、徹底的にいじめ抜いたのだそうだ。村長は後妻の色香に迷っていて、ステイシーを守ってはくれなかった。
結局、見るに見かねた親戚のおかげで、ステイシーはハロルドのもとに身を寄せることになった。
しかしそこも、彼女の安住の地ではなかった。ハロルドは田舎の出である彼女のことを疎んじていたのだ。
「だからわたしは、ここで働くことになりました。……でもこうなってよかったなって、今では心からそう思ってます」
その生い立ちに、ちょっぴり……割と同情してしまった。
母親を亡くして、誰も頼れずに頑張ってきた子供。かつての私と同じだ。ハロルドのせいでさらに面倒なことになったところまでそっくり。
「その、でも今の話は内緒にしてください。みんなに気を遣われたくないので」
ステイシーはもじもじしながらそう言った。気を遣われたくないというのは分かる。
ただ……何というか、この花森屋敷の住人はみんな訳ありの気がする。私を含めて。
ポリーやブルースは何も語らないけれど、その言動の端々からは様々なことがうかがわれた。もちろん、私の推測でしかないけれど。
たぶんポリーは、長いこと貴族に仕えていた。
それも料理人としてではなく、もっと主の近くにいる、もっと位の高い使用人だ。知識や所作が、そんな感じなのだ。
そしてブルースは、何かこう……ちょっと過去に過ちを犯しているっぽい?
といっても、さすがに殺人とかではなさそうだ。ただ彼が一度どん底に落ちて、そこから更生してきたというのは間違いないと思う。
ヴィヴとミラも、まだ何か隠している。
母国にいた頃はどうしていたの? と尋ねると、二人そろってあいまいにごまかしてしまうのだ。
それを言うなら、ダニエルとエステルもかなり謎だ。
二人とも奥ゆかしくて、主に忠実で、そして異様に有能だ。目立たないようにふるまっていても、ただ者ではないオーラが時々漏れている。
だからステイシーの過去を知っても、みんなが変な感じに気を遣うようなことにはならないと思うのだけれど。むしろ、いい感じに収まりそうな気がする。
そんなことを考えつつ、にっこりと微笑みかける。
「分かったわ。私たちだけの秘密ね」
「はい!」
ステイシーと二人で顔を見合わせて笑ったその時、ヴィヴとミラがひょっこりと顔を出した。
「どうしました、アリーシャ、ステイシーさん。何やら騒がしかったようですが……」
「鳥さんがいるの? ……あっ」
いつも通りにのんびりとしていた二人が、ステイシーの手に留まった赤い小鳥を見て真剣な顔になる。何か、ただならぬ雰囲気だ。
「……その鳥は、僕たちに用があるようです」
そう言って、ヴィヴが宙に手を差し伸べる。小鳥がステイシーの手からふわりと飛び立って、そのままヴィヴの手に留まった。
そしてヴィヴとミラが、同時に小鳥に顔を寄せた。小鳥がさえずり出した、のはいいけれど……若い男性の声で喋っているように聞こえるのは、気のせいだろうか。
小鳥の話を聞き終えて、ヴィヴがまっすぐにこちらを見た。やっぱり王子様みたいに麗しいその顔は、ほんの少し青ざめていた。
「アリーシャ。僕たちは、母国に戻らなくてはなりません」




